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日本の世界遺産と人気のある観光地~屋久島・厳島神社・姫路城・法隆寺・紀伊山地の霊場と参詣道・原爆ドーム・小笠原諸島・琉球王国のグスク及び関連遺産群~





日本 世界遺産 人気 観光地

日本の世界遺産と人気のある観光地

「日本各地には、有名な世界遺産スポットが多数存在しますね。」
「はい。」

「その世界遺産名を少し挙げてみると、屋久島、厳島神社、姫路城、法隆寺、紀伊山地の霊場と参詣道、原爆ドーム、小笠原諸島、琉球王国のグスク及び関連遺産群など、ご存じの名前があったのではないでしょうか。」
「名前はよく聞きますね。」

「琉球王国のグスクと言えば、琉球王国のグスク及び関連遺産群は、沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成されるユネスコの世界遺産(文化遺産)である。2000年に日本で11件目の世界遺産として登録された。なお、各グスクの登録の名称は「じょうあと」で、「ぐすくあと」、「じょうせき」とはしていない。」

「琉球王国と言えば、1429年から1879年の450年間、沖縄本島を中心に存在した王国である。当時、正式には琉球國(琉球語(琉球方言):ルーチュークク)と称した。最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。」

「小笠原諸島と言えば、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104平方km。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。」

「原爆ドームと言えば、原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれている。」

「紀伊山地と言えば、紀伊半島のうち中央構造線以南の大半を占める山地である。和歌山県、奈良県、三重県にまたがっている。脊梁の方向はおおむね北東-南西に走り、1500m前後の尾根が連なる。最高峰は八経ヶ岳(八剣山)で1915m。平安時代以降、山岳仏教や熊野信仰、修験道が紀伊山地において非常に栄えた。こうした歴史を背景として、2004年には紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録された。」

「法隆寺と言えば、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院である。聖徳宗の総本山である。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。/wiki/%E9%87%91%E5%A0%82西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。」

「姫路城と言えば、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)にあった城である。別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。この他に、ユネスコの世界遺産に登録や、日本100名城などに選定されている。」

「厳島神社と言えば、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社である。式内社(明神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界遺産に「厳島神社」として登録されている。」

「屋久島と言えば、鹿児島県の大隅半島南南西約60kmの海上に位置する島である。熊毛郡屋久島町に属し、近隣の種子島や口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。屋久島に産し樹齢が1000年を越えるスギ(杉)をヤクスギと呼んでいる。屋久島最大の「縄文杉」はかつてその巨大さから推定樹齢6000年以上であるとされている。」

「日本国内には、実に多くの世界遺産がありますよ。」
「はい。」

「テレビで世界遺産と言うと、海外の紹介が多いですね。」
「そうですね。」

「南アメリカ大陸、北アメリカ大陸、南アジア大陸、東南アジア、中国大陸、旧ソ連、南アフリカ、北アフリカ、アラブ、南ヨーロッパ、東ヨーロッパなどの地域を思い浮かべる人が多いでしょう。」
「そうですね。」

「皆さんよくご存じなのが、南アメリカ大陸ではマチュピチュなどの世界遺産があり、東南アジアにはアンコール遺跡などが存在していますね。」
「はい。」

「古くから栄えている中国大陸では、万里の長城など交易の歴史上欠かせないものも多数存在していますね。」
「はい。」

「南ヨーロッパでは何度も編成されたり、分裂してさまざまな国がありますね。」
「そうですね。」

「フランスなどは、今もアントワネット妃が住んでいたと言われる王宮が残されていますよ。」
「はい。」

「日本人の観光客らの姿も後を絶ちませんね。」
「はい。」

「これらが書籍、テレビで報道されて、私達は「行って見たいな」と思うわけですね。」
「そうですね。」

「一方日本では、温泉番組は多くみられますが、世界遺産の紹介については、そんなに力を入れているように見受けられませんね。」
「はい。」

「日本には日本の良さがあり、自分の生まれた国のルーツを知る上でも、日本国内にある世界遺産を制覇してみるのもいいのではないでしょうか?」
「同感です。」

「日本国内に目を向けた時、日本らしさあふれる新たな発見があると思いますよ。」
「はい。」

「世界遺産名である屋久島は、日本を代表するアニメ、ジブリ映画の「もののけ姫」と関連があると言われている地ですよ。」
「そうなんですか。」

「ジブリ映画の「もののけ姫」と言えば、宮崎駿によるスタジオジプリの長編アニメーション映画作品である。1997年(平成9年)7月12日公開。森を侵す人間たちとあらぶる神々との対立を背景として、狼に育てられた「もののけ姫」と呼ばれる少女サンとアシタカとの出会いを描く。」

