イタリアの世界遺産とシチリア島
「イタリアの靴の先にある島シチリア・島嶼は、地中海の最大の島ですね。」
「そうですね。」
「シチリアと言えば、シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島である。地中海最大の島である。周辺の島を含めてシチリア州を構成している。この州はイタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はパレルモ。」
「オレンジ、オリーブなどを産出するこの島は、イタリア本土とまったく異なるイスラム風の雰囲気を漂わせていますよ。」
「そうなんですか。」
「コバルトブルーの海に浮かぶ巨大なエメラルドのような島、シチリア・島嶼には、多くの世界遺産がありますね。」
「はい。」
「「アグリジェント神殿の谷」、「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」、「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ」、「エオリア諸島」、「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」など、シチリアには至る所に世界遺産が点在していますよ。」
「そうなんだ。」
「パンターリカと言えば、パンターリカの岩壁墓地遺跡は、紀元前13世紀から紀元前7世紀までの5000以上の墓が残る、シチリア島の巨大なネクロポリスである。パンターリカは、シチリア南東部のフェルラ・ソルティーノ間のアナポ川・カルチナラ川の渓谷に位置している。パンターリカの岩壁墓地遺跡は、シラクサに残る古代ギリシャの都市遺跡とともに、ユネスコの世界遺産リストに登録されている。」
「シラクサ(シラクーザ)と言えば、イタリア共和国のシチリア島南東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約12万人の基礎自治体(コムーネ)である。シラクサ県の県都である。標準イタリア語の発音に近い表記は「シラクーザ」。古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市で、歴史的な遺跡など、多くの観光スポットがある。2005年には市内および周辺の歴史的建造物や遺跡が「シラクサとパンターリカの岸壁墓地遺跡」の名で世界遺産に登録もされている。」
「エオリア諸島と言えば、エオリア諸島 または エオリエ諸島は、シチリア島北方、ティレニア海南部にY字型に並んで浮かぶ火山性の諸島である。リーパリ島など主要7島で構成される諸島全体には約1万3000人の人々が暮らしており、行政上はシチリア州メッシーナ県に属する。いまなお活発な火山活動を行っているストロンボリ島(ストロンボリ火山)は「ストロンボリ式噴火」の典型として知られるほか、ヴルカーノ島(ヴルカーノ火山)が「ブルカノ式噴火(英語版)」の典型とされるなど、火山学に大きな学術的寄与を行っている。これらの島々は、 2000年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。」
「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレと言えば、イタリアシチリア島のピアッツァ・アルメリーナ郊外約5キロメートルのところにある古代ローマの別荘(ヴィッラ)である。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレにはローマ時代に描かれたモザイク絵画が数多く残っている。1997年に、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「後期バロック様式と言えば、シチリア、ヴァル ディ ノートの 1693 年の地震の後、都市設計家や建築家たちは革新的な技術を用いて、8 つの町をバロック様式で再建しました。
18世紀初頭になると、神聖ローマ帝国、特にオーストリアでは後期バロック建築が最盛期を迎え、後期バロック・ロココ建築が下火になったフランスに代わって、これを牽引するはたらきを担った。」
「ヴァル・ディ・ノートと言えば、ヴァル・ディ・ノートとは、シチリアの古い行政区分ヴァッロ(Vallo)の一つを指している。ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々は、イタリアのシチリア島の東南部にあるユネスコの世界遺産登録物件名。」
「アグリジェント神殿と言えば、アグリジェントは、イタリア共和国のシチリア島南部にある都市で、その周辺地域を含む人口約5万8000人の基礎自治体(コムーネ)である。アグリジェント県の県庁所在地でもある。古代ギリシアの植民都市アクラガスに起源を持ち、当時の遺跡が現在も残る。「神殿の谷」は「アグリジェントの考古学地域」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。町の周辺の小高い丘には神殿があり、その中でも有名な「神殿の谷」では、春になるとオレンジの木の花の心地よい香りが広がり、楽しむことができる。」
「船に乗ってやってくる観光客が、後を絶ちませんよ。」
「はい。」
「中でも、紀元前6世紀頃に造られた「アグリジェント神殿」などは、シチリア・島嶼の世界遺産の中で、最も見応えがありますよ。」
「そうなんですか。」
「シチリア旅行の際は、必見ですよ。」
「はい。」
「アグリジェント神殿は、古来の様相をそのまま残した建造物ですよ。」
「そうなんだ。」
「他ではまず見られない、異様な文化が色濃く残っていますよ。」
「はい。」
「数多くの世界遺産を観光して回っている人々でさえ、アグリジェント神殿の前では思わず立ちすくみ、情熱を駆り立てられますよ。」
「そうなんですか。」
「アグリジェント神殿のような古代のものではなく、現代に生き続ける文化遺産を求める人は、東南部にあるヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々を歩いてみましょう。」
「わかりました。」
「このヴァル・ディ・ノートは、芸術品を並べたような町並みになっていますよ。」
「そうなんですか。」
「当時の貴族が地震からの復興を目指して建造したものが、所狭しと並んでいますよ。」
「そうなんだ。」
「巨大地震の経緯を感じさせないまでに完成されたその町並みは、現代の人々の心を奮い立たせる不思議なパワーでみなぎっていますよ。」
「はい。」
「一方、エオリア諸島は、大自然の猛威が息づく世界遺産ですよ。」
「はい。」
「シチリアの北にあるエオリア諸島には、サリーナ山(標高962mの火山)を始めとする六種類の火山がありますよ。」
「そうなんですか。」
「サリーナ山(標高962mの火山)と言えば、シチリアの北にあるこのエオリア諸島には、サリーナ山(標高962mの火山)を始めとする六種類の火山があります。」
「六種類中二種類は、現在も活動していますよ。」
「はい。」
「その活発な火山は、貴重な研究対象として採用されていますよ。」
「はい。」
「学術的な価値が、非常に高い世界遺産ですよ。」
「そうなんだ。」
「自然のパワーを全身で味わいたい方は、エオリア諸島を訪れましょう。」
「わかりました。」
「エオリア諸島のような世界遺産は、「古来の姿」として眺めるのではなく、「現在の在り方」として観察することができますよ。」
「はい。」
「今も息づいている世界遺産に触れたいのであれば、エオリア諸島は欠かせませんね。」
「はい。」
「3~4世紀に建てられたカサーレ別荘地なども古びた印象のない世界遺産の一つですよ。」
「そうなんだ。」
「カサーレ別荘地と言えば、イタリアシチリア島のピアッツァ・アルメリーナ郊外約5キロメートルのところにある古代ローマの別荘(ヴィッラ)である。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレにはローマ時代に描かれたモザイク絵画が数多く残っている。」
「激烈な時代の変遷をくぐり抜けてきたとは到底思えないほど、保存状態が良いですよ。」
「はい。」
「当時の貴族の生活を垣間見たい方は、見逃せませんね。」
「はい。」
「忘れてはならないのが、シチリアの東海岸にある「シラクサ」ですよ。」
「そうなんですか。」
「シラクサは、大昔から主要な役割を担っていた街ですよ。」
「はい。」
「現在も、様々な文化が発展し続けている街ですよ。」
「はい。」
「考古学地域があったかと思えばリゾート気分が味わえるビーチがあったり、有名なチョコレートを食べることができたりと、面白い要素がぎゅっと詰まっている街ですよ。」
「そうなんだ。」
「まさに、観光向けの地域だと言えますね。」
「はい。」
「そして、繁栄の街シラクサを内陸に30キロメートルほど進んで行くと、今度は「パンターリカの岩壁墓地遺跡」がありますよ。」
「はい。」
「この古墳群は、なんと5000個以上のお墓がある空間ですよ。」
「多いですね。」
「神聖な場所として、保管されている地域ですよ。」
「はい。」
「マナーを守って利用しましょう。」
「わかりました。」
「シチリアには、まだまだ数え切れないほどのスポットが点在していますよ。」
「そうなんですか。」
