エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡
「皆さんは、エジプトにどんなイメージを抱いていますか?」
「ピラミッドですね。」
「ピラミッドと言えば、ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指す。その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。」
「すべての人が、「ピラミッド」と答えそうな質問かも知れませんね。」
「そうですね。」
「エジプトには、ピラミッド以外にも、日本ではあまり知られていない様々な文化がありますよ。」
「そうなんですか。」
「アレキサンドリアの街の雰囲気には、ローマ時代の雰囲気が色濃く残っていますよ。」
「はい。」
「ローマ時代と言えば、ローマ時代、紀元前146年、マケドニアで反乱が起きると、ローマは北部ギリシャを直接支配下に入れ、属州化した。そして同じ年、アカイア同盟との戦争に勝利すると、ギリシャの都市も、マケドニアにいるローマ総督の監督下に置いた。」
「アレキサンドリアと言えば、アレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプト第2の都市で、アレクサンドリア県の県庁所在地である。2010年の都市的地域の人口は429万人である。マケドニア国王アレクサンドロス3世が、その遠征行の途上でオリエントの各地に自分の名を冠して建設したギリシア風の都市の第一号であった。」
「おみやげ屋さんには、アラビア数字の時計が置かれているのが、エジプトの自然な風景ですね。」
「はい。」
「アラビア数字と言えば、アラビア数字あるいはインド・アラビア数字は、インド数字に起源を持つ十進記数法の数字である。 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 の十種類がある。」
「訪れてみれば、たちまち異文化の魅力にとりつかれてしまうことでしょう。」
「そうなんだ。」
「日本に住む人々からすると、アフリカ大陸にあるエジプトは、まさに自国とは真逆の国ですよ。」
「はい。」
「ピラミッドがあることは知っていても、どういうピラミッドがあるかはまったく知らない人や、ピラミッドが世界遺産なのかどうかよく分かってない方もいるでしょう。」
「そうかも知れません。」
「一応、エジプトには「ギザの三大ピラミッド」と呼ばれるスポットがありますね。」
「はい。」
「ギザの三大ピラミッドと言えば、三大ピラミッドとは、エジプト、ギザの砂漠にある、3基のピラミッドの総称である。隣接するスフィンクスとともに、エジプトを象徴するイメージとなっている。造営時期は現在より約4500年前の、紀元前2500年頃とされ、メンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。古代エジプト王国のファラオの墓陵であり、被葬者はクフ王王、カフラー王王、メンカウラー王王とされる。」
「これらの場所は、ユネスコの世界遺産に指定されていますよ。」
「はい。」
「エジプトにある世界遺産は、実にさまざまですよ。」
「そうなんですか。」
「ギザ周辺のピラミッドを包括した「メンフィスとその墓地遺跡・ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」を筆頭に、考古学的な価値がきわめて高い世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」がありますよ。」
「そうなんだ。」
「古代都市テーベと言えば、古代エジプトにあった古代都市の遺跡である。現在のルクソール近郊にある。ナイル川東岸、地中海から約800km南方に位置する。上エジプト4番目の都市であり、現地では「ワセト」(Waset)と呼ばれた(「ワセト」は「都市」とほぼ同義)。」
「ダハシュールと言えば、カイロの南約40キロメートルのナイル川西岸の砂漠にある王家のネクロポリスである。いくつかのピラミッドがあることで知られており、中でも2つのピラミッドが特に古く大きく、保存状態もよい。」
「ギザと言えば、ギーザ は、エジプトの都市である。ナイル川中流の西岸に位置する。同国の首都であるカイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。人口はおよそ200万人。日本語表記はギザ、ギゼーなどともいう。」
「メンフィスと言えば、現在のエジプト共和国にある古代王朝の遺跡である。現在の地域名称はミート・ラヒーナ(アラビア語版)村。メンフィスという名は、第6王朝のファラオ、ペピ1世(英語版)のピラミッド「メンネフェル(英語版)」のギリシャ語読みが変化したものである。エジプト古王国期の統一王朝最初の都であり、初期の都市名は、Ineb Hedj("白い壁")。」
「60ヶ国の支援を受けながら、考古学調査をおこなったことがある「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」、アラブで最も人口の多い都市を保存した「カイロ歴史地区」、かつてキリスト教の巡礼地として栄えていた神秘的スポット「アブ・メナ」などがありますよ。」
「はい。」
「神秘的スポット「アブ・メナ」と言えば、アブ・メナは、アレクサンドリアの南西45kmに位置する、古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心的存在だった都市の遺跡である。1979年にユネスコの世界遺産に登録された。その遺構はほとんど残っていないが、バシリカのような大建築物の土台は、今でもはっきりと識別できる。」
「カイロと言えば、エジプトの首都である。アフリカ、アラブ世界で最も人口の多い都市であり、その地域を代表する世界都市の一つである。アラブ連盟の本部所在地でもあり、アラブ文化圏の中心都市である。」
「ヌビア遺跡と言えば、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡である。1960年代、エジプトでナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。」
「フィラエと言えば、フィラエ神殿は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌビア遺跡である。中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。」
「アブ・シンベルと言えば、スーダン国境まで約50kmのエジプト南部の都市である。世界遺産アブ・シンベル神殿観光のため、多くの観光客が訪れる。」
「そして、シナイ半島周辺・シナイ山周辺にある教会を包括した「聖カトリ-ナ修道院地域」などのスポットも、世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんだ。」
「聖カトリ-ナ修道院と言えば、聖カタリナ修道院は、エジプト、シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の修道院の名称である。他に聖カテリナ修道院、聖カトリーナ修道院、聖エカテリニ修道院とも称される。修道院は現在も継続して機能する、キリスト教:正教会の世界最古の修道院である。聖カタリナ修道院はユネスコの世界遺産に登録されている。」
「シナイ山と言えば、シナイ半島にある、モーセが神から十戒を授かったとされる場所である。ホレブ山とも呼ばれる。聖書のシナイ山の正確な場所は定かではないが、アラブ人がジェベル・ムーサー(アラビア語で「モーセ山」の意)と呼ぶシナイ半島南部の山(標高2,285m)に古くから比定され、アブラハムの宗教によって神聖視されている。ジェベル・ムーサーにはモーセに関わる伝承を持つ泉や岩が数多く存在し、土地の人々の信仰の対象となっている。3世紀には聖カタリナ修道院が建設された。」
「シナイ半島と言えば、西アジアのアラビア半島とアフリカ大陸北東部の間にある半島である。北は地中海、南は紅海、東はアカバ湾、西はスエズ湾にそれぞれ面している。南へ向けた三角形の形状をしており、先端はムハンマド岬。南部にはシナイ山がある。」
「これらのスポットは、エジプトの世界遺産として広く知られていますよ。」
「はい。」
「しかし、最も知名度があるのは、ギザの三大ピラミッドですね。」
「そうですね。」
「国内を問わず、世界中から観光客が訪れるピラミッド周辺には、常に大勢の人々が往来していますよ。」
「はい。」
「上記の世界遺産の他にも、「自然遺産」がありますよ。」
「そうなんですか。」
「自然遺産とは、自然の創り上げた絶景や、珍しい自然現象を発生させた大地の偉業を保存するための世界遺産ですね。」
「はい。」
「エジプトには、「ワディ・アル・ヒタン」というクジラなどの化石が大量に発掘される自然遺産も一カ所保有していますよ。」
