中東やイランの世界遺産
「イランは、世界屈指のイスラム教徒の国ですね。」
「はい。」
「イランの印象といえば、女性が深くかぶっているスカーフですね。」
「そうですね。」
「イランにある世界遺産「ペルセポリス」も有名ですよ。」
「そうなんですか。」
「最近では芥川賞の候補に挙がった「拍動」の作者のシリン・ネザマフィ氏の出身国としても話題を集めた国でもありますよ。」
「そうなんだ。」
「シリン・ネザマフィ氏と言えば、イラン・テヘラン出身で日本の大阪府に在住している在日イラン人の女性小説家である。ペルシャ語を母語とするが、日本語で小説を執筆している。2010年7月、第143回芥川賞候補(候補作「拍動」)になった。」
「芥川賞の候補に挙がった「拍動」と言えば、最近では芥川賞の候補に挙がった「拍動」の作者のシリン・ネザマフィ氏の出身国はイランです。」
「イランは、様々な世界遺産を保有していますね。」
「そうなんですか。」
「イランにはおよそ13カ所もの世界遺産を保有していますよ。」
「はい。」
「13カ所すべてが文化遺産ですね。」
「そうなんですか。」
「古代遺跡などの世界遺産がしっかり保存されていますよ。」
「どんな世界遺産があるのですか?」
「古代都市「ペルセポリス」、「イスファハンのイマーム広場」、「タフテ・スレイマーン」など、その種類はかなりバリエーション豊かですよ。」
「そうなんですか。」
「また、「気になっているけど、何となく怖いイメージがあるから行けない…」という方もぜひ観光してください。」
「わかりました。」
「特に、タフテ・スレイマーンは、サーサーン朝のサンクチュアリ(聖地)であるとされている場所ですよ。」
「はい。」
「サンクチュアリ(聖地)と言えば、一般に日本語で「聖域」と訳されるラテン語等に由来する英語である。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「なので、まるでパワースポットを訪れたような気分になりますよ。」
「そうなんですか。」
「パワースポットと言えば、地球に点在する特別な“場”のこと。エネルギースポット、気場とも言う。『世界のパワースポット: 癒しと自分回復の旅ガイド』という本では、パワースポットには人を癒すとされる水があったり、人に語りかけるとされる岩があったり、あるいは磁力を発する断層があったりすると解説されている。」
「イランの世界遺産は、自然遺産に引けを取らないほど風光明媚な環境に囲まれた場所ばかりですね。」
「そうなんですか。」
「大自然に触れたい方もかなり満足できる筈ですよ。」
「わかりました。」
「イランは敬虔なイスラム教徒の国ですね。」
「そうですね。」
「女性は足首や手首が見えるだけでもいけませんよ。」
「厳しいですね。」
「スカーフの着用は必須なので、服装にはくれぐれも注意してくださいね。」
「わかりました。」
中東やイランの世界遺産~チョガ・ザンビール~
「イランには、まだまだ魅惑的なスポットがたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」
「ところで、「チョガ・ザンビール」と呼ばれる世界遺産をご存じでしょうか?」
「いいえ、よく知りません。」
「この古代遺跡は、イランで初めて世界遺産として認められた文化遺産ですよ。」
「どういう世界遺産ですか?」
「どこまでも遺跡と荒野が続いているという、まさに異国の世界遺産で、1979年にユネスコの世界遺産に認定されましたよ。」
「はい。」
「スーサから25キロメートルの場所にあるチョガ・ザンビールは、「街」という形で紹介されていることも多いですね。」
「そうなんですか。」
「しかし、実際は人が住んだ形跡はなく、どこまでもただ遺跡が続いている空間になっていますよ。」
「そうなんだ、」
「実は、この世界遺産は人が住んでいたという記録がほとんどありませんね。」
「そうなんですか。」
「祭司だけが住んでいたのだろうとされている世界遺産ですね。」
「はい。」
「祭司と言えば、各宗教において祭祀・儀式をつかさどる者を言う。」
「かつてエラム人によって作られたことは間違いありませんね。」
「そうなんですか。」
「エラム人と言えば、エラムは、古代オリエントで栄えた国家、または地方の名である。紀元前3200年頃から紀元前539年までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。エラム人は、自らをハタミと呼んでいた。自分たちが住んでいる土地をハルタムティと呼んだ。」
「宗教上必要があった為に作られただけのスポットですね。」
「そうなんだ。」
「たくさんの人が生活していた訳でもなく、住居ではなかったというのが、チョガ・ザンビールを観る上での一つのポイントですよ。」
「はい。」
「紀元前1250年にエラム人によって神への敬虔な祈りを込めて作られたこの場所は、遺跡以外ほとんど何もない場所ですよ。」
「遺跡以外ほとんど何もないんですか。」
「エラム人言えば、エラムは、古代オリエントで栄えた国家、または地方の名である。紀元前3200年頃から紀元前539年までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。エラム人は、自らをハタミと呼んでいた。自分たちが住んでいる土地をハルタムティと呼んだ。」
「行く時は、タクシーやバスを使って行くことができますよ。」
「はい。」
「問題は帰りの交通手段ですね。」
「どういうことですか?」
「信じがたいことかも知れませんが、この場所は運が悪いと夜まで帰る手段がないまま過ごさなければなりませんよ。」
「それは困りますね。」
「標札もなく、訪れる車も少ないので、最悪の場合、通りすがりの車に頼み込まないと一生帰ることができない状態になりますよ。」
「それは大変だ。」
「遺跡以外は本当に何もない荒野で、夜まで一人でいるのはかなり恐ろしい空間ですよ。」
「そりゃーそうです。」
「なるべく帰りの手段も確保した上で観光しましょう。」
「わかりました。」
「また、もう一つ気をつけなければならないのが服装ですね。」
「どういうことですか?」
「女性はこの国にいる間は、ずっと全身にスカーフをまとっている必要がありますよ。」
「それは不便ですね。」
「男性の場合も、あまりにも薄着だとかなり白い目で見られてしまいますよ。」
「それは困りますね。」
「この国へ向かう時は、必要な衣類をしっかり用意してから観光しましょう。」
「わかりました。」
中東やイランの世界遺産~ペルセポリス~
「世界遺産『ペルセポリス』は、イラン南西部ファールス地方にあるペルシヤ湾近郊のシーラーズという街より車で1時間程の場所にありますよ。」
「はい。」
「シーラーズという街と言えば、ペルセポリスの遺跡はシーラーズから北東に57km離れた所にあり、往時の壮大な建築物の一部が残っており,イランで最も有名な観光地となっている。イランのシーラーズという町でもこの種のワイン(シラー)が生産されており、元々イラン原産で後にローヌに持ち込まれたという説があるが、諸説ある。」
「ペルシヤ湾と言えば、ペルシャ湾とも呼び、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾である。」
「イラン南西部ファールス地方と言えば、イラン南部の歴史的地域名で、現在のファールス州を中心とした地方を指す。」
「1979年に世界遺産・文化遺産に認められた紀元前の都跡地群ですよ。」
「詳しく教えてください。」
「この『ペルセポリス』は、紀元前518年にオリエント(現在のイランからアラビア半島、エジプトを含めた地域)全域を支配した大帝国・アケメネス朝ペルシヤの都でしたよ。」
「そうなんですか。」
「アケメネス朝と言えば、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」
「大帝国・アケメネス朝ペルシヤと言えば、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。ヘルシス(ファールス)地方におこり,メディア王国成立およびアッシリア王国成立の瓦解の上に成立した、イラン人による大帝国で、「ペルシア帝国」とも言われる。」
「第四代皇帝のダレイオス1世によって築かれましたよ。」
「はい。」
「第四代皇帝であったダレイオス1世と言えば、アケメネス朝ペルシヤ第四代皇帝であったダレイオス1世は、版図を北西インドからマケドニア・トラキアに拡大し、領土を20州に分けて各州にサトラップ(総督、太守)を置いた。」
「この『ペルセポリス』は、おおまかに6つの区画で構成されていますよ。」
