ギリシャの世界遺産と神話
「ギリシャと聞いて、皆さんは何をイメージされるでしょうか?」
「神殿ですか?」
「多くの方は、第一回目の「近代オリンピック」が開催された場所である「オリンピック競技場」をイメージしたり、エーゲ海をバックにまばゆい光を放つ白い家の続く町並みを思い浮かべたりするのではないかと思われます。」
「そうですね。」
「エーゲ海と言えば、エーゲ海(英: Aegean Sea)は、地中海の一部を構成する海域である。地中海の東北部にあたり、西と北をバルカン半島(ギリシャ共和国)、東をアナトリア半島(トルコ共和国)に囲まれた入り江状の海である。古くは固有名詞で「多島海」(英: the Archipelago)と呼ばれたこともある、代表的な多島海であり、多くの島々(エーゲ海諸島)が所在する。」
「しかし、この国にはもっと美しくて面白いものがたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」
「たとえば、街角でよく販売されているお菓子「クルーリ」や、ギリシャ名物「ギロピタ」ですよ。」
「はい。」
「ギリシャ名物「ギロピタ」と言えば、「ギロピタ」は、ミンチ状にした牛肉や羊肉を固めて回転するロースターであぶり焼きし、焼けた部分を薄くそぎ落として供するケバブの一種をザジキ、トマト、タマネギ等とともにピタパンで包んだものである。」
「お菓子「クルーリ」と言えば、ギリシャでは、ゴマのまぶされたパンが毎日の食卓に上るスタンダードなパンの一つです。路上でも売られる朝食にいいドーナツ型のパン「クルーリ」もたっぷりゴマがまぶしてあります。」
「さらには、この国特有の甘みのある白ワインである「カトウリ白ワイン」など、数え上げればキリがありませんよ。」
「そうなんだ。」
「「カトウリ白ワイン」と言えば、「カトウリ白ワイン」は、ギリシャ特有の品種のぶどうを使った、個性豊かな味わいのワインです。」
「世界遺産や観光名所なども同様ですね。」
「はい。」
「かつて、都市国家として栄えていた「アクロポリス」もありますよ。」
「はい。」
「かつて都市国家として栄えていた「アクロポリス」と言えば、アクロポリス(ギリシア語: ακρoπολιδ)とは、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のことである。アクロポリスは「高いところ、城市」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれているのが普通である。ミケーネ時代のアクロポリスはまさに王城(城塞)となっており、アテナイのそれもエレクテウス王以下の諸王の居城であったと伝えられている。」
「ここを訪れれば、この国のすべてが分かると言っても過言ではないスポット「国立考古博物館」もありますよ。」
「そうなんですか。」
「「国立考古博物館」と言えば、アテネ国立考古学博物館(National Archaeological Museum of Athens)は、ギリシア共和国のアテネにある国立博物館である。ギリシア中の様々な古代遺跡から集められた最重要な遺物の数々を収蔵している。」
「さらには、聖ヨハネ騎士団が細緻に築き上げた「ロードスの中世都市」、この国の世界遺産の中で最も迫力があると言われている「バッサイのアポロ・エピクリウス神殿」など、観光しようと調べると、ありとあらゆる観光スポットが見つかる国が、ギリシャですよ。」
「いろいろありますね。」
「ロドス騎士団と呼ばれる聖ヨハネ騎士団と言えば、聖ヨハネ騎士団は、11世紀に起源を持つ宗教騎士団である。テンプル騎士団、ドイツ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。」
「バッサイ(かつて「アルカディア地方」と呼ばれていたエリア)と言えば、バッサイは、古代アルカディア地方の遺跡で、現在のギリシャのメッシニア県北東部(キパリシアの北東、Andritsainaの南、メガロポリの西)にある。「バッサイ」は「岩々の小さな谷間」を意味する。紀元前5世紀半ばのアポロ・エピクリオス神殿が、良好な保存状態で残っていることで知られている。」
「バッサイのアポロ・エピクリウス神殿と言えば、バッセのアポロ・エピクリウス神殿(バッサイのアポロ・エピクリオス神殿)は、紀元前5世紀に建設された美しいギリシア神殿である。アポロ・エピクリウス神殿はコティリオン山の山中(標高1130m)に建設されている。神殿の床は16m×40mの大きさで、高さ6mのドーリア式の円柱21本が配置されている。この神殿は、ギリシャで最初に登録された世界遺産である。」
「聖ヨハネ騎士団と言えば、聖ヨハネ騎士団は、11世紀に起源を持つ宗教騎士団である。テンプル騎士団、ドイツ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。本来は聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の保護を任務としたが、聖地防衛の主力として活躍した。ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)ともいい、本拠地を移すに従ってロードス騎士団、マルタ騎士団とも呼ばれるようになった。現在の正式名称は「ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」(イタリア語:Cavalieri dell'Ordine dell'Ospedale di San Giovanni di Gerusalemme)である。」
「聖ヨハネ騎士団が細緻に築き上げた「ロードスの中世都市」と言えば、ロドスの中世都市は、ギリシャの世界遺産の一つである。ロドス島の主都ロドスの旧市街には、かつて聖ヨハネ騎士団が築いた城塞都市の特質が良好に保存されており、中世ヨーロッパ都市の優れた例証として評価された。」
「美味しいギリシャ料理があるのはもちろん、どこに目を向けても美しいロケーションしか目に入らない国ですよ。」
「はい。」
「長い休暇を利用して訪れる人も非常に多く、世界中から絶え間なく観光客が殺到する国の一つであるとも言われていますよ。」
「そうなんだ。」
「ところが、日本では、まだまだ認知度の低い観光地ですね。」
「そうなんですか。」
「しかし、行ってみると感動の嵐なので、海外の世界遺産に興味のある方などには、かなりおススメですよ。」
「わかりました。」
「この国には、上記にも上げた世界遺産を含む16カ所の文化遺産と、2カ所の複合遺産がありますよ。」
「はい。」
「意外なことに、自然遺産は一つもありませんよ。」
「そうなんですか。」
「代わりに、どこまでも続く美しいエーゲ海がありますよ。」
「はい。」
「決して「自然遺産が一つもないから満足できなかった」とはならない筈ですよ。」
「そうなんだ。」
「この地域はナスを使った郷土料理である「ムスカ」や、ヤギのミルクを使って創り上げる「フェタ」などの料理がありますよ。」
「はい。」
「ヤギのミルクを使って創り上げる「フェタ」と言えば、「フェタチーズ」とは、ギリシャの限られた地域(スラキ、マセドニア、イピロス、セサリ、ギリシャ中央、ペロポネソス半島、レスボス)でのみ生育する羊のフレッシュなミルク、またはフレッシュな山羊のミルクを30%まで使用し作ることができるチーズです。」
「ナスを使った郷土料理である「ムスカ」と言えば、ひき肉とナスのムスカ musukaは、ギリシャの郷土料理で、野菜とミートソース、ホワイトソースを重ねて焼くお料理です。ホワイトソースに卵を混ぜたものを使う場合もあるようです。」
「何かと美味なものが多いので、思わず食べ過ぎてしまうかも知れませんよ。」
「そうなんだ。」
「広大な大地に広がる美しい世界遺産を見上げながら、食べる特産物は絶妙ですよ。」
「はい。」
「気軽に観光できる世界遺産を訪れた際は、是非絶好のロケーションの元で食べる食事のすばらしさを味わってください。」
「わかりました。」
「そして、美味しい料理に出逢った時は、是非お店の方に「ノースティモ!カリホネプシ!(おいしいよ、ごちそうさま)」と声をかけてあげましょう。」
「はい。」
「なお、この国は神話で有名な国でもありますよ。」
「そうですね。」
「神話について一通り覚えてから観光すると、よく分からない世界遺産に遭遇した際も、何の神様にまつわるかというところから紐解いていくと、すぐにその世界遺産の意味が理解できますよ。」
「はい。」
「知っているのと知らないのとでは大違いなので、「神話なんてまったく知らない」という方は、この機会に是非一度勉強してください。」
「わかりました。」
「この国は非常に特殊な歴史を辿っている国ですよ。」
「そうなんですか。」
「一度観光すると、この国に魅了されてしまう人が非常に多いという特徴がありますね。」
「はい。」
「歴史に詳しくない方や小学生などでも、「この国の歴史がかなり古くから続いている」と心得ているほど、歴史の長さに関しては広く認知されている国ですよ。」
「はい。」
「調べ出すと、どこまでも追い求めたくなってしまうような国ですよ。」
「そうなんだ。」
「趣味がない方は、この国の文化を追求することを趣味にすると、それが一生の趣味へと変わるかも知れませんよ。」
「はい。」
「もちろん、魅了される方の多くは、この国の世界遺産に触れていますよ。」
「はい。」
「気になるのであれば、やはり「バッサイのアポロ・エピクリオス神殿」などの世界遺産を一度訪れてみるのがおススメです。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~バッサイのアポロ・エピクリオス神殿~
「ギリシャには、「バッサイのアポロ・エピクリオス神殿」という世界遺産がありますよ。」
