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キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~グランマ号上陸記念国立公園・アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園・ハバナ旧市街とその要塞群・トリニダードとロス・インヘニオス渓谷・サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城・キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観・シエンフエーゴスの都市歴史地区・カマグエイ歴史地区~





キューバ 世界遺産 カリブ海の真珠 革命 国

キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国

「キューバと言えば、カストロ議長やチェ・ゲバラなどでおなじみのスポットですね。」
「そうですね。」

「チェ・ゲバラと言えば、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者である。「チェ・ゲバラ」の呼び名で知られるが、「チェ」は主にアルゼンチンやウルグアイ、パラグアイで使われているスペイン語(リオプラセンテ・スペイン語をはじめとする諸方言)で「やぁ」、「おい」、「お前(親しみを込めた)」、「ダチ」といった砕けた呼び掛けである。」

「メキシコと一緒に観光する方も多く、「ルンバの国」など、踊りの国というイメージを抱いている方も少なくないと思われますね。」
「はい。」

「ルンバと言えば、キューバのアフリカ系住民の間から生まれたラテン音楽であり、リズム名でもあり、ダンス名でもある。キューバ元来のルンバと、1930年代以降ザビア・クガート楽団によりアメリカを中心に世界中に広まったとされるルンバは別物である。社交ダンスで踊られる項目の一つにもルンバがあるが、こちらもキューバで踊られるルンバとは全く別物である。」

「キューバは、多様な観光スポットを持つだけではなく、およそ9種類の世界遺産を保有している国としても有名な国ですよ。」
「そうなんですか。」

「そのうち、文化遺産は7カ所ありますよ。」
「はい。」

「この7カ所の中で最も有名なのは、海賊ジャック・ド・ソーレスの手で焼き討ちされた経歴をもつ「ハバナ旧市街とその要塞群」ですね。」
「そうなんだ。」

「ハバナと言えば、キューバの首都である。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。日本語では英語表記のHavanaをもとにしたと思われるハバナ表記が広く一般的に用いられているが、現地語であるスペイン語にならう場合、その正式な名称はあくまでラ・アバーナ(La Habana)である。」

「海賊ジャック・ド・ソーレスと言えば、オールド・ハバナは、フランスの海賊ジャック・ド・ソーレスに焼き討ちされたことをきっかけに、しだいに要塞化されていった。」

「他にも、様々な世界遺産を保有していますよ。」
「はい。」

「たとえば、砂糖の谷と称されることでおなじみの「トリニダとロス・インヘニオス渓谷」や、サンティアーゴ・デ・クーバの街を守り続けてきた城塞「サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城」などですね。」
「はい。」

「サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城と言えば、サンティアーゴ・デ・クーバの沿岸部にある城塞である。市の中心部からは約 10 km に位置し、湾を見渡している。」

「サンティアーゴ・デ・クーバと言えば、キューバ南東部の都市である。サンティアーゴ・デ・クーバ州の州都。人口は40万4100人。カリブ海に面したマエストラ湾岸にある港湾都市かつ工業都市である。」

「ロス・インヘニオス渓谷と言えば、トリニダの外側およそ12 km に位置するサン・ルイス(San Luis)、サンタ・ロサ(Santa Rosa)、メイエル(Meyer)という3つの渓谷の総称である。ロス・インヘニオスとは「機械類」のことで、製糖機械にちなむ名称であり、「砂糖の谷」の異名もある。山間に平坦な地形が広がっているため、日本語ではロス・インヘニオス盆地とも訳される。」

「トリニダと言えば、キューバ中央部サンクティ・スピリトゥス州の町である。建設当初の正式名はサンティシマ・トリニダである。砂糖取引で栄えたかつての繁栄を偲ばせる町並みは、近隣のロス・インヘニオス渓谷とともに、1988年にユネスコの世界遺産リストに登録された。」

「世界で最も知られている煙草の名産地「ビニャーレス渓谷」、171種類のプランテーションを展開している「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」、シエンフエーゴスの古い町並みを保存した地域「シエンフエーゴスの都市歴史地区」、肥沃な農園が広がるメキシコの中心地「カマグエイ歴史地区」など、キューバの個性を象徴するような世界遺産が数多く存在していますよ。」
「いろいろありますね。」

「カマグエイと言えば、キューバ中部にある都市である。カマグエイ州の州都。旧称はサンタ・マリア・デル・プエルト・プリンシペ。人口は29万4,000人。ハバナの南東方約550kmの地点にあり、キューバ島内陸の交通要所である。サトウキビ栽培と牧畜が主に行われている肥沃な農業地帯の中心都市であり、製糖業などの食品加工業、及び商業が活発に行なわれている。」

「シエンフエーゴスと言えば、キューバの中央部南岸にある都市で、シエンフエーゴス州の州都である。ハバナからは約250 kmで、人口は約15万人である。この都市は、「南の真珠」(La Perla del Sur)の異名をとっている。「シエンフエーゴス」は言葉どおりに訳すと「百の火」である。」

「プランテーションと言えば、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。」

「煙草の名産地「ビニャーレス渓谷」と言えば、ユネスコ世界遺産に登録され、独特な地形やタバコの産地、洞窟など見所たくさんの観光地である。」

「基本的に、町並みや肥沃な大自然を公開するような世界遺産ばかりですよ。」
「はい。」

「歴史に大きく名を残すようなカテドラル(大聖堂)が見たい!」という方や、「万里の長城のような政治的なスポットに行きたい!」という方には、おススメできない場所かも知れませんね。」
「そうなんだ。」

「色々な奥地を探検してみると、上記の世界遺産を上回るほど素晴らしいスポットも見つかりますよ。」
「そうなんですか。」

「是非、観光しながら、そのような「好きになれそうな穴場スポット」を発見してみてください。」
「わかりました。」

「キューバは世界遺産以外にも、世界的に有名な観光地をいくつも保有していますよ。」
「はい。」

「「世界遺産もいいけど、頭を使わずに楽しめるところも一緒に観光してみたい!」という方には、カリブ海の島などを巡るツアーなどもおススメです。」
「そうですね。」

「カリブ海と言えば、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。」

「頭を使わないと楽しめないような世界遺産を見た後に、バラデーロなどの何も考えずに遊べるリゾートスポットを観光すると、思い出深い旅になりますよ。」
「はい。」

「バラデーロと言えば、キューバ1のリゾート地として知られる。ハバナから車で3時間程度と、比較的近い距離 (日帰り圏内) にあるため、ハバナ観光のエクスカーションの地としても人気が高い。」

