西・中央・東アジアの世界遺産
「皆さんは、西・中央アジアにどのようなイメージを持っていますか?」
「複雑ですね。」
「9・11のテロ以前は「ミステリアスな西の異国」というイメージがあったかも知れませんね。」
「そうですね。」
「しかし、テロ以降はどうしても「何を考えているか分からない国々」というイメージが強くなったかも知れませんね。」
「はい。」
「実際行ってみると、他の国では感じ得ない魅力がたっぷり詰まっているのが、西・中央アジアの特徴ですよ。」
「そうなんですか。」
「ヨーロッパにもアメリカ大陸にもないミステリアスな雰囲気にふれれば、恐怖心はたちまちぬぐいさられるでしょう。」
「そうなんだ。」
「西アジアには、「アフガニスタン・イスラム共和国」、「イラク」、「シリア・アラブ共和国」と言った、日本人が不安を抱きがちなスポットが集中していますね。」
「そうですね。」
「シリア・アラブ共和国と言えば、シリア・アラブ共和国、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家である。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。 「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。」
「イラクと言えば、イラク共和国、通称イラクは、中東・西アジアの連邦共和制国家である。首都はバグダード(バグダッド)で、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接する。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国である。」
「アフガニスタン・イスラム共和国と言えば、アフガニスタン・イスラム共和国、通称アフガニスタンは、中東・南アジアに位置する共和制国家である。内陸国であり、分離したパキスタンが南及び東に、西にイラン、北にタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンで、国の東端は中華人民共和国に接する。首都はカーブル。パシュトゥーン人、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人、トルクメン人などの数多くの民族が住む多民族国家である。」
「中央アジアには、カスピ海・アラル海に面した国である「カザフスタン共和国」、「キルギス」、「トルクメニスタン」、「ウズベキスタン」などの国がありますね。」
「はい。」
「ウズベキスタンと言えば、ウズベキスタン共和国、通称ウズベキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国である。首都はタシュケント(タシケント)。北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。」
「トルクメニスタンと言えば、中央アジア南西部に位置する共和制国家である。カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。首都はアシガバート。永世中立国。」
「キルギスと言えば、キルギス共和国、通称キルギスは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和制国家である。首都はビシュケク(旧名フルンゼ)。かつての正式国名はキルギスタンであり、現在でもこの通称が公式に認められている。」
「カザフスタン共和国と言えば、カザフスタン共和国、通称カザフスタンとは、中央アジアに位置する共和制国家である。首都はアスタナ、最大都市はアルマトイ。ロシア連邦、中華人民共和国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接し、カスピ海、アラル海に面している。」
「アラル海と言えば、カザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖である。アムダリア川とシルダニヤ川が流れ込み、流出河川はない。人為的要因による湖の縮小により分断された北側を小アラル海、南側を大アラル海と呼ぶ。更にその大アラル海は東アラル海と西アラル海に分断されている。」
「カスピ海と言えば、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖である。世界最大の湖である。カスピの名は古代に南西岸にいたカス族あるいはカスピ族に由来する。カスピ海に近い現在のイラン・ガズヴィーン州都Qazvinは同じ語源であると言われる。」
「中央アジアと言えば、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。」
「この中で最も恐れを抱かれている国は、西アジアの「アフガニスタン」かも知れませんね。」
「そうですね。」
「この国にも、二カ所の世界遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」
「その世界遺産は、「ジャムのミナレットと考古遺跡群」と「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」ですよ。」
「はい。」
「バーミヤン渓谷と言えば、バーミヤーンは、アフガニスタンのほぼ中央部、カーブルの北西約240 kmに位置する、バーミヤーン州の州都である。バーミヤーンはハザラジャート最大の都市で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」で知られる。」
「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群には、バーミヤーンの街を中心に発展した古代遺跡や美しい渓谷の様子が保存されていますよ。」
「はい。」
「バーミヤーンという都市と言えば、バーミヤーンは、アフガニスタンのほぼ中央部、カーブルの北西約240 kmに位置する、バーミヤーン州の州都である。歴史的な交易路シルクロード上にあり、古来より東洋と中東の十字路として栄えた。「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」と自然の景観の美しさによってよく知られ、アフガニスタンの観光の目玉の1つの地域である。」
「あまり日本人には想像がつかない世界遺産かも知れませんよ。」
「そうなんですか。」
「実際写真などを見ると、古代の人々が畏怖し敬ってきた様子が伝わってくるような、非常に荘厳な雰囲気のスポットですよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、治安はあまり良くありませんよ。」
「それは困りますね。」
「お子さんを連れてのどかに歩ける雰囲気でもありませんよ。」
「そうでしょうね。」
「しかし、テロ以降、イスラム教に抱きがちな恐怖心を紐解くことができる世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」
「この西アジアの宗教に興味のある方は、心の底から楽しめる観光地ではないでしょうか。」