「はい。」
「現在残っている遺跡は、紀元前330年にアレクサンドロス大王率いるマケドニア軍によって焼き滅ぼされてしまいましたよ。」
「そうなんですか。」
「アレクサンドロス大王と言えば、アレクサンドロス3世、通称アレクサンドロス大王は、アルゲアデス朝のマケドニア王、ヘラス同盟(英語版)(コリント同盟)の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。」
「マケドニア軍と言えば、アレクサンドロスは、紀元前334年、父の遺志を継いでマケドニア軍を率いてペルシア東征に出発し、小アジアに渡ったマケドニア軍38,000はグラニコス川の戦いで小アジア太守の連合軍4万と対峙した。」
「いくつか残されたレリーフや石柱などから当時の様子がうかがえますね。」
「そうなんですか。」
「レリーフと言えば、美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」
「6つの区画とは、「クセルクセス門」、「謁見の間」、「宮殿跡」、「百柱の間」、「宝物殿跡」、「王の墓」のことですよ。」
「詳しく教えてください。」
「小高い山の上に、これらが一つの『ペルセポリス』という王宮になっていますよ。」
「はい。」
「この「クセルクセスの門」は、別名「万国の門」とも呼ばれ、左右に人面翼獣の像があり、門番のような役割をしていると思われますね。」
「そうなんですか。」
「この「謁見の間」(別名:アパナダ)の階段になっている入り口の横には、高さ3m程のレリーフが描かれた岩がありますよ。」
「はい。」
「レリーフと言えば、美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」
「この「謁見の間」には2か所入り口があり、両方にそれぞれレリーフがありますよ。」
「はい。」
「レリーフと言えば、美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」
「このレリーフは、貢物を献上するために訪れた様々な民族たちが行列をなしている様子が描かれ、大変興味深いものですよ。」
「そうなんだ。」
「レリーフとは・・・美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」
「それぞれの民族の特徴をしっかり描いており、どこの民族の人々かわかる程ですよ。」
「そうなんですか。」
「その特徴は、服装や貢物、動物などの絵から、推測することが出来ますよ。」
「はい。」
「その他に、「宝物殿跡」は1haという広大さを誇り、当時の貢物や宝物の量が図り知れませんね。」
「そうですね。」
「アレクサンドロスが『ペルセポリス』を滅ぼした時に、1万頭のラバと5千頭のラクダを使って全ての宝を運び出したという言い伝えがある程ですよ。」
「貢物や宝物の量がものすごく多かったのですね。」
「豪華絢爛に造られていた『ペルセポリス』は、アケメネス朝の都でしたが、政治の中心ではなかったと考えられていますよ。」
「どうしてですか?」
「アケメネス朝と言えば、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」
「近隣の国の書物などの調べで、ほとんど歴代の王たちは『ペルセポリス』ではなく、「スサ」という街で行政を執り行っていたと推測されていますよ。」
「そうなんですか。」
「スサという街と言えば、スーサは、元々ペルシャ(イラン)の中心地として、エラム王国の首都が置かれ、永く栄えた都市でした。」
「この『ペルセポリス』は、行政を行う場所ではなく、当時信仰していた≪拝火教≫の儀式を行う場所であったようですね。」
「そうなんだ。」
「拝火教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「特に、ノールーズという新年祭を行っていたと言われていますね。」
「新年祭ですか?」
「ノールーズという新年祭と言えば、3月21日はイラン暦のはじまりの日で、新年を祝う祭り「ノールーズ」が各地で行われる。毎年日本における春分の日と同日に行われ、「ノー」は新しい、「ルーズ」は日を意味する。日本の新年のように、家族で集まり「元旦」を迎えるケースが多い。」
「これは、日本で言う、春分の日である3月21日に毎年行われていた伝統行事ですね。」
「はい。」
「拝火教では、3月から1年が始まりますよ。」
「そうなんですか。」
「拝火教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「世界遺産『ペルセポリス』は、紀元前の大帝国の権威の財力を集めた都市として繁栄し、その重要さから破壊されてしまった遺跡ですね。」
「わかりました。」
中東やイランの世界遺産~エスファハーンのイマーム広場~
「イランのカビール砂漠の中にあるオアシス都市エスファハンには、豪華絢爛な『エスファハンのイマーム広場』がありますよ。」
「はい。」
「イランのカビール砂漠と言えば、イラン北部、イラン高原にある砂漠である。長さ800km、幅320kmあります。夏の最高気温は50℃に達し、1月でも平均22℃で、雨はほとんど降らない。」
「オアシス都市エスファハンと言えば、イランの都市、エスファハーン州の州都で、テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「この『エスファハンのイマーム広場』は、1979年に世界遺産に認定されましたよ。」
「そうなんですか。」
「オアシス都市エスファハンと言えば、イランの都市、エスファハーン州の州都で、テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「この『エスファハンのイマーム広場』は、17世紀にサファーヴァー朝の三代目の王のシャー・アッバース1世の時に首都になり最盛期を迎えましたよ。」
「そうなんだ。」
「オアシス都市エスファハンと言えば、イランの都市、エスファハーン州の州都で、テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「シャー・アッバース1世と言えば、サファヴィー朝の第5代シャーである(在位:1588年 - 1629年)。アッバース1世の治世のもとでイスファハーンは壮大華麗、大いなる繁栄を遂げたため、「世界の半分」(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)とまで称された。」
「砂漠の中にありながら、ザーヤンデルード川の恵みにより、オアシスとして昔から交易の中継点でしたよ。」
「そうなんですか。」
「ザーヤンデルード川と言えば、エスファハーンは、ザーヤンデルード川の北に位置し、対岸にはアルメニア人の集落が存在する。町は周辺を荒野に囲まれているが、ザーヤンデルードの沿岸部は灌漑によって開拓されている。ザーヤンデルードの豊富な水量に支えられた周辺地域の農業生産力と、イラン高原北部とイラク、ペルシア湾岸の港湾都市地域を結ぶ交通の要衝として古代から発展した。」
「首都になると、アッバース1世はイスラムの聖典・コーランの天国をモデルに、アダムとイブの暮らした楽園を再現するため、『エスファハンのイマーム広場』を建造しましたよ。」
「そうなんですか。」
「シャー・アッバース1世と言えば、サファヴィー朝の第5代シャーである(在位:1588年 - 1629年)。アッバース1世の治世のもとでイスファハーンは壮大華麗、大いなる繁栄を遂げたため、「世界の半分」(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)とまで称された。」
「オアシス都市エスファハンと言えば、イランの都市、エスファハーン州の州都で、テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「その広さは、南北約520m、東西約160mで、長方形の形をしています。」
「広いですね。」
「イマーム広場は、周囲を2階建てのアーケードで囲まれ、4方に特徴的な建造物が築かれていますよ。」
「はい。」
「その中で最も有名なのが、イマーム・モスクと呼ばれる大寺院ですね。」
「そうなんですか。」
「イマーム・モスクと言えば、イラン中部の都市イスファハーンにあるイスラム寺院で、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたイマーム広場の南側に面している。」
「このイマーム・モスクは南側にあり、イスラーム建築を代表する傑作と言われていますよ。」