「旅のプランに迷っているのであれば、メリハリをつけたコースで観光しましょう。」
「わかりました。」

「キューバは、至るところにチェ・ゲバラの顔のデザインが印刷されていますよ。」
「そうなんですか。」

「街中を散歩するだけで、日本との文化の違いがよく分かるのではないかと思われますよ。」
「はい。」

「カストログッズやゲバラグッズなど、日本では考えられないほど革命家や政治家の肖像が好まれている国ですね。」
「はい。」

「おみやげに何か買って帰るのであれば、チェ・ゲバラグッズを購入してみるのも良いかも知れませんね。」
「そうなんだ。」

「世界遺産の周辺には、おみやげ屋さんやレストラン、リゾートホテルなどがありますよ。」
「はい。」

「ある程度は、きちんとした設備を期待できるスポットになっているのでご安心くださいね。」
「はい。」

「しかし、物価については一長一短といった感じで、「高いところもあれば、安いところもある」といった具合ですね。」
「そうなんだ。」

「ビールが安かったかと思えば、料理が非常に高額であったりしますよ。」
「はい。」

「「海外でもこんなにちゃんとした水圧のシャワーが使えるんだ」と、設備の良さに感動したかと思えば、外にいる子供にたかられたりしますよ。」
「そうなんだ。」

「初めて行く方は、色々と戸惑う部分も出てくる筈ですよ。」
「はい。」

「治安が良い所と悪い所の差が激しいですよ。」
「そうなんですか。」

「物価も、一概に安いとは言えないスポットですよ。」
「はい。」

「「同じキューバの中でも、違うことがたくさんある」ということを前提に、行動するのがベストだと言えますよ。」
「わかりました。」

「世界遺産のようなしっかりした場所の周辺であっても、夜になると治安が悪くなる場合もありますよ。」
「はい。」

「適度に気を付けながら、楽しく観光してみましょう。」
「わかりました。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~グランマ号上陸記念国立公園~

「皆さんは、「グランマ号上陸記念国立公園」という世界遺産をご存じでしょうか?」
「いいえ、知りません。」

「グランマ号上陸記念国立公園と言えば、キューバのグランマ州にある国立公園である。1999年にユネスコの世界遺産に登録された。キューバの自然遺産の中では、最初に登録されたものである。」

「グランマ号上陸記念国立公園は、1999年にユネスコの世界遺産に指定された国立記念公園ですよ。」
「はい。」

「キューバで初めて、世界遺産に認定された場所ですよ。」
「はい。」

「記念すべき世界遺産として、扱われていますよ。」
「そうなんだ。」

「この世界遺産の見所は、大自然の中で生き生きとうごめく多様な生態系ですよ。」
「そうなんですか。」

「絶滅危惧種のマナティーをはじめ、500種類以上もの動植物が見られるスポットですよ。」
「はい。」

「絶滅危惧種のマナティーと言えば、絶滅の危機に瀕しているといわれる巨大な哺乳動物です。 その体は、灰色の巨大なあざらしの様ですが、顔を良く見ると子豚のような、可愛い顔をしています。」

「自然を愛する人々が、世界中から押し寄せる世界遺産となっていますよ。」
「はい。」

「マナティーと言うと、日本では沖縄にある美ら海水族館がおなじみですね。」
「そうですね。」

「グランマ号上陸記念国立公園で保護されているマナティーは、日本のマナティー館で保護されているマナティーよりものびのびとした空間で保護されていますよ。」
「そうなんだ。」

「「日本以外の場所に棲息するマナティーも見てみたい!」という方は、是非、グランマ号上陸記念国立公園に住むアメリカマナティーを見学してください。」
「わかりました。」

「アメリカマナティーと言えば、哺乳網海牛目マナティー科マナティー属に分類される哺乳類である。」

「標高360メートルから、水深180メートル地点までの勾配の中にある世界遺産ですよ。」
「はい。」

「各国の世界遺産を巡っても、なかなかお目にかかれないようなロケーションを目にすることができますよ。」
「はい。」

「この世界遺産の名称を見て、「グランマ号って何なの?」と、疑問を持たれた方もいるかと思われますね。」
「はい。」

「グランマ号と言えば、1956年のキューバ革命時にメキシコへ亡命していたフィデル・カストロがチェ・ゲバラら82名の仲間と共にキューバへ再上陸するのに使った船である。」

「グランマ号という名前を初めて見る人は、タイタニック号のような船を想像されるかも知れませんね。」
「そうですね。」

「実は、この船はフィデル・カストロがキューバの地に再上陸する際に使った船ですよ。」
「そうなんだ。」

「フィデル・カストロ(カストロ議長)と言えば、フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス(1926年8月13日 - )は、キューバの政治家、革命家、軍人、弁護士である。社会主義者で、1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えた。革命によって同国の最高指導者となり、首相に就任。1965年から2011年までキューバ共産党中央委員会第一書記を、1976年より2008年まで国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)を務めた。国家元首として在職中、日本国内においては「カストロ議長」と呼称されることが多かった。」

「キューバ国内で、偉大な功績を残した船の一つとして知られていますよ。」
「はい。」

「知らないまま観光すると、意味が不明瞭なポイントばかりかも知れませんね。」
「はい。」

「ある程度、フィデル・カストロの辿った経歴についてを知っておくと、「ここはこういう理由で世界遺産に登録されたんだ」ということがよく分かりますよ。」
「そうですね。」

「キューバの歴史をよく知らない方は、是非一度、フィデル・カストロの伝記などを読んでください。」
「わかりました。」

「もちろん、この世界遺産には、美しい自然のロケーションなどが見られるポイントも多々ありますよ。」
「はい。」

「水辺が好きな方なら、心地良く過ごせる筈ですよ。」
「はい。」

「「最近ストレスが溜まってるな~」という方にも、おススメしたいスポットですね。」
「そうなんだ。」

「なお、この世界遺産は、キューバ南部の街「サンティアゴ・デ・クーバ」から車で3時間程度でアクセスできますよ。」
「はい。」

「南部エリアで世界遺産などを観光したい方は、是非足を踏み入れてみましょう。」
「わかりました。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園~

「世界遺産「アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園」は、キューバ共和国の首都:ハバナより東南東へ約800km、グアンタナモ州とオルギン州にまたがったバラコア山岳の一帯にありますよ。」
「はい。」

「バラコア山岳と言えば、世界遺産「アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園」はキューバ共和国の首都:ハバナより 東南東へ約800km、グアンタナモ州とオルギン州にまたがったバラコア山岳の一帯に あります。」

「オルギン州と言えば、キューバの北東に位置する州(地方 行政区分)のうちのひとつである。州都はオルギン。キューバではハバナ州、サンティアーゴ・デ・クーバ州に次いで3番目に人口の多い州である。約4分の1の面積が熱帯雨林地帯である。1492年10月27日、クリストファー・コロンブスが現在のオルギン州のある地点に上陸したと考えられている。」

「グアンタナモ州と言えば、キューバ東部に位置する州(地方 行政区分)のうちのひとつである。州都はグアンタナモ。グアンタナモ湾の周囲にはグァンタナモ米軍基地が存在する。」

「アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園と言えば、キューバのグアンタナモ州とオルギン州にまたがる国立公園である。総面積は714.4平方キロメートル。名前の由来はドイツの科学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが1800年から1801年にかけてキューバを訪問したことに由来する。その面積、標高差、岩石学においての複雑さ、地形の多様性、そして固有な植物相、動物相の豊かさが評価され、2001年に、ユネスコの世界遺産に登録された。」

「ハバナと言えば、キューバの首都である。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。日本語では英語表記のHavanaをもとにしたと思われるハバナ表記が広く一般的に用いられているが、現地語であるスペイン語にならう場合、その正式な名称はあくまでラ・アバーナ(La Habana)である。」

「アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園の総面積は、なんと714.4平方kmありますよ。」
「広いですね。」