「アニメに登場するシシ神の森のイメージを求めて、巨大な屋久杉で一躍有名となった屋久島でロケハンを行ったからですよ。」
「そうなんだ。」

「屋久杉と言えば、屋久島の標高500メートルを超える山地に自生するスギである。狭義には、このうち樹齢1,000年以上のものを指し、樹齢1,000年未満のものは「小杉(こすぎ)」と呼ぶ。また屋久島で植林された杉を「地杉(じすぎ)」と呼ぶが、樹齢100年以内の小杉を指す語としても用いられる。」

「このエピソードは、もののけ姫ができるまでの実録でも紹介されていますよ。」
「はい。」

「日本の世界遺産ファンはもちろん、日本を代表するジブリファンにとっても一度足を運んでみたい地ですね。」
「はい。」

「世界遺産名である厳島神社は、皆さんも映像で見たことがあるでしょう。」
「ありますよ。」

「海の中に浮かぶ厳島神社は、いつか沈んでしまう日が来ると言われていますね。」
「そうなんですか。」

「寂しい話ですが、水の中にぽっかりと浮かぶ姿は、まさに幻想的ですね。」
「はい。」

「世界遺産名である姫路城は、姫路を代表するお城ですね。」
「はい。」

「お城の多くは戦国時代や第二次世界大戦時の空爆によって破壊された経緯がありますね。」
「そうですね。」

「こうした形で保存されているのは、きわめて珍しいですね。」
「はい。」

「空襲の際は、周囲が燃え上がりましたよ。」
「はい。」

「しかし、姫路城は無事残ったというエピソードがありますよ。」
「そうなんですか。」

「世界遺産名である法隆寺は、皆さんもご存知でしょう。」
「はい、知っています。」

「歴史の教科書でも出てくる、象徴的なお寺ですね。」
「はい。」

「当時の人物はもう亡くなっていますが、建物は時代が変わっても形として残っており、当時の面影を根強く残していますよ。」
「そうですね。」

「紀伊山地の霊場と参詣道の世界遺産は、有名な政治家たちも訪れる名所となっていますね。」
「はい。」

「紀伊山地と言えば、紀伊半島のうち中央構造線以南の大半を占める山地である。和歌山県、奈良県、三重県にまたがっている。脊梁の方向はおおむね北東-南西に走り、1500m前後の尾根が連なる。最高峰は八経ヶ岳(八剣山)で1915m。平安時代以降、山岳仏教や熊野信仰、修験道が紀伊山地において非常に栄えた。こうした歴史を背景として、2004年には紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録された。」

「テレビでも度々放映されており、近年では海外からの観光客らも参拝に訪れていますよ。」
「そうなんですか。」

「文化や国は違いますが、先祖を祭る気持ちと周りの人たちの幸せを祈る気持ちは、今も昔も変わりありませんね。」
「はい。」

「負の世界遺産と呼ばれる原爆ドームは、ご存知でない人はほとんどいないと思いますね。」
「そうですね。」

「広島県のシンボルとして、今も多くの人が訪れていますよ。」
「はい。」

「小笠原諸島は、自然遺産として世界遺産登録され、日本列島中でも自然と綺麗な海を満喫できますよ。」
「はい。」

「世界遺産琉球王国のグスク及び関連遺産群は、他の世界遺産よりも名前があまりなじみがないかも知れませんね。」
「そうですね。」

「グスクとはお城のことで、その遺跡群は沖縄ならではの南国ムードあふれる地となっていますよ。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~屋久島~