「はい。」
「イマーム・モスクと言えば、イラン中部の都市イスファハーンにあるイスラム寺院で、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたイマーム広場の南側に面している。」
「青いドームは、アラベスク模様のタイルが施され、とても繊細でキレイですよ。」
「そうなんですか。」
「アラベスク模様と言えば、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、イスラム的世界観に基づいている。」
「モスクの前には、イーワーンの門があり、門をくぐると中庭がありますよ。」
「はい。」
「この中庭は、イマーム広場に対して少しズレていますよ。」
「それはどうしてですか?」
「それはイマーム・モスクをイスラム教の聖地・メッカの方向へ向けるためですね。」
「そうなんだ。」
「イマーム・モスクと言えば、イラン中部の都市イスファハーンにあるイスラム寺院で、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたイマーム広場の南側に面している。」
「このイマーム・モスクは「男のモスク」と呼ばれていますよ。」
「はい。」
「イマーム・モスクと言えば、イラン中部の都市イスファハーンにあるイスラム寺院で、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたイマーム広場の南側に面している。」
「また、「女のモスク」と呼ばれるシェイク・ロトフォラー・モスクが東側に建てられていますよ。」
「どう違うのですか?」
「シェイク・ロトフォラー・モスクと言えば、王族専用の寺院です。王家のために造られたモスクが、アッバース1世の父の名を冠したシェイク・ロトフォラー・モスクです。イマーム・モスクを男のモスクと呼ぶのに対し、シェイク・ロトフォラー・モスクは女性のモスクと呼ばれ、世界一優美なモスクと言われている。」
「このモスクは、イマーム・モスクが青なのに対し、黄色(金色)のアラベスク模様のタイルで装飾されていますよ。」
「何に使われていたのですか?」
「イマーム・モスクと言えば、イラン中部の都市イスファハーンにあるイスラム寺院で、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたイマーム広場の南側に面している。」
「アラベスク模様と言えば、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、イスラム的世界観に基づいている。」
「当時は王族専用の礼拝堂でしたよ。」
「はい。」
「小寺院ですが、彩色が見事で「世界一優美」と言われている程ですね。」
「そうなんですか。」
「西側には、王族の住まいであったアリ・カプ宮殿がありましたよ。」
「はい。」
「アリ・カプ宮殿と言えば、アーリーガープー宮殿は、イラン中部の都市イスファハーンにある建物で、1979年に世界遺産(文化遺産)に登録されたイマーム広場の西側に面しています。元は背後にあった巨大な宮殿の門にあたる。サファビー朝アッバース1世が迎賓館として建造し、アッバース2世の時代にバルコニーと3階以上の部分が増築された。同国最古の高層建築として知られる。アリカプ宮殿とも言う。」
「しかし、本体の宮殿は戦争で破壊された為に、門のみが残っていますよ。」
「そうなんですか。」
「それでも大きく、バルコニーや音楽の間などが設けてありますよ。」
「はい。」
「北側には市場(バザール)の門があり、クラフトショップの他、絨毯、食品(ピスタチオなど)、絵画、宗教用具などを購入できますよ。」
「はい。」
「イラン高原の荒涼の地にあるため、ほとんど雨は降りませんね。」
「そうなんですか。」
「イラン高原と言えば、中東イランの北部一帯の高原である。ペルシア高原またはペルシャ高原とも呼ぶ。カビール砂漠が広がるが、首都テヘランの南にはナマク湖 という塩湖がある。 イラン中部から東はアフガニスタン、パキスタンにまたがる盆地状の高原が広がっている。北部にはエルブールズ山脈、ヒンズークシ山脈、南西部にザグロス山脈が連なっており、気候は乾燥気候である。砂漠・ステップが広がっており、塩湖やワジが多く存在する。」
「夏場は最高35度程ですが、冬には氷点下になることもありますよ。」
「温度差が大きいですね。」
「世界遺産『エスファハンのイマーム広場』を訪れる際は、5月~9月頃が観光しやすい時期と思います。」
「わかりました。」
「オアシス都市エスファハンと言えば、イランの都市、エスファハーン州の州都で、テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「教科書などにもよく取り上げられている『エスファハンのイマーム広場』は、とても美しい街並みを今も残していますよ。」
「そうなんだ。」
「オアシス都市エスファハンと言えば、イランの都市、エスファハーン州の州都で、テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
中東やイランの世界遺産~タフテ・ソレイマーン~
「2003年に世界遺産に登録された『タフテ・スレイマーン』は、イランの西アーゲルバーイジャーン州タカブの町の近郊に残る遺跡群ですね。」
「はい。」
「タカブの町と言えば、2003年に世界遺産に登録された『タフテ・スレイマーン』は、イランの西アーゲルバーイジャーン州タカブの町の近郊に残る遺跡群です。」
「イランの西アーゲルバーイジャーン州と言えば、2003年に世界遺産に登録された『タフテ・スレイマーン』は、イランの西アーゲルバーイジャーン州タカブの町の近郊に残る遺跡群です。」
「イランの首都テヘランより400km離れた、山がちな地方の渓谷の中にある史跡ですよ。」
「はい。」
「この『タフテ・スレイマーン』は、西暦225年頃にイラン高原やメソポタミアを支配していたサーサーン朝の国教・ゾロアスター教の聖地でしたよ。」
「そうなんですか。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「メソポタミアと言えば、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、現在のイラクの一部にあたる。古代メソポタミア文明 は、メソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名で、世界最古の文明であるとされてきた。文明初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。」
「イラン高原と言えば、中東イランの北部一帯の高原である。ペルシア高原またはペルシャ高原とも呼ぶ。カビール砂漠が広がるが、首都テヘランの南にはナマク湖 という塩湖がある。 イラン中部から東はアフガニスタン、パキスタンにまたがる盆地状の高原が広がっている。北部にはエルブールズ山脈、ヒンズークシ山脈、南西部にザグロス山脈が連なっており、気候は乾燥気候である。砂漠・ステップが広がっており、塩湖やワジが多く存在する。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「直径100m、深さ約100mの火口湖を中心に築かれた遺跡だと考えられていますよ。」
「そうなんだ。」
「ゾロアスター教とは、光の象徴として火を尊んでいた宗教ですね。」
「そうなんですか。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「キリスト教やユダヤ教にも影響をもたらしていた古代宗教ですよ。」
「はい。」
「ゾロアスター教は、神殿を火山地帯に建てる事が多いですよ。」
「そうなんだ。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「敬う火も3つの階級に応じた火があり、それぞれ「祭司の火」、「戦士の火」、「農耕・遊牧民の火」に分かれていますよ。」
「火に階級があったのですか?」
「祭司と言えば、各宗教において祭祀・儀式をつかさどる者を言う。」
「この『タフテ・スレイマーン』は、この中の「戦士の火」(アードゥル・グシュナスプ)の国家的最重要拝火檀の遺跡だと推測されていますね。」
「はい。」
「3つのゾロアスター教の聖地の中でも、最も重要な聖地だったとされていますよ。」
「そうなんだ。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「また、「祭司の火」(アードゥル・ファルンバーク)の拝火檀は、サーサーン朝時代にはファールス地方(現在のファールス州)にあったとされていますよ。」