「はい。」
「バッサイ(かつて「アルカディア地方」と呼ばれていたエリア)と言えば、バッサイは、古代アルカディア地方の遺跡で、現在のギリシャのメッシニア県北東部(キパリシアの北東、Andritsainaの南、メガロポリの西)にある。「バッサイ」は「岩々の小さな谷間」を意味する。紀元前5世紀半ばのアポロ・エピクリオス神殿が、良好な保存状態で残っていることで知られている。」
「この世界遺産は、1986年度にユネスコの世界遺産に指定されていますよ。」
「はい。」
「ギリシャを代表する世界遺産になっているスポットの一つですよ。」
「そうなんだ。」
「日本人には、あまり耳なじみのない横文字ばかり並んでいる名前ですよ。」
「はい。」
「「バッサイ」とは、かつて「アルカディア地方」と呼ばれていたエリアのことを指し、「岩々の小さな谷間」を意味する言葉として知られていますよ。」
「はい。」
「アルカディア地方と言えば、アルカディア(Arcadia, Arkadia)は、ギリシャのペロポネソス半島にある古代からの地域名で、後世に牧人の楽園として伝承され、理想郷の代名詞となった。名称はギリシア神話に登場するアルカス(アルカディア人の祖)に由来する。英語風にアルケイディア、アーカディア、アーケイディア等と表記される場合もある。アルファベットによる綴りは「Arcadia」と「Arkadia」の2種が混在している。実在のアルカディア地方は、現在のアルカディア県にあたる。」
「他の神殿とは、異なる文化を多数残していますよ。」
「そうなんですか。」
「ギリシャでは、特に研究の進められている世界遺産となっていますよ。」
「はい。」
「他の世界遺産よりも注目を浴びることが多い世界遺産ですよ。」
「はい。」
「この世界遺産は、かつて周辺でペストが大流行した際に、その病魔から人々を救い出した神・アポロンの為に作られた神殿ですよ。」
「そうなんだ。」
「ゼウスの息子であるアポロンと言えば、アポローンは、ギリシア神話に登場する男神である。オリュンポス十二神の一人であり、ゼウスの息子である。詩歌や音楽などの芸能・芸術の神として名高いが、羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、イーリアスにおいてはギリシア兵を次々と倒した「遠矢の神」であり、疫病の矢を放ち男を頓死させる神であるとともに病を払う治療神でもあり、神託を授ける予言の神としての側面も持つなど、付与された性格は多岐に亘る。古典期のギリシアにおいては理想の青年像と考えられ、また、ヘーリオス(太陽)と同一視されるようにもなった。」
「ペストの病魔から人々を救い出した神・アポロンと言えば、ギリシャには「バッサイのアポロ・エピクリオス神殿」という世界遺産があります。この世界遺産はかつて周辺でペストが大流行した際に、その病魔から人々を救い出した神・アポロンの為に作られた神殿であり、感謝を捧げる為に作られた貴重な神殿でもあります。」
「大流行したペストと言えば、ペスト(ドイツ語: Pest, 英語: plague)とは、人間の体にペスト菌(Yersinia pestis 腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が入ることにより発症する伝染病である。日本では感染症法により一類感染症に指定されている。ペストは元々齧歯類(げっしるい)(特にクマネズミ)に流行する病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。」
「感謝を捧げる為に作られた貴重な神殿でもありますよ。」
「はい。」
「バッサイのアポロ・エピクリオス神殿は、前述の通り神に捧げる為の場所でしたよ。」
「はい。」
「ドーリア様式やイオニア様式、コリント様式の3種類の建築様式を用いていましたよ。」
「そうなんですか。」
「コリント様式(という建築様式)と言えば、コリント式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、ドーリア式、イオニア式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。溝が彫られた細身の柱身と、アカンサスの葉が象られた装飾的な柱頭を特徴とする。ギリシアに起源を有するが、ギリシア建築において用いられた例はほとんどない。コリント式という名は、古代ギリシアの都市国家(ポリス)のひとつであるコリントスに由来するが、コリント式は一般にアテナイで発達したと考えられている。」
「イオニア様式(という建築様式)と言えば、イオニア式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、ドーリア式、コリント式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。イオニア式のオーダーは、紀元前6世紀中葉に、イオニア人が植民した小アジアの南西沿岸及び島嶼からなるイオニア地方で誕生し、紀元前5世紀にはギリシア本土でも用いられるようになった。」
「ドーリア様式(という建築様式)と言えば、ドーリア式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、イオニア式、コリント式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。ドリス式とも呼ばれる。古代ギリシア建築前期のもので、柱頭に鉢形装飾や柱基を持たずしばしば「荘重」と表現される。ドーリア式のオーダーが用いられている代表的建造物としては、アテナイのパルテノン神殿が挙げられる。」
「そのため、宗教美術としてではなく、建築技術に含まれたミステリアスな要素が研究対象となっていますよ。」
「はい。」
「宗教的な意味あいよりもむしろ、その建築技法にスポットライトが当てられている世界遺産ですよ。」
「はい。」
「建築技法を学んでいる方が訪れると、かなり勉強になるかも知れませんね。」
「そうなんだ。」
「なお、外部的な装飾が素晴らしいのはもちろんですよ。」
「はい。」
「内部の装飾も、非常に優れているので必見ですよ。」
「そうなんですか。」
「たとえば、バッサイのアポロ・エピクリオス神殿の内部には、アマゾネス(女戦士)の戦う姿や、荒ぶるケンタウロスの姿が描かれていますよ。」
「はい。」
「ケンタウロスと言えば、ケンタウロス(ラテン語: Centaurus)とは、ギリシア神話に登場する半人半獣の種族である。馬の首から上が人間の上半身に置き換わったような姿をしている。イクシーオーンとヘーラーの姿をした雲ネペレーとの間に産まれたとも、その間の息子であるケンタウロスが牝馬と交わり産まれたともいわれる。」
「アマゾネス(女戦士)と言えば、アマゾネス(女戦士)は、伝説・神話の女性だけの戦闘集団である。転じて、女戦士の呼び方の一種。アマゾネス(女戦士)という言葉は、非常に強い女性ばかりの軍団というイメージがあるが、トロイア戦争に登場するアマゾネスは、女性を長とした部族という表現が正しいようである。」
「見る者に独特な印象を与える、古代芸術が展開されていますよ。」
「そうなんだ。」
「現在もなお良好な状態で保存されているこの場所は、「パルテノン神殿」を建築した人物と同じ建築家によって作られていますよ。」
「そうなんですか。」
「パルテノン神殿と言えば、パルテノン神殿(ローマ字: Parthenon)は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿である。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。この神殿は古代ギリシアそして民主政アテナイの象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に認定されている。」
「彼の技術に圧倒されたい方は、是非一度この世界遺産を訪問してみましょう。」
「わかりました。」
「なお、周辺はほぼ荒野のような状態で、夏などの時期に訪れると、かなり暑い思いをすることになりますよ。」
「はい。」
「「ギリシャは夏に訪れるのが一番」という方も多いと思われますね。」
「はい。」
「できるだけ気候の安定している時に行かないと、体調を壊す原因になりかねませんよ。」
「そうなんだ。」
「ギリシャの夏は乾燥しているので、日本のようなじめじめした雰囲気ではありませんよ。」
「はい。」
「しかし、気候の変化に弱い方はかなり体調を崩すと思われますので、熱に弱い方はくれぐれも気をつけてください。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~アスクレピオスの聖地エピダウロス~
「多額の債務問題で世界を騒がせているギリシャですね。」
「はい。」
「古くは、ギリシャ神話に始まる文化や歴史がたくさん詰まった都市ですね。」
「はい。」
「ギリシャ神話と言えば、ギリシア神話は、古代ギリシアの諸民族に伝わった神話・伝説を中核として、様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがった、世界の始まりと、神々そして英雄たちの物語である。古代ギリシア市民の標準教養として、更に古代地中海世界での共通知識として、ギリシア人以外にも広く知れ渡った神話の集成を言う。」
「日本からの距離は飛行機で14時間ほど、時差は7時間ですよ。」
「そうなんだ。」
「言語はギリシャ語、通貨は今のところユーロですね。」
「はい。」
「通貨のユーロと言えば、ユーロは、欧州連合における経済通貨同盟で用いられている通貨である。ユーロはヨーロッパでは24の国で使用されている。この24か国のうち18か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。」
