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ポーランドの世界遺産と歴史~ビャウォヴィエジャの森・アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)・ヴィエリチカ岩塩坑・ヴロツワフの百周年記念ホール・クラクフ歴史地区・ザモシチ旧市街・ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群・ワルシャワ歴史地区~





ポーランド 世界遺産 歴史

ポーランドの世界遺産と歴史

「ポーランドは、ショパンが生を受けたヨーロッパの小国ですね。」
「はい。」

「ショパンと言えば、フレデリック・フランソワ・ショパン(1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり) - 1849年10月17日)は、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。」

「ピザのようなスナックのザピエカンキや、家庭料理ゴウォンブキ、ジュレック、ピロシキなどの食べ物でもおなじみの国ですね。」
「そうなんですか。」

「ピロシキと言えば、東欧料理の惣菜パンである。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどで好まれている。小麦粉を練った生地に色々な具材を包み、オーブンで焼くか油で揚げて作る。」

「家庭料理ゴウォンブキと言えば、オーブンでじっくり焼いてからソースと絡めるポーランドのロールキャベツである。」

「ピザのようなスナックのザピエカンキと言えば、ポーランドはショパンが生を受けたヨーロッパの小国です。ピザのようなスナックであるザピエカンキや、家庭料理ゴウォンブキ、ジュレック、ピロシキなどの食べ物でもおなじみの国ですが、何と言ってもポーランドの最大の魅力は国民自身であり、そして数々の偉人達だと言えます。」

「しかし、ポーランドの最大の魅力は、国民自身であり、数々の偉人達と言えますね。」
「はい。」

「ポーランドは、ショパンやキュリー夫人、コペルニクスなどを輩出した国ですね。」
「そうなんだ。」

「コペルニクスと言えば、ニコラウス・コペルニクス(1473年2月19日 -1543年5月24日)は、ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭である。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な再発見とされる。」

「キュリー夫人と言えば、マリア・スクウォドフスカ=キュリー(1867年11月7日 - 1934年7月4日)は、現在のポーランド(ポーランド立憲王国)出身の物理学者・化学者である。フランス語名はマリ(マリー)・キュリー(Marie Curie)。ワルシャワ生まれ。キュリー夫人(Madame Curie)として有名である。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。」

「歴史に大きな傷跡を残しながらも、多くの功績を残してきた国ですよ。」
「はい。」

「ヨハネ・パウロ二世(ポーランド初の法王)の銅像がいたるところに見られますよ。」
「そうなんだ。」

「ヨハネ・パウロ二世(ポーランド初の法王)と言えば、ヨハネ・パウロ2世(1920年5月18日 -2005年4月2日)は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)である。ラテン語表記に基づきヨハネス・パウルス2世とも表記される。本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ(Karol Jozef Wojtyla)。
ハドリアヌス6世(オランダ出身、在位:1522年 - 1523年)以来455年ぶりの非イタリア人教皇にして史上最初のスラヴ系教皇。同時に20世紀中最年少で着座した教皇でもある。神学と哲学の2つの博士号を持っていた。」

「誇り高い気質が垣間見える雰囲気になっていますよ。」
「はい。」

「この銅像には、ポーランドの人々の心の高潔な様子が表われていますよ。」
「はい。」

「思わず、清らかな気持ちになってしまうような銅像ですよ。」
「そうなんだ。」

「そのような銅像が点在しているポーランドの主要部の町並みは、まるで中世に迷い込んだような古く美しい景観が続いていますよ。」
「はい。」

「訪れた観光客たちを驚嘆させますよ。」
「はい。」

「ポーランドは13カ所もの世界遺産を保持していますよ。」
「そうなんですか。」

「2004年に登録されたばかりのイギリス式庭園「ムスカウ公園」を始めとした、多くの世界遺産がありますよ。」
「はい。」

「イギリス式庭園「ムスカウ公園」と言えば、ムスカウ公園はドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがるイギリス式庭園である。560ヘクタールもの広さをもつ。ドイツ側はバート・ムスカウ(英語版)、ポーランド側はウェンクニツァ(英語版)の町に接する。」

「美しい宗教美術の結晶「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群」や、かつての悲劇を保存した世界遺産「アウシュヴィッツ・ビルケナウ、ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所」など、およそ13カ所の世界遺産を保持していますよ。」
「はい。」

「シフィドニツァと言えば、ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに建てられた。」

「ヤヴォルと言えば、ヤヴォル公国は、シロンスク公国群を構成していた公国の一つで、首都はヤヴォルである。ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。グウォグフにもあったが、1758年に焼失した。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに建てられた。」

「他にも、「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」といった自然遺産なども保持していますよ。」
「そうなんだ。」

「ビャウォヴィエジャと言えば、ビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林である。ヨーロッパに残された最後の原生林と言われる。貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られる。」

「ベラヴェシュスカヤ・プーシャと言えば、ビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林である。ヨーロッパに残された最後の原生林と言われる。貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られる。ポーランド側は1979年、ベラルーシ側は1992年に、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。日本語では日本ユネスコ協会連盟が「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」としている。」

「これらのすべては、歴史を知る為に訪れた観光客たちに公開していますよ。」
「そうなんですか。」

「どれも美しい保存状態ですよ。」
「はい。」

「このような世界遺産のリストを少し見ただけで、ポーランドの歴史をほとんど知らない方も何か気づかされるものがあったのではないかと思われますよ。」
「はい。」

「ポーランドは、悲劇的な歴史をいくつも携えた国ですね。」
「そうなんだ。」

「屈辱的なアウシュビッツの歴史もそうですね。」
「はい。」

「かつて、ロシアの女帝エカテリーナ二世によって分割されて国としての姿を失った歴史もありますよ。」
「はい。」

「ロシアの女帝エカテリーナ二世と言えば、エカチェリーナ2世(1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日(グレゴリオ暦7月9日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))。夫はピョートル3世、子はパーヴェル1世。」

「他の国を見ても例を見ないような残酷な事件を、多く乗り越えてきた国ですよ。」
「はい。」

「民度が非常に高く、何かの窓口やタクシーなど、何気ない場所を利用する際にも、知的で明るく、朗らかな国民性が表れる国ですよ。」
「そうなんだ。」

「あまり海外を旅行したことがない人にも、おススメできる国ですよ。」
「はい。」

「ポーランドには悲劇的な世界遺産ばかりがある訳ではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「勝利を記念して20世紀初頭に建てられた「ヴロツワフの百周年記念ホール」のような世界遺産もありますよ。」
「はい。」

「ヴロツワフの百周年記念ホールと言えば、百周年記念ホールは、マックス・ベルクの計画に従って建てられた、ポーランド・ヴロツワフにある20世紀初頭の建造物である。「人民ホール」ともいう。ホールはライプツィヒの戦い(諸国民戦争)の百周年を記念する展示会のために、1911年から1913年にかけて競馬場跡に建造された。」

「ヴロツワフと言えば、ポーランド西部にある第4の都市で、ドルヌィ・シロンスク県の県都である。歴史的にシロンスク地方の中心都市で、ポーランドの中でも最も古い都市のひとつである。市内にはオドラ川とその支流が流れ、200以上の橋が架かっている。」