「陸地が約685.72平方km、海域が約22.63平方kmという広大な自然公園ですよ。」
「はい。」

「世界遺産に登録されたのは、2001年でしたよ。」
「はい。」

「アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園特有の熱帯林、面積の大きさ、標高差、岩石学的複雑さや地形の多様性、固有動植物の豊富さが評価されましたよ。」
「そうなんだ。」

「標高差については、なんと1,168mもありますよ。」
「はい。」

「土壌についても、有毒な成分を含む場所などがありますよ。」
「はい。」

「これらの環境に適応する為、動植物たちは変化を遂げて生活してきましたよ。」
「そうなんだ。」

「公園内には、約100種の植物、約64種の鳥類が生存していますよ。」
「はい。」

「その中でも、キューバで確認されている絶滅危惧種28種のうち、16種がこの国立公園で保護されていますよ。」
「はい。」

「特に、鳥類では固有種の「マメハチドリ」が世界最小の鳥として有名ですね。」
「そうなんだ。」

「世界最小の鳥として有名な「マメハチドリ」と言えば、アマツバメ目ハチドリ科に分類される鳥類の一種である。全長4~6cm、オスがやや小さい。体重2gと鳥類の中で最小、最軽量。また、卵も同様に鳥類一小さく、最軽量で、長さ6・5mm、重量約0・3g。山地から海岸にかけての湿原の森林に生息する。花の蜜や昆虫、クモなどを食べる。チョウやハチなど、花蜜食の昆虫と花の蜜をめぐって争うことがある。」

「ハチドリは、鳥類で体が小さいグループに属しますよ。」
「はい。」

「その中でも最小ですよ。」
「はい。」

「その全長は、わずか6cmですよ。」
「そうなんだ。」

「体重は、たった2gですよ。」
「そうなんですか。」

「見つけるのは困難ですが、ここにしかいないので是非見つけてみたいものですね。」
「はい。」

「固有種の「キューバ・ソレノドン」も、生息していますよ。」
「はい。」

「モグラ目の一種の「キューバ・ソレノドン」と言えば、動物界脊椎動物門哺乳網モグラ目(食虫目)ソレノドン科ソレノドン属に分類される哺乳類である。」

「モグラ目の一種で、体長約25~31cmですよ。」
「はい。」

「食虫類に属し、鼻先が長いのが特徴ですよ。」
「そうなんだ。」

「哺乳類には珍しく、唾液に毒を持っていますよ。」
「はい。」

「是非見てほしいのが、「陸棲軟体生物ポリミタス」というカタツムリの一種ですよ。」
「はい。」

「カタツムリの一種の「陸棲軟体生物ポリミタス」と言えば、アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園の固有種のカタツムリの一種です。地球上で最も美しいカタツムリと言われているだけあり、その殻は実に華やかです。黄・赤・黒・白のラインが渦を巻いていてとてもキレイです。その半面、体は黒いのが特徴です。」

「これも、アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園の固有種ですよ。」
「そうなんだ。」

「地球上で最も美しいカタツムリと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「その殻は実に華やかです。」

「黄・赤・黒・白のラインが渦を巻いてとてもキレイですよ。」
「はい。」

「その半面、体は黒いのが特徴ですよ。」
「はい。」

「その他、アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園では、オウム目やトカゲ類、カタツムリ類など、様々な種の動植物を観察することが出来ますよ。」
「そうなんだ。」

「今でも、多くの博物学者たちが研究に訪れる場所でもありますよ。」
「はい。」

「この国立公園の名前の由来になったのも、博物学者の一人、ドイツ出身のアレクサンダー・フォン・フンボルトでしたよ。」
「はい。」

「博物学者の一人、ドイツ出身のアレクサンダー・フォン・フンボルトと言えば、18世紀末から19世紀前半にかけて活動した、プロイセン出身の博物学者、探検家である。晩年は、プロシア学術協会の初代会長に就任。」

「彼が1800~1801年にキューバを訪問したことに由来し、名付けられたと言いますよ。」
「そうなんだ。」

「アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園は、まさに貴重な動植物たちの楽園ですね。」
「はい。」

「この生活環境が、今後もずっと守られていくのを願うばかりですね。」
「そうですね。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~ハバナ旧市街とその要塞群~

「キューバの首都・ハバナにある「ハバナ旧市街とその要塞群」は、1982年に、世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「ハバナと言えば、キューバの首都である。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。日本語では英語表記のHavanaをもとにしたと思われるハバナ表記が広く一般的に用いられているが、現地語であるスペイン語にならう場合、その正式な名称はあくまでラ・アバーナ(La Habana)である。」

「ハバナ旧市街には、バロック建築と新古典主義建築で構成された建造物が残されていますよ。」
「はい。」

「4つの要塞を持っている街でもありますよ。」
「そうなんだ。」

「キューバの首都ハバナは、「カリブ海の真珠」と呼ばれていますね。」
「そうですね。」

「カリブ海と言えば、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。」

「西半球で最も古く美しい街であり、カリブ海域最大の都市ですよ。」
「はい。」

「キューバ共和国は、元々、スペインの統治下にありましたよ。」
「はい。」

「1898年、アメリカ・スペイン戦争が勃発しましたよ。」
「はい。」

「アメリカ・スペイン戦争と言えば、米西戦争は、1898年にアメリカ合衆国とスペインの間で起きた戦争である。アメリカ海軍の軍艦爆発を機にアメリカ世論の高まりなどもあり、アメリカとの戦争に突入した結果スペインは敗北し、カリブ海および太平洋のスペインの旧植民地に対する管理権をアメリカが獲得した。20世紀のキューバの歴史家は1868年から独立運動を続けてきたキューバ独立軍との関係からこの戦争をスペイン・アメリカ・キューバ戦争(米西キューバ戦争)と呼び、1946年にキューバ議会はこの名称をキューバにおけるこの戦争の正式名称とすることを決議した。」

「スペインが敗北した為、アメリカの統治下になりましたよ。」
「そうなんだ。」

「そして、1902年にキューバが独立し、ハバナは首都となりましたよ。」
「はい。」

「ハバナの歴史は、1519年から始まりますよ。」
「はい。」

「この時、スペイン人により都市が建設されましたよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、フランスの海賊であるジャック・ドソーレスに一度街が焼き討ちにあいましたよ。」
「はい。」

「フランスの海賊であるジャック・ドソーレスと言えば、ハバナの歴史は、1519年から始まります。この時、スペイン人により都市が建設されました。しかし、フランスの海賊であるジャック・ドソーレスに一度街が焼き討ちにあいました。この経験から、ハバナの街は要塞化していくこととなりました。」

「この経験から、ハバナの街は要塞化していくこととなりましたよ。」
「はい。」

「まずは、1558年に第一の要塞のフエルサ要塞が、バルトロメウ・サンチェスにより造られましたよ。」
「はい。」

「バルトロメウ・サンチェスと言えば、フエルサ要塞が1558年に建設された。建築の指揮には、バルトロメウ・サンチェスが行った。」

「第一の要塞のフエルサ要塞と言えば、1558年に第一の要塞のフエルサ要塞がバルトロメウ・サンチェスにより造られました。」

「その後、ハバナ湾入り口を防衛する為に、モロ要塞が建造されましたよ。」
「そうなんですか。」

「モロ要塞と言えば、ハバナ湾の入口を防衛する要塞であるモロ要塞が建設された。モロ要塞は、イギリスの海賊であるフランシス・ドレークの攻撃を斥ける高さ20mの城壁を誇った。」