「このギリシャに、世界遺産の1つであるアスクレピオスの聖地エピダウロスがありますよ。」
「はい。」
「アスクレピオスと言えば、アスクレーピオス( Asklepios)は、ギリシア神話に登場する名医である。ラテン語ではアイスクラーピウス(AEsculapius / Aesculapius)という。長母音を省略してアスクレピオス、アスクラピウスとも表記される。優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっている。ユーロ導入まで発行されていたギリシャの旧10000ドラクマ紙幣に肖像が描かれていた。」
「アスクレピオスの聖地エピダウロスと言えば、エピダウロス( Epidauros) あるいは エピダヴロス(Epidavros)は、ギリシャ・ペロポネソス半島東部に位置する古代ギリシアの港湾都市である。現在はペロポネソス地方に属する基礎自治体(ディモス)のひとつである。エピダウロスは、ギリシア神話の名医アスクレピオスゆかりの聖地とされる。アスクレピオスを祀った聖域の遺跡には、古代の劇場が美しい形で残っていることで知られ、「エピダウロスの考古遺跡」として世界遺産に登録されている。」
「アスクレピオスとは、ギリシャ神話に登場する医療と健康の神のことを言いますよ。」
「はい。」
「紀元前4世紀頃、ギリシャの都市の1つであったエピダウロスの市民たちが、アスクレピオスの生まれた土地はエピダウロスであると主張し始めましたよ。」
「そうなんですか。」
「今で言う町おこしではなく、信仰が厚いあまりに生じたのだと思いますね。」
「はい。」
「アスクレピオスの聖地であることをアピールし信仰を深めるため、アスクレピオスの神殿、アルテミスの神殿、劇場、宿泊所、浴場、闘技場などが、紀元前4世紀末に次々と建設されていきましたよ。」
「いろいろありますね。」
「アルテミスの神殿と言えば、アルテミス神殿 (羅:Artemisium)は、紀元前7世紀から紀元3世紀にかけてエフェソス(現在のトルコ)に存在した、アルテミスを奉った総大理石の神殿である。世界の七不思議のひとつに挙げられているが、現在は原形をとどめていない。」
「アスクレピオスの神殿と言えば、ギリシャの地に世界遺産の1つであるアスクレピオスの聖地エピダウロスがあります。アスクレピオスというのは、ギリシャ神話に登場する医療と健康の神のことをいいます。アスクレピオスの聖地であることをアピールし、信仰を深めるためアスクレピオスの神殿、アルテミスの神殿、劇場、宿泊所、浴場、闘技場、宿泊所跡などが紀元前4世紀末に次々と建設されていきました。」
「アスクレピオスと言えば、アスクレーピオス( Asklepios)は、ギリシア神話に登場する名医である。ラテン語ではアイスクラーピウス(AEsculapius / Aesculapius)という。長母音を省略してアスクレピオス、アスクラピウスとも表記される。優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっている。ユーロ導入まで発行されていたギリシャの旧10000ドラクマ紙幣に肖像が描かれていた。」
「次第に、アスクレピオスの信仰も広がりをみせましたよ。」
「はい。」
「最盛期には、祈りながら治療する場として、多くの人々が集まりここに宿泊し、温泉治療を行ったり、演劇をみたり闘技を楽しんだりしたものと考えられていますよ。」
「そうなんだ。」
「現在は、そのほとんどの建物が土台を残すのみとなっていますよ。」
「はい。」
「しかし、唯一ほぼそのままの形で保存されているものがありますよ。」
「そうなんですか。」
「それが、聖地の南側にあるポリュクレイトスの設計によるエピダウロス劇場ですよ。」
「はい。」
「ポリュクレイトスと言えば、ポリュクレイトス(Polykleit or Polyklitos, Polycleitus,Polyclitus,)は、紀元前5世紀~紀元前4世紀初期の古代ギリシアのブロンズ像の彫刻家である。大ポリュクレイトス(Polykleitos the Elder)とも呼ばれる。ペイディアス、ミュロン、クレシラスに続く、古典時代の重要な彫刻家。大プリニウスが美術のことを書くのに参考にした、紀元前4世紀のクセノクラテスが書いたとされるカタログ(Xenocratic catalogue)では、ペイディアスとミュロンの間にランクづけされている。」
「ポリュクレイトスの設計によるエピダウロス劇場と言えば、エピダウロス聖域の劇場は、ギリシャに残る古代劇場の中では最も保存状態が良好なものの一つで、その巨大さとシンメトリックな美しさは昔も今も訪れる人を魅了して止まない。ユネスコの世界遺産にも指定されている。この劇場が建設されたのは紀元前4世紀。ローマ時代の人パウサニアスは、有名な彫刻家ポリュクレイトスが設計したと述べているが、碑文史料から、実際に建設されたのは前330から320年頃であることが分かっており、パウサニアスの記述は誤りであると考えられている。」
「均整美が素晴らしく、丸い円形のオルケストラと呼ばれる舞台を中心に、ぐるりと取り囲んだ階段状の観覧席は、なんと1万4000人もの収容力を誇る規模になっていますよ。」
「はい。」
「丸い円形のオルケストラと呼ばれる舞台と言えば、エピダウロスの劇場の観客席の下の丸い円をオルケストラといい、歌舞団(「コロス」といい、現在のコーラスの語源)が歌い踊った。当然「楽隊」もおり、それが今日の「オーケストラ」の語源。観客席のことは「セアトロン」といい、これが「シアター」の語源。オルケストラの真ん中に円形に石台が埋め込まれているが(人が立っているところ)、現存の喜劇から推察するに神像が置かれたらしい。」
「そんな昔に、これだけの規模の劇場が造られたことも圧巻ですね。」
「そうですね。」
「当時ここでどのくらいの人が集まり、どのような状況で演劇に興じたのかと思うと、ワクワクしてきますね。」
「はい。」
「さらに建築技術の高さと、世紀をまたいで耐え続けている耐久力の高さにも驚きを隠せませんね。」
「はい。」
「この価値が認められ、ギリシャスクレピオスの聖地エピダウロスは、1988年に文化遺産として世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「世界遺産と言うと、気軽に触れられないというイメージがありますね。」
「はい。」
「しかし、この劇場は普通に見学ができ、階段状の座席をのぼり、座ることもできますよ。」
「はい。」
「最上階でも、下で話す人の声が響くというくらい音響効果が優れていますよ。」
「そうなんだ。」
「これも又、当時の技術力や知識の豊かさを思い知らされますね。」
「はい。」
「現在も、夏になると古代劇やコンサートが開催され、多くの観光客であふれますよ。」
「はい。」
「劇場の近くには、エピダウロス博物館が設けられ、当時の資料や歴史に触れることができますよ。」
「そうなんですか。」
「エピダウロス博物館と言えば、エピダウロス遺跡は、ギリシアのペロポネソス半島東部に位置する、古代ギリシアの都市エピダウロスの遺跡である。サロニカ湾に面した港湾都市エピダウロスは、古代ギリシア時代、アポロの息子アスクレピオスが生まれた場所であるとされ、医療の聖域、癒しの聖域として知られたところである。ここには円形劇場、入浴場、神殿、音楽堂などの古代ギリシア時代の遺構がある。近くには、エピダウロス遺跡からの出土品を保存・展示するエピダウロス博物館がある。」
「経済や財政の混乱で、やや格を下げてしまったギリシャですね。」
「そうですね。」
「当時は、どこの国よりも優れた技術や文化を有していた歴史を持っていますよ。」
「はい。」
「ギリシャの経済復興へのエールを送るべく、世界遺産アスクレピオスの聖地エピダウロスを訪れてみるのも、楽しいかも知れませんよ。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~アテナイのアクロポリス~
「ギリシャと言うと、ユーロ危機の発端となった国として知られていますね。」
「そうですね。」
「ユーロ危機と言えば、2010年欧州ソブリン危機または欧州債務危機、通称ユーロ危機は、2009年10月のギリシャ政権交代による国家財政の粉飾決算の暴露から始まる、経済危機の連鎖である。スペイン、ポルトガルなどユーロ加盟諸国(PIIGS)、あるいはハンガリーやラトビアなど中東欧諸国へ波及した場合、世界的な金融危機に発展するかもしれないと懸念されている。2011年以降にもユーロ圏第三位のイタリア情勢が深刻化するなど、欧州不安は広範囲に拡大した。」
「自国の財政難の隠蔽が発覚したことで、ユーロ圏だけでなく世界各国からも不快な視線を寄せられてしまいましたね。」
「はい。」
「通貨のユーロと言えば、ユーロは、欧州連合における経済通貨同盟で用いられている通貨である。ユーロはヨーロッパでは24の国で使用されている。この24か国のうち18か国が欧州連合加盟国である。ユーロは準備通貨としてはアメリカ合衆国ドルの次に重要な通貨の地位を有していた。さらに、一時は第2の基軸通貨と呼ばれていた。しかし、近年のユーロ危機で、通貨連盟の矛盾が表面化しその存続を危ぶむ意見さえも出るようになってきている。」
「しかし、ギリシャは世界遺産の宝庫とも言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「何と言っても、世界遺産のシンボルと言えるのが、アテネのアクロポリスですね。」
「はい。」
