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モロッコの世界遺産や観光地~フェズ旧市街・マラケシュ旧市街・アイット=ベン=ハドゥの集落・古都メクネス・ヴォルビリスの古代遺跡・テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)・エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)・マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市~





モロッコ 世界遺産 観光地

モロッコの世界遺産や観光地

「モロッコという国へ行ったことはありますか?」
「いいえ、ありません。」

「モロッコにある程度造詣がある方は、革製品や砂漠をイメージされるかもしれませんね。」
「そうですね。」

「モロッコの中心部の街に、性転換手術の技術を開発した人物が居たこともありますよ。」
「そうなんですか。」

「世界中の性転換希望者が殺到したニュースを見たことがある方などは、「性転換手術が発達している国」というイメージを抱かれているかも知れませんね。」
「そうですね。」

「最近では、クスクスなどのモロッコ産の食品が、日本の料理番組で使われることも多くなっていますね。」
「はい。」

「クスクスと言えば、小麦粉から作る粒状の粉食、またその食材を利用して作る料理である。発祥地の北アフリカから中東にかけての地域と、それらの地域から伝わったフランス、イタリアなどのヨーロッパ、およびブラジルなど世界の広い地域で食べられている。」

「クスクスを通じて、モロッコに興味を持ったという方もいらっしゃると思われますね。」
「そうですね。」

「しかし、モロッコには面白いものがたくさんあり、知られていないだけですばらしい世界遺産も多数登録されていますよ。」
「そうなんですか。」

「モロッコは、8つの世界遺産を保有しています。」
「はい。」

「その世界遺産は、すべて文化遺産となっています。」
「はい。」

「自然遺産は一つも保有していません。」
「そうなんですか。」

「文化遺産の内容としては、古い歴史をもつ建造物が多く保存されていますよ。」
「詳しく教えてください。」

「100万人ほどの人口を抱える街「フェス旧市街」がありますよ。」
「はい。」

「南方産の真珠とも評される「マラケシ旧市街」もありますよ。」
「そうですね。」

「カスバという建造物が多く観られる集落の「アイット=ベン=ハドゥの集落」もありますよ。」
「はい。」

「2010年に塔が崩壊する事件が起きたものの、未だ聖地としての威厳を失わない「古都メクネス」などがありますね。」
「はい。」

「さらに、古代ローマの遺跡である「ヴォルビリスの古代遺跡」、ジブラルタル海峡のある街「テトゥアン旧市街(旧名・ティタウィン)」もありますよ。」
「はい。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「ジブラルタル海峡と言えば、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡である。北はスペイン(イベリア半島)およびジブラルタル、南はモロッコであり、西の大西洋と東の地中海をつなぐ出入り口として軍事上・海上交通上、きわめて重要な位置を占めてきた。」

「湾岸都市である「エッサウィラのメディナ(旧名・モガドール)」、アル・ジャディーダ州の州都としておなじみの「マサガン(アルジャジーダ)のポルトガル都市」など、主要な世界遺産があらゆるエリアに点在していますよ。」
「そうなんだ。」

「エッサウィラと言えば、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸の港湾都市である。2001年に世界遺産に旧市街メディナが登録された。紀元前から栄えた港湾都市である。」

「アル・ジャディーダ州と言えば、アル・ジャディーダ は、カサブランカと96km離れた沿岸部にあるモロッコの都市で、アル・ジャディーダ州の州都である。」

「自然遺産がないので、「世界遺産を観光するなら、なるべく自然のあふれる場所に行きたい」という方には、残念に思えるかもしれませんね。」
「そうですね。」

「しかし、モロッコはこれから世界遺産に登録される可能性のある美しい大自然がどこまでも広がってる国ですよ。」
「そうなんですか。」

「肥沃な大地を求めている方にもおススメですね。」
「はい。」

「モロッコは、かつてフランスの植民地でしたね。」
「そうですね。」

「美食の国の植民地であったというだけあり、食文化もフランスに非常によく似ていますよ。」
「そうでしょうね。」

「美味しい白身魚を使った料理、美味しいワインを味わうことができるレストランも、様々な場所に点在していますよ。」
「はい。」

「モロッコの料理が美味しいことは、日本ではあまり知られていませんね。」
「そうですね。」

「フランス料理顔負けのものが食べられる場所もありますよ。」
「そうなんですか。」

「「世界遺産を観た後に、美味しい食べものに舌鼓を打ちたい」という方は、是非モロッコのレストランを訪ねてくださいね。」
「わかりました。」

「モロッコは、40度を超す気温になることも多々ある国ですよ。」
「そうなんですか。」

「体調を崩しやすい人には、10月~11月あたりに旅行するのがおススメですね。」
「はい。」

「お腹の調子を崩す人も多いので、水道水に不安がある方はミネラルウォーターなどを飲みながら過ごしましょう。」
「わかりました。」

「モロッコを訪問する際に、最も気をつけなければならない問題が一点だけありますよ。」
「それは何ですか?」

「それは、「トイレ」のことです。」
「どういうことですか?」

「日本人は、どこへ行ってもビデがあるのが普通になっていますね。」
「はい。」

「モロッコの場合は、トイレットペーパーすらありませんよ。」
「本当ですか?」

「バケツに水をくみ入れてから、洗い流すような仕様になっていますよ。」
「それは不便ですね。」

「何かと不便で、世界遺産の周辺にまったくトイレがないこともありますよ。」
「困りますね。」

「携帯用のビデとワンロールのトイレットペーパーを持ち歩きながら、観光するのがおススメですね。」
「わかりました。」





モロッコの世界遺産や観光地~フェズ旧市街~

「モロッコには、「フェス旧市街」という人口100万人ほどの大都市がありますよ。」
「はい。」

「この世界遺産は、最も国民から愛されている世界遺産として有名なスポットですよ。」
「そうなんですか。」

「1981年にユネスコの世界遺産に指定されたこの都市型の文化遺産は、アフリカ大陸のモロッコの北部エリアにありますよ。」
「はい。」

「モロッコで最も栄えているこの内陸都市は、モロッコ観光へ訪れた人々の恰好の観光スポットですね。」
「はい。」

「1000年も昔からこの市街の町並みは、ほとんど変化していませんね。」
「本当ですか?」

「変わらない美しいロケーションを見せてくれる世界遺産ですね。」
「そうなんですか。」

「この世界遺産の見所は、街のいたるところを往来する「ロバ」ですよ。」
「どこが見所なんですか?」

「モロッコの国の風景を知らない方は、「ロバなんて観てどうするの?」といぶかしむかも知れませんね。」
「そうですね。」

「しかし、フェス旧市街では、ロバが立派な交通手段となっていますよ。」
「そうなんですか。」

「ナンバープレートを付けて車代わりにしている人が数多く存在しますよ。」
「本当ですか?」

「荷車として使っているだけではなく、散歩に使っている人、タクシーのように使っている人などが観られますね。」
「そうなんですか。」

「これが、この世界遺産のごく日常的な風景となっていますよ。」
「信じられないですね。」

「訪れた観光客たちの目を丸くさせていますよ。」
「そうでしょうね、」

「市街の中は迷路のようになっているので、迷わないように注意が必要ですよ。」
「そうなんですか。」

「ロバのタクシーなどを利用しながら回れば、迷わずにすみますよ。」
「そうですね。」

「「方向音痴だから絶対に迷う!」と不安になりがちな方は、是非ロバを利用してみてください。」
「わかりました。」

「この世界遺産は、西暦789年「ベルベル人ムーレイ・イドリス一世」という人物によって建設されたと言われていますね。」
「はい。」

「ベルベル人と言えば、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称である。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイドで、宗教はイスラム教を信じる。」

「ベルベル人ムーレイ・イドリス一世と言えば、西暦789年、ベルベル人ムーレイ・イドリス一世によりフェズという町が建設された。808年、イドリス1世の息子ムーレイ・イドリス2世によってたてられた初の王朝イドリース朝の首都がおかれた。」