「都市部なども、雰囲気は暗い歴史をまったく感じさせない雰囲気ですね。」
「はい。」

「明るい街が好きな方にも、かなりおススメですよ。」
「わかりました。」

「世界遺産が世界一豊富なイタリアと比べても引けを取らないくらい、面白いものや興味深いものが山ほどある国ですよ。」
「そうなんですか。」

「あらゆる国を観光しつくしてきた人でも、新鮮な気持ちで楽しめると思われますよ。」
「はい。」

「ポーランドは世界的に見ても、すべての人が知り、学ぶべき歴史をいくつも辿ってきた国ですよ。」
「そうなんだ。」

「あまり勉強したくなかったとしても、多少の知識は入れておくべきですよ。」
「わかりました。」

「歴史について理解した上で見る世界遺産と、理解してない頭で見る世界遺産はまったく違いますよ。」
「そうなんだ。」

「あまり興味がなかったとしても、高校生の教科書に載っている程度のことは、おおまかにでも頭に入れておいた方が良いでしょう。」
「わかりました。」

「ポーランドの世界遺産を訪れるのであれば、観光する前にアウシュビッツやエカテリーナの行った政治がどれほどポーランドという国に影響をもたらしたかについて学んでみて欲しいですね。」
「はい。」

「ポーランドは美しい「琥珀」で有名な国でもありますよ。」
「はい。」

「琥珀と言えば、琥珀またはコハクとは、木の樹脂(ヤニ)が地中に埋没し、長い年月により固化した宝石である。半化石樹脂や半化石の琥珀は、コーパルという。「琥」の文字は、中国において虎が死後に石になったものだと信じられていたことに由来する。 鉱物ではないが、硬度は鉱物に匹敵する。色は、黄色を帯びたあめ色のものが多い。バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきた。」

「琥珀が名物の一つとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「宝石が好きな方は、是非おみやげに購入してください。」
「わかりました。」





ポーランドの世界遺産と歴史~ビャウォヴィエジャの森~

「「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」はポーランドにある唯一の自然遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「ベラヴェシュスカヤ・プーシャと言えば、ビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林である。ヨーロッパに残された最後の原生林と言われる。貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られる。ポーランド側は1979年、ベラルーシ側は1992年に、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。日本語では日本ユネスコ協会連盟が「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」としている。」

「1979年にユネスコの世界遺産に認定された「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」は、ポーランドではまず知らない人のいない自然遺産ですよ。」
「そうなんだ。」

「ビャウォヴィエジャと言えば、ビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林である。ヨーロッパに残された最後の原生林と言われる。貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られる。」

「国内を問わず、世界各国から観光客が押し寄せる観光地となっていますよ。」
「はい。」

「しかし、この世界遺産はポーランドだけが保有している世界遺産ではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森は、ちょうどポーランドとベラルーシの国境にある世界遺産で、双方の国にまたがるように広がっていますよ。」
「そうなんだ。」

「ベラルーシ側では1999年に世界遺産に登録されており、どちらの国からも観光できるようになっていますよ。」
「はい。」

「かつては、ポーランドの王室の人々が狩りに使っていた原生林ですよ。」
「はい。」

「どちらかといえば、ポーランドが保有しているというイメージを持たれているかも知れませんね。」
「そうですね。」

「この森の中には、多様な動植物が生息していますよ。」
「はい。」

「狩りに使われていた原生林ということもあり、貴重な動物たちの一部は絶滅しましたよ。」
「そうなんだ。」

「その中で、ヨーロッパバイソンだけが野生化に成功していますよ。」
「はい。」

「ヨーロッパバイソンと言えば、哺乳網ウシ目(偶蹄目)ウシ科バイソン属に分類される偶蹄類である。生息地であるポーランドでは「ジュブル」と呼ばれる。」

「今では、原生林の中を元気に駆け回るようになっていますよ。」
「はい。」

「野生動物の恰好の生息地であるこの森には、「ヤギェウォ王のオーク」と呼ばれる39メートルの木が伸びているなど、生き生きとした生命の姿が数多く見られるスポットですよ。」
「そうなんだ。」

「ヤギェウォ王のオークと言えば、「ヤギェウォ王のオーク」の名で知られる大木(※樫の木ではない)は、 幹径約550cm、樹高 約39m。1410年、グルンヴァルトの戦い(タンネンベルクの戦い)に赴くポーランド王 ヴワディスワフ・ヤギェウォがこの木の下で体を休めたと伝えられる。」

「ヤギェウォ王と言えば、ヴワディスワフ2世ヤギェウォ(1351年 - 1434年6月1日)は、ポーランド王国ヤギェウォ朝の創始者(ポーランド王在位:1386年 - 1434年、リトアニア大公在位:1377年 - 1381年、1382年 - 1401年)。リトアニア大公ゲディミナスの孫に当たる。父はリトアニア大公アルギルダス。ポーランド王に即位する以前の名はヨガイラ。」

「「ただポーランドの世界遺産を見て勉強するだけではなく、動物や植物の姿を見て楽しみたい」という方には、この世界遺産がおススメですよ。」
「わかりました。」

「この世界遺産はヨーロッパで最も大きな原生林だとされていますよ。」
「はい。」

「グーグルマップなどで見ると、規模の大きさに驚かれると思いますよ。」
「はい。」

「写真だけを見ると、動植物をアップで撮影しているものが多いため、そこまで大きい印象はありませんよ。」
「そうなんですか。」

「「引き」の画像を見るとかなり広範囲に及んでいる世界遺産だということが分かりますね。」
「はい。」

「規模が気になる方は、是非一度、グーグルマップで検索してください。」
「わかりました。」

「なお、この世界遺産には、300頭のヨーロッパバイソンやオオカミ、熊、ヤマネコ、カワウソなどの種類が五十種類も生息していますよ。」
「はい。」

「危険な動物が生息している場所は、「危険区域」となっているので、ほとんどの場合間違いは起こりませんよ。」
「はい。」

「しかし、ガイドからはぐれてしまうと、たちまちそこは危険地帯へと変わりますよ。」
「そうなんですか。」

「迷子になったとしても、目印になるものも中々見つからない場所ですよ。」
「はい。」

「範囲がとにかく広いので、むやみに行動すると非常に危険ですよ。」
「はい。」

「くれぐれも、はぐれないように注意しましょう。」
「わかりました。」





ポーランドの世界遺産と歴史~アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)~

「「アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年-1945年)(Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)」は、第二次世界大戦中のアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツが百万人以上におよぶ人々を虐殺した絶滅収容所ですね。」
「そうですね。」

「ナチス・ドイツと言えば、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を掌握していた1933年から、第二次世界大戦の敗北によってナチ党政権が崩壊する1945年までのドイツ国を指す呼称である。」

「アドルフ・ヒトラーと言えば、アドルフ・ヒトラー(1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、オーストリア=ハンガリー帝国生まれのドイツの政治家、国家元首である。指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。日本においてはヒットラーとも表記される。」