「アテネと言えば、アテネは、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオンがあり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。」
「かつて都市国家として栄えていた「アクロポリス」と言えば、アクロポリス(ギリシア語: ακρoπολιδ)とは、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のことである。アクロポリスは「高いところ、城市」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれているのが普通である。ミケーネ時代のアクロポリスはまさに王城(城塞)となっており、アテナイのそれもエレクテウス王以下の諸王の居城であったと伝えられている。」
「その名前を言われても、ピンとこない人も多いかも知れませんね。」
「そうなんですか。」
「ギリシャのアクロポリスと言うのは、「高い所」とか「城市」という意味が込められていますよ。」
「はい。」
「つまり、アテネにある城市というわけですね。」
「はい。」
「防壁で固められた自然の丘のことであり、その丘に神殿が築かれていますよ。」
「そうなんだ。」
「このようなアクロポリスは決して一つだけでなく、数多く存在していますよ。」
「はい。」
「その中でパルテノン神殿と言えば、誰しもが一度は聞いたことがあるはずですね。」
「そうですね。」
「パルテノン神殿と言えば、パルテノン神殿(ローマ字: Parthenon)は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿である。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。この神殿は古代ギリシアそして民主政アテナイの象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に認定されている。」
「アテネのアクロポリスには、そのパルテノン神殿がある場所ですよ。」
「そうなんだ。」
「パルテノン神殿は、ギリシャ神話に出てくるアテーナーという女神が祀られていますよ。」
「はい。」
「パルテノン神殿に祀られているギリシャ神話に出てくるアテーナーという女神と言えば、アテーナーは、知恵、芸術、工芸、戦略を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱である。アルテミスと並んで処女女神として著名である。女神の崇拝の中心はアテーナイであるが、起源的には、ギリシア民族がペロポネーソス半島を南下して勢力を伸張させる以前より、多数存在した城塞都市の守護女神であったと考えられている。」
「ギリシャ神話と言えば、ギリシア神話は、古代ギリシアの諸民族に伝わった神話・伝説を中核として、様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがった、世界の始まりと、神々そして英雄たちの物語である。古代ギリシア市民の標準教養として、更に古代地中海世界での共通知識として、ギリシア人以外にも広く知れ渡った神話の集成を言う。」
「日本で言う、日本神話の神が祀られている神社に相当しますよ。」
「そうなんですか。」
「そのため、日本人でも受け入れられやすく、日本からギリシャへ多くの観光客が訪れていますよ。」
「そうなんだ。」
「特にユーロ危機によって、その原因となった地へ行く日本人が増えたと言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「それは、ユーロ危機になってユーロの価値が下がった一方で、日本円の価値が上がったからですね。」
「はい。」
「つまり、円高傾向にあるため海外旅行に出かける日本人が増えたことが要因の一つですよ。」
「はい。」
「何とも皮肉的な状況と言えるかも知れませんね。」
「そうですね。」
「円高傾向だからこそ、世界中の世界遺産を見て回るのに一番適している時期だと思いますよ。(ただし、2013年は円安になっています)」
「はい。」
「その中でも、ギリシャの世界遺産の一つであるアテネのアクロポリス(パルテノン神殿)は、とても注目を浴びていますよ。」
「そうでしょうね。」
「それは、ギリシャ神話のシンボルとしてのパルテノン神殿と言うわけではありませんよ。」
「どういうことですか?」
「パルテノン神殿は、真っ白な石柱をイメージする人も多いと思いますね。」
「はい。」
「実は、その柱だけでなく、天井や屋根や壁までがカラフルなデザインが施されていたのではないかという説が現れましたよ。」
「そうなんですか。」
「当時のパルテノン神殿は、現在のようにアテネのアクロポリスの上で真っ白な神殿が建てられていたのではなく、カラフルな神殿が建てられていたことになりますね。」
「はい。」
「パルテノン神殿の中で当時の様相をイメージしていくのも、想像力が広がって感慨深いものが生まれてくると思いますよ。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~アトス山~
「ギリシャでもトルコとの国境に近い地域は、日本人がイメージするものとは一味違った雰囲気がありますよ。」
「そうなんですか。」
「その中でも、北東部にそびえるアトス山とその周辺は、キリスト教の一大宗派である正教会の聖地として有名な世界遺産ですよ。」
「そうなんだ。」
「アトス山と言えば、アトス山は、ギリシャ北東部・エーゲ海に突き出したアトス半島の先端にそびえる標高2033mの山である。その周辺は正教会の聖地となっており、「聖山」の名でも呼ばれる。アトス山周辺には現在20もの修道院が所在し、東方正教の一大中心地である。「アトス山」の名は、聖地となっている半島の全域や、修道士たちの共同体についても用いられることがある。」
「しかし、世界遺産と言っても、ここは簡単に観光に行ける土地ではありませんよ。」
「どうしてですか?」
「アトス山のあるアトス半島は、海岸線のほとんどが険しい崖か岩場で成り立っていますよ。」
「はい。」
「アトス山のあるアトス半島と言えば、 アトス半島は、ギリシャ北部、マケドニア地方南部のハルキディキ半島先端部にある半島である。古代名アクティ半島。ギリシャ語でアギオンオロス(聖なる山)とも呼ばれる、東方正教会の聖地アトス山がある。半島の根元にあるイエリッソス、ウラノポリスなどの町がアトス山への観光拠点になっている。」
「今でも決まった所から船か、陸路なら徒歩でしか、入ることができませんよ。」
「そうなんですか。」
「この半島には、現在大小20もの修道院があり、約2000人の修道士が居住していますよ。」
「そうなんだ。」
「ギリシャ共和国内にありながら、治外法権が認められている自治共和国となっていますよ。」
「はい。」
「そのため、この世界遺産地域に入るには入国許可が必要な上に、ギリシャ人以外は1日に入国できる人数も厳しく制限されていますよ。」
「はい。」
「世界遺産周辺住民は、ギリシャ正教会が主要宗教ですよ。」
「そうなんだ。」
「ギリシャ正教会と言えば、ギリシャ正教会は、キリスト教の教派・教会組織を指す言葉である。1833年に正教会 (東方正教会)のコンスタンディヌーポリ総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁)から独立した、ギリシャ共和国にある独立正教会。」
「一方、この半島は正教会でも筆頭格のコンスタンティーヌポリ総主教庁の管轄にあり、中世からの正教会の修行の伝統が守られていますよ。」
「はい。」
「正教会でも筆頭格のコンスタンティーヌポリ総主教庁と言えば、コンスタンディヌーポリ全地総主教庁は、正教会で筆頭の格を有する総主教庁・教会である。管掌・統括するのはコンスタンディヌーポリ総主教。単に「コンスタンディヌーポリ総主教庁」もしくは「全地総主教庁」とも表記される。」
「半島全域は、1406年から600年以上に渡り、女性の入山を禁止する女人禁制が貫かれていますよ。」
「そうなんですか。」
「女性の姿が目に入ることが、禁欲的な修道士の修行の妨げになるという考えからですね。」
「はい。」
「今も、女性はもちろん男性でも未成年者は一切入国禁止ですよ。」
「そうなんだ。」
「特に女性に関しては、人間どころか動物すら入ることができない徹底ぶりですよ。」
「はい。」
「女性を乗せた船は、岸から500メートル以内に近づくことが許されませんよ。」
「徹底していますね。」
「実際は、何度か漂流したり難民となった女性を受け入れたりしたことがあったようですよ。」
「はい。」
「しかし、数えるほどしかありませんよ。」
「そうなんだ。」
「アトス山を中心とする地域が文献上に現れるのは、9世紀頃ですよ。」
「はい。」
「伝承では、生神女マリヤ即ちカトリックでの聖母マリアが旅の途中で嵐に遭ってこの地に避難、異教徒が住んでいたが上陸した途端異教の神像は全て壊れてしまったということから始まると言われていますよ。」
「はい。」
「アトス山の守護聖人「生神女マリヤ」即ちカトリックでの聖母マリアと言えば、アトス山を中心とする地域が文献上に現れるのは9世紀頃です。伝承では、生神女マリヤ即ちカトリックでの聖母マリアが旅の途中で嵐に遭ってこの地に避難、異教徒が住んでいたが上陸した途端異教の神像は全て壊れてしまったということから始まると言われています。そのため、アトス山の守護聖人は「生神女マリヤ」となっています。」
「そのため、アトス山の守護聖人は、「生神女マリヤ」となっていますよ。」
「はい。」
「聖地として隆盛し始めたのは、963年東ローマ(ビザンツ)帝国から免税特権を付与されてからのことですね。」
「そうなんだ。」