「わかりました。」
「中央アジアには、ウズベキスタンの青の都で有名な「サマルカンド‐文化交差路」、トルクメニスタンの「国立歴史文化公園古代メルフ」、カザフスタンの「タムガリの考古的景観にある岩絵群」などの世界遺産もありますよ。」
「はい。」
「サマルカンドと言えば、中央アジア、ウズベキスタンの古都である。アムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約38万人(2001年)。ウズベキスタンの現大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。」
「タムガリと言えば、カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。最大都市アルマトイからは北西に約180 km のところにある。一帯には紀元前14世紀以降に描かれた5000点にのぼる岩絵(線刻画)群が残されており、周辺に残る住居跡や祭祀場跡と推測されている遺跡群とともに、中央アジアにおける傑出した文化的景観を形成している。」
「歩いているだけで、異国の魅力にとりこまれる素晴らしい絶景が広がっていますよ。」
「そうなんですか。」
「まだ見ぬ世界遺産が西・中央アジアの世界に広がっていますよ。」
「はい。」
「確かに、イスラム教には恐ろしいイメージがつきまといますね。」
「そうですね。」
「治安の悪い所があるのも確かですね。」
「はい。」
「そのような場所には、なるべく近づかないのが賢明と言えますね。」
「そうですね。」
「しかし、それでも行く価値のある世界遺産は、数多く保存されていますよ。」
「そうなんですか。」
「「危険だから行かない方がいいと止められているけれど、どうしても西中央アジアに行ってみたい」と思っているのであれば、それは西中央アジアの世界遺産があなたを呼んでいるのかも知れませんよ。」
「はい。」
「日本とはまったく違う宗教文化が根付き、今も様々な形で争いごとが繰り広げられていますよ。」
「そうなんだ。」
「向かう場所を少しずらしただけで、かなり治安の良い国になりますよ。」
「そうなんですか。」
「行きたいと思っている世界遺産の周辺があまりにも治安が悪いのであれば、思い切って、周辺諸国の世界遺産を観光してみるのも良いかと思われますよ。」
「はい。」
「本当に危険な時は、なかなか助けも呼べないかも知れませんよ。」
「そうですね。」
「信用できるガイドさんと一緒に観光したり、ツアー的なものに参加しておけば、ある程度は安全ですよ。」
「はい。」
「猛暑が続くと体調管理も大変ですよ。」
「そうなんだ。」
「美しい世界遺産を一目見れば疲れも吹き飛ぶ筈ですよ。」
「はい。」
「西・中央アジアの世界遺産が気になる方は、是非観光しましょう。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~アフガニスタンのジャームのミナレットと考古遺跡群~
「皆さんはアフガニスタンにある「ジャームのミナレットと考古遺跡群」という世界遺産をおご存じですか?」
「よく知りません。」
「この世界遺産は、2002年にユネスコの世界遺産に指定された幾何学模様のミナレット(尖塔)ですよ。」
「はい。」
「幾何学模様のミナレット(尖塔)と言えば、ジャームのミナレットはアフガニスタンのゴール州、ハリー川(英語版とその支流ジャーム川の合流点のほとりにあるミナレット(尖塔)である。このミナレットは八角形の土台の上に60mの高さを持ち、褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体アラビア文字の刻印などを特徴とする。このミナレットはゴール朝の最盛期であり、滅亡寸前でもあった12世紀末頃に建てられており、ゴール朝における建築技術の最高峰とも言われる。」
「ミナレットとは、この国では「尖った塔」を表している言葉ですね。」
「はい。」
「「ジャームのミナレットと考古遺跡群」は、アフガニスタンを代表する世界遺産として知られていますよ。」
「そうなんだ。」
「60メートルの高さを持つこのミナレットは、世界で二番目に高いミナレットですよ。」
「はい。」
「ごく少数の人が、たまに観光に来る世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」
「「ジャームのミナレットと考古遺跡群なんて初めて聞いたし、そもそもアフガニスタンに観光に行く人がいるの?」と、いぶかしむ人がほとんどと思われますね。」
「そうでしょうね。」
「それは、まさにその通りですね。」
「はい。」
「この世界遺産の周辺はきわめて危険な地域ですよ。」
「怖いですね。」
「決して気軽にススメられるような世界遺産ではありませんよ。」
「そうですよね。」
「この世界遺産は、内戦や建設事業、盗掘などの影響を受けている世界遺産ですよ。」
「はい。」
「いつ攻撃を受けるか分からないような状態が続いていますよ。」
「命がけですね。」
「2002年にユネスコの世界遺産に登録されたのも、「世界遺産に登録することで守っていかないと簡単に破壊されてしまうのではないか」という懸念があったからですよ。」
「そうなんだ。」
「事実、この世界遺産は世界遺産に登録されると、同時に危機遺産にも登録されていますよ。」
「そうでしょうね。」
「アフガニスタンには、「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」などの世界遺産も保持していますよ。」
「はい。」
「バーミヤン渓谷と言えば、バーミヤーンは、アフガニスタンのほぼ中央部、カーブルの北西約240 kmに位置する、バーミヤーン州の州都である。バーミヤーンはハザラジャート最大の都市で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」で知られる。」
「どの場所も同じような治安なので、どこへ行くにも注意が必要ですよ。」
「わかりました。」
「バーミヤン州ヤカオラン地方にある大自然「バンデ・アミール」などのスポットも、未だに地雷が埋まっている地域ですよ。」
「これも命がけですね。」
「大自然「バンデ・アミール」と言えば、バンデ・アミールは、アフガニスタン、バーミヤン州の標高約3000mの山岳地帯にある6つの湖の総称です。その青さと透明度は、まさに砂漠の真珠と例えられるのにふさわしい美しさです。」
「バーミヤン州ヤカオラン地方と言えば、バンデ・アミールは、バーミヤーン州ヤカオラン地方にある6つの湖の総称です。」
「決して自由行動は許されませんよ。」
「そうですね。」
「ガイドの言うことをしっかり聞いて歩かないと、簡単に地雷のある道に出てしまいますよ。」
「そうなんだ。」
「ガイドさんがうっかり説明を忘れると、そのまま簡単に地雷で死んでしまいますよ。」
「怖いですね。」
「日本で生活していると、「そんなに簡単に死んだり爆発したりする筈がない」という考えになりますよね。」
「そうですね。」
「しかし、この国ではそのような常識は通用しませんよ。」
「はい。」
「世界遺産周辺であっても、そのような危険が伴うことは変わりませんよ。」
「はい。」
「何かトラブルがあっても、誰かのせいにもできませんよ。」
「そうですね。」
