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チュニジアの世界遺産と地中海文明~イシュケル国立公園・チュニス旧市街・カルタゴ遺跡・エル・ジェムの円形闘技場・ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡・スース旧市街・聖都ケルアン・ドゥッガ/トゥッガ~





チュニジア 世界遺産 地中海文明

チュニジアの世界遺産と地中海文明

「チュニジアと言えば、ジャズの名曲の「チュニジアの夜」でお馴染みの国ですね。」
「そうですね。」

「ジャズの名曲の「チュニジアの夜」と言えば、チュニジアといえば、ジャズの名曲の「チュニジアの夜」でおなじみの国である。「ブルース」から発展した「ジャズ」は、黒人ミュージシャンたちのジャムセッションを基礎として発展しました。」

「美しく咲き乱れるブーゲンビリアの花や、漫然と広がる地中海のロケーションでも有名なスポットですよ。」
「はい。」

「ブーゲンビリアの花と言えば、ブーゲンビリアは、オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木である。和名はイカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)である。原産地は、中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。ブーゲンビリアという名前は1768年にブラジルで木を見つけたフランス人の探検家ブーガンヴィルに由来する。花の色は赤から白まで変化に富み、ピンクやマゼンタ、紫、橙、黄のものもあるように見える。」

「チュニジアは、イスラム圏の中でも極めてオシャレな国と言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「世界一のスケールを展開するモザイクタイルを収蔵している「バルドー博物館」なども、非常に人気のあるスポットですよ。」
「はい。」

「バルドー博物館と言えば、バルドー博物館は、オスマン帝国時代にチュニジアを統治していた地方長官「ベイ」の宮殿で、1882年当時の名は「アラウィ博物館」であった。1956年フランスから独立して、現在の名前になった。世界有数のモザイク・タイル画を所蔵するコレクション博物館である。チュニジア国内の各地のモザイックを陳列している。彫刻や建材も展示されている。」

「日本からの旅行客がたくさんいるスポットではないかも知れませんね。」
「はい。」

「このような観光地や、まだまだ知られていない穴場スポットがたくさんある国ですよ。」
「そうなんだ。」

「ちょっとでも興味を持たれた方は、是非とも一度足を運んでみて欲しいと思います。」
「わかりました。」

「チュニジアには7カ所の文化遺産と1カ所の自然遺産を保有していますよ。」
「はい。」

「いずれも楽しく観光できる世界遺産となっていますよ。」
「はい。」

「チュニジアの文化に深く触れたい方は、是非訪問してください。」
「わかりました。」

「文化遺産としては、イスラムの雰囲気が色濃く漂う街「チュニス旧市街」、地中海の海が一望できる遺産「カルタゴ遺跡」、円形劇場があることからコロシアムとも称される「エル・ジェムの円形闘技場」が現存されていますよ。」
「そうなんですか。」

「エル・ジェムと言えば、エル・ジェムは、チュニジア、マーディア県の人口18,302人(2004年の国勢調査)の町である。 ここにはアフリカで最も印象的なローマ遺跡が眠る。この都市はチュニジアのほとんどすべてのローマ人居留地と同様にカルタゴ人の居留地の上に構築された。 エル・ジェムは、間違ってコロセウムと呼ばれることのある観客席35,000人の円形闘技場(アンフィテアトルム)で有名である。この闘技場より大きいものはローマのコロセウム (約45,000人)およびカプアの荒廃した闘技場だけである。」

「カルタゴ遺跡と言えば、カルタゴ遺跡は、1979年に登録された世界遺産(文化遺産)である。カルタゴは、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖東岸にあった古代都市国家である。現在は歴史的な遺跡のある観光地となっているほか、行政上はチュニス県カルタゴ市として首都圏の一部を成す。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「他にも、かつてローマの人々に根絶やしにされたカルタゴ人たちの世界遺産とされる「ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡」などが保存されていますよ。」
「はい。」

「ケルクアンの古代カルタゴの町と言えば、ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡は、1985年に登録、1986年に登録内容が変更された世界遺産(文化遺産)である。ケルクアンはチュニジア北東部、ボン岬にあったカルタゴの町。カルタゴはローマに敗れ都市が破壊されたため、現在残っているカルタゴ遺跡はローマが再建したものだが、ケルクアンはほとんど破壊を免れた貴重な遺跡(紀元前6~前3世紀)である。」

「カルタゴ人と言えば、カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。」

「サヘルの真珠とも称される「スース旧市街」、670年頃から建築が始められたケルアン県の首都「ケルアン」、国内最大規模のローマ遺跡「ドゥッガ・トゥッガ」がありますよ。」
「はい。」

「ケルアン県の首都「ケルアン」と言えば、ケルアンはチュニジアの都市で、首都チュニスの南160kmにある。2003年時点で、15万人が暮らす。ケルアンは670年頃に建設が始まり、名前は"キャンプ"、"キャラバン"、"休憩場所"を意味するアラビア語のkairuwan、ペルシア語でのKaravanに由来する。ケルアン県の県都である。ケルーアン、カイルーアン、カイルアン、カイラワーンとも表記される。」

「ケルアン県と言えば、ケルアン県は、チュニジアの県である。チュニジアの中央部に位置している。人口は546,209人(2004年)、面積は6,712km2。県都はケルアンである。」

「サヘル(西アフリカ)の真珠とも称されるスース(旧市街)と言えば、スースは、首都チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第3の都市で、ハマメット湾 に面し「サヘルの真珠」とも称されています。スースの旧市街は、国内ではチュニスに 次ぐ規模で、「旧市街メディナ」として世界遺産に登録されています。」

「チュニジアへ訪れれば、歴史に深く名を刻んだ世界遺産を観光することができますよ。」
「そうなんだ。」

「自然遺産としては、「イシュケル国立公園」が1カ所だけ保存されていますよ。」
「はい。」

「イシュケル国立公園と言えば、イシュケル国立公園は、1980年に登録された世界遺産(自然遺産)である。チュニジア北部にある自然公園で、イシュケル湖と周辺の湿地帯から構成される。ヨーロッパから飛来する渡り鳥たちの重要な越冬地、中継地でもある。多様な動物、湿原植物などの自然と生態系が残されていることが評価され、世界遺産に登録された。その後、湖の水源となる川にダムを建設したことで水の塩分が増加し、湖と湿地帯の生態系が影響を受けて渡り鳥が減少、1996年に危機遺産リストに登録された。これを受け、真水を増やす努力が続けられ、2006年に危機遺産から解除された。」

「この世界遺産には、毎年何十何万という数の渡り鳥が訪れますよ。」
「そうなんですか。」

「大自然の魅力に触れたい方の為の見所も、たっぷりありますよ。」
「そうなんだ。」

「複合遺産としての世界遺産は、一つも保存されていませんよ。」
「はい。」

「チュニジアにあるのは、このような小難しい名前の観光地ばかりではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「日本人が抱くイメージよりも、ずっと近代的になっていますよ。」
「はい。」

