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旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~スロベニアのシュコツィアン洞窟群・セルビアのスタリ・ラスとソポチャニ・ストゥデニツァ修道院・コソボの中世建造物群・ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ・マケドニアのオフリド地域の自然・文化遺産・モンテネグロのドゥルミトル国立公園・コトルの自然と文化歴史地域~





旧ユーゴスラビア 世界遺産 ヨーロッパ 世界史

旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史

「ヨーロッパの旧ユーゴスラビア地域は、20世紀末の政治的混乱により観光業は停滞していましたね。」
「そうなんですか。」

「旧ユーゴスラビアと言えば、かつてユーゴスラビアであった地域である。セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア共和国、スロベニア、モンテネグロ、およびコソボの7箇国がある。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を表す通称。ユーゴスラビア連邦共和国を「新ユーゴ」と呼んでこれと区別するため。」

「しかし、美しい自然や、ローマ帝国時代・ビザンツ帝国時代等の、ヨーロッパにとって重要な史跡等が数多く残り、観光資源に富んでいますよ。」
「はい。」

「ビザンツ帝国と言えば、東ローマ帝国またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「数多くの史跡の中には、世界遺産に登録されているものもありますよ。」
「そうなんだ。」

「それらのを見るには、日本からの直行便はありませんよ。」
「はい。」

「しかし、ヨーロッパ系の航空会社を中心に便数自体は多いですよ。」
「はい。」

「乗り継ぎの運が良ければ、出発したその日のうちに世界遺産を保有する地に到着することも可能ですよ。」
「そうなんですか。」

「そんな旧ユーゴスラビア地域から、スロベニア、セルビア、マケドニア、モンテネグロの各国の世界遺産について、ご紹介します。」
「お願いします。」

「モンテネグロと言えば、モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国である。セルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国のうちのひとつであったが、2006年6月3日に独立を宣言した。モンテネグロ政府公式ウェブサイトでは首都は行政機関所在地であるポドゴリツァ(旧称チトーグラード)とされるが、モンテネグロ憲法によると首都はツェティニェである。」

「マケドニアと言えば、マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島中央部にあたる歴史的・地理的な地域である。67,000平方キロメートルほどの広さにおよそ465万人が住み、中心的な都市は南東部にあるギリシャ領のテッサロニキ(サロニカ)である。現在はギリシャ、ブルガリアのそれぞれ一部と、独立国のマケドニア共和国(国際連合などでの呼称はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国。)の3つの国の領土に分かたれており、南部を占めるギリシャがおおよそ50%、マケドニアが北西部40%、ブルガリアが北東部10%ほどを占めている。」

「セルビアと言えば、セルビア共和国、通称セルビアは、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家である。かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国であった。首都ベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで、一貫して連邦の首都であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をした。セルビア内のコソボ・メトヒヤ自治州がコソボ共和国として事実上独立状態にある。」

「スロベニアと言えば、スロヴェニア共和国は、中央ヨーロッパに位置する国で 、主要なヨーロッパの文化や交易の交差路である。スロベニアの西はイタリア、北はオーストリア、南や南東はクロアチア、北東はハンガリーとそれぞれ国境を接している。」

「旧ユーゴスラビアと言えば、かつてユーゴスラビアであった地域である。セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア共和国、スロベニア、モンテネグロ、およびコソボの7箇国がある。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を表す通称。ユーゴスラビア連邦共和国を「新ユーゴ」と呼んでこれと区別するため。」

「スロベニアについてですが、スロベニアは、ヨーロッパにあり、オーストリア、ハンガリー、クロアチア、イタリアと国境を接している国ですよ。」
「はい。」

「スロベニアの人口は、約200万人にすぎません。」
「少ないですね。」

「国土は、日本の四国ほどの大きさしかありませんよ。」
「はい。」

「しかし、スロベニアの国土は、北はユリアン・アルプス、西にはアドリア海が広がり、変化に飛んだ風景の美しさは、ヨーロッパでもトップクラスですよ。」
「そうなんですか。」

「アドリア海と言えば、アドリア海(英: Adriatic Sea ; イタリア語:Mar Adriatico ; クロアチア語: Jadransko more)は、地中海の海域の一つである。イタリア半島とバルカン半島に挟まれている。」

「ユリアン・アルプスと言えば、アルプスを越えたスイスやオーストリアの反対側にあるスロヴェニアのアルプスはユリアンアルプスという。スロヴェニアでは「サニー・アルプス」、つまり太陽の当たる側のアルプスと呼んで誇りにしている。」

「スロベニアの特筆すべき点として、その決して広いとは言えない国土に、大小さまざまな鍾乳洞が6000箇所以上ありますよ。」
「多いですね。」

「その中で最も有名なのが、世界遺産にも登録されている「シュコツィアン洞窟群」ですね。」
「はい。」

「シュコツィアン洞窟群と言えば、シュコツィアン洞窟群(スロベニア語Skocjanske jame ; イタリア語: Grotte di San Canziano)は、スロベニア南部のクラス地方(カルスト地方)にある洞窟である。ここには、巨大な陥没ドリーネや、深さ200m以上、長さ約6kmの地下川洞窟、滝などがある。この地方は「カルスト地形」研究史上、世界的に最も知られた場所で、カルストの語源にもなっている。1986年に、ユネスコの世界遺産に登録された。」

「特にこの世界遺産の中の、深さ168メートルもある渓谷は、一見の価値がありますよ。」
「そうなんだ。」

「セルビアについてですが、セルビアは、ヨーロッパのバルカン半島の中心部に位置していますよ。」
「はい。」

「バルカン半島と言えば、バルカン半島は、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分、すなわちマケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、ヴォイヴォディナ(スレム、バチャカ、バナト)からなる地域と考えられている。」

「西をディナル山脈、東をカルバディア山脈に囲まれた山がちな内陸国ですよ。」
「はい。」

「カルバディア山脈と言えば、カルパティア山脈(またはカルパチア山脈)は、中央ヨーロッパ・東ヨーロッパの山脈である。主にスロバキア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニアと、周辺のチェコ、ハンガリー、セルビアにまたがっており、全長約1500km。 スロバキアのブラチスラヴァ付近から北東に延び、東、南東へ向きを変えてルーマニア中部のトランシルヴァニアに達し、さらに西、北へと向きを変える。」

「ディナル山脈と言えば、ディナル・アルプス山脈は、南ヨーロッパ、バルカン半島の山脈である。北はスロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソヴォ、モンテネグロ、マケドニア共和国まで伸びる。」

「セルビアは、20世紀末の政治的混乱により観光業は停滞していましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、ローマ時代の遺跡や、中世セルビア王国の文化を伝えるヨーロッパの重要な文化的史跡等が数多く残っていますよ。」
「はい。」

「セルビア王国と言えば、セルビア王国(近代)は、1882年から1918年にかけてバルカン半島に存在した国家である。前身は1817年成立のセルビア公国。1878年まではオスマン帝国の宗主権下にあり、1918年成立のセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国に発展する形で消滅した。首都はベオグラード。」

「それらセルビアの史跡のうち、世界遺産に登録されている4つの場所をご紹介します。」
「お願いします。」

「「スタリ・ラスとソポチャニ」は、教会等の遺跡からなる世界遺産ですよ。」
「はい。」

「ソポチャニと言えば、「スタリ・ラスとソポチャニ」は、セルビアの世界遺産の一つである。1979年に当時のユーゴスラビアの世界遺産として登録されたもので、現在のセルビア領内の世界遺産としては最初に登録されたものである。登録対象に含まれているのは、かつての王都であったラスの遺跡のほか、セルビア最古の聖堂や、セルビアに残るもので最も美しいとされるフレスコ画をとどめる修道院などである。」

「スタリ・ラスと言えば、スタリ・ラスは、中世セルビアに存在した国家ラシュカの初期の首都の一つであり、長きにわたって重要な位置を占めていた都市である。「スタリ・ラス」(古いラス)は、この旧都を指す現在の呼称で、当時は単に「ラス」と呼ばれた。現在のラシュカ地方に位置し、中世のセルビアのまさしく中心に存在していた。以降、この国はラスを中心に全方向へと拡張して行くのである。」

「西ヨーロッパとビザンツ様式が組み合わされたラシュカ様式という珍しい様式を持つ建造物もある世界遺産ですよ。」
「はい。」

「ビザンツ様式と言えば、ビザンツ様式は、4世紀頃から始まった東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の建築・装飾様式である。ギリシャやトルコなど、地中海東側に見られる。建築では大ドームやモザイク壁画が特徴で、イスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂やベネチアのサン・マルコ大聖堂が代表的。家具では象嵌 (ぞうがん)や彫刻などで装飾されたものが多く見られる。」

「西ヨーロッパとビザンツ様式が組み合わされたラシュカ様式と言えば、スタリ・ラスの南西にあるソポチャニの修道院は、西ヨーロッパとビザンティンの様式が組み合わされたラシュカ様式の教会をもつ。付属の三位一体聖堂の内壁には、中世 ビザンティンの傑作といわれるフレスコ画がある。」

「「ストゥデニツァ修道院」の世界遺産は、1183年にセルビアの君主が建立したものですよ。」
「そうなんだ。」

「ストゥデニツァ修道院と言えば、ストゥデニツァ修道院は、セルビア中央部、クラリェヴォの南西39 km に位置するセルビア正教会の修道院で、セルビア正教会の修道院としては最大級のものである。この修道院は中世セルビア王国の建国者であるステファン・ネマニャが1190年に設立したものである。修道院は城壁で囲まれ、生神女聖堂と「王の聖堂」という、ともに白い大理石でできた二つの付属聖堂を擁している。」

「世界遺産「コソボの中世建造物群」の中の一つ、デチャニ修道院は中世バルカン最大の修道院ですよ。」
「そうなんですか。」

「デチャニ修道院と言えば、デチャニ修道院は、2008年2月にセルビアから独立したコソボにあるセルビア正教会の巨大修道院である。ペーチ(ペーヤ)の南12kmに位置する。修道院内の大聖堂は、ビザンチン美術における現存最大のフレスコ画が残る、中世に建てられたものとしてはバルカン半島最大の教会堂である。」

「コソボと言えば、コソボ共和国、あるいはコソボ・メトヒヤは、バルカン半島中部の内陸部に位置する地域である。北東をセルビア、南東をマケドニア共和国、南西をアルバニア、北西をモンテネグロに囲まれている。ユーゴスラビアのセルビアに属する自治州のひとつであったが、2008年2月17日にコソボ議会は独立を宣言し、コソボ共和国を名乗っている。」