「はい。」
「イラン南西部ファールス地方と言えば、イラン南部の歴史的地域名で、現在のファールス州を中心とした地方を指す。」
「祭司と言えば、各宗教において祭祀・儀式をつかさどる者を言う。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「また、「農耕・遊牧民の火」(アードゥル・ワルゼミフル)は、未だにどこにあるのか不明となっていますね。」
「わからないんですか?」
「サーサーン朝の歴代の王たちは、一説によると王位を受ける前に『タフテ・スレイマーン』に訪れ、火を捧げていたと言われていますよ。」
「はい。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「遺跡は、日干しレンガを使って祭壇から宮殿などが造られていますよ。」
「はい。」
「しかし、627年にビザンティン帝国により破壊されてしまいましたね。」
「そうなんですか。」
「644年にサーサーン朝も、イスラム教国ビザンティン帝国により崩壊してしまいましたね。」
「そうなんですか。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「13世紀には、モンゴルのイル・ハーン国フレグ・ウルス時代のこの地方の統治者であったイルクハン・アバカーンの邸宅を建てる為に一部再建されていたり、宮殿遺跡群も造られていますよ。」
「はい。」
「イルクハン・アバカーンと言えば、13世紀には、モンゴルのイル・ハーン国フレグ・ウルス時代のこの地方の統治者であったイルクハン・アバカーンの邸宅を建てる為に一部再建されていたり、宮殿遺跡群も造られています。」
「モンゴルのイル・ハーン国フレグ・ウルスと言えば、イルハン朝は、現在のイランを中心に、アムダリア川からイラク、アナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権のことです(1256年/1258年 - 1335年/1353年)。称号としてイル・カンが用いられていたことが注目され、イルハン朝、あるいはイル=ハン国、イル・ハン国、イル・カン国といった通称が広く用いられるようになった。モンゴル研究者からは、フレグ一門のウルスという意味で、フレグ・ウルスと呼ばれることも多い。」
「サーサーン朝が起こる前にあったアケメネス朝ペルシアも、ゾロアスター教を信仰していましたよ。」
「そうなんですか。」
「アケメネス朝と言えば、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「さらに以前に残された、水と火を崇拝した遺跡が残されているなど、様々な国の宗教の聖地であったと考えられていますよ。」
「そうなんですか。」
「サーサーン朝は、当時「ソロモンの地獄」と呼ばれていた火山の隣に『タフテ・スレイマーン』という新しい祭壇を築いたにすぎませんね。」
「はい。」
「サーサーン朝と言えば、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国で、首都はクテシフォン(現在のイラク)である。しばしばササン朝ペルシア、ササン朝ペルシャとも呼ばれる。単にペルシア帝国またはペルシャ帝国といった場合は、サーサーン朝かアケメネス朝を指すことが多い。」
「古代から、色んな国が宗教の聖地として崇めてきたのが、世界遺産『タフテ・スレイマーン』ですね。」
「わかりました。」
「今でも神秘的な雰囲気のある不思議な場所ですね。」
「なるほど。」
中東やイランの世界遺産~ソルターニーイェ~
「2005年に世界遺産・文化遺産に登録された古代遺跡『ソルターニーイェ』は、イランの首都・テヘランより北西に約240km離れた場所にありますよ。」
「はい。」
「イランの首都テヘランと言えば、イランの首都であり、かつテヘラン州の州都である。人口12,223,598人。都市圏人口は13,413,348人に達する。テヘランはイランの文化的中心でもあり、多数の博物館、美術館、宮殿、文化センター、高等教育機関がある。宗教的中心でもあり、モスクのみならず、キリスト教の教会やユダヤ教のシナゴーグも各所に見られる。住民の大多数はシーア派イスラム教徒である。」
「この『ソルターニーイェ』は、いくつかの霊廟や市街地があり、周囲を城壁が囲っていますよ。」
「そうなんですか。」
「市街地には、宮殿や病院、マドラサ(イスラム教でいう学校)、バザールなどが建てられましたよ。」
「はい。」
「マドラサと言えば、イスラーム世界における学院のことである。元々は単純にアラビア語で「学ぶ場所、学校」を意味するだけだったが、11世紀に制度的に確立し、イスラーム世界の高等教育機関として広く普及した。モスクと併設される場合も多く、一般に寄進財産で運営される。近代の世俗教育の普及によって、宗教教育の専門機関となった。」
「14世紀初頭に、モンゴル帝国イルハン朝(フレグ・ウルス)の第8代君主であったオルジェイトゥ・ハンが、現在のイラン・ザンジャーン州東部の町に都を遷都し、『ソルターニーイェ』を建設しましたよ。」
「はい。」
「イラン・ザンジャーン州と言えば、イランの州(オスターン)。イラン北西部に位置し、州都はザンジャーン。人口は約170万、そのほとんどはアザリー(アゼルバイジャン人)である。」
「オルジェイトゥ・ハンと言えば、イルハン朝の第8代君主(在位1304年 - 1316年)。第4代君主・アルグンの第3子で、第7代君主・ガザン・ハンの弟に当たり、兄の目指したイラン・イスラーム的なモンゴル国家像によるイルハン朝再建の政策を引継ぎ、国内の財政と軍政、宗教問題などの安定化、モンゴル帝国諸王家との融和政策にも取り組んだ。その過程でシーア派改宗宣言をしたことでも知られる。」
「モンゴルのイル・ハーン国フレグ・ウルスと言えば、イルハン朝は、現在のイランを中心に、アムダリア川からイラク、アナトリア東部までを支配したモンゴル帝国を構成する地方政権のことです(1256年/1258年 - 1335年/1353年)。称号としてイル・カンが用いられていたことが注目され、イルハン朝、あるいはイル=ハン国、イル・ハン国、イル・カン国といった通称が広く用いられるようになった。モンゴル研究者からは、フレグ一門のウルスという意味で、フレグ・ウルスと呼ばれることも多い。」
「この町はモンゴル語で「クンクル・ウラン」と呼ばれていましたよ。」
「そうなんですか。」
「黄褐色の草地という意味を持ち、遊牧民族であるモンゴル人にとって夏を快適に過ごせる場所でしたね。」
「そうなんだ。」
「この『ソルターニーイェ』の遺跡群の中で、最も有名なのがオルジェイトゥ廟ですね。」
「そうなんですか。」
「オルジェイトゥ廟と言えば、ソルターニーイェの遺跡群の中核は、1302年から1312年にかけて建設されたオルジェイトゥ廟である。8基のミナレットを備えるこの廟は、青タイルで覆われた高さ約50mの2重構造のドームを持ち、これは世界最古のものである。イスラーム世界におけるこの廟の重要性は、ブルネレスキの屋根建築と比較される。」
「この廟は、イラン国内やアジアの中でも最大規模の立派なものですよ。」
「詳しく教えてください。」
「ターコイズブルーのタイルがドーム全体を覆い、遠くからでもよく目立ちますよ。」
「そうなんですか。」
「ターコイズブルーと言えば、緑がかった青のことです。くすんだ緑がかった青を「ターコイズブルー」と呼ぶ場合もある。また、ターコイズブルーより緑がかっている青色は、「ターコイズグリーン」と呼ばれる。ターコイズとはトルコ石を意味する。」
「大きさは、高さ約50m、直径約38mの二重構造になっており、内部の直径は約25mほどありますね。」
「そうなんだ。」
「八角形のドームには、8基のミナレットが建てられていますが、ほとんどは半分に折れてしまっていますね。」
「そうなんですか。」
「ミナレットと言えば、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔である。ミナレットはトルコ語のミナレに由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語ではマナールあるいはマナーラといい、光(ヌール)と同一語根の語であることから光塔と訳されることもある。南アジアではミーナールとも呼ばれる。」
「外装のタイルも、ドーム以外はほとんど全て剥がれ落ちてしまっていますね。」
「はい。」