「国旗の示す三つの地域をじっくり回ってみるのもおススメですね。」
「はい。」
「シチリア料理を求めて、グルメツアーをするのも良いと思われますよ。」
「はい。」
「世界遺産の他にも、地中海の十字路「パレルモ」のような活気に満ちた港町もありますよ。」
「そうなんだ。」
「地中海の十字路「パレルモ」という活気に満ちた港町と言えば、イタリアの靴の先にある島シチリア・島嶼は地中海の最大の島です。世界遺産の他にも、地中海の十字路「パレルモ」のような活気に満ちた港町もある。」
「シチリア旅行の際は、レンタカーを借りて観光地するのがおススメですよ。」
「わかりました。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~アグリジェントの遺跡地域~
「シチリアで最も気になる世界遺産は、アグリジェントの遺跡地域ではないでしょうか。」
「そうなんですか。」
「シチリアと言えば、シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島である。地中海最大の島である。周辺の島を含めてシチリア州を構成している。この州はイタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はパレルモ。」
「アグリジェントの遺跡地域は、県庁所在地であるアグリジェントの街にありますよ。」
「はい。」
「アグリジェントの街は、シチリアを代表する街ですよ。」
「はい。」
「シチリアを知りたいのであれば、アグリジェント観光を忘れてはいけませんね。」
「そうなんですか。」
「アグリジェントの街は、乾いた地域特有の砂の色の建物が広がっていますよ。」
「はい。」
「周辺の丘へ上ると、地中海の海が一望できますよ。」
「いいですね。」
「街を囲むように小高く伸びているこの丘の上は、およそ二十以上の遺跡が並んでいる特別な丘ですよ。」
「そうなんですか。」
「観光に訪れた人々の視線は、一つ残らず美しい遺跡に注がれていますよ。」
「そうなんだ。」
「そのうちの多くは、すぐさま夢中でシャッターを切るようになりますよ。」
「はい。」
「アグリジェントの遺跡地域は、極端に日陰が少ないのが特徴ですよ。」
「はい。」
「それでも、汗だくになってしまうような暑さも思わず忘れて、目の前の世界遺産に魅了されてしまいますよ。」
「そうなんだ。」
「この辺一帯の世界遺産の中では、コンコルディア神殿がひときわ鮮烈なパワーを放っており、神々しいまでの美しさをたたえていますよ。」
「はい。」
「コンコルディア神殿と言えば、ローマ神話の和合の女神コンコルディアを祭った神殿で、フォルム・ロマヌムの西端にあった。長い間ローマ市民同士が争う時代の後、紀元前4世紀に平和への誓いをこめて建設された。その後も何度も破壊と再建を繰り返し、最後に再建されたのは紀元7年から紀元10年のローマ皇帝アウグストゥスの治世下で、ティベリウスが行ったことが大プリニウスの『博物誌』に記されている。1450年ごろ完全に崩壊し、石灰窯として使われ、大理石は建材に流用された。」
「ローマ神話に出てくる和合の女神であるコンコルディアと言えば、古代ローマ神名事典は、一般に「ローマ神話」と呼ばれるものの中の神々のうちから、 ローマ独自の神の名を抜き出して事典にしたもの です。例えば、コンコルディアは和合の女神ですが、そのコンコルディアという単語は、そのまま、共感、一致、調和などを意味していました。」
「コンコルディア神殿とは、ローマ神話に出てくる和合の女神であるコンコルディアを祭った神殿ですよ。」
「そうなんだ。」
「スピリチュアルな雰囲気が漂うこのコンコルディア神殿は、紀元前五世紀の半ばに造られたドリス式の神殿で、この島で最も大きな規模の神殿ですよ。」
「はい。」
「ドリス式の神殿と言えば、ドーリア式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、イオニア式、コリント式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。ドリス式とも呼ばれる。古代ギリシア建築前期のもので、柱頭に鉢形装飾や柱基を持たずしばしば「荘重」と表現される。ドーリア式のオーダーが用いられている代表的建造物としては、アテナイのパルテノン神殿が挙げられる。」
「丘に集合している遺跡群の中で、最も保存状態が良いですよ。」
「そうなんだ。」
「コンコルディア神殿の周囲には、常に多くの観光客が集まっていますよ。」
「はい。」
「かつての技術と美的感覚に酔いしれる観光客の姿も多いですよ。」
「はい。」
「テレビのリポーターの姿が見られることも多いですよ。」
「そうなんですか。」
「何かにつけて、非日常な空気を感じることができる空間になっていますよ。」
「はい。」
「アグリジェントは、哲学者であるエンペドクレスの出身地としても知られている街ですよ。」
「はい。」
「哲学者エンペドクレスと言えば、エンペドクレス(紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)は、古代ギリシアの自然哲学者、医者、詩人、政治家である。アクラガス(現イタリアのアグリジェント)の出身。四元素説を唱えた。弁論術の祖とされる。名家の出身で、彼の祖父は紀元前496年に行われたオリンピア競技(競馬)で優勝した。彼自身も優勝したことがあるようだ。ピュタゴラス学派に学びパルメニデスの教えを受けたとされる。」
「この街は、上記のように数多くの遺跡が保存されていますよ。」
「そうなんだ。」
「神秘的な雰囲気をまとったさまざまな世界遺跡・文化を見学できるようになっていますよ。」
「はい。」
「ただし、アグリジェント神殿周辺の世界遺産は猛暑の日に向かうとかなり肌が焼けますよ。」
「はい。」
「アグリジェント神殿と言えば、アグリジェントは、イタリア共和国のシチリア島南部にある都市で、その周辺地域を含む人口約5万8000人の基礎自治体(コムーネ)である。アグリジェント県の県庁所在地でもある。古代ギリシアの植民都市アクラガスに起源を持ち、当時の遺跡が現在も残る。「神殿の谷」は「アグリジェントの考古学地域」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。町の周辺の小高い丘には神殿があり、その中でも有名な「神殿の谷」では、春になるとオレンジの木の花の心地よい香りが広がり、楽しむことができる。」
「アーモンドの花などが咲き乱れていて美しい地域ですよ。」
「そうなんだ。」
「そこらじゅうに木が生えているような場所ではないので、観光される方は、何かと注意が必要ですよ。」
「はい。」
「世界遺産の内部はファッションショーに利用されることもありますよ。」
「そうなんですか。」
「特別なイベントが催されることもありますよ。」
「はい。」
「観光する際は、情報を隅々までチェックしてから行くのがおススメですね。」
「わかりました。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々~
「イタリアと言えば、日本でも人気の海外旅行先ですね。」
「そうですね。」
「長靴の形をしたイタリアは、そんなに大きくありませんよ。」
「はい。」
「しかし、日本人なら誰でも知ってる都市がたくさんありますね。」
「はい。」
「文化やファッション、グルメも楽しめる国だと思いますよ。」
「そうですね。」
「イタリア旅行に行く場合、どこへ行く人が多いのでしょうか?」
「教えてください。」
「やはり、定番中の定番、ローマは外せませんね。」
「そうですね。」
「ローマと言えば、イタリアの首都である。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都、ローマ県のコムーネの一つで、ローマ県の県都でもある。英語とフランス語の表記は「Rome」。イタリアの首都で政治、経済、文化の中心地である。当市に囲まれるようにローマ教皇の居住するバチカン市国があり、そこは全世界のカトリック教徒にとっての中心地で、現在は外国であるが歴史・宗教・文化的にはローマ市地域と密接な関わりがある。」
「「ローマの休日」の世界観に憧れて映画に出てきた観光スポットを回るのもいいですね。」
「はい。」
「映画「ローマの休日」と言えば、1953年製作のアメリカ映画である。王女と新聞記者との切ない1日の恋を描いている。トレビの泉や真実の口など、永遠の都・ローマの名だたる観光スポットを登場させていることでも有名である。1953年度のアカデミー賞において、主役の新人オードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞を、脚本のイアン・マクレラン・ハンターが最優秀原案賞を、衣装のイデス・ヘッドが最優秀衣装デザイン賞をそれぞれ受賞した。」
「ピザやパスタなどのおいしいイタリア料理に舌鼓を打つのもいいですね。」
「はい。」
「イタリア第2の都市でファッションの街でもあるミラノを訪れて、ミラノの象徴であるミラノのドゥオーモも絶対に見ておきたいスポットですね。」
「そうですね。」