「「ガムジグラードとガレリウスの宮殿ロムリアーナ」は、前述の3つと比較すると随分古い世界遺産ですよ。」
「はい。」

「ガレリウスの宮殿ロムリアーナ(もしくはフェリクス・ロムリアーナ)と言えば、ガレリウスの宮殿ロムリアーナは、2007年に登録された世界遺産(文化遺産)である。ガムジグラードは、セルビアのザイェチャール市郊外にある村の名前。この村落の近郊にある古代ローマ時代のロムリアーナ(フェリクス・ロムリアーナ)の遺跡が世界遺産として登録されている。ここはローマ皇帝ガレリウス(250年頃から311年)が死後埋葬された場所である。この遺跡は、かつてローマ属州のダキアの行政府だった城砦で、当時の西門とおよそ6万m2の土地を囲む主要な城壁が残っている。」

「ガムジグラードと言えば、ガムジグラードは、セルビアのザイェチャル市にある村で、2002年の人口は945人である。ガムジグラードの近くには、古代ローマ帝国ガレリウスが生まれた場所であり、死後埋葬された場所でもある城塞、ロムリアーナ(フェリクス・ロムリアーナ)の遺跡が残っている。この遺跡は、2007年にユネスコの世界遺産に登録された。」

「3~4世紀ローマ帝国の四分統治時代に、東の正帝ガレリウスが建設した宮殿の遺跡ですよ。」
「そうなんだ。」

「マケドニアについてですが、マケドニアは、ヨーロッパの旧ユーゴスラビアの最南端に位置し人口200万余りの国ですよ。」
「はい。」

「マケドニアという、アレキサンダー大王の帝国を想起させるこの国名自体に対しては、周辺の国々が不快感を示しているようですよ。」
「そうなんですか。」

「アレキサンダー大王と言えば、アレクサンドロス3世(紀元前356年7月? - 紀元前323年6月10日、在位紀元前336年 - 紀元前323年)、通称アレクサンドロス大王は、アルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟(英語版)(ヘラス同盟)の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。」

「かつてはスラブ世界におけるキリスト教文化の中心地として栄えた歴史を持っていますよ。」
「はい。」

「スラブ世界と言えば、スラヴ人は、中欧・東欧に居住し、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団である。ひとつの民族を指すのではなく、本来は言語学的な分類に過ぎない。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)・西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる。言語の共通性は見られるものの、特に西スラヴと東スラヴの間は歴史時代以前より断絶があり、文化的共通性は希薄。」

「マケドニアは、海に面していない内陸国で山がちですね。」
「はい。」

「そのため、美しい渓谷や、大きな湖等の自然環境が観光ポイントとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「特に、世界遺産にも登録されている「オフリドの文化遺産と自然遺産」は、透明度が高く美しい湖と宗教建築が見事に調和し、一見の価値がありますよ。」
「わかりました。」

「オフリドと言えば、オフリドは、マケドニア共和国西部にある都市である。バルカン半島の大湖オフリド湖のほとりにある。かつては市内に365もの教会があり、マケドニアのエルサレムと呼ばれた時代があった。10世紀末から11世紀にかけて、ブルガリア帝国の首都であった。このため大主教座が置かれ、現在でもマケドニア正教会の大主教座が置かれている。1979年から1980年にかけて、オフリドとオフリド湖はともに「オフリド地域の自然・文化遺産」の名でユネスコの世界遺産リストに登録された。」

「モンテネグロについてですが、モンテネグロは、ヨーロッパにある、2006年に独立した人口わずか62万、国土は福島県くらいの面積しかない小国ですよ。」
「小さいですね。」

「しかし、293キロメートルにわたる海岸線のうち73キロメートルはビーチとなっていますよ。」
「はい。」

「観光資源に恵まれたこの小国には、世界遺産が2つありますよ。」
「そうなんですか。」

「「ドゥルミトル国立公園」は、複雑に入り組んだ入江に位置し、背後を山に囲まれた海洋都市で、12世紀の建物が残っている世界遺産ですよ。」
「はい。」

「ドゥルミトル国立公園と言えば、ドゥルミトル国立公園は、1980年に登録、2005年に登録内容が変更された世界遺産(自然遺産)で、モンテネグロ北部のドゥルミトル山脈にある国立公園である。公園には、標高2522mのドゥルミトル山を中心に、中生代末期から新生代第三紀のアルプス造山活動期の海底堆積物が残っている。また、氷期には氷河がドゥルミトル山脈を削り、ヨーロッパ最深のタラ峡谷(深さ1900m)や無数の氷河湖を形成し、起伏に富んだ美しい景観をつくり出した。一帯はヨーロッパ最後の秘境といわれ、古代マツなど23の固有種を含む約700種の植物が生息し、ヨーロッパオオライチョウやシャモアなどの稀少動物の生息地となっている。このような自然が評価され、世界遺産に登録された。」

「「コトルの自然と文化-歴史地域」は、標高2522メートルのドゥルミトル山の周囲に広がる国立公園で、かの有名なアメリカの世界遺産グランドキャニオンに次ぐ世界第二の長さを誇る渓谷ですよ。」
「そうなんですか。」

「アメリカの世界遺産グランドキャニオンと言えば、グランド・キャニオン(Grand Canyon)は、アメリカ合衆国アリゾナ州北部にある峡谷である。コロラド高原がコロラド川の浸食作用によって削り出された地形であり、先カンブリア時代からペルム紀までの地層の重なりを目の当たりにできるところでもある。地球の歴史を秘めている価値と共に、その雄大な景観から合衆国の初期の国立公園の一つであるグランド・キャニオン国立公園に含まれている。さらに1979年には世界遺産に登録された。」

「ドゥルミトル山と言えば、ドゥルミトル山は、ディナル・アルプス山脈の延長線上に位置する山である。最高峰はボボトヴ・ククで、標高は2528 m。ドゥルミトルの名はルーマニア語で「眠るもの」を意味する。その名前は古代ローマの軍人たちが一帯を征服したときに、山の穏やかさを評して付けたものが元になったとされている。ドゥルミトル山は1952年に設定されたドゥルミトル国立公園の中にあり、1980年には固有種の植物相や昆虫の多様さが評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。」

「コトルと言えば、コトルは、モンテネグロの都市および基礎自治体でコトル湾の静かな場所に位置している。コトル市街の人口は13,510人で基礎自治体内の行政的な中心でもある。基礎自治体全体の人口は2003年現在22,947人である。古い地中海域のコトル港の周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残されている。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~スロベニアのシュコツィアン洞窟群~

「「シュコツィアン洞窟群」という世界遺産を見たことはありますか?」
「いいえ、ありません。」

「シュコツィアン洞窟群と言えば、シュコツィアン洞窟群(スロベニア語Skocjanske jame ; イタリア語: Grotte di San Canziano)は、スロベニア南部のクラス地方(カルスト地方)にある洞窟である。ここには、巨大な陥没ドリーネや、深さ200m以上、長さ約6kmの地下川洞窟、滝などがある。この地方は「カルスト地形」研究史上、世界的に最も知られた場所で、カルストの語源にもなっている。1986年に、ユネスコの世界遺産に登録された。」

「旧ユーゴスラヴィア諸国の世界遺産を旅したことがある方なら、お分かりになるかも知れませんね。」
「そうなんだ。」

「おそらく「見たことがあるどころか、聞いたこともないし、初めて知った」という方が、ほとんどと思われますね。」
「はい。」

「この世界遺産は、1986年にユネスコの世界遺産に指定されたスロベニアの文化遺産ですよ。」
「はい。」

「スロベニアと言えば、スロヴェニア共和国は、中央ヨーロッパに位置する国で 、主要なヨーロッパの文化や交易の交差路である。スロベニアの西はイタリア、北はオーストリア、南や南東はクロアチア、北東はハンガリーとそれぞれ国境を接している。」

「名前の通り、あらゆる洞窟が包括された世界遺産となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「私たち日本人は、中々洞窟に入る機会はありませんね。」
「はい。」

「あったとしても、沖縄の防空壕くらいですね。」
「はい。」

「「洞窟探検は沖縄の防空壕で体験しているから、シュコツィアン洞窟群は別にいいかも…」と考えるのは、気が早いかも知れませんよ。」
「そうですね。」

「このシュコツィアン洞窟群という世界遺産は、およそ6キロメートル以上もその地下水洞窟が続いていますよ。」
「はい。」

「深さは、なんと200メートル以上にもおよんでいますよ。」
「そうなんですか。」

「雰囲気も沖縄の洞窟とは、まったく違いますよ。」
「はい。」

「どの洞窟も一緒だと考えていた人が入ると、かなり予想を裏切られると思われますよ。」
「はい。」

「何しろ、世界で最も有名なカルスト地形の洞窟だと言われている洞窟ですよ。」
「そうなんですか。」

「カルスト地形(カルスト地質)と言えば、カルスト地形(独: Karst)とは、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって浸食(主として溶食)されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形を含む)である。化学的には、空気中の二酸化炭素を消費する自然現象である。」

「この世界遺産は、地質学を学んでいる人からすると、研究対象の宝庫のようなスポットですね。」
「はい。」

「一般の方には、分かりづらい魅力かも知れませんね。」
「はい。」

「それだけ貴重な自然が広がっている場所ですよ。」
「そうなんだ。」

「「日本では中々見られないような大自然が見たいけど、普通のスポットじゃなくてちょっと変わったところがいい」という願いは、この世界遺産が叶えてくれますよ。」
「はい。」

「それに、「明るく陽気なスポットよりも、暗くてドキドキするような世界遺産を求めている」という方にも、シュコツィアン洞窟群は非常におススメですよ。」
「わかりました。」

「「わざわざ洞窟を観光するのはちょっと…」という方も多いかも知れませんね。」
「はい。」

「しかし、ただの洞窟ではなく、あくまでも世界遺産ですよ。」
「はい。」

「少しでも気になった方は、是非この世界遺産を訪ねてください。」
「わかりました。」

「この世界遺産は、スロベニアで唯一の世界遺産ですよ。」
「はい。」

「この国の文化が凝縮されたような、スロベニアの代表的スポットですよ。」
「そうなんだ。」

「その分、設備もしっかりしていますよ。」
「はい。」

「洞窟内をベテランのガイドさんが案内してくれるので、しっかり学びながら探検することができますよ。」
「はい。」

「「洞窟のこともカルスト地質のこともまったく分からない!」という方でも、実際にその地質を見ながら学ぶことができますよ。」
「そうなんだ。」

「スロベニアの自然に詳しくなりたいという方は、是非ガイドさんの話をしっかり聞きながら見学してください。」
「わかりました。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~セルビアのスタリ・ラスとソポチャニ~