「しかし、当時の完成形がいかに素晴らしいものだったかを容易に想像させてくれますね。」
「そうなんだ。」
「内部は3階建てで、天井まで吹き抜けの構造になっています。」
「はい。」
「壁には、装飾文字(カリグラフィー)で模様のように描かれている部分と、植物の模様と幾何学模様で描かれている部分がありますね。」
「はい。」
「イスラム美術ならではの、左右対称の模様が美しいですね。」
「そうなんだ。」
「2階は通路のみで、霊廟内を一周出来るようになっていますよ。」
「はい。」
「是非登ってほしいのが3階です。」
「はい。」
「テラスのようになっていて、外を見渡す事が出来ますよ。」
「いいですね。」
「この3階の天井にあるアラベスク(植物模様&幾何学模様)が最も有名ですよ。」
「そうなんですか。」
「外壁のドームが青いタイルに対し、ここでは赤色をベースに描かれているのが特徴で、見事ですよ。」
「きれいでしょうね。」
「一周すると、ほとんど全てが違う模様なのも楽しめるポイントですね。」
「そうなんですか。」
「絵ハガキとして販売されている程ですよ。」
「はい。」
「絵ハガキは、『ソルターニーイェ』内のお店で購入できますよ。」
「はい。」
「世界遺産『ソルターニーイェ』の建築様式は、他国のイスラム教建築にも影響を与えましたよ。」
「そうなんですか。」
「有名なのが、カザフスタンの「ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟」や、インドの「タージ・マハル」などですね。」
「はい。」
「タージ・マハルと言えば、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド=イスラーム文化の代表的建築である。」
「ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟と言えば、未完成で終わったカザフスタン南部・テュルキスタン市にあるイスラーム建築における廟建築である。カザフスタンにおけるユネスコの世界遺産第1号であり、2003年に指定された。ティムールが1405年に死亡したことにより、廟建築の継続は中止された。結果として、その後の統治者は、この廟に関しての関心はそこまで大きいものではなかったために、ティムール建築の典型例が当時の姿のまま残った。」
「カザフスタンと言えば、中央アジアに位置する共和制国家である。首都はアスタナ、最大都市はアルマトイ。ロシア連邦、中華人民共和国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接し、カスピ海、アラル海に面している。」
「現在の遺跡は、そのほとんどが色彩のあったタイルや石灰などが剥がれ落ちてしまい、焼煉瓦の建物ばかりが残っていますね。」
「残念ですね。」
「焼煉瓦と言えば、焼煉瓦は、貴重品で宮殿や神殿の外壁に使われたそうです。」
「ところどころに色が残っていますよ。」
「そうなんですか。」
「当時の鮮やかで豪華な街並みを想像することが出来るのも、『ソルターニーイェ』の楽しみの一つと言えるでしょう。」
「わかりました。」
中東やイランの世界遺産~イランのアルメニア人修道院建造物群~
「2008年に世界遺産に登録された『イランのアルメニア人修道院建造物群』は、二つの修道院と一つの礼拝堂から構成された、イランでも珍しいキリスト教の建物ですね。」
「そうですね。」
「アルメニア人と言えば、アルメニアの主要民族で、インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。」
「この『イランのアルメニア人修道院建造物群』は、イランの北西部にありますよ。」
「はい。」
「アルメニア人と言えば、アルメニアの主要民族で、インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。」
「この地域は古代のアルメニア地域として古くからキリスト教を受け入れてきた地域ですね。」
「そうなんですか。」
「すぐ隣にイスラム教国があるため、二つの修道院は城壁を持ち要塞化されているのが印象的ですね。」
「イスラム教国に接しているから当然ですね。」
「アルメニアは、世界で初めて正式に国教としてキリスト教を定めた国ですよ。」
「そうなんですか。」
「ローマ帝国より以前から、キリスト教国としての歴史を刻んできていますよ。」
「そうなんだ。」
「世界遺産になっている『イランのアルメニア人修道院建造物群』の中で最も有名なのが、西アーゲルバーイジャーン州にある聖タデウス修道院ですよ。」
「はい。」
「聖タデウス修道院と言えば、「黒の教会」とも呼ばれる古代アルメニア人の修道院である。イラン北西部・西アーザルバーイジャーン州の町マクの西方20キロメートルに位置する。1997年に、ユネスコの世界遺産暫定リストに登録され、2008年の第32回世界遺産委員会において、「イランのアルメニア人修道院建造物群」を構成する1つとして、世界遺産に登録された。」
「アルメニア人と言えば、アルメニアの主要民族で、インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。」
「イランの西アーゲルバーイジャーン州と言えば、2003年に世界遺産に登録された『タフテ・スレイマーン』は、イランの西アーゲルバーイジャーン州タカブの町の近郊に残る遺跡群です。」
「別名「黒の教会(ガラ・ケリーター)」とも呼ばれていますよ。」
「そうなんですか。」
「ベースとなっている建築に用いられた石が黒い色をしている事が、その由来ですね。」
「なるほど。」
「19世紀には、ほとんど密接し、ひとつの修道院のようになっていますよ。」
「はい。」
「また、「白の教会」と呼ばれる教会が追加で建造されました。」
「はい。」
「表から見ると白いのですが、裏を見ると黒い初期の教会を見る事が出来ますね。」
「そうなんだ。」
「中は、この二つの教会はつながっています。」
「そうなんですか。」
「そして、「黒の教会」と呼ばれる方に聖堂があります。」
「はい。」
「この聖タデウス修道院は、先の尖った円柱の屋根を持つ二つの建物が特徴ですね。」
「そうなんですか。」
「聖タデウス修道院と言えば、「黒の教会」とも呼ばれる古代アルメニア人の修道院である。イラン北西部・西アーザルバーイジャーン州の町マクの西方20キロメートルに位置する。1997年に、ユネスコの世界遺産暫定リストに登録され、2008年の第32回世界遺産委員会において、「イランのアルメニア人修道院建造物群」を構成する1つとして、世界遺産に登録された。」
「離れた場所には、合計5つの聖堂も含まれていますよ。」
「はい。」
「5つの聖堂のうち1つは、現在も村の人々によって使われているようですよ。」
「そうなんですか。」
「内装は、意外と派手なものはありませんね。」
「はい。」
「外壁には、「聖ゲオルギウス」のレリーフ、聖人や天使、動物などの浮彫彫刻が施されていて、その繊細さに目を奪われますね。」
「繊細なんですね。」
「レリーフと言えば、美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」
「聖ゲオルギウスと言えば、キリスト教(正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)の聖人の一人。古代ローマ末期の殉教者である。ゲオルギウス、ゲオルギイ(その他、ゲオロギウス、ギオロギウスなど)とも表記される。ドラゴン退治の伝説でも有名である。」
「また、聖タデウスとは、キリストの12使徒のひとり「タダイ」の事ですね。」
「そうなんですか。」
「この「タダイ」はアルメニアにキリスト教を宣教したと言われ、彼にささげる為この修道院が造られたと言われていますよ。」
「そうなんだ。」
「また、『イランのアルメニア人修道院建造物群』を構成するもう一つの修道院が、東アーザルバーイジャーン州の渓谷の中にある聖ステファノス修道院ですね。」
「はい。」
「聖ステファノス修道院と言えば、イラン北西部・東アーザルバーイジャーン州の都市ジョルファの北西約15キロメートルに位置する修道院である。2008年に、聖タデウス修道院とともに、「イランのアルメニア人修道院建造物群」の1つとして、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「東アーザルバーイジャーン州と言えば、イランの州(オスターン)である。イラン北西部に位置し、アルメニア共和国、アゼルバイジャン共和国およびアルダビール州、西アーザルバーイジャーン州、ザンジャーン州と境を接し、州都はタブリーズである。東アゼルバイジャン州とも言う。」