「建築様式などを観ても、日本にはまずない珍しい建築技法で創られていますよ。」
「そうなんですか。」

「カメラが好きな方は、独特の建築美術に着目しながら撮影してくださいね。」
「はい。」

「建物に関しては、世界遺産の範囲の中だけでも「カラウィーン・モスク(礼拝堂)」、「カラウィーン大学(神学校)」、「ムーレイ・イドリス廟(お墓)」、「サファリーン・マドラサ」などがありますよ。」
「そうなんですか。」

「サファリーン・マドラサと言えば、サファリーン広場には、フェズ最古の神学校サファリーン・マドラサがある(現在は使われていない)。」

「ムーレイ・イドリス廟(お墓)と言えば、モロッコ北部の都市メクネスの旧市街にある霊廟で、18世紀初頭に建造された。アラウィー朝のムーレイ=イスマイルの墓があり、同国で唯一、イスラム教徒以外でも入場できる霊廟として知られる。」

「カラウィーン大学(神学校)と言えば、カラウィーン・モスクの内部は、中庭に大理石の泉が配置され、アルハンブラ宮殿のパティオを模したと言われています。 モロッコ最古の大学「カラウィン大学」としても使用された深い歴史を持っています。」

「カラウィーン・モスク(礼拝堂)と言えば、857年に建てられた小さな礼拝堂を改築し、現在では2万人もの教徒を収容できる北アフリカ最大のモスクとなった。フェズを代表する建造物でありながらフェズのメディナの中にあるため、入り組んだ路地の極めて分かりづらい場所に位置します。さらに、異教徒は入場ができない厳格なイスラム教モスクです。」

「国内ではかなり有名なスポットが、所狭しと位置していますね。」
「はい。」

「色々なスポットを回りながら観光したい方は、是非ガイドブックを見ながらたくさんのスポットを探検してみましょう。」
「わかりました。」

「もちろん、美味しいレストランも数多く点在していますよ。」
「はい。」

「自分だけの穴場レストランを探してください。」
「わかりました。」





モロッコの世界遺産や観光地~マラケシュ旧市街~

「モロッコ中央部・アトラス山脈の麓には、11世紀にイスラム王朝の都として築かれた『マラケシ旧市街』が、今も残っていますよ。」
「はい。」

「イスラム王朝と言えば、ムスリム(イスラム教徒)の皇帝や国王が支配する国家である。ムハンマドの指導によりムスリムたちがイスラム教の教えの下に結束して、アラビア地域をはじめとする西アジア周辺のオリエント全域に興した国が最初である。分裂したり、新たに建国されたり、征服活動や貿易活動などにより、さまざまな地域にイスラム教が伝播し、北アフリカ、東アフリカ、西アフリカ、トルキスタン、スペイン、インド、マレーシア、インドネシアにもイスラム王朝が誕生した。」

「アトラス山脈と言えば、アフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びる褶曲山脈である。名称はギリシャ神話の巨神アトラスにちなんでいる。西側が最も高く、東に行くにつれ低くなる。長さは2,400kmある。」

「南方産の真珠と呼ばれている、この『マラケシ旧市街』は、1985年に世界遺産・文化遺産に認められましたよ。」
「そうなんですか。」

「20kmにも及ぶ赤い城壁に囲まれており、狭い路地が右往左往に広がる迷路のような『マラケシ旧市街』ですよ。」
「わかりにくいですね。」

「北アフリカ最大規模の旧市街(メディナ)で、先住民・ベルベル人が最初のイスラム教国・ムラービト朝の都として築きましたよ。」
「そうなんだ。」

「ムラービト朝と言えば、1056年に北アフリカのサハラ砂漠西部に興ったベルベル系の砂漠の遊牧民サンハージャ族を母胎とするモロッコとアルジェリア北西部、イベリア半島南部のアンダルシアを支配したイスラム王朝である。」

「ベルベル人と言えば、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称である。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイドで、宗教はイスラム教を信じる。」

「北アフリカ最大規模の旧市街のメディナと言えば、マラケシュは東西2km、南北3kmの城壁に囲まれた旧市街(メディナ)と、旧市街の西に広がる新市街からなる。旧市街は北アフリカでも最大の規模であり、王宮の他、バイア宮殿、エルバディ宮殿、サアド朝の墳墓群、ベルアベ陵、アグダル庭園などを含む。」

「その後200年もの間、モロッコの中心地として栄えてきましたよ。」
「はい。」

「『マラケシ旧市街』には、スークと呼ばれる色々な市場や歴史的建造物がありますよ。」
「どんなものですか?」

「スークと呼ばれる色々な市場と言えば、イスラム世界において市はバーザールという名称で一般に呼ばれている。日本では慣用でバザールといい,アラビア語のスークに相当する。バーザールやスークは,定期市,常設店舗の連なる市場の双方を指すが,歴史的には定期市のほうが早く知られている。アラブ圏の国々にはスークと呼ばれる市場が色々あります。」

「スークの特徴は、お店の裏に工房があり、作っているところを見る事ができます。」
「そうなんですか。」

「モロッコでは、革製品が特産品の一つですね。」
「はい。」

「羊やヤギの皮を柔らかく加工しやすくする為の作業中には、「ダッカ」という労働歌が聞こえてきますよ。」
「どんな歌ですか?」

「ダッカという労働歌と言えば、革製品は王朝時代から続くモロッコの特産品です。皮なめしの作業場では、石灰や鳥のフンなどを水に入れ、羊やヤギの皮を柔らかくしていきます。2時間以上も踏み続ける過酷な作業に、職人たちは互いに励ましあうため、声を出します。こうして自然に生まれる労働歌は「ダッカ」と呼ばれます。」

「2時間以上、石灰や鳥のフンを混ぜた水に皮を入れ踏み続ける時に歌いますよ。」
「そうなんですか。」

「この「ダッカ」は、イスラムの歴新年の祭りの時にも歌われる程、『マラケシ旧市街』に住む人々との繋がりが深い歌ですよ。」
「そうなんですか。」

「ダッカという労働歌と言えば、革製品は王朝時代から続くモロッコの特産品です。皮なめしの作業場では、石灰や鳥のフンなどを水に入れ、羊やヤギの皮を柔らかくしていきます。2時間以上も踏み続ける過酷な作業に、職人たちは互いに励ましあうため、声を出します。こうして自然に生まれる労働歌は「ダッカ」と呼ばれます。」

「「パン焼き屋」という街の人々がパン生地を持ち寄り焼いてもらうお店、トルコ式のハマムと呼ばれる蒸し風呂「サウナ屋」などがスークにありますよ。」
「はい。」

「トルコ式のハマムと呼ばれる蒸し風呂「サウナ屋」と言えば、中東全域に広く見られる伝統的な公衆浴場のことである。 語源は「温める」「熱する」を意味するアラビア語の動詞「ハンマ」に由来する。トルコ語では「ハマム (もしくはハマーム、)」と言う。美的な外観と排水・熱効率が計算された内部の構造は建築学の視点から高く評価されている。」

「歴史的建造物で有名なのは、クトゥビア・モスクですね。」
「はい。」

「クトゥビア・モスクと言えば、モロッコの都市マラケシュにある、市内で最も大きなモスクである。ミナレットはムワッヒド朝の第3代アミール、ヤアクーブ・マンスールの統治下(1184年から1199年)に建設され、後にラバトのハサン塔となる、セビリアのジラルダのモデルとして使用された。」

「12世紀のムクッヒド朝時代に建造されたものですよ。」
「そうなんですか。」

「ミナレット(塔)は77mもの高さを持ち、『マラケシ旧市街』のランドマークとなっていますよ。」
「高いですね。」

「ミナレット(塔)と言えば、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔である。ミナレットはトルコ語のミナレに由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語ではマナールあるいはマナーラといい、光(ヌール)と同一語根の語であることから光塔と訳されることもある。南アジアではミーナールとも呼ばれる。」

「バィア宮殿も観光スポットの一つになっていますよ。」
「そうなんですか。」

「バィア宮殿と言えば、バイア宮殿は周囲に広大な庭園を巡らし、豪華な個室が並ぶ大邸宅である。愛妾用の会議室と個室には、彩り鮮やかなタイルが張られ、アトラスシーダー材の天井には細密画が描かれている。部屋を仕切るアーチの形はムーア式、アラブ風と形式はさまざまで、建築家のこだわりがうかがえる。時折、国王も宿泊する場所ということです。」