「第二次世界大戦と言えば、1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦、フランス、ソビエト連邦、アメリカ、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争である。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。」

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所と言えば、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所である。アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。周辺には同様の施設が多数建設されている。」

「「第二次世界大戦における悲劇の証拠であり後世に語り継ぐべきもの」として、ユネスコの世界遺産に「負の文化遺産」として登録されましたよ。」
「はい。」

「第二次世界大戦と言えば、1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦、フランス、ソビエト連邦、アメリカ、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争である。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。」

「その収容所は、ポーランドの最南端、チェコとスロバキアとの国境が接する位置にありますよ。」
「はい。」

「鉄道の接続が良いばかりでなく、炭鉱などの資源もありますよ。」
「そうなんですか。」

「「戦争遂行に欠かせない物資の生産を行うのに適している」ことから開設されましたよ。」
「そうなんだ。」

「そして、大量の物資の生産を行うための労働力として「ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜」などが収容されましたよ。」
「はい。」

「ロマ・シンティ(ジプシー)と言えば、ロマ(Roma)は、ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である。ロマと同根のロマニ系の集団としてはヨーロッパでは中欧のドイツ語圏を中心にシンティ、イギリスにロマニチャル、 仏語圏にマヌーシュ 、 北欧やイベリアなどのカーレなどが知られている。シンティの祖先はパキスタン南東部のシンド地方に起源を持つともいわれる。」

「このような差別を可能にしたのが、「アーリア人至上主義」というものですよ。」
「はい。」

「アーリア人至上主義と言えば、ナチス党が政権を掌握して国民を厳しく統制したナチズムは、近代の代表的な ファシズム(全体主義)であり、ドイツ第三帝国における『アーリア人(ゲルマン人)至上 主義』というナショナリズムの基盤に基づいて先鋭化したイデオロギーである。」

「アーリア人の代表であるドイツ人以外の民族を国内から締め出し、この収容所に送り込むことによって、大量の労働力を得ようとしましたよ。」
「そうなんですか。」

「さらに、主にポーランド人とユダヤ人を対象にした、民族完全絶滅のための集団虐殺計画が実行されましたよ。」
「そうなんだ。」

「その迫害はすさまじいものでしたよ。」
「はい。」

「SS(ヒトラーの親衛隊)によるユダヤ人狩りの様子は「アンネの日記」に書き残され、読む者の心を痛め悲しめ「二度とこうした悲劇が繰り返されないように」との思いを強くさせますね。」
「はい。」

「アンネの日記と言えば、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクによる日記様の文学作品である。第二次世界大戦の最中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっている。ドイツによるユダヤ人狩りを避けるために咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人達の生活を活写したもの。」

「SS(ヒトラーの親衛隊)と言えば、親衛隊は、ドイツの政党、国家社会主義労働者党の組織である。元は総統アドルフ・ヒトラーを護衛する党内組織(親衛隊)として1925年に創設された。」

「ここで失われた命が幾らなのかは、正確には把握されていませんね。」
「そうなんですか。」

「近年の調査では、およそ140万人であったと推定されていますよ。」
「そうなんだ。」

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所に移送されてきた人々の中で、真っ先に命を奪われたのは「女性、子供、老人」であったと伝えられていますよ。」
「はい。」

「「労働力にならない者」として、真っ先にガス室へ送られて殺戮されましたよ。」
「それはひどいですね。」

「書類に記載されることもなく殺された、この人たちの数は全く不明ですよ。」
「そうなんだ。」

「30分で800名ずつ殺害出来たという第二強制収容所などのガス室で殺され、焼却場で焼き捨てられましたよ。」
「そうなんだ。」

「ガス室送りを免れた人々は、約40万人と伝えられていますよ。」
「はい。」

「「政治犯」「一般犯罪者」「移民」「同性愛者」、さらには「ユダヤ」などに登録されてから作業場へと割り振られて行き、強制労働に就かされましたよ。」
「はい。」

「しかし、あまりに劣悪な環境のなかで、次々と人々は倒れていきましたよ。」
「そうなんだ。」

「終戦後の1945年の1月27日に開放された時、そこに生き残っていたのは、わずか7500人でしたよ。」
「そうなんですか。」





ポーランドの世界遺産と歴史~ヴィエリチカ岩塩坑~

「ヴィエリチカ岩塩坑(Kopalnia soli Wieliczka)は、ポーランド東南部にあるクラクフ市街の南にある岩塩の採掘抗ですね。」
「はい。」

「ポーランド東南部にあるクラクフ市と言えば、ポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都である。ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもある。ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城(英語版)を中心としてヴィスワ川両岸に広がっている。人口は約75万で、これはワルシャワ、ウッチに続く第3の規模。」

「ヴィエリチカ岩塩坑(Kopalnia soli Wieliczka)と言えば、ポーランド共和国マウォポルスカ県にある岩塩の採掘坑である。クラクフ首都圏内の都市ヴィエリチカで13世紀以来稼働していたが、コストの問題と坑内で洪水が起きる危険性があることから1996年に商業採掘は中止され、現在は観光地となっている。」

「「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」にあたるとして、ユネスコの世界遺産に指定されましたよ。」
「そうなんだ。」

「創業は、ポーランド王国がクラクフに遷都した6年後の1044年と大変古く、岩塩坑としては、世界最古のものですよ。」
「そうなんですか。」

「ポーランド王国と言えば、1795年までポーランド一帯を支配していた王国である。14世紀にリトアニア大公国と合同し、14世紀から16世紀にかけて北はエストニア、南はウクライナまでをも含む大王国を形成、人口や領土において当時のヨーロッパ最大の国家「ポーランド・リトアニア共和国」を形成し、その連邦の盟主となったが、ヨーロッパの経済構造が変化すると共に対外戦争と内乱が続き、18世紀に共和国が周辺諸国に領土を分割されると同時に消滅して、その領土的実態としての歴史を終えた。」

「産出される岩塩は、長い間ポーランド国家の重要な収入源の一つでしたよ。」
「はい。」

「18世紀のポーランド分割の頃までは国家予算の30%以上を占めていた重要な産業でしたよ。」
「そうなんだ。」

「冷蔵庫のない時代、塩は食品保存に欠かせないものでしたね。」
「そうですね。」

「長く国家事業として維持されてきたものですよ。」
「はい。」

「その規模は、坑道の長さ延べ約300キロメートル、2千以上の部屋数を数え、深さは327メートルにまで達していますよ。」
「スケールが大きいですね。」

「その一部の3.5キロメートルの坑道が、観光客のために開かれていますよ。」
「はい。」

「年間10万人も訪れる、人気スポットとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「坑道は地下9階まであり、最深部は371メートルにまで達しますよ。」
「凄いですね。」