「そうなんだ。」
「ワディ・アル・ヒタンと言えば、ワディ・アル・ヒタンまたはワディ・アル=ヒタンは、エジプトのファイユーム県にある新生代古第三紀の堆積層である。 英語で "Whales Valley"、日本語で「クジラ渓谷(クジラけいこく)」「クジラ谷(クジラだに)」などと意訳され別称される当地は、その名のとおり、進化過程の早期にあたるクジラ類(バシロサウルス科)の化石が多数発掘されることで地質学的に著名である。」
「大自然を愛する人が、思わず観光したくなるような場所も、しっかり保全されていますよ。」
「はい。」
「アフリカ大陸に悠然と広がる自然を眺めたいのであれば、ワディ・アル・ヒタンを観光してみましょう。」
「わかりました。」
「ピラミッドのような世界遺産を観光する際は、注意しなければならない点がいくつかありますよ。」
「教えてください。」
「かなり暑いので、それなりの恰好をしていった方が良いのは当然ですね。」
「はい。」
「何と言っても要注意なのは、「コンタクトレンズ」の問題ですよ。」
「どういうことですか?」
「日本人は視力の弱い人が非常に多く、10人に1~2はコンタクトレンズを使用している人がいますね。」
「そうなんですか。」
「そのような人々がピラミッド周辺へ行くと、砂嵐で一気に目が痛くなってしまう場合がありますよ。」
「そうなんだ。」
「目薬を点すことで回復すれば幸いですが、大体の場合はホテルに着くまで痛いのを我慢しなければなりませんよ。」
「はい。」
「せっかくのエジプト旅行が、台無しになってしまいますよ。」
「そうですね。」
「ちょっと手間がかかるかも知れませんが、ピラミッド周辺を観光する時だけはなるべくメガネを着用するようにしましょう。」
「わかりました。」
「必要のあるなしに拘わらず、目薬を一本持って行くと何かと便利ですよ。」
「はい。」
「そして、もう一点注意しなければならないものがありますよ。」
「それは何ですか?」
「それは、商売人によるぼったくりですよ。」
「そうなんですか。」
「日本ではあまりないことですが、この辺りの国では通常の価格を隠して、かなり高額な値段で取引しようとする人が、かなり多く存在しますよ。」
「そうなんだ。」
「ある程度現地の相場などを把握しておかないと、必要以上の経費がかかってしまいますよ。」
「はい。」
「騙されやすい自覚のある方は、特に気をつけてください。」
「わかりました。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~ワディ・アル・ヒタン~
「「ワディ・アル・ヒタン」という世界遺産をご存じでしょうか?」
「いいえ、知りません。」
「ワディ・アル・ヒタンと言えば、ワディ・アル・ヒタンまたはワディ・アル=ヒタンは、エジプトのファイユーム県にある新生代古第三紀の堆積層である。 英語で "Whales Valley"、日本語で「クジラ渓谷(クジラけいこく)」「クジラ谷(クジラだに)」などと意訳され別称される当地は、その名のとおり、進化過程の早期にあたるクジラ類(バシロサウルス科)の化石が多数発掘されることで地質学的に著名である。」
「「ワディ・アル・ヒタン」は、2005年にユネスコの世界遺産に指定された、エジプトで唯一の自然遺産ですよ。」
「そうなんだ。」
「「文化遺産」のみを見ると、かなり豊富な自然環境があるように思われるエジプトですね。」
「はい。」
「意外にも、国内にある自然遺産は、このスポットのみですよ。」
「そうなんだ。」
「貴重な自然遺産であるこのワディ・アル・ヒタンは、エジプトのファイユーム県に位置していますよ。」
「はい。」
「エジプトのファイユーム県と言えば、ファイユーム県は、エジプト中部の県である。ナイル川河谷からやや離れたカールーン湖周辺に広がるファイユーム盆地を県域とする。県都は首都カイロから南西に130km離れたファイユーム。人口は2006年の時点で251万2792人。現知事は、ハーゼム・アティーヤッラー。」
「日本語で「クジラ渓谷」を意味する名称がつけられたこの地は、クジラの化石が多く検出されるスポットですよ。」
「そうなんですか。」
「考古学調査が盛んに行われているスポットとして有名ですよ。」
「はい。」
「エジプトの季候や独特の地形を知っている方は、「クジラの骨がどうしてこんな砂漠地帯に?」と驚かれるかも知れませんね。」
「はい。」
「しかし、実はこの世界遺産の一帯には、かつて広漠とした海が広がっていましたよ。」
「そうなんですか。」
「それは、「新生代古第三紀」という時代まで遡りますよ。」
「はい。」
「新生代古第三紀と言えば、地質時代の大区分の一つである。地質時代は、先カンブリア時代とカンブリア紀以後とに二分され、後者は古い方から古生代、中生代、新生代に区分される。新生代は約6500万年前から現在までの時代で、第三紀と第四紀に分けられる。第三紀は新生代の大部分を占める時代で、新生代の始まりから約200万年前までに当たり、ふつうは前半の古第三紀と後半の新第三紀とに分けられる。さらに、古第三紀は古い方から暁新世、始新世、漸新世に、新第三紀は中新世、鮮新世に細分されている。」
「この時代に築かれた堆積層が、この世界遺産の地域一帯を創り上げていますよ。」
「はい。」
「「テティス海」と呼ばれる、浅い海が広がっていた頃に蓄積した小石や砂などが表出し、目に見える形で現れているのが、この世界遺産の大きな特徴ですよ。」
「そうなんですか。」
「テティス海と言えば、テチス海(Tethys Ocean, Tethys Sea)は、パンゲア大陸の分裂が始まった約2億年前ないし約1億8000万年前から、新生代第三紀まで存在していた海洋である。古地中海ともいう。ローラシア大陸とゴンドワナ大陸に挟まれた海域で、現在の地中海周辺から中央アジア・ヒマラヤ・東南アジアにまで広がっていた。また西側にも広がっておりカリブ海まで達していた。」
「この世界遺産は、4000万年も前の時代に生きていたクジラ(バシロサウルス科)の他に、亀の化石やサメの化石も発掘されていますよ。」
「そうなんだ。」
「クジラのバシロサウルス科と言えば、約4,100万- 約3,300万年前(新生代始新世中期- 後期)の浅海に棲息していた原始的クジラ類の一分類群である。小さな頭部とヘビのような長大な体を持つバシロサウルス、および、その近縁種の包括的分類区分。原クジラ亜目最後の科であり、現生型クジラ類の共通祖先を含むとされているグループである。」
「現代の科学に大きく貢献している世界遺産ですよ。」
「はい。」
「ただ周辺を歩くだけでも、探検しているような気分を味わうことができますよ。」
「はい。」
「化石や海の動物が好きな方は、是非観光してみましょう。」
「わかりました。」
「この世界遺産で発見されるクジラの化石は、非常に巨大な姿をしていますよ。」
「はい。」
「「バシロサウルス・イシス」という種類などは、何と全長二十一メートルもあるクジラであったと言われていますよ。」
「はい。」
「バシロサウルス・イシスと言えば、バシロサウルスは、約4,000万-約3,400万年前(新生代始新世後期)の温暖な海に生息していた原始的クジラ類である。最大種バシロサウルス・イシスはその発見地に因み、古代エジプトの女神イシスの名を持つ。」
「他にも、面白い化石が続々出てくる世界遺産として知られていますよ。」
「そうなんだ。」
「考古学に興味のある方には、かなりおススメですよ。」
「はい。」
「上記のバシロサウルスの他にも、バシロサウルスの近縁であるドルドンなども見つかっていますよ。」
「はい。」
「バシロサウルスの近縁であるドルドンと言えば、新生代始新世後期の約4,500万 - 約3,600万年前に生息していた初期クジラ類の絶滅した属である。哺乳網 - 鯨偶蹄目 - 原クジラ亜目に属する。現生のクジラの祖先あるいは祖先に近縁な生物であるといわれている。化石は北アメリカ大陸やエジプトなどから発見されている。学名は「槍の様な歯」の意。」
「古来のイルカやクジラを進化論の目線から見てみたいという方も、是非とも観光してください。」
「わかりました。」
「この地域は非常に乾いた季候が広がっていますよ。」
「はい。」
「コンタクトレンズを着用している方は、かなり目が乾いてしまいますよ。」
「そうなんだ。」
「目薬を持って行くかメガネで行くかのどちらかにしないと、せっかくの観光が台無しになってしまうので、くれぐれもご注意ください。」
「わかりました。」
「熱気にやられないように、帽子などを着用して見学しましょう。」
「はい。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~アブ・メナ~
「世界遺産のアブ・メナとは、エジプトの首都カイロから北西に約180kmある遺跡群ですよ。」
「はい。」
「カイロと言えば、エジプトの首都である。アフリカ、アラブ世界で最も人口の多い都市であり、その地域を代表する世界都市の一つである。アラブ連盟の本部所在地でもあり、アラブ文化圏の中心都市である。」