「化粧漆喰とアラベスク模様で飾られている独特な造りになっていますよ。」
「はい。」

「アラベスク模様と言えば、アラベスクは、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、イスラム的世界観に基づいている。」

「化粧漆喰と言えば、骨材、結合剤、水から成る建築材料である。湿った柔らかい状態で塗り、非常に硬い状態になる。壁や天井の表面仕上げとして塗ったり、装飾に使う。コンクリート、コンクリートブロック、煉瓦、日干し煉瓦などの外観があまり美的でない建材の表面に化粧漆喰を塗ることがある。」

「宮殿への道の途中にあるのが、アグノー門ですよ。」
「はい。」

「アグノー門と言えば、ムワッヒド朝の君主が宮殿に行く途中に設けられたアーチの周辺に花弁状の文様が同心円状に施されたアグノー門や27の橋脚に支えられたテンシフト橋が架けられた。」

「花弁の模様が、円心円状に施されています。」
「はい。」

「この『マラケシ旧市街』の中には、2009年に世界遺産・無形遺産に登録された『ジャマエルフナ広場』がありますよ。」
「そうなんですか。」

「ジャマエルフナ広場と言えば、モロッコ・マラケシュ旧市街地にある広場である。11世紀後半にマラケッシュが首都であった頃から街の中心となっていた広場で、かつては公開処刑なども行われていた。現在も、大道芸人や飲食物、金属細工を扱い屋台などがところ狭しと軒を並べ、混然とした賑わいを見せる。」

「『マラケシ旧市街』の中心、約400m四方のジャマエルフナ広場では、文化と交易の中心として栄えていましたよ。」
「はい。」

「ジャマエルフナ広場と言えば、モロッコ・マラケシュ旧市街地にある広場である。11世紀後半にマラケッシュが首都であった頃から街の中心となっていた広場で、かつては公開処刑なども行われていた。現在も、大道芸人や飲食物、金属細工を扱い屋台などがところ狭しと軒を並べ、混然とした賑わいを見せる。」

「現在でも、昼夜問わず人々が集まり、屋台や大道芸で賑わっていますよ。」
「そうなんですか。」

「新市街は、フランス植民地以降に造られた近代的な建物を多く持つ街並みであり、旧市街(メディナ)とは対照的な景観ですよ。」
「そうなんですか。」

「ベルベル語で「神の国」の意味を持つ『マラケシ旧市街』は、まさにエキゾチックな雰囲気をもつ街並みや人々に触れる事ができますよ。」
「わかりました。」

「ベルベル語と言えば、現在主にモロッコ、アルジェリアで話されているアフロ・アジア語族の言語である。 正確に言えばベルベル語派またはベルベル諸語と呼ぶほうが実状に近く、少しずつ異なる同系統の言語群の総称である。」





モロッコの世界遺産や観光地~アイット=ベン=ハドゥの集落~

「モロッコ王国を含め3国にまたがるアトラス山脈のモロッコ南側・ワルザザート近郊に、1987年世界遺産・文化遺産に登録された『アイット=ベン=ハドゥの集落』がありますよ。」
「はい。」

「ワルザザートと言えば、モロッコの都市で、人口56,616人(2004年)、モロッコ中部、アトラス山脈の南側に位置し、アトラス山脈から流れてきたドラア川が平原に出る地点にある。標高1,151m。気候は乾燥しており、雨はほぼ降らないが、ドラア川の水によってオアシスとなっている。」

「アトラス山脈と言えば、アフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びる褶曲山脈である。名称はギリシャ神話の巨神アトラスにちなんでいる。西側が最も高く、東に行くにつれ低くなる。長さは2,400kmある。」

「この『アイット=ベン=ハドゥの集落』は、アトラス山脈とサハラ砂漠との中間に位置しているオアシスですよ。」
「そうなんですか。」

「サハラ砂漠と言えば、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5600km、南北1700kmに渡り面積は約1000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「アトラス山脈と言えば、アフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びる褶曲山脈である。名称はギリシャ神話の巨神アトラスにちなんでいる。西側が最も高く、東に行くにつれ低くなる。長さは2,400kmある。」

「昔から交通の要所として栄えていましたよ。」
「はい。」

「現在もサハラ砂漠への観光の入り口として、多くの観光客が訪れていますよ。」
「そうなんだ。」

「サハラ砂漠と言えば、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5600km、南北1700kmに渡り面積は約1000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「アイット=ベン=ハドゥの集落付近は、気候は乾燥し、雨もほとんど降りませんよ。」
「そうなんですか。」

「行かれる際には、水を十分持っていかないと大変なことになりますよ。」
「わかりました。」

「ワルザザートには、所々に先住民・ベルベル人が約350年前に作った要塞村が1000か所程点在していますよ。」
「そんなに多いんですか?」

「ワルザザートと言えば、モロッコの都市で、人口56,616人(2004年)、モロッコ中部、アトラス山脈の南側に位置し、アトラス山脈から流れてきたドラア川が平原に出る地点にある。標高1,151m。気候は乾燥しており、雨はほぼ降らないが、ドラア川の水によってオアシスとなっている。」

「ベルベル人と言えば、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称である。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイドで、宗教はイスラム教を信じる。」

「その中で最も美しく、保存状態も良いものが『アイット=ベン=ハドゥの集落』ですよ。」
「そうなんだ。」

「要塞村は、周囲を銃眼が配置された塔を何本も備えている城壁に囲まれていますよ。」
「そうなんだ。」

「村への入り口は1か所しかありませんよ。」
「何故1カ所しかないんですか?」

「小高い丘に造られている『アイット=ベン=ハドゥの集落』の内部の路も、迷路のように入り組んでいますよ。」
「そうなんですか。」

「下部にはカスバと呼ばれる要塞住居が立ち並び、丘の頂上には穀物倉庫が建てられていますよ。」
「はい。」

「カスバは、日干しレンガで出来た住居ですよ。」
「はい。」

「土壁の厚さは約40cmあります。」
「ずいぶん厚いですね。」

「気温が40度を超える暑さでも、室内は涼しく保てるように考えられて造られていますよ。」
「なるほど。」

「当時の建築技術の高さがうかがえますね。」
「そうですね。」

「しかし、手入れを怠ると約20年で廃墟になってしまいますね。」
「そうなんですか。」

「『アイット=ベン=ハドゥの集落』には、現在も数組の世帯が住み続け、昔と変わらない生活を続けていますよ。」
「そうなんだ。」

「電気や水道がないので、水は目の前を流れる川から汲んできますよ。」
「そうなんですか。」

「目の前がサハラ砂漠に面していますが、交通の便も良いため、度々ハリウッド映画のロケ地に使われていますよ。」
「そうなんですか。」

「サハラ砂漠と言えば、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5600km、南北1700kmに渡り面積は約1000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「有名なタイトルでは、「グラディエーター」、「ハムナプトラ2」、「砂の惑星」、「ロミオとジュリエット」などですね。」
「何回も使われたんですね。」

「映画「砂の惑星」と言えば、1984年公開のアメリカ合衆国の映画である。1994年に再編集されてテレビ放映された。フランク・ハーバートのSF大河小説『デューン』の映像化作品である。」

「映画「ハムナプトラ2」と言えば、『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』は、2001年のアメリカ映画である。1999年の映画『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』の続編で、リックとエヴリンは結婚し、アレックスという息子が新しいキャラクターとして加わっている。」

「映画「グラディエーター」と言えば、2000年に公開されたアメリカ合衆国の歴史映画である。帝政ローマ時代中期を舞台とし、ラッセル・クロウ扮するローマ軍将軍マキシマス・デシマス・メレディウスは皇帝アウレリウスと皇太子コモドゥスの確執に巻き込まれて家族を失い、自らも奴隷に身分を落とす。マキシマスはコモドゥスへの復讐を誓い、ローマ文化の象徴の一つである剣闘士(グラディエーター)として名を上げていく。」