「東ローマ(ビザンツ)帝国と言えば、東ローマ帝国またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。また、同時代の西欧からはギリシア帝国とも呼ばれた。」
「以降、最盛期には修道院の数が60以上、修道士が6万人以上いたとされますよ。」
「はい。」
「1543年に東ローマ帝国が滅亡してから、アトス山周辺もオスマン帝国の支配下に入りましたよ。」
「はい。」
「オスマン帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブルと通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。」
「しかし、正教の伝統は守られ、オスマン帝国のスルタンからも強大な自治権が認められましたよ。」
「そうなんだ。」
「オスマン帝国のスルタンと言えば、オスマン帝国の君主は、オスマン家の成員によって世襲され、20世紀初頭まで広大な版図を誇ったオスマン帝国に君臨した。君主は初代オスマン1世の父エルトゥールルの代から「ベイ」(君侯)の称号を帯びていたが、3代ムラト1世の代には「スルタン」を自称した。これ以降、オスマン帝国の君主は「スルタン」と呼ばれることが多い(日本語では「皇帝」、または「スルタン」と表記されることが多い)。また、公式には「ハン」、「シャー」、「地上における神の陰」、「両聖都(マッカとマディーナ)の守護者」、「パーディシャー(大王あるいは皇帝の意)」など、様々な称号が用いられていた。」
「その後、ギリシャが独立してからも、自治領として認められ現在に至っていますよ。」
「はい。」
「長い歴史を持つアトス山が本当に危機を迎えるのは、近現代になってからと言えますね。」
「そうなんですか。」
「20世紀になってから、ギリシャ政府はトルコからの帰還民に居住地を与えるため、アトス山の土地を多く没収しましたよ。」
「はい。」
「第二次世界大戦中、すぐ北側のブルガリアにソ連が侵攻し、共産主義の宗教弾圧を受けたアトス山は一時壊滅の危機に陥りましたよ。」
「そうなんですか。」
「現在も、EUから女人禁制の伝統が男女均等指令に反するとして撤廃が求められる等、伝統と近代化の波の間に挟まれた状態となっていますよ。」
「そうなんだ。」
ギリシャの世界遺産と神話~デルフィの考古遺跡~
「ギリシャの世界遺産観光で是非行っておきたいのは、デルフィの古代遺跡ですね。」
「はい。」
「デルフィの古代遺跡と言えば、デルフィの古代遺跡は、1987年に登録された世界遺産(文化遺産)である。デルフィ(デルフォイ、デルポイ)は、ギリシャ中部、パルナッソス山麓にあった古代都市国家(ポリス)。紀元前8~前6世紀頃、ここが世界の中心と考えられていたことから、予言の神アポロンを祀る神殿が建設されて、周辺のポリスの信仰を集めた。デルフィのアポロン神殿の巫女によって告げられる託宣(デルフィの神託)は、各ポリスの政策決定にも大きな影響を与えた。ここは託宣をうかがうための巡礼の地であり、さまざまな宗教儀式が行われ、芸術やスポーツ競技の中心ともなった。」
「世界遺産に指定されていますよ。」
「はい。」
「日本からのギリシャ観光ツアーにも必ず組み込まれているほどの有名なスポットですよ。」
「そうなんですか。」
「アテネからの日帰りツアーとしても有名ですよ。」
「はい。」
「アテネと言えば、アテネは、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオンがあり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。」
「現地で、デルフィ行きのツアーがたくさん出ていますよ。」
「便利ですね。」
「デルフィと言えば、デルフィは、ギリシャ共和国中央ギリシャ地方の地名である。世界遺産に登録されている古代ギリシャの聖地デルポイの現代名である。現代のデルフィは、デルポイの遺跡の付近にある集落の名であり、フォキダ県所属の基礎自治体(ディモス)の名でもある。自治体としてのデルフィ市の中心地はアンフィサに置かれている。」
「世界遺産デルフィの古代遺跡の聖域ですよ。」
「はい。」
「世界の中心、いわば「世界のへそ」と考えられていましたよ。」
「そうなんですか。」
「元々、デルフィの古代遺跡は、山の斜面を削って作られた所ですよ。」
「はい。」
「その険しい土地から、いかに信仰の力・神託の力が強かったかを感じることができますね。」
「そうなんだ。」
「紀元前1000年頃から礼拝の地として崇められており、紀元前12世紀からは神を祀る場所になっていましたよ。」
「はい。」
「ゼウスの息子であるアポロンがこの地で神となったことで、アポロンの神託としても長年使われていた神聖な場所ですよ。」
「はい。」
「ゼウスと言えば、ゼウスは、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在である。全宇宙、天候(特に雷)、社会秩序を司る天空神でもあり、オリュンポス十二神をはじめとする神々の王である。ゼウスはローマ神話ではユーピテル(ジュピター)にあたる。オリュンポスの神々の家族および人類の両方の守護神・支配神であり、神々と人間たちの父と考えられた。」
「ゼウスの息子であるアポロンと言えば、アポローンは、ギリシア神話に登場する男神である。オリュンポス十二神の一人であり、ゼウスの息子である。詩歌や音楽などの芸能・芸術の神として名高いが、羊飼いの守護神にして光明の神でもあり、イーリアスにおいてはギリシア兵を次々と倒した「遠矢の神」であり、疫病の矢を放ち男を頓死させる神であるとともに病を払う治療神でもあり、神託を授ける予言の神としての側面も持つなど、付与された性格は多岐に亘る。古典期のギリシアにおいては理想の青年像と考えられ、また、ヘーリオス(太陽)と同一視されるようにもなった。」
「ペストの病魔から人々を救い出した神・アポロンと言えば、ギリシャには「バッサイのアポロ・エピクリオス神殿」という世界遺産があります。この世界遺産はかつて周辺でペストが大流行した際に、その病魔から人々を救い出した神・アポロンの為に作られた神殿であり、感謝を捧げる為に作られた貴重な神殿でもあります。」
「そのアポロンを祀ったといわれるアポロン神殿は、紀元前370年頃の柱が現存しており、素晴らしい威厳を保っていますよ。」
「そうなんですか。」
「アポロン神殿と言えば、アポロン神殿は、ギリシャ中部、パルナソス山麓の古代都市デルフォイにある神殿である。紀元前6世紀に建造。火災や地震の被害を受けて、その都度再建された。現在は紀元前370年頃の遺構があり、6本の柱が復元されている。幅23メートル、長さ60メートルのドリス式の神殿で、古代ギリシャで最も重要な神託所となった。1987年に「デルフォイの考古遺跡」として世界遺産(文化遺産)に登録された。」
「ギリシャのアポロン神殿の内部には、アポロン像が置かれ、地下に「大地のへそ」とされる石があり、そこで神託が行われていましたよ。」
「はい。」
「この大地のへその石は、デルフィの古代遺跡に隣接されているデルフィ博物館で見ることができますよ。」
「そうなんだ。」
「デルフィ博物館と言えば、デルフィの聖域から出土した遺物を中心に所蔵している。紀元前8世紀からデルフィが終焉を迎えるローマ時代までの彫刻、彫像、寄進された品々などが豊富に揃い、この地域の宗教、政治、美術の歴史などを知ることができる。アルカイック期の展示品は見応えがある物が多い。世界の中心と考えられていた「へその石」や「聖堂の御者の像」などは必見です。」
「デルフィの古代遺跡と言えば、デルフィの古代遺跡は、1987年に登録された世界遺産(文化遺産)である。デルフィ(デルフォイ、デルポイ)は、ギリシャ中部、パルナッソス山麓にあった古代都市国家(ポリス)。紀元前8~前6世紀頃、ここが世界の中心と考えられていたことから、予言の神アポロンを祀る神殿が建設されて、周辺のポリスの信仰を集めた。デルフィのアポロン神殿の巫女によって告げられる託宣(デルフィの神託)は、各ポリスの政策決定にも大きな影響を与えた。ここは託宣をうかがうための巡礼の地であり、さまざまな宗教儀式が行われ、芸術やスポーツ競技の中心ともなった。」
「アポロン神殿の正面には大祭壇がありますよ。」
「はい。」
「神託を受ける時に、ここで生贄が捧げられましたよ。」
「はい。」
「ギリシャ世界遺産の近くには、古代劇場とスタジアムを見ることができますよ。」
「そうなんだ。」
「デルフィの古代遺跡では、オリンピアと同じようにスポーツの祭典が4年に1度行われていますよ。」
「はい。」
「オリンピアと言えば、オリンピアは、ギリシアのペロポネソス半島西部に位置する古代ギリシアの都市である。古代オリンピックが行われた場所であり、現在も数多くの遺跡が存在する。1989年世界遺産に登録された。古代ギリシア語の発音に沿い「オリュンピア」とも転記される。古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀にまでさかのぼる。」
「スポーツの祭典と同時に演劇祭も行われていたため、その名残を見ることができますね。」
「はい。」
「古代劇場は、紀元前4世紀のものですよ。」
「古いですね。」
「大理石でできた観客席なども保存状態がよく、当時とほぼ同じ姿を見ることができますよ。」
「そうなんですか。」
「今でも、屋外公演に使用されているほどですよ。」
「そうなんだ。」
「古代スタジアムは、現在は木々に囲まれた広場になっていますよ。」
「はい。」
「スタートとゴールのそれぞれの地点に石板が置かれ、当時の雰囲気を残していますよ。」
「はい。」
「隣接されているデルフィ博物館は大変広い博物館で、貴重な所蔵品が多く、是非見学して欲しいところですね。」
「わかりました。」