「ジブリ映画の『もののけ姫』が公開されたのは1997年の夏ですね。」
「はい。」

「ジブリ映画の「もののけ姫」と言えば、宮崎駿によるスタジオジプリの長編アニメーション映画作品である。1997年(平成9年)7月12日公開。森を侵す人間たちとあらぶる神々との対立を背景として、狼に育てられた「もののけ姫」と呼ばれる少女サンとアシタカとの出会いを描く。」

「当時の興行収入や観客動員数最多を記録した、あの大長編アニメに出てくるシシ神の森のロケハン地がどこかご存知ですか?」
「よく知りません。」

「それは、巨大な屋久杉で有名な屋久島ですよ。」
「はい。」

「屋久杉と言えば、屋久島の標高500メートルを超える山地に自生するスギである。狭義には、このうち樹齢1,000年以上のものを指し、樹齢1,000年未満のものは「小杉(こすぎ)」と呼ぶ。また屋久島で植林された杉を「地杉(じすぎ)」と呼ぶが、樹齢100年以内の小杉を指す語としても用いられる。」

「屋久島と言えば、鹿児島県の大隅半島南南西約60kmの海上に位置する島である。熊毛郡屋久島町に属し、近隣の種子島や口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。屋久島に産し樹齢が1000年を越えるスギ(杉)をヤクスギと呼んでいる。屋久島最大の「縄文杉」はかつてその巨大さから推定樹齢6000年以上であるとされている。」

「現在もweb上で当時のジブリの制作日誌を読むことができますよ。」
「はい。」

「『もののけ姫はこうして生まれた』というドキュメンタリが販売されていますね。」
「そうなんですか。」

「そこには、屋久島を参考にする宮崎駿監督や、美術スタッフの姿がありますよ。」
「はい。」

「他にも、屋久島は多くの作品の舞台として設定されていますよ。」
「そうなんですか。」

「それだけ魅力にあふれる土地だと言うことですね。」
「そうですね。」

「屋久島は鹿児島県沖にある大隅諸島の一つで、奄美大島に次いで二番目に大きな島ですね。」
「はい。」

「奄美大島と言えば、九州南方海上にある奄美群島の主要な島で、単に大島ともいう。奄美大島を含む奄美群島は、沖縄県と同様に琉球文化圏と呼ばれるものを構成する部分もある。奄美方言は琉球方言の一部でもあり、基本的語彙や表現など沖縄方言との共通点も多い。一方で奄美群島、とりわけ奄美大島の文化は沖縄県よりも九州以北に近い部分も少なからず、中間的である。」

「鹿児島県沖にある大隅諸島と言えば、鹿児島県南部にある薩南諸島北部の島々である。西之表市および熊毛郡に属する種子島、馬毛(まげ)島、屋久島、口永良部(くちのえらぶ)島の4島をいい、普通は口之三島とよばれる竹島、硫黄島、黒島を加えない。」

「日本列島の中でも、本州・九州・四国・北海道を除いて九番目とかなりの大きさですよ。」
「はい。」

「同じく大隅諸島にある種子島が平らな地形をしているのに対し、屋久島は1000メートルを超える山が数多くありますよ。」
「そうなんですか。」

「大隅諸島にある種子島と言えば、九州の鹿児島県に属し、大隅諸島を構成する島の1つである。県内有人離島の中で最も東に位置し、人口(約33,000人)は奄美大島に次いで2番目に多く、面積は444.99平方kmで、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。標高は最高点でも282mしかなく、海側から見ると殆ど平らにしか見えない。1936mある隣の屋久島と比べると対照的である。」

「八重岳や洋上アルプス、屋久島山地などと呼ばれていますよ。」
「そうなんだ。」

「島の中央部、屋久杉もある地区(この辺り一帯が世界遺産・自然遺産に登録されています)には日本百名山の一つに数えられ、九州地方で最も高い1936メートルの宮之浦岳がありますよ。」
「はい。」

「宮之浦岳と言えば、鹿児島県の屋久島中央部の山である。標高1,936 mで、屋久島の最高峰であり、九州地方の最高峰でもある。(九州本土の最高峰は大分県の九重連山・中岳で標高1,791m )山域は、ユネスコの世界遺産「屋久島」として登録されている。」