「これらの映画で使われたセットなども一部残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「ワルザザートの映画スタジオで見る事が出来ますよ。」
「本当ですか?」

「ワルザザートと言えば、モロッコの都市で、人口56,616人(2004年)、モロッコ中部、アトラス山脈の南側に位置し、アトラス山脈から流れてきたドラア川が平原に出る地点にある。標高1,151m。気候は乾燥しており、雨はほぼ降らないが、ドラア川の水によってオアシスとなっている。」

「『アイット=ベン=ハドゥの集落』へは、観光ツアーで行く人が多いですね。」
「そうなんですか。」

「マラケシュから日帰りツアーも出ていますよ。」
「そうなんだ。」

「マラケシュと言えば、モロッコ中央部、ラバトの南西約280km、アトラス山脈山麓の丘陵地帯、テンシフト川の南岸に位置する都市で、「南方産の真珠」と呼ばれてきた。マラケシュは、ベルベル語で「神の国」を意味する。北緯32度、西経8度、標高450mに位置し、気候はステップ気候に属する。人口は66万人であり、カサブランカとラバトに次ぐモロッコ第3の都市でもある。」

「マラケシュからアトラス山脈を越えて集落まで片道約3時間程ですよ。」
「はい。」

「マラケシュと言えば、モロッコ中央部、ラバトの南西約280km、アトラス山脈山麓の丘陵地帯、テンシフト川の南岸に位置する都市で、「南方産の真珠」と呼ばれてきた。マラケシュは、ベルベル語で「神の国」を意味する。北緯32度、西経8度、標高450mに位置し、気候はステップ気候に属する。人口は66万人であり、カサブランカとラバトに次ぐモロッコ第3の都市でもある。」

「アトラス山脈と言えば、アフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びる褶曲山脈である。名称はギリシャ神話の巨神アトラスにちなんでいる。西側が最も高く、東に行くにつれ低くなる。長さは2,400kmある。」

「途中、山脈の大自然が見られ、お土産屋さんに寄り、映画スタジオ見学も含まれているのが人気ですね。」
「わかりました。」





モロッコの世界遺産や観光地~古都メクネス~

「モロッコ王国の中北部、首都・ラバトから東に130km離れたメクネス州に、1996年に世界遺産に登録された『古都メクネス』がありますよ。」
「はい。」

「モロッコ王国の中北部、首都・ラバトと言えば、モロッコ王国の首都である。同国北部の大西洋岸、ブーレグレグ川の河口に位置する。古代ローマ時代に殖民都市サラがあった場所で、12世紀にムワッヒド朝の軍事拠点が置かれた。その後、17世紀アラウィー朝時代に首都が置かれた。絨毯の産地である。12世紀建造のハッサンの塔やルワー門、ウダイヤのカスバ、モロッコ独立を進めた元国王が眠るムハンマド5世廟、現国王の王宮などがある。」

「『古都メクネス』は1666年に、イスラム教国・アラウィー朝の都として築かれましたよ。」
「そうなんですか。」

「アラウィー朝と言えば、1631年以降のモロッコの現王朝である。フィラーリー朝、フィラール朝とも呼ぶ。王家の先祖は13世紀末,アラビア半島からモロッコ南部のターフィーラールト地方にら来住したアラブ系の一族で,預言者ムハンマドの孫ハサンの血を引くシャリーフ(〈高貴な血筋の人〉の意)を主張する。」

「17世紀後半には、当時の王ムーレイ・イスマイルにより大改築が進められましたよ。」
「はい。」

「ムーレイ・イスマイルは、ヨーロッパ諸国と国交を積極的に結び、特にフランスのルイ14世に感服しましたよ。」
「そうなんですか。」

「メクネスをモロッコのヴェルサイユにすべく、古い建物を壊し、都に次々とイスラム文化とヨーロッパ文化を融合した、イスパノ・モレスク様式の建築物を建造していきましたよ。」
「はい。」

「イスパノ・モレスク様式と言えば、8―13世紀に盛行したイスラム教支配下のスペインの芸術である。宗教上,人間や生物の図像表現が禁じられたため,建築や装飾芸術の領域に独創性を示し,コルドバの大モスク,アルハンブラ宮殿を実現した。」

「有名な建造物の中で、特に観光スポットとして多くの人が訪れているものがありますよ。」
「それは何ですか?」

「一つはマンスール門ですよ。」
「はい。」

「マンスール門と言えば、ムーレイ・イスマイルが手がけた最後の建築物である。彼の死後、息子によって1732年に完成しました。設計者マンスール氏がキリスト教からイスラム教に改宗したことからマンスール・エルアージュ門(=改宗者の勝利の門)とも呼ばれます。」

「『古都メクネス』の入り口の役割をしており、現地の言葉で「改宗者の勝利の門」という意味がありますね。」
「そうなんですか。」

「エディム広場に面したとても大きな門で、馬蹄型のアーチがあり、周りを青や緑のモザイクや彫刻が施されていますよ。」
「それはきれいでしょうね。」

「エディム広場と言えば、マンスール門の前に広がる市民憩いの広場である。」

「この門は北アフリカで最も美しい門と言われており、装飾が細かくきれいですよ。」
「そうでしょうね。」

「『古都メクネス』を造った本人の廟であるムーレイ・イスマイル廟も、メクネスにありますよ。」
「はい。」

「ムーレイ・イスマイル廟と言えば、メクネスでの王都建設を強く願い続けたムーレイ・イスマイルが眠る廟である。大理石の水盤がある中庭やモザイクの壁面など、イスラム様式をふんだんに取り入れた装飾が光っています。非ムスリムも入場できる唯一の廟です。」

「非イスラム教徒でも、イスマイルが実際眠っている部屋以外は入る事が出来ますよ。」
「そうなんですか。」

「この廟の中にある「ミラハーブの間」では、天井から壁にかけて見事なモザイクとシックイ彫刻が華やかに施されていますよ。」
「はい。」

「ミラハーブの間と言えば、ムーレイ・イスマイル廟の中にある「ミラハーブの間」では、天井から壁にかけて見事なモザイクとシックイ彫刻が華やかに施されています。イスラム文化最高傑作だと言われている程です。」

「イスラム文化最高傑作だと言われている程ですよ。」
「そうなんですか。」

「この「ミラハーブの間」の隣に、イスマイルが奥様と子供たちと共に眠る部屋があり、イスラム教徒以外は入れませんが、外から見学は可能になっていますよ。」
「はい。」

「ミラハーブの間と言えば、ムーレイ・イスマイル廟の中にある「ミラハーブの間」では、天井から壁にかけて見事なモザイクとシックイ彫刻が華やかに施されています。イスラム文化最高傑作だと言われている程です。」

「ここには、ルイ14世から贈られた時計も一緒に保存されていますよ。」
「そうなんですか。」

「その他にも、巨大な貯水池や30kmにもなる城壁、20年分も蓄えられるという穀物貯蔵庫、千頭分の馬の厩舎など、捕虜や囚人を使って建造していきましたよ。」
「スケールが大きいですね。」

「しかし、『古都メクネス』がモロッコのベルサイユとなる前に、イスマイルは世を去ってしまいましたよ。」
「それは残念でしたね。」

「次の王であるイスマイルの息子は都を遷都した為、メクネスは次第に衰退していきましたよ。」
「そうなんですか。」

「それでも、珍しいイスラム・ヨーロッパ文化の融合建築を数多く保存状態良好のまま残しているので、世界遺産として今でも多くの観光客を魅了していますよ。」
「なるほど。」

「近くには、同じく世界遺産になった古代ローマ都市の遺跡『ヴォルビリス遺跡』も残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「一緒に観光する人が多いようです。」
「わかりました。」





モロッコの世界遺産や観光地~ヴォルビリスの古代遺跡~

「モロッコ王国中北部・メクネス州の北部にある平原地帯に、紀元前に造られた古代都市の遺跡が、ほとんど原形を残した状態で現存していますよ。」
「本当ですか?」

「それが、1997年に世界遺産に登録された『ヴォルビリスの古代遺跡』ですよ。」
「はい。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「この『ヴォルビリスの古代遺跡』は、40haというモロッコ最大の大規模遺跡ですね。」
「広いですね。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「全長約2.3kmの城壁に囲まれていますよ。」
「はい。」