「最新のファッションに身を包む人々が、優雅に往来している街がありますよ。」
「そうなんだ。」

「「あまりにもワイルドな国はちょっと怖いかも…」という方にも、おススメです。」
「わかりました。」

「たとえば、チュニジアには、「ハマメット」というリゾート地がありますよ。」
「はい。」

「「ハマメット」というリゾート地と言えば、チュニジアの北東部、地中海に角のように突き出たのが、ボン岬のある半島です。その付根に近いところに、ハマメットとナブールの町があります。ハマメットは2世紀にローマの町として造られました。 フランス植民地時代にはリゾート地として開発された町です。 海沿いにいかにも地中海というカラーに彩ったレストランやショップの建物が並んでいます。」

「この都市は、肥沃な大地を抱えると同時に夜遊びができるスポットでもありますよ。」
「そうなんですか。」

「あらゆる著名人が訪れる観光地として、お馴染みですよ。」
「そうなんだ。」

「フランスを代表する名作「ひまわり」の主演としてお馴染みの大女優、ソフィア・ローレンの別荘があることでも知られているスポットですよ。」
「はい。」

「フランスを代表する名作「ひまわり」の主演としてお馴染みの大女優、ソフィア・ローレンと言えば、ソフィア・ローレン(1934年9月20日 - )はイタリアを代表する女優である。本名はソフィア・ヴィラーニ・シコローネ。アレッサンドラ・ムッソリーニは彼女の妹アンナ・マリアの娘である。本来はローレンよりもロレーンに近い発音である。」

「フランスを代表する名作「ひまわり」と言えば、『ひまわり』は、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した反戦映画である。日本での公開は1970年9月。監督はネオレアリズモ(イタリアンリアリズム)の一翼を担ったヴィットリオ・デ・シーカ。音楽を「ティファニーで朝食を」や「ピンクパンサー」などで知られるヘンリー・マンシーニが担当し、公開当時には主題曲も日本でヒットした。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、劇中幾度か登場する、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻。」

「ハリウッドスターも訪れるリゾート地ですよ。」
「そうなんだ。」

「興味のある方は、是非ハマメットへ足を運んでください。」
「わかりました。」

「この地を訪れてディスコなどで夜遊びすれば、「チュニジアの夜」の世界観を体で感じることができますよ。」
「はい。」

「ジャズファンにも、イチオシの観光地ですよ。」
「はい。」

「楽曲の舞台巡りをしている方も、是非足を踏み入れてみましょう。」
「わかりました。」

「あまり知られていませんが、「サハラ砂漠」はチュニジアの南部に位置していますよ。」
「はい。」

「サハラ砂漠と言えば、サハラ砂漠は、アフリカ大陸北部にある世界最大の砂漠である。東西5,600km、南北1,700kmに渡り面積は約1,000万km2であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。」

「ラクダに乗ったり、その場で夜を過ごしたりというアウトドアな体験ができるようになっていますよ。」
「はい。」

「砂漠に興味のある方は、サハラ砂漠で色々な体験をしてください。」
「わかりました。」

「基本的には、ラクダはこちらから危害を加えない限り大人しくしている生き物ですよ。」
「はい。」

「一度体験すると、かなり良い思い出になる筈ですよ。」
「そうなんだ。」

「何か特別な人生経験がしたいと思っている方にも、おススメです。」
「わかりました。」

「いずれの場所も世界遺産とセットで観光するのがおススメですよ。」
「はい。」

「中には、周辺の治安が良くないエリアもありますよ。」
「そうなんだ。」

「女性のみで観光する場合や、お子さんを連れて観光される場合は、くれぐれも注意するようにしてください。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~イシュケル国立公園~

「チュニジアには、数多くの世界遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」

「中でも、最も動植物が繁栄しているのが「イシュケル国立公園」ですよ。」
「はい。」

「イシュケル国立公園と言えば、イシュケル国立公園は、1980年に登録された世界遺産(自然遺産)である。チュニジア北部にある自然公園で、イシュケル湖と周辺の湿地帯から構成される。ヨーロッパから飛来する渡り鳥たちの重要な越冬地、中継地でもある。多様な動物、湿原植物などの自然と生態系が残されていることが評価され、世界遺産に登録された。その後、湖の水源となる川にダムを建設したことで水の塩分が増加し、湖と湿地帯の生態系が影響を受けて渡り鳥が減少、1996年に危機遺産リストに登録された。これを受け、真水を増やす努力が続けられ、2006年に危機遺産から解除された。」

「イシュケル国立公園は、1980年にユネスコの世界遺産に指定されている国立公園ですよ。」
「そうなんだ。」

「あひるやガチョウ、コウノトリなどの野鳥が観察できるポイントが、観光客に人気を呼んでいますよ。」
「はい。」

「越冬地(鳥たちが冬を越える為に必要とするかなり重要な場所)として有名な世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「冬期になるとたくさんの鳥が訪れると同時に、数え切れないほどの観光客が訪れることでもお馴染みですよ。」
「はい。」

「イシュケル国立公園は、大規模なダム建設の影響から1996年に「危機遺産リスト(いつ世界遺産の登録を抹消されてもおかしくない一覧)」に登録されてしまいましたよ。」
「そうなんですか。」

「2006年には、かつての姿を取り戻し、危機遺産リストからも外れましたよ。」
「そうなんだ。」

「かつてのような美しい絶景を楽しめるようになっていますよ。」
「はい。」

「さらにこの世界遺産は、アフリカ北部に広がる湿地帯で、多様な鳥類を観察できるポイント以外の魅力もたっぷりですよ。」
「はい。」

「たとえば、チュニジア北部エリアに位置し、地中海の海岸に接近した場所にあるイシュケル国立公園は、アフリカではきわめて珍しい大規模な湿地帯ですよ。」
「そうなんだ。」

「実は、この湿地帯は古くからその土地の王が守り続けてきた場所でもありますよ。」
「はい。」

「1705年から1955年までの250年間、この土地はきわめて重要な領地として扱われてきたエリアでもありますよ。」
「そうなんだ。」

「歴史に想いをはせながら歩けば、また違った楽しみ方をすることができますよ。」
「はい。」

「なお、この世界遺産は渡り鳥の越冬地としても知られる世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「主にヨーロッパの鳥たちが訪れるのは、中心部の「イシュケル湖」ですよ。」
「はい。」

「イシュケル湖と言えば、イシュケル湖は、チュニジア北部の地中海の海岸の近くの湖である。 イシュケル国立公園の湖と湿地は、毎年何十万もの渡り鳥が訪れる重要な中継地である。 この湖には、あひる、ガチョウ、コウノトリ、フラミンゴなどが訪れる。 公園は1980年以来、ユネスコの世界遺産リストに載っている。」

「渡り鳥の生態を観察したい方は、とりあえずイシュケル湖へ行ってみましょう。」
「わかりました。」

「なお、この世界遺産は危機遺産から回復した世界遺産ですよ。」
「はい。」

「しかし、まだまだ危険が残っているエリアでもありますよ。」
「そうなんだ。」

「ダム建設の際には、鳥たちの貴重な食料源が失われ、それによって減少してしまった個体まで現れる始末ですよ。」
「はい。」

「外見的には、きわめて美しい世界遺産ですよ。」
「はい。」

「その裏側には、チュニジアの人々があらゆる工夫をほどこしながら行った血と汗のにじむような努力がありますよ。」
「そうなんですか。」

「そのような裏側もあるなど、人間の生活と自然保護の両端を改めて考えることのできる世界遺産ですよ。」
「はい。」

「真剣に大自然と向き合いたい方は、是非この世界遺産を訪れてみましょう。」
「わかりました。」

「もちろん、家族連れで訪れても楽しめる筈ですよ。」
「はい。」

「小学生のお子さんをお連れの方も、体験学習のような感覚で観光してください。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~チュニス旧市街~