「かなり危険な国なので、観光に行くのであれば、しっかり覚悟した上で周囲の人に相談してから向かいましょう。」
「わかりました。」
「もちろん、女性の単独行動は厳禁ですよ。」
「当然ですね。」
「どうしても行きたいのであれば、信用できる男性を何人も連れて行くのが鉄則ですよ。」
「はい。」
「気軽な気持ちで観光しないようにするのが賢明ですよ。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~アフガニスタンのバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群~
「「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」は、アフガニスタンにある世界遺産ですね。」
「はい。」
「バーミヤン渓谷と言えば、バーミヤーンは、アフガニスタンのほぼ中央部、カーブルの北西約240 kmに位置する、バーミヤーン州の州都である。バーミヤーンはハザラジャート最大の都市で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」で知られる。」
「アフガニスタンの首都カブールの200㎞ほど西方で、高い山脈が連なる山岳地帯にバーミヤン渓谷はありますよ。」
「はい。」
「アフガニスタンの首都カブールと言えば、カーブル市は、アフガニスタンの首都、カーブル州の州都である。日本の主だった報道機関各社は「カブール」という呼称を用いているが、学術的にも一般的にも「カーブル」が妥当である。現地語での発音も「カーブル」に近い。」
「比較的最近にあった歴史的事件によって、世界中の注目を浴びた場所ですね。」
「そうですね。」
「知っている人も多いでしょう。」
「はい。」
「2003年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」は、かつての仏教王国の跡ですね。」
「そうなんですか。」
「バーミヤン渓谷には、古代からバーミヤーンという都市があり、1世紀頃からこの地に数多くの石窟寺院が造られ始めましたよ。」
「はい。」
「石窟寺院と言えば、丘陵や山崖を掘開し,目的用途に従って内部空間を整備した宗教施設の総称である。窟院と略称する。構造材を架構した実際の建築による寺院に対応する寺院の一形式で,内部構造,平面形にそれが反映する場合が多い。」
「バーミヤーンという都市と言えば、バーミヤーンは、アフガニスタンのほぼ中央部、カーブルの北西約240 kmに位置する、バーミヤーン州の州都である。歴史的な交易路シルクロード上にあり、古来より東洋と中東の十字路として栄えた。「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」と自然の景観の美しさによってよく知られ、アフガニスタンの観光の目玉の1つの地域である。」
「石窟寺院は、山の岩肌を削って穴を開け、内部に僧侶の居住空間や祠堂や講堂などを造ったものですよ。」
「はい。」
「石窟の数は1000以上に及び、山の側面にまるでアリの巣のように無数の穴が空いている様子は圧巻ですよ。」
「多いですね。」
「「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」にあるのは、石窟だけではありませんよ。」
「何があるんですか?」
「この地が一大仏教王国として最も栄えたのは6~8世紀頃ですよ。」
「はい。」
「「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」は、当時の豊かな仏教美術の遺産ですよ。」
「そうなんですか。」
「山の東西に位置する有名な二体の巨大仏像が彫られたのもこの頃ですよ。」
「はい。」
「石窟内部には、色彩豊かな壁画が描かれましたよ。」
「はい。」
「当時、この地を訪れた唐僧の玄奘は、金色に装飾された東西の仏像や巨大な寝釈迦像などに言及していますよ。」
「そうなんだ。」
「僧院には、数千人の僧侶が生活していたと記録されていますよ。」
「そうなんですか。」
「東西交易の要衝に位置していたバーミヤンは、商人たちが旅の安全を祈願する場所でもあり、異文化交流の場所でもありましたよ。」
「はい。」
「そのため、「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」の仏教美術は、いろいろな美術様式に影響された一種独特のものですね。」
「そうなんですか。」
「しかし、現在では壁画のほとんどが失われ、「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」のシンボルでもあった東西二体の仏像もなくなっていますよ。」
「どうしてですか?」
「2001年、当時アフガニスタンの政権を握っていたタリバン勢力によって、仏像は粉々に爆破されてしまったからですよ。」
「もったいないですね。」
「アフガニスタンの政権を握っていたタリバン勢力と言えば、アフガニスタンは、「タリバン」が「アフガニスタン・イスラム首長国」を樹立(1996年)して全土の大部分を支配した1998年までの間、武装勢力や軍閥が割拠する内戦状態となった。しかし、「タリバン」政権も、2001年の米国同時多発テロ事件の発生を契機とする米国などの軍事作戦により崩壊した。」
「壁画に関しても、イスラム教で禁止されている「偶像崇拝」にあたるとして意図的に削られましたよ。」
「そうなんだ。」
「記憶に新しい歴史の傷痕を残す世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」ですよ。」
「はい。」
「仏像はもうありませんが、景観の美しさは相変わらずですね。」
「そうなんだ。」
「山の東西にぽっかりとあいた巨大な龕は痛ましい暴力を伝えてくれる重大な証拠でもありますよ。」
「はい。」
「一度訪れてみる価値のある世界遺産と言えるでしょう。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~アフガニスタンのタムガリの考古的景観にある岩絵群~
「「タムガリの考古的景観にある岩絵群」は、カザフスタンの南東、アルマトイ州のタムガリ峡谷にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「タムガリ峡谷と言えば、カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。」
「カザフスタンの南東、アルマトイ州と言えば、中央アジアのカザフスタンの州の1つである。東に中華人民共和国の新疆ウイグル自治区に、南にキルギスタンに接する。北西はカラガンダ州、北は東カザフスタン州、西はジャンブール州に接する。同国最大の都市アルマトイがあり、主な水域はバルハシ湖、アラコリ。」
「タムガリと言えば、カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。最大都市アルマトイからは北西に約180 km のところにある。一帯には紀元前14世紀以降に描かれた5000点にのぼる岩絵(線刻画)群が残されており、周辺に残る住居跡や祭祀場跡と推測されている遺跡群とともに、中央アジアにおける傑出した文化的景観を形成している。」