「8つの門と40の塔がこの城壁に造られていますよ。」
「はい。」

「紀元前40年頃に、ローマ帝国の属州としてこの地に都市が築かれましたよ。」
「そうなんですか。」

「当時も今も、周辺は豊かな農村地帯ですね。」
「はい。」

「小麦、オリーブ、ブドウなどの果実が豊富に採れ、富と繁栄をもたらしましたよ。」
「なるほど。」

「特に、オリーブオイルの油絞り器は、紀元前の人々が考えたとは思えないほど、高度な知恵を持っていたことを知る事が出来ますね。」
「どんなものですか?」

「石臼のような形状で、窪みに実を入れ、取手のついた重石で絞っていましたよ。」
「そうなんだ。」

「絞って出てきたオリーブオイルは、溝から流れ出て、隣のオイルを溜める所へ集められていましたよ。」
「よく考えられていますね。」

「これらの恵みにより潤っていた『ヴォルビリスの古代遺跡』は、街並みからもその豊かさが伝わってきますね。」
「はい。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「遺跡の建造物で有名なのがオレフェウスの家と中庭ですよ。」
「どんなものですか?」

「オレフェウスの家と中庭と言えば、『ヴォルビリスの古代遺跡』の建造物で有名なのがオレフェウスの家と中庭です。当時の貴族たちの邸宅の代表的なものです。メインストリートであったとされるデクマヌス・マキシム通りの両側には、貴族たちの邸宅がいくつも残されています。貴族の住む家には、必ずと言って良いほど華やかなモザイクが施されており、タイルも敷き詰められています。イルカ、像、鹿などのモザイクは、とても繊細で多くの人々が訪れています。」

「当時の貴族たちの邸宅の代表的なものですよ。」
「そうなんだ。」

「メインストリートであったとされるデクマヌス・マキシム通りの両側には、貴族たちの邸宅がいくつも残されていますよ。」
「はい。」

「デクマヌス・マキシム通りと言えば、「デクマヌス・マキシム通り」は、ヴォルビリスの古代遺跡のメインストリートです。」

「貴族の住む家には、必ずと言って良いほど華やかなモザイクが施されており、タイルも敷き詰められていますよ。」
「そうなんだ。」

「イルカ、像、鹿などのモザイクは、とても繊細で多くの人々が訪れていますよ。」
「そうなんだ。」

「メインストリートの入り口には、カラカラ帝の凱旋門がそびえ立っていますよ。」
「はい。」

「カラカラ帝と言えば、ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(188年4月4日 - 217年4月8日)は、ローマ帝国の皇帝で、セウェルス朝の君主としては第2代当主となる。本名よりもカラカラという渾名で呼ばれる場合が多く、歴史学者達もこのように呼称している。」

「カラカラ帝の凱旋門と言えば、ヴォルビリスはマウレタニア・ティンギタナと呼ばれていたアフリカのローマ属州の州都でもあった。217年にはアントニヌス勅令を発してくれたカラカラ帝への感謝を捧げた「カラカラ帝の凱旋門」が建造された。」

「これは、カラカラ帝への感謝を伝える為に建造されており、正面右手にはカラカラ帝の肖像が彫ってありますよ。」
「はい。」

「カラカラ帝と言えば、ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(188年4月4日 - 217年4月8日)は、ローマ帝国の皇帝で、セウェルス朝の君主としては第2代当主となる。本名よりもカラカラという渾名で呼ばれる場合が多く、歴史学者達もこのように呼称している。」

「ユピテル神殿跡も、6本の柱がしっかり立って残されていますよ。」
「はい。」

「ユピテル神殿と言えば、ユピテルはローマの三主神の一つである。元来天空の神で気象現象をつかさどり、正義・徳・戦勝の神で法の守護者でもある。カピトリヌスの丘の大神ユピテル神殿に妃ユーノー・娘ミネルバとともに国家神としてまつられ,執政官の就任や将軍の凱旋など重要な国事には常に参拝された。」

「柱の上には本当のコウノトリの巣が作られており、モロッコでは幸運を呼ぶ鳥として大切に保護されていますよ。」
「そうなんですか。」

「その他にも、やはりローマ遺跡の定番ともいえる浴場やスチームサウナの跡も残されていますよ。」
「はい。」

「さらに半身浴もしていたようで、座敷の浴場も残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「本当にお風呂にこだわりを持っているのが2千年程経った現代でも伝わってきますね。」
「そうですね。」

「ヴォルビリスは、3世紀末に、ベルベル人の圧迫などにより次第に衰退していきましたよ。」
「そうなんですか。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「ベルベル人と言えば、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称である。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイドで、宗教はイスラム教を信じる。」

「しかし、争いなどなかったため、『ヴォルビリスの古代遺跡』は2千年前のものですが、当時の街並みが素人でも大体把握出来る程の最良の保存状態で発見され、世界遺産となりましたよ。」
「良かったですね。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」

「1755年に起こった大地震により、『ヴォルビリスの古代遺跡』は被害を受け、一部壊れてしまいましたが、修復され今の状態を保っていますよ。」
「わかりました。」

「ヴォルビリスと言えば、モロッコにある古代遺跡である。フェズとラバトの間で、メクネスに比較的近い。ヴォルビリスは、北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。」





モロッコの世界遺産や観光地~テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)~

「モロッコ王国の北部、ジブラルタル海峡から60km程内陸に入ったところに、世界遺産『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』がありますよ。」
「はい。」

「ジブラルタル海峡と言えば、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡である。北はスペイン(イベリア半島)およびジブラルタル、南はモロッコであり、西の大西洋と東の地中海をつなぐ出入り口として軍事上・海上交通上、きわめて重要な位置を占めてきた。」

「この『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』は、ヨーロッパのスペインとアフリカのモロッコという二つの大陸の中間に位置し、昔から領土戦争などで影響を受けてきましたよ。」
「そうなんですか。」

「二つの大陸の文化が混ざり合い、独特の建築様式を持った建造物などが造られていますよ。」
「はい。」

「元々、8世紀頃にイスラム教国家の下、『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』は、栄えていましたよ。」
「そうなんですか。」

「彼らは、イベリア半島まで侵略していきました。」
「そうなんですか。」

「イベリア半島と言えば、ヨーロッパの南西に位置する半島である。イベリアの名は、古代ギリシア人が半島先住民をイベレスと呼んだことに由来する。しかし、元々は漠然とピレネー山脈の南側に広がる地域を指した言葉である。一方、イベリア半島を属州としたローマ人たちは、この地をヒスパニアと呼称したが、このラテン語に由来して現在の「スペイン」(英語名)は「イスパニア」とも「エスパーニャ」とも呼ばれるようになった。」

「しかし、15世紀後半にスペイン・キリスト教徒たちによるレコキンタス(スペインの領土奪還運動)により追い詰められましたよ。」
「はい。」

「レコキンタスと言えば、モロッコ王国の北部、ジブラルタル海峡から60km程内陸に入った所に、世界遺産『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』があります。ヨーロッパのスペインとアフリカのモロッコという二つの大陸の中間に位置し、昔から領土戦争などで影響を受けてきました。レコキンタスとは、15世紀後半にスペイン・キリスト教徒たちによるスペインの領土奪還運動のことです。」

「最後の砦であったイベリア半島の拠点・グラナダが陥落すると、彼らはここ『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』へ逃れてきましたよ。」
「そうなんだ。」

「イベリア半島の拠点・グラナダと言えば、スペイン南部の都市で、アンダルシア州グラナダ県の県都である。かつてはイベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝グラナダ王国の都であり、壮麗なアルハンブラ宮殿が有名である。シエラネバダ山脈が抱える「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野を基盤にして栄えた。」

「イベリア半島と言えば、ヨーロッパの南西に位置する半島である。イベリアの名は、古代ギリシア人が半島先住民をイベレスと呼んだことに由来する。しかし、元々は漠然とピレネー山脈の南側に広がる地域を指した言葉である。一方、イベリア半島を属州としたローマ人たちは、この地をヒスパニアと呼称したが、このラテン語に由来して現在の「スペイン」(英語名)は「イスパニア」とも「エスパーニャ」とも呼ばれるようになった。」