「ミラノのドゥオーモと言えば、ロンバルディア州都ミラノの象徴である。都市の中心のドゥオーモ広場に位置し、聖母マリアに献納されているドゥオーモである。ミラノのドゥオーモは500万人のカトリック信者がいる世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する首都大司教の司教座聖堂であり、その大司教は2011年からアンジェロ・スコラ枢機卿が務めている。」
「イタリア第2の都市でファッションの街でもあるミラノと言えば、ミラノはローマに次ぐイタリア第二の都市で、北イタリアでは最も規模の大きい街である。イタリア最大の商業都市でもある。「ミラノ・ファッション」という言葉があるように、世界最先端のファッションを生み出している街でもある。」
「他にも、ウフィッツィ美術館のあるフィレンツェや運河で有名なベネチア、ピサの斜塔のあるピサなど、イタリアは本当に訪れたい観光スポットが多い国ですね。」
「はい。」
「ピサの斜塔と言えば、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する観光スポットである。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453t、地盤にかかる平均応力は50.7tf/m2と見積もられている。一時傾斜の増大と倒壊の危惧があったがその後の処置により、当分問題ないと判断されている。5.5度傾いていたが、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に是正されている。」
「ピサと言えば、イタリア共和国トスカーナ州にある都市であり、その周辺地域を含む人口約8万6000人の基礎自治体(コムーネ)である。ピサ県の県都である。」
「運河で有名なベネチアと言えば、ヴェネツィアは、イタリア共和国北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体(コムーネ)である。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県都である。ベネチアなどとも表記される。中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名をもつ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。」
「フィレンツェと言えば、イタリア共和国中部にある都市で、その周辺地域を含む人口約36万人の基礎自治体(コムーネ)である。トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県都である。中世には毛織物業と金融業で栄え、フィレンツェ共和国としてトスカーナの大部分を支配した。メディチ家による統治の下、15世紀のフィレンツェはルネサンスの文化的な中心地となった。」
「ウフィッツィ美術館と言えば、ウフィツィ美術館は、イタリアのフィレンツェにあるイタリアルネサンス絵画で有名な美術館である。1591年より部分的に公開されており、近代式の美術館としてヨーロッパ最古のものの1つである。またイタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大のものである。1982年に世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として認定されている。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫である。」
「しかし、日本ではあまり知られていないイタリアの観光地へ行ってみたいという人におススメなのが、シチリア島の東南部にあるノート、ラグーサ、カターニア、モディカ、シクリ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、パラッツォロ・アクレイデ、カルタジローネの8つ町ですよ。」
「そうなんですか。」
「シチリア島の東南部にあるカルタジローネと言えば、バロック建築だけでなく、街を彩るのはマヨルカ焼。アラブ時代に伝えられた蒼を基調とした陶器装飾が、街の至る所を飾ります。街の見どころでもある142段の階段や各教会の床に敷き詰められた陶器は、この街だけで体験できます。」
「シチリア島の東南部にあるパラッツォロ・アクレイデと言えば、街の形は3角形。ファサードに螺旋の円柱装飾をもつアンヌンツィアータ教会はバロックの大胆な装飾にもかかわらず、優しい印象を与えてくれます。美しい曲線美を持つアッスンタ教会の他、門番のような獅子の彫刻があるサン・セバスティアーノ教会など合計11の建築物が世界遺産に登録されており、街の広い地区に点在します。」
「シチリア島の東南部にあるミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニアと言えば、サンタントニオ・ディ・パドヴァ教会を中心に広がる街は、ヴァル(谷)という名前通り、山地の山間に位置しています。世界遺産に登録されている建築物は合計11。上記の教会以外に、サンタ・マリア・デッラ・ステッラ教会、サン・セバスティアーノ教会などが挙げられます。」
「シチリア島の東南部にあるシクリと言えば、こじんまりとした小さな街は、ゆっくりとした休暇を過ごすに最適です。淡い色の石材で作られたバロック建築の中で美味しいグルメで癒されます。現地のイタリア人も訪れる隠れ家的なスポット。」
「シチリア島の東南部にあるモディカと言えば、もともと2つの川が流れていたその高低差を利用したバロック建築は、街を劇場のように配置させています。サン・ピエトロ教会とサン・ジョルジョ教会が、それぞれコントラストを見せます。」
「シチリア島の東南部にあるラグーサ、カターニアと言えば、ラグーサは、数多くのバロック建築と絶景スポットが点在します。旧市街イブラでは、ゆったりとした街歩きが楽しめ、夜景は言葉に尽くせない美しさを誇ります。カターニアは、シチリア第2の都市の中心にある、ヴィア・クロチェリ(クロチェリ通り)が世界遺産に登録されています。周辺には教会と修道院が立ち並ぶこの雰囲気ある通りは、現地カップルの結婚式写真スポットにも選ばれています。」
「シチリア島の東南部にあるノートと言えば、シチリア島南東部にある、ヴァル・ディ・ノートとよばれるエリア周辺の8つの街々は、1693年にエトナ山周辺地域をおそった大地震による街の全壊から、都市計画による驚異的再建を実現し、見事な後期バロック様式の建築・芸術を街に花咲かせました。」
「これら8つの町が、2002年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々は、中世前半に形成された町ですよ。」
「はい。」
「後期バロック様式と言えば、シチリア、ヴァル ディ ノートの 1693 年の地震の後、都市設計家や建築家たちは革新的な技術を用いて、8 つの町をバロック様式で再建しました。
18世紀初頭になると、神聖ローマ帝国、特にオーストリアでは後期バロック建築が最盛期を迎え、後期バロック・ロココ建築が下火になったフランスに代わって、これを牽引するはたらきを担った。」
「ヴァル・ディ・ノートと言えば、ヴァル・ディ・ノートとは、シチリアの古い行政区分ヴァッロ(Vallo)の一つを指している。ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々は、イタリアのシチリア島の東南部にあるユネスコの世界遺産登録物件名。」
「お城や教会を中心に発展してきましたよ。」
「そうなんですか。」
「1960年代に、地震で町は壊滅的な被害を受けたそうですよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、その後、地元の貴族らの働きによって、後期バロック様式で統一された建物で町が再建され、現在に至り世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「後期バロック様式は、当時の一大ムーブメントになっていた建築様式ですよ。」
「そうなんだ。」
「町の復興をこの後期バロック様式で行い、調和のとれた統一した街並みで見事復興を遂げましたよ。」
「はい。」
「これら8つの町の中でも、世界遺産のヴァル・ディ・ノート、つまりノートの町には、モンテヴェルジネ聖堂やサン・ドメニコ聖堂などのバロック建築の傑作が残り、訪れる人を魅了していますよ。」
「そうなんですか。」
「バロック建築と言えば、1590年頃から盛んになった建築様式である。建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする。特に内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際立った特色となっている。」
「サン・ドメニコ聖堂と言えば、ノートには、モンテヴェルジネ聖堂、サン・ドメニコ聖堂など、バロック建築の傑作も残る。街中の住宅のバルコニーには空想の動物や女性像などの彫刻が施され、バロック様式を象徴し、さながら町全体が美術館の様相である。」
「モンテヴェルジネ聖堂と言えば、ノートには、モンテヴェルジネ聖堂、サン・ドメニコ聖堂など、バロック建築の傑作も残る。街中の住宅のバルコニーには空想の動物や女性像などの彫刻が施され、バロック様式を象徴し、さながら町全体が美術館の様相である。」