「地下64メートルの地下一階へ降りて行くためのエレベーターが用意されていますよ。」
「はい。」

「狭い立坑を小さな昇降機で降りるために、4段重ねの箱に乗って降りていきますよ。」
「はい。」

「観光で見ることが出来るのは、地下135メートルの三階部分までですよ。」
「そうなんだ。」

「見るもの全てが岩塩の乳白色の輝きに溢れていて、幻想的な景観を見せてくれますよ。」
「はい。」

「1689年に初めてミサが行われたという「キンガ王女の礼拝堂」は、1895年から30年がかりで、本格的な礼拝堂にする工事が行われましたよ。」
「はい。」

「キンガ王女の礼拝堂と言えば、1896年から創られた地下101mにある、地下の事故で命を落とした人達を弔うためにたくさんの人達が岩塩の彫刻を彫り安置した美術館のような「聖キンガ礼拝堂」である。聖キンガはハンガリー王ベラ4世の王女でヴィエリチカの岩塩層を発見したという伝説がある。」

「キンガ王女と言えば、キンガとはハンガリー王・ベラ4世の娘で、ポーランド王子に嫁いだキンガ王女に由来します。キンガ王女は、ポーランドの王子との結婚が決まった際、その記念にハンガリー、マルマロスの岩塩坑を父親より譲り受けました。」

「奥行き54メートル、幅17メートル、高さ12メートルの大きな空間を生み出すために、2万トンを超える岩塩が掘り出されたそうですよ。」
「はい。」

「内部は、カトリックの新約聖書に題材をとった岩塩の彫刻で埋め尽くされていますよ。」
「そうなんですか。」

「天井から光を放つ巨大なシャンデリアまでもが、岩塩で作られていますよ。」
「はい。」

「坑道には、いたるところに岩塩をそのまま彫って作った彫刻が見られますよ。」
「そうなんだ。」

「これらは、全て作業に従事していた工夫たちが彫ったものですよ。」
「はい。」

「その芸術性の高さには驚かされますよ。」
「はい。」

「いくつもの部屋の中には、湖を湛えた「バラッツ室」と名づけられた空間がありますよ。」
「そうなんだ。」

「巨大な地下空間が、かつて2千万年前に海底から隆起して出来たものであることを偲ばせますよ。」
「はい。」

「さらに下へ降りていくと、かつてナチス・ドイツが飛行機のエンジンを製造するのにユダヤ人を強制労働させた部屋があり、悲惨な歴史の傷跡も見せていますよ。」
「はい。」

「ナチス・ドイツと言えば、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を掌握していた1933年から、第二次世界大戦の敗北によってナチ党政権が崩壊する1945年までのドイツ国を指す呼称である。」

「しかし、その奥にはバスケットボールのスタジアムがありますよ。」
「そうなんだ。」

「そこでは音楽コンサートも開かれていて、現在の平和を勝ち得たポーランドの人たちの喜びが伝わって来るようですよ。」
「はい。」





ポーランドの世界遺産と歴史~ヴロツワフの百周年記念ホール~

「「百周年記念ホール(Hala Stulecia)」は、ポーランド南西部のヴロツワフ市にある巨大な鉄筋コンクリート製の市民ホールですよ。」
「はい。」

「ヴロツワフと言えば、ポーランド西部にある第4の都市で、ドルヌィ・シロンスク県の県都である。歴史的にシロンスク地方の中心都市で、ポーランドの中でも最も古い都市のひとつである。市内にはオドラ川とその支流が流れ、200以上の橋が架かっている。」

「「人類の創造的才能を表現する傑作」にあたるとして世界遺産に登録された建造物ですよ。」
「はい。」

「「百周年」として記念された謂れは、1813年の「ライプツィヒの戦い」ですよ。」
「そうなんですか。」

「ライプツィヒの戦いと言えば、ライプツィヒの戦い(1813年10月16日 - 10月19日)は、ナポレオン戦争における最大規模の戦闘である。諸国民の戦いとも呼ばれる。ドイツ東部のライプツィヒ(当時のザクセン王国領)で、ナポレオン1世麾下のフランス軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。」

「ナポレオンに勝利したことを言いますよ。」
「そうなんだ。」

「ナポレオンと言えば、ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 -1821年5月5日)は、革命期フランスの軍人・政治家である。ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立し、戦勝と婚姻政策によって、イギリスを除くヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(ナポレオン戦争)が、最終的に敗北して失脚した。」

「当時、ナポレオンがドイツを占領しようとして攻撃を仕掛けてきたのに対し、イギリス、ロシア、スペイン、ポルトガル、プロイセン、オーストリア、スウェーデンとドイツなどが、同盟を結成し勝利をおさめたことを指していますよ。」
「そうなんですか。」

「別名「諸国民の戦い」とも呼ばれていますよ。」
「はい。」

「主戦場となったライプツィヒ市街は、ドイツの東北、ポーランドと国境を接する地域で、ヴロツワフ市からはわずか300キほどの所にありますよ。」
「はい。」

「勝利の喜びから100年後に、風光明媚な水の都ヴロツワフ市に百周年記念ホールが建てられましたよ。」
「そうなんだ。」

「1911年に着工し、1913年にオープンしたこの建物は、多目的娯楽用建築物ですよ。」
「はい。」

「6000人を収容できる巨大なホールは、鉄筋コンクリート建築の歴史の中でも画期的な建造物ですよ。」
「はい。」

「今日になっても、未だ建築家たちの研究の対象となるほどの貴重な文化遺産ですよ。」
「そうなんだ。」

「ホールの内部に入り上部を見上げると、むき出しになったコンクリートの梁が卵型の円蓋の頂に向かって何十本も組み込まれていますよ。」
「はい。」

「鉄筋コンクリートによる巨大建造物の構造計算の見事さに圧倒されてしまいますよ。」
「そうなんだ。」

「この巨大な円形空間は、直径65m、高さ42mですよ。」
「大きいですね。」

「外光を取り入れるように、スチールとガラスで出来た明かり窓が上部に組み込まれていますよ。」
「はい。」

「そこから差し込む明かりが、中央ホールを穏やかに照らしていますよ。」
「はい。」

「観客席は円形のホールを取り巻くように、4面の階段席が用意されていますよ。」
「そうなんだ。」

「それを覆う屋根や壁は、外から見ると四葉のクローバーのような配置になっていますよ。」
「はい。」

「建物下部の入り口ドアや窓は、外国産の堅木で作られていますよ。」
「はい。」

「落ち着いた芸術的な風合いで縁取られていますよ。」
「そうなんだ。」

「ホールは音楽祭なども行われるため、音響効果を高める工夫が施されていますよ。」
「はい。」

「壁は、木材またはコルクと混ぜたコンクリートの遮音層で覆われていますよ。」
「はい。」

「しかし、そこから上部の梁は、むき出しのコンクリートの肌のままで、型枠の跡が見えていますよ。」
「そうなんだ。」

「飾りや装飾は一切なく、現在の建築家たちの研究心を揺さぶりますね。」
「はい。」

「百年記念会館は、近代工学と建築学の草分け的な作品ですよ。」
「はい。」

「第2次大戦のナチス・ドイツの魔手から逃れて保存されたことを思えば、平和の記念館と呼んでも良いでしょう。」
「わかりました。」

「ナチス・ドイツと言えば、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を掌握していた1933年から、第二次世界大戦の敗北によってナチ党政権が崩壊する1945年までのドイツ国を指す呼称である。」