「一度スペインにより街は破壊されましたよ。」
「そうなんですか。」

「逃れてきたムーア人(イスラム&ユダヤ教徒)たちにより、現在の『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』の原型の街並みが造られましたよ。」
「はい。」

「ムーア人と言えば、北西アフリカのイスラム教教徒の呼称で、主にベルベル人を指して用いられる。ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味する。」

「その多くが「スペイン・ムーア様式」と呼ばれる建物で、イスラム文化にスペインのアンダルシア地方の影響を受けた独特な造りとなっていますよ。」
「どんな造りですか?」

「スペインのアンダルシア地方と言えば、アンダルシア地方とも呼ばれるスペイン南部のことです。闘牛やフラメンコが生まれ、今も尚盛んです。」

「スペイン・ムーア様式と言えば、ムーア人は、テトゥアンの街に「スペイン・ムーア様式」と呼ばれる、スペイン様式にイスラム文化を取り入れた建物を多く作りました。」

「特に、住居は低い白壁の家々が密集して建てられていますよ。」
「はい。」

「この2つの融合した独特さ珍しさから、世界遺産・文化遺産に認められましたよ。」
「そうなんだ。」

「『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』の中央には大モスクもありますよ。」
「はい。」

「ベースは、イスラム文化を色濃く受けている事がわかりますね。」
「そうなんですか。」

「現在は、『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』の入り口である「エル・ルーア門」をくぐると「ハッサン2世広場」が広がり、露店が多く出ていますよ。」
「はい。」

「ハッサン2世広場と言えば、ティトゥアンの旧市街と新市街の境目にあるハッサン2世広場は、王宮が面していることもあり、美しく整備されています。白い壁が地中海性の明るい日差しによく映え、まぶしささえ感じる広場です。」

「エル・ルーア門と言えば、『テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)』の入り口である「エル・ルーア門」をくぐると「ハッサン2世広場」が広がり、露店が多く出ています。」

「テトゥアンの周辺には、オレンジやザクロなどの果樹園が広がっているので、果物や野菜などのお店が多いですよ。」
「はい。」

「テトゥアンの新市街は、旧市街とは相反してスぺイン色が色濃く残っています。」
「そうなんですか。」

「新市街にはスペイン貴族の末裔が住んでおり、大理石の噴水や中庭付きの邸宅、内部の天井や壁には彫刻や壁画、床や柱にもタイルのモザイクが施され、とてもきれいですよ。」
「そうなんだ。」

「テトゥアンは、地中海に面したリゾート地・マルティルにも近いため、行く途中に寄って、観光していく街でもありますよ。」
「はい。」

「リゾート地・マルティルと言えば、地中海に面したリゾート地です。」

「モロッコの旧市街(メディナ)の中では比較的小規模ですよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、迷路のような入り組んだ路がないので、観光しやすい街になっていますよ。」
「わかりました。」





モロッコの世界遺産や観光地~エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)~

「モロッコ王国の『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』は、大西洋岸のエッサウィラ州にあり、2001年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「エッサウィラ州と言えば、モロッコ王国の『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』は、大西洋岸のエッサウィラ州にあります。」

「リゾート地としても人気のある『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』ですね。」
「はい。」

「エッサウィラと言えば、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸の港湾都市である。2001年に世界遺産に旧市街メディナが登録された。紀元前から栄えた港湾都市である。」

「現在の街並みが作られたのは、18世紀のことですよ。」
「そうなんだ。」

「当時のモロッコ王モハメッド・ベン・アブダラにより、貿易軍事拠点としての街づくりが進められましたよ。」
「はい。」

「モロッコ王モハメッド・ベン・アブダラと言えば、モロッコ王国の『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』の現在の街並みが作られたのは、18世紀のことです。当時のモロッコ王モハメッド・ベン・アブダラにより、貿易軍事拠点としての街づくりが進められました。貿易軍事拠点とは、城砦で街を守りながら、外交的・商業的には開放した港街を目指すものです。」

「貿易軍事拠点とは、城砦で街を守りながら、外交的・商業的には開放した港街を目指すものですよ。」
「そうなんですか。」

「この街づくりを実現する為にボーバン様式という、フランスの要塞造りで有名な建築家のセバスチャン・ル・プレストル・ド・ボーバンの弟子であるデオドール・コロニュに街の設計を依頼しましたよ。」
「はい。」

「建築家のセバスチャン・ル・プレストル・ド・ボーバンと言えば、フランス国王ルイ14世に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人(技術将校)、建設技術者、建築家、都市計画家である。近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化し、「落ちない城はない」と言われたほどの要塞攻城の名手であった。」

「ボーバン様式と言えば、ヴォーバンはフランスの軍人建設技術者で、17世紀後半に多くの要塞を手がけた。要塞の城壁は低く厚くし、城壁から外向きに突き出した稜堡式城郭が発達した。ヴォーバンはこの築城法を確立し、アラスのシタデル、カマレ・シュル・メールの「黄金の塔」、ブリアンソンの砦や市壁など、フランスの沿岸・国境地域に点在する12カ所を登録した。ヴォーバン様式は他の国にも影響を及ぼし、函館の五稜郭はその好例である。」

「コロニュは、青と白を基調とした建物を造りましたよ。」
「そうなんですか。」

「アラブ文化の建物に色合いがヨーロッパのような、二つの文化を融合した街並みを造り上げましたよ。」
「そうなんだ。」

「この『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』の中心には、ひと際高い時計台もあり、ランドマークになっていますよ。」
「そうなんですか。」

「エッサウィラと言えば、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸の港湾都市である。2001年に世界遺産に旧市街メディナが登録された。紀元前から栄えた港湾都市である。」

「スカラと呼ばれる展望台では、前が海に面した城壁で、大西洋の海を一望出来ますよ。」
「展望がよいでしょうね。」

「スカラと呼ばれる展望台と言えば、スカラとは、海の門の西側とメディナ北側の絶壁沿いに突き出した城塞で、海に向かって大砲を配置した砲床のことで、1769年に造られた。ズラリと一列に並んだ大砲と岸壁に荒々しい海岸の風景は壮大で圧巻である。」

「特に、モロッコは「日の没する大地」と言われている程、日没が美しい事が有名ですよ。」
「そうでしょうね。」

「中でも、最も西にあるエッサウィラの日没は、とてもキレイですよ。」
「わかりました。」

「エッサウィラと言えば、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸の港湾都市である。2001年に世界遺産に旧市街メディナが登録された。紀元前から栄えた港湾都市である。」

「現在『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』は、芸術家の街としても有名ですよ。」
「そうなんですか。」

「エッサウィラと言えば、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸の港湾都市である。2001年に世界遺産に旧市街メディナが登録された。紀元前から栄えた港湾都市である。」

「画家や音楽家など、特にヨーロッパから訪れる芸術家が多いですよ。」
「はい。」

「メディナでは、アートギャラリーが多く点在し、作品が売られていますね。」
「はい。」

「音楽では、毎年6月にグナワ・フェスティバルという音楽の祭典が催されていますよ。」
「はい。」

「グナワ・フェスティバルと言えば、エッサウィラで行われる、モロッコトランス民族音楽「グナワ」のフェスティバルである。」

「世界各国から音楽を楽しむ人々がやってきますよ。」
「そうなんですか。」

「このお祭りでは4日間、メディナのあちらこちらで音楽家たちが演奏し、皆で踊ったりして楽しみますよ。」
「はい。」

「「グナワ」とは、モロッコの民族音楽で、昔は悪霊払いをするための治療方法として演奏されていたそうですよ。」
「どんな民族音楽ですか?」

「トランスのようなノリが良いのが特徴ですね。」
「そうなんですか。」

「あのレッド・ツェッペリンなども、「グナワ」に影響を受けていたことで有名ですよ。」
「はい。」

「港町であり、シーフードがとても新鮮で名物の一つとなっていますよ。」
「そうなんですか。」

「スークでは、朝獲れたばかりの魚介をお店で炭火焼きして食べる事が出来ますよ。」
「それはいいですね。」

「風が強いので、ウィンドウサーフィンのスポットとしても知られていますよ。」
「はい。」

「シーズンに入ると、多くの観光客がマリンスポーツを楽しみますよ。」
「はい。」

「マラケシュから観光に来ると、途中にモロッコの特産物である「アルガンの木」の生息地を通る事が出来ますよ。」
「モロッコの特産物である「アルガンの木」とはどんなものですか?」