「アブ・メナへは、カイロからタクシーなどで四時間程で行くことが出来ますよ。」
「はい。」
「観光で行くなら、アレクサンドリアに寄ってみるのもいいでしょう。」
「わかりました。」
「ここは、古代エジプトにおけるキリスト教の聖地でしたよ。」
「はい。」
「世界遺産のアブ・メナの名前の基となったメナスは、285年メンフィス郊外の町で生まれ、父親は知事で、敬虔なクリスチャンでもありましたよ。」
「はい。」
「メンフィスと言えば、現在のエジプト共和国にある古代王朝の遺跡である。現在の地域名称はミート・ラヒーナ(アラビア語版)村。メンフィスという名は、第6王朝のファラオ、ペピ1世(英語版)のピラミッド「メンネフェル(英語版)」のギリシャ語読みが変化したものである。エジプト古王国期の統一王朝最初の都であり、初期の都市名は、Ineb Hedj("白い壁")。」
「メナスも父親と同じようにクリスチャンとして育てられますが、幼いうちに両親を亡くしましたよ。」
「そうなんだ。」
「両親の死後、ローマ軍に入隊したメナスは若くして高官となりますよ。」
「はい。」
「そこで問題が起きましたよ。」
「どういうことですか?」
「当時、ローマ帝国はキリスト教を弾圧する動きがあり、メナスはキリスト教弾圧を命じられましたよ。」
「はい。」
「しかし、クリスチャンであったメナスはこれを受け入れられず、軍に逆らいましたよ。」
「はい。」
「数年後、神に祈りつづけたメナスは、軍からの酷い拷問の中で殉教しますよ。」
「そうなんだ。」
「彼の死後、遺体はラクダの背に乗せられて運ばれましたよ。」
「はい。」
「しかし、そこで不思議なことが起こりますよ。」
「何があったのですか?」
「それまでは普通に歩いていたラクダの足が、ぴたりと止まってしまいましたよ。」
「はい。」
「これではいけないと、ラクダを押しても一歩も動こうとしませんでしたよ。」
「はい。」
「そこで人々は、「ここが神が決めた場所なのだろう」と、その場にメナスを埋葬しましたよ。」
「そうなんだ。」
「メナスが埋葬された後、再び不思議なことが起こりますよ。」
「どういうことですか?」
「一頭の皮膚病にかかった羊が、埋葬場所の近くの水に落ちたところ、病気が治ったというのですよ。」
「そうなんだ。」
「この噂は、瞬く間にエジプト中に広がり、癒しの聖地として巡礼者が訪れましたよ。」
「はい。」
「さらに、四世紀には聖堂が建てられるまでになりましたよ。」
「はい。」
「宿泊施設や洗礼堂なども次々と整い、町は栄えていきましたよ。」
「そうなんだ。」
「残念ながら、遺跡はイスラム教徒の手によって七世紀初めに破壊されてしまいますよ。」
「はい。」
「しかし、その面影は現在も見ることが出来ますよ。」
「はい。」
「砂に埋もれた遺跡を見ていると、メナスを慕って祈りを捧げる巡礼者が見えてくるような気がしますね。」
「そうなんですか。」
「現在エジプトの世界遺産アブ・メナにあるのは、修道院と遺跡の2つですよ。」
「はい。」
「この修道院は、1959年に建てられましたよ。」
「そうなんだ。」
「修道院から遺跡までは、約2kmの道程を南へ歩いていきますよ。」
「はい。」
「そうすると、周りを砂漠に囲まれた世界遺産のアブ・メナ遺跡が現れますよ。」
「はい。」
「メナスはエジプトの照りつける太陽と、広大な砂漠に負けないくらいの信仰心を持っていたのかも知れませんね。」
「そうなんですか。」
「それが、彼を聖者たらしめた最も大きなものだったのでしょう。」
「はい。」
「遺跡を訪れた際は、ぜひ古代エジプトとその地に眠る聖者に思いを馳せてみてください。」
「わかりました。」
「アブ・メナは、1979年に世界遺産の文化遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「しかし、2001年に危機遺産に登録されていますよ。」
「そうなんですか。」
「危機遺産とは字の通り、危機に晒されている遺跡のことですね。」
「はい。」
「エジプトの聖者メナスの人生の軌跡を残すためにも、この遺跡を皆で守っていかなくてはいけませんね。」
「そうですね。」
「世界遺産のアブ・メナの名前の基となった聖者メナスと言えば、世界遺産のアブ・メナとは、エジプトの首都カイロから北西に約180kmある遺跡群です。世界遺産のアブ・メナの名前のもととなったメナスは285年、メンフィス郊外の町で生まれました。 父親は知事であり、敬虔なクリスチャンでもありました。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群~
「エジプトのナイル川沿いには、古代エジプトの遺跡が多数残されていますよ。」
「はい。」
「ナイル川と言えば、アフリカ大陸東北部を流れ地中海に注ぐ世界最長級の河川である。長さは6,650km、流域面積は2,870,000km2にのぼる。」
「その中でも、南部に位置しているのが、世界遺産のアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群ですよ。」
「はい。」
「ヌビア遺跡と言えば、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡である。1960年代、エジプトでナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。」
「フィラエと言えば、フィラエ神殿は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌビア遺跡である。中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。」
「アブ・シンベルと言えば、スーダン国境まで約50kmのエジプト南部の都市である。世界遺産アブ・シンベル神殿観光のため、多くの観光客が訪れる。」
「この世界遺産のアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、一度アスワンハイダムによる水没の危機が訪れますよ。」
「そうなんですか。」
「アスワンハイダムと言えば、エジプトの南部、アスワン地区のナイル川に作られたダムである。アスワンダムは2つあるが、現在ではアスワンダムと言うとアスワン・ハイ・ダムを指すことが多い。古いアスワンダムは、アスワン・ロウ・ダムとも呼ばれる。1901年に完成し、以降数度にわたって拡張された。アスワン・ハイ・ダムは、アスワン・ダムの6.4km上流に建設され、1970年に完成した。」
「ヌビア遺跡と言えば、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡である。1960年代、エジプトでナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。」
「しかし、ユネスコによる積極的な保存活動により免れましたよ。」
「そうなんだ。」
「その後、世界遺産創設のきっかけとなった歴史に残すべき、建造物だらけの地ですよ。」
「そうなんですか。」
「死ぬまでに、一度は歴史のロマンを味わいに見物に訪れたい場所の一つでもありますよ。」
「はい。」
「エジプトの世界遺産の遺跡の中で、最大の規模を誇るのは、アブ・シンベル神殿ですよ。」
「はい。」
「アブ・シンベル神殿と言えば、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡である。オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿。大神殿と小神殿からなる。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。」
「1813年にエジプトに訪れた探検家により、砂に埋もれているのが発見されましたよ。」
「そうなんだ。」
「1817年には、入り口が発見され内部の発掘や調査が行われましたよ。」
「はい。」
「大神殿と王妃のための小神殿からなり、大神殿の入り口にある4体の巨像は全てラムセス2世ですよ。」
「はい。」
「ラムセス2世と言えば、ラムセス2世(Ramesses II、ラムセス大王、紀元前1314年頃 - 紀元前1224年、または紀元前1302年頃 - 紀元前1212年)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位:紀元前1290年 - 紀元前1224年、または紀元前1279年 - 紀元前1212年)である。その治世において、エジプトはリビア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸張し、繁栄した。ラムセ2世、ラメセス2世とも表記される。ラムセスという名は、ラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みである。」