「荘厳なバロック様式の教会や宮殿、修道院などが立ち並ぶノートの町は、家々のバルコニーにも彫刻が施されていますよ。」
「はい。」
「町全体が、中世ヨーロッパに迷い込んだような素敵な空間ですよ。」
「はい。」
「さすがに世界遺産に登録されているだけありますね。」
「そうなんだ。」
「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々へは、是非ゆっくりと時間を取って散策してみることをおススメします。」
「わかりました。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~ヴィッラ・アドリアーナ~
「イタリアの首都ローマから約30キロほど行った所に、ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)がありますよ。」
「はい。」
「ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)と言えば、イタリアのティヴォリにあるユネスコの世界遺産登録物件である。ティヴォリは、ローマの東約30kmにある丘陵の上にある、穏やかな気候に恵まれ、豊かな森に囲まれた街。ここは古代ローマ時代から上層階級の保養地であった。」
「ローマと言えば、イタリアの首都である。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都、ローマ県のコムーネの一つで、ローマ県の県都でもある。英語とフランス語の表記は「Rome」。イタリアの首都で政治、経済、文化の中心地である。当市に囲まれるようにローマ教皇の居住するバチカン市国があり、そこは全世界のカトリック教徒にとっての中心地で、現在は外国であるが歴史・宗教・文化的にはローマ市地域と密接な関わりがある。」
「イタリアの世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」
「ローマから日帰りイタリア世界遺産ツアーで、参加する人が多い観光スポットですよ。」
「そうなんだ。」
「ヴィッラ・アドリアーナは、ローマ皇帝ハドリアヌスが作った別荘地ですよ。」
「はい。」
「ローマ皇帝ハドリアヌスと言えば、プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス(76年1月24日 - 138年7月10日)は、第14代ローマ皇帝(在位:117年 - 138年)である。ネルウァ=アントニヌス朝の第3代目皇帝。帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努める一方、トラヤヌス帝による帝国拡大路線を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化路線へと転換した。」
「ハドリアヌスは、皇帝の座にありながら旅行が好きで世界中を視察して回ったようですよ。」
「そうなんだ。」
「ローマに戻ると、ヴィッラ・アドリアーナの増改築を行い、それを繰り返して133年に完成しましたよ。」
「はい。」
「世界各地の影響を色濃く受けた建造物が多いですよ。」
「はい。」
「中には、ギリシアの神々を模した彫刻や大理石の柱、エジプトの運河などが作られていますよ。」
「そうなんだ。」
「池をたくさん作り、円や曲線を使ったデザインは、当時のものとしては大変珍しいですよ。」
「そうなんですか。」
「現在でも多くの著名な建築家や造園家がヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)の設計力の高さに魅了されていますよ。」
「はい。」
「現在の別荘や庭園、ガーデニングの典型になったとも言われていますよ。」
「はい。」
「現在イタリアの世界遺産となったヴィッラ・アドリアーナは、彫刻や石材が盗掘や略奪に遭ったため、当時の姿は一部のみとなりましたよ。」
「そうなんですか。」
「廃墟となっている所もありますが、当時の名残や雰囲気はしっかりと残っていますよ。」
「そうなんだ。」
「この巨大な庭園は、4つのテーマに分かれていますよ。」
「はい。」
「合計30以上の建物が立ち並び、とても一度に見られるものではありませんよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、抑えておきたいポイントだけでも見ておけば、イタリアの世界遺産を十分楽しめますよ。」
「はい。」
「まず一番有名なのは、運河をイメージしたカノープスですね。」
「はい。」
「エジプトの古代都市であるカノープスと言えば、古代エジプトのアレクサンドリアの東にあった都市である。カノープスは、紀元前からギリシャやエジプトの文献に名前の登場する由緒ある都市であり、プトレマイオス朝の時代には、「セラピウム」と呼ばれる聖域があったことで知られていました。」
「エジプトの2つの古代都市である、アレクサンドリアとカノープスをつなぐ運河をイメージしていますよ。」
「そうなんだ。」
「エジプトの古代都市であるアレクサンドリアと言えば、カイロに次ぐエジプト第2の都市で、アレクサンドリア県の県庁所在地である。2010年の都市的地域の人口は429万人である。マケドニア国王アレクサンドロス3世が、その遠征行の途上でオリエントの各地に自分の名を冠して建設したギリシア風の都市の第一号であった。「地中海の真珠」とも呼ばれる港町アレクサンドリアでは、街中に英語の看板も多く、大きなサッカー場もある。」
「どちらかと言えば、池という感じですね。」
「はい。」
「しかし、その壮大さ、美しさには圧倒されますよ。」
「はい。」
「運河の周りには、ギリシアの神や女神の像、それを模った柱などが整然と並べられていますよ。」
「そうなんだ。」
「そして、円形の柱を島(ヴィッラ)に模してあり、島の中にはテアトロ・マリッティモ(海の劇場)がありますよ。」
「はい。」
「テアトロ・マリッティモ(海の劇場)と言えば、イタリアの首都ローマから約30キロほど行ったところに、ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)があります。まず一番有名なのは、運河をイメージしたカノープスです。エジプトの2つの古代都市である、アレクサンドリアとカノープスをつなぐ運河をイメージしています。円形の柱を島(ヴィッラ)に模してあり、島の中にはテアトロ・マリッティモ(海の劇場)があります。」
「皇帝ハドリアヌスは、よくこの島で1人で物思いにふけっていたそうですよ。」
「はい。」
「最近映画となった漫画のモデルとなった大浴場も、この庭園のエントランス付近で見ることができますよ。」
「そうなんですか。」
「ドーム型の天井が特徴となっていますよ。」
「はい。」
「大小の浴場を見学することができますよ。」
「はい。」
「庭園の中心部には、ドーリス式の柱が美しいピアッツァ・ドーロ(黄金広場)や柱とレンガ造りの遺跡が美しいペシエラの養魚場、図書館や客間などがありますよ。」
「そうなんだ。」
「ペシエラの養魚場と言えば、イタリアの首都ローマから約30キロほど行ったところに、ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)があります。ヴィッラ・アドリアーナは、ローマ皇帝ハドリアヌスが作った別荘地です。庭園の中心部には、ドーリス式の柱が美しいピアッツァ・ドーロ(黄金広場)や柱とレンガ造りの遺跡が美しいペシエラの養魚場、図書館や客間まどがあります。」
「ピアッツァ・ドーロ(黄金広場)と言えば、ピアッツァ・ドーロ(黄金広場)は、ハドリアヌスの耽美的気まぐれと言われ、2重の柱廊に囲まれドーリス風の柱が数本立ちとても美しい。」
「エントランスから離れた所には、ヴィーナス神殿がありますよ。」
「はい。」
「ヴィーナス神殿と言えば、崖の上の町エリチェ。標高700メートルのヴィーナス神殿跡からは、光る塩田とエガディ諸島の島陰が眼下に眺められます。」
「ドーリス式の柱と、現在は破壊されて一部のみとなったヴィーナス像を見ることができますよ。」
「はい。」
「ヴィーナス像と言えば、ウェヌスは、ローマ神話の愛と美の女神である。日本語では英語読み「ヴィーナス」と呼ばれる事が多い。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ~
「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは、イタリアで世界遺産に登録されている古代ローマの別荘ですよ。」
「はい。」
「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレと言えば、イタリアシチリア島のピアッツァ・アルメリーナ郊外約5キロメートルのところにある古代ローマの別荘(ヴィッラ)である。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレにはローマ時代に描かれたモザイク絵画が数多く残っている。1997年に、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「造られたのは、4世紀の初めとも言われていますよ。」