「アルガンの木と言えば、モロッコの南の地方にあるすごい生命力のある木のことです。砂漠に近い乾燥地帯の厳しい環境で、干ばつの時は地中100メートルもの深さに根を張り水分をとりこみ、8千万年前から生き続けています。その木にはオリーブのような実がなります。」

「マラケシュと言えば、モロッコ中央部、ラバトの南西約280km、アトラス山脈山麓の丘陵地帯、テンシフト川の南岸に位置する都市で、「南方産の真珠」と呼ばれてきた。マラケシュは、ベルベル語で「神の国」を意味する。北緯32度、西経8度、標高450mに位置し、気候はステップ気候に属する。人口は66万人であり、カサブランカとラバトに次ぐモロッコ第3の都市でもある。」

「アルガンオイルで有名で、美容法として日本でも大人気のオイルの一つですよ。」
「はい。」

「アルガンオイルと言えば、モロッコにのみ生育するアルガンの樹の実から採油された希少なオイルです。「モロッコの黄金」と呼ばれ、美や健康に役立てられており、その効果についての研究も進められています。」

「この実は、ヤギの大好物ですね。」
「そうなんですか。」

「アルガンの木に登って実を食べる木登りヤギを運が良ければ見る事が出来ますよ。」
「本当ですか?」

「アルガンの木と言えば、モロッコの南の地方にあるすごい生命力のある木のことです。砂漠に近い乾燥地帯の厳しい環境で、干ばつの時は地中100メートルもの深さに根を張り水分をとりこみ、8千万年前から生き続けています。その木にはオリーブのような実がなります。」

「世界遺産『エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)』は、異なった文化が混ざり合った独特の雰囲気がありますよ。」
「そうですね。」

「エッサウィラと言えば、モロッコ王国マラケシュの西の大西洋岸の港湾都市である。2001年に世界遺産に旧市街メディナが登録された。紀元前から栄えた港湾都市である。」

「現代でもリゾートと芸術の両方を楽しめる街として、多くの人々が訪れている街ですよ。」
「わかりました。」





モロッコの世界遺産や観光地~マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市~

「モロッコの大西洋に面した小さな街に『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』が、今も16世紀初頭に築かれた海の上の要塞都市として残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「2004年に世界遺産に認められましたよ。」
「はい。」

「港町・カサブランカより90km南に位置し、車で2時間ほどで行くことが出来ますよ。」
「はい。」

「港町・カサブランカと言えば、モロッコ最大の都市で産業の中心で、世界最大級の港からは、直接大西洋に出ることができる。」

「1502年にポルトガル人が、インドの航路開拓のための中継所・居住地域として現在のアル・ジャディーダの街に300m四方の要塞を築きました。」
「はい。」

「アル・ジャディーダの街と言えば、カサブランカと96km離れた沿岸部にあるモロッコの都市で、アル・ジャディーダ州の州都である。」

「それが、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』ですよ。」
「そうなんですか。」

「元々は、海に浮かぶ小さな島の上に、高さ8mの分厚い城壁で覆われたポルトガル人が住むための街を造りましたよ。」
「はい。」

「しかし、約200年におよぶ長い戦いの末、1769年にモロッコ王シディ・モハメド・ベン・アブダビ率いる軍の侵攻に敗れましたよ。」
「はい。」

「モロッコ王シディ・モハメド・ベン・アブダビと言えば、1502年にポルトガル人が、インドの航路開拓のための中継所・居住地域として現在のアル・ジャディーダの街に300m四方の要塞を築きました。それが、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』です。しかし、約200年におよぶ長い戦いの末、1769年にモロッコ王シディ・モハメド・ベン・アブダビ率いる軍の侵攻に敗れました。」

「ポルトガル人は、城壁内にある大西洋につながる「海の門」から逃げて行きましたよ。」
「はい。」

「ポルトガル人が出て行った後、一時期廃墟化しましたがすぐに再建されましたよ。」
「そうなんですか。」

「その時、ポルトガル語の地名「マサガン」は使用を禁止され、アラビア語で新しきものの意味がある「アル・ジャディーダ」に改名されましたよ。」
「そうなんだ。」

「そして、イスラム教国の象徴であるグラン・モスクもこの頃建造されましたよ。」
「はい。」

「グラン・モスクと言えば、元々は古いマドラサ(イスラム神学校)だったものを、17世紀末にアラウィー朝のスルタン、ムーレイ・イスマイルが修復し、1815年にムーレイ・スレイマンが増築した。白と緑のミナレットが美しい。ただし、非ムスリムは入ることができない。」

「この『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』の一番の見所が、巨大貯水槽ですよ。」
「そうなんですか。」

「当時のポルトガル司令官の邸宅と推測されている家の地下から、近年発見されましたよ。」
「そうなんだ。」

「50m四方の地下室で、ゴシック様式の円柱がある美しい貯水槽ですよ。」
「はい。」

「地上から雨水が溜まる仕組みになっていますよ。」
「そうなんですか。」

「非常時には、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』にある各住居へ水路で流されていくようになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「この巨大貯水槽は、特にお昼頃の観光がおススメですよ。」
「どうしてですか。」

「貯水槽の天井中央に穴が空いており、そこから太陽の光が差し込むことにより、部屋内部全体が明るくなりよりキレイですよ。」
「そうなんだ。」

「その他にも、市立劇場や『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』近郊にあるシディ・ブジットという高級リゾート地など、観光スポットがありますよ。」
「はい。」

「シディ・ブジットという高級リゾート地と言えば、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』には、巨大貯水槽、市立劇場、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』近郊にあるシディ・ブジットという高級リゾート地など、観光スポットがあります。観光としては、シディ・ブジットがおススメです。」

「市立劇場と言えば、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』にあります。」

「アル・ジャディーダにもビーチがありますよ。」
「はい。」

「どちらかというと地元民が多く訪れるビーチになっていますよ。」
「そうなんですか。」

「観光としては、シディ・ブジットがおススメですよ。」
「はい。」

「シディ・ブジットという高級リゾート地と言えば、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』には、巨大貯水槽、市立劇場、『マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市』近郊にあるシディ・ブジットという高級リゾート地など、観光スポットがあります。観光としては、シディ・ブジットがおススメです。」

「現在では、世界遺産都市だけでなくモロッコでも重要な港湾都市の一つとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「特にイワシの水揚げ漁業が盛んですよ。」
「はい。」

「街では、獲れたてのイワシを炭火焼きして食べる地元民の人々を度々見かけますよ。」
「そうなんだ。」

モロッコの世界遺産や観光地~フェズ旧市街・マラケシュ旧市街・アイット=ベン=ハドゥの集落・古都メクネス・ヴォルビリスの古代遺跡・テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン)・エッサウィラのメディナ(旧名モガドール)・マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル都市~

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モロッコ 世界遺産 観光地

アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ベニ・ハンマードの城塞・タッシリ・ナジェール・ティパサ・ジェミラ・ティムガッド・ムサブの谷・アルジェのカスバ~

「アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ベニ・ハンマードの城塞・タッシリ・ナジェール・ティパサ・ジェミラ・ティムガッド・ムサブの谷・アルジェのカスバ~」
アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~ベニ・ハンマードの城塞・タッシリ・ナジェール・ティパサ・ジェミラ・ティムガッド・ムサブの谷・アルジェのカスバ~
アルジェリア 世界遺産 アフリカ最大国

南アフリカ共和国の世界遺産と人類発祥の地~イシマンガリソ湿地公園・ケープ植物区系地方の保護地区群・フレデフォート・ドーム・スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群・ロベン島・マプングブエの文化的景観・リフタスフェルトの文化的・植物的景観・ウクハランバ・ドラケンスバーグ公園~