「高さは22mもあり、自らの権力誇示のために建造された神殿と言えますよ。」
「そうなんだ。」
「この光景は、非常に圧巻的ですね。」
「そうなんですか。」
「現在の神殿は、水没の危機から脱するために、神殿の各パーツを正方形に正確に分割されていますよ。」
「はい。」
「元々の場所からは60m上方、川から210m離れたナセル湖のほとりにある丘の上に移設したものですよ。」
「そうなんですか。」
「コンクリート製のドームを基盤とし、上方がこんもりと盛り上がっているのが特徴ですよ。」
「はい。」
「そのため、現在の神殿では切り継いだ跡がうっすらと見られますよ。」
「そうなんだ。」
「左から二番目の象は頭部が落下していますが、それも忠実に再現していますよ。」
「はい。」
「この神殿の特徴は年に2回神殿の奥に日の光が届き、鎮座している4体の像の内3体を明るく照らしてくれますよ。」
「はい。」
「ラムセス2世の誕生日に合わせて調整が行われていましたが、移設により日にちが移動してしまい、現在は2月20日と10月20日にこの現象が発生しますよ。」
「そうなんだ。」
「フィラエ神殿は、イシス女神が祀られていますよ。」
「はい。」
「イシス女神と言えば、イスィス(Isis)は、エジプト神話の女神である。イスィスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと呼ばれた。ヘリオポリス神話ではゲブとヌトの子供で、オシリスの妹であり妻、セト、ネフティスの姉でもあり九柱神の一角を担う(セトの妹とされることもある)。またホルスの母。別の神話によるとラーの娘。ヌビアのフィラエ島やナイル河畔のサイスに大規模な神殿があったことで知られる。外見はトビあるいは背中にトビの翼を持った女性として表される。彼女の名前は玉座の象徴とされていた。セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は見つからなかった)繋ぎ合わせて復活させるなど、生と死を操る強大な魔力を持つ。」
「フィラエ神殿と言えば、フィラエ神殿は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌアビ遺跡である。中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。アスワン・ダムの建設により、半水没状態であったが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。」
「こちらもダム建設により半水没の状態にあり、波に洗われ激しく損傷されていましたよ。」
「はい。」
「ユネスコにより保存活動が行われ、1980年頃からアギルキア島に移設されましたよ。」
「そうなんだ。」
「アギルキア島(フィラエ島)と言えば、エジプト南部の都市アスワンを流れるナイル川の中にある島である。古代エジプトの女神イシスの聖域であり、プトレマイオス朝時代から古代ローマ帝国時代にかけて、フィラエ神殿(イシス神殿)やハトホル神殿が築かれた。しかし、アスワンダムの完成によって半水没した。さらに、アスワンハイダムが完成すると完全に水没するため、ユネスコの主導のもと、神殿など遺跡のすべてが500メートル離れたアギルギア島に移築された。現在はこの島をフィラエ島と呼んでいる。1979年、「アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産(文化遺産)に登録された。」
「現在は、アギルキア島をフィラエ島と呼んでいますよ。」
「はい。」
「エジプトの神殿と言えば、壁画が有名ですね。」
「はい。」
「当時の人々の生活や信仰といったものが描かれていますよ。」
「そうなんだ。」
「長年に渡り研究や調査が行われていますよ。」
「はい。」
「カラブシャ神殿も、水没危機により移設された神殿ですよ。」
「はい。」
「カラブシャ神殿と言えば、エジプト南部、ナセル湖の西岸にある神殿である。古代エジプト新王国第18王朝の時代に建設され、プトレマイオス朝、古代ローマ帝国時代にかけて再建された。ヌビアの豊穣の神マンドゥリス(エジプトのホルス神に相当)を祭る。もとは50キロメートルほど南に位置したが、アスワンハイダム建設に伴う水没を避けるため、現在の場所に移築された。」
「こちらは、西ドイツによる補助により移設が行われましたよ。」
「そうなんだ。」
「当時は、ナイル川西岸、アスワンの南55kmの場所にありましたよ。」
「はい。」
「アスワンと言えば、アスワン、アスワーン(Aswan)、もしくはシエネ(Syene)は、エジプト南部、ヌビア地方の都市で、アスワン県の県都である。エジプトの国家の一大事業であったアスワン・ハイ・ダムの近く。」
「なんと40kmも離れた場所に移転されていますよ。」
「そうなんだ。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~カイロ歴史地区~
「エジプトは、アフリカ大陸北東部の地中海と赤道を望む国ですよ。」
「そうですね。」
「エジプトは、世界遺産として知られているピラミッドやスフィンクスという古代エジプトの偉大なる建造物や遺跡が多く並ぶイメージが強いですね。」
「はい。」
「スフィンクスと言えば、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物である。エジプトにおけるスフィンクスは、ネメスと呼ばれる頭巾を付けたファラオ(王)の顔とライオンの体を持つ、神聖な存在である。」
「ピラミッドと言えば、ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指す。その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。」
「古代ローマ帝国やイスラム文化も広く伝わっていますよ。」
「そうなんですか。」
「首都カイロは、人口1167万人と東京都並みの人口を有するアフリカ大陸でも屈指の大都市ですね。」
「はい。」
「カイロと言えば、エジプトの首都である。アフリカ、アラブ世界で最も人口の多い都市であり、その地域を代表する世界都市の一つである。アラブ連盟の本部所在地でもあり、アラブ文化圏の中心都市である。」
「その中に、世界遺産でもあるカイロ歴史地区はありますよ。」
「はい。」
「中でも、カイロの東南部、オールド・カイロや旧市街地といった一帯がカイロ歴史地区と呼ばれていますよ。」
「そうなんだ。」
「オールド・カイロと言えば、エジプトのカイロの一部であり、カイロ以前の首都であったフスタートなどのみならず、都市の多様な歴史によるそれぞれの他の要素において、それらの街の面影を有している。例えば、カイロのコプト教地区 とその多くの古い教会およびローマ時代の防御設備の遺跡がある。現代の旅行者が訪れる場所としては、コプト博物館、バビロン要塞、ハンギング教会 やその他のコプト教会、ベン・エズラ・シナゴーグおよびアムル・イブンアル=アースのモスクなどがある。」
「イスラム文化による歴史的建造物が数多く残されていることから、1979年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「世界遺産に登録されてから30年たった2007年に改名されましたよ。」
「はい。」
「当初の登録名は、イスラーム都市カイロと呼ばれていましたよ。」
「そうなんですか。」
「オールド・カイロは、カイロ新市街地の南方に広がっていますよ。」
「はい。」
「カイロの市街地の中では一番古く、643年にフスタートと呼ばれるイスラム帝国によるエジプト支配の拠点都市として作られた所ですよ。」
「そうなんだ。」
「フスタートと呼ばれるイスラム帝国によるエジプト支配の拠点都市と言えば、オールド・カイロはカイロ新市街地の南方に広がっています。カイロの市街地の中では一番古く、643年にフスタートと呼ばれるイスラム帝国によるエジプト支配の拠点都市として作られたところです。それまでは古代ローマ帝国の砦があり、跡地に新しくモスクや教会を建てた場所もあります。」
「それまでは、古代ローマ帝国の砦がありましたよ。」
「はい。」
「跡地に新しくモスクや教会を建てた場所もありますよ。」
「はい。」
「しかし、14世紀にペストの蔓延により放棄されてしまいましたよ。」
「そうなんだ。」
「ペストと言えば、人間の体にペスト菌(Yersinia pestis 腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が入ることにより発症する伝染病である。日本では感染症法により一類感染症に指定されている。ペストは元々齧歯類(げっしるい)(特にクマネズミ)に流行する病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。」
「当時の建物は殆ど残されておらず、9世紀に建造されたイブン=トゥールーン・モスクが最古の建物とされていますよ。」