「世界遺産『チュニス旧市街』は、チュニジア共和国の首都であり、新都市と旧市街で全く違う顔を持つ大都市ですよ。」
「そうなんですか。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「新都市は、19世紀後半・フランス領時代に建設された建物が立ち並ぶコロニアルな街並みが特徴ですよ。」
「はい。」

「チュニジアの政治・経済・観光とほとんどを担っている大都市ですよ。」
「はい。」

「北アフリカの中でも、代表的な都市のひとつですよ。」
「そうなんだ。」

「新都市とは対照的に、1979年に世界遺産に登録された『チュニス旧市街』(メディナ)は、7世紀頃に推し進められていたアラブ・イスラム様式都市計画で建てられた中庭付きの建造物や市場が現代にも残る、歴史を感じさせる街並みですよ。」
「はい。」

「7世紀頃に推し進められていたアラブ・イスラム様式都市計画と言えば、1979年に世界遺産に登録された『チュニス旧市街』(メディナ)は 、7世紀頃に推し進められていたアラブ・イスラム様式都市計画で建てられた中庭付きの建造物や市場が現代にも残る、歴史を感じさせる街並みです。」

「チュニス旧市街』(メディナ)と言えば、【チュニス旧市街】は、1979年年に登録された世界遺産(文化遺産)で、チュニジア北部に位置する。チュニスは同国の首都で、中世から首都機能を果たしてきた伝統ある大都市。7世紀頃からアラブ人によって都市が建設され、その町並みが現在のチュニス旧市街(メディナ)となっている。地域の歴史は古く、元はカルタゴの近郊にあるフェニキア人の町だったが、ローマ帝国との戦いで壊滅し、しばらく帝国の統治下にあった。その後、ローマ帝国の分裂で東ローマ帝国の支配下に入るものの、ハッサン率いるイスラム軍がカルタゴを奪い、チュニスはアラブ人によって開発されることになった。」

「『チュニス旧市街』は、新都市とフランス門と呼ばれる門で仕切られていますよ。」
「そうなんですか。」

「フランス門と言えば、チュニジアのチュニスの大通りのシンボル、フランス門を境に 、新市街と旧市街とに分かれます。旧市街は世界遺産に指定された昔ながらのイスラムの世界、新市街はフランス統治時代の影響が色濃く残る現代都市です。」

「城壁で囲まれた街並みも、特徴の一つになっていますよ。」
「はい。」

「7世紀から建造された旧市街は、13世紀頃には多くの巡礼者や商人が集まり、イスラム都市として大変栄えていましたよ。」
「はい。」

「残されている街並みの中でも、グランモスクと呼ばれる698年に建造されたモスクは、旧市街でも代表的なもので、現在でもランドマークになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「グランモスクと言えば、周囲を高さ8メートルの城壁で囲まれているメディナは見所が多く、南北約700m、 東西約450m程の壮大な規模を誇り、その中には9世紀アグラブ朝時代に建てられた グラン・モスク、メディナ最古の建造物で元々は要塞であったリバトなどがあります。」

「チュニジア国内でも2番目に古いモスクで、広さは5000㎡におよびますよ。」
「はい。」

「外観は、飾り気のないシンプルな造りですよ。」
「はい。」

「中央ホールの大部分の柱が、同じく世界遺産に指定されている『カルタゴ遺跡』より運ばれたものを使用していますよ。」
「そうなんだ。」

「カルタゴ遺跡と言えば、カルタゴ遺跡は、1979年に登録された世界遺産(文化遺産)である。カルタゴは、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖東岸にあった古代都市国家である。現在は歴史的な遺跡のある観光地となっているほか、行政上はチュニス県カルタゴ市として首都圏の一部を成す。」

「今日でも、グランモスクのミナレット(塔)から礼拝時刻を知らせるアザーン(礼拝への呼びかけ)が早朝から日没まで毎日5回、チュニス旧市街に鳴り響いていますよ。」
「はい。」

「ミナレット(塔)と言えば、ミナレットは、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔である。」

「今でも、宗教が生活の基盤になっている事を感じる事が出来ますよ。」
「はい。」

「チュニス郊外にも、チュニスで最も人気の観光スポットバルドー博物館がありますよ。」
「そうなんだ。」

「バルドー博物館と言えば、バルドー博物館は、オスマン帝国時代にチュニジアを統治していた地方長官「ベイ」の宮殿で、1882年当時の名は「アラウィ博物館」であった。1956年フランスから独立して、現在の名前になった。世界有数のモザイク・タイル画を所蔵するコレクション博物館である。チュニジア国内の各地のモザイックを陳列している。彫刻や建材も展示されている。」

「この博物館の建物は、オスマン帝国時代に建造された邸宅ですよ。」
「そうなんですか。」

「オスマン帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。」

「当時のチュニジアを統治していた長官のものでしたよ。」
「はい。」

「バルドー博物館では、主にモザイク画などモザイクコレクションを展示していますよ。」
「はい。」

「モザイク画と言えば、モザイクは、小片を寄せあわせ埋め込んで、絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法である。石、陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施される。この装飾方法は古くから世界的に見られ、宗教画や幾何学模様など様々なものが描かれており、歴史上、カテドラルの内部空間やモスクの外壁などの装飾手法として特に有名である。」

「その貯蔵数は、世界一とも言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「『チュニス旧市街』は、都市としてはかなり早い時期に世界遺産に登録されたほど、歴史的にも文化的にも重要な都市ですよ。」
「はい。」

「現代も、ほとんど当時のまま残されていますよ。」
「はい。」

「訪れる人をタイムスリップさせてくれますよ。」
「そうなんですか。」

「多くの観光客が、日々訪れる町となっていますよ。」
「はい。」

「お隣モロッコにも、旧市街がありますよ。」
「はい。」

「モロッコと言えば、モロッコ王国、通称モロッコは、北アフリカ北西部のマグリブに位置する立憲君主制国家である。東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と、北にスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面している。首都はラバト。」

「フェズと呼ばれており、世界一複雑で巨大な迷路のような街並みですよ。」
「そうなんですか。」

「モロッコの旧市街フェズと言えば、フェズはアフリカ北西端、モロッコ王国北部の内陸都市である。かつてマリーン朝などイスラム王朝が首都とした。13世紀から14世紀に発展、多数のモスク、マドラサ、大学などがある。2004年の人口は、94万6815人。フェスもしくはアラビア語ではファースと表現し、またアラビア語の長音を無視することが多いためファスとも呼ぶ。」

「チュニス旧市街を訪れた際には、是非ついでに足を運んでおきたい場所ですよ。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~カルタゴ遺跡~

「チュニス湖は、チュニジアの首都・チュニス郊外にありますよ。」
「はい。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「このチュニス湖の東岸に、かつて紀元前に造られ、長い歴史の中で重要拠点として栄えましたよ。」
「はい。」