ポーランドの世界遺産と歴史~クラクフ歴史地区~

「「クラクフ歴史地区(Krakow)」は、ポーランド南部にある古都ですよ。」
「はい。」

「戦禍にまみれる事の多かったポーランドの中で、唯一戦渦を逃れて700年以上も昔のままの姿を残している世界遺産ですよ。」
「はい。」

「17世紀にワルシャワへ遷都するまでは、クラクフがポーランド王国の首都でしたよ。」
「そうなんですか。」

「ワルシャワと言えば、ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市である。マゾフシェ県の県都である。中央ヨーロッパの政治、経済、交通の要衝でもある世界都市。ヴィスワ川の中流、マゾフシェ地方に位置し、市内をヴィスワ川が貫通する。第2次世界大戦後、戦火で荒廃した旧市街を「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した。1980年にユネスコによって「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。」

「ポーランド王国と言えば、1795年までポーランド一帯を支配していた王国である。14世紀にリトアニア大公国と合同し、14世紀から16世紀にかけて北はエストニア、南はウクライナまでをも含む大王国を形成、人口や領土において当時のヨーロッパ最大の国家「ポーランド・リトアニア共和国」を形成し、その連邦の盟主となったが、ヨーロッパの経済構造が変化すると共に対外戦争と内乱が続き、18世紀に共和国が周辺諸国に領土を分割されると同時に消滅して、その領土的実態としての歴史を終えた。」

「流通の要だったヴィスワ川ぞいに商業が栄え、ヴァヴェル城を中心に街並みが広がっていますよ。」
「はい。」

「ヴァヴェル城と言えば、ポーランド南部の古都クラクフにある城である。クラクフの旧市街南、ヴィスワ川のほとりにそびえるゴシックルネサンス様式の城で、ポーランドを代表する歴史遺産である。11~16世紀まで国王が住んでいて、敷地内には大聖堂や旧王宮、王の墓など歴史的な建造物が多く残されている。1320年にクラクフがポーランドの首都となると、国の政治を司る王宮として、文化の中心地として大いに栄えた。」

「ヴィスワ川と言えば、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベスキト(英語版)の山脈の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。」

「市街を守ってきた城壁は、北のフロリアンスカ門周辺だけを残して、現在は取り払われ、緑地帯になっていますよ。」
「はい。」

「フロリアンスカ門と言えば、ポーランド南部の都市クラクフの旧市街北端部にある門である。13世紀に建造されたゴシック様式の塔状の門で、17世紀にバロック様式の屋根が付け加えられた。15世紀末建造の円形状の砦バルバカンに隣接する。」

「ヨーロッパ大陸の中でも、最も戦禍にまみれた国、ポーランドの首都がクラクフでしたよ。」
「そうなんだ。」

「まったく無傷のまま、今日まで古の姿を残していることは、奇跡としか言いようがありませんね。」
「そうですね。」

「街の中央にある中央市場広場を取り囲む建物や、そこから広がる街並みの景観は、14世紀頃のままですよ。」
「本当ですか?」

「クラクフ歴史地区を散策すれば、この地区がまさに文化遺産そのものであることを感じるでしょう。」
「わかりました。」

「クラクフの起源は大変古く、ポーランド王国が出来た10世紀よりもはるかに以前の8世紀頃だと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「このクラクフの歴史において唯一の戦禍は、1241年のバトゥ率いるモンゴル帝国軍の侵攻を受け大敗した時でしたよ。」
「はい。」

「バトゥ率いるモンゴル帝国軍と言えば、モヒの戦い、もしくはシャイオ河畔の戦いは、1241年4月11日に、モンゴル帝国のジョチ家の当主バトゥ率いるモンゴル帝国軍とハンガリー王ベーラ4世率いるハンガリー軍達との間にモヒ(英語版)で行われた戦闘である。」

「バトゥと言えば、バトゥ (1207年 - 1256年) は、ジョチ家の2代目(ハン:在位1225年 - 1256年)で、キプチャック・ハン国(ジョチ・ウルス)の実質的な創設者である。チンギス・カンの長男・ジョチの次男である。漢語では抜都、巴禿、八都罕。lカナ表記ではバツ、バト。」

「14世紀初頭から巧みな平和外交によって、神聖ローマ帝国やボヘミア王国などからの外圧をかわし、最盛期を迎えましたよ。」
「はい。」

「ボヘミア王国と言えば、中世には,ボヘミア王国(モラビア辺境伯領,シュレジエン公領,ボヘミア王国領により構成)の中心部分で,同時に神聖ローマ帝国に属し,1806年の帝国解体後は新たに発足したオーストリア帝国(1867年よりはオーストリア・ハンガリー二重帝国)領となり,かつ1815年に形成されたドイツ連邦にも属した。」

「神聖ローマ帝国と言えば、神聖ローマ帝国(800年/962年 - 1806年)は、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家である。1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」である。帝国の体制は皇帝の権力が諸侯によって弱められることにより、中世から近世にかけて変化した。最後の数世紀にはその体制は諸領域の連合体に近いものになっている。現在のドイツ、オーストリア、ベルギー、チェコ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、モナコ、オランダ、クロアチア、サンマリノ、スロベニア、スイス、フランス、イタリア、ポーランドを支配(連合国も含む)した。」

「現存する建物の多くが、この頃に建てられたものですよ。」
「そうなんだ。」

「コペルニクスが教鞭をとったことで有名なヤギェウォ大学(Uniwersytet Jagielloski)や、中央市場広場にある織物取引所、さらに聖マリア教会などが建てられましたよ。」
「はい。」

「聖マリア教会と言えば、ポーランドの古都クラクフに、1222年に建造されたゴシック様式の教会である。クラクフで最も美しい教会と称えられ、中央正面のヴィオレットストウオシ聖壇は国宝に指定されている。伝承では、かつてモンゴルがクラクフに攻め入ったとき、この教会の窓からラッパ吹きが危険を知らせたが、ラッパを吹き終わらないうちに殺されてしまったという。」

「ヤギェウォ大学(Uniwersytet Jagielloski)と言えば、クラクフの起源は大変古く、ポーランド王国が出来た10世紀よりもはるかに以前の8世紀ころだと言われています。現存する建物の多くがこの頃に建てられたもので、コペルニクスが教鞭をとったことで有名なヤギェウォ大学(Uniwersytet Jagielloski)や、中央市場広場にある織物取引所、さらに聖マリア教会などが建てられました。」

「コペルニクスと言えば、ニコラウス・コペルニクス(1473年2月19日 -1543年5月24日)は、ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭である。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な再発見とされる。」

「しかし、その後17世紀の宗教戦争(三十年戦争)や、18世紀後半のポーランド分割などに巻き込まれ、国家そのものが消滅してしまい、クラクフはオーストリア領ガリツィアへと組み込まれてしまいましたよ。」
「はい。」