「セルビアには、スタリ・ラスとソポチャニ修道院という世界遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」

「ソポチャニ修道院と言えば、ソポチャニ修道院は、13世紀後半にセルビア王国の中心地域であったラス地方に、ステファン・ウロシュ1世の寄進で建てられた正教会の修道院である。ラシュカ川の源流近くに位置している。」

「ソポチャニと言えば、「スタリ・ラスとソポチャニ」は、セルビアの世界遺産の一つである。1979年に当時のユーゴスラビアの世界遺産として登録されたもので、現在のセルビア領内の世界遺産としては最初に登録されたものである。登録対象に含まれているのは、かつての王都であったラスの遺跡のほか、セルビア最古の聖堂や、セルビアに残るもので最も美しいとされるフレスコ画をとどめる修道院などである。」

「スタリ・ラスと言えば、スタリ・ラスは、中世セルビアに存在した国家ラシュカの初期の首都の一つであり、長きにわたって重要な位置を占めていた都市である。「スタリ・ラス」(古いラス)は、この旧都を指す現在の呼称で、当時は単に「ラス」と呼ばれた。現在のラシュカ地方に位置し、中世のセルビアのまさしく中心に存在していた。以降、この国はラスを中心に全方向へと拡張して行くのである。」

「セルビアと言えば、セルビア共和国、通称セルビアは、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家である。かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国であった。首都ベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで、一貫して連邦の首都であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をした。セルビア内のコソボ・メトヒヤ自治州がコソボ共和国として事実上独立状態にある。」

「これは、現在のセルビア領内で最初に登録された記念すべき世界遺産ですよ。」
「そうなんだ。」

「スタリ・ラスとソポチャニは、セルビアモンテネグロの中央に位置していますよ。」
「はい。」

「モンテネグロと言えば、モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国である。セルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国のうちのひとつであったが、2006年6月3日に独立を宣言した。モンテネグロ政府公式ウェブサイトでは首都は行政機関所在地であるポドゴリツァ(旧称チトーグラード)とされるが、モンテネグロ憲法によると首都はツェティニェである。」

「元々10世紀から13世紀にかけて、セルビアの最初の首都として栄えた場所ですよ。」
「はい。」

「かつては、スタリ・ラスと呼ばれる土地でしたよ。」
「そうなんだ。」

「スタリ・ラスとソポチャニでは、ノヴィ・パザル周辺にある、かつての王都ラスの王宮遺跡や、セルビア最古の聖堂、近隣の関連する建築物群などが世界遺産として登録されていますよ。」
「はい。」

「かつての王都ラスと言えば、スタリ・ラスとソポチャニ(1979年文化遺産)の登録対象に含まれているのは、かつての王都であったラスの遺跡のほか、セルビア最古の聖堂や、セルビアに残るもので最も美しいとされるフレスコ画をとどめる修道院などである。」

「ノヴィ・パザルと言えば、ノヴィ・パザルはセルビア南西部、ラシュカ郡にある都市およびそれを中心とした基礎自治体である。2002年の国勢調査による人口は基礎自治体全体で85,996人で、ノヴィ・パザル市街は54,604人であった。ノヴィ・パザルはサンジャク地方の中心地で、セルビアにおけるボシュニャク人の文化的な中心地でもある。」

「その中で最も有名なものは、ソポチャニ修道院ですよ。」
「そうなんですか。」

「セルビア正教会の修道院で、1260年頃に建てられましたよ。」
「はい。」

「セルビア正教会と言えば、セルビア正教会は、セルビアを中心にセルビア人の間で信仰されている正教会の一組織であり、独立正教会の一つである。正教会は一カ国に一つの教会組織をそなえることが原則だが(セルビア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している。」

「かつてのセルビア王である、ステファン・ウロシュ1世が作らせた修道院ですよ。」
「はい。」

「かつてのセルビア王であるステファン・ウロシュ1世と言えば、ステファン・ウロシュ1世(1223年 - 1277年5月1日)は、セルビア王国の王(在位1243年 - 1276年)である。在位中に「偉大なる王」と称された。」

「ビザンティン美術の中でも、特に素晴らしく優れているとして有名ですよ。」
「そうなんだ。」

「ビザンティン美術と言えば、ビザンティン美術は、5世紀から15世紀の東ローマ帝国で発達した美術の体系である。古代のギリシア美術、ヘレニズム美術、ローマを継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を産んだ。日本ではビザンツ美術と呼ぶことも多い。」

「特に敷地内には、付属聖堂である、聖三位一体教会がありますよ。」
「はい。」

「セルビアの聖三位一体教会と言えば、聖三位一体教会(Church of Holy Trinity)は、セルビア正教の教会で、1804年建立と比較的新しいようだ。主聖堂の聖三位一体教会は、モラバ派建築の典型的な建物です。教会の床はセルビアの中世建築には珍しく、モザイクが敷き詰められています。」

「そこには、大変希少なフレスコ画が保存されていますよ。」
「そうなんですか。」

「フレスコ画と言えば、フレスコ(英語:fresco、イタリア語:Affresco)は、絵画技法のひとつである。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。」

「「生神女の就寝」は、作者は不明ですが、セルビアに現存するフレスコ画の中では最も完成度が高く美しいと評されていますよ。」
「はい。」

「フレスコ画「生神女の就寝」と言えば、ソポチャニ修道院は、セルビア南部のノビ・パザールの15km西、ラシュカ川の源流近くに位置します。教会の内壁にはビザンチンフレスコ画の最も印象的な傑作が描かれており、絵を見るとキリスト教の歴史を生き生きと思い起こすことができます。13世紀後半に描かれたソポチャニのフレスコ画は、美と調和を強調した古典主義スタイルの頂点を典型的に表現しています。最も貴重なフレスコ画は身廊の西側に描かれた生神女の就寝で、黄、青、緑、紫の色彩がまるでシンフォニーのように見事なバランスを保っています。」

「元々ビザンチン美術は、13世紀後半から14世紀後半にかけて栄えましたよ。」
「はい。」

「この「生神女の就寝」は、1265年頃に描かれたものと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「フレスコ画「生神女の就寝」と言えば、ソポチャニ修道院は、セルビア南部のノビ・パザールの15km西、ラシュカ川の源流近くに位置します。教会の内壁にはビザンチンフレスコ画の最も印象的な傑作が描かれており、絵を見るとキリスト教の歴史を生き生きと思い起こすことができます。13世紀後半に描かれたソポチャニのフレスコ画は、美と調和を強調した古典主義スタイルの頂点を典型的に表現しています。最も貴重なフレスコ画は身廊の西側に描かれた生神女の就寝で、黄、青、緑、紫の色彩がまるでシンフォニーのように見事なバランスを保っています。」

「世界的に見ても非常に価値が高いため、セルビアに来たら、是非見ておきたいものですよ。」
「わかりました。」

「それ以外にもソポチャニ修道院には、数々の印象的なビザンチン美術が描かれていますよ。」
「はい。」

「内部の壁画は、それぞれ年代の異なる複数の層に分かれていますよ。」
「そうなんですか。」

「大変興味深いことでしょう。」
「はい。」

「他に、スタリ・ラスには、聖ペトル聖堂とネクロポリスもありますよ。」
「はい。」

「スタリ・ラスのネクロポリスと言えば、聖ペトル聖堂とネクロポリス(St. Peter's Church & necropolis, ID96-003)は、ノヴィ・パザルに残るプレ・ロマネスク様式の聖堂および墓地である。」

「スタリ・ラスの聖ペトル聖堂と言えば、聖ペトル聖堂とネクロポリス(St. Peter's Church & necropolis, ID96-003)は、ノヴィ・パザルに残るプレ・ロマネスク様式の聖堂および墓地である。聖堂は6世紀に創建されたと考えられているが、現存する建造物群は10世紀頃のものと考えられている。この聖堂はセルビアに現存する聖堂として最古というだけでなく、バルカン半島に残るキリスト教建造物群の中でも最古である。聖ペトル聖堂と呼ばれてはいるが、実際には聖ペトルと聖パウェルに献堂されている。」

「こちらは、プレ・ロマネスク様式の聖堂・墓地ですよ。」
「そうなんだ。」

「ロマネスク様式と言えば、ロマネスク様式は、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。」

「プレ・ロマネスク様式と言えば、プレ・ロマネスク様式は、ローマ帝国崩壊に伴い古典様式の継承者が消滅、地方建築が独自に発展した時代のものである。」

「聖堂は6世紀頃に作られ始め、10世紀頃に建造物群として完成したと言われていますよ。」
「はい。」

「セルビアだけでなく、バルカン半島にあるキリスト教関連の建造物の中では、現存するこの聖堂は最古のものなので、一見の価値がありますよ。」
「はい。」

「バルカン半島と言えば、バルカン半島は、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分、すなわちマケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、ヴォイヴォディナ(スレム、バチャカ、バナト)からなる地域と考えられている。」

「ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院は、1168年に創建され、修道院付属の聖ゲオルギ聖堂は、その外観に特徴がありますよ。」
「そうなんですか。」

「ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院付属の聖ゲオルギ聖堂と言えば、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院付属の聖ゲオルギ聖堂(1171年建造、13世紀に再建)は、ロマネスク建築とビザンティン建築が混ざり合った独特の様式をとどめており、その古さだけでなく後代に与えた影響の面からも重要である。この修道院には12世紀から13世紀にかけての優れたフレスコ画も残っている。」

「ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院と言えば、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院(聖ゲオルギの柱修道院)は、セルビアにある正教会の修道院で、サンジャク地方のノヴィ・パザル近郊にある。小高い丘の上に建っており、ノヴィ・パザルの渓谷と町並みを一望できる。修道院は、1168年に創設された。立地は当時のセルビア王国の首都ラス近郊に当たっており、その地にラシュカの支配者ステファン・ネマニャが建てたのである。修道院には創建当時の12世紀に遡る会食堂、共同寝室、貯水槽、入り口の塔の壁などの遺跡群が残っている。」

「ロマネスク建築とビザンティン建築が混ざり合った、独特の外観になっていますよ。」
「はい。」

「ビザンティン建築と言えば、ビザンティン建築は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式である。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されている。日本では、ビザンツ建築と呼ばれる場合もある。」