「南アフリカ共和国の世界遺産と人類発祥の地~イシマンガリソ湿地公園・ケープ植物区系地方の保護地区群・フレデフォート・ドーム・スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群・ロベン島・マプングブエの文化的景観・リフタスフェルトの文化的・植物的景観・ウクハランバ・ドラケンスバーグ公園~」
南アフリカ共和国の世界遺産と人類発祥の地~イシマンガリソ湿地公園・ケープ植物区系地方の保護地区群・フレデフォート・ドーム・スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群・ロベン島・マプングブエの文化的景観・リフタスフェルトの文化的・植物的景観・ウクハランバ・ドラケンスバーグ公園~
南アフリカ共和国 世界遺産 人類発祥の地

アフリカの世界遺産と雄大な自然~ウガンダのブウィンディ原生国立公園・カスビのブガンダ歴代国王の墓・ケニアのケニア山国立公園と自然林・トゥルカナ湖国立公園群・グレートリフトバレーのケニア湖水システム・ラム旧市街・セイシェルのアルダブラ環礁・ヴァレ・ド・メ自然保護区~

「アフリカの世界遺産と雄大な自然~ウガンダのブウィンディ原生国立公園・カスビのブガンダ歴代国王の墓・ケニアのケニア山国立公園と自然林・トゥルカナ湖国立公園群・グレートリフトバレーのケニア湖水システム・ラム旧市街・セイシェルのアルダブラ環礁・ヴァレ・ド・メ自然保護区~」
アフリカの世界遺産と雄大な自然~ウガンダのブウィンディ原生国立公園・カスビのブガンダ歴代国王の墓・ケニアのケニア山国立公園と自然林・トゥルカナ湖国立公園群・グレートリフトバレーのケニア湖水システム・ラム旧市街・セイシェルのアルダブラ環礁・ヴァレ・ド・メ自然保護区~
アフリカ 世界遺産 雄大な自然

アフリカの世界遺産と大航海時代や奴隷貿易の歴史と旅~ガーナのヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群・ガーボベルデのリベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ・ガンビアのクンタ・キンテ島と関連遺跡群・ギニアのニンバ山厳正自然保護区・コートジボワールのタイ国立公園・セネガルのニョコロ=コバ国立公園・トーゴのバタマリバ人の土地クタマク・セネガルのサン=ルイ島~

「アフリカの世界遺産と大航海時代や奴隷貿易の歴史と旅~ガーナのヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群・ガーボベルデのリベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ・ガンビアのクンタ・キンテ島と関連遺跡群・ギニアのニンバ山厳正自然保護区・コートジボワールのタイ国立公園・セネガルのニョコロ=コバ国立公園・トーゴのバタマリバ人の土地クタマク・セネガルのサン=ルイ島~」
アフリカの世界遺産と大航海時代や奴隷貿易の歴史と旅~ガーナのヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群・ガーボベルデのリベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ・ガンビアのクンタ・キンテ島と関連遺跡群・ギニアのニンバ山厳正自然保護区・コートジボワールのタイ国立公園・セネガルのニョコロ=コバ国立公園・トーゴのバタマリバ人の土地クタマク・セネガルのサン=ルイ島~
アフリカ 世界遺産 大航海時代 奴隷貿易 歴史 旅

アフリカ中央部の世界遺産~ガボンのロペ=オカンダの生態系と残存する文化的景観・カメルーンのジャー動物保護区・コンゴのヴィルンガ国立公園・ガランバ国立公園・オカピ野生生物保護区・中央アフリカのマノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園・モーリタニアのバン・ダルガン国立公園・ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスール~

「アフリカ中央部の世界遺産~ガボンのロペ=オカンダの生態系と残存する文化的景観・カメルーンのジャー動物保護区・コンゴのヴィルンガ国立公園・ガランバ国立公園・オカピ野生生物保護区・中央アフリカのマノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園・モーリタニアのバン・ダルガン国立公園・ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスール~」
アフリカ中央部の世界遺産~ガボンのロペ=オカンダの生態系と残存する文化的景観・カメルーンのジャー動物保護区・コンゴのヴィルンガ国立公園・ガランバ国立公園・オカピ野生生物保護区・中央アフリカのマノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園・モーリタニアのバン・ダルガン国立公園・ウアダン、シンゲッティ、ティシット、ウアラタの古いクスール~
アフリカ中央部 世界遺産

アフリカの世界遺産と古代芸術~ザンビア・ジンバブエのモシ・オ・トゥニャ/ヴィクトリアの滝・ジンバブエのグレート・ジンバブエ遺跡・カミ遺跡群・マトボの丘群・ナミビアのトゥウェイフルフォンテーン・ボツワナのツォディロ・ナイジェリアのスクルの文化的景観・オシュン=オショグボの聖なる木立~

「アフリカの世界遺産と古代芸術~ザンビア・ジンバブエのモシ・オ・トゥニャ/ヴィクトリアの滝・ジンバブエのグレート・ジンバブエ遺跡・カミ遺跡群・マトボの丘群・ナミビアのトゥウェイフルフォンテーン・ボツワナのツォディロ・ナイジェリアのスクルの文化的景観・オシュン=オショグボの聖なる木立~」
アフリカの世界遺産と古代芸術~ザンビア・ジンバブエのモシ・オ・トゥニャ/ヴィクトリアの滝・ジンバブエのグレート・ジンバブエ遺跡・カミ遺跡群・マトボの丘群・ナミビアのトゥウェイフルフォンテーン・ボツワナのツォディロ・ナイジェリアのスクルの文化的景観・オシュン=オショグボの聖なる木立~
アフリカ 世界遺産 古代芸術

アフリカの世界遺産と旧市街や古代遺跡および文化遺産~スーダンのゲベル・バルカルとナパタ地域遺跡群・メロエ島の考古遺跡群・リビアのレプティス・マグナの古代遺跡・ガダーミスの旧市街・キュレネの考古学遺跡・マリのジェンネ旧市街・トンブクトゥ・ベナンのアボメイの王宮群~

「アフリカの世界遺産と旧市街や古代遺跡および文化遺産~スーダンのゲベル・バルカルとナパタ地域遺跡群・メロエ島の考古遺跡群・リビアのレプティス・マグナの古代遺跡・ガダーミスの旧市街・キュレネの考古学遺跡・マリのジェンネ旧市街・トンブクトゥ・ベナンのアボメイの王宮群~」
アフリカの世界遺産と旧市街や古代遺跡および文化遺産~スーダンのゲベル・バルカルとナパタ地域遺跡群・メロエ島の考古遺跡群・リビアのレプティス・マグナの古代遺跡・ガダーミスの旧市街・キュレネの考古学遺跡・マリのジェンネ旧市街・トンブクトゥ・ベナンのアボメイの王宮群~
アフリカ 世界遺産 旧市街 古代遺跡 文化遺産

アフリカの世界遺産と自然の旅~マダガスカルのツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区・アツィナナナの雨林・マラウイのチョンゴニの岩絵地域・モザンビークのモザンビーク島・モーリシャスのアープラヴァシ・ガート・ル・モーンの文化的景観・ニジェールのW国立公園・ブルキナファソのロロペニの遺跡群~

「アフリカの世界遺産と自然の旅~マダガスカルのツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区・アツィナナナの雨林・マラウイのチョンゴニの岩絵地域・モザンビークのモザンビーク島・モーリシャスのアープラヴァシ・ガート・ル・モーンの文化的景観・ニジェールのW国立公園・ブルキナファソのロロペニの遺跡群~」
アフリカの世界遺産と自然の旅~マダガスカルのツィンギ・デ・ベマラ厳正自然保護区・アツィナナナの雨林・マラウイのチョンゴニの岩絵地域・モザンビークのモザンビーク島・モーリシャスのアープラヴァシ・ガート・ル・モーンの文化的景観・ニジェールのW国立公園・ブルキナファソのロロペニの遺跡群~
アフリカ 世界遺産 自然の旅

世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~

「世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~」
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