「ギリシャで有名な「大地のへそ」の石は、博物館に入ってすぐの所で見学することができますよ。」
「はい。」
「他にも見所は満載で、アルカイック時代からローマ時代までの美術品や彫刻を見ることができますよ。」
「はい。」
「ローマ時代と言えば、古代ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民であり、共和制成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。 ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度にさまざまな形で残り、今日まで影響を与えている。」
「アルカイック時代と言えば、紀元前8~7世紀、暗黒時代末期になると、いくつもの都市国家(ポリス)が発展し、繁栄していく。人々が一般にイメージする「古代ギリシャ」はこの時代から始まる。この時代を「アルカイック時代」と呼んでいる。」
「中でも紀元前478年の作品で、1896年にギリシャで発見された「青銅の御者の像」は、当時とほぼ完全な姿のままで保存されていますよ。」
「そうなんですか。」
「1896年にギリシャで発見された「青銅の御者の像」と言えば、 御者の像は、前5世紀前半に作られ、前373年の大地震で地中に埋もれた為、1896年にアポロン神殿のテラスの北西角で発見された、デルフィ考古学博物館の作品のうちで最も有名な像である。当時の高度な鋳造技術を示す古代ギリシャ彫刻の最高傑作の一つとされています。この等身大の青年御者像は、前474年のピュティア祭における戦車競争で優勝を記念して奉納された、馬と戦車と御者からなる青銅群像の一部。」
「大変美しく素晴らしいので必見ですよ。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~ミストラスの考古遺跡~
「ギリシャにあるミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、世界遺産に指定された中世城塞都市遺跡ですよ。」
「はい。」
「ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)と言えば、ギリシャにあるミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、世界遺産に指定された中世城塞都市遺跡です。ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、地中海の中のアテネ西部にまるで小島のように突き出したロポニソス半島南東部のラコニア県に位置し、ギリシャ正教会に関連する修道院や聖堂、居住区、宮殿などの数多くの建造物が残されている事から、ユネスコ世界遺産に指定されています。」
「地中海文明のルーツのひとつとして主要な拠点であるギリシャに、幾つもの文明に接する地理的環境からも、文化、宗教などから様々な影響を受けていますよ。」
「そうなんですか。」
「地中海文明と言えば、一般教養的には「ギリシア文明+ローマ文明=地中海文明」です。古代ギリシャのポリス誕生からローマ帝国の発展まで、地中海文明の歴史は、歴史ファンの関心を惹き付けて止まない。キリスト教文明とイスラム文明を生み出した母胎として古代 地中海世界があったことは忘れるべきではない。」
「ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、地中海の中のアテネ西部にまるで小島のように突き出したロポニソス半島南東部のラコニア県に位置していますよ。」
「はい。」
「ロポニソス半島と言えば、ペロポネソス半島は、ギリシャの大陸部分南端に広がる半島である。ギリシャの「本土」とはコリンティアコス湾およびサロニコス湾で隔てられており、コリントス地峡でつながっている。「ペロポネソス」は古代ギリシア語での発音(Peloponnesos)に由来する表記(長音を表記すれば「ペロポンネーソス」)であり、現代ギリシャ語での発音では「ペロポニソス」となる。このほか「ペロポンネソス」などの表記も用いられる。ヴェネツィア語ではモレア(Morea)と称された。」
「ロポニソス半島南東部のラコニア県と言えば、ラコニア県は、ギリシャ共和国のペロポネソス地方を構成する行政区(ペリフェアキ・エノティタ)のひとつである。ペロポネソス半島南部に位置する。県都スパルティは、古代の有力都市国家スパルタの故地に建設された都市である。」
「ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)と言えば、ギリシャにあるミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、世界遺産に指定された中世城塞都市遺跡です。ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、地中海の中のアテネ西部にまるで小島のように突き出したロポニソス半島南東部のラコニア県に位置し、ギリシャ正教会に関連する修道院や聖堂、居住区、宮殿などの数多くの建造物が残されている事から、ユネスコ世界遺産に指定されています。」
「アテネと言えば、アテネは、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオンがあり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。」
「ギリシャ正教会に関連する修道院や聖堂、居住区、宮殿などの数多くの建造物が残されている事から、ユネスコ世界遺産に指定されていますよ。」
「そうなんだ。」
「ギリシャ正教会と言えば、ギリシャ正教会は、キリスト教の教派・教会組織を指す言葉である。1833年に正教会 (東方正教会)のコンスタンディヌーポリ総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁)から独立した、ギリシャ共和国にある独立正教会。」
「ミストラスの始まりは、十字軍によって侵略されたラテン帝国の時代に、ロポニソス半島一帯に建設されたアカイア公国の第4代ギヨーム2世によって城が築かれた事ですよ。」
「はい。」
「アカイア公国と言えば、アカイア公国は、第4回十字軍参加のフランス騎士ギヨーム・ド・シャンリットによって南ギリシア・ペロポネソス半島に建国された封建国家(1205年 - 1432年)である。形式上ラテン帝国、テッサロニキ王国の臣下であり、また自らの臣下として12の男爵を従えていた。正式な君主号はラテン語で「全アカイア公」(princeps totius Achaiae)。」
「アカイア公国の第4代ギヨーム2世と言えば、ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアン(1211年頃 -1278年5月1日)はギリシア生まれのフランス人、第4代アカイア公(1246年 - 1278年)である。ギリシア名グリエルモス。第2代ジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアンの次子、第3代ジョフロワ2世・ド・ヴィルアルドゥアンの弟。」
「ラテン帝国と言えば、ラテン帝国(1204年- 1261年)は、第4回十字軍がコンスタンティノポリスを攻めて東ローマ帝国をひとたび滅亡させた後、コンスタンティノポリスに立てられたカトリック国家である。いわゆる十字軍国家の1つ。正式名はロマニア帝国という。ロマニアとは「ローマ人の地」の意味で東ローマ帝国の後継国家を目指す意味を持っていた。1261年、東ローマ帝国の亡命政権のひとつであるニカイア帝国に滅ぼされた。」
「十字軍と言えば、十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。」
「ロポニソス半島と言えば、ペロポネソス半島は、ギリシャの大陸部分南端に広がる半島である。ギリシャの「本土」とはコリンティアコス湾およびサロニコス湾で隔てられており、コリントス地峡でつながっている。「ペロポネソス」は古代ギリシア語での発音(Peloponnesos)に由来する表記(長音を表記すれば「ペロポンネーソス」)であり、現代ギリシャ語での発音では「ペロポニソス」となる。このほか「ペロポンネソス」などの表記も用いられる。ヴェネツィア語ではモレア(Morea)と称された。」
「ミストラスと言えば、ミストラスは、ギリシア・ペロポネソス半島南東部のラコニア県にある中世城塞都市遺跡である。東ローマ帝国の地方行政組織モレアス専制公領の行政府・文化都市で、ユネスコの世界遺産に登録されている。日本では西欧の文献で長く用いられた表記を採用して「ミストラ」(Mistra)と記す場合も多い。」
「タイゲトス山脈のスラヴ人の一部族であるメリング族という不服従勢力の脅威から、公国を守るべく城下町を造り上げましたよ。」
「そうなんだ。」
「公国と言えば、公国は、「公」、即ち貴族を君主として有する国である。「王国」が一般に「国王」を君主として有するのに対し、公国は「公」を君主として有する。英語のduchy(duke が治める国、領地)とprincipality(prince が治める国、領地)が「公国」と訳される。」
「スラヴ人と言えば、スラヴ人は、中欧・東欧に居住し、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団である。ひとつの民族を指すのではなく、本来は言語学的な分類に過ぎない。東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)・西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる。言語の共通性は見られるものの、特に西スラヴと東スラヴの間は歴史時代以前より断絶があり、文化的共通性は希薄。」