「アルメニア人と言えば、アルメニアの主要民族で、インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。」
「そして、最後が聖マリア礼拝堂ですね。」
「はい。」
「これらの建造物には、ギリシア文化やビザンチン文化を思わせるレリーフや模様がありますよ。」
「そうなんだ。」
「レリーフと言えば、美術の技法で、浮き彫り、または浮き彫り細工である。芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。」
「ビザンチン文化と言えば、東ローマ帝国(ビザンティン帝国、ビザンツ帝国)で栄えた文化のことである。古代ギリシア・ヘレニズム・古代ローマの文化にキリスト教・ペルシャやイスラムなどの影響を加えた独自の文化であり、正教会を信仰する諸国および西欧のルネサンスに多大な影響を与えた。また一部の建築技術などはイスラム文化と相互に影響し合っている。」
「ギリシア文化と言えば、ギリシア人は、東方の先進文化であるオリエント文化の影響を受けながらも、自由なポリスの市民生活の中から、独自の人間中心的な、現実的な、合理的な文化をつくりあげた。広義でのヘレニズム(ギリシア風文化)は、ヘブライズム(キリスト教)とともにヨーロッパ文明の二大潮流として後世に大きな影響を及ぼした。」
「この『イランのアルメニア人修道院建造物群』は、アルメニア正教をアゼルバイジャンやペルシアに普及する中心地としてではなく、ビザンチン文化やギリシア正教、ペルシア文化を受け入れ、相互交流をしていた証として、世界遺産に認められましたよ。」
「なるほど。」
「ペルシア文化と言えば、ペルシアの芸術とは、イラン文化圏における芸術を指し、この地域は現在のイラン・アフガニスタン・タジキスタン・アゼルバイジャン・ウズベキスタンとその周辺にまたがり、世界史上最も豊かな芸術遺産を残す地域のひとつである。なおペルシア帝国時代より現代まで伝わりこの地域に共通の基盤をもつ文化を叙述する際には、現在でも『イラン』ではなく『ペルシア』を冠する場合がある。」
「ギリシア正教と言えば、キリスト教の教派・教会組織を指す言葉である。①全世界の正教会全体を指す通称、②上記正教会の一組織としてのギリシャ共和国にあるギリシャ正教会という主に2つの意味で用いられるので、どちらの意味で用いられているのかは文脈で判断する必要がある。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「アゼルバイジャンと言えば、アゼルバイジャン共和国、通称アゼルバイジャン は、コーカサス地方に位置する旧ソビエト連邦の共和制国家である。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。」
「アルメニア正教と言えば、アルメニア使徒教会はアルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派の教会である。約500万人の信者を擁する。使徒教会の名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会とも呼ばれる。」
「ビザンチン文化と言えば、東ローマ帝国(ビザンティン帝国、ビザンツ帝国)で栄えた文化のことである。古代ギリシア・ヘレニズム・古代ローマの文化にキリスト教・ペルシャやイスラムなどの影響を加えた独自の文化であり、正教会を信仰する諸国および西欧のルネサンスに多大な影響を与えた。また一部の建築技術などはイスラム文化と相互に影響し合っている。」
「アルメニア人と言えば、アルメニアの主要民族で、インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。」
「アルメニア正教のみならず、他国キリスト教文化を垣間見れる貴重な建造物群ですね。」
「そうですね。」
「アルメニア正教と言えば、アルメニア使徒教会はアルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派の教会である。約500万人の信者を擁する。使徒教会の名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会とも呼ばれる。」
中東やイランの世界遺産~アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物~
「2010年に世界遺産に登録された『アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物』は、イラン北西部・アルダビール州アルダビールにありますよ。」
「はい。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「この『アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物』は、宗教建造物とその他の生活施設の両方を複合して、限られたスペースを最大限に利用した珍しい建造物群ですね。」
「そうなんですか。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「この『アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物』の中心となるのは、「シャイフ・サフィー・アッディーン廟」ですね。」
「はい。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「後に起こるサファヴィー朝の前身であるサファヴィー教団の教祖のお墓ですよ。」
「そうなんですか。」
「サファヴィー教団と言えば、サファヴィー朝の遠源は、13世紀末から14世紀初頭頃のイルハン朝のペルシアに生きたスーフィー、サフィー・ウッディーンが興したイスラム神秘主義サファヴィー教団(英語版)である。アゼルバイジャン地方のアルダビール(現イラン北西部)に生まれたサフィー・ウッディーンは、神秘主義の師シャイフ・ザーヒドの娘婿となって師の教団を受け継ぎ、サファヴィー教団を興した。」
「サファヴィー朝と言えば、16世紀から18世紀前半にかけてペルシア(現在のイランを中心とした地域)を支配したイスラム王朝(1501年 - 1736年)である。」
「1344年にサフィー・アッディーンが亡くなった後建造され始め、サファヴィー朝が起こった後も増築されましたよ。」
「はい。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「サファヴィー朝と言えば、16世紀から18世紀前半にかけてペルシア(現在のイランを中心とした地域)を支配したイスラム王朝(1501年 - 1736年)である。」
「その結果、現在の様々な施設を兼ねそろえた『アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物』となりました。」
「そうなんですか。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「この「シャイフ・サフィー・アッディーン廟」は、外観は高さ17mもの円筒形をしており、ブルータイルの細かなモザイクが施されていますよ。」
「はい。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「内部も豪華で、「アッラー・アッラー」と呼ばれる八角形の立体的な構造になり、金で装飾されていますよ。」
「豪華ですね。」
「この廟に隣接するのが、後にサファヴィー朝を起こす、当時の教団の指導者シャー・イスマイール1世の廟ですよ。」
「はい。」
「シャー・イスマイール1世と言えば、16世紀初頭にイランで成立したイスラム教シーア派の国家サファヴィー朝の建国者(在位:1501年 - 1524年)である。イスマーイール1世の治世から、現在のイラン・イスラム共和国と周辺地域(アゼルバイジャン共和国とイラク共和国の一部)にシーア派の信仰が根付き始める。即位後に、王(シャー)を地上における神の影と見なす古代ペルシアからの伝統にのっとり、「シャー・ハン・シャー(王の中の王)」の称号を名乗った。」
「サファヴィー朝と言えば、16世紀から18世紀前半にかけてペルシア(現在のイランを中心とした地域)を支配したイスラム王朝(1501年 - 1736年)である。」
「これらの廟には、代々王家一族が葬られましたね。」
「はい。」