「ハバナ湾と言えば、ハバナ湾入り口を防衛する為にモロ要塞が建造された。」

「なんと高さ20mもの城壁を持ち、カリブ海最強の砦と言われましたよ。」
「はい。」

「1590年には、モロ要塞の対岸にプンタ要塞が造られましたよ。」
「はい。」

「プンタ要塞と言えば、プンタ要塞は、モロ要塞の対岸にある要塞で、1590年に建設が開始された。」

「1763年には、カバーニャ要塞が造られましたよ。」
「そうなんだ。」

「カバーニャ要塞と言えば、ハバナ湾の東側を防衛する要塞で、カルロス3世の命令により、1763年に建設が開始された要塞である。」

「このカバーニャ要塞は、啓蒙専制君主であったカルロス三世の命で造られましたよ。」
「はい。」

「カルロス三世と言えば、ナポリ・シチリア王(カルロ7世および5世、在位:1735年 - 1759年)、のちボルボン(ブルボン)朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)。スペインの啓蒙専制君主と言われる。」

「啓蒙専制君主と言えば、主に18世紀後半、東ヨーロッパの君主国のプロイセン・オーストリア・ロシア・トルコにおいて啓蒙思想を掲げて「上からの近代化」を図った君主をさす。」

「とりわけ、近代的な造りとなっていますよ。」
「はい。」

「この美しい「ハバナ旧市街とその要塞群」ですが、旧市街にはまだまだ約三千もの歴史的建造物が残っていますよ。」
「そうなんですか。」

「観光地としては、「ハバナ大聖堂」がありますよ。」
「はい。」

「ハバナ大聖堂と言えば、正式名称サン・クリストバル大聖堂と呼ばれるハバナを代表する大聖堂である。1776年に完成し、バロック建築。高さが異なる2つの塔が特徴である。」

「「ハバナ大聖堂」は、バロック建築で高さの異なる二つの塔が特徴的ですよ。」
「はい。」

「「ガルシーア・ロルカ劇場」は、キューバのクラシック・バレエの本拠地ですよ。」
「そうなんだ。」

「ガルシーア・ロルカ劇場と言えば、ガルシーア・ロルカ劇場ともよばれるハバナ大劇場は、キューバ国立バレエ団が活動の拠点としている劇場であり、1837年に建設されたバロック建築である。」

「これは、スペイン統治下の面影を残すスペイン・バロック建築ですよ。」
「はい。」

「他にも、アメリカの連邦議会議事堂(ホワイト・ハウス)を模して造られた「カピトリオ」には、床に24カラットのダイヤモンドが埋め込まれ、華やかですよ。」
「本当ですか?」

「アメリカの連邦議会議事堂(ホワイト・ハウス)を模して造られた「カピトリオ」と言えば、カピトリオは、1929年、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.の連邦議会議事堂(ホワイト・ハウス)を模して作られたかつての国会議事堂である。1959年のキューバ革命まで、国会議事堂として使われた。」

「現在は、レプリカとなっていますよ。」
「そうなんだ。」

「その他、「革命博物館」や「サンタ・クララ修道院」、キューバのラム酒の製造過程を見学できる「ハバナ・クラブ博物館」などが、残されていますよ。」
「はい。」

「キューバのラム酒の製造過程を見学できる「ハバナ・クラブ博物館」と言えば、ラム酒ハバナ クラブ博物館はハバナで16位の博物館・美術館・ギャラリーです。」

「サンタ・クララ修道院と言えば、1344年にアルフォンソ11世が建てた宮殿を元としている。彼の嫡子ペドロ1世は宮殿を美しくして、1363年に王妃マリア・デ・パディーリャが生んだ娘たちのうち2人へ与えた。2人の王女たちは宮殿を修道院にしたが、王家の宮殿としての役割を保ち続けた。」

「革命博物館と言えば、かつては、大統領の邸宅として利用された建物は現在、革命博物館として、利用されている。」

「これらの歴史的意味のある建築物が多く残っていたことにより、「ハバナ旧市街とその要塞群」は、世界遺産として今も守られる街となりましたよ。」
「はい。」

「「ハバナ旧市街とその要塞群」の歴史的面影は、建築物以外にも感じることが出来ますよ。」
「そうなんですか。」

「ハバナ市街には、アメリカ統治下に大量流入した40年~50年代のアメリカ車が、今もタクシーとして使われていますよ。」
「はい。」

「リゾートとしても、南米にいるのに欧州の文化を色濃く残し体感できる「ハバナ旧市街とその要塞群」は、キューバを訪れるなら絶対に行くべき都市でしょう。」
「わかりました。」

「毎日、多くの観光客が訪れていますよ。」
「はい。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~トリニダードとロス・インヘニオス渓谷~

「1988年に世界遺産に登録された「トリニダとロス・インヘニオス渓谷」は、キューバ共和国の中央部、サンクティ・スピリトゥス州にある街ですよ。」
「はい。」

「キューバ共和国の中央部、サンクティ・スピリトゥス州と言えば、トリニダートとインヘニオス渓谷は、キューバ中央部/サンクティ・スピリトゥス州の州都で、砂糖貿易で栄えた歴史を伝える遺産である。この町は、最も早くスペイン人の入植 が始まった町で、18世紀には砂糖と奴隷貿易の拠点として繁栄した。」

「ロス・インヘニオス渓谷と言えば、トリニダの外側およそ12 km に位置するサン・ルイス(San Luis)、サンタ・ロサ(Santa Rosa)、メイエル(Meyer)という3つの渓谷の総称である。ロス・インヘニオスとは「機械類」のことで、製糖機械にちなむ名称であり、「砂糖の谷」の異名もある。山間に平坦な地形が広がっているため、日本語ではロス・インヘニオス盆地とも訳される。」

「トリニダと言えば、キューバ中央部サンクティ・スピリトゥス州の町である。建設当初の正式名はサンティシマ・トリニダである。砂糖取引で栄えたかつての繁栄を偲ばせる町並みは、近隣のロス・インヘニオス渓谷とともに、1988年にユネスコの世界遺産リストに登録された。」

「キューバの首都・ハバナより南東へ約280km離れ、カリブ海に面していますよ。」
「はい。」

「カリブ海と言えば、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。」

「ハバナと言えば、キューバの首都である。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。日本語では英語表記のHavanaをもとにしたと思われるハバナ表記が広く一般的に用いられているが、現地語であるスペイン語にならう場合、その正式な名称はあくまでラ・アバーナ(La Habana)である。」

「かつて、トリニダとロス・インヘニオス渓谷は、砂糖取引で栄えていた街ですね。」
「そうなんですか。」

「現在は、タバコの加工業が主産業となっていますよ。」
「はい。」

「トリニダの旧市街は、「それ自体がひとつの博物館」と言われるほど、スペインの入植の初期から約500年もの長い歴史を刻んできましたよ。」
「はい。」

「コロニアル様式の建物が存在し、植民地時代を色濃く残しているのが、この旧市街の特徴ですね。」
「そうなんだ。」

「コロニアル様式と言えば、建築・工芸様式の一つである。17~18世紀のイギリス・スペイン・オランダの植民地に見られ、特に植民地時代のアメリカで発達した。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがある。アメリカなどではおもに木造で、板を横に張った壁が特徴的。日本でも明治期以降、長崎や神戸などの外国人居留地の住宅で用いられ、のちの住宅建築に大きな影響を与えた。「コロニアル」は「植民地の」という意。」