「オーストリア領ガリツィアと言えば、現在のウクライナ南西部を中心とした地域である。18世紀末からポーランド最南部も含まれることもある。住民は主にウクライナ人で、西部にはポーランド人も住んでいる。紅ルーシとも呼ばれた。現代では、東欧に跨る地域となっている。「ガリツィア」という名称は、ラテン語化されたウクライナ語の「ハルィチナー」という名前に由来する。「ハルィチナー」は「ハールィチの国」または「ハールィチの土地」といった意味で、西ウクライナ(ウクライナ語版)にあるハールィチという町名を起源としている。」

「18世紀後半のポーランド分割と言えば、ポーランド分割は、18世紀に、ポーランド・リトアニア共和国の領土が3度にわたって周囲の3つの大国に奪われ、最終的に完全に領土を失って滅亡したことを指す歴史用語である。」

「17世紀の宗教戦争(三十年戦争)と言えば、三十年戦争は、ボヘミア(ベーメン)におけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争である。「最後の宗教戦争」、「最初の国際戦争」などと形容されるが、スウェーデンが参戦した1630年以降は、ハプスブルク家、ブルボン家、ヴァーサ家による大国間のパワーゲームと捉える向きもある。」

「その後、紆余曲折を経て第一次世界対戦でポーランドは独立を果たしましたよ。」
「そうなんだ。」

「クラクフもまた、ポーランドの領土に戻りましたよ。」
「はい。」

「最大の危機は、第二次世界大戦でのドイツ・ナチスの進攻でしたよ。」
「はい。」

「第二次世界大戦と言えば、1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦、フランス、ソビエト連邦、アメリカ、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争である。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。」

「ヒトラーによるポーランド壊滅指令で、他の街が壊滅させられましたよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、クラクフはドイツ駐留軍の拠点として扱われたため、皮肉にも一切の攻撃にさらされる事なくその姿を今日に残しましたよ。」
「そうなんですか。」

「クラクフは、中世よりユダヤ人を積極的に受け入れた街ですよ。」
「はい。」

「ユダヤ人コミニュティーの存在を許していましたよ。」
「そうなんだ。」

「ナチスによる強制労働を強いられた時に、街の工場主がユダヤ人を秘かに避難させたことは、映画「シドラーのリスト」となって、クラクフの人達がユダヤ人を守った尊い姿が残されていますよ。」
「わかりました。」

「映画「シドラーのリスト」と言えば、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年のアメリカ映画である。日本での公開は1994年2月。配給はUIO。第二次世界大戦時にナチスドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描く。ホロコーストに関する映画の代表的作品として知られる。」





ポーランドの世界遺産と歴史~ザモシチ旧市街~

「ザモシチ旧市街(Old City of Zamosc)は、ポーランドの東南端にありますよ。」
「はい。」

「ザモシチ(Zamosc)と言えば、ポーランド南東部・ルブリン県にある都市である。ロストチェ国民公園(英語版)から約20km離れた場所に位置する。「ザモシチ旧市街」は、1992年にユネスコの世界遺産に登録された。」

「同じくナチス・ドイツによる破壊を免れたクラクフ歴史地区からは、東へ300キロほどの位置にありますよ。」
「はい。」

「ナチス・ドイツと言えば、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を掌握していた1933年から、第二次世界大戦の敗北によってナチ党政権が崩壊する1945年までのドイツ国を指す呼称である。」

「五角形をなす城壁に囲まれた、面積わずか24ヘクタールの小さな街ですよ。」
「そうなんだ。」

「1580年に建設されたままの姿を、今日までそのまま遺した世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」

「この街を造ったのは、ポーランド・リトアニア連合王国の宰相で、陸軍の最高司令官でもあったヤン・ザモイスキ(Jan Zamoyski)でしたよ。」
「はい。」

「ヤン・ザモイスキ(Jan Zamoyski)と言えば、ヤン・ザモイスキ(1542年3月19日 - 1605年6月3日)は、ポーランド・リトアニア共和国のマグナート(大貴族)である。ザモシチ市(ユネスコ世界遺産)の建設者で、同市の第1代オルディナト(大領主)。」

「ポーランド・リトアニア連合王国と言えば、ポーランド・リトアニア共和国(1569年 - 1795年)は、ポーランド王国とリトアニア大公国の制度的国家合同(ルブリン合同)によって1569年に成立した複合君主制(ポーランドの元首とリトアニアの元首を一人の人物が兼ねる)国家である。16・17世紀のヨーロッパ世界においてオスマン帝国に次いで広大かつ膨大な人口を抱える巨大国家であった。」

「13歳より国外留学し、イタリアのパドヴァ大学では法律を専攻し政治に深い関心と造詣を持った人物ですよ。」
「はい。」

「イタリアのパドヴァ大学と言えば、イタリアのパドヴァに1222年9月29日に創立された、イタリアで2番目に古い大学である(最古の大学はボローニャ大学)である。ガリレオ・ガリレイ、ダンテ、ペトラルカが教授を務めるなど、歴史上の有名人が多くかかわっている。」

「16世紀、ポーランドに立憲君主制の確立を目指したことで知られていますよ。」
「そうなんだ。」

「立憲君主制と言えば、憲法によって規定された君主制である。代表的な立憲君主制国家にはイギリスやタイなどがある。」

「後にイギリスで頻繁に使われた「国王は君臨すれども統治せず」(Rex regnat et non gubernat)の言葉は、実はこのヤン・ザモイスキが最初に語ったものですよ。」
「そうなんですか。」

「近隣国との戦いにおいても多くの武勲をたて、王国およびポーランド・リトアニア共和国の黄金時代を確立した、まさに大宰相でしたよ。」
「そうなんだ。」

「功なり名を上げた大宰相が晩年に描いた夢は、若き頃留学先のイタリアで見た町並みの美しさを故国に建設することでしたよ。」
「はい。」

「一方、戦いのための要塞としての機能を持たせるために、高い石垣の城壁で周囲を囲いましたよ。」
「そうなんだ。」

「場内は、商業のための町並みと政治や文化宗教のための地域を区分しましたよ。」
「はい。」

「その建築様式は、あこがれていたイタリア・ルネッサンスのものでしたよ。」
「はい。」

「イタリア・ルネッサンスと言えば、「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。」

「そのこだわりは並大抵のものではなく、わざわざイタリアから建築家ベルナルド・モランドをポーランドのこの地に呼び寄せて建設を依頼したほどでしたよ。」
「そうなんだ。」

「イタリアの建築家ベルナルド・モランドと言えば、ベルナルド・モランド(またはベルナルディーノ・モランディ、1540年?- 1600年) は、ポーランドで活躍したイタリア人建築家、都市計画家である。ルネッサンス式の街の理想的な理論において同時代の建築作家として注目され、ポーランドの新都ザモシチを設計した人物。」

「街を囲む城壁は、大砲に対する攻撃に耐えうるように、石垣を高く積み上げましたよ。」
「はい。」

「五角形の各所には見張り台と大砲を置き、外的の攻撃に耐える構造になっていますよ。」
「はい。」

「世界的には、カナダ・ノバスコシアのハリファックスや北海道函館市の五稜郭のような、死角のない多角形をした要塞都市ですよ。」
「そうなんだ。」

「北海道函館市の五稜郭と言えば、江戸時代末期に蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)に建造された稜堡式の城郭である。長野県佐久市の龍岡城など、当時日本で建造された星形の城郭を「五稜郭」と通称するが、一般に「五稜郭」といえば函館のそれを指すことが多い。」