「後に戦争に巻き込まれ、衰退した遺跡が残っていますよ。」
「そうなんですか。」

「それが、1979年に世界遺産に登録された『カルタゴ遺跡』ですよ。」
「そうなんだ。」

「カルタゴ遺跡と言えば、カルタゴ遺跡は、1979年に登録された世界遺産(文化遺産)である。カルタゴは、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖東岸にあった古代都市国家である。現在は歴史的な遺跡のある観光地となっているほか、行政上はチュニス県カルタゴ市として首都圏の一部を成す。」

「この『カルタゴ遺跡』は、今は建造物の形をほとんど成しておらず、遺跡のみが残っていますよ。」
「はい。」

「それでも、多くの観光客が訪れるチュニジアの観光スポットのひとつとして、歴史価値を残していますよ。」
「はい。」

「『カルタゴ遺跡』の始まりは、はっきりとは未だわかっていませんよ。」
「そうなんですか。」

「およそ、紀元前9世紀頃と言われていますよ。」
「はい。」

「1987年にチュニジア政府がカルタゴ建国2800年祭を開催していますよ。」
「はい。」

「カルタゴ建国2800年祭と言えば、チュニジア政府は1987年に「カルタゴ建国2800年祭」を行っており、「紀元前814年」が一般的にカルタゴ 建国年と見做されている。」

「そのため、一般的には紀元前814年が建国年とされているようですよ。」
「そうなんだ。」

「建国したのは、フェニキア人という海洋民族ですよ。」
「はい。」

「フェニキア人という海洋民族と言えば、フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名である。およそ現在のレバノンの領域にあたる。フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。」

「アルファベットの原型を考えたとされる民族で有名ですよ。」
「はい。」

「彼らがカルタゴを建国し、メルカルという守護神を崇めていたという、この2つだけが確実なものとされていますよ。」
「そうなんですか。」

「メルカルという守護神と言えば、カルタゴは、1987年にチュニジア政府がカルタゴ建国2800年祭を開催していることから、一般的には紀元前814年が建国年とされているようです。建国したのはフェニキア人という海洋民族。アルファベットの原型を考えたとされる民族で有名です。彼らがカルタゴを建国し、メルカルという守護神を崇めていたというこの2つだけが確実なものとされています。」

「その後、紀元前6世紀頃には交易で栄え、領土も北アフリカ沿岸沿いからスペインのイベリア半島の半分までに拡大し、西地中海の中心的都市となっていきましたよ。」
「はい。」

「特に、イベリア半島では、金・銀・銅が豊富に発掘され、膨大な富を得ることとなりましたよ。」
「はい。」

「当然のことながら、ローマやギリシャなどと地中海の覇権争いに巻き込まれていきますよ。」
「そうなんだ。」

「そして、とうとう紀元前146年、ポエン戦争によりローマに一度焼き滅ぼされましたよ。」
「はい。」

「紀元前146年のポエン戦争と言えば、カルタゴは、紀元前6世紀頃には交易で栄え、領土も北アフリカ沿岸沿いからスペインのイベリア半島の半分までに拡大し、西地中海の中心的都市となっていきました。そのため、ローマやギリシャなどと地中海の覇権争いに巻き込まれていきます。そして、紀元前146年、ポエン戦争によりローマに一度焼き滅ぼされました。」

「その上、塩を町中に巻かれ草木が生えないようにされてしまいましたよ。」
「はい。」

「ローマ帝国領となった後も、争いを繰り返しましたよ。」
「そうなんだ。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロ-ドの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「遂に、7世紀後半にカルタゴ遺跡は没落しましたよ。」
「そうなんですか。」

「670年から683年にかけて、当時東ローマ帝国であったカルタゴは、アラブ人の再三にわたる侵攻・攻撃を受けましたよ。」
「はい。」

「東ローマ帝国と言えば、東ローマ帝国またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。」

「現在残る『カルタゴ遺跡』は、一度ポエン戦争で滅ぼされた跡地にローマ帝国が再現したものですよ。」
「そうなんだ。」

「紀元前146年のポエン戦争と言えば、カルタゴは、紀元前6世紀頃には交易で栄え、領土も北アフリカ沿岸沿いからスペインのイベリア半島の半分までに拡大し、西地中海の中心的都市となっていきました。そのため、ローマやギリシャなどと地中海の覇権争いに巻き込まれていきます。そして、紀元前146年、ポエン戦争によりローマに一度焼き滅ぼされました。」

「『カルタゴ遺跡』の観光ポイントとして、一つ目は「アントニヌスの公共浴場」ですね。」
「はい。」

「アントニヌスの公共浴場と言えば、アントニヌスの共同浴場は、2世紀にローマの五賢帝のひとり、アントニヌス・ピウスに¬より建設されました。」

「この浴場は、古代ローマの公共浴場の中で三番目に大きい規模ですよ。」
「そうなんですか。」

「「円形劇場(ローマ劇場)」では、今でも夏になるとオペラが開催されるので楽しめるスポットですよ。」
「はい。」

「その他にも、巨大貯水池なども残されていますよ。」
「はい。」

「世界遺産『カルタゴ遺跡』には、長い歴史の争いを見る事が出来ますよ。」
「そうなんだ。」

「目の前には、キレイな地中海が広がる不思議な空間でもありますよ。」
「はい。」

「チュニジアに訪れる際には、是非一度足を運びたい場所ですよ。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~エル・ジェムの円形闘技場~

「「エル・ジェム」とは、チュニジア共和国・マーディアにある町の名前ですよ。」
「はい。」

「チュニジア共和国・マーディアと言えば、マーディア(al-Mahdiya, Mahdia)は、チュニジア東部のマーディア県の首都である。古代フェニキア時代から続く都市で、当初はルスパエ (Ruspae)、のちにはヘンキル・スビア (Henchir Sbia) またはスビア (Sbia)、6世紀にはルスピナ (Ruspina) と呼ばれた。」

「エル・ジェムと言えば、エル・ジェムは、チュニジア、マーディア県の人口18,302人(2004年の国勢調査)の町である。 ここにはアフリカで最も印象的なローマ遺跡が眠る。この都市はチュニジアのほとんどすべてのローマ人居留地と同様にカルタゴ人の居留地の上に構築された。 エル・ジェムは、間違ってコロセウムと呼ばれることのある観客席35,000人の円形闘技場(アンフィテアトルム)で有名である。この闘技場より大きいものはローマのコロセウム (約45,000人)およびカプアの荒廃した闘技場だけである。」

「このエル・ジェムには、1979年に世界遺産に登録された『エル・ジェムの円形闘技場』の遺跡が残されていますよ。」
「はい。」

「世界遺産『エル・ジェムの円形闘技場』は、3世紀頃にローマのコロッセオに匹敵する規模のものを造ることで、当時ローマ帝国の属州でありながらも権力を誇示する為に造られたと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「ローマのコロッセオと言えば、コロッセウムは、ローマ帝政期に造られた円形闘技場である。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。現在ではローマを代表する観光地である。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロ-ドの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「その規模は巨大で、周囲は400mありますよ。」
「大きいですね。」