「ロマネスク建築と言えば、ロマネスク建築は、 中世西ヨーロッパの建築様式である。時代区分としては、おおよそ1000年から1200年頃までのゴシック建築以前の建築を指す。最初のヨーロッパ建築と言っても過言ではない。同時代のビザンティン建築と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を装飾するための副次的要素であった。」

「後に、この様式が数々の建築物の建築に、大きな影響をもたらしましたよ。」
「はい。」

「この修道院には、12~13世紀にかけて描かれたフレスコ画も残っており、美術価値が大変高いことで知られていますよ。」
「そうなんですか。」

「他にも、トゥルゴヴィシュテの下町を含むグラディナの城壁も、世界遺産として登録されていますよ。」
「はい。」

「グラディナと言えば、スタリ・ラスの集落は中世初期、セルビア王国の最初の首都となり、王国が誕生し発展、強大化するまであらゆる史実の中心地であり続けた。その最初の軍事構造物であるグラディナ要塞は、セルビア王国の初期の歴史を解明するうえで重要な手がかりとなっている。」

「グラディナの城壁と言えば、トゥルゴヴィシュテの下町を含むグラディナの城壁も、ラスの防衛施設を考察する上で重要な遺跡として、また当時の建築様式の特徴をとどめるものとして登録対象に加えられている。グラディナの城壁はトゥルゴヴィシュテの町を守るために、周囲に張り巡らされた城壁である。町全体を取り囲む状態になったのは12世紀のことであるが、最初の建造は9世紀に遡る。」

「トゥルゴヴィシュテと言えば、トゥルゴヴィシュテは、ヨーロッパにみられる地名である。本来はスラヴ語の-trg-または-targ-(交易)に場所を表す接尾辞-isteがついたもので、「市場」を意味する。日本語ではタルゴヴィシテ、タルゴヴィシュテ、トゥルゴヴィシテなどの表記もみられる。」

「グラディナの城壁は、かつてそこにあったトゥルゴヴィシュテの町を守るために、周囲に作られた城壁ですよ。」
「はい。」

「9世紀頃から12世紀にかけて作られ、その形が当時の建築様式の特徴を色濃く残しており、大変興味深いですよ。」
「わかりました。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~セルビアのストゥデニツァ修道院~

「世界遺産ストゥデニツァ修道院は、セルビア中央部のクラリェヴォの南西39kmに位置していますよ。」
「はい。」

「セルビア中央部のクラリェヴォと言えば、クラリェヴォは、セルビアにある都市および基礎自治体で、イバル川河畔にあり西モラヴァ川との合流地点から西に7kmの場所に位置する。南側のストロヴィ山と北側のコトレニク山の間の盆地に位置している。2011年現在の人口は基礎自体全域で124,554人、市街で63,030人で、ラシュカ郡の行政的な中心都市となっている。」

「ストゥデニツァ修道院と言えば、ストゥデニツァ修道院は、セルビア中央部、クラリェヴォの南西39 km に位置するセルビア正教会の修道院で、セルビア正教会の修道院としては最大級のものである。この修道院は中世セルビア王国の建国者であるステファン・ネマニャが1190年に設立したものである。修道院は城壁で囲まれ、生神女聖堂と「王の聖堂」という、ともに白い大理石でできた二つの付属聖堂を擁している。」

「セルビアと言えば、セルビア共和国、通称セルビアは、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家である。かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国であった。首都ベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで、一貫して連邦の首都であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をした。セルビア内のコソボ・メトヒヤ自治州がコソボ共和国として事実上独立状態にある。」

「風光明媚なイバル川峡谷の近く、ストゥデニツァの河畔に高い防壁に囲まれて建てられていますよ。」
「はい。」

「イバル川と言えば、プリシュティナのあるコソボ平原は標高600mで、鉱物資源に富み、褐炭、鉛、亜鉛、ニッケルは国内の50%近くを埋蔵する。イバルIbar川をはじめ多くの川で灌漑され、小麦、トウモロコシ、大麦が栽培されている。戦後プリシュティナは大学、飛行場をもつ中都市に変貌した。」

「中世セルビアの最も重要な修道院ですよ。」
「そうなんですか。」

「セルビア正教会の修道院としては最大級のものとされ、セルビア人の精神と芸術の中心地となっていますよ。」
「はい。」

「セルビア人と言えば、セルビア人は、主にセルビアやボスニア・ヘルツェゴビナのスルプスカ共和国を中心に住む南スラブ人である。血統や言語はクロアチア人・ボシュニャク人(ボスニア人)とほぼ同じだが宗教が異なる。セルビア人には正教会信徒が多い。」

「セルビア正教会と言えば、セルビア正教会は、セルビアを中心にセルビア人の間で信仰されている正教会の一組織であり、独立正教会の一つである。正教会は一カ国に一つの教会組織をそなえることが原則だが(セルビア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など。もちろん例外もある)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳では無く、同じ信仰を有している。」

「セルビア国家を設立し、セルビアを200年間にわたり統治したネマニッチ朝の創始者、ステファン・ネマニャの寄進で、1190年に建立されましたよ。」
「はい。」

「セルビア国家を設立しセルビアを200年間にわたり統治したネマニッチ朝と言えば、南スラヴ(ユーゴスラヴ)の一派であるセルビア人は7世紀初め頃にバルカン西部に南下し、9世紀後半には東ローマ帝国の影響下で正教会を受入れた。セルビア人は長くジューバと呼ばれる部族共同体に分立していたが、12世紀後半に東ローマ帝国の衰退に乗じてステファン・ネマニャが1168年に諸部族を統一してセルビア侯となる。その後、拡大した勢力を背景として1171年には国王として即位し、ネマニッチ朝を開いた。」

「セルビア国家を設立しセルビアを200年間にわたり統治したネマニッチ朝の創始者ステファン・ネマニャと言えば、ステファン・ネマニャ(1113年 - 1200年)は、セルビア王国ネマニッチ朝の創始者である。在位1171年 -1196年。1168年、兄を殺してセルビア侯として即位する。その後セルビアの諸部族を統一、宗主であった東ローマ帝国との長い戦いに勝利し、1171年には独立の君主、セルビア王ステファン1世として即位しネマニッチ朝を開いた。」

「建立から今日に至るまで、ストゥデニツァ修道院は一度も修道院としての役割を失ったことはありませんよ。」
「はい。」

「世界遺産ストゥデニツァ修道院は、生神女教会と王様の教会という、共に白い大理石でできた二つの付属教会を擁していますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産ストゥデニツァ修道院の「王様の教会」と言えば、ストゥデニツァ修道院は、風光明媚なイバル川峡谷の近く、ストゥデニツァの河畔に高い防壁に囲まれて屹立しています。修道院敷地内にミルティン王の寄進による1314年に建立された「王様の教会」があり、内壁に目を見張るように美しいフレスコ画が描かれています。」

「世界遺産ストゥデニツァ修道院の「生神女教会」と言えば、ストゥデニツァ修道院は、風光明媚なイバル川峡谷の近く、ストゥデニツァの河畔に高い防壁に囲まれて屹立しています。セルビアの多くの統治者はネマニッチ王朝の創始者が寄進し、一族の永眠の地であるストゥデニツァ修道院に刺激を受け、数多くの霊廟が敷地内にある生神女教会を模して建立されました。生神女教会はラシュカ派の最も重要な建築様式です。ビザンチン式の建物配置と、ロマネスク建築から取り入れた大理石の外壁の建物を持つストゥデニツァ修道院は、中央ヨーロッパ建築の傑作と讃えられています。」

「生神女教会は、ドームを備えた単一の身廊を持つバシリカ式の付属教会ですよ。」
「はい。」

「バシリカ式と言えば、初期キリスト教時代に、集中式教会堂とバシリカ式教会堂という、二つの教会堂の形式が生まれた。集中式は主として東方で発展し、バシリカ式は西方で発展した。バシリカ式は東西に長い平面をもつ。一般に西側に入口をもち、東側に聖職者が礼拝を行う内陣がある。バシリカ式の特徴は、外陣の空間構成にある。すなわち、身廊という中央空間の両側に側廊という副次的空間を配し、それぞれの間はアーケードで区切られる。身廊は側廊より高い空間で、最上部に窓が開く。」

「身廊と言えば、身廊(しんろう)は、ロマネスク様式やゴシック様式のキリスト教建築の一部分の名称で、入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの翼老廊に至るまでの部分を指す。ロマネスク、ゴシック、古典建築のいずれの様式においても、修道院 (abbey)、大聖堂 (cathedral)、バシリカ (basilica)、教会堂 (church) といったキリスト教建築では、入口(拝廊がある場合もある)から内陣に向かっていくつかの廊が伸びている。」

「その東端には、三面を持つ後陣がありますよ。」
「はい。」

「拡張された拝廊は西を向き、北側と南側にはそれぞれ玄関ホールがありますよ。」
「そうなんだ。」

「1230年代には、大きなエクソナルテクスが加えられましたよ。」
「はい。」

「エクソナルテクスと言えば、生神女聖堂は、ドームを備えた単一の身廊を持つバシリカ式の付属聖堂である。その東端には三面を持つ後陣があり、拡張された拝廊は西を向いている。北側と南側にはそれぞれ玄関ホールがある。1230年代には大きなエクソナルテクスが加えられた。ファサードには白い大理石の板が用いられ、聖堂内部は凝灰岩のブロックで覆われている。」

「建築物の正面のデザインには、白い大理石の板が用いられていますよ。」
「はい。」

「教会内部は、凝灰岩のブロックで覆われていますよ。」
「そうなんだ。」

「凝灰岩と言えば、凝灰岩(ぎょうかいがん)は、火山から噴出された火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石である。成分が火山由来であるが、生成条件から堆積岩(火山砕屑岩)に分類される。」

「外観上は、ロマネスク様式とビザンティン様式とが見事に調和して、ラシュカ派という独特の形式で呼ばれ、その中でも最も重要な建築様式とされていますよ。」
「はい。」

「ラシュカ派という独特の形式と言えば、生神女聖堂は、ドームを備えた単一の身廊を持つバシリカ式の付属聖堂である。外観上は、ロマネスク様式とビザンティン様式とが見事に調和している。この調和が、やがてはラシュカ派と呼ばれる独特の形式に昇華したのである。」

「ビザンティン様式と言えば、ビザンティン様式は、コンスタンチノープルを中心四世紀から六世紀にかけて発達し、15世紀中頃まで栄えたキリスト教建築様式である。大ドームをのせた集中式教会堂建築が特色。内部は金地の華麗なモザイク、大理石の張り石などで装飾される。」