「岩絵群は世界中に例がみられますね。」
「はい。」
「タムガリほど、規模や岩絵の多様性や芸術性などで傑出した場所はありませんよ。」
「そうなんですか。」
「2004年にユネスコの世界遺産に登録され、中央アジアで初の世界遺産に指定された岩絵群となりましたよ。」
「はい。」
「中央アジアと言えば、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。」
「カザフスタンは、国土の大部分が草原であることで有名ですね。」
「そうなんですか。」
「「タムガリの考古的景観にある岩絵群」がある地域には、古くから遊牧民などさまざまな民族が行き交っており、それぞれが特徴を持った岩絵を残しましたよ。」
「そうなんだ。」
「古いものは、紀元前14世紀の青銅器時代にまで遡りますよ。」
「古いですね。」
「紀元前14世紀の青銅器時代と言えば、カザフスタンの大草原の中のタムガリ峡谷に点在する不思議な岩絵は、1957年に発見され、これまでに5000点を超える絵が見つかっています。古いものは紀元前14世紀、青銅器時代にさかのぼります。考古学分野においては、青銅器時代、鉄器時代のように、出土する遺物に応じて時代名称としても用いられる。」
「一方では、20世紀に入ってから遊牧民によって描かれたものもありますよ。」
「はい。」
「一つの場所に様々な民族が代わる代わる岩絵を残したと思うと、なんだか不思議な面白みがありますね。」
「そうですね。」
「「タムガリの考古的景観にある岩絵群」は、洞窟内に描かれた壁画ではなく、露天の岩に描かれたものですよ。」
「そうなんですか。」
「岩絵は、いわゆるペトログリフ(線刻画)ですよ。」
「はい。」
「ペトログリフ(線刻画)と言えば、象徴となる岩石や洞窟内部の壁面に、意匠、文字が刻まれた彫刻のことである。ギリシア語で石を意味するペトロとグリフ(彫刻)の造語である。日本語ではペトログラフと呼ばれることもあるが、通常は岩絵と呼ばれる。また線刻(画・文字)と呼ばれたり、岩面彫刻、岩石線画、岩面陰刻と訳されることもある。」
「金属や石などで岩の表面を削って描かれていますよ。」
「はい。」
「指定区域には、5000点を超える岩絵が残されていますよ。」
「多いですね。」
「その大半が、5つのエリアに集中していますよ。」
「はい。」
「観光する際には、これらのエリアを見て回ることになりますよ。」
「はい。」
「実際に岩絵群を見て歩いて驚かされるのは、岩絵の多様性と芸術性の高さですね。」
「そうなんですか。」
「動物を写実的に大きく描いたものから、マスコットのように小さな動物たちが一面に配列されたものまで、様々な岩絵がありますよ。」
「はい。」
「世界に残る岩絵の中には、考古学的価値はあるけれど、時代経過のためにほとんど目視できなかったりするケースも少なくありませんよ。」
「はい。」
「「タムガリの考古的景観にある岩絵群」にあるものは、動物などのシルエット全体を削り出す描画法のおかげで、現在でもはっきりと視認できますよ。」
「そうなんだ。」
「焦げ茶色の岩面にぼうっと白く浮かび上がる動物たちの姿は神秘的なまでに美しいですよ。」
「はい。」
「これらが途方もないほど昔に描かれたと思うと、感動してしまいますね。」
「そうですね。」
「美術館にでも安置されていそうな素晴らしい岩絵が、そこらじゅうにゴロゴロ転がっているのがまた凄いですよ。」
「そうなんだ。」
「画題に関しても、シカやイノシシや馬などの動物たちが多いですよ。」
「はい。」
「中には、3000年前にこの地に降り立った宇宙人の姿と言われている珍奇なものまでありますよ。」
「本当ですか?」
「「タムガリの考古的景観にある岩絵群」の最高傑作とされる岩絵は、古代に信仰の対象とされていた太陽神とそれを取り囲む人間と動物たちを描いたものですよ。」
「そうなんだ。」
「その描写力と芸術性に、釘付けになること請け合いですよ。」
「はい。」
「カザフスタンが、世界に誇る世界遺産「タムガリの考古的景観にある岩絵群」ですよ。」
「はい。」
「岩絵好きでなくとも十分に楽しめる、絶対に期待を裏切らない場所ですよ。」
「そうなんだ。」
「中央アジアを旅行するなら、是非訪れたい世界遺産の一つでしょう。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~キルギスのスライマン=トー~
「「聖なる山スライマン=トー」は、キルギスの南西部のオシュ市にある世界遺産ですね。」
「はい。」
「キルギスの南西部のオシュ市と言えば、キルギスの南西部、ウズベキスタンとの国境、キルギス第2の都市である。首都ビシュケクから車で13時間ほどの距離にあります。」
「「聖なる山スライマン=トー」と言えば、キルギス第二の都市オシ近郊にある山である。山の名前は「スライマーンの山」の意味で、預言者のスライマーン(ソロモン)が逗留したとされる伝説に従って18世紀に名づけられたものである。」
「キルギスと言えば、キルギス共和国、通称キルギスは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和制国家である。首都はビシュケク(旧名フルンゼ)。かつての正式国名はキルギスタンであり、現在でもこの通称が公式に認められている。」
「キルギス第二の都市であるオシュは、首都ビシュケクから車で13時間ほどの距離ですよ。」
「はい。」
「キルギスの首都ビシュケクと言えば、キルギス共和国の首都である。キルギスの北中央、アラ・トー山地の麓、チュイ川の流れるチュイ峡谷に位置し、カザフスタンに近い。」
「古くから聖なる山として、人々から崇拝されてきた山ですよ。」
「そうなんですか。」
「2009年に、ユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「聖なる山スライマン=トー」という名称は、預言者とされるスライマーン(聖書に登場するソロモン王のこと)が、この地に逗留したという伝説にちなんでいますよ。」
「そうなんですか。」
「現在では、主にムスリムたちの崇拝の対象となっていますよ。」
「はい。」
「イスラム教が伝播する以前から、1500年わたって霊山として信仰されてきましたよ。」
「はい。」
「シルクロードの要衝であるオシュの町の背景として、数多くの旅人を見守ってきた聖なる山ですね。」
「そうなんだ。」
「「聖なる山スライマン=トー」の麓には、公園や「大シルクロード博物館」、コンパクトながら幾何学模様の美しい「アサフ・イブン・ブルヒーヤ廟」がありますよ。」
「はい。」
「アサフ・イブン・ブルヒーヤ廟と言えば、「聖なる山スライマン=トー」はキルギスの南西部にあるオシュ市にある世界遺産です。「聖なる山スライマン=トー」の麓には公園や「大シルクロード博物館」、それからコンパクトながら幾何学模様の美しい「アサフ・イブン・ブルヒーヤ廟」があります。」
「大シルクロード博物館と言えば、「聖なる山スライマン=トー」はキルギスの南西部にあるオシュ市にある世界遺産です。「聖なる山スライマン=トー」の麓には公園や「大シルクロード博物館」、それからコンパクトながら幾何学模様の美しい「アサフ・イブン・ブルヒーヤ廟」があります。」
「山には、実際に登ることができますよ。」