「アリーナ(中央)の舞台の直径は65mもあり、観客動員数は3万5千人も入場できますよ。」
「はい。」

「この大きさは、ローマ・コロッセオ、イタリア・ヴェローナのものに次ぐ世界で三番目に大きな巨大円形闘技場(アンフィテアトルム)ですよ。」
「そうなんだ。」

「アンフィテアトルム(巨大円形闘技場)と言えば、「エル・ジェム」とは、チュニジア共和国・マーディアにある町の名前です。このエル・ジェムには、1979年に世界遺産に登録された『エル・ジェムの円形闘技場』の遺跡が残されています。その規模は巨大で、周囲は400m、アリーナ(中央)の舞台の直径は65mもあり、観客動員数は3万5千人も入場できます。この大きさは、ローマ・コロッセオ、イタリア・ヴェローナのものに次ぐ世界で三番目に大きな巨大円形闘技場(アンフィテアトルム)です。」

「チュニジア国内では、合計25か所に円形闘技場が造られましたよ。」
「そんなにあるんですか。」

「国内で一番規模が大きいという点からも、エル・ジェムの権力の大きさがわかりますね。」
「はい。」

「今では、エル・ジェムの周辺は砂漠化してしまいましたよ。」
「はい。」

「この『エル・ジェムの円形闘技場』が造られた頃には、周辺はオリーブの木が生い茂っていたと言いますよ。」
「そうなんだ。」

「この地帯では、オリーブオイルの生産が盛んで、オリーブオイルの売買によりエル・ジェムの富は豊かであったと言いますよ。」
「はい。」

「ローマの穀倉地帯と言われていた北アフリカの中でも、特に潤っていた程だと言われていましたよ。」
「はい。」

「この収益で巨大な円形闘技場が造られましたよ。」
「そうなんだ。」

「『エル・ジェムの円形闘技場』の特徴は、地下通路が最初の設計の時点で考えられ造られているところですよ。」
「はい。」

「この地下通路には、剣闘士や猛獣、死刑囚や奴隷が入る部屋がそれぞれ設けられており、出番までこの部屋で待っていましたよ。」
「はい。」

「そして、剣闘士・奴隷・囚人・猛獣たちをそれぞれ戦わせたり、戦車レースなどを行っていたと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「地下から猛獣たちが飛び出す様子は迫力があり、観客たちを沸かせていた仕掛けだったようですよ。」
「はい。」

「現在の『エル・ジェムの円形闘技場』は、約三分の一が破壊されていますよ。」
「はい。」

「しかし、保存状態はかなり優れていますよ。」
「そうなんですか。」

「欠けた部分は戦闘の他に、17世紀頃から円形闘技場の石材をケルアンのグランモスク建造に使った為とも言われていますよ。」
「はい。」

「グランモスクと言えば、周囲を高さ8メートルの城壁で囲まれているメディナは見所が多く、南北約700m、 東西約450m程の壮大な規模を誇り、その中には9世紀アグラブ朝時代に建てられた グラン・モスク、メディナ最古の建造物で元々は要塞であったリバトなどがあります。」

「ケルアン県の首都「ケルアン」と言えば、ケルアンはチュニジアの都市で、首都チュニスの南160kmにある。2003年時点で、15万人が暮らす。ケルアンは670年頃に建設が始まり、名前は"キャンプ"、"キャラバン"、"休憩場所"を意味するアラビア語のkairuwan、ペルシア語でのKaravanに由来する。ケルアン県の県都である。ケルーアン、カイルーアン、カイルアン、カイラワーンとも表記される。」

「世界遺産『エル・ジェムの円形闘技場』は、昔の娯楽施設かつ恐怖の場所でもありますよ。」
「はい。」

「しかし、この設計・構造などは評価に値するものですよ。」
「そうなんですか。」

「建造物として、とても貴重なものですよ。」
「はい。」

「アフリカにありながら、今もなお色濃くローマの文化を受け継いでいる場所と言えますよ。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡~

「チュニジア共和国の北東にあるボン岬の近郊に、1985年に世界遺産に登録された『ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡』がありますよ。」
「はい。」

「チュニジア共和国の北東にあるボン岬と言えば、チュニジア共和国の北東にあるボン岬。この岬の近郊に、1985年に世界遺産に登録された『ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡』があります。」

「ケルクアンの古代カルタゴの町と言えば、ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡は、1985年に登録、1986年に登録内容が変更された世界遺産(文化遺産)である。ケルクアンはチュニジア北東部、ボン岬にあったカルタゴの町。カルタゴはローマに敗れ都市が破壊されたため、現在残っているカルタゴ遺跡はローマが再建したものだが、ケルクアンはほとんど破壊を免れた貴重な遺跡(紀元前6~前3世紀)である。」

「『ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡』は、紀元前3世紀~4世紀頃に、海洋民族であったフェキニア人が造ったカルタゴの町として、当時の建造物がほとんど破壊されずに残っている唯一の遺跡ですよ。」
「そうなんですか。」

「チュニスにあるカルタゴ遺跡は、ローマ人が同じ場所に再建した町の遺跡ですよ。」
「はい。」

「カルタゴ遺跡と言えば、カルタゴ遺跡は、1979年に登録された世界遺産(文化遺産)である。カルタゴは、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖東岸にあった古代都市国家である。現在は歴史的な遺跡のある観光地となっているほか、行政上はチュニス県カルタゴ市として首都圏の一部を成す。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「フェニキア人が造ったオリジナルな町としては、ケルクアンのものしか残っていませんよ。」
「はい。」

「フェニキア人という海洋民族と言えば、フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名である。およそ現在のレバノンの領域にあたる。フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。」

「ケルクアンと言えば、ケルクアンは、北東チュニジアのボン岬の近くにあったカルタゴの都市である。このフェニキア人(カルタゴ人)の都市は、第一次ポエニ戦争(紀元前264年 -紀元前241年)の間に放棄されたと見られており、ローマ人によって再建されなかった。この街は、ほぼ400年間存在した。一部分が破壊されるにとどまったことで、あまり一般には知られていないものの、ケルクアンは古代カルタゴの最良の遺跡になった。」

「ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡が発見されるまでは、カルタゴ時代のものは何一つ残されていないと考えられていましたよ。」
「そうなんですか。」

「1952年にこの遺跡が発見され、世界中を驚かさせたほどですよ。」
「そうなんだ。」

「『ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡』は、ローマ帝国との地中海の覇権争いであるポエン戦争の際、早い段階で放棄された為に全壊を免れたと考えられていますよ。」
「はい。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロ-ドの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「紀元前146年のポエン戦争と言えば、カルタゴは、紀元前6世紀頃には交易で栄え、領土も北アフリカ沿岸沿いからスペインのイベリア半島の半分までに拡大し、西地中海の中心的都市となっていきました。そのため、ローマやギリシャなどと地中海の覇権争いに巻き込まれていきます。そして、紀元前146年、ポエン戦争によりローマに一度焼き滅ぼされました。」

「捨てられた町だった為に、チュニスの遺跡のように再建もなされませんでしたよ。」
「はい。」
「そのため、『ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡』は、当時のほぼ完全な状態で発見されましたよ。」
「そうなんですか。」