「はい。」
「イブン=トゥールーン・モスクと言えば、エジプト・カイロにあるモスクである。カイロで現存するモスクでは最古のモスクである。イブン=トゥールーン・モスクは、アッバース朝のエジプト総督で、事実上のトゥールーン朝の創始者であるアフマド・イブン=トゥールーンの手によって建設された。14世紀のエジプトの歴史家であるアル=マクリーズィーの記述によると、このモスクの建設は、876年に始まり、879年に完成している。」
「12世紀に発生した放火による大火以前の街並みを研究すべく、発掘作業が行われている場所でもありますよ。」
「はい。」
「その分、近代的な街並みの新市街地とは対称的に、古代から中世にかけての町並みの雰囲気を味わうことが出来るのは大変魅力ですね。」
「そうなんだ。」
「カイロ旧市街地はおよそ10世紀頃にファーティマ朝時代に建設された本来のカイロとも呼べる地域ですよ。」
「はい。」
「ファーティマ朝と言えば、シーア派の一派、イスマーイール派が建国したイスラム王朝(909年 - 1171年)その君主はイスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派であるスンナ派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。王朝名のファーティマは、イスマーイールの先祖である初代イマーム、アリーの妻で預言者ムハンマドの娘であるファーティマに由来している。」
「アズハル大学やアズハル・モスク、ハーン=ハリーリが、観光名所として有名ですよ。」
「はい。」
「ハーン=ハリーリと言えば、「ハン・ハリーリ」は、カイロのアズハル・モスクの近くに広がる巨大な市場である。14世紀後半にここに多くの隊商宿がつくられ、次第に交易の場としても発達していき、以後今に続く数百年間の歴史を誇る市場として日々賑わっている。」
「アズハル・モスクと言えば、970年、イスマーイール派のファーティマ朝カリフ・アル=ムイッズ・リ・ディーニッラーによって起工され、2年後に完成しました。当初の建物は、現在の建物の半分ほどで、徐々に増築されました。ファーティマ朝の由来である預言者の娘が、ファーティマ・アッ=ザフラー(al-zahra’、輝きの)であることから、アズハル(輝く)と名付けられました。」
「アズハル大学と言えば、10世紀にカイロに建てられたアズハルモスクに併設するマドラサ(学校)を起源とする大学である。イスラム教徒の9割を占めるスンニ派で最古の最高学府。歴史的にアフリカからアジアまで大勢の留学生を受け入れ、イスラム世界では宗教指導者、学者、裁判官などのネットワークを持つ。現在は医学部、工学部なども備えた総合大学となっている。」
「1176年にサラーフ・アッディーンにより建造されたシタデルは、長きに渡りエジプト政治の中心として使用された場所ですよ。」
「そうなんだ。」
「シタデルと言えば、モカッタム山のふもとにあるこの巨大なシタデル(要塞)の建設は、アイユーブ朝最初のスルタン、サラディンによって1176年に始められました。建設作業は30年間続きました。発砲するための細い縦長の隙間がある半円形の塔はサラディンによって建設された建築物に典型的です。現在シタデルの東外壁だけが残っています。」
「サラーフ・アッディーンと言えば、アイユーブ朝の第1代君主である。在位1169‐93年。クルド人で、イラク中部のタクリートに生まれ、1154年からダマスクスに住んでザンギー朝のヌール・アッディーンに仕えた。69年ファーティマ朝の宰相となってエジプトに実権を確立した後、74年にヌール・アッディーンが没すると、シリアからジャジーラへと領域を拡大して十字軍包囲の体制を築き上げ,87年にはヒッティーンの戦に十字軍を破ってエルサレムの奪回をなしとげた。」
「カイロと言うと、ナイル川に挟まれた地域ですね。」
「はい。」
「ナイル川と言えば、アフリカ大陸東北部を流れ地中海に注ぐ世界最長級の河川である。長さは6,650km、流域面積は2,870,000km2にのぼる。」
「ナイル川の度重なる氾濫により、植物を育てるのに適した栄養豊富の土砂が運ばれてきましたよ。」
「はい。」
「まさに、エジプトにおけるナイルの賜物を象徴する地域でもありますね。」
「そうなんだ。」
「それだけ依存度が高いことの現れでもありますね。」
「はい。」
「同時に、これまでの戦により失われたものがも大きいですよ。」
「はい。」
「イスラム文化を象徴するだけあって、モスクが数多く設置されていますよ。」
「そうなんですか。」
「1000のミナレットを持つ都としても知られているのは、このためですよ。」
「はい。」
「ミナレットと言えば、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔である。ミナレットはトルコ語のミナレ (Minare) に由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語ではマナール (manar) あるいはマナーラ (manara) といい、光(ヌール)と同一語根の語であることから光塔と訳されることもある。南アジアではミーナール (minar) とも呼ばれる。」
「市街地が南北に広く広がっているのは、王朝が変わる度に首都機能を徐々に北に移転させているからですよ。」
「そうなんですか。」
「エジプト、そして世界遺産のカイロの歴史を一度ならず、二度三度楽しめるのがカイロ歴史地区ですね。」
「そうなんだ。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯~
「エジプトと聞いて何を連想するかと尋ねれば、ほとんどの人は世界遺産でもあるピラミッドと答えるでしょう。」
「そうですね。」
「ダハシュールと言えば、カイロの南約40キロメートルのナイル川西岸の砂漠にある王家のネクロポリスである。いくつかのピラミッドがあることで知られており、中でも2つのピラミッドが特に古く大きく、保存状態もよい。」
「ピラミッドと言えば、ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指す。その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。」
「それくらいピラミッドは、エジプトを象徴する圧倒的な存在ですね。」
「はい。」
「寸分の狂いもなく積み上げられた巨大な石は、見事なまでに正三角すいを築き上げていますね。」
「はい。」
「これは当時の測量技術の高さを物語っていますね。」
「そうなんだ。」
「あまりにも正確なことや、重機など何もない時代にどうやってあの巨大な石を積み上げたのか想像できないことから、宇宙人説までが飛び出すほどですね。」
「そうなんですか。」
「真偽のほどは定かではありませんが、これも古代ロマンが掻き立てられるところですね。」
「はい。」
「この古代エジプト文明が始まった時、最初に都として栄えたのが、メンフィスでしたよ。」
「そうなんですか。」
「メンフィスと言えば、現在のエジプト共和国にある古代王朝の遺跡である。現在の地域名称はミート・ラヒーナ(アラビア語版)村。メンフィスという名は、第6王朝のファラオ、ペピ1世(英語版)のピラミッド「メンネフェル(英語版)」のギリシャ語読みが変化したものである。エジプト古王国期の統一王朝最初の都であり、初期の都市名は、Ineb Hedj("白い壁")。」
「今でもエジプトの世界遺産ツアーなどに参加した場合は、必ずメンフィスの街を訪れることになると思いますよ。」
「はい。」
「世界遺産のメンフィスという街には、「とても美しい町」という意味があるそうですよ。」
「そうなんだ。」
「この街では、プタハと呼ばれる神様が祭られていましたよ。」
「はい。」
「プタハと呼ばれる神様と言えば、プタハ(Ptah)は、古代エジプトの都市メンフィスで信仰された創造神である。エジプト神話の鍛冶や職人の守護神ともされ、セクメトを妻に持ち、ネフェルトゥムの父とされる。鍛冶で使う鉱物は地下資源であることから、タテネンなど地下世界の神とつながりを持つ。また後世では、地下世界とのつながりから冥界の神ともされた。プターとも。」
「このプタハ神は、人間を創造した神様ですよ。」
「はい。」
「当時奴隷だったイスラエル人の神様も創造主ですから、どこか似ていますね。」
「そうですね。」
「当時のメンフィスの周りには、白い壁がぐるりと取り囲み、敵の侵入を防いでいたようですね。」
「はい。」
「現在は小さな村といった印象ですが、当時は世界最大の街だったというこのギャップがいいですね。」
「そうなんだ。」
「ただ、小さな村とは言っても、世界遺産ですよ。」
「はい。」
「年間200万人以上の観光客が訪れますから、村人よりも観光客の方が多いすごい村ですね。」
「そうですね。」
「このエジプト、メンフィスで有名な王様と言えば、ラムセズ2世でしょう。」
「はい。」