「この「イスマイール1世の廟」の反対には、「陶器の館」と呼ばれている博物館も建てられていますね。」
「そうなんですか。」
「約51kgの金を砕き、壁一面に楽器や陶器の透かし細工を施して塗っている豪華絢爛な内装が特徴ですよ。」
「これも豪華ですね。」
「その他に「ムヒール・ディーン・ムハマドの墓」などもありますよ。」
「はい。」
「この『アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物』は、これら宗教施設に、図書館や学校、貯水池、病院、バザールなどの建造物も建てられましたよ。」
「はい。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「これら全てを含めた敷地内は、イランの伝統的文化とイスラム教神秘主義哲学に基づいて8つの門で区切られ、それぞれが7つの階段でつながっていますよ。」
「そうなんですか。」
「イスラム教神秘主義哲学と言えば、イスラーム世界では、信仰心を強調するムーブメントもおこっていた。神を熱烈に愛しこれと一体となることをめざすこの潮流を、神秘主義(スーフィズム)という。」
「8つの門は、神秘主義のスーフィズムの考えで、8つの心構えを表していると言われていますよ。」
「はい。」
「神秘主義のスーフィズムと言えば、イスラム教の神秘主義哲学である。この呼び名は担い手であるスーフィーにイズムをつけたもの。東アジアにおいてイスラム教は古くは『回教』または『回回』と呼ばれたが、メヴレヴィー教団やナクシュバンディー教団の回転しながら踊る旋舞に由来している。『回民』も同様の由来である。」
「ここ『アルダビールのシャイフ・サフィー・アッディーン廟の歴史的建造物』は、全体でイスラム教神秘主義を表した聖なる場所ですね。」
「はい。」
「サフィー・アッディーンと言えば、サファヴィー教団(英語版)の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず、ペルシア人ともクルド人とも考えられている。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「このアルダビールという地名も、ゾロアスター教の聖地を意味する「アルダヴィール」が語源と考えられており、とても神聖な地域とも言えますね。」
「そうですね。」
「イラン北西部・アルダビール州アルダビールと言えば、イラン北西部の歴史的都市である。アルダビールの名はおそらくゾロアスター教の聖地を意味する「アルタヴィル」に由来する。アルダビール州の州都であり、人口は340,386人。伝統的に絹および絨毯交易で名が知られ、古来のアルダビール絨毯はペルシア絨毯の中でも最良のものとされる。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「昔からこの地帯は、絹やペルシア絨毯が有名ですね。」
「そうですね。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「これらにより栄えていた地域でもありますね。」
「はい。」
「商業都市としても栄えていた場所ならではの、富を十分費やして造られた聖地ですね。」
「そうですね。」
中東やイランの世界遺産~ペルシャ式庭園~
「水利構造と装飾に特徴がある『ペルシア式庭園』は、イランの各地にありますね。」
「そうですね。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「それら9つの代表的庭園を総称して、2011年に『ペルシア式庭園』という名称で世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「これら『ペルシア式庭園』は、気候も様々で、年代も紀元前6世紀のアケメネス朝時代から18世紀末のガージャール朝時代までと異なり、多様性を持っているのが特徴ですね。」
「はい。」
「ガージャール朝と言えば、18世紀末から20世紀初にかけて現在のイランを中心に支配したトゥルクマーン系ガージャール部族連合(英語版)によるイスラム王朝(1796年 - 1925年)で、首都はテヘランである。」
「アケメネス朝と言えば、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」
「水利構造と装飾が見事で、イランの人々の天国の楽園をイメージして造られていると言われていますね。」
「そうなんですね。」
「いつの時代も、聖なる場所として大切に保存されてきましたよ。」
「そうなんだ。」
「どの『ペルシア式庭園』も、4分法という基本スタイルを持って設計されているのも特徴の一つですね。」
「はい。」
「4分法と言えば、どの『ペルシア式庭園』も、4分法という基本スタイルを持って設計されています。これは古来宗教・ゾロアスター教の「水」、「土」、「空」、「火」の4つの空間で区切られています。4分法の代表的模範なのが、世界遺産に登録された『ペルシア式庭園』の一つである「パサルガード庭園」です。規則正しく、通路が網目のように通っています。田の字型で区切った水路が庭園全体を4分割しており、後に造られる庭園の模範となっています。」
「これは古来宗教・ゾロアスター教の「水」、「土」、「空」、「火」の4つの空間で区切られていますよ。」
「そうなんですか。」
「ゾロアスター教と言えば、ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。」
「この4分法の代表的模範なのが、世界遺産に登録された『ペルシア式庭園』の一つである「パサルガード庭園」ですね。」
「そうなんだ。」
「パサルガード庭園と言えば、イラン南部ファールス州にあるペルシャ式庭園のひとつで、紀元前6世紀のアケメネス朝時代に造られた。庭園を田の字形に区切って水路を通す基本スタイル「4分法」に基づいて造園された、イラン初の庭園としても知られている。整然とした水路や正方形の花壇が特徴的です。」
「4分法と言えば、どの『ペルシア式庭園』も、4分法という基本スタイルを持って設計されています。これは古来宗教・ゾロアスター教の「水」、「土」、「空」、「火」の4つの空間で区切られています。4分法の代表的模範なのが、世界遺産に登録された『ペルシア式庭園』の一つである「パサルガード庭園」です。規則正しく、通路が網目のように通っています。田の字型で区切った水路が庭園全体を4分割しており、後に造られる庭園の模範となっています。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「イラン南東部・ファールス州にあり、アケメネス朝時代に造園され、庭園の中では初期に造られたものですよ。」
「はい。」
「アケメネス朝と言えば、アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」
「イラン南西部ファールス地方と言えば、イラン南部の歴史的地域名で、現在のファールス州を中心とした地方を指す。」
「規則正しく、通路が網目のように通っていますよ。」
「そうなんですか。」
「この田の字型で区切った水路が庭園全体を4分割しており、後に造られる庭園の模範となっていますよ。」
「はい。」
「ファールス州に、有名な『ペルシア式庭園』である「エラム庭園」も残っていますよ。」
「はい。」
「エラム庭園と言えば、イランシーラーズにある有名な歴史的ペルシャ庭園です。楽園の庭は広いが、ガージャール朝時代に建てられた際は、軍エリートかファールス州の部族の長がコンパウンドを使用しており、後にイラン王族も使うようになった。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「イラン南西部ファールス地方と言えば、イラン南部の歴史的地域名で、現在のファールス州を中心とした地方を指す。」
「シーラーズにあるこの庭園は、ガージャール朝時代に造園されましたよ。」
「そうなんですか。」
「ガージャール朝と言えば、18世紀末から20世紀初にかけて現在のイランを中心に支配したトゥルクマーン系ガージャール部族連合(英語版)によるイスラム王朝(1796年 - 1925年)で、首都はテヘランである。」
「シーラーズという街と言えば、ペルセポリスの遺跡はシーラーズから北東に57km離れた所にあり、往時の壮大な建築物の一部が残っており,イランで最も有名な観光地となっている。イランのシーラーズという町でもこの種のワイン(シラー)が生産されており、元々イラン原産で後にローヌに持ち込まれたという説があるが、諸説ある。」