「そのため、多くのカルタゴ時代の生活を知らせる重要な遺跡となりましたよ。」
「はい。」

「ほとんど家の壁が残されていた為に、町全体の配列を正確に知る事が出来ましたよ。」
「はい。」

「都市全体が計画されて、緻密に構成されている事がわかりましたよ。」
「そうなんだ。」

「特に驚くべき点は、下水施設が造られている事でしたよ。」
「そうなんですか。」

「ひとつひとつの家からきちんと流れだせるように、溝が造られていましたよ。」
「はい。」

「住居内からは、流し台や浴室、浴槽があることがわかりましたよ。」
「はい。」

「特に、浴槽は共同風呂ではなく、各家に一個ずつ造られていましたよ。」
「そうなんだ。」

「そして、必ず赤いコンクリートで造られており、床にはモザイクが施されているのも特徴の一つと言えますよ。」
「はい。」

「ケルクアンの周辺の岩山では、当時の墓地群も発見されていますよ。」
「はい。」

「そしてもう一つ、観光スポットとなっているのが神殿の跡地ですよ。」
「そうなんだ。」

「正確には、神殿だったという確証はありませんよ。」
「そうなんですか。」

「大きな柱が列をなして置かれていますよ。」
「はい。」

「その中庭にはモザイクが施されているのが発見されていることから、神殿という説が有力となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産・チュニジアの『ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡』は、奇跡的に紀元前のカルタゴ時代の建造物が残されている大変貴重な遺跡ですよ。」
「そうなんですか。」

「そして今でも謎が多く、今日も発掘が進められている場所でもありますよ。」
「はい。」

「今後、より興味深い発見があるかも知れない、目の離せない世界遺産のひとつですよ。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~スース旧市街~

「チュニジア共和国の中部、首都・チュニスから南に約140km離れたスースの都市に、世界遺産『スース旧市街』がありますよ。」
「はい。」

「サヘル(西アフリカ)の真珠とも称されるスース(旧市街)と言えば、スースは、首都チュニスの南約140kmに位置するチュニジア第3の都市で、ハマメット湾 に面し「サヘルの真珠」とも称されています。スースの旧市街は、国内ではチュニスに 次ぐ規模で、「旧市街メディナ」として世界遺産に登録されています。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「スースは、チュニジア国内でも3番目に大きい大都市ですよ。」
「はい。」

「地中海に面した美しいビーチリゾート地として有名ですよ。」
「そうなんだ。」

「その為、サヘル(西アフリカ)の真珠とも呼ばれていますよ。」
「そうなんですか。」

「この街には、紀元前9世紀頃にフェニキア人によって街が造られましたよ。」
「はい。」

「フェニキア人という海洋民族と言えば、フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名である。およそ現在のレバノンの領域にあたる。フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。」

「『スースの旧市街』は、古代ローマ帝国と同盟を組んでいたことにより、カルタゴが崩壊したポエニ戦争でも破壊を免れましたよ。」
「はい。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロ-ドの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「当時のイスラム勢力が北アフリカへ進出してきた頃の街並みを、ほとんど完璧なまま残している、とても貴重な文化遺産となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、その後7世紀頃に、チュニジアはアラブ人のイスラム教徒により征服されますよ。」
「はい。」

「彼らはスースを重要拠点の一つと考え、この街を主要基地として防衛都市に造り変えていきましたよ。」
「はい。」

「スースという名も、スーサと一時改められますよ。」
「そうなんだ。」

「防衛都市となった後は、街全体を堅牢な城壁で囲み、入口にあるモスクも城壁で囲まれ、とても印象深いですよ。」
「はい。」

「『スースの旧市街』の防塞機能として、他にも特徴のある建物がありますよ。」
「そうなんですか。」

「そのひとつが、リバトの塔ですよ。」
「はい。」

「リバトの塔と言えば、リバトと呼ばれる塔は、8世紀に建てられたもので、要塞と礼拝のふたつの機能を持ち合わせている建造物で、『スースの旧市街』の中でも一番古い建物です。」

「このリバトは、要塞と礼拝のふたつの機能を持ち合わせている建造物ですよ。」
「はい。」

「『スースの旧市街』の中でも、一番古い建物ですよ。」
「そうなんだ。」

「このリバトには二階もあり、イスラム教徒たちの住まいだった所ですよ。」
「はい。」

「今でも、弓矢や銃を構えるために小さな窓が備えられていますよ。」
「はい。」

「彼らの警戒心や緊張感が、今でも伝わってくるようですよ。」
「そうなんだ。」

「その上、塔は地上38mの高さを誇っていますよ。」
「高いですね。」

「このリバトの塔からスースの街全体も港も見渡すことが出来、敵襲に備えていましたよ。」
「はい。」

「もうひとつ、『スースの旧市街』が、完全に残される為の重要な建物がありますよ。」
「はい。」

「それはカスバと呼ばれる、今では灯台となっているものですよ。」
「そうなんだ。」

「カスバと呼ばれる、今では灯台となっているものと言えば、『スースの旧市街』が完全に残される為の重要な建物があります。それはカスバと呼ばれる、今では灯台となっているものです。旧市街でも高地に建てられており、昼はのろしを焚いたり、夜は松明を灯したりするなどして北アフリカ一帯と連絡を取り合っていました。そのお陰もあり、スースは難攻不落の街となっていったのです。」

「旧市街でも高地に建てられており、昼はのろしを焚いたり、夜は松明を灯したりするなどして、北アフリカ一帯と連絡を取り合っていましたよ。」
「はい。」

「そのお陰もあり、スースは難攻不落の街となっていきましたよ。」
「そうなんだ。」

「自分たちを堅く守っていたことが、街全体からとてもよく伝わってきますよ。」
「はい。」

「世界遺産『スースの旧市街』は、ふたつの顔を持ち、魅力あふれる都市のひとつですよ。」
「そうなんですか。」

「新都市は、リゾート地として特に欧米の人々がよく訪れる街ですよ。」
「はい。」

「片や旧市街は、古代イスラム文化を残すエキゾチックな街並みが広がっていますよ。」
「はい。」

「このふたつが、同じ場所に存在しますよ。」
「そうなんですか。」

「今も多くの観光客が訪れる場所となっていますよ。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~聖都ケルアン~

「チュニジア共和国内陸部、首都・チュニスから南に約160kmの所に、世界遺産『ケルアン』の古都がありますよ。」
「はい。」

「ケルアン県の首都「ケルアン」と言えば、ケルアンはチュニジアの都市で、首都チュニスの南160kmにある。2003年時点で、15万人が暮らす。ケルアンは670年頃に建設が始まり、名前は"キャンプ"、"キャラバン"、"休憩場所"を意味するアラビア語のkairuwan、ペルシア語でのKaravanに由来する。ケルアン県の県都である。ケルーアン、カイルーアン、カイルアン、カイラワーンとも表記される。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「この街は、7世紀にアラブ軍が北アフリカへ侵攻する際に拠点とした都市ですよ。」
「はい。」

「北アフリカ最初のイスラム都市ですよ。」
「そうなんですか。」

「『ケルアン』は、中東ダマスカスから遠征してきた将軍・ウクバ・イブン・ナフィが、ビザンツ軍を打ち破って築かれましたよ。」
「はい。」

「ビザンツ軍と言えば、首都チュニス南方にあるカイラワーンは、7世紀にアラブ人が建設した古都だ。中東のダマスカスから遠征した将軍ウクバがビザンツ軍を破り、宿営地としたことから始まる。」