「タイゲトス山脈と言えば、ペロポネソス半島南部にはタイゲトス山脈が縦断し、その南端部にマニ半島が位置しています。緑豊かな景観から、険しい山々を越えると荒涼とした岩山の景観が広がり、石造りの街という異名をもつマニ半島には、今でもたくさんの石の住居が残っています。」
「タイゲトス山脈のスラヴ人の一部族であるメリング族と言えば、ミストラスの始まりは、十字軍によって侵略されたラテン帝国の時代に、ロポニソス半島一帯に建設されたアカイア公国の第4代ギヨーム2世によって城が築かれた事によります。タイゲトス山脈のスラヴ人の一部族であるメリング族という不服従勢力の脅威から公国を守るべく城下町を造り上げたのです。」
「その後、戦乱の中でギヨーム2世が失脚してアカイア公国が崩壊しましたよ。」
「はい。」
「しかし、それ以降も、ミストラスは東ローマ領ペロポニソスの重要拠点として、城下町を中心とした都市としての発展を遂げますよ。」
「はい。」
「東ローマ領ペロポニソスと言えば、戦乱の中でギヨーム2世が失脚してアカイア公国が崩壊して以降も、ミストラスは東ローマ領ペロポニソスの重要拠点として、城下町を中心とした都市としての発展を遂げる事になります。膨れ上がる人口に治安維持のための城壁や門などによる防御を固め、行政の中枢としての働きをなす宮殿を中心とした市街が次々と形成される中、自由で平和な気風に文芸も育ちました。」
「膨れ上がる人口に、治安維持のための城壁や門などによる防御を固めましたよ。」
「そうなんだ。」
「行政の中枢としての働きをなす宮殿を中心とした市街が次々と形成される中、自由で平和な気風に文芸も育ちましたよ。」
「はい。」
「人文主義の文芸や、「パレオロゴス朝ルネサンス」と称される教会美術が育ちましたよ。」
「そうなんですか。」
「パレオロゴス朝と言えば、パレオロゴス王朝は、東ローマ帝国最後の王朝(1261年 - 1453年)である。古代ギリシャ語の発音にしたがってパライオロゴス王朝あるいはパラエオロゴス王朝と呼ばれることもある。」
「「パレオロゴス朝ルネサンス」と称される教会美術と言えば、ギリシャにあるミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、世界遺産に指定された中世城塞都市遺跡です。人文主義の文芸や、「パレオロゴス朝ルネサンス」と称される教会美術が育ち、政治、経済のみでなく、文化の中心地としても、高い名声を受ける事になったのです。」
「人文主義と言えば、人文主義は、西欧語をそのまま写して英語ヒューマニズム,フランス語ユマニスム,ドイツ語フマニスムスなどと表記されることも多い。その語義は広狭多様で,人間主義,人本主義,人道主義などの訳語もある。」
「政治、経済のみでなく、文化の中心地としても、高い名声を受ける事になりましたよ。」
「はい。」
「その後、オスマントルコの侵略を受けてからは、キリスト教の教会や修道院はイスラム教のモスクへと姿を変えましたよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、トルコ人やユダヤ人の居住区も形成されるなど変化を見せながらも、その発展は衰退する事はありませんでしたよ。」
「はい。」
「小さな紛争が頻発する時代にあって、なお発展は続いていましたよ。」
「はい。」
「ミストラスの終焉は、18世紀の頃、ロシア帝国による大規模な反乱が期となりますよ。」
「そうなんだ。」
「オスマントルコによって、半島全土が破壊されましたよ。」
「はい。」
「そして、その後のギリシャ独立戦争により、とどめを受けますよ。」
「そうなんですか。」
「ギリシャ独立戦争と言えば、ギリシャ独立戦争(1821年ギリシャ革命)は、オスマン帝国からのギリシャの独立を巡り争われた戦争である。1830年のロンドン議定書によって列強の間で独立が合意され、最終的には1832年6月のコンスタンティノープル条約でギリシャの独立は承認された。ギリシャでは3月25日を独立記念日としている。」
「現在では、修復・保存が行われたギリシャ正教会に関連する美しい建造物が世界遺産として保存されていますよ。」
「はい。」
「ギリシャ正教会と言えば、ギリシャ正教会は、キリスト教の教派・教会組織を指す言葉である。1833年に正教会 (東方正教会)のコンスタンディヌーポリ総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁)から独立した、ギリシャ共和国にある独立正教会。」
「数多く残されたルネサンスの走りとも言われるフレスコ画や、八角形ギリシャ正十字聖堂など、建設当時をほうふつとさせるような世界遺産が数々ありますよ。」
「そうなんだ。」
「八角形ギリシャ正十字聖堂と言えば、ミストラスの終焉は、18世紀の頃、ロシア帝国による大規模な反乱が期となり、オスマントルコによって半島全土が破壊され、その後のギリシャ独立戦争によりとどめを受ける事になります。現在では、修復・保存が行われたギリシャ正教会に関連する美しい建造物が世界遺産として保存されています。数多く残されたルネサンスの走りとも言われるフレスコ画や、八角形ギリシャ正十字聖堂など、建設当時をほうふつとさせるような世界遺産の数々に、見る者たちが心奪われるような遺跡として、大変人気のスポットとなっています。」
「ルネサンスの走りとも言われるフレスコ画と言えば、フレスコ画は、西洋絵画の技法の一つである。「フレスコ」はイタリア語で「新鮮」を意味する。壁などの下地にしっくいを塗り、乾ききらないうちに水に溶かした顔料で描く。壁が乾くとともに顔料がしっかり定着する。ルネサンス期に盛んに描かれ、ミケランジェロやラファエロの作品が有名。」
「ルネサンスと言えば、ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。」
「見る者たちが心奪われるような遺跡として、大変人気のあるスポットとなっていますよ。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~メテオラ~
「5年ほど前に、テレビの番組でギリシャのメテオラを知り、興味を持ちましたよ。」
「そうなんですか。」
「メテオラと言えば、メテオラは、ギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。その地形及びギリシア正教の修道院文化の価値からユネスコの世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されている。その名はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」という言葉に由来している。メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。」
「ギリシャのメテオラは、ユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されていますよ。」
「はい。」
「2012年7月現在で、世界遺産に登録されているのは962件ですね。」
「そうなんですか。」
「そのうち文化・自然複合遺産は、わずか29件しかありませんよ。」
「そうなんだ。」
「メテオラは、世界遺産(文化・自然複合遺産)の貴重な29件のうちの一つですよ。」
「はい。」
「メテオラは、ギリシャ語で「中空の」を意味する「メテオロス」という言葉が語源ですよ。」
「はい。」
「アテネからふもとの町であるカランバカまでは、列車で5時間弱かかりますよ。」
「はい。」
「ふもとの町であるカランバカと言えば、カランバカは、ギリシアのテッサリア地方トリカラ県の都市で、世界遺産のメテオラ観光の拠点となる町である。ドイツ・バイエルン州のシュヴァバッハと姉妹都市。1881年8月27日、カランバカはトルコの支配からの独立が認められた。」
「アテネと言えば、アテネは、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。アテネはアッティカ地方にあり、世界でももっとも古い都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオンがあり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことは知られている。」
「カランバカからは、バスが1日に数本出ていますよ。」
「はい。」
「ギリシャのメテオラは、俗世から離れて祈りと瞑想に集中するために、修道士たちが奇岩群の洞穴などに住み着いたのが起源だそうですよ。」
「そうなんですか。」
「9世紀頃からこの奇岩群で修行を積んでいましたが、14世紀になり修道院が建てられたと言われていますよ。」
「はい。」
「しかし、閉鎖されているものもあるようですよ。」
「はい。」
「現在は、6つのギリシャ修道院を見ることができますよ。」
「そうなんだ。」
「アテネからかなり距離は遠く、ふもとの街のカランバカも本当に小さく、このメテオラがないと人が来ないだろうというくらいですよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、奇岩群の上に立つ修道院はインパクトが強く、さらに中で読み聞かせのようなイベントがあったり、博物館になっていたりと大変興味深いものが多いですよ。」
「はい。」
「俗世から離れるという目的でこの奇岩群に住むだけあって、本当に険しく、こんな所で生活していたのか?と驚くと思いますよ。」
「そうなんだ。」