「プタハ神殿跡には、このラムセス2世の巨大な像がありますよ。」
「はい。」
「プタハ神殿と言えば、プタハ神を主神に据えるメンフィスは、中王国時代以降も、宗教上の重要な中心地として機能した。ミート・ラヒーナ村に隣接するプタハ大神殿は、プタハ神を祀るメンフィス最大の神殿であったとされる。」
「ラムセス2世と言えば、ラムセス2世(Ramesses II、ラムセス大王、紀元前1314年頃 - 紀元前1224年、または紀元前1302年頃 - 紀元前1212年)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位:紀元前1290年 - 紀元前1224年、または紀元前1279年 - 紀元前1212年)である。その治世において、エジプトはリビア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸張し、繁栄した。ラムセ2世、ラメセス2世とも表記される。ラムセスという名は、ラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みである。」
「体長は15メートルもありますので、奈良の大仏とほぼ互角ですよ。」
「そうなんだ。」
「奈良の大仏は座っているのに対して、ラムセス2世の像は横に寝かされた状態になっていますよ。」
「はい。」
「ただ横に寝かされているのは、地震で倒れたからだそうですよ。」
「そうなんだ。」
「決してタイなどにある横に寝そべっている仏像とは違いますよ。」
「はい。」
「とにかく、15メートルもの大きさのラムセス2世の像は迫力がありますよ。」
「そうなんだ。」
「ラムセス2世像の建物の外には、遺跡から発掘された他の品々がいろいろと並べられていますよ。」
「はい。」
「その中でもひときわ目立つのは、世界遺産のスフィンクスの像でしょう。」
「はい。」
「スフィンクスと言えば、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物である。エジプトにおけるスフィンクスは、ネメスと呼ばれる頭巾を付けたファラオ(王)の顔とライオンの体を持つ、神聖な存在である。」
「顔なども崩れていないので、表情までよくわかりますよ。」
「そうなんだ。」
「このスフィンクスの表情は、どこか笑っているような感じで面白いですね。」
「はい。」
「このスフィンクスは、アラバスターという大理石の一種からできているそうで、白く重厚ですよ。」
「はい。」
「アラバスターと言えば、2種類あり、古代では透明感のある大理石の一種である。シュメール美術やエジプト美術において、彫刻や工芸品の材料として使用された。ギリシア美術では、工芸品に使用され、ヘレニズム時代からアラバスターが有する美しい透明感のゆえに小像彫刻にも用いられるようになる。ローマ時代以降も碗、壺、小像彫刻などに使用されると同時に、採光用開口部に窓ガラスの代りとして用いられている場合がある。」
「アラバスターという大理石の一種と言えば、この名前はギリシャ語で白を意味する「アルバス」から来ており、「蒸発岩」と言われる岩石の一種である。これは非常にきめの細かい石膏の巨大な集合体であり、その微粒子と完璧な白さによってとりわけ彫刻に適している。古代よりアラバスターという言葉は、時に「大理石オニキス」と呼ばれる潜晶質の石灰石のことも指し示した。」
「この材質の違いが、他のスフィンクスとはどこか違う雰囲気を醸し出しているのだろうと思いますね。」
「そうなんだ。」
「全長8m、高さ4.25m、重さ80tで必見ですよ。」
「わかりました。」
「さて、メンフィスの街はとても大きく、北のアブ・ロワシュという街から南のメイドゥムまで、約100キロもありますよ。」
「はい。」
「メイドゥムと言えば、ダハシュールの遙か南に位置するメイドゥムのピラミッドは、周囲が崩れ、中心部の核部分が残った特異な形で聳えている。このピラミッドもダハシュールと同じ、紀元前26世紀頃の古代エジプト古王国第4王朝、スネフェル王のピラミッドである。これより南にピラミッドは無い。」
「アブ・ロワシュという街と言えば、メンフィスの街はとても大きく、北のアブ・ロワシュという街から南のメイドゥムまで、約100キロもあります。そしてこの100キロの間に有名なピミッドがいくつも点在しています。」
「メンフィスと言えば、現在のエジプト共和国にある古代王朝の遺跡である。現在の地域名称はミート・ラヒーナ(アラビア語版)村。メンフィスという名は、第6王朝のファラオ、ペピ1世(英語版)のピラミッド「メンネフェル(英語版)」のギリシャ語読みが変化したものである。エジプト古王国期の統一王朝最初の都であり、初期の都市名は、Ineb Hedj("白い壁")。」
「この100キロの間に、有名なピミッドがいくつも点在していますよ。」
「そうなんですか。」
「世界遺産としても有名なのは、サッカラやギザのピラミッドですね。」
「はい。」
「サッカラと言えば、エジプトにある広大な古代の埋葬地であり、古代エジプトの首都だったメンフィスのネクロポリスだった。サッカラには多数のピラミッドがある。中でも有名なジュセル王のピラミッドは、その形状から階段ピラミッドとも呼ばれる。他にもマスタバ(古代エジプトで建設された長方形の大墓)がいくつかある。現在のカイロから南に30kmほど行ったところにあり、7km×1.5kmほどの領域をサッカラと呼んでいる。」
「ギザと言えば、ギーザ は、エジプトの都市である。ナイル川中流の西岸に位置する。同国の首都であるカイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。人口はおよそ200万人。日本語表記はギザ、ギゼーなどともいう。」
「ピラミッドと言えば、ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指す。その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。」
「特にギザには、三大ピラミッドと言われるクフ、カフラー、メンカウラーの世界遺産ピラミッドがありますよ。」
「そうですね。」
「メンカウラーと言えば、メンカウラー(生没年不明)はエジプト第4王朝のファラオ(5代目)で、在位は紀元前2532年から紀元前2504年。メンカウラーとは、ラーの魂のように永遠である」という意。父はカフラーであり、母はカメレルネブチ1世。妻は二人が確認されている。一人はカフラーとカメレルネブチ1世の第1王女、つまり兄弟姉妹婚となるカメレルネブチ2世であり、もう一人の名称は知られていないが、6代目ファラオとなったシェプスセスカフを産んだ。」
「カフラーと言えば、カフラー(?-紀元前2480年)はエジプト第4王朝のファラオで、メンフィスを首都とした。ハフラーとも言う。クフの兄弟で後継であるとする歴史家もいるが、クフの息子ジェドエフラーの兄弟、後継者とする説が一般的である。」
「クフと言えば、クフ(紀元前26世紀、在位紀元前2589年 - 紀元前2566年)は古代エジプト・古王国時代のファラオでカフラーの父である。ギザの三大ピラミッドのうち最大の大きさを誇る、いわゆるクフ王のピラミッドを造営したことで知られる。」
「エジプトのクフ王は、第4王朝時代の王様ですよ。」
「はい。」
「クフ王と言えば、クフ王(紀元前26世紀、在位紀元前2589年 - 紀元前2566年)は古代エジプト・古王国時代のファラオでカフラーの父である。ギザの三大ピラミッドのうち最大の大きさを誇る、いわゆるクフ王のピラミッドを造営したことで知られる。」
「紀元前2500年頃に活躍した王様ですよ。」
「はい。」
「このクフ王の時代に、ピラミッドが次々に作られていきましたよ。」
「そうなんですか。」
「これまでの三王朝時代に作られたピラミッドとは形が違っていますよ。」
「そうなんだ。」
「私たちが普通ピラミッドという場合、このクフ王時代に作られたものを言うのだろうと思いますね。」
「そうですね。」
「その大きさや形は、まさに芸術的で均整がとれていますよ。」
「はい。」
「相当な測量技術がなければ、このような均整がとれたピラミッドを作ることは不可能だと思いますね。」
「はい。」
「実際、当時の遺跡後からは、たくさんの測量機器も発掘されているそうですよ。」
「そうなんですか。」
「クフ王の壮大なピラミッドは違い、どこか素朴さがあるピラミッドとしておススメなのが、ダハシュールの遺跡にあるピラミッドですね。」
「はい。」
「ダハシュールの遺跡と言えば、早稲田大学エジプト学研究所によるダハシュール北遺跡の発掘調査は、1995年にはじまりこれまで15回の調査を行っている。当遺跡はセンウセレト3世のピラミッド(第12王朝)から北西約1kmの砂漠台地に位置する。」
「ダハシュールと言えば、カイロの南約40キロメートルのナイル川西岸の砂漠にある王家のネクロポリスである。いくつかのピラミッドがあることで知られており、中でも2つのピラミッドが特に古く大きく、保存状態もよい。」