「将軍ウクバ・イブン・ナフィと言えば、『ケルアン』の街は、7世紀にアラブ軍が北アフリカへ侵攻する際に拠点とした都市で、北アフリカ最初のイスラム都市です。『ケルアン』は、中東ダマスカスから遠征してきた将軍・ウクバ ・イブン・ナフィがビザンツ軍を打ち破って築かれました。」

「中東ダマスカスと言えば、ダマスカスはシリアの首都で人口約 170万人を擁する。古代からシリア地方の中心都市で、3000年前の紀元前10世紀には既にアラム人の王国の首都だった。このうち旧市街は、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐためにアラブ人が建築したものである。」

「建設された当時には、豪華な庭園やオリーブ園なども造られたと言われていますよ。」
「はい。」

「イスラム都市としても、大変重要な地位にありますよ。」
「そうなんですか。」

「ここは、イスラム教のメッカ・メディナ・エルサレムに次ぐ第四番目の聖地にもなっており、多くの巡礼者が訪れる巡礼地ですよ。」
「はい。」

「なぜ、この『ケルアン』が聖地なのか。」
「教えてください。」

「それは、シディ・サハブ・モスクという霊廟がある為ですよ。」
「そうなんですか。」

「シディ・サハブ・モスクという霊廟と言えば、チュニジア共和国内陸部、首都・チュニスからは南に約160kmの所に、世界遺産『ケルアン』の古都があります。なぜこの『ケルアン』が聖地なのか。それはシディ・サハブ・モスクという霊廟がある為です。聖なる友人という意味を持つこのモスク。ここには、イスラム教の開祖であるムハンマドの専属理容師であったアブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っています。彼は、常にムハンマドの顎鬚を肌身離さず持っていたと言われ、その顎髭と一緒に埋葬されているという伝説もあり、イスラム教徒にとっては二重に重要なモスクというわけです。7世紀頃に建造されたこのモスクの造りは、外観は古代イスラム文化らしく質素な造りになっています。しかし内部の床には美しいアラベスク模様のタイルが敷き詰められており、天井にも細かい透かし彫りや浮き彫りが施されています。」

「聖なる友人という意味を持つこのモスクには、イスラム教の開祖であるムハンマドの専属理容師であったアブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っていますよ。」
「はい。」

「ムハンマドの専属理容師であったアブ・ザマ・エル・ベラウィと言えば、シディ・サハブ・モスクという霊廟があります。聖なる友人という意味を持つこのモスクには、イスラム教の開祖であるムハンマドの専属理容師であったアブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っています。彼は、常にムハンマドの顎鬚を肌身離さず持っていたと言われ、その顎髭と一緒に埋葬されているという伝説もあり、イスラム教徒にとっては二重に重要なモスクというわけです。」

「イスラム教の開祖であるムハンマドと言えば、ムハンマド(570年頃 - 632年6月8日)は、イスラーム教の開祖、軍事指導者、政治家である。アラビア半島西中部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとり。イスラーム教では、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)その他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされている。また世俗君主・軍人としても有能であり、アラビア半島にイスラーム国家を打ち立てた。」

「聖なる友人という意味を持つモスクと言えば、シディ・サハブ・モスクという霊廟があります。聖なる友人という意味を持つこのモスクには、イスラム教の開祖であるムハンマドの専属理容師であったアブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っています。」

「彼は、常にムハンマドの顎鬚を肌身離さず持っていたと言われていますよ。」
「はい。」

「その顎髭と一緒に埋葬されているという伝説もありますよ。」
「そうなんですか。」

「イスラム教徒にとっては、二重に重要なモスクですよ。」
「そうなんだ。」

「7世紀頃に建造されたこのモスクの造りは、外観は古代イスラム文化らしく質素な造りになっていますよ。」
「はい。」

「しかし、内部の床には美しいアラベスク模様のタイルが敷き詰められていますよ。」
「はい。」

「アラベスク模様と言えば、アラベスクは、一般的には、アラビア風、という意味で、具体的には、イスラム美術における装飾模様を指します。植物が絡み合った蔦模様や、星形の組み合わせなど、複雑かつ規則的、もしくは幾何学的な図案。」

「天井にも、細かい透かし彫りや浮き彫りが施されていますよ。」
「そうなんだ。」

「有名な観光スポットでもあり、神聖な場所が同じく7世紀に造られましたよ。」
「はい。」

「それが、グランドモスクですよ。」
「はい。」

「レッドカーペットが敷かれている神聖な内部には、イスラム教徒以外の人は入ることが禁止されていますよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、中庭や廊下までは入る事が出来るようになっていますよ。」
「はい。」

「このグランドモスクは、何度も修復されていますよ。」
「はい。」

「現存しているものは、9世紀に建立されたものが元となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「このモスクの中庭は、大理石が敷き詰められていますよ。」
「はい。」

「中央に向かって緩やかな勾配がついていますよ。」
「はい。」

「中央には穴が空いており、雨水などを流す水盤が施され、水を貯めれるような仕組みになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「9世紀には、巨大な貯水池も建設されましたよ。」
「はい。」

「元々、この地域は水の乏しい地帯であり、昔から水は貴重なものでしたよ。」
「そうでしょうね。」

「アグラビットの貯水池は、人々の生活用水・飲料水をまかなう為に、なんと40kmも離れた山から水を引いてきましたよ。」
「そうなんですか。」

「アグラビットの貯水池と言えば、アグラビットの貯水池は、直径100m超の大貯水池2基と、ゴミをとる小型の沈殿槽などから構成されているようだ。水はケルアンの西36kmにある丘の上から水道によって運ばれたそうである。」

「アグラビットと言えば、7世紀後半アラブの北アフリカ侵攻の拠点となるケルアンに攻め入り、やがてここを首都に定め、9世紀アグラビットの時代になると、元々水の乏しいここケルアンに貯水池を造ることになったとようである。アグラビットの貯水池は、直径100m超の大貯水池2基と、ゴミをとる小型の沈殿槽などから構成されているようだ。水はケルアンの西36kmにある丘の上から水道によって運ばれたそうである。」

「当時にしては、かなり高度な技術を用いて造られていますよ。」
「はい。」

「直径100m以上の大貯水池が二基あり、ゴミを取り除く小型沈殿槽がついていますよ。」
「はい。」

「今でも、ケルアンの人々の重要な水源になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「世界遺産・ケルアンには、この他にも約50個程のモスクが残されていますよ。」
「はい。」

「チュニジアの中でも、特にイスラム教の文化に触れる事が出来る都市と言えますね。」
「わかりました。」





チュニジアの世界遺産と地中海文明~ドゥッガ/トゥッガ~

「チュニジア共和国の『ドゥッガ/トゥッガ』は、1997年にこの遺跡の保存状態の良さや、歴史的重要な証例として世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「国内最大規模のローマ遺跡「ドゥッガ/トゥッガ」と言えば、1997年に登録された世界遺産(文化遺産)で、チュニジアの内陸部に位置する、アフリカで最大規模の古代ローマ遺跡である。標高600mの丘の上にある。もとはヌミディア王国の支配地だったが、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に入った。紀元前3世紀末に最盛期を迎え、ローマ帝国分裂後は急速に衰退したが、戦争によって破壊されることがなかったため、最良の保存状態で遺跡が残っている。1899年に発掘調査が始まり、人々が生活する土地の下に埋まっていた。ローマ時代に建設された野外劇場、神殿、公共浴場など多くの施設が姿を現した。貴族の家の床に使われたモザイクは見事な美術品とされる。貴重なローマの遺跡を残していることが評価され、世界遺産に登録された。」