「ただし、修道院同士を結ぶ道路はかなり整っていますので、世界遺産を巡る観光はしやすいと思いますよ。」
「それは助かりますね。」
「博物館には、実際に修道院から出る際に使っていたという大きなショベルのような、たらいのようなものもありましたよ。」
「それは何ですか?」
「ロープウェイを使って物資のやりとりもしていたようですよ。」
「はい。」
「しかも、現在は機械で動いていますが、昔は手動で巻き上げ機を使っていたそうですよ。」
「大変ですね。」
「これも結構なインパクトで、観光客の撮影スポットになっていますよ。」
「はい。」
「お天気の良い日にはハイキングがてらに、山道を歩いて途中で景色を眺めながら写真を撮ったり眺めたりランチをとるのも素敵ですよ。」
「はい。」
「メテオラまでの行きはバスで行き、そこからすべての修道院に立ち寄りながら最後まで徒歩で麓の町まで行くのがおススメですよ。」
「わかりました。」
「歩いて行くので、ある程度の道順などを把握しておいた方が無難だと思いますよ。」
「はい。」
「ガイドブックでも大丈夫だとは思いますが、もし不安だと感じている方は地図を持って行くと安心かも知れませんよ。」
「はい。」
「歩くのが困難な方ですと、メテオラでタクシーをチャーターするといいと思いますよ。」
「そうなんだ。」
「山の天気なのであっという間に雲が広がって真っ暗になり、雨まで降り出すことがあるそうなので、上着と雨具を持っていくことをおススメします。」
「わかりました。」
「女性はジーンズでは入れない所がありますが(キャミソールなどの露出の多い格好もNGです)、スカートの貸出がありますので安心してください。」
「はい。」
「世界遺産地ではありますが、観光地では英語が通じない場合もありますよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、ホテルでは英語を使えるスタッフの方がいらっしゃいますので安心ですよ。」
「わかりました。」
ギリシャの世界遺産と神話~ロドスの中世都市~
「ギリシャには、たくさんの島がありますね。」
「そうですね。」
「その中でも、ロードス島は、世界遺産の観光地、リゾート地として有名ですね。」
「はい。」
「ロードス島と言えば、ロドス島は、エーゲ海南部のアナトリア半島沿岸部に位置するギリシャ領の島である。ドデカネス諸島に属し、ギリシャ共和国で4番目に大きな面積を持つ。ロードス島との表記も用いられる。島で最大の都市であるロドスの街は、古代以来港湾都市として栄え、世界の七不思議の一つである「ロドス島の巨像」が存在したことでも知られる。また、その中世期の街並みは「ロドスの中世都市」の名で世界遺産に登録されている。」
「日本では、ロードス島と呼ばれていることが多いですね。」
「はい。」
「ロードス島を題材にした漫画で、その名を知っている人も多いでしょう。」
「・・・・。」
「ギリシャ世界遺産のロードスの中世都市は、飛行機、又はクルーザーの船で行くことになりますよ。」
「はい。」
「聖ヨハネ騎士団が細緻に築き上げた「ロードスの中世都市」と言えば、ロドスの中世都市は、ギリシャの世界遺産の一つである。ロドス島の主都ロドスの旧市街には、かつて聖ヨハネ騎士団が築いた城塞都市の特質が良好に保存されており、中世ヨーロッパ都市の優れた例証として評価された。」
「ギリシャは、トルコに近く、飛行機で行く方が便利なので利用する人が多いようですよ。」
「そうなんだ。」
「空港からロードスの中世都市の中心であるロドス・シティ迄は、リゾート地として高級ホテルが立ち並んでいますよ。」
「はい。」
「ロードスの中世都市の中心であるロドス・シティと言えば、ロドスは、エーゲ海南東部に浮かぶロドス島の主都であり、ドデカネス諸島の中心都市である。周辺地区も含めた人口はおよそ8万人。古くから港湾都市国家として栄え、世界の七不思議のひとつに数えられる「ロドス島の巨像」で知られていた。また、聖ヨハネ騎士団によって作られた城塞都市(旧市街)は、特に良好に保存されているヨーロッパ中世の町並みの例証として、「ロドスの中世都市」の名で世界遺産に登録された。ロドスの街は、国際的にも知名度の高い観光名所となっている。」
「空港が島の海岸付近にあり、その周辺がビーチとして開放されているからですよ。」
「はい。」
「一方、ロードスの中世都市の半分を占めている旧市街がありますよ。」
「そうなんですか。」
「そこは、市街まるごと世界遺産に登録されているほど、大変見所のある場所ですよ。」
「はい。」
「何と言っても、街自体が12メートルの高くて厚い城壁に囲まれていますよ。」
「そうなんですか。」
「ロードスの中世都市をそのまま残した街並みは、訪れた人をタイムスリップさせたかのような気分にさせてくれますよ。」
「はい。」
「空港付近のリゾート地とは違う佇まいで、大変面白いですよ。」
「そうなんだ。」
「おしゃれなカフェやタベルナ、お土産屋さんも立ち並んでいますよ。」
「はい。」
「タベルナと言えば、タベルナはロドス島の町の食堂(ギリシャ専門料理店)である。」
「中世の旧市街にうまく溶け込んでいるのが、大変興味深いですよ。」
「はい。」
「ロードスの中世都市の街並みは、ロドス騎士団と呼ばれる聖ヨハネ騎士団が作ったものですよ。」
「そうなんですか。」
「聖ヨハネ騎士団と言えば、聖ヨハネ騎士団は、11世紀に起源を持つ宗教騎士団である。テンプル騎士団、ドイツ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。本来は聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の保護を任務としたが、聖地防衛の主力として活躍した。ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)ともいい、本拠地を移すに従ってロードス騎士団、マルタ騎士団とも呼ばれるようになった。現在の正式名称は「ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」(イタリア語:Cavalieri dell'Ordine dell'Ospedale di San Giovanni di Gerusalemme)である。」
「ロドス騎士団は、エルサレムから移住してきた騎士団ですよ。」
「はい。」
「医療関係の発展のために、医療活動を開始したのが始まりとされていますよ。」
「はい。」
「その後、時代と共に騎士団は軍事的な宗教団体となりますよ。」
「そうなんですか。」
「数々の外部からの敵から身を守るため、また攻撃しやすいように、旧市街を城壁で覆ったと言われていますよ。」
「はい。」
「その騎士団の宮殿が旧市街地にあり、一番の見所でしょう。」
「そうなんだ。」
「宮殿と言っても砦のような使い方をしていたので、豪華ではなくどちらかといえば重厚感があり、地味な雰囲気がありますよ。」
「はい。」
「この宮殿にはラオコーン像があり、こちらは必見ですよ。」
「はい。」
「ラオコーン像と言えば、『ラオコーン像』は、バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている大理石製の古代ギリシア彫像である。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。」
「ギリシャの神、ゼウスが雷を持っている貴重な姿を見ることができますよ。」
「そうなんだ。」
「ゼウスと言えば、ゼウスは、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在である。全宇宙、天候(特に雷)、社会秩序を司る天空神でもあり、オリュンポス十二神をはじめとする神々の王である。ゼウスはローマ神話ではユーピテル(ジュピター)にあたる。オリュンポスの神々の家族および人類の両方の守護神・支配神であり、神々と人間たちの父と考えられた。」
「宮殿から城壁の上を歩くことができ、旧市街や海、空港付近のリゾート地が一望でき、とても景色のいい場所ですよ。」
「いいですね。」
「騎士団の名残とも言える場所、考古学博物館もありますよ。」
「はい。」
「ロードス考古学博物館と言えば、ロードス考古学博物館は、ロードス島で発掘された出土品を集めた博物館である。中世には十字軍の騎士たちの病院として用いられ、中庭には現在も石の砲弾が残されている。「ロードスのアフロディーテ」などの彫刻作品や、陶器、宝飾品など見どころが多い。」
「ここは、元々騎士団の病院でしたよ。」
「そうなんですか。」
「その後、博物館として一般公開されるようになりましたよ。」
「はい。」
「有名なギリシャ世界遺産の、ロドスのアフロディテの像を見ることができますよ。」
「はい。」
「有名なギリシャ世界遺産のロドスのアフロディテの像と言えば、ロードス考古学博物館は、有名なギリシャ世界遺産のロドスのアフロディテの像を見ることができますし、騎士団の記念品などを展示した元病室がそのまま見ることができる部屋もあります。」
「騎士団の記念品などを展示した元病室が、そのまま見ることができる部屋もありますよ。」
「そうなんだ。」
ギリシャの世界遺産とエーゲ海や神殿~サモス島のピタゴリオとヘーラー神殿・アイガイ(ヴェルギナ)の考古遺跡・オリンピアの考古遺跡・ケルキラ旧市街・ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院・デロス島・ミケーネとティリンスの古代遺跡群・神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区(ホーラ)~
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