「クフ王より前の時代に作られていますよ。」
「はい。」
「有名なのは、屈折ピラミッドとか赤ピラミッドと呼ばれるものですよ。」
「そうなんですか。」
「屈折ピラミッドと言えば、エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもあるスネフェル王のピラミッドである。三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。高さ105m、底辺189mであるが、特徴的なのは屈折ピラミッドの名のとおり途中で傾斜角度が変わっていて、下部は54度27分、上部は43度22分となっている。」
「屈折ピラミッドは、エジプトのクフ王の父だったスネフェル王のピラミッドですよ。」
「はい。」
「クフ王の父だったスネフェル王と言えば、クフ王の父は、第4王朝の創始者スネフェル王である。スネフェル王は、第3王朝の最後の王フニ王の子であるが、母は下位の王妃メルサンク1世であった。スネフェル王は、フニ王の上位の王妃の娘で、より正統な血をひくヘテプヘレス1世と結婚した。彼女は、クフ王の母である。血はつながっているが、第4王朝は新たな王朝として数えられている。」
「三大ピラミッドとして、世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」
「かなり崩れかけていて、土の塊といったイメージですね。」
「そうなんだ。」
「圧倒的な迫力はありませんが、それでも高さ105m、底辺189mもありますよ。」
「はい。」
「このエジプト特有の屈折ピラミッドの特徴は、ピラミッドの形が途中から屈折していることですね。」
「はい。」
「わかりやすく言うと、途中から角度が鋭角になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「正三角すいを見慣れているものにとっては、ちょっとびっくりしますね。」
「そうですね。」
「赤いピラミッドもクフ王の父であるスネフェル王のピラミッドで、屈折ピラミッドのすぐそばに立っていますよ。」
「はい。」
「赤いピラミッドと言えば、エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオでクフ王の父でもある、スネフェル王が建設したピラミッドである。三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。スネフェル王が先に建設した屈折ピラミッドの約1km北方に建てられ、初めて直線のラインを持ち、壁面が二等辺三角形になっている方錐形の真正ピラミッドである。高さは、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドに次いで3番目に高い。高さ104.4m、底辺218.5m×221.5m、傾斜角度は43度19分。名前のとおり、表面の花崗岩が赤く見えることから名づけられた。」
「こちらのピラミッドも、世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」
「その特徴は、ピラミッドの中で初めて直線のラインを持ったことですね。」
「そうなんですか。」
「形は正三角形ではなく二等辺三角形ですね。」
「そうなんですか。」
「方錐形の真正ピラミッドとして、初めてのピラミッドですよ。」
「わかりました。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~古代都市テーベとその墓地遺跡~
「世界遺産とされている古代都市テーベは、ケントウイークスが掘り当てましたよ。」
「はい。」
「古代都市テーベと言えば、古代エジプトにあった古代都市の遺跡である。現在のルクソール近郊にある。ナイル川東岸、地中海から約800km南方に位置する。上エジプト4番目の都市であり、現地では「ワセト」(Waset)と呼ばれた(「ワセト」は「都市」とほぼ同義)。」
「封印された扉を開き中を照らすと、Tの字型をした下通路の壁が懐中電灯の明かりの中に浮かび上がったそうですよ。」
「そうなんだ。」
「側面の壁には玄室扉がいくつも並んでいますよ。」
「はい。」
「通路の突き当りには、神オシリスが灰色の花薗岩に刻まれていますよ。」
「はい。」
「神オシリスと言えば、古代エジプト神話に登場する神の一柱である。オシリスとはギリシャ語読みで、エジプト語ではAsar(アサル)、Aser(アセル)Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)、Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausareとも呼ぶ。イシス、ネフテュス、セトの4兄弟の長兄とされる。王冠をかぶり、体をミイラとして包帯で巻かれて王座に座る男性の姿で描かれる。」
「あたりいちめんに積もった瓦礫には、こなごなになった彫像や陶器、真珠、木製の器、装飾に使われたアラバスターの残骸も混じっていましたよ。」
「そうなんだ。」
「アラバスターという大理石の一種と言えば、この名前はギリシャ語で白を意味する「アルバス」から来ており、「蒸発岩」と言われる岩石の一種である。これは非常にきめの細かい石膏の巨大な集合体であり、その微粒子と完璧な白さによってとりわけ彫刻に適している。古代よりアラバスターという言葉は、時に「大理石オニキス」と呼ばれる潜晶質の石灰石のことも指し示した。」
「ケントウイークスは、古代エジプト史上第2の年数を誇る、第19王朝の第3代王ラメス2世が残した50人の王子たちの共同墓所を発掘し、それらは後に世界遺産となりますよ。」
「はい。」
「しかし、18王朝少年王ツタンカーメンの墓所を発掘したイギリスの考古学者ハワードカーターの場合とは違って、見事な宝物を発掘することはできなかったそうですよ。」
「はい。」
「イギリスの考古学者ハワードカーターと言えば、ハワード・カーター(Howard Carter、1874年5月9日 - 1939年3月2日)は、イギリス・ケンジントン生まれのエジプト考古学者である。ツタンカーメン王の墓を発見した人物。」
「第18王朝少年王ツタンカーメンと言えば、ツタンカーメン(紀元前14世紀、紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)である。より厳密な表記ではトゥト・アンク・アメン (Tut-ankh-amen)。父アクエンアテンの生存中に、唯一神アテン信仰が説かれていたためにトゥトアンクアテン(Tutankhaten、「アテンの生ける似姿」の意)と名乗っていた。アクエンアテンの死後、即位すると伝統的な神であるアムン=ラー(アメン=ラー)の信仰を復活させ、トゥトアンクアムン(「アムン神の生ける似姿」の意)と改名した。また、首都をアマルナからメンフィス、テーベに戻した。」
「約70の墓室は、およそ2000年前にすでに盗掘済みでしたよ。」
「そうなんですか。」
「したがって、破損や残骸などから古代エジプトの生活習慣や宗教、儀式、当時の通商関係が詳しくわかったことが、エジプト学における成果ですね。」
「はい。」
「今まで発見された個人の墓所と違って、大きさの異なる部屋や通路、階段などによって構成されていますよ。」
「はい。」
「1995年アメリカの考古学者ケントウイークスは、埋もれた王族の墓を探して、何週間も執拗に発掘を続けましたよ。」
「そうなんだ。」
「アメリカの考古学者ケントウイークスと言えば、古代都市テーベとその墓地遺跡は、世界遺産とされている古代都市で、ケントウイークスが掘り当てました。ケントウイークスは古代エジプト史上第2の年数を誇る第19王朝の第3代王ラメス2世が残した50人の王子たちの共同墓所を発掘し、それらはのちに世界遺産となります。」
「そしてある日、ついにラメス2世の王子たちの遺体をエジプト王家の谷で発見しますよ。」
「はい。」
「場所は、ナイル川西岸、テーベ、現在のルクソール町の北東に位置しますよ。」
「はい。」
「ルクソール町と言えば、ルクソールは、古代エジプト期に首都テーベが置かれ、ツタンカーメンの墓で有名な「王家の谷」があるエジプトの代表的な観光地である。」
「ナイル川と言えば、アフリカ大陸東北部を流れ地中海に注ぐ世界最長級の河川である。長さは6,650km、流域面積は2,870,000km2にのぼる。」
「そこは、低い山並みに囲まれた場所ですよ。」
「そうなんだ。」
「時は、新王国時代ですね。」
「はい。」
「この世界遺産のエジプト古代都市テーベでは、それまでのピラミッド形式の王家の墓をやめ、後の王家の谷と呼ばれたこの谷の岩壁に穴を掘った岩窟墓所を作りましたよ。」
「そうなんですか。」
「初期の葬祭殿を兼ねた墓所は、山と川に挟まれた狭い谷に立てられていましたよ。」
「はい。」
「後にテーベに移され、古代エジプトの首都として、その栄誉を誇っていたに違いありませんね。」