「はい。」
「歴史的価値のある世界遺産の建物ですよ。」
「そうなんだ。」
「西暦で言うと301年になり、日本だと弥生時代、古墳時代にできたとされますよ。」
「はい。」
「古代ローマ時代の建物になりますよ。」
「はい。」
「古代ローマ時代と言えば、古代ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は「元老院ならびにローマ市民」であり、共和制成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。」
「その当時の住まいが分かれば、暮らしぶりなども研究によって明らかになるでしょう。」
「そうですね。」
「さらには、別荘として利用されてきた建物ですよ。」
「はい。」
「有数の権力者が使っていたことも推測されますよ。」
「はい。」
「当時のお金持ちの生活というものが、より詳しく調べられるでしょう。」
「わかりました。」
「しかも、別荘として使われていたというと、娯楽といった比重が大きいですよ。」
「はい。」
「この時代に何が流行っていたのかを伺い知ることができそうですね。」
「はい。」
「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレの中は、50を超える部屋がありますよ。」
「そうなんだ。」
「床には、モザイクで装飾されているそうですよ。」
「そうなんですか。」
「モザイクは、石やタイルなどを使用して、床や壁に絵や模様などを表したりする装飾手法ですよ。」
「はい。」
「このモザイクの装飾方法も、世界で古くから使用されていますよ。」
「はい。」
「モザイクで飾られたローマ時代の特徴が、ヴィラとも言われていますよ。」
「そうなんだ。」
「ヴィラ(モザイクで飾られたローマ時代の特徴)と言えば、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレの中は、50を超える部屋があり床にはモザイクで装飾されているそうです。モザイクは石やタイルなどを使用して床や壁に絵や模様などを表したりする装飾手法になります。モザイクで飾られたローマ時代の特徴がヴィラともいわれています。」
「シチリアのヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレには、ビキニ姿の女性のモザイク、ビーチバレーを楽しむ様子が表されていますよ。」
「そうなんですか。」
「シチリアと言えば、シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島である。地中海最大の島である。周辺の島を含めてシチリア州を構成している。この州はイタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はパレルモ。」
「まるで現代の遊びと変わらぬ様相が感じ取れますよ。」
「そうですね。」
「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレには、入浴セットを持ち浴室に向かっている様子なども描かれていますよ。」
「はい。」
「当時では最新鋭だった浴場などもあるそうですよ。」
「はい。」
「お金持ちが楽しむ場所として、重宝されていたようですよ。」
「そうなんだ。」
「古代ローマでは、入浴が生活に非常に重要なこととされていたという証でもありますね。」
「はい。」
「別荘でも、裕福なローマ人は入浴を楽しんでいたようですよ。」
「そうなんだ。」
「こちらのイタリアの世界遺産も、見学することができますよ。」
「はい。」
「広い敷地にモザイクの床が広がる建物は、豪華で見て回るのも楽しいでしょう。」
「はい。」
「モザイクには、装飾の模様もありますよ。」
「そうなんですか。」
「人物や動物が描かれているのが多いようですよ。」
「はい。」
「絵から物語性が想像できるようで、見ていて面白いですよ。」
「そうなんだ。」
「当時のイタリアの裕福な人の生活というのを、実際に見ることができますよ。」
「そうなんですか。」
「ずっと昔の人が生活した場所に立っているというだけでも、感動できますよ。」
「はい。」
「現代でもなかなかお金持ちの別荘を見学できる機会はありませんよ。」
「そうなんですか。」
「古代ローマのお金持ちの別荘を見学できるのは、ここぐらいですよ。」
「はい。」
「イタリア人のお金持ちの暮らしを覗き見できるという、好奇心もうずいてくるイタリアの世界遺産ですね。」
「わかりました。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~エオリア諸島~
「皆さんは、世界遺産についてどれぐらいご存知ですか?」
「よく知りません。」
「世界遺産は、世界中の至る所に存在していますよ。」
「そうですね。」
「エオリア諸島は、シチリア島の北の方にあり、イタリアに属する島々ですよ。」
「はい。」
「エオリア諸島と言えば、エオリア諸島 または エオリエ諸島は、シチリア島北方、ティレニア海南部にY字型に並んで浮かぶ火山性の諸島である。リーパリ島など主要7島で構成される諸島全体には約1万3000人の人々が暮らしており、行政上はシチリア州メッシーナ県に属する。いまなお活発な火山活動を行っているストロンボリ島(ストロンボリ火山)は「ストロンボリ式噴火」の典型として知られるほか、ヴルカーノ島(ヴルカーノ火山)が「ブルカノ式噴火(英語版)」の典型とされるなど、火山学に大きな学術的寄与を行っている。これらの島々は、 2000年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。」
「イタリアをブーツの形として見た時に、ちょうどつま先のちょっと先あたりに位置していますよ。」
「そうなんだ。」
「ここは世界遺産の中でも、自然遺産というジャンルに分類されていますよ。」
「はい。」
「エオリア諸島は、2000年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「島の周りはもちろん海で、とても綺麗ですよ。」
「いいですね。」
「水の色がとてもクリアですよ。」
「そうなんだ。」
「観光に訪れた方々が驚くほど、エオリア諸島は水透明度が高いですよ。」
「そうなんですか。」
「この島々には白くて上品な建物がたくさん並んでいますよ。」
「はい。」
「まさに、イタリア・ヨーロッパという風格ですね。」
「はい。」
「しかし、道が細いので、車等の幅をとるものでの移動はしにくいですよ。」
「そうなんですか。」
「坂が多いので、歩くのは大変ですよ。」
「はい。」
「日本で言う原付のようなものをレンタルできる所がありますよ。」
「そうなんですか。」
「それをレンタルすることをおススメします。」
「わかりました。」
「階段等も多いので、事故には気をつけてください。」
「はい。」
「この島々には、活火山もありますよ。」
「はい。」
「一日に何度も噴火するそうで、これは見ごたえがありますよ。」
「そうなんですか。」
「間近で噴火しているところを見ることはあまりないですから、この機会にしっかりと目に焼き付けましょう。」
「はい。」
「山だけでなく、海にも見応えのあるところがありますよ。」
「そうなんですか。」
「それは温泉で、海から湧き出ている温泉がありますよ。」
「はい。」
「どんなものか、ちょっと興味が出てきますね。」
「そうですね。」
「そして、白い建物は町中にありますよ。」
「はい。」
「この白い建物は、イタリアに来た観光客が利用するペンションのようなものですよ。」
「そうなんですか。」
「一日いくらと、相場が決まっていますよ。」
「はい。」
「予算に合わせて、借りるのもいいかも知れませんね。」
「そうですね。」
「ペンションと言っても、本当に一般的な一軒家のようなものですよ。」
「はい。」
「そこに泊まれば、一気に気分はイタリアの住民ですよ。」
「はい。」
「家具等もそろっているので、食糧等だけで過ごすことができますよ。」
「そうなんだ。」
「そして、この島にはたくさんの自然がありますよ。」
「そうなんだ。」
「自然遺産に登録されただけあって、木々がたくさん生えていますよ。」
「はい。」
「したがって、空気はとても綺麗ですよ。」
「はい。」
「さぞかし、リフレッシュされることでしょう。」
「そうですね。」
「今のうちに、エオリア諸島のイタリア観光もいかがですか?」
「わかりました。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~サン・ジョルジョ山~
「サン・ジョルジョ山は、2003年にイタリアの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「サン・ジョルジョ山と言えば、サン・ジョルジョ山は、イタリアとスイスにまたがり、ピラミッド型をした山である。標高1,097m。木々の生い茂る緑豊かな山だが、より重要な点は、中生代三畳紀中期(2億4,500万年前 - 2億3,000万年前)に属する5つの地層から、多くの化石が出土しているところにある。」
「あまり知られていない穴場かも知れませんね。」
「そうなんですか。」