「そうなんですか。」
「登山口には、蓮の花を挟んだ両手を象った巨大なモニュメントが建てられていますよ。」
「はい。」
「「聖なる山スライマン=トー」には、数多くの洞窟がありますよ。」
「はい。」
「その内部に、人間や生き物を描いた岩絵などが残されていますよ。」
「そうなんだ。」
「石器時代の住居跡も発見されており、紀元前3000年頃のものと言うから驚きですね。」
「本当ですか?」
「登山道は、きちんと整備されていますよ。」
「はい。」
「至るところに、お祈りをする祠のようなものや御利益のある岩などが点在していますよ。」
「はい。」
「楽しみながら登ることができますよ。」
「いいですね。」
「山の頂上には、預言者を讃えて建てられた小さなモスクがありますよ。」
「はい。」
「頂上からは、眼下にオシュの町を一望することができ、とても気持ちがいいですよ。」
「いいですね。」
「「聖なる山スライマン=トー」で最も観光客の人気を集めているのは、山の中腹にある「文化史博物館」ですよ。」
「そうなんですか。」
「文化史博物館と言えば、「聖なる山スライマン=トー」で最も観光客の人気を集めているのは、山の中腹にある「文化史博物館」です。これはかつてソ連時代にレストランとして造られた空間を博物館として転用したもので、聖山をくり抜いて造った疑似洞窟です。」
「これは、かつてソ連時代にレストランとして造られた空間を、博物館として転用したものですよ。」
「はい。」
「なんと、聖山をくり抜いて造った疑似洞窟ですよ。」
「そうなんだ。」
「下段から入り、山の中に造られた展示場を見て歩き、上段から出てくるという非常に面白い趣向になっていますよ。」
「そうですね。」
「キルギス唯一の世界遺産「聖なる山スライマン=トー」は、古くから信仰されてきた、現代風に言えばパワースポットとも言えますね。」
「はい。」
「世界遺産の山を背景に背負ったオシュの町自体も、中央アジア最大と言われる青空市場があり、活気がありますよ。」
「はい。」
「中央アジアと言えば、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。」
「中央アジアを旅行する際には、少し足を伸ばしてソロモン王が逗留したという聖なる山を訪れてみてはいかがでしょうか。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~トルクメニスタンの国立歴史文化公園古代メルフ~
「「国立歴史文化公園“古代メルフ”」は、トルクメニスタン南部、カラクム砂漠にある遺跡ですよ。」
「はい。」
「カラクム砂漠と言えば、中央アジアのトルクメニスタンにある砂漠である。 面積は350,000 平方kmで、トルクメニスタンの約70%を占める。 西はカスピ海、北はアラル海、北東にはアムダリヤ川とキジルクム砂漠がある。 牧畜地帯だが、アムダリヤ川からのカラクム運河によって灌漑農業も発達。」
「国立歴史文化公園“古代メルフ”と言えば、1999年に登録された世界遺産(文化遺産)である。メルフは、トルクメニスタンのカラクム砂漠にある古都で、中央アジア最大の遺跡が国立歴史文化公園になっている。」
「トルクメニスタンと言えば、中央アジア南西部に位置する共和制国家である。カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。首都はアシガバート。永世中立国。」
「規模としては、中央アジア最大の遺跡と言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「中央アジアと言えば、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。」
「1999年、トルクメニスタン初の世界遺産として、ユネスコに登録されましたよ。」
「はい。」
「トルクメニスタンは、国土の大部分が砂漠で覆われていますよ。」
「そうなんですか。」
「「国立歴史文化公園“古代メルフ”」も、砂漠の中に位置していますよ。」
「はい。」
「元々、メルフは紀元前6世紀頃にシルクロードの交易路上にあるオアシス都市として興りましたよ。」
「はい。」
「シルクロードの交易路上にあるオアシス都市と言えば、国立歴史文化公園“古代メルフ”」は、トルクメニスタン南部、カラクム砂漠にある遺跡です。 メルフは紀元前6世紀頃にシルクロードの交易路上にあるオアシス都市として興りました。」
「1221年にモンゴル軍によって住民が皆殺しにされるまで、政権を交代しながらも、シルクロード屈指の規模を誇る都市として発展を繰り返しましたよ。」
「そうなんですか。」
「メルフが特徴的なのは、支配政権が交代する度に、元々町があった場所ではなく、近隣に新しい町を造営した点ですね。」
「そうなんだ。」
「そのため、メルフは「さまよえる町」という異名を持っていますよ。」
「なるほど。」
「現在の「国立歴史文化公園“古代メルフ”」には、それぞれの時代区分の建造物が少しずつ離れながら展示されるかのように位置していますよ。」
「はい。」
「「国立歴史文化公園“古代メルフ”」の見所は、まず「スルタン・サンジャール廟」が挙げられますよ。」
「はい。」
「スルタン・サンジャール廟と言えば、スルタン・サンジャールは セルジュク朝の最盛期を築いた王で、廟は1140年に建てられた。」
「11世紀に、トルコ系民族のセルジューク朝時代に建てられたものですよ。」
「そうなんですか。」
「トルコ系民族のセルジューク朝と言えば、アラブ民族から始まったイスラム教は、11世紀になると遊牧系トルコ人に受け入れ、「トルコ」の名を冠すべき帝国が誕生する。それが、セルジューク=トルコと呼ばれているスンナ派イスラムのトルコ人王朝である。」
「立方体の上にドームが乗った形状で、それぞれに規則的にアーチ状の窪みが設けられた幾何学的な美しさをもった霊廟ですよ。」
「はい。」
「随所に細かいレリーフの装飾が施されており、一見の価値がありますよ。」
「そうなんだ。」
「「国立歴史文化公園“古代メルフ”」には、アケメネス朝時代の「エルク・カラ」の城壁跡も残されていますよ。」
「はい。」
「エルク・カラと言えば、マルグは、紀元前6世紀から、アケメネス朝ペルシャの支配下にある一オアシス都市として繁栄し始める。当時は、「マルグ(英語版)」(サトラップ)と呼ばれ、マケドニア王国期には「マルギアナ」と呼ばれた。「マルギアナ」の遺構は、円形のプランをもち日干レンガの城壁で囲まれた「エルク・カラ」として知られる。「エルク・カラ」は、12haに達する都市であった。」
「アケメネス朝と言えば、古代イランにおこったとされる王朝・帝国である。」
「日干し煉瓦の城壁が円形に巡らされた更地に、かつて古代都市があったのだと思うと、悠久の歴史情緒を感じずにはいられませんね。」
「はい。」
「「国立歴史文化公園“古代メルフ”」の最大の観光ポイントは、「大キズカラ」と呼ばれる宮殿跡ですね。」
「そうなんですか。」
「「大キズカラ」と呼ばれる宮殿跡と言えば、中央アジア最大の遺跡で、敷地に残る高さ15mを超える大キズカラの巨大さには圧倒されます。」
「元々、6世紀に建てられた豪族の宮殿でしたよ。」
「はい。」
「1221年のモンゴルの侵攻時に、メルフの女性たちがこの遺跡に立てこもったというエピソードから、「乙女の要塞」と呼ばれていますよ。」