「ロマネスク様式と言えば、ロマネスク様式は、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。」

「ビザンチン式の建物配置と、ロマネスク建築から取り入れた大理石の外壁の建物を持つス世界遺産のトゥデニツァ修道院は、中央ヨーロッパ建築の傑作と讃えられていますよ。」
「はい。」

「ロマネスク建築と言えば、ロマネスク建築は、 中世西ヨーロッパの建築様式である。時代区分としては、おおよそ1000年から1200年頃までのゴシック建築以前の建築を指す。最初のヨーロッパ建築と言っても過言ではない。同時代のビザンティン建築と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を装飾するための副次的要素であった。」

「生神女教会の北西には、国王ミルティンの寄進により1314年に建立され、ミルティン王に因んで「王様の教会」として知られている、聖イオアキム・聖アンナ教会がありますよ。」
「そうなんですか。」

「聖イオアキム・聖アンナ教会と言えば、生神女聖堂の北西には、創建者である国王ミルティンに因んで「王の聖堂」として知られている聖イオアキム・聖アンナ聖堂が残っている。この聖堂は1314年に建てられたもので、上から見ると圧縮した十字架型になっており、外観上八角形のドームを備えている。石と凝灰岩で作られており、ファサードには漆喰が塗られている。」

「国王ミルティンと言えば、ステファン・ウロシュ2世ミルティン(1253年 -1321年10月29日)は、セルビア王国の王(在位1282年 - 1321年)である。バルカン半島南部に領土を拡大し、「セルビアとフム、ディオクレア、アルバニアの地、及び沿岸地方の王」を称した。」

「上空から見ると縮めた十字架型になっていますよ。」
「はい。」

「外観上、八角形のドームを備えていますよ。」
「はい。」

「石と凝灰岩で作られており、正面のデザインには漆喰が塗られていますよ。」
「そうなんだ。」

「内壁に13世紀から14世紀にかけてのビザンティン美術の精華と見られる、目を見張るように美しいフレスコ画が描かれていますよ。」
「はい。」

「フレスコ画と言えば、フレスコ(英語:fresco、イタリア語:Affresco)は、絵画技法のひとつである。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。」

「ビザンティン美術と言えば、ビザンティン美術は、5世紀から15世紀の東ローマ帝国で発達した美術の体系である。古代のギリシア美術、ヘレニズム美術、ローマを継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を産んだ。日本ではビザンツ美術と呼ぶことも多い。」

「ストゥデニツァ修道院の建造物群には、後一つ、付属教会が残っていますよ。」
「はい。」

「ストゥデニツァ修道院と言えば、ストゥデニツァ修道院は、セルビア中央部、クラリェヴォの南西39 km に位置するセルビア正教会の修道院で、セルビア正教会の修道院としては最大級のものである。この修道院は中世セルビア王国の建国者であるステファン・ネマニャが1190年に設立したものである。修道院は城壁で囲まれ、生神女聖堂と「王の聖堂」という、ともに白い大理石でできた二つの付属聖堂を擁している。」

「聖ニコラス教会は、一つの小さな身廊を持つ教会ですよ。」
「そうなんだ。」

「聖ニコラス教会と言えば、聖ニコラス教会は、セルビア正教会で最も重要な教会で中世セルビア王国の国王の戴冠式が行われた。」

「内部のフレスコ画は、12世紀か13世紀初頭以降に作成されたと考えられていますよ。」
「はい。」

「聖ニコラス教会と聖イオアキム・聖アンナ教会の間には、前駆授洗イオアン協会の建造物もありましたよ。」
「はい。」

「前駆授洗イオアンと言えば、洗礼者ヨハネ(BC6-2年頃~36年頃)は、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家・預言者である。個人の回心を訴え、ヨルダン川でイエスらに洗礼を授けた。『新約聖書』の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベツ(エリザベト)。バプテスマのヨハネ、洗者ヨハネとも。正教会ではキリストの道を備えるものという意味の前駆(Forerunner)の称をもってしばしば呼ぶ。日本ハリストス正教会での呼称は前駆授洗イオアン(ぜんくじゅせんイオアン)。」

「しかし、最大で13あったとされる付属教会の残りは、今は残っていませんよ。」
「そうなんだ。」

「ストゥデニツァ修道院の見所は、やはり素晴らしいフレスコ画ですよ。」
「そうなんですか。」

「各教会に残るビザンティン美術の到達点と言われる芸術品の数々を、世界遺産の持つ独特の雰囲気の中で鑑賞してみましょう。」
「わかりました。」

「きっと、心が洗われるはずですよ。」
「そうですね。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~セルビアのコソボの中世建造物群~

「皆さんは、セルビアにどのようなイメージを持っておられますか?」
「内戦ですか?」

「セルビアと言えば、セルビア共和国、通称セルビアは、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家である。かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国であった。首都ベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで、一貫して連邦の首都であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をした。セルビア内のコソボ・メトヒヤ自治州がコソボ共和国として事実上独立状態にある。」

「セルビアは、様々な歴史を持っていますよ。」
「はい。」

「古くは民族・宗教問題を多く抱え、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」とまで呼ばれていましたね。」
「そうですね。」

「バルカン半島と言えば、バルカン半島は、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分、すなわちマケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、ヴォイヴォディナ(スレム、バチャカ、バナト)からなる地域と考えられている。」

「そして、大戦終了後も様々な問題を経て、現在独立を承認している国は50カ国と、今後の成長が期待できる国ですよ。」
「はい。」

「さて、このようなセルビアの観光でおススメは何でしょうか?」
「・・・・。」

「古くから、民族問題や、宗教問題を抱えていると言うことは、建物群にもそうした影響が表れるのではないのでしょうか?」
「そうですね。」

「世界遺産のコソボの中世建造物群は、その名の通りコソボにある教会堂や、修道院が登録されていますよ。」
「はい。」

「コソボと言えば、コソボ共和国、あるいはコソボ・メトヒヤは、バルカン半島中部の内陸部に位置する地域である。北東をセルビア、南東をマケドニア共和国、南西をアルバニア、北西をモンテネグロに囲まれている。ユーゴスラビアのセルビアに属する自治州のひとつであったが、2008年2月17日にコソボ議会は独立を宣言し、コソボ共和国を名乗っている。」

「その中には、様々なフレスコ画などの優れた文化が保存されているので、見る価値がありますよ。」
「はい。」

「フレスコ画と言えば、フレスコ(英語:fresco、イタリア語:Affresco)は、絵画技法のひとつである。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。」

「コソボの中世建造物群とは、具体的には、デチャニ修道院、ペーチ総主教修道院、リェヴィシャの生神女教会、グラチャニツァ修道院などですよ。」
「そうなんだ。」

「グラチャニツァ修道院と言えば、グラチャニツァ修道院は、プリシュティナから5km離れたグラチャニツァ村に1310年に建造されました。14世紀と15世紀の間、数多くの修道僧が暮らし非常に神聖で芸術的な活動を発展させました。そのフレスコ画は独特のモニュメンタルスタイルで描かれています。この修道院は後期ビザンチン建築の最高作品のひとつでもあります。」

「リェヴィシャの生神女教会と言えば、リェヴィシャの生神女教会(しょうしんじょきょうかい)は、12世紀のセルビア正教会の聖堂である。コソボ自治州プリズレンにある。オスマン帝国の支配下でモスクに転用されたが、20世紀初頭にセルビア正教の聖堂に戻された。この修道院は、2006年6月13日に、世界遺産「デチャニ修道院」(2004年登録)が「コソボの中世建造物群」として拡大された際に、世界遺産リストに加えられた。同時に、他の物件とともに危機遺産リストにも加えられた。」

「ペーチ総主教修道院と言えば、ペーチ総主教修道院は、コソボ共和国ペーチ(ペーヤ)近郊にあるセルビア正教会の修道院である。教会建築物群は、セルビア大主教およびセルビア総主教の主教座にして霊廟となっている。この修道院は、2006年6月13日に、世界遺産「デチャニ修道院」(2004年登録)が「コソボの中世建造物群」として拡大された際に、世界遺産リストに加えられた。同時に、他の物件とともに危機遺産リストにも加えられた。」

「世界遺産ストゥデニツァ修道院の「生神女教会」と言えば、ストゥデニツァ修道院は、風光明媚なイバル川峡谷の近く、ストゥデニツァの河畔に高い防壁に囲まれて屹立しています。セルビアの多くの統治者はネマニッチ王朝の創始者が寄進し、一族の永眠の地であるストゥデニツァ修道院に刺激を受け、数多くの霊廟が敷地内にある生神女教会を模して建立されました。生神女教会はラシュカ派の最も重要な建築様式です。ビザンチン式の建物配置と、ロマネスク建築から取り入れた大理石の外壁の建物を持つストゥデニツァ修道院は、中央ヨーロッパ建築の傑作と讃えられています。」

「デチャニ修道院と言えば、デチャニ修道院は、2008年2月にセルビアから独立したコソボにあるセルビア正教会の巨大修道院である。ペーチ(ペーヤ)の南12kmに位置する。修道院内の大聖堂は、ビザンチン美術における現存最大のフレスコ画が残る、中世に建てられたものとしてはバルカン半島最大の教会堂である。」

「デチャニ修道院は、バルカン半島最大の教会堂ですよ。」
「そうなんですか。」

「見る価値があり、彫刻を施された石棺も必見ですよ。」
「そうなんだ。」

「ペーチ総主教修道院は、当時の修道院の装飾具合がわかりますよ。」
「はい。」

「フレスコ画は、大変素晴らしいものですよ。」
「はい。」

「リェヴィシャの生神女教会は、聖堂が大変素晴らしいですよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、ここは政情が厳しいので、安全を確認してから行くのが望ましいと言えますね。」
「はい。」

「このように、色々と危険な部分があるものの、行く価値は必ずありますよ。」
「そうなんですか。」

「しっかりと文化と事情を考慮した上で行ってみると、深く楽しめますよ。」
「はい。」

「しかし、コソボは政治が不安定な面もあって、危険遺産リストに加えられていますよ。」
「そうなんだ。」

「危険遺産リストとは、その材質が悪化した場合、構造が悪化した場合、自然で壊れそうな場合、戦争などで破壊の危険があった場合などに登録されますね。」
「はい。」

「したがって、単にこのような世界遺産を見て観光するだけでなく、保存を訴える心を持って見ていくことも重要と言えますよ。」
「はい。」

「皆様もその魅力に興味を持たれましたら、一度調べてみては如何でしょうか?」
「わかりました。」

「その上で、面白そうと考えるなら、一度行ってみることをおススメします。」
「はい。」

「ただし、政情が不安な事もありますよ。」
「はい。」

「安全な場所とそうでない場所のリサーチと、安全かどうかをしっかりと理解したうえで行くことをおススメします。」
「わかりました。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~セルビアのガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ~