「多くの世界遺産を巡って来られた人にも、おススメですよ。」
「わかりました。」
「このイタリアの世界遺産サン・ジョルジョ山は、イタリアとの国境に近いロンバルディア州にありますよ。」
「はい。」
「ロンバルディア州と言えば、イタリア共和国北西部に位置する州である。州都はイタリア第二の都市であるミラノ。」
「実は、このサン・ジョルジョ山は、スイスの世界遺産でもありますよ。」
「そうなんだ。」
「スイスのティチーノ州の南部にある山が、サン・ジョルジョ山になりますよ。」
「はい。」
「スイスのティチーノ州と言えば、スイス南部のカントン(州)である。州都はベッリンツォーナ。人口319,800(2004年)。地理的、歴史的にイタリアに近くスイスの中でもロンバルド語系イタリア語話者が過半を占める。このため、イタリア語のみを公用語とする唯一の州である。」
「イタリアとスイスが共同して、登録がなされましたよ。」
「そうなんだ。」
「メリデ、リーヴァ・サン・ヴィターレ、ブルジノ・アルシツィオと、三市にまたがっているのも珍しいですね。」
「はい。」
「ブルジノ・アルシツィオと言えば、サン・ジョルジョ山は2003年にイタリアの世界遺産へ登録された比較的に新しい世界遺産です。メリデ、リーヴァ・サン・ヴィターレ、ブルジノ・アルシツィオと、三市にまたがっているのも珍しいです。」
「リーヴァ・サン・ヴィターレと言えば、サン・ジョルジョ山は2003年にイタリアの世界遺産へ登録された比較的に新しい世界遺産です。メリデ、リーヴァ・サン・ヴィターレ、ブルジノ・アルシツィオと、三市にまたがっているのも珍しいです。」
「メリデと言えば、ルガーノの南にはメリデと発音する街(村)が2つある。メリデ駅はルガーノ駅からイタリア方面へ2番目です。 ルガーノ湖へ突き出した岬にあり、プラットホームからルガーノ湖を見渡せ、素晴らしい風景です。」
「そのような意味からしても、貴重なものですよ。」
「はい。」
「しかし、より注目すべき点は、別のところですよ。」
「どういうことですか。」
「この山には、多くの恐竜の化石が出土していますよ。」
「そうなんですか。」
「10,000以上の化石が、見つかっていますよ。」
「多いですね。」
「恐竜がいた時代と言うと、2億4,500万年前とも言われていますね。」
「はい。」
「壮大な歴史を紐解く意味でも、貴重な場所となっていますよ。」
「そうなんだ。」
「他に類をみないほどの化石も発見されており、大学による調査が行われていますよ。」
「はい。」
「このサン・ジョルジョ山へ登ることもできますよ。」
「はい。」
「地元の親子連れなどが気軽に登れるような、ハイキングコースもありますよ。」
「そうなんだ。」
「ハイキングコースも、4時間掛けて回るもの、山頂まで2時間ほどで着くものもありますよ。」
「はい。」
「観光するにも、良い場所になっていますよ。」
「はい。」
「偶然に新しい化石を見つけるかも、といった夢も見られるかも知れませんね。」
「そうなんだ。」
「化石に興味のあるお子様も最近はとても増えているので、良い刺激になりますね。」
「はい。」
「この場所は、太古へのロマンも感じられますよ。」
「はい。」
「実際にこの周辺は景色も良いので、スイスの美しい自然も眺められますよ。」
「そうなんですか。」
「山の頂上から眺めるスイスの自然というのも格別ですよ。」
「いいですね。」
「遠くには、アルプス山脈も望めますよ。」
「はい。」
「アルプス山脈と言えば、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る「山脈」である。オーストリア、スロベニアを東端とし、イタリア、ドイツ、リヒテンシュタイン、スイス各国にまたがり、フランスを南西端とする多国にまたがっているため、大きくは東・西アルプス山脈に分けられ、東アルプス山脈はジュリアアルプス山脈など、西アルプス山脈はペンニネアルプス山脈などの支脈にさらに細かく分かれている。最高峰のモンブランは標高4,810.9m(2007年)で、フランスとイタリアの国境をなし、ヨーロッパの最高峰でもある。」
「ルガーノ湖に囲まれたサン・ジョルジョ山自体も、とても美しいとの評判がありますよ。」
「そうなんだ。」
「ルガーノ湖と言えば、スイス・ティチーノ州からイタリア・ロンバルディア州にかけてのアルプス山間部に広がる湖である。湖の中央部西岸に同名の町ルガーノ(スイス領)がある。」
「スイスとイタリアの両方の美しさを感じれることができますよ。」
「はい。」
「化石に興味のある方には、メリダに化石博物館がありますよ。」
「はい。」
「メリデの化石博物館と言えば、メリデ村にあるごく小さな化石博物館の入り口の小さな看板に、ユネスコ世界遺産指定地であることが記されている。2億年前、サン・ジョルジョ山が亜熱帯地域にある、深さおよそ100メートルの海であったことを証明する山の岩石が、いかに価値あるものかということを示している。」
「とても貴重な標本が展示されているので、満足できるでしょう。」
「そうなんだ。」
「ヨーロッパらしい街並みも、訪れる道中に見られますよ。」
「そうなんですか。」
「この地域では、列車やバスという交通も充実していますよ。」
「はい。」
「おそらく、アクセスも思うほど難しくないでしょう。」
「そうなんですか。」
「ここには何億年前の貴重な遺産から、自然やヨーロッパの街並みを楽しめる魅力ある地が広がっていますよ。」
「わかりました。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡~
「イタリアは、世界で最も世界遺産の多い41の世界遺産を登録している国ですね。」
「そうですね。」
「その中でも、「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」は、2005年に世界文化遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「パンターリカと言えば、パンターリカの岩壁墓地遺跡は、紀元前13世紀から紀元前7世紀までの5000以上の墓が残る、シチリア島の巨大なネクロポリスである。パンターリカは、シチリア南東部のフェルラ・ソルティーノ間のアナポ川・カルチナラ川の渓谷に位置している。パンターリカの岩壁墓地遺跡は、シラクサに残る古代ギリシャの都市遺跡とともに、ユネスコの世界遺産リストに登録されている。」
「シラクサ(シラクーザ)と言えば、イタリア共和国のシチリア島南東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約12万人の基礎自治体(コムーネ)である。シラクサ県の県都である。標準イタリア語の発音に近い表記は「シラクーザ」。古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市で、歴史的な遺跡など、多くの観光スポットがある。2005年には市内および周辺の歴史的建造物や遺跡が「シラクサとパンターリカの岸壁墓地遺跡」の名で世界遺産に登録もされている。」
「「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」は、地中海に浮かぶシチリア島にありますよ。」
「はい。」
「しかし、その時代は大変に古いですよ。」
「そうなんですか。」
「パンターリカの岩壁墓地遺跡(バンターリカのネクロポリス)は、シチリア島南東部丘陵地帯のシラクーザとフェルラとソルティーノ間のアナポ川・カルチナラ川の渓谷にありますよ。」
「はい。」
「カルチナラ川と言えば、パンターリカの岩壁墓地遺跡は、紀元前13世紀から紀元前7世紀までの5000以上の墓が残る、シチリア島の巨大なネクロポリスである。パンターリカは、シチリア南東部のフェルラ・ソルティーノ間のアナポ川・カルチナラ川の渓谷に位置している。」
「アナポ川と言えば、パンターリカの岩壁墓地遺跡は、紀元前13世紀から紀元前7世紀までの5000以上の墓が残る、シチリア島の巨大なネクロポリスである。パンターリカは、シチリア南東部のフェルラ・ソルティーノ間のアナポ川・カルチナラ川の渓谷に位置している。」
「ソルティーノと言えば、イタリア共和国シチリア州シラクーザ県にある、人口約8900人の基礎自治体(コムーネ)である。」
「フェルラと言えば、イタリア共和国シチリア州シラクーザ県にある、人口約2600人の基礎自治体(コムーネ)である。」
「ネクロポリスと言えば、巨大な墓地または埋葬場所である。語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)。大都市近郊の現代の共同墓地の他に、古代文明の中心地の近くにあった墓所、しばしば人の住まなくなった都市や町を指す。」
「紀元前13世紀から紀元前7世紀までの、5000以上の墓をさしますよ。」
「そうなんだ。」
「この地にフィリポルトのネクロポリス、ノルド・オヴェストのネクロポリス、カヴェッタのネクロポリス、北のネクロポリスなどが点在していますよ。」
「はい。」
「カヴェッタと言えば、カヴェッタのネクロポリスは、紀元前9世紀から8世紀の遺跡であるが、一帯にはビザンティン帝国時代の建造物群も残っている。」
「ノルド・オヴェストと言えば、ノルド=オヴェストのネクロポリスは、紀元前12世紀から紀元前11世紀のもので、一帯でも特に古いものの一つである。」