「メインの建物は7色の化粧タイルで装飾されており、この建物全体を写す鏡のような広大な池が造られていますよ。」
「はい。」
「敷地内にこの池から全体に、階段状に水が落ち流れる水路が施されていますよ。」
「はい。」
「これら水路の脇には、低い木や高い木などがバランスよく植えられ、木陰を所々に美しく造っていますよ。」
「よく考えられていますね。」
「現在では、シーラーズ大学が保有し、博物館として一般公開され、多くの観光客が訪れていますよ。」
「そうなんですか。」
「シーラーズ大学と言えば、シーラーズ大学は1960年代、1970年代には英語で教育が行なわれ、イラン国内でも有数の優れた大学であった。」
「シーラーズという街と言えば、ペルセポリスの遺跡はシーラーズから北東に57km離れた所にあり、往時の壮大な建築物の一部が残っており,イランで最も有名な観光地となっている。イランのシーラーズという町でもこの種のワイン(シラー)が生産されており、元々イラン原産で後にローヌに持ち込まれたという説があるが、諸説ある。」
「シーラーズにほど近いケルマーン州にも、ガージャール時代に造られた『ペルシア式庭園』の一つ、「マーハーン皇太子の庭園」がありますね。」
「はい。」
「ケルマーン州と言えば、イランの州である。イラン南東部にあって州都はケルマーンで、人口は約200万である。」
「ペルシアと言えば、ペルシア、ペルシャ、ペルシヤは、現在のイランを表す古名である。イランの主要民族・主要言語の名称でもある。」
「シーラーズという街と言えば、ペルセポリスの遺跡はシーラーズから北東に57km離れた所にあり、往時の壮大な建築物の一部が残っており,イランで最も有名な観光地となっている。イランのシーラーズという町でもこの種のワイン(シラー)が生産されており、元々イラン原産で後にローヌに持ち込まれたという説があるが、諸説ある。」
「ここは他所とは違う特徴がありますよ。」
「それは何ですか?」
「まずその敷地面積は、なんと5.5haもありますよ。」
「広いですね。」
「当時の王朝の王子の一人の為に建造が開始されましたよ。」
「そうなんですか。」
「この庭園は小高い丘の上に、高い塀で囲まれている為、外から覗く事はできませんよ。」
「そうなんですか。」
「水利構造を利用して植物へ水を与え、さらに木陰も造ることに成功していますよ。」
「はい。」
「イスファーン州にも、「エラム庭園」と並ぶ有名な庭園「フィン庭園」がありますよ。」
「そうなんですか。」
「フィン庭園と言えば、イラン・カーシャーンにあるペルシャ式庭園である。フィン庭園内には、1852年、ガージャール朝・ナーセロッディーン・シャーの宰相を勤めたアミール・キャビールが暗殺された浴場も含まれている。2011年、「ペルシャ式庭園」の登録名で、他のイラン国内の8つのペルシャ式庭園とともに、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「イスファーン州と言えば、エスファハーンは、イランの都市で、エスファハーン州の州都である。テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。当時の繁栄は「エスファハーンは世界の半分」と賞賛され、この街を訪れたヨーロッパの商人も繁栄の記録を残している。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「エラム庭園と言えば、イランシーラーズにある有名な歴史的ペルシャ庭園です。楽園の庭は広いが、ガージャール朝時代に建てられた際は、軍エリートかファールス州の部族の長がコンパウンドを使用しており、後にイラン王族も使うようになった。」
「これは、16世紀頃のサファヴィー朝時代に造園されたと考えられていますね。」
「はい。」
「サファヴィー朝と言えば、16世紀から18世紀前半にかけてペルシア(現在のイランを中心とした地域)を支配したイスラム王朝(1501年 - 1736年)である。」
「庭園の水を維持するのに特徴がありますよ。」
「どんな特徴ですか?」
「この「フィン庭園」は、中央に面積2.3haの大きなプールの様な水がありますよ。」
「はい。」
「フィン庭園と言えば、イラン・カーシャーンにあるペルシャ式庭園である。フィン庭園内には、1852年、ガージャール朝・ナーセロッディーン・シャーの宰相を勤めたアミール・キャビールが暗殺された浴場も含まれている。2011年、「ペルシャ式庭園」の登録名で、他のイラン国内の8つのペルシャ式庭園とともに、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「ここから水路が引かれ、庭園内にあるいくつかの噴水などにつながっていますよ。」
「はい。」
「水源は、近くにある丘の上の泉から引いており、この際に地形を利用している為、ポンプなど一切使っていない自然な水引きが特徴となっていますよ。」
「そうなんだ。」
「同じくイスファーン州にはもう一つ、「チェヘル・ソトゥー庭園」もありますよ。」
「はい。」
「チェヘル・ソトゥー庭園と言えば、チェヘル・ソトゥー宮殿の庭は、アーリー・ガープ宮殿までつながっていたといい、アッバース1世時代に作られた。」
「イスファーン州と言えば、エスファハーンは、イランの都市で、エスファハーン州の州都である。テヘランの南約340kmに位置する。日本語では、慣例的にイスファハン、イスファハーンとも表記される。古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。当時の繁栄は「エスファハーンは世界の半分」と賞賛され、この街を訪れたヨーロッパの商人も繁栄の記録を残している。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。」
「その他に、イラン中部ヤスド州には「ドウラトアーバード庭園」と「パフラヴァーンプール庭園」がありますよ。」
「はい。」
「パフラヴァーンプール庭園と言えば、イラン中部ヤズド近郊のメヘリーズにあるペルシャ式庭園のひとつである。果樹や観賞用の樹木が整然と植えられており、園内には居住用の建物もある。」
「ドウラトアーバード庭園と言えば、イラン中部のヤズドにあるペルシャ式庭園のひとつである。270年ほど前のザンド朝時代に造られた庭園で、緑豊かな空間と複数の建物で構成されている。」
「イラン中部ヤスド州と言えば、ヤズド州はイランの中央部にある州。州都はヤズド。」
「イラン北部・カスピ海沿岸には、ベシャフル平原やカスピ海を一望出来る「アッバースアーバード庭園」、東部・ビールジャンドには「アクバリーエ庭園」がありますよ。」
「そうなんですか。」
「アクバリーエ庭園と言えば、イラン東部のビールジャンドにあるペルシャ式庭園のひとつである。園内の至る所に複数の建物と、カナートと呼ばれる地下水路を活用した水利システムが存在する。園内の建物は修復され、現在はビールジャンド市考古学博物館、民族学博物館として活用されている。」
「ビールジャンドと言えば、イラン東部・南ホラーサーン州の州都である。同州はホラーサーン州分割以前はビールジャンドあるいはクーヘスターンと呼ばれるホラーサーン州の一部であった。ビールジャンドの人口は2006年現在、218,783人。サフラン、メギ、手織り絨毯・敷物の産地として知られる。」
「アッバースアーバード庭園と言えば、イラン北部ベフシャフルにあるペルシャ式庭園のひとつである。傾斜となっている園内からは、ベヘシャフル平原やカスピ海、アッバースアーバード湖が見下ろせる。いくつもの小さな池や、編み目のように規則正しい水路が印象的です。」
「ベシャフル平原と言えば、イラン北部・カスピ海沿岸には、ベシャフル平原があります。」
「カスピ海と言えば、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖で、世界最大の湖である。カスピの名は古代に南西岸にいたカス族あるいはカスピ族に由来する。カスピ海に近い現在のイラン・ガズヴィーン州都Qazvinは同じ語源であると言われる。」
「どれもオアシスのように美しい庭園であり、後のインドやスペインなどの庭園設計に強く影響をもたらしましたね。」
「わかりました。」
世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~
「世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~」
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