「セルビア東部のザイェチャル市郊外に、ガムジグラードという村がありますよ。」
「はい。」

「セルビア東部のザイェチャル市と言えば、ザイェチャルは、セルビア東部の都市および基礎自治体で、2002年の国勢調査による人口はザイェチャル市街では40,700人、基礎自治体全域では69,969人であった。人口の約90%はセルビア人が占め、約4.5%は少数民族のヴラフ人が占める。ザイェチャルには多くの初中等学校が立地しており、セルビアでは最初に設立された私立大学でベオグラードに本拠地を置くメガトレンド大学の学部もある。またザイェチャルはロック音楽の祭典で40年来の歴史があるギタリヤダや現代アートの祭典であるZALETが開催されることでも知られている。ザイェチャルはザイェチャル郡の郡庁所在地でティモチェカ・クライナ地方の中心都市である。」

「ガムジグラードと言えば、ガムジグラードは、セルビアのザイェチャル市にある村で、2002年の人口は945人である。ガムジグラードの近くには、古代ローマ帝国ガレリウスが生まれた場所であり、死後埋葬された場所でもある城塞、ロムリアーナ(フェリクス・ロムリアーナ)の遺跡が残っている。この遺跡は、2007年にユネスコの世界遺産に登録された。」

「セルビアと言えば、セルビア共和国、通称セルビアは、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家である。かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国であった。首都ベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで、一貫して連邦の首都であった。2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をした。セルビア内のコソボ・メトヒヤ自治州がコソボ共和国として事実上独立状態にある。」

「このガムジグラードの近郊に、世界遺産の古代ローマ皇帝ガイウス・ウォレリウス・マクシミアヌス・ガレリウスが埋葬されている城塞ロムリアーナ(もしくはフェリクス・ロムリアーナ)遺跡がありますよ。」
「はい。」

「ガイウス・ウォレリウス・マクシミアヌス・ガレリウスが埋葬されている城塞であるロムリアーナ(もしくはフェリクス・ロムリアーナ)遺跡と言えば、ロムリアーナの城砦群は、今日では西門と主要な城壁が残っている。考古学者たちは、ここで、宝石、武器、貨幣といった古代ローマ時代に遡る多くの遺物を発見している。特に貨幣は年代を判断する助けになるものである。廃墟にも興味深いものは至る所にある。バシリカ跡、寺院跡、共同浴場跡などである。ガレリウスによって建てられた宮殿は、美しい柱やモザイク画が残っている。ロムリアーナの城砦は2007年に世界遺産に登録された。」

「3~4世紀ローマ帝国の四分統治時代の東の正帝(古代ローマ皇帝)ガイウス・ウォレリウス・マクシミアヌス・ガレリウスと言えば、ガムジグラードの近郊に世界遺産の古代ローマ皇帝ガイウス・ウォレリウス・ マクシミアヌス・ガレリウスが埋葬されている城塞ロムリアーナ(もしくはフェリクス・ ロムリアーナ)遺跡があります。」

「3世紀から4世紀の間に、ガレリウス帝自身とその母親ロムラのために建設され、名前も母ロムラにちなんで名づけられましたよ。」
「そうなんだ。」

「ガレリウス帝の母親ロムラと言えば、ガムジグラードは、セルビア東部の郊外にある村の名前である。近郊には、古代ローマ皇帝のガレリウスが死後埋葬された宮殿ロムリアーナがある。ガレリウスの母ロムラの名にちなんで、宮殿はそう呼ばれていた。」

「このガレリウス帝はローマ皇帝でありながら、反ローマ色をまとった異質な皇帝でしたよ。」
「そうなんですか。」

「ダキア生まれのガレリウス帝は、「帝国の名はローマではなく、ダキア帝国と呼ばれるべきだ」と公言していたようですよ。」
「はい。」

「ガレリウス帝が生まれた(ローマ属州だった)ダキアと言えば、ダキアとは、古代中央ヨーロッパの一地域で、ダキア人とゲタエ人が居住していた地域を指す。ほぼ現在のルーマニアの国土(より正確には「大ルーマニア」と呼ばれた時代の国土)にあたり、東はティサ川、西はハンガリー、南はドナウ川、北はカルパチア山脈の森林地帯までの地域となる。ルーマニアでは同様の表記で、「ダチア」と読む。」

「野望を掲げ、ローマ帝国の唯一の支配者になろうと策略を施したものの、失敗におわり、ダキアの地に戻ってきましたよ。」
「はい。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「最後は、大腸癌と思われる病気で死亡したようですよ。」
「そうなんだ。」

「宮殿の名前は、4世紀から6世紀の間に何度か変化したようですよ。」
「はい。」

「4世紀終わりには、ガムジグラードとガレリウスの宮殿ロムリアーナは廃棄されましたよ。」
「はい。」

「ガレリウスの宮殿ロムリアーナ(もしくはフェリクス・ロムリアーナ)と言えば、ガレリウスの宮殿ロムリアーナは、2007年に登録された世界遺産(文化遺産)である。ガムジグラードは、セルビアのザイェチャール市郊外にある村の名前。この村落の近郊にある古代ローマ時代のロムリアーナ(フェリクス・ロムリアーナ)の遺跡が世界遺産として登録されている。ここはローマ皇帝ガレリウス(250年頃から311年)が死後埋葬された場所である。この遺跡は、かつてローマ属州のダキアの行政府だった城砦で、当時の西門とおよそ6万m2の土地を囲む主要な城壁が残っている。」

「6世紀には、アヴァール人に破壊されてしまいましたよ。」
「そうなんだ。」

「アヴァール人と言えば、アヴァール人は、カフカース山脈に住む民族である。北東カフカス語族の言語アヴァール語を話す。宗教はスンニ派イスラム教。大部分はロシア連邦ダゲスタン共和国の山間部に、一部は平野部に住んでいる。またチェチェン共和国、カルムィク共和国などロシア連邦内のほか、アゼルバイジャン、グルジア、トルコにも住む。人口(2002年)は約104万人、うちロシア連邦に81万5千人、ダゲスタンに75万人以上が住んでいる。」

「セルビアの世界遺産へは、2007年に文化遺産として登録されていますよ。」
「はい。」

「セルビアの世界遺産ロムリアーナ遺跡は、いくつものローマ街道の交差点に当たっていますよ。」
「はい。」

「ローマ街道と言えば、ローマ街道とは、古代ローマ時代に主要都市を結ぶように作られた道路のことである。ローマ街道の歴史は、紀元前312年にローマのケンソルであったアッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により敷設されたアッピア街道に始まる。」

「かつて、ローマ属州だったダキアの行政府として機能していた城砦ですよ。」
「そうなんだ。」

「近隣で採掘される黄金の管理をしていましたよ。」
「はい。」

「現在、当時の西門とおよそ6万㎡を囲む城壁が残っていますよ。」
「はい。」

「付近からは宝石、武器、貨幣など、古代ローマ時代の多くの遺物が発見されていますよ。」
「そうなんですか。」

「古代ローマ時代と言えば、古代ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民であり、共和制成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。 ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度にさまざまな形で残り、今日まで影響を与えている。」

「セルビアの遺跡の東西の門を結ぶ大通りが、都市機能を南北に分けていましたよ。」
「はい。」

「セルビアの南側には、市民のための施設、地下聖堂のある大きな神殿や公衆浴場跡、宮殿付属建築などがありますよ。」
「はい。」

「北側には、ガレリウス帝が建てた宮殿と小さな寺院の跡などがありますよ。」
「そうなんだ。」

「セルビアの宮殿の材質は、大理石や斑岩が使用されていますよ。」
「はい。」

「当時の宮殿としての栄華を思わせますね。」
「はい。」

「「喜びを味わい、いくらか公益のある仕事行う」ために、ガレリウス艇が余生を過ごした宮殿ですよ。」
「そうなんだ。」

「ローマの四文統治(テトラルキア)時代の典型的宮殿建築様式として、最も保存が良い状態ですよ。」
「はい。」

「四文統治(テトラルキア)と言えば、テトラルキア(「4名の支配」の意)は、古代ローマにおける政治体制の一つで、帝政ローマ後期に即位した皇帝ディオクレティアヌスが西暦293年に行ったのが始まりとなる。本来は寡頭制において4名による支配を行う場合を指すが、単に「テトラルキア」と呼ぶ場合はディオクレティアヌスに始まる分担統治を意味する。」

「ローマの四文統治(テトラルキア)時代と言えば、ドミナトゥスの開始以降を後期帝政といい、284年に皇帝となったディオクレティアヌス帝(在位284~305)は元老院を無視し、東方オリエントの専制君主のように振舞うようになりました。官僚機構を整備し、権力を集中させる一方で、広大な領土を統治するため、東西に二人ずつ正帝と副帝を置く四文統治(テトラルキア)をはじめます。」

「宮殿内部の床や壁は、美しいモザイク画や漆喰、幾何学模様を描いたフレスコが施されていますよ。」
「はい。」

「アドニスを描いたものや、狩猟の場面を描いたものもありますよ。」
「そうなんだ。」

「アドニスと言えば、アドーニスは、ギリシア神話に登場する、美と愛の女神アプロディーテーに愛された美少年である。フェニキアの王キニュラースとその王女のミュラーの息子。長母音を省略してアドニスとも表記される。神話の舞台がギリシャ以外であることから、元来は非ギリシャ系という説がある。」

「宮殿そばのマグラの丘には、母ロムラの墓と、宮殿と母親の墓を結ぶ直線状に記念碑が建っていますよ。」
「はい。」

「マグラの丘と言えば、ガムジグラードの近くには、古代ローマ皇帝ガレリウスが生まれた場所であり、死後埋葬された場所でもある城塞、ロムリアーナ(フェリクス・ロムリアーナ)の遺跡が残っている。ガレリウスによって建てられた宮殿は、美しい柱やモザイク画が残っている。宮殿のそばにあるマグラの丘の上には、ガレリウス帝とその母ロムラの2つの墓と塚を含む記念碑がある。」

「セルビアの世界遺産ガムジグラードとガレリウスの宮殿ロムリアーナは、観光人気は第2位ですよ。」
「はい。」

「是非、セルビアへ観光へ行った際には、足を運んでみたいですね。」
「わかりました。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~マケドニアのオフリド地域の自然・文化遺産~