「はい。」
「特に、第18王朝にエジプト最大の土地として発展し、国内および周辺諸国から富が流れ込み空前の栄光を築きましたよ。」
「そうなんですか。」
「古代ギリシャの詩人ホメロスは、100の塔門を持つ都とたたえましたよ。」
「はい。」
「古代ギリシャの詩人ホメロスと言えば、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。」
「11王朝、12王朝エジプト古代都市テーベの代々の墓地遺跡は、ケント・ウイークスが発掘するまでは、王子の墓はそのまま残っていたかも知れませんね。」
「はい。」
「安らかに眠り続けてほしいですね。」
「はい。」
「エジプトの世界遺産は永遠にやすらかに、ギリシャの神々、エジプトの神々に包まれていつまでも、神聖な宮殿を復元してそのまま王朝の時代を讃えてほしいですね。」
「そうですね。」
「貴重な世界遺産のエジプト王朝を素敵に復元してくださいね。」
「そうですね。」
「エジプト王朝と言えば、古代エジプトは、古代のエジプトに対する呼称である。具体的には紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前332年にアレクサンドロス大王によって滅ぼされるまでの時代を指す。古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル川流域分の面積だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。古代エジプト人は、元号のように「『王の名前』の統治何年目」のように歴史を記録していた。」
エジプトの世界遺産や古代エジプト文明と遺跡~聖カトリーナ修道院地域~
「エジプトと言うと、まず最初に思い浮かべるのが、あの雄大な世界遺産のピラミッドやスフィンクスなどですね。」
「そうですね。」
「スフィンクスと言えば、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物である。エジプトにおけるスフィンクスは、ネメスと呼ばれる頭巾を付けたファラオ(王)の顔とライオンの体を持つ、神聖な存在である。」
「しかし、その他にもエジプト世界遺産で見所の場所がたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」
「その世界遺産の一つが、聖カトリーナ修道院地域ですよ。」
「はい。」
「エジプトのシナイ山の北の麓にたたずむ、ギリシャ正教様式の東方教会修道院、聖カトリーナ修道院地域は、シナイ湾とアカバ湾にはさまれ、スエズ運河に面したシナイ半島の南端に位置していますよ。」
「はい。」
「スエズ運河と言えば、エジプトのスエズ地峡に位置し、地中海と紅海(スエズ湾)を結ぶ、海面と水平な人工運河である。1869年11月開通。本運河のためにアフリカ大陸を回りこまずにヨーロッパとアジアを海運で連結することができる。」
「アカバ湾と言えば、アカバ湾は紅海の北奥、シナイ半島の東側にある、南北に細長く伸びる湾である。チラン海峡より北側にある。両岸はエジプトとサウジアラビアであるが、最奥部にはイスラエルのエイラト、ヨルダンのアカバの各港があり、4ヶ国の国境が集中している。イスラエルではエイラト湾とよばれている。」
「シナイ湾と言えば、聖カトリーナ修道院地域は、シナイ湾とアカバ湾にはさまれ、スエズ運河に面したシナイ半島の南端に位置し、ユネスコ世界遺産として指定されている歴史的に意味のある重要な建造物です。」
「ギリシャ正教様式の東方教会修道院と言えば、エジプト世界遺産で見所の場所がたくさんあります。その一つが、聖カトリーナ修道院地域です。エジプトのシナイ山の北のふもとにたたずむギリシャ正教様式の東方教会修道院、聖カトリーナ修道院地域は、シナイ湾とアカバ湾にはさまれ、スエズ運河に面したシナイ半島の南端に位置し、ユネスコ世界遺産として指定されている歴史的に意味のある重要な建造物です。」
「シナイ山と言えば、シナイ半島にある、モーセが神から十戒を授かったとされる場所である。ホレブ山とも呼ばれる。聖書のシナイ山の正確な場所は定かではないが、アラブ人がジェベル・ムーサー(アラビア語で「モーセ山」の意)と呼ぶシナイ半島南部の山(標高2,285m)に古くから比定され、アブラハムの宗教によって神聖視されている。ジェベル・ムーサーにはモーセに関わる伝承を持つ泉や岩が数多く存在し、土地の人々の信仰の対象となっている。3世紀には聖カタリナ修道院が建設された。」
「シナイ半島と言えば、西アジアのアラビア半島とアフリカ大陸北東部の間にある半島である。北は地中海、南は紅海、東はアカバ湾、西はスエズ湾にそれぞれ面している。南へ向けた三角形の形状をしており、先端はムハンマド岬。南部にはシナイ山がある。」
「ユネスコ世界遺産として指定されている、歴史的に意味のある重要な建造物ですよ。」
「はそうなんだ。」
「その修道院が位置する地域は、イスラエルと国境を共にしていますよ。」
「そうなんですか。」
「サウジアラビアともアカバ湾をはさんで隣りあわせというロケーションにありますよ。」
「はい。」
「エジプトでありながら、何とも中近東的な雰囲気をかもしだす何とも魅力的な土地ですね。」
「はい。」
「現代から、一気にタイムスリップをしたかの錯覚におそわれますね。」
「そうなんだ。」
「その地区で、エジプトの神聖でスピリチュアルな体験をしてみてはいかがでしょう。」
「わかりました。」
「砂漠と言うと、暑いという感覚をお持ちの方にとって、実際にシナイ山登山をすると、その乾いた空気と寒さを肌で感じることができるでしょう。」
「そうなんだ。」
「そして、シナイ山から拝む日の出は、その歴史背景と共に何ともいえない深い感動にあなたを引き込んでくれますよ。」
「はい。」
「シナイ山登山をした後は、早速、聖カトリーナ修道院地域へ訪れましょう。」
「はい。」
「何もない土地に、突如として現れる修道院には、息をのみますよ。」
「そうなんだ。」
「遠くから見ると、高い塀に囲まれていて、箱庭のような感じに見えることでしょう。」
「はい。」
「そのため、近くに行ってみるまで、その姿を拝む事はできませんよ。」
「はい。」
「それは、まるで、神に守られている場所という感じがしますよ。」
「そうなんだ。」
「いかにも、モーゼが神から十戒を授けられた場所という雰囲気を感じられるでしょう。」
「そうなんだ。」
「十戒と言えば、十戒とは、モーセが神から与えられたとされる10の戒律のことである。十戒の内容は神の意思が記されたものであり、モーセが十戒そのものを考え出し、自らもしくは他者に記させたものではない。モーセの十戒とも呼ばれる。二枚の石板からなっている。」
「モーゼと言えば、モーセあるいはモーゼは、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる紀元前13世紀ごろ活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者である。新約聖書の使徒言行録 によれば、神の目に適った美しい子で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教およびバハーイー教など多くの宗教において、もっとも重要な預言者の一人。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。」
「歴史的にも、意義が深い場所なだけではなく、さまざまなイコンなどの芸術作品も目の当たりにすることができますよ。」
「はい。」
「芸術作品のイコンと言えば、「イコン」の語源はギリシア語の「エイコーン」で、「イメージ」、「写し」、「似姿」を意味しています。最初のイコンは4~5世紀ごろ、エジプトやパレスチナで書かれ、小アジア、ギリシア、イタリア、そしてロシアへと広がっていきました。イコンは聖書の中の人物や出来事を色彩を用いてあらわしたもので、神の世界に向かって開かれた窓、目に見えない世界への「覗き窓」として書かれたものです。」
「そして、あちらこちらに、旧約聖書によりエジプト人たちにより迫害にあったユダヤ人を、モーゼが救ったとする、その話を彷彿とさせてくれるような神聖なものを感じさせてくれることでしょう。」
「はい。」
「キリスト教やユダヤ教、旧約聖書などといった宗教に興味のある方たちには、たまらない場所であることは間違いありませんよ。」
「そうなんだ。」
「一生に一度は、いつかは訪れてみたい所、それがエジプトの聖カトリーナ修道院地域であるといえるでしょう。」
「わかりました。」
「時間がゆったり流れて、現代の喧騒を忘れたい方には、もってこいの聖なる地ですよ。」
「はい。」
世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~
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