「町の路は、可愛らしい丸石が敷き詰められていますよ。」
「はい。」

「住宅は精巧な格子窓があり、パステルカラーの家々が建ち並んでいますよ。」
「はい。」

「その他、「大広場」はトリニダ旧市街の中心地となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「広場の周辺には、かつての農園主の邸宅や富裕層の旧邸宅が並んでいますよ。」
「はい。」

「当時のお金持ちの生活風景を想像させてくれますね。」
「はい。」

「1892年に再建された「サンティシマ・トリニダ大聖堂」なども、歴史情緒のある建物のひとつですね。」
「はい。」

「サンティシマ・トリニダ大聖堂と言えば、ホセ・マルティ広場に面した大聖堂で、現在残る建物は1892年に再建されたものである。」

「世界遺産「トリニダとロス・インヘニオス渓谷」の「ロス・インヘニオス渓谷」は、トリニダから約12km程の場所にありますよ。」
「近いですね。」

「18世紀~19世紀に砂糖の谷とも呼ばれていたほど、広大な土地に砂糖工場が存在していましたよ。」
「はい。」

「全体で270k㎡あり、世界一の砂糖生産量を誇っていましたよ。」
「そうなんだ。」

「今でも、70棟もの工場跡が残っていますよ。」
「多いですね。」

「ここでは、最盛期、約3万人もの黒人奴隷がサトウキビのプランテーションで働かされていましたよ。」
「はい。」

「プランテーションと言えば、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。」

「今も残されている監視塔「イスナーガの塔」は、高さ45mありますよ。」
「はい。」

「監視塔「イスナーガの塔」と言えば、高さ45mの監視塔は、通称「イスナーガの塔」と呼ばれている。この塔はサトウキビプランテーションを360度見渡すことができ、奴隷たちを監視するのに使われていた。同時に、キューバで最も高い建造物であったこの塔は、奴隷たちや製糖業界にイスナーガ家の権勢を見せ付ける象徴としても機能していた。」

「1830~1835年に、農園主アレホ・イスナーガによって建てられましたよ。」
「はい。」

「農園主アレホ・イスナーガと言えば、今も残されている監視塔「イスナーガの塔」は高さ45mもあり、1830~1835年に農園主アレホ・イスナーガによって建てられました。」

「この高さは、当時のキューバの中で最も高い塔ですよ。」
「そうなんだ。」

「奴隷を監視するだけでなく、奴隷や製糖業界に威厳を見せつけていたと言われていますよ。」
「はい。」

「トリニダとロス・インヘニオス渓谷は、サトウキビの製糖業において、切っても切り離せない関係がありますよ。」
「はい。」

「しかし、トリニダの市街地と渓谷とでは、その歴史の訴え方が違ってきますよ。」
「どういうことですか。」

「ロス・インヘニオス渓谷には、トリニダを繁栄させた縁の下の力持ちの黒人奴隷たちが厳しい労働環境で働いてきた痕跡が、今も残されていますよ。」
「はい。」

「黒人奴隷の前には、この地に暮らしていた先住民たちが働かされていましたよ。」
「はい。」

「粗悪な扱いだった為、死滅してしまったと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「「トリニダとロス・インヘニオス渓谷」は、それぞれ違った側面からキューバの植民地時代を語りかけてくれていますよ。」
「はい。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城~

「世界遺産・サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、キューバ共和国の南東部、カリブ海に面した湾岸にあるサンティアーゴ・デ・クーバの街にありますよ。」
「はい。」

「カリブ海と言えば、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。」

「サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城と言えば、サンティアーゴ・デ・クーバの沿岸部にある城塞である。市の中心部からは約 10 km に位置し、湾を見渡している。」

「サンティアーゴ・デ・クーバと言えば、キューバ南東部の都市である。サンティアーゴ・デ・クーバ州の州都。人口は40万4100人。カリブ海に面したマエストラ湾岸にある港湾都市かつ工業都市である。」

「サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、1997年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「スペイン帝国がアメリカ州で築いた軍事建築物の中で、最も状態が良いまま残されていた為ですね。」
「そうなんだ。」

「アメリカ州と言えば、米州とも言い、南北両アメリカ及びカリブ海・カナダ北部等その周辺に位置する島嶼(とうしょ)・海域の総称である。ただし、一般的にはグリーンランドを含まない。イタリア人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチのラテン語名に由来する地名。ドイツの地図製作者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーによって1506年頃に命名された。」

「スペイン帝国と言えば、スペインとその植民地・属領などの総称である。カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国がナスル朝グラナダ王国を滅ぼし、イベリア半島からイスラーム勢力を一掃した1492年以降、1898年の米西戦争に敗北して、ほぼ全ての海外植民地を失うまでの期間を指す。「帝国」の名称はその広大な統治領域に由来し、君主号(皇帝)とは無関係である。更に、1868年から1874年は空位および共和制の時代である。」

「1588年に、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗退しましたよ。」
「はい。」

「スペインの無敵艦隊と言えば、1588年、スペイン王フェリペ2世がイギリス制圧のために派遣した艦隊である。アルマダとも呼ばれる。〈無敵艦隊Armada Invencible〉の名は後世イギリス人が付けたもので,当のスペインでは単に〈大艦隊Gran Armada〉と呼ばれた。事件そのものとしては〈ドーバーの海戦〉と呼ぶべきものである。」

「元々、このサンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、危機感を募らせた当時のスペイン国王・フェリペ2世が指示し、スペイン植民地の中でも戦略的重要拠点のこの地に城塞として造らせましたよ。」
「そうなんだ。」

「スペイン国王・フェリペ2世と言えば、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)である。イングランド女王メアリー1世と結婚期間中共同統治者としてイングランド王フィリップ1世の称号を有していた。また1580年からはフィリペ1世としてポルトガル国王も兼ねた。」

「サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城と言えば、サンティアーゴ・デ・クーバの沿岸部にある城塞である。市の中心部からは約 10 km に位置し、湾を見渡している。」

「依頼されたのは、イタリア・ミラノ出身のジョヴァン・バッティスタ・アントネッリですね。」
「はい。」

「イタリア・ミラノ出身のジョヴァン・バッティスタ・アントネッリと言えば、キューバ共和国の南東部、カリブ海に面した湾岸にあるサンティアーゴ・デ・クーバの街に世界遺産・サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城があります。スペイン国王・フェリペ2世が指示し、スペイン植民地の中でも戦略的重要拠点のこの地に城塞として造らせました。依頼されたのはイタリア・ミラノ出身のジョヴァン・バッティスタ・アントネッリです。彼は軍事技師家系の生まれで、1637年、ルネサンス様式を取り入れ武器庫から監視塔、砲台などを設計した。」