「カナダ・ノバスコシアのハリファックスと言えば、ハリファックス(英:Halifax)は、カナダ・ノバスコシア州の州都である。1996年にハリファックス及び周辺都市を大都市圏として合併し、ハリファックス地域都市圏(略称:HRM)を形成したことにより、現在ハリファックスといえば通常このHRMを指すことが多い。人口約35万9000人(2001年統計)で、カナダ大西洋岸地方最大の文化・経済の中心都市である。」

「このため、今日まで幾多の攻撃にも耐えて、建設当時の姿を今に遺している貴重な文化遺産となりましたよ。」
「はい。」

「ザモシチ旧市街の中心広場にそびえ立つ市庁舎は、ザモシチを象徴する建築物ですよ。」
「はい。」

「この市庁舎は、建築様式としては、ルネッサンスとゴシックが融合したものとなっていますよ。」
「そうなんですか。」

「ゴシックと言えば、もともと中世ヨーロッパの建築様式を示す言葉である。12世紀半ばの北フランスから始まった大聖堂などの宗教建築は、次のような共通の特徴を持っていた。第一には先の尖ったアーチ(尖頭アーチ)で建物の高さを強調し、天にそびえてゆくような印象を与えようとしていること、第二に建物の壁に大きな窓を開けて堂内に大量の光を取り入れていること、そして第三に、柱を細くして堂内の空間を広く開けるために、建物を外側から支えるアーチや柱などの構造物(飛梁など)が外壁にせりだしていることである。」

「街の中央にある広場は、周囲を高さを統一したカラフルな建物で囲まれていますよ。」
「はい。」

「ワルシャワの市場広場、クラクフの中央市場広場とよく似ていますよ。」
「はい。」

「クラクフの中央市場広場と言えば、ポーランドのクラクフにある広場である。総面積4万m2で、中世から残っている広場としてはヨーロッパ最大である。この広場の中央にある荘厳な建物はルネサンス様式の織物会館で、民芸品やアクセサリー、革製品などの小さな店が数多く並んでいて、2階は国立美術館の分館になっている。」

「ワルシャワの市場広場と言えば、ワルシャワ歴史地区はこの町の最古の歴史的地区である。エリアの中心は旧市街マーケットプレイス(市場広場)であり、伝統的なポーランドのレストラン、カフェ、商店がある。通りを囲むように、優れた中世の建造物がある。」

「ワルシャワと言えば、ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市である。マゾフシェ県の県都である。中央ヨーロッパの政治、経済、交通の要衝でもある世界都市。ヴィスワ川の中流、マゾフシェ地方に位置し、市内をヴィスワ川が貫通する。第2次世界大戦後、戦火で荒廃した旧市街を「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した。1980年にユネスコによって「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。」

「よく見ると、各建築物の一階部分がアーケード形式になっていますよ。」
「はい。」

「雪が多いこの地方では、このアーケードだけで広場に面する建物をグルッと一周できるようになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「冬場の交易を助けて来たことが偲ばれますよ。」
「はい。」





ポーランドの世界遺産と歴史~ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群~

「「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群(Churches of Peace in Jawor and Swidnica)」は、ヨーロッパ最大の木造宗教建築物ですよ。」
「はい。」

「シフィドニツァと言えば、ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに建てられた。」

「ヤヴォルと言えば、ヤヴォル公国は、シロンスク公国群を構成していた公国の一つで、首都はヤヴォルである。ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。グウォグフにもあったが、1758年に焼失した。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに建てられた。」

「「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」であるとして、ユネスコの世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」

「現在のポーランドの南西部にあるシレジア地区に、「ヤヴォル平和教会」と「シフィドニツァ平和教会」の二つが遺されていますよ。」
「そうなんだ。」

「シフィドニツァ平和教会と言えば、ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォルシフィドニツァ、グウォグフに建てられた。シフィドニツァの教会は聖三位一体の祈りに基づいたものであった。それらは17世紀半ばのヴェストファーレンの平和のあとに起こった宗教論争のときに建てられたものなので、「平和教会」と名付けられたのである。」

「ヤヴォル平和教会と言えば、ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォルシフィドニツァ、グウォグフに建てられた。ヤヴォルの教会は聖霊の祈りに基づいたものであった。それらは17世紀半ばのヴェストファーレンの平和のあとに起こった宗教論争のときに建てられたものなので、「平和教会」と名付けられたのである。」

「シレジア地区と言えば、シレジアは、ヨーロッパ中央部に位置し、ポーランドのシロンスク地方、チェコのセベルノモラフスキー地方(北モラビア地方)、ドイツ東部のブランデンブルク、ザクセン両州の一部にまたがった地域でした。中世からドイツ人とポーランド人が混在している地域で、11世紀にはポーランド、14世紀にはボヘミア、1526年からオーストリー、そして1742年からプロイセンと統治者がかわり、それがかえって地域を複雑にしてしまいました。」

「当時、もう一ケ所建てられた「グウォグフ平和教会」は、火災で焼失していますよ。」
「はい。」

「グウォグフ平和教会と言えば、ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドのドルヌィ・シロンスク県にあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物である。「平和教会」と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォルシフィドニツァ、グウォグフに建てられた。それらは17世紀半ばのヴェストファーレンの平和のあとに起こった宗教論争のときに建てられたものなので、「平和教会」と名付けられたのである。」

「ヨーロッパの教会と言えば、例外なく石造りなのに、なぜここだけが木造なのでしょう。」
「なぜでしょう。」

「この疑問を解き明かすには、「宗教戦争とその終結」という歴史に触れなければなりませんね。」
「はい。」

「宗教戦争とは、カトリックとプロテスタントの間に繰り広げられた争いですよ。」
「はい。」

「30年も続いたため、別名で「三十年戦争」とも呼ばれていますね。」
「そうなんだ。」

「戦争が終結した1648年以前までは、この地域はカトリックを信奉するハプスブルク君主国(オーストリア)の支配下にありましたよ。」
「はい。」

「カトリックを信奉するハプスブルク君主国(オーストリア)と言えば、ハプスブルク君主国は、オーストリア系ハプスブルク家(のちハプスブルク=ロートリンゲン家)が君主として統治した国家の歴史学上の呼称である。正確には「帝国」ではない時代もあるがハプスブルク帝国とも呼ばれる。成立年はハプスブルク家がオーストリア大公国に加えてハンガリー王国、ボヘミア王国(ボヘミア王冠領)を獲得した1526年とされる。1804年までは公式の名称を持っていなかったが、同時代の人々ですらこれを事実上の国家として認識し、オーストリアと呼称していた。1804年から1867年まではオーストリア帝国、1867年から1918年まではオーストリア=ハンガリー帝国(正式には「帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦」)を総称とした。」