「そうなんだ。」
「砂漠の中という悪条件のせいで1階部分が砂に埋もれ、天井も失われており、四方の壁が残るのみですよ。」
「はい。」
「砂漠の上に堂々と聳えるその姿は、観光客の目を惹きつけるのに十分魅力的ですよ。」
「そうなんだ。」
「近くには、小規模版ともいえる「小キズカラ」も残されていますよ。」
「はい。」
「「国立歴史文化公園“古代メルフ”」には、上に挙げた以外にも様々な遺構が残されていますよ。」
「はい。」
「さすがは、中央アジア最大の遺跡と言われるだけのことはありますよ。」
「そうなんだ。」
「砂漠というロケーションに加え、朽ちて崩れかけた建造物群が、悠久の歴史ロマンを感じさせてくれる世界遺産ですよ。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~北朝鮮の高句麗古墳群~
「「高句麗古墳群」は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「高句麗古墳と言えば、高句麗古墳群は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌市と南浦市に所在する高句麗後期の古墳群の登録名である。2004年7月、ユネスコ世界遺産委員会蘇州会議で中国東北部に所在する高句麗前期の遺跡とともに世界遺産登録された。北朝鮮としては最初の世界遺産登録である。」
「高句麗後期の古墳が、いくつか残されていますよ。」
「そうなんですか。」
「高句麗と言えば、今の中国東北部南部から朝鮮北中部にあった国家であり、最盛期は満州南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。隋、唐を始めとする中国からの侵攻を度々撃退したが、最終的には唐・新羅の遠征軍により滅ぼされた。」
「平壌市と南浦市にまたがって位置していますよ。」
「はい。」
「南浦市と言えば、南浦特別市(ナムポとくべつし)は、朝鮮民主主義人民共和国の西部にある都市である。平壌の外港として重要な貿易港、工業都市である。市名は鎮南浦に由来する。1979年から2004年までは直轄市に位置付けられ、2004年以降は平安南道に属する「特級市」となった。」
「平壌市と言えば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都、直轄市であり、最大の都市である。北朝鮮の政治と経済の中心地であり、軽工業、重工業など工業が盛んである。」
「2004年、中国にある高句麗前期の遺跡群と同時にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「中国と同時にですか?」
「その背景には、中国と北朝鮮の間の政治的な問題があったようですよ。」
「はい。」
「高句麗は、紀元前37年から紀元668年にわたって朝鮮半島北部に存在した王朝ですね。」
「そうですね。」
「最も栄えた時代には、満洲南部から朝鮮半島のほとんどを支配下に置きましたよ。」
「そうなんですか。」
「元々は現在の中国の領土内に興り、5世紀になって平壌に遷都しましたよ。」
「はい。」
「そのため、中国には高句麗前期の、北朝鮮には高句麗後期の遺跡が残されていますよ。」
「そうなんだ。」
「「高句麗古墳群」には、計63基の古墳が指定されていますよ。」
「結構ありますね。」
「王や王族、貴族のお墓として建造されたものですよ。」
「はい。」
「安岳3号墳、徳興里古墳、江西大墓などが、特に有名ですよ。」
「そうなんですか。」
「江西大墓と言えば、江西大墓(6世紀末~7世紀初め)は高句麗王の墓と推定され、その四神の壁画は、奈良県明日香村の高松塚、キトラ両古墳の源流ともいわれる。高句麗の古墳壁画の中でも傑作と評価されているが、現地では劣化が進んでいるという。」
「徳興里古墳と言えば、朝鮮民主主義人民共和国,平安南道大安市徳興里にある壁画墳墓である。1976年12月に発掘調査され,被葬者や年代がわかる稀有な墳墓として脚光を浴びた。」
「安岳3号墳と言えば、朝鮮民主主義人民共和国,黄海南道安岳郡にある,三国時代高句麗の壁画古墳である。1949年に発見され,同年中に発掘調査された。墓室は,南向きの入口から北に向かって,羨道,羨室,前室,後室の順序に連接する。」
「外観としては、地にへばりつくような低い建物で、場所によっては石像などが周囲に設置されていますよ。」
「はい。」
「「高句麗古墳群」に指定されている古墳の大半が、壁画古墳ですよ。」
「はい。」
「内部の壁面には色彩豊かに描かれた、美しい壁画が描かれていますよ。」
「そうなんだ。」
「大昔に描かれたものですが、墳墓という環境のおかげで保存状態もよく(場所によっては盗掘被害にあったりもしていますが)芸術性も高いですよ。」
「はい。」
「観光の折には、是非中まで見学することをおススメします。」
「わかりました。」
「「高句麗古墳群」に含まれる63基の古墳のなかでも最も有名なのが「安岳3号墳」ですね。」
「はい。」
「これは、高句麗に亡命した漢人貴族の墓と考えられていますよ。」
「はい。」
「墳墓内部は、様々な壁画が華麗な筆致で描かれていますよ。」
「そうなんだ。」
「観光ガイドなどによく載っている、赤い服を着て座っている人物の姿(墓主であると考えられています)がありますね。」
「はい。」
「回廊に描かれた250人以上の人物が登場する壮大な行進図は、「高句麗古墳群」の壁画の最高傑作とも言われていますよ。」
「そうなんだ」
「千年以上も昔に描かれたとは思えないほど、色鮮やかな壁画には思わず目を奪われることでしょう。」
「なるほど。」
「「高句麗古墳群」は、現時点で北朝鮮唯一の世界遺産ですよ。」
「はい。」
「北朝鮮には、国際的な問題がいろいろ付きまとい、観光に訪れるのを躊躇してしまいがちですね。」
「そうですね。」
「しかし、このように素晴らしい遺産も残されていますよ。」
「はい。」
「現在、北朝鮮への観光客は世界中から訪れていますよ。」
「そうなんですか。」
「実際に旅行した人たちの話を聞いても、安全性に問題はないようですよ。」
「はい。」
「日本から近くて遠い国である北朝鮮に、一度訪れて世界遺産を堪能するのも良いかも知れませんね。」
「そうですね。」
西・中央・東アジアの世界遺産~モンゴルのオルホン渓谷の文化的景観~
「「オルホン渓谷の文化的景観」は、モンゴルのオルホン川に沿って広がっている渓谷にある世界遺産ですね。」
「はい。」
「モンゴルのオルホン川と言えば、モンゴル国を流れるモンゴルで一番長い川である。古称は安頁根河(あつこんかわ)、あつ昆河(あつこんかわ)。」
「オルホン渓谷と言えば、モンゴル中央部のオルホン川両岸に広がっている渓谷である。首都ウランバートルの西方約360 kmに在る。その渓谷の文化的景観は、2000年以上に渡って培われてきた遊牧民の伝統を例証するものとして、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「大草原を擁するモンゴルには、古くから2000年以上にわたって遊牧民が暮らし、さまざまな民族・王朝が栄枯盛衰を繰り返した土地ですね。」
「はい。」