「彼は軍事技師家系の生まれでしたよ。」
「はい。」

「彼は、1637年、ルネサンス様式を取り入れ武器庫から監視塔、砲台などを設計しましたよ。」
「そうなんだ。」

「建設は、翌年から始まりましたよ。」
「はい。」

「今の状態までになるまで、度重なる修復を繰り返してきましたよ。」
「はい。」

「それは、海賊の襲来や戦争・海戦、地震などにより壊されたりしてしまった為でしたよ。」
「そうなんだ。」

「現在の状態を1960年代に造り上げたのが、フランシスコ・プラート・プイグでしたよ。」
「はい。」

「フランシスコ・プラート・プイグと言えば、サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、20世紀になると城塞は朽ちていったが、1960年代にフランシスコ・プラート・プイグによって修復された。1997年には、この城塞はスペイン帝国がアメリカ州で築いた軍事建築物の中で最も状態が良く、完全な形で残っているものとして、ユネスコの世界遺産リストに登録された。」

「今でも、多くの観光客が訪れる観光スポットですよ。」
「はい。」

「キューバ自体も人気ですね。」
「はい。」

「このサンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、カリブ海に面している為、ここからみる景色・眺めが最高ですよ。」
「そうなんですか。」

「まさに青い海、脇の方にサンティアーゴ・デ・クーバの街並みも見ることが出来ますよ。」
「はい。」

「海には、ヨットを楽しむ人がいますよ。」
「はい。」

「世界遺産サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城を訪れるなら、7月あたりがおススメですよ。」
「わかりました。」

「サンティアーゴ・デ・クーバの街で、夜は「カリビアンフェスティバル・フィエスタ・デル・フエゴ」というカリブ文化を体験できるフェスティバルがありますよ。」
「はい。」

「カリビアンフェスティバル・フィエスタ・デル・フエゴと言えば、7月、サンティアゴ・デ・キューバで催されるカリブ文化フェスティバルである。」

「カリブ海の周辺の国から集まって、催し物をしていますよ。」
「はい。」

「あちらこちらでライブをしていますよ。」
「そうなんだ。」

「サルサを聞くことができますよ。」
「はい。」

「サルサと言えば、1960年代後半にニューヨークのプエルトリコ移民が中心になり作られた比較的新しいペアダンスである。サルサ音楽に合わせ、通常二人で踊る。サルサは男性が全ての動きを決める腰を使ったラテンダンスで、男女がペアで踊るダンスの中ではスピードも速いのが特徴である。」

「昼間には「サンティアゴ・デ・クーバ カーンバル」という音楽のパレードなどのイベントが催される日がありますよ。」
「はい。」

「「サンティアゴ・デ・クーバ カーンバル」という音楽のパレードと言えば、サンティアーゴ・デ・クーバの街で、昼間には「サンティアゴ・デ・クーバ カーンバル」という音楽のパレードなんかのイベントが催される日があります。」

「南国の文化に触れられる絶好の機会ですね。」
「そうですね。」

「世界遺産・サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、戦争などから街を守るため築かれましたよ。」
「はい。」

「今では多くの観光客に、静かに歴史を語っていますよ。」
「はい。」

「陽気な人が多い街でもあり、一人旅にも適していますよ。」
「そうなんだ。」

「なお、今では安全な街になっていますよ。」
「はい。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観~

「キューバ共和国の南東部、サンティアーゴ・デ・クーバ州とグアンタナモ州にまたがるシエラ・マエストラ山脈に大規模なコーヒー農園(プランテーション)跡地が、今も残されていますよ。」
「はい。」

「シエラ・マエストラ山脈と言えば、キューバ南東部,オリエンテ州の山脈である。サンチアゴ・デ・クーバの西,カリブ海岸に沿って東西に走り,全長約170km。キューバ革命期にカストロ指揮下のゲリラ根拠地。最高峰はトゥルキノ山(2005m)。」

「サンティアーゴ・デ・クーバ州と言えば、キューバの州(地方行政区分)のうちのひとつである。州都はサンティアーゴ・デ・クーバ。キューバでは2番目に人口の多い州である。鉄やニッケルなどの鉱物資源が豊富である。経済的には、バナナ、カカオ、コーヒーのプランテーション栽培による農業が中心となっている。州都のサンティアーゴ・デ・クーバ周辺を中心に、観光産業も発展しつつある。」

「グアンタナモ州と言えば、キューバ東部に位置する州(地方 行政区分)のうちのひとつである。州都はグアンタナモ。グアンタナモ湾の周囲にはグァンタナモ米軍基地が存在する。」

「プランテーションと言えば、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園のことである。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。」

「これは、2000年に世界遺産の指定を受けた「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」ですよ。」
「はい。」

「「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」は、19世紀初頭に隣の島ハイチから来たフランス人農園主たちと彼らの奴隷たちにより作られましたよ。」
「そうなんだ。」

「隣の島ハイチと言えば、ハイチ共和国、通称ハイチは、中央アメリカの西インド諸島の大アンティル諸島内のイスパニョーラ島西部に位置する共和制国家である。東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海のウィンドワード海峡を隔てて北西にキューバが、ジャマイカ海峡を隔てて西にジャマイカが存在する。首都はポルトープランス。」

「まだ未開墾地であったシエラ・マエストラ山脈は、開拓するには森林が生い茂っており困難を伴ったと言いますね。」
「はい。」

「しかし、当時人があまり住んでいない上、森林に守られてコーヒー栽培が出来た為、開拓されましたよ。」
「はい。」

「キューバへ渡ってきたフランス人農園主たちは、主にサトウキビのプランテーションを作りましたよ。」
「はい。」

「この地の気候がハイチと似ていた為、コーヒーを栽培したと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「元々、フランス植民地であったサン=ドマング(現在のハイチ西部)に移住したフランス系移住者たちにより、黒人奴隷を使ったコーヒーの栽培が始められましたよ。」
「はい。」

「フランス植民地であったサン=ドマング(現在のハイチ西部)と言えば、1697年から1804年までの間、カリブ海のイスパニョーラ島の西三分の一を占めていたフランスの植民地である。砂糖とコーヒー貿易でフランス植民地の中でも最も利益を上げていた。今日のハイチ共和国にあたる。」

「しかし、1804年にサン=ドマングが独立し、ハイチ共和国となった時、国を追われたフランス系移住者たちが奴隷をつれて、当時スペイン領であったキューバへ逃げてきましたよ。」
「はい。」

「ハイチ共和国と言えば、ハイチ共和国、通称ハイチは、中央アメリカの西インド諸島の大アンティル諸島内のイスパニョーラ島西部に位置する共和制国家である。東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海のウィンドワード海峡を隔てて北西にキューバが、ジャマイカ海峡を隔てて西にジャマイカが存在する。首都はポルトープランス。」

「彼らは、およそ814.75ヘクタールもの広大な土地を使って農園を作りましたよ。」
「そうなんだ。」

「今では、そのうち、171ものプランテーション跡地が残っていますよ。」
「はい。」

「山の斜面に面した広大な農園だけでなく、往時のトロッコなどの設備も残されていますよ。」
「はい。」

「当時の手法などを、垣間見ることが出来ますね。」
「そうなんだ。」

「このプランテーションは、19世紀頃までは使われていましたよ。」
「はい。」

「しかし、19世紀後半、南米ブラジルやコロンビアで新しい技術によるコーヒー栽培が始まり、伝統的な方法で行うハイチ式の技術は次第に衰退していきましたよ。」
「はい。」

「世界遺産「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」は、開拓当時のコーヒー農園の形態を知る事が出来る、世界で唯一の場所ですよ。」
「そうなんですか。」

「それ故に、「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観」は、消滅した文化的伝統の稀な証と、人類の歴史上重要な時代の優れたる景観として、世界遺産に登録されることとなりましたよ。」
「はい。」

「キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観は、農園の跡地だけでなく、キューバなのにフランスやアメリカの文化の影響を受けた建物なども残されていますよ。」
「はい。」

「キューバなのに、異国の雰囲気が、今なお後世に歴史を伝えていますよ。」
「そうなんだ。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~シエンフエーゴスの都市歴史地区~

「世界遺産「シエンフエーゴスの都市歴史地区」は、キューバ共和国の中央部南岸にあるキューバ第二の港町シエンフエーゴス州の州都の旧市街ですよ。」
「はい。」

「キューバ第二の港町シエンフエーゴス州と言えば、世界遺産「シエンフエーゴスの都市歴史地区」は、キューバ共和国の中央部南岸にあるキューバ第二の港町シエンフエーゴス州の州都の旧市街のことです。」

「シエンフエーゴスと言えば、キューバの中央部南岸にある都市で、シエンフエーゴス州の州都である。ハバナからは約250 kmで、人口は約15万人である。この都市は、「南の真珠」(La Perla del Sur)の異名をとっている。「シエンフエーゴス」は言葉どおりに訳すと「百の火」である。」

「キューバの首都・ハバナから約250km、バスで約4時間の場所にありますよ。」
「はい。」

「ハバナと言えば、キューバの首都である。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。日本語では英語表記のHavanaをもとにしたと思われるハバナ表記が広く一般的に用いられているが、現地語であるスペイン語にならう場合、その正式な名称はあくまでラ・アバーナ(La Habana)である。」

「人口約15万人の大都市ですよ。」
「そうなんだ。」

「港近くには工場地帯があり、砂糖やコーヒー、タバコ、皮革などを搬出していますよ。」
「はい。」

「この都市の名前の由来は、1830年に、当時のキューバ島の総司令官・シエンフエーゴスにちなみ、付けられたと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「キューバ島の総司令官・シエンフエーゴスと言えば、シエンフエーゴスは、キューバの中央部南岸にある都市で、シエンフエーゴス州の州都である。ハバナからは約250 km で、人口は約15万人である。この都市は、「南の真珠」の異名をとっている。この都市の名前の由来は、1830年に、当時のキューバ島の総司令官・シエンフエーゴスにちなみ付けられたと言います。」

「シエンフエーゴスの都市歴史地区は、2005年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「旧市街の建物の建造された時代や様式の重要さから、中南米における近世と現代の都市景観を架橋するものと評価されたからですよ。」
「はい。」

「シエンフエーゴスの都市歴史地区は、1819年に、当時はスペイン帝国の植民地であった為、スペイン本国の啓蒙主義を反映し築かれましたよ。」
「そうなんだ。」

「スペイン本国の啓蒙主義と言えば、シエンフエーゴスの都市歴史地区は、1819年に、当時はスペイン帝国の植民地であった為、スペイン本国の啓蒙主義を反映し築かれました。近代的な都市計画に基づき、格子状の街路に整然と建造物が並び建てられています。」

「スペイン帝国と言えば、スペインとその植民地・属領などの総称である。カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国がナスル朝グラナダ王国を滅ぼし、イベリア半島からイスラーム勢力を一掃した1492年以降、1898年の米西戦争に敗北して、ほぼ全ての海外植民地を失うまでの期間を指す。「帝国」の名称はその広大な統治領域に由来し、君主号(皇帝)とは無関係である。更に、1868年から1874年は空位および共和制の時代である。」

「近代的な都市計画に基づき、格子状の街路に整然と建造物が並び建てられていますよ。」
「はい。」

「主にフランス人が多く移住し、フランスの雰囲気を持っていますよ。」
「はい。」

「キューバの他都市とは、また違った景観がありますよ。」
「そうなんですか。」

「今も残されている建物は、19世紀前半のものが6棟、19世紀後半が327棟、それ以降のものが1188棟ですよ。」
「はい。」

「観光の見所としては、1745年に造られた「ハグア城」ですね。」
「はい。」

「ハグア城と言えば、正式にはヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・アンヘレス・デ・ハグア城という城塞である。」

「これは城塞で、当時のカリブ海の海賊の襲撃に備え造られましたよ。」
「そうなんだ。」

「カリブ海と言えば、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。」

「他にも、1833年~1869年に建てられた「プリシマ・コンセプシオン大聖堂」は、美しいステンドグラスがありますよ。」
「はい。」

「プリシマ・コンセプシオン大聖堂と言えば、1833年から1869年に建造された美しいステンドグラスを備えた大聖堂である。プリシマ・コンセプシオンは「無原罪の御宿り」の意。」

「その他、1918年建設のフェレル宮殿、キューバ唯一の凱旋門などがありますよ。」
「はい。」

「フェレル宮殿と言えば、1918年に建設された宮殿である。」

「1913年~1917年建造の「パラシオ・デ・バジェラ」は、イギリス発祥の建築様式・ネオゴシック様式の宮殿ですよ。」
「はい。」

「イギリス発祥の建築様式・ネオゴシック様式と言えば、ゴシック・リヴァイヴァル建築とは18世紀後半から19世紀にかけて興ったゴシック建築の復興運動である。ネオ・ゴシック建築とも呼ばれる。イギリスを発祥とし、18世紀後半にはフランス、ドイツに、その後イタリア、ロシア、アメリカに広がった。」

「パラシオ・デ・バジェラと言えば、1913年から1917年に建設されたイギリス発祥のネオゴシック様式の宮殿である。」

「シエンフエーゴスの都市歴史地区には、旧行政府の宮殿やサン・ロレンツォ学院など、建築様式が年代ごとに移り変わる様を見ることが出来ますよ。」
「そうなんだ。」

「サン・ロレンツォ学院と言えば、世界遺産「シエンフェゴスの都市歴史地区」のサン・ロレンツォ学院(キューバ)のことです。」

「中でも、このシエンフエーゴスの中心地、「ホセ・マルティ広場」の周辺では、政府機関や宮殿のような学校などを見ることが出来ますよ。」
「はい。」

「ホセ・マルティ広場と言えば、アルマス広場(Plaza de Armas)内の公園である。」

「世界遺産・シエンフエーゴスの都市歴史地区では、これらの建物のようなコロニアル調の街並みを楽しむことが出来ますよ。」
「はい。」

「コロニアル調と言えば、カマグエイ歴史地区は、コロニアル調の建物が多く立ち並び、古いヨーロッパとラテン文化が混ざり合った独特のエキゾチック雰囲気があり観光にも人気があります。もともとスペイン領だった為、植民地時代の教会や建築物が今もなお多く残されているのです。コロニアル様式とは建築・工芸様式の一つである。17~18世紀のイギリス・スペイン・オランダの植民地に見られ、特に植民地時代のアメリカで発達した。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがある。アメリカなどではおもに木造で、板を横に張った壁が特徴的。日本でも明治期以降、長崎や神戸などの外国人居留地の住宅で用いられ、のちの住宅建築に大きな影響を与えた。」