「フィリポルトと言えば、フィリポルトのネクロポリスは、フェルラ(Ferla)から9 km のところに位置している。膨大な数の墓が残っており、丘の中腹、アナポ盆地、都市の最終段階の姿をとどめる地域などに広がっている。紀元前13世紀から紀元前9世紀の遺跡である。」
「各ネクロポリスは、岩壁に人工的に穿たれた小洞窟群からなっていますよ。」
「はい。」
「その中には、東ローマ帝国時代に迫害されたサラセン人によるクロチフィッソ洞窟、サン・ニコリッキョ洞窟、サン・ミチダリョ洞窟などの壁画の描かれた小さな礼拝所の遺跡が残っていますよ。」
「そうなんだ。」
「サン・ミチダリョ洞窟と言えば、今日でも、ビザンティン帝国時代に岩の中に築かれた住居の遺跡や、クロチフィッソ洞窟、サン・ニコリッキョ洞窟、サン・ミチダリョ洞窟などの壁画の描かれた小さな礼拝所の遺跡が残っている。」
「サン・ニコリッキョ洞窟と言えば、今日でも、ビザンティン帝国時代に岩の中に築かれた住居の遺跡や、クロチフィッソ洞窟、サン・ニコリッキョ洞窟、サン・ミチダリョ洞窟などの壁画の描かれた小さな礼拝所の遺跡が残っている。」
「クロチフィッソ洞窟と言えば、今日でも、ビザンティン帝国時代に岩の中に築かれた住居の遺跡や、クロチフィッソ洞窟、サン・ニコリッキョ洞窟、サン・ミチダリョ洞窟などの壁画の描かれた小さな礼拝所の遺跡が残っている。」
「サラセン人と言えば、中世ヨーロッパ世界でイスラム教徒をさした言葉である。本来はアラビア半島北西部の遊牧系アラブ人を指したギリシア語のサラケーノイ(Sarakenoi)、ラテン語のサラケニ(Saraceni)に由来し、古い例ではプトレマイオスが2世紀にこの語を地理書の中で用いている。7世紀にイスラム勢力が台頭すると、ヨーロッパ人は彼らをこの古典的な名称で呼ぶようになり、十字軍などで東西交流が活発になる中世以降にはもっぱらムスリム一般を指す呼称となった。なお、ムスリム側は西欧人を総称してフランク人と呼んだ。」
「東ローマ帝国時代と言えば、東ローマ帝国またはビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域である。ローマ帝国の東西分割統治は4世紀以降断続的に存在したが、一般的には最終的な分割統治が始まった395年以降の東の皇帝の統治領域を指す。西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現トルコ領イスタンブル)であった。」
「パンターリカの岩壁墓地遺跡付近には、紀元前12世紀から11世紀に建造されたと言われるアナクトロンの宮殿(皇太子の宮殿)跡もあり、土台がそのまま残されていますよ。」
「はい。」
「アナクトロンの宮殿(皇太子の宮殿)と言えば、パンタリカの岩壁墓地は、紀元前13~前7世紀の5000以上の墓で、付近にはビザンチン時代の遺跡が残り、アナクトロン(皇太子の宮殿)の土台が名高い。」
「シラクサ(あるいはシラクーザともいう)は、シチリア島東岸の海沿いの人口126000人の港町ですよ。」
「はい。」
「イタリアの紀元前734年頃、ギリシア人により建設された街ですよ。」
「そうなんだ。」
「ギリシャ時代から栄えた街でしたよ。」
「はい。」
「ギリシャ時代と言えば、ギリシア時代の始まりを定義するのは非常に難しい。ギリシア時代の有名なポリスは紀元前10~8世紀には成立していたと言われています。しかし、それ以前から貴族政治や王政が行われていた。一方、ギリシア時代の終わりはアレクサンドロス大王の支配下に入り、以後ギリシアは歴史の表舞台に登場しなくなるので、その頃がギリシア時代の終わりと言えます。時代としては紀元前4世紀頃です。」
「現在は、イタリアの世界遺産に登録された歴史地区と市街地に分けられていますよ。」
「はい。」
「シラクーザの沖合いに浮かぶオルティジア島も含めて世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんだ。」
「オルティジア島と言えば、オルティジア島または、オルティージャ島は、イタリア南部、シチリア島、シチリア自治州の都市シラクサの旧市街がある小島である。19世紀後半に本島と橋で結ばれた。シラクサ大聖堂・アレトゥーザの泉・紀元前7世紀のアポロ神殿などがある。」
「シラクサは歴史上、古代ローマ、イスラム勢力、ノルマン人、神聖ローマ帝国、フランス、アラゴン王国、サルデーニャ王国、ハプスブルク家、シチリア・ブルボン朝などによって支配されてきましたよ。」
「複雑ですね。」
「シチリア・ブルボン朝と言えば、ナポリ・ブルボン朝、シチリア・ブルボン朝またはナポリ=シチリア・ブルボン朝は、1734年から1860年まで続いた、ブルボン家によるナポリ王国・シチリア王国(のち両シチリア王国へ統合)の支配を指す。ブルボン家のイタリア語名に基づいてボルボーネ朝とも呼ぶ。」
「ハプスブルク家と言えば、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系である。古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門(カエサル家)の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。」
「サルデーニャ王国と言えば、18世紀から19世紀にかけて存在したヨーロッパの国家である。領土は現在のイタリアとフランスにまたがり、サルデーニャ島、ピエモンテ、サヴォワとニースを統治した。その存続期間の大半において、王国の本拠はサルデーニャ島ではなく大陸のピエモンテにあり、首都はトリノであった。」
「アラゴン王国と言えば、中世後期のイベリア半島北東部、現在のスペインのアラゴン州に存在した王国である。」
「神聖ローマ帝国と言えば、神聖ローマ帝国(800年/962年 - 1806年)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家である。1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」である。帝国の体制は皇帝の権力が諸侯によって弱められることにより、中世から近世にかけて変化した。最後の数世紀にはその体制は諸領域の連合体に近いものになっている。現在のドイツ、オーストリア、ベルギー、チェコ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルグ、モナコ、オランダ、クロアチア、サンマリノ、スロベニア、スイス、フランス、イタリア、ポーランドを支配(連合国も含む)した。」
「ノルマン人と言えば、スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人である。初期の時点では、「ヴァイキング」という概念とほぼ同じ。」
「シチリアと言えば、シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島である。地中海最大の島である。周辺の島を含めてシチリア州を構成している。この州はイタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はパレルモ。」
「特に、イタリアの世界遺産に登録されている史跡は、紀元前のギリシャ時代のものが多いですよ。」
「はい。」
「アポロ神殿、ギリシャ劇場、ローマ円形闘技場、教会、城塞などの建物が残されていますよ。」
「はい。」
「ローマ円形闘技場と言えば、コロッセウム(ラテン語:Colosseum,イタリア語:Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場である。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。現在ではローマを代表する観光地である。」
「ギリシャ劇場と言えば、タオルミーナの一番の見所がギリシャ劇場である。シチリアの中では、シラクーサの劇場に次いで二番目に大きい。大きさでは二番目ですが、周りに広がる壮大なパノラマと景観の素晴らしさにおいては引けを取りません。ここを訪れたドイツの有名作家ゲーテは、“この劇場から見るパノラマは世界一の美しさだ”と語ったほどです。ヘレニズム時代にギリシャ人によって建設されましたが、古代ローマ時代を経てローマ人によって闘技場に改築されています。現在の劇場は2世紀に再建されたものです。劇場の上には、現在もなお、数々の劇や重要なイベントが開催されています。」
「アポロ神殿と言えば、
(1)ギリシャ中部、パルナソス山麓の古代都市デルフォイにある神殿である。紀元前6世紀に建造。火災や地震の被害を受けて、その都度再建された。現在は紀元前370年頃の遺構があり、6本の柱が復元されている。
(2)ギリシャ南東部、エーゲ海に浮かぶデロス島にある神殿跡である。ギリシャ神話の太陽神アポロンを祭る。紀元前5世紀から紀元前2世紀にかけて建造。同島の大理石を使ったドリス式の神殿だったが、現在は土台の一部のみが残されている。」
「特に、アグリジェントのコンコルディア神殿やセジェスタの神殿は、ギリシャに残る古代遺跡よりも原型をとどめていますよ。」
「そうなんですか。」