「宮之浦岳・永田岳・栗生岳の三つを屋久島三岳とし、山頂には益救(やく)神社(一品宝珠大権現)が建てられていますよ。」
「はい。」

「益救(やく)神社(一品宝珠大権現)と言えば、鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)にある神社である。式内社多禰国(たねのくに)一宮で、旧社格は県社。『延喜式神名帳』に記載された神社のうち最も南にある。現在は「やく」と読むが、かつては「ますくひ」「すくひ」と読んだ。旧称として須久比ノ宮・一品宝珠大権現とも呼ばれた。」

「栗生岳と言えば、屋久島の宮之浦岳山頂南東側に位置する山である。標高は屋久島および九州において3番目の高峰であるが、独立した山ではなく宮之浦岳山腹の一峰と呼ぶべきものである。」

「永田岳と言えば、屋久島の宮之浦岳北西側に対峙する山である。標高は屋久島および九州において宮之浦岳に次いで2番目に高く、西日本でも三嶺に次いで10番目の高峰となる。宮之浦岳、永田岳および黒味岳を屋久島三山と呼ぶ。新日本百名山に選定されている。」

「宮之浦岳と言えば、鹿児島県の屋久島中央部の山である。標高1,936 mで、屋久島の最高峰であり、九州地方の最高峰でもある。(九州本土の最高峰は大分県の九重連山・中岳で標高1,791m )山域は、ユネスコの世界遺産「屋久島」として登録されている。」

「これら、島の内側にある山地は花崗岩で覆われていますよ。」
「そうなんだ。」

「花崗岩群はマグマが内部に入り込んで固まり、新しい岩をつくる現象でできていますよ。」
「はい。」

「このような特徴的な地形のため、屋久島の年間降水量は非常に多いですよ。」
「はい。」

「人が住む海岸部でも、年間4000ミリを超えますよ。」
「そうなんだ。」

「内部の山岳地帯は、その2倍以上とも言われていますよ。」
「多いですね。」

「俗に『屋久島では月に33日雨が降る』と言われるゆえんですね。」
「なるほど。」

「鹿児島県沖の島ですが、世界遺産に指定されている中央の山岳地帯は高度が高いため、降雪や積雪が観測されますよ。」
「そうなんですか。」

「海岸部は冬でも10度を下回ることはほとんどなく暖かい土地ですよ。」
「はい。」

「そのため、屋久島には多様な植物がありますよ。」
「はい。」

「亜熱帯の植物から亜寒帯の植物まで揃っていますよ。」
「そうなんだ。」

「屋久杉が生えているのは、500メートルから1600メートルの辺りですね。」
「はい。」

「屋久杉というのは、屋久島に生えている杉全部のことを指しますよ。」
「はい。」

「細かく分類すると、樹齢1000年以上のものを『屋久杉』とします。」
「そうなんだ。」

「1000年未満のものは『小杉』と呼ばれていますよ。」
「はい。」

「他にも樹齢100年以内だと『地杉』と呼ぶこともあるようですよ。」
「はい。」

「有名な屋久杉といえば、『縄文杉』ですね。」
「そうですね。」

「縄文杉と言えば、鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)に自生する最大級の屋久杉である。種の名称ではなく、植物の個体に付された名である。屋久杉を代表する古木として著名である。世界遺産「屋久島」、国の特別天然記念物「屋久島スギ原始林」に包含される。」

「樹齢が7000年以上ではないかという説がありましたよ。」
「はい。」

「しかし、実際には2700年程度であろうと判定されましたよ。」
「はい。」

「これは、火砕流によって屋久島の大型植物が全滅したと考えられているためですよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、ヤクシマザルなど、火砕流以後に持ち込まれた記録の無い大型動物が存在しているため、全滅説も否定されていますよ。」
「はい。」

「ヤクシマザルと言えば、屋久島(鹿児島県)に固有のニホンザルの亜種である。ヤクザルとも呼ばれる。」

「縄文杉は、内部を保護するために精密で正確な調査は行われていませんよ。」
「そうなんですか。」

「したがって、本