「シエンフエーゴスの住人は、世界遺産ということをあまり意識せず、穏やかな時を過ごしていますよ。」
「そうなんだ。」

「街並みと人々の両方から、キューバに居て異国情緒を思い切り堪能できる都市ですよ。」
「はい。」

「カリブ海の「南の真珠」とも呼ばれており、観光にとてもおススメな都市ですよ。」
「わかりました。」





キューバの世界遺産やカリブ海の真珠および革命の国~カマグエイ歴史地区~

「世界遺産「カマグエイ歴史地区」は、キューバ共和国の中部、首都ハバナから南東へ約550kmの場所にありますよ。」
「はい。」

「カマグエイと言えば、キューバ中部にある都市である。カマグエイ州の州都。旧称はサンタ・マリア・デル・プエルト・プリンシペ。人口は29万4,000人。ハバナの南東方約550kmの地点にあり、キューバ島内陸の交通要所である。サトウキビ栽培と牧畜が主に行われている肥沃な農業地帯の中心都市であり、製糖業などの食品加工業、及び商業が活発に行なわれている。」

「ハバナと言えば、キューバの首都である。キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市である。人口は約200万人。位置は北緯23度8分、西経82度23分。日本語では英語表記のHavanaをもとにしたと思われるハバナ表記が広く一般的に用いられているが、現地語であるスペイン語にならう場合、その正式な名称はあくまでラ・アバーナ(La Habana)である。」

「カマグエイ歴史地区は、サトウキビ栽培や牛・鶏などの牧畜が行われていますよ。」
「はい。」

「それに伴い、製糖業など食品加工業及び商業の盛んな都市になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「これら製品により、スペイン植民地時代から、キューバの内陸部の交通の要所として栄えてきましたよ。」
「はい。」

「作られた製品や農産物は、カマグエイの都市より東に約50km程離れた所にある、ヌエビタス港より各地へ積み出し、出荷していますよ。」
「はい。」

「ヌエビタス港と言えば、カマグエイは、キューバ中部にある都市である。サトウキビ栽培と牧畜が主に行われている肥沃な農業地帯の中心都市であり、製糖業などの食品加工業、及びに商業が活発に行なわれている。農産物は東方約50kmの地点にあるヌエビタス港から積み出される。」

「このカマグエイの都市が、2008年に「カマグエイ歴史地区」という名で世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「この街は、1515年にスペイン人の征服者であるディエゴ・ベラスケスにより創建されましたよ。」
「そうなんだ。」

「スペイン人の征服者であるディエゴ・ベラスケスと言えば、サンティアゴ・クーバは、人口50万人を擁するキューバ第二の都市である。この街は、1515年、スペイン人の征服者ディエゴ・ベラスケスによって建設されました。」

「1530年代に、現在の形になったと言われていますよ。」
「はい。」

「その当時は、「カマグエイ」ではなく「サンタ・マリア・デル・プエトル・プリンシペ」と呼ばれていましたよ。」
「はい。」

「サンタ・マリア・デル・プエトル・プリンシペと言えば、世界遺産「カマグエイ歴史地区」はキューバ共和国の中部、首都ハバナからは南東へ約550kmの場所にあります。この街は、1515年にスペイン人の征服者であるディエゴ・ベラスケスにより創建され、1530年代に現在の形になったといいます。その当時は「カマグエイ」ではなく「サンタ・マリア・デル・プエトル・プリンシペ」と呼ばれていました。」

「19世紀までは、スペイン領の経済的な中心地にもなりましたよ。」
「そうなんだ。」

「このカマグエイ歴史地区は、コロニアル調の建物が多く立ち並んでいますよ。」
「はい。」

「コロニアル調と言えば、カマグエイ歴史地区は、コロニアル調の建物が多く立ち並び、古いヨーロッパとラテン文化が混ざり合った独特のエキゾチック雰囲気があり観光にも人気があります。もともとスペイン領だった為、植民地時代の教会や建築物が今もなお多く残されているのです。コロニアル様式とは建築・工芸様式の一つである。17~18世紀のイギリス・スペイン・オランダの植民地に見られ、特に植民地時代のアメリカで発達した。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがある。アメリカなどではおもに木造で、板を横に張った壁が特徴的。日本でも明治期以降、長崎や神戸などの外国人居留地の住宅で用いられ、のちの住宅建築に大きな影響を与えた。」

「古いヨーロッパとラテン文化が混ざり合った、独特のエキゾチック雰囲気があり、観光にも人気がありますよ。」
「はい。」

「元々スペイン領だった為、植民地時代の教会や建築物が、今なお多く残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「曲がりくねった路地を作りながら広げていったので、まるで迷路のように入り組んだ街並みにもなりましたよ。」
「はい。」

「中でも、「フンダ・デル・カトレ通り」は、幅2.2m、長さ77mで「キューバで一番狭い道」とされていますよ。」
「はい。」

「フンダ・デル・カトレ通りと言えば、世界遺産「カマグエイ歴史地区」はキューバ共和国の中部、首都ハバナからは南東へ約550kmの場所にあります。曲がりくねった路地を作りながら広げていったので、まるで迷路のように入り組んだ街並みにもなりました。中でも、「フンダ・デル・カトレ通り」は幅2,2m、長さ77mで「キューバで一番狭い道」とされています。」

「これらのことから、人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式・建築物群の景観と文化を代表する、陸上や海上利用の際立った例として、世界遺産に認められましたよ。」
「はい。」

「カマグエイは、歴史地区が世界遺産となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「他にも、観光地として人気のポイントがありますよ。」
「そうなんですか。」

「それは、サンゴ礁ですね。」
「はい。」

「南アメリカの中で、2番目に広大なサンゴ礁として有名ですよ。」
「はい。」

「「ココ・ビーチ」は、スキューバダイビングの名所として知られていますよ。」
「はい。」

「ココ・ビーチと言えば、カマグエイは歴史地区が世界遺産となっていますが、他にも観光地として人気のポイントがあります。それは、サンゴ礁!!南アメリカの中でも2番目に広大なサンゴ礁として有名です。特に「ココ・ビーチ」はスキューバダイビングの名所として知られています。」

「カリブ海のサンゴ礁とは、ロマンチックですね。」
「そうですね。」

「カリブ海と言えば、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域である。南はベネズエラ、コロンビア、パナマに、西はコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島に、北はキューバ、イスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ジャマイカ、プエルトリコといった大アンティル諸島に、東は小アンティル諸島に接している。」

「1748年建設の「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・メルセー教会」や、修道院の「プラザ・デル・カルメン」、1840年建設の医療施設「プラザ・サンフアンデミオス」、その他大聖堂や歴史博物館なども、観光名所として知られていますよ。」
「はい。」

「医療施設「プラザ・サンフアンデミオス」と言えば、カマグエイは歴史地区が世界遺産となっています。1840年建設の医療施設「プラザ・サンフアンデミオス」も観光名所として知られています。」

「修道院の「プラザ・デル・カルメン」と言えば、カマグエイは歴史地区が世界遺産となっています。1748年建設の修道院の「プラザ・デル・カルメン」も観光名所として知られています。」

「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・メルセー教会と言えば、カマグエイは歴史地区が世界遺産となっています。1748年建設の「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・メルセー教会」も観光名所として知られています。」

「キューバのカマグエイ歴史地区は、その街並みだけでも昔のヨーロッパを感じさせてくれますよ。」
「そうなんだ。」

「マリンスポーツなどで、キレイな海を存分に楽しめる場所でもありますよ。」
「はい。」

「今も世界中から、多くの人が訪れる場所となっていますよ。」
「そうなんだ。」

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