「「オルホン渓谷の文化的景観」は、それらの歴史を物語る重要な遺産として、2004年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「なぜ、広大な土地に住む遊牧民の歴史が、オルホン渓谷に集約されているのでしょうか。」
「なぜでしょう。」
「それは、この地が草原の王者の座とされてきたからですよ。」
「どういうことですか?」
「オルホン渓谷にあるウテュケン山は、テングリ信仰において神聖視されていますよ。」
「はい。」
「テングリ信仰と言えば、テングリとは、トルコ族,モンゴル族における物質的実在としての天,およびシャマニズム神観上の精神的実在としての天神,または天神の下にいる神々をいう。蒼天そのものに対する崇敬から天の神格化が行われた。」
「ウテュケン山と言えば、現在のモンゴル国にあるハンガイ山脈(英語版)に比定される山の歴史的呼び名である。ウテュケン山(Utukan yis)という名は『オルホン碑文』に刻まれているもので、中国史書でも於都斤山、烏徳革建山、都尉揵山、都斤山、大斤山、鬱督軍山、郁督軍山などと表記された。ウテュケン山はテュルク系遊牧民の聖地とされ、たびたび遊牧国家の首都となった。」
「遊牧民の王である“ハーン”は、この山から力を得て突厥(中央ユーラシアの遊牧国家)を統率する神権を与えられていると考えられてきましたよ。」
「そうなんですか。」
「突厥(中央ユーラシアの遊牧国家)と言えば、6世紀に中央ユーラシアに存在したテュルク系遊牧国家である。もともとはジュンガル盆地北部からトルファン北方の山麓にかけて住んでいた部族で、柔然の隷属の下でアルタイ山脈の南麓へ移住させられ鍛鉄奴隷として鉄工に従事したが、552年に柔然から独立すると、部族連合である突厥可汗国(突厥帝国などと呼ばれることもある)を建て、中央ユーラシアの覇者となる。582年には内紛によって東西に分裂した。」
「遊牧民の王である“ハーン”と言えば、北アジア、中央アジア、西アジア、南アジアにおいて、主に遊牧民の君主や有力者が名乗る称号である。古い時代の遊牧民の君主が名乗った称号カガンはその古形である。」
「そのため、この渓谷は支配者にとって最重要地域として機能しましたよ。」
「そうなんだ。」
「数々の歴史的モニュメントが「オルホン渓谷の文化的景観」の指定区域に集まりましたよ。」
「はい。」
「「オルホン渓谷の文化的景観」の中で、最も古いものが「オルホン碑文」ですよ。」
「どんな碑文ですか?」
「オルホン碑文と言えば、モンゴルのオルホン(Orkhon)河畔で発見された古代トルコ語の碑文である。732年と735年に建立した墓碑に突厥(とっけつ)文字と漢字で刻まれており、突厥文字科解読のかぎとなった。現存する最古のトルコ語資料。オルコン碑文。」
「かの有名な突厥文字によって書かれた石碑ですよ。」
「はい。」
「突厥文字と言えば、突厥によって古テュルク語の表記に5世紀から用いられたアルファベットであり、代表的なものとしてオルホン碑文に書かれたものがあるため、オルホン文字とも呼ばれる。」
「王を称え歴史を叙述する内容のものですよ。」
「はい。」
「突厥文字と共にテュルク語も並記されていますよ。」
「そうなんだ。」
「テュルク語と言えば、テュルク諸語(テュルクしょご)/突厥諸語(とっけつしょご)は、中央アジア全体やモンゴル高原以西にあるアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパから北アジア(シベリア)に至る広大な地域で話される、言語系統を同じくする諸言語の総称である。テュルク諸語全体をひとつの言語、「テュルク語」と見なし、各言語を「テュルク語の方言」とする立場もありうる。」
「古代テュルク語を復元する上で、考古学的に極めて重要な価値がありますよ。」
「はい。」
「8世紀に建設された“オルド・バリク城址”の跡である「カラ・バルガスン遺跡」も残されていますよ。」
「はい。」
「カラ・バルガスン遺跡と言えば、8世紀のウイグル可汗国(回鶻)時代に建設されたオルド・バリク城址を中心とする遺跡群である。カラ・バルガスン(ハル・バルガス、ハラ・バルガスン)とはモンゴル語で「黒き都市、廃墟の都市」を意味する。位置は北緯47度24-26分・東経102度38-39分、モンゴル国のオルホン川西岸にある。」
「オルド・バリク城址と言えば、オルド・バリク(オルドゥ・バリク、Ordu-Baliq)はウイグル可汗国(回鶻)の第3代君主である牟羽可汗(ぼううかがん、/wiki/%E6%8B%BC%E9%9F%B3在位:759年 - 779年)によって建設された都城。」
「「カラ・バルガスン」とは、モンゴル語で「廃墟の都市」という意味ですよ。」
「はい。」
「その名の通り、宮殿跡の土塁と周囲の城壁が残されているだけですよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、大自然を感じされるロケーションの中に、朽ちた巨大な土塁や城壁が残る様はそれだけで十分圧巻ですよ。」
「はい。」
「16世紀に建てられたモンゴル最古の寺院である「エルデネ・ゾー」もありますよ。」
「はい。」
「モンゴル最古の寺院である「エルデネ・ゾー」と言えば、モンゴルで最古の寺院である。1585年、アブタイ・サイン・ハーン により建設。 境内にある巨大な仏塔はソボルガン塔といい、堕落した僧侶たちを戒めるものといわれる。また、ラブラン・ゾーは18世紀に信者たちの寄進で完成した。 カラコルム近郊。世界遺産オルホン渓谷の一部。」
「寺院は、108もの仏塔がある城壁で四角く囲まれていますよ。」
「そうなんだ。」
「後に建てられた黄金の仏塔には、10万もの仏陀像があると言われていますよ。」
「はい。」
「共産主義の時代に一部が破壊されつつも、生き残った貴重なチベット仏教寺院ですよ。」
「そうなんだ。」
「チベット仏教寺院と言えば、チベット仏教は、根本説一切有部の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸 哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。強巴林(チャンバリン)は、名古屋の守山の地に建立された日本初の本格的なチベット仏教寺院です。」
「他にも、かのチンギス・ハーンが造営した都カラコルムの遺跡がありますよ。」
「はい。」
「都カラコルムと言えば、モンゴル高原中央部のモンゴル国首都ウランバートルから西へ400km、ウブルハンガイ県のオルホン河畔に位置する都市である。カラコルムとはテュルク語・モンゴル語で「黒い砂礫」を意味する。」
「チンギス・ハーンと言えば、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服。最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。」
「「オルホン渓谷の文化的景観」の見所は、たくさんありますよ。」
「そうなんだ。」
「モンゴルの遊牧民の歴史を凝縮した世界遺産「オルホン渓谷の文化的景観」ですよ。」
「はい。」
「現地では遺跡だけはなく、ゲル(遊牧民が使う移動式住居)に宿泊するツアーなどもありますよ。」
「はい。」