「チュニジアの内陸部に位置していますよ。」
「はい。」

「アフリカでは、最も大きい規模のローマ帝国時代の遺跡ですよ。」
「そうなんですか。」

「ローマ帝国と言えば、ローマ帝国は、古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロ-ドの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。」

「その広さは、およそ65haにもおよびますよ。」
「広いですね。」

「標高600mの丘の上に造られていますよ。」
「はい。」

「なんと約100年前までは、土の中に埋まっていましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかも、その上には民家が建っており、人々が暮らしていましたよ。」
「はい。」

「発掘された『ドゥッガ/トゥッガ』の遺跡は、当時のそのままの最良の状態で見つかりましたよ。」
「はい。」

「『ドゥッガ/トゥッガ』の遺跡からは、市場や公共浴場、野外劇場や神殿、貴族の館など、当時の人々の暮らしがよくわかるものが発掘されていますよ。」
「そうなんだ。」

「その中でも有名なのが、貴族の館の床から発掘されたモザイクの美術品ですよ。」
「はい。」

「色彩豊富な天然石をふんだんに使って描かれた絵画は、ギリシャ神話をモチーフに造られており、ユリシーズディオンソスなどが残されていましたよ。」
「はい。」

「ディオンソスと言えば、ドゥッガ遺跡はチュニジア最大規模の遺跡です。「デュオニソス」「ユリシーズ」といったギリシャ神話をモチーフにした素晴らしいモザイク画が見つかっており、現在はチュニスのバルドー美術館に展示されています。」

「ユリシーズと言えば、ドゥッガ遺跡はチュニジア最大規模の遺跡です。「デュオニソス」「ユリシーズ」といったギリシャ神話をモチーフにした素晴らしいモザイク画が見つかっており、現在はチュニスのバルドー美術館に展示されています。」

「ギリシャ神話と言えば、ギリシア神話は、古代ギリシアの諸民族に伝わった神話・伝説を中核として、様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがった、世界の始まりと、神々そして英雄たちの物語である。古代ギリシア市民の標準教養として、更に古代地中海世界での共通知識として、ギリシア人以外にも広く知れ渡った神話の集成を言う。」

「豪華な造りからも、当時の『ドゥッガ/トゥッガ』の繁栄がわかりますね。」
「そうなんだ。」

「現在、絵画は、首都・チュニスの世界一のモザイク貯蔵数を誇るバルドー博物館で保存され、見る事が出来ますよ。」
「はい。」

「チュニスと言えば、チュニスは、チュニジア共和国の首都であり、同国のチュニス県の県都でもある。また同国の商業・工業の中心地。チュニスの原型は、古代フェニキア人によって建設された、カルタゴ近郊の町である。古代はチェニェスと呼ばれていたようである。」

「バルドー博物館と言えば、バルドー博物館は、オスマン帝国時代にチュニジアを統治していた地方長官「ベイ」の宮殿で、1882年当時の名は「アラウィ博物館」であった。1956年フランスから独立して、現在の名前になった。世界有数のモザイク・タイル画を所蔵するコレクション博物館である。チュニジア国内の各地のモザイックを陳列している。彫刻や建材も展示されている。」

「ケルティス(カエレスティス)の神殿は、コリント式〈溝が彫られた細い柱と、ハアザミ(アカンサス)の葉を象って装飾された柱頭を特徴とした建築様式〉の巨大な柱が立ち並んでいますよ。」
「はい。」

「ハアザミ(アカンサス)の葉と言えば、アカンサス(Acanthus、ハアザミ、葉薊)は広義にはキツネノマゴ科ハアザミ属(アカンサス属 Acanthus) の植物を総称していうが、普通は特に観賞用に栽培されるA. mollisを指す。根際に生える葉は楕円形で羽状に深く切れ込み、縁には刺がある。」

「ケルティス(カエレスティス)の神殿と言えば、ケルティス(カエレスティス)の神殿は、コリント式〈溝が彫られた細い柱と、ハアザミ(アカンサス)の葉を象って装飾された柱頭を特徴とした建築様式〉の巨大な柱が立ち並んでおり、古代ローマらしい風貌を見る事が出来ます。」

「古代ローマらしい風貌を見る事が出来ますよ。」
「はい。」

「リビコ・プニック廟は、前ローマ時代の中でも、最も貴重なものとされている石碑ですよ。」
「そうなんだ。」

「リビコ・プニック廟と言えば、リビコ・プニック廟は、前ローマ時代の中でも最も貴重なものとされている石碑。碑文によれば、紀元前3世紀頃に『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者であったヌミィデァを記念したものといわれている。当時、指導者たちは自らの名前を残すことを名誉と考えていたと為、このような形で残したものと考えられます。」

「碑文によれば、紀元前3世紀頃に、『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者であったヌミィデァを記念したものと言われていますよ。」
「はい。」

「『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者であったヌミィデァと言えば、リビコ・プニック廟は、前ローマ時代の中でも最も貴重なものとされている石碑。碑文によれば、紀元前3世紀頃に『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者であったヌミィデァを記念したものといわれている。」

「当時、指導者たちは自らの名前を残すことを名誉と考えていたため、このような形で残したものと考えられますね。」
「そうなんだ。」

「もうひとつ、ローマ人らしい遺跡である野外円形劇場も残されていますよ。」
「はい。」

「とても大きな劇場で、客席は19段あり3500人が座れる規模になっていますよ。」
「はい。」

「高さはおよそ15mもあり、一番外側の人々も劇が見れるように工夫した造りを見ると、当時の考案力に敬意を覚えますね。」
「そうなんだ。」

「168年に『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者の一人であるマルクス・クアドルトゥスにより造られ、今でもコンサートなどで使われていますよ。」
「はい。」

「『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者の一人であるマルクス・クアドルトゥスと言えば、ドゥッガ遺跡はチュニジア最大規模の遺跡です。ローマ人らしい遺跡である野外円形劇場も残されています。とても大きな劇場で、客席は19段あり3500人が座れる規模になっています。高さはおよそ15mもあり、一番外側の人々も劇が見られるように工夫した造りをみると当時の考案力に敬意を覚えます。168年に『ドゥッガ/トゥッガ』の指導者の一人であるマルクス・クアドルトゥスにより造られ、今でもコンサートなどで使われていると言います。」

「世界遺産『ドゥッガ/トゥッガ』は、最後はローマ帝国分裂により次第に衰退していきますよ。」
「はい。」

「戦争などの攻防がなかった為に、キレイな状態で残されていましたよ。」
「そうなんだ。」

「当時のローマ人の生活ぶりを見る事が出来る、貴重な遺跡のひとつですよ。」
「わかりました。」

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