「セジェスタの神殿と言えば、セジェスタ遺跡は、イタリア南部のシチリア島の中心都市パレルモから約60km、セジェスタの町の郊外にあるバルバロ山の頂上から麓にかけて存在する、古代ギリシアの神殿やギリシア劇場、住居址(古代の町)の遺跡である。バルバロ山山腹の標高305mの丘の上に、紀元前5世紀のドーリア式神殿が復元されている。」
「コンコルディア神殿と言えば、ローマ神話の和合の女神コンコルディアを祭った神殿で、フォルム・ロマヌムの西端にあった。長い間ローマ市民同士が争う時代の後、紀元前4世紀に平和への誓いをこめて建設された。その後も何度も破壊と再建を繰り返し、最後に再建されたのは紀元7年から紀元10年のローマ皇帝アウグストゥスの治世下で、ティベリウスが行ったことが大プリニウスの『博物誌』に記されている。1450年ごろ完全に崩壊し、石灰窯として使われ、大理石は建材に流用された。」
「シラクサは、ローマ帝国時代数学者アルキメデスを輩出した街でもありますよ。」
「はい。」
「数学者アルキメデスと言えば、アルキメデス(紀元前287年 - 紀元前212年)は、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者である。彼の生涯は全容を掴めていないが、古典古代における第一級の科学者という揺ぎ無い評価を得ている。彼が物理学にもたらした革新は流体静力学の基礎となり、静力学の考察はてこの本質を説明した。彼は革新的な機械設計にも秀で、シージ・エンジンや彼の名を冠したアルキメディアン・スクリューなどでも知られる。また、数々の武器を考案したことでも知られる。」
「2本のドーリア式円柱で装飾されているアルキメデスの墓などもありますよ。」
「そうなんだ。」
「特に、シラクサは紀元前2世紀の第二次ポエニ戦争の舞台でもありますよ。」
「はい。」
「紀元前2世紀の第二次ポエニ戦争と言えば、共和政ローマとカルタゴとの間で紀元前219年から紀元前201年にかけて戦われた戦争である。ローマ、カルタゴ間の戦争はカルタゴの住民であるフェニキア人のローマ側の呼称からポエニ戦争と総称されるが、この戦争は全3回のポエニ戦争の2回目にあたる。またこの戦争においてカルタゴ側の将軍ハンニバル・バルカはイタリア半島を侵略し、多大な損害と恐怖をローマ側に残したため、この戦争はハンニバル戦争とも称される。」
「侵略軍であるローマ帝国のマルケッルス将軍率いる300隻の船団に対し、アルキメデスの作り出したテコを応用した兵器で上陸を阻んだ舞台でもありますよ。」
「そうなんだ。」
「ローマ帝国のマルケッルス将軍と言えば、マルクス・クラウディウス・マルケッルス(紀元前268年 - 紀元前208年)は、共和政ローマ期の軍人、政治家である。第二次ポエニ戦争でハンニバルに対して果敢に戦闘を仕掛け「ローマの剣」と称された。「ll」を促音で表記しないことも多いためマルクス・クラウディウス・マルケルスとも表記される。」
「陥落させるのに、2年間もかかりましたよ。」
「はい。」
「オルティジア島のほほ中央には、このアルキメデスの名の付いた広場がありますよ。」
「そうなんだ。」
イタリアの世界遺産とシチリア島~スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ~
「イタリアのサルデーニャ州バルーミニにある遺跡が、スー・ヌラージ・ディ・バルーミニですよ。」
「はい。」
「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニと言えば、イタリア・サルデーニャ州バレーミニにあるヌラーゲ考古遺跡である。1997年に、ユネスコの世界遺産に登録された。紀元前1500年ごろより建設が開始されたヌラーゲは、3層のタワーになっている。」
「イタリアのサルデーニャ州バルーミニと言えば、バルーミニは、イタリア共和国サルデーニャ自治州メディオ・カンピダーノ県にある人口約1300人の基礎自治体(コムーネ)である。ユネスコの世界遺産に登録されているスー・ヌラージ・ディ・バルーミニがある。」
「イタリアのサルデーニャ州と言えば、サルデーニャは、イタリア半島西方、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島である。地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島である。周辺の島を含めて、サルデーニャ自治州を構成している。この州は、イタリアに5つある特別自治州のひとつである。州都はカリャリ(カリアリ)。」
「1997年にイタリアの世界遺産として登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「地中海で一番大きなシチリア島に次いで、2番目に大きいサルデーニャ島にありますよ。」
「はい。」
「サルデーニャ島と言えば、サルデーニャ島は、イタリア半島西方、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島である。地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島である。」
「この島には、大昔から独特の文化が発展してきましたよ。」
「そうなんですか。」
「その中でも、先史に近い文化がヌラーゲ文化ですよ。」
「はい。」
「ヌラーゲ文化と言えば、"ヌラーゲ"はサルデーニャ島においていまだかつて神秘に包まれている先史時代の高度な建築術が施された特殊な建造物である。この"ヌラーゲ"という固有名詞も先史時代区分の中・後期青銅器時代のヌラーゲ文化から由来するものである。」
「紀元前1000年代に、栄えたと言われていますよ。」
「はい。」
「イタリアの世界遺産の遺跡の名前である"スー・ヌラージ"とは、この地の方言で"ヌラーゲ"を意味していますよ。」
「はい。」
「スー・ヌラージ・ディ・バルーミニが、紀元前1000年代に栄えたヌラーゲ文化に関係することがわかりますね。」
「そうなんだ。」
「ヌラーゲ文明では、石で造った円錐形の塔を盛んに建設していますよ。」
「はい。」
「ヌラーゲ文明と言えば、人類学的にこれらの遺跡を残したのは長頭の地中海人種であったことが確認されている。青銅器時代にはサルデーニャに広くヌラーゲ文明が展開された。ヌラーゲnuragheは防御的な性格をもった居住址で、しっくいやセメントを用いない石造の建築物で、サルデーニャ全体で6000以上のものがほぼ完全な形で残存しており、特にサッサリとオリスタノ地方に多い。」
「島には、現存するものでも約7,000体も残っていますよ。」
「多いですね。」
「紀元前1500年頃から建設が始まり、玄武岩などの石を積み上げて作った、3層のタワーになっているのが特徴ですよ。」
「はい。」
「玄武岩と言えば、苦鉄質火山岩の一種である。深成岩斑れい岩に対応する。肉眼での色は黒っぽいことが多いが、ものによっては灰色に見えることもあり、また含まれる鉄分の酸化によって赤 - 紫色のこともある。」
「いわば要塞のようなもので、セメントなどを一切使わずに固められていますよ。」
「そうなんですか。」
「強度は相当のもので、当時の高度なイタリアの建築技術がうかがえますね。」
「はい。」
「建築の順序としては、最初に紀元前16世紀から13世紀にかけて、中央にある2階建てのタワーが建てられましたよ。」
「はい。」
「高さ18.5メートル近くあり、現在でも上まで細い回廊をつたって登ることができますよ。」
「そうなんですか。」
「その後、周囲に稜塁が作られ、中央のタワーを守るように建てられましたよ。」
「はい。」
「最終的に紀元前6世紀までに、このタワーを中心として複雑な構造の防壁が作られましたよ。」
「はい。」
「タワーの中には、武器庫などもあり、洞窟や井戸、小さな庭や窓もありますよ。」
「そうなんだ。」
「周囲の建物の大部分は1 部屋しかなく、円形の小さな建物ですよ。」
「はい。」
「そのうちの1つが、直径7メートルもある大きな部屋ですよ。」
「はい。」
「しかも、壁の内側に沿って長椅子が並べられていることがわかりましたよ。」
「そうなんだ。」
「ここで、何らかの行政を行い、議会を開いていたと考えられていますよ。」
「はい。」
「世界遺産の東側には、約50戸の石造りの跡がありますよ。」
「はい。」
「この一帯は、集落であったと考えられていますよ。」
「そうなんだ。」
「これらから、ここにはヌラーゲを中心に、独自の技術と文化を持った小さな都市があったことがわかっていますよ。」
「はい。」
「それは、当時、様々な国から侵略や攻撃を防ぐため、人々が海岸付近よりもより安全な平野に集まり、そこで集落を作って防衛を強化していたと言えるでしょう。」
「わかりました。」
「このイタリア世界遺産のスー・ヌラージ・ディ・バルーミニの建築物は、当時、地中海沿岸に広まっていた巨石文化の名残だとも言われていますよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、ヌラーゲ文化は文書での資料が残っていませんよ。」
「そうなんですか。」
「まだ謎の多い建築物でもありますね。」
「そうなんだ。」
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