「ゲル(遊牧民が使う移動式住居)と言えば、主にモンゴル高原に住む遊牧民が使用している、伝統的な移動式住居のことである。日本では、中国語の呼び名に由来するパオ(包)という名前で呼ばれることも多い。」
「遊牧民の文化を存分に味わうことができますよ。」
「はい。」
「遺跡を見て回りながら、ステップを駆け回った遊牧民たちのロマン溢れる歴史に触れてみませんか。」
「わかりました。」
西・中央・東アジアの世界遺産~ウズベキスタンのサマルカンド‐文化交差路~
「「サマルカンド‐文化交差路」は、ウズベキスタン東部、サマルカンド州にある世界遺産ですね。」
「はい。」
「サマルカンド州と言えば、ウズベキスタンの地方行政区画である。ウズベキスタン中央部のザラフシャン川流域に位置し、ナヴァーイー州、ジザフ州、カシュカダリヤ州のほか、タジキスタンに隣接する。」
「サマルカンドと言えば、中央アジア、ウズベキスタンの古都である。アムダリヤ川の支流であるザラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約38万人(2001年)。ウズベキスタンの現大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。」
「ウズベキスタンと言えば、ウズベキスタン共和国、通称ウズベキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国である。首都はタシュケント(タシケント)。北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。」
「ザラフシャン川河岸に位置していますよ。」
「はい。」
「ザラフシャン川と言えば、中央アジアを流れる川である。ザラフシャンは、ペルシア語で「黄金の水しぶき」の意味で、上流で砂金が取れることに由来する。古代ギリシアではPolytimetusの名で知られていた。以前はソグド川とも呼ばれた。」
「紀元前10世紀頃から現在まで続く古都ですね。」
「そうなんですか。」
「現在のウズベキスタン大統領イスラム・カリモフの出身地でもありますよ。」
「はい。」
「ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフと言えば、ウズベキスタンの大統領、ウズベキスタン自由民主党所属。1938年1月30日、サマルカンドに生まれる。」
「2001年、ユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「サマルカンド‐文化交差路」が誇る悠久の歴史は、紀元前10世紀頃にイラン系民族により、オアシス都市として興ったことから始まりますよ。」
「そうなんですか。」
「シルクロードの交易路上にあるオアシス都市と言えば、国立歴史文化公園“古代メルフ”」は、トルクメニスタン南部、カラクム砂漠にある遺跡です。 メルフは紀元前6世紀頃にシルクロードの交易路上にあるオアシス都市として興りました。」
「その後、シルクロードの中心地として大いに繁栄しましたよ。」
「はい。」
「かのアレキサンダー大王も、東征の折にサマルカンドを訪れ、その美しさに最大級の讃辞を送ったと言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「アレキサンダー大王と言えば、アレクサンドロス3世、通称アレクサンドロス大王は、アルゲアデス朝のマケドニア王、ヘラス同盟(英語版)(コリント同盟)の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。」
「13世紀にチンギス・ハーンの侵攻により、町は一度破壊されてしまいますよ。」
「そうなんだ。」
「チンギス・ハーンと言えば、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服。最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。」
「14世紀には、武将ティムールの手によって華々しく復興を遂げますよ。」
「はい。」
「武将ティムールと言えば、シルクロードのオアシス都市として栄えたサマルカンド。 14世紀後半に、モンゴルの血を引く武将ティムールが空前の大帝国を出現させます。」
「戦争ばかりしていた彼は、遠征のたびに現地の優れた職人・技術者・学者・芸術家などを連れ帰り、世界に類例を見ないほど美しい都市空間を作り上げましたよ。」
「本当ですか?」
「結果として、各地の文化がこの地で融合しましたよ。」
「なるほど。」
「世界遺産の登録名にも、「文化交差路」という名が冠されることになりましたよ。」
「はい。」
「現在、世界中から押し寄せる観光客の目を楽しませているのも、この時造られた建造物がほとんどですよ。」
「そうなんですか。」
「「サマルカンド‐文化交差路」は、世界遺産の中でも有数の人気観光地ですよ。」
「そうなんだ。」
「その見所は、もはや町全体としか言いようがありませんよ。」
「はい。」
「どこを切り取っても、第一級の美しさを誇る町ですよ。」
「はい。」
「サマルカンドの特徴は、キラキラと輝く青いタイルですよ。」
「そうなんですか。」
「ドームや建物の装飾などに、ふんだんに青タイルが使われていますよ。」
「はい。」
「印象的な青空と合わせて、サマルカンドは「青の都」と呼ばれていますよ。」
「なるほど。」
「サマルカンドで最も有名な観光スポットは、「レギスタン広場」ですね。」
「そうなんですか。」
「レギスタン広場と言えば、ウズベキスタンの古都サマルカンドにある広場で、「砂の場所」という意味をもつ。マドラサ神学校が三棟建っている。」
「広場には、三つのマドラサ(イスラーム世界における学院のこと)が並んでいますよ。」
「はい。」
「マドラサ(イスラーム世界における学院のこと)と言えば、cite_note-1イスラーム世界における学院である。元々は単純にアラビア語で「学ぶ場所、学校」を意味するだけだったが、11世紀に制度的に確立し、イスラーム世界の高等教育機関として広く普及した。」
「そのどれもが、青を基調とするタイルで精緻に装飾されていますよ。」
「はい。」
「広場正面のマドラサには、美しく輝く青のドームもありますよ。」
「そうなんだ。」
「これだけの美しさをもった広場は、世界中探しても見つからないでしょう。」
「本当ですか?」
「「サマルカンド‐文化交差路」は、町全体が「レギスタン広場」に劣らぬ美しさを有している物凄い町ですよ。」
「そうなんですか。」
「その他の見所も数多く存在していますよ。」
「はい。」
「「サマルカンド‐文化交差路」は、文句なしに中央アジア最大級の観光地ですよ。」
「そうなんだ。」
「中央アジアと言えば、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。内陸アジアともいう。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタンと東トルキスタンの東西に分割している。」
「ウズベキスタンが世界に誇る世界遺産と言えるでしょう。」
「わかりました。」
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