「プロテスタントの人々は迫害され、自分の信仰を守る権利が許されていませんでしたよ。」
「はい。」

「しかし、三十年にも及ぶ戦争が終結し、「ウェストファリア条約(講和条約)」が締結されましたよ。」
「はい。」

「ウェストファリア条約(講和条約)と言えば、平和条約の有名な例にはウェストファリア条約として知られる一連の平和条約がある。これは近代的な外交手法の始まりであり近代国際法の元祖となり、近代的な国民国家システムの開始ともされる。この後の戦争は宗教の問題をめぐるものではなく、国家の問題をめぐるものとなった。またカトリックとプロテスタントの勢力が同盟を結ぶことを可能にし、欧州の再編につながった。」

「条約締結国は、相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを確約しましたよ。」
「そうなんだ。」

「シレジア地区を統治していたハプスブルク君主も、この条約に基づいてプロテスタントの信仰の自由を認めましたよ。」
「はい。」

「シレジア地区と言えば、シレジアは、ヨーロッパ中央部に位置し、ポーランドのシロンスク地方、チェコのセベルノモラフスキー地方(北モラビア地方)、ドイツ東部のブランデンブルク、ザクセン両州の一部にまたがった地域でした。中世からドイツ人とポーランド人が混在している地域で、11世紀にはポーランド、14世紀にはボヘミア、1526年からオーストリー、そして1742年からプロイセンと統治者がかわり、それがかえって地域を複雑にしてしまいました。」

「しかし、実際にはシブシブ条約に従って見せただけだったのですよ。」
「どういうことですか。」

「信仰の自由を認められたプロテスタントたちは、教会の建設を申請しましたよ。」
「はい。」

「これに対する君主の回答は、次の通り過酷な条件付のものでしたよ。」
「はい。」

「「街の城壁の外へ建てること。建設作業は1年以内。石やレンガを使ってはならないこと」こうした過酷な条件をつけた理由は、「三つの教会がプロテスタントの砦になるのを防ぐため」でしたよ。」
「そうなんですか。」

「このような条件のもと、シレジア地区の建築家は、「ハーフ・ティンバー方式(藁の土壁を考案するなどして強度を高め、木材・藁・粘土を活用した木組み)」を使って、見事に現存する巨大な教会を完成させましたよ。」
「はい。」

「ハーフ・ティンバー方式(藁の土壁を考案するなどして強度を高め、木材・藁・粘土を活用した木組み)と言えば、シレジア地区の建築家は「ハーフ・ティンバー方式(藁の土壁を考案するなどして強度を高め、木材・藁・粘土を活用した木組み)」を使って、見事に現存する巨大な教会を完成させたのです。いずれの教会にも釘が一本も使われておらず、まさに木組み技法だけで建立したのでした。」

「いずれの教会にも釘が一本も使われておらず、まさに木組み技法だけで建立しましたよ。」
「そうなんだ。」

「外観は質素ですが、内部は見事なバロック様式の装飾が施されていますよ。」
「はい。」

「ちょっと見ただけでは、大理石を使ったように見えるほどですよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、祭壇をはじめ全てが木製ですよ。」
「はい。」

「教会の座席は4層の回廊を設けて、収容人数6000人以上を実現しましたよ。」
「はい。」

「まさに貴重な文化遺産であり、平和の象徴となっていますよ。」
「わかりました。」





ポーランドの世界遺産と歴史~ワルシャワ歴史地区~

「「ワルシャワ歴史地区(Historic Centre of Warsaw)」は、ポーランドの首都ワルシャワのビスワ川沿いの旧市街地にある世界遺産ですよ。」
「はい。」

「ビスワ川と言えば、ヴィスワ川は、ポーランドで最長の川である。全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上におよぶ。ポーランド南部のベキスト(英語版)の山脈の標高1,106m地点に源を発し、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注ぐ。」

「ワルシャワと言えば、ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市である。マゾフシェ県の県都である。中央ヨーロッパの政治、経済、交通の要衝でもある世界都市。ヴィスワ川の中流、マゾフシェ地方に位置し、市内をヴィスワ川が貫通する。第2次世界大戦後、戦火で荒廃した旧市街を「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した。1980年にユネスコによって「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。」

「ここが世界遺産として認められた理由は、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価されたものですよ。」
「そうなんだ。」

「「復元文化財」は、登録に値しないという理由から登録が危ぶまれていましたよ。」
「はい。」

「しかし、「破壊と復興の歴史そのものが後世に残すべき遺産である」として文化遺産に認められましたよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、この世界遺産を理解するためには、その悲惨な破壊の歴史を知らなくてはなりませんね。」
「はい。」

「その端緒になったのは、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった市民による武装蜂起でしたよ。」
「はい。」

「ナチス・ドイツと言えば、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を掌握していた1933年から、第二次世界大戦の敗北によってナチ党政権が崩壊する1945年までのドイツ国を指す呼称である。」

「ソ連軍のポーランド東部への進攻に呼応して、レジスタンスの市民が蜂起しましたよ。」
「そうなんだ。」

「駐留ドイツ軍を攻撃しましたが、失敗しますよ。」
「はい。」

「かえって、激怒したヒトラーは「蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊」を命じましたよ。」
「はい。」

「ドイツ軍による懲罰的攻撃により、ワルシャワは徹底した破壊にさらされましたよ。」
「そうなんだ。」

「蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われていますよ。」
「はい。」

「この時の様子を描いたのが、映画「戦場のピアニスト」や「地下水道」ですよ。」
「そうなんですか。」

「映画「地下水道」と言えば、1956年制作のポーランド映画である。アンジェイ・ワイダの名を一躍世界に知らしめた作品で、第10回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。『世代』、『灰とダイヤモンド』と共に“抵抗三部作”といわれる。」

「映画「戦場のピアニスト」と言えば、第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台としたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画である。2002年公開。ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を元にしている。」

「こうして、ドイツ軍の重火器による徹底的な攻撃にさらされましたよ。」
「はい。」

「街の建物は、ことごとく破壊されてしまいましたよ。」
「はい。」

「しかし、終戦後廃墟と化した旧市街地は、ポーランドの人々の無償の力でみごとに蘇りましたよ。」
「そうなんだ。」

「復旧に当たっては、もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用されましたよ。」
「はい。」

「一つ一つの破片でさえ、もともとあった場所に再度挿入されましたよ。」
「はい。」

「こうして街は完璧に復元されましたよ。」
「そうなんですか。」

「それを可能にしたのは、建築学の教授ザッファトヴィッチとその弟子たちが戦前に描きとめておいた精密な建物のスケッチでしたよ。」
「はい。」

「建築学の教授ザッファトヴィッチと言えば、ワルシャワ工科大学建築学教授で、ワルシャワ復興のリーダーになり、ワルシャワを復興させた。」

「18世紀に描かれた風景画を元に、街並みそのものも正確に復元されましたよ。」
「はい。」

「教授と市民たちは、最後にワルシャワの歴史の象徴とも言うべき王宮も復元しましたよ。」
「そうなんだ。」

「「「歴史を奪われた国民は、存在しないも同然だ」と、教授は語っていますよ。」
「はい。」

「ワルシャワ歴史地区」は、まさにポーランドの人々の存在の証となりましたよ。」
「わかりました。」

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