「マケドニアには、貴重な世界遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」

「マケドニアと言えば、マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島中央部にあたる歴史的・地理的な地域である。67,000平方キロメートルほどの広さにおよそ465万人が住み、中心的な都市は南東部にあるギリシャ領のテッサロニキ(サロニカ)である。現在はギリシャ、ブルガリアのそれぞれ一部と、独立国のマケドニア共和国(国際連合などでの呼称はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国。)の3つの国の領土に分かたれており、南部を占めるギリシャがおおよそ50%、マケドニアが北西部40%、ブルガリアが北東部10%ほどを占めている。」

「マケドニア共和国は、東ヨーロッパに位置していますね。」
「はい。」

「なかなか旅行には訪れないような国ですね。」
「そうですね。」

「しかし、価値ある見るべき自然遺産と文化遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」

「世界遺産に登録されたのは、オフリドの世界遺産と自然遺産の湖ですよ。」
「はい。」

「オフリドと言えば、オフリドは、マケドニア共和国西部にある都市である。バルカン半島の大湖オフリド湖のほとりにある。かつては市内に365もの教会があり、マケドニアのエルサレムと呼ばれた時代があった。10世紀末から11世紀にかけて、ブルガリア帝国の首都であった。このため大主教座が置かれ、現在でもマケドニア正教会の大主教座が置かれている。1979年から1980年にかけて、オフリドとオフリド湖はともに「オフリド地域の自然・文化遺産」の名でユネスコの世界遺産リストに登録された。」

「周辺の教会などと調和していることで、文化遺産としても登録されましたよ。」
「はい。」

「オフリドの世界遺産と自然遺産は、登録されたオフリド湖と文化遺産としての顔も持つ貴重な複合遺産ですよ。」
「そうなんだ。」

「オフリド湖と言えば、オフリド湖は、マケドニア共和国、アルバニアの境にある湖である。おそらくヨーロッパでも最古の湖で、古代湖のひとつ。」

「オフリドの地域が、世界遺産となっているので、是非訪れたい場所ですね。」
「はい。」

「マケドニア共和国は、ギリシャの北に位置していますね。」
「はい。」

「東にはブルガリアがあり、位置も把握しやすいですね。」
「そうですね。」

「それほど訪れにくいという場所でもありませんね。」
「はい。」

「オフリドは、マケドニアの最大の都市である首都スコピエから離れた位置にありますよ。」
「はい。」

「マケドニアの最大の都市である首都スコピエと言えば、スコピエは、マケドニア共和国の首都であり、最大の都市でマケドニア共和国の全人口の3分の1はスコピエに居住している。同国の政治、文化、経済、学術の中心都市である。古代ローマ期にはスクウピの名で知られていた。スコピエ周辺は紀元前4000年頃以来人が居住し、新石器時代の集落跡が現代のスコピエ中心部の古いスコピエ城塞周辺で発見されている。1世紀直前、集落はローマ人によって押さえられ軍の野営地となった。」

「アルバニアの国境に程近い東岸の町ですよ。」
「はい。」

「バスを利用して、首都から4時間は掛かりますよ。」
「そうなんだ。」

「オフリドは、オフリド湖を目当てに来る観光客も多いので、ホテルもありますよ。」
「はい。」

「ヨーロッパでも、人気の観光地ですよ。」
「そうなんですか。」

「じっくりと見て回るのに、ここを拠点としてオフリドに宿をとるのもいいでしょう。」
「わかりました。」

「世界遺産の街に泊まってみるのも、ステキな体験となりますよ。」
「はい。」

「観光開発にも力を入れているので、安心できるでしょう。」
「はい。」

「むしろ、首都よりものどかで過ごしやすいオフリドの街の方がおススメですよ。」
「わかりました。」

「綺麗なのは自然だけでなく、宿泊施設といった建物も清潔にしてありますよ。」
「はい。」

「美しい自然はもちろん、街並みや建物も楽しめる街ですよ。」
「はい。」

「オフリドで先ず見ておきたいのは、オフリド湖ですが、忘れてはいけないのが教会ですよ。」
「そうなんですか。」

「昔は、文化宗教都市として発展した街でもありますよ。」
「はい。」

「教会も至る所にありますよ。」
「はい。」

「一番数が多かったのは、13世紀に300もの教会があったとされていますよ。」
「多いですね。」

「今でも、その教会がいくつも残っていますよ。」
「はい。」

「教会巡りをするにも、絶好の場所ですよ。」
「はい。」

「教会は、大切な場所として造られ、守られてきましたよ。」
「そうなんだ。」

「外観や内装も、豪華で見応えも十分ありますよ。」
「はい。」

「最古都市として、街には多数の史跡を見ることができますよ。」
「はい。」

「街全てが、見所と言えますよ。」
「そうなんだ。」

「そして美しいオフリド湖を背景にした聖ヨヴァン・カネオ教会を、一度は見ておきたいものですね。」
「はい。」

「オフリド湖を背景にした聖ヨヴァン・カネオ教会と言えば、湖畔のオフリドの町の周辺には365もの教会があるといわれている。千数百年前から初期キリスト教の教会が建ち始め、聖地として扱われている。とにかくいたるところに教会がある。丘の上には遺跡の発掘現場があり、古い教会のモザイク画が残されていた。丘を下ってオフリド湖を見渡せる場所に出た。そこには聖ヨヴァン・カネオ教会があり、背景の湖水が神秘的で美しかった。」

「まさに、自然と文化の調和した景色がそこにはありますよ。」
「はい。」

「これこそが、オフリドの世界遺産と自然遺産の文化遺に同時に触れられる場所ですよ。」
「はい。」

「マケドニアに訪れるのなら、先ずはオフリドでの観光が一番いいですよ。」
「わかりました。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~モンテネグロのドゥルミトル国立公園~

「ヨーロッパ最後の秘境の雄大な景色を眺めてみませんかと誘われたことについてですが、モンテネグロには、世界遺産が2つありますよ。」
「そうなんですか。」

「モンテネグロと言えば、モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国である。セルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国のうちのひとつであったが、2006年6月3日に独立を宣言した。モンテネグロ政府公式ウェブサイトでは首都は行政機関所在地であるポドゴリツァ(旧称チトーグラード)とされるが、モンテネグロ憲法によると首都はツェティニェである。」

「その1つは、天然の良港に恵まれて発展した城郭都市 「コトル」ですよ。」
「はい。」

「コトルと言えば、コトルは、モンテネグロの都市および基礎自治体でコトル湾の静かな場所に位置している。コトル市街の人口は13,510人で基礎自治体内の行政的な中心でもある。基礎自治体全体の人口は2003年現在22,947人である。古い地中海域のコトル港の周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残されている。」

「2つ目は、地質学的にも生物学的にも重要な場所と言われる 「ドゥルミトル国立公園」 ですよ。」
「はい。」

「ドゥルミトル国立公園と言えば、ドゥルミトル国立公園は、1980年に登録、2005年に登録内容が変更された世界遺産(自然遺産)で、モンテネグロ北部のドゥルミトル山脈にある国立公園である。公園には、標高2522mのドゥルミトル山を中心に、中生代末期から新生代第三紀のアルプス造山活動期の海底堆積物が残っている。また、氷期には氷河がドゥルミトル山脈を削り、ヨーロッパ最深のタラ峡谷(深さ1900m)や無数の氷河湖を形成し、起伏に富んだ美しい景観をつくり出した。一帯はヨーロッパ最後の秘境といわれ、古代マツなど23の固有種を含む約700種の植物が生息し、ヨーロッパオオライチョウやシャモアなどの稀少動物の生息地となっている。このような自然が評価され、世界遺産に登録された。」

「モンテネグロのドゥルミトル国立公園は、1980年に固有種の植物相や昆虫の多様さが評価され、世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「このドゥルミトル国立公園は、2億5000万年という果てしない昔の中生代から新生代第四紀までの地層が残された、地質学的にとても重要な場所ですよ。」
「はい。」

「新生代第四紀と言えば、新生代第四紀は、新生代の第三紀の後につづく紀で,地質時代の最後の紀である。第四紀はさらに氷河時代の更新世(洪積世)と後氷期の完新世(沖積世)に区分され,全体が約200万年前から現在までを含む時代である。なお,慣用的に〈だいよんき〉と読まれるが,正しくは〈だいしき〉と読む。」

「2億5000万年という果てしない昔の中生代と言えば、中生代(ちゅうせいだい)は、古生代・中生代・新生代と分かれる地質時代の大きな区分の一つである。約2億5000万年前から約6500万年前に相当し、恐竜が生息していた時期にほぼ対応する。」

「特に、氷河期に形成された起伏に富んだ地形が今なお残されている事で知られていますよ。」
「はい。」

「世界遺産に登録されたモンテネグロのドゥルミトル国立公園には、ヒグマ、シャモアやオオカミなどの哺乳類や、ヨーロッパオオライチョウ、イヌワシ、ハヤブサやワシミミズクなどの猛禽類など多種多様な動物や希少動物、そして固有の高山植物なども見ることが出来ますよ。」
「そうなんだ。」

「猛禽類と言えば、猛禽類(もうきんるい)は、鋭い爪と嘴(くちばし)を持ち、他の動物を捕食(または腐肉食)する習性のある鳥類の総称である。獲物を捕まえるための鋭い爪、掴む力が強い趾(あしゆび)、鉤型に曲がったくちばしを持つことが共通の特徴である。 一般的に生態系の頂点に位置する例が多いことから、強さ・速さ・権力・高貴さの象徴として、猛獣などとともに戦闘機やスポーツカー、シンボルマーク、特撮やアニメのヒーローのモチーフになることが多い。」

「ワシミミズクと言えば、ワシミミズクは、フクロウ目フクロウ科に分類される鳥類の一種である。体長約72cm。特に雌は大きく、翼の開張180cm、体重4kgに達するものがある。羽色は赤みのある黄褐色かクリーム色で、全体に不規則な縞や斑がある。体色は褐色。目の虹彩は橙色で、くちばしは黒い。足指まで羽毛がある。」

「ハヤブサと言えば、ハヤブサは、動物界脊椎動物門鳥網ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ属に分類される鳥類である。」

「イヌワシと言えば、イヌワシは、鳥網タカ目タカ科イヌワシ属に分類される鳥類である。イヌワシ属の模式種。」

「ヨーロッパオオライチョウと言えば、ヨーロッパオオライチョウは、キジ目キジ科に属する鳥である。ライチョウの仲間である。」

「シャモアと言えば、シャモアは、哺乳網偶蹄目ウシ科シャモア属に分類される偶蹄類である。シャモア属の模式種。」

「ドゥルミトル国立公園にあるモンテネグロのドゥルミトル山は、標高約2500mですよ。」
「はい。」

「ドゥルミトル山と言えば、ドゥルミトル山は、ディナル・アルプス山脈の延長線上に位置する山である。最高峰はボボトヴ・ククで、標高は2528 m。ドゥルミトルの名はルーマニア語で「眠るもの」を意味する。その名前は古代ローマの軍人たちが一帯を征服したときに、山の穏やかさを評して付けたものが元になったとされている。ドゥルミトル山は1952年に設定されたドゥルミトル国立公園の中にあり、1980年には固有種の植物相や昆虫の多様さが評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。」

「ディナル・アルプス山脈の延長線上に位置する山ですよ。」
「はい。」

「ディナル・アルプス山脈と言えば、ディナル・アルプス山脈は、南ヨーロッパ、バルカン半島の山脈である。北はスロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソヴォ、モンテネグロ、マケドニア共和国まで伸びる。」

「このドゥルミトル国立公園内には、ドゥルミトル山を始めとして2千メートル級の峰が30以上も連なっていますよ。」
「そうなんだ。」

「さらに、そこには湖、峡谷、氷の洞穴なども数多く見られますよ。」
「はい。」

「ヨーロッパ最後の秘境と呼ばれて、世界遺産を見学にモンテネグロを訪れる多くの観光客を魅了し続けていますよ。」
「はい。」

「その中のタラ渓谷は、ヨーロッパ最深の渓谷ですよ。」
「そうなんですか。」

「ヨーロッパ最深の渓谷である「タラ渓谷」と言えば、ヨーロッパのバルカン半島に、東欧のグランドキャニオンと呼ばれる「タラ渓谷」がある。深い谷と切り立った山々は氷河によって形作られたものであり、山々には多くの野生動物が息づいている。タラ渓谷はバルカン半島のモンテネグロを南北80kmにわたって貫き、谷底にはドナウ川へとつながるタラ川が流れている。タラ渓谷はドゥルミトル国立公園として保護され、世界遺産にも指定されている。」

「60kmにもわたる広がりを見せ、深さは実に1900mにも及びますよ。」
「はい。」

「その深さは、アメリカのグランドキャニオンに次いで世界第二位の深さですよ。」
「そうなんですか。」

「アメリカの世界遺産グランドキャニオンと言えば、グランド・キャニオン(Grand Canyon)は、アメリカ合衆国アリゾナ州北部にある峡谷である。コロラド高原がコロラド川の浸食作用によって削り出された地形であり、先カンブリア時代からペルム紀までの地層の重なりを目の当たりにできるところでもある。地球の歴史を秘めている価値と共に、その雄大な景観から合衆国の初期の国立公園の一つであるグランド・キャニオン国立公園に含まれている。さらに1979年には世界遺産に登録された。」

「モンテネグロのこのドゥルミトル国立公園の自然美が、世界遺産に登録されたのも至極自然の成り行きですね。」
「はい。」

「モンテネグロが独立して以来、この世界遺産に登録されたドゥルミトル国立公園を見ようと、モンテネグロに足を運ぶ観光客が増加していますよ。」
「はい。」

「人間活動による環境破壊を防ぐために、ドゥルミトル国立公園は生態系が保護・保全されていますよ。」
「はい。」

「世界遺産に登録された後も、徹底的な管理が行われていますよ。」
「そうなんだ。」

「ドゥルミトル国立公園内最大の町ジャブリャクは、モンテネグロがあるバルカン半島で最も高地にある町ですよ。」
「はい。」

「ドゥルミトル国立公園内最大の町ジャブリャクと言えば、ジャブリャクとは、モンテネグロに位置する都市である。街はドゥルミトル山塊の中にあり、街の中心部の標高は1,456mある。そのため、ジャブリャクはバルカン半島で一番高い位置にある都市である。」

「バルカン半島と言えば、バルカン半島は、ヨーロッパの東南部で、トルコのヨーロッパ部分、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、そして1991年以前の旧ユーゴスラビアの大部分、すなわちマケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、ヴォイヴォディナ(スレム、バチャカ、バナト)からなる地域と考えられている。」

「なだらかな地形なので、つい忘れてしまいそうですが、この町は標高1450mもありますよ。」
「はい。」

「町自体もとても洗練されていて、さすが世界遺産の町だけのことはありますね。」
「そうなんだ。」

「ジャブリャクは、ドゥルミトル国立公園を訪れる観光客やスキー客の拠点となる町ですよ。」
「はい。」

「大型のホテルから小規模ホテルやソベと呼ばれるいわゆる民宿まで、様々な施設が整っていますよ。」
「はい。」

「ソベと呼ばれるいわゆる民宿と言えば、リゾート地などクロアチアには、「ソベ」と呼ばれる民宿が多数あり、低価格です。」

「モンテネグロの世界遺産を巡る旅の拠点として、ジャブリャクは過ごしやすい町ですよ。」
「そうなんだ。」

「ドゥルミトル国立公園に魅了されて、長期にわたり滞在されている宿泊客の方も多く過ごされていますよ。」
「はい。」

「うまくすれば、このような方から特におススメのスポットを教えてもらえるかも知れませんね。」
「はい。」

「町には、大型のスーパーマーケット、ツーリストセンターやカフェ・レストランなどモンテネグロの地元住民だけではなく、観光客も気軽にショッピングや食事などを楽しめる場所も数多く点在していますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産に登録されてから、数多くの施設が出来ているので、観光客にとってはとても便利ですよ。」
「はい。」

「世界遺産にも登録され、世界中の数多くの観光客を魅了するヨーロッパ最後の秘境、
モンテネグロのドゥルミトル国立公園に、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。」
「わかりました。」





旧ユーゴスラビアの世界遺産およびヨーロッパの世界史~モンテネグロのコトルの自然と文化歴史地域~

「皆さんは、モンテネグロという国をご存知ですか?」
「大体知っています。」

「モンテネグロと言えば、モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国である。セルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国のうちのひとつであったが、2006年6月3日に独立を宣言した。モンテネグロ政府公式ウェブサイトでは首都は行政機関所在地であるポドゴリツァ(旧称チトーグラード)とされるが、モンテネグロ憲法によると首都はツェティニェである。」

「この国を知らない人は、多いようですね。」
「そうですね。」

「実は、日本といろいろな関係があるようですよ。」
「そうなんですか。」

「例えば、諸説はありますが、実は日本と戦争をしたことがあると言うのですよ。」
「本当ですか?」

「それは、日露戦争の際にロシアを始めとする様々な国が、日本に宣戦布告しましたね。」
「はい。」

「その中に、このモンテネグロがありましたよ。」
「そうなんですか。」

「終戦後ポーツマス条約には呼ばれなかったので、21世紀まで終戦が無かったのですよ。」
「そうなんだ。」

「ポーツマス条約と言えば、ポーツマス条約は、アメリカ合衆国大統領セオドラ・ルーズベルトの斡旋によって日本とロシア帝国との間で結ばれた日露戦争の講和条約である。日露講和条約とも称する。1905年(明治38年)9月4日(日本時間では9月5日15時47分)、アメリカ東部の港湾都市ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所において、日本全権小村寿太郎(外務大臣)とロシア全権セルゲイ・Y・ウィッテの間で調印された。」

「ただ、この事実は正確には日本は認めていませんよ。」
「そうなんですか。」

「実際には不明ですよ。」
「はい。」

「2001年にモンテネグロの人が来日して、終戦に合意したという話がありましたね。」
「そうなんですか。」

「これで、日本との接点は十分と言えるでしょう。」
「そうなんだ。」

「さて、この国の魅力「コトルの自然と文化-歴史地域」は、観光にあると思いますよ。」
「はい。」

「コトルと言えば、コトルは、モンテネグロの都市および基礎自治体でコトル湾の静かな場所に位置している。コトル市街の人口は13,510人で基礎自治体内の行政的な中心でもある。基礎自治体全体の人口は2003年現在22,947人である。古い地中海域のコトル港の周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の建物には残されている。」

「広さは日本の福島ほどで、山と海がきれいで、バカンスに行くのに最適でしょう。」
「そうなんだ。」

「中でも、コトルの自然と文化歴史地域は、世界遺産として登録されていますよ。」
「はい。」

「例えば、中世に建てられた聖トリプトン大聖堂や、いくつかの教会の中には、聖画が多く飾られていますよ。」
「はい。」

「聖トリプトン大聖堂と言えば、聖トリプトン大聖堂(聖トリフォン大聖堂)は、モンテネグロ西部の都市コトルにあるローマ・カトリック教会の大聖堂である。コトルの守護聖人トリフォン(トリプン)を祭る。9世紀の教会に起源し、12世紀にロマネスク様式で建造。1667年と1979年年の地震で大きな被害を受けたが修復された。1979年と2003年に「コトル地方の歴史的建造物と自然」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。」

「中央の広場には、ゴシック・バロック様式の4階層作りの大時計がありますよ。」
「そうなんだ。」

「数キロにも及ぶ古代の城壁が残っているのは、歴史的にも豊かで大変興味深いですね。」
「はい。」

「この地方では第二次世界大戦などで、ほとんど建物が残っていないはずですね。」
「はい。」

「したがって、こうした中世の建物が多く残っているのは大変貴重ですよ。」
「そうなんだ。」

「建物は主に、12世紀から14世紀の建物が多いですよ。」
「はい。」

「日本の中世の建物と比べてみると、大変面白いですよ。」
「そうなんですか。」

「三方を険しい断崖と山地に守られており、敵から守るには格好の地理条件ですよ。」
「はい。」

「その地を当時どのような要塞を持って敵と戦っていたのか、どのような港だったのか、自然とどのような調和をしてきたかを調べていくのは、ロマンたっぷりですね。」
「はい。」

「このように、この町の世界遺産は大変勉強になるだけでなく、自然も豊かで、勉強も遊びもできる素晴らしい地域ですよ。」
「そうなんだ。」

「食べ物もおいしく、海の幸が魅力ですので、塩料理や、牡蠣料理がおいしいという報告も結構来ていますよ。」
「はい。」

「したがって、コトルの自然と文化-歴史地域をハネムーンとして利用されている方も多いそうですよ。」
「はい。」

「詳しく知りたい方は、是非調べてください。」
「わかりました。」

「きっと、世界遺産コトルの自然と文化-歴史地域を通して、モンテネグロの沢山のことに興味を持つと思いますよ。」
「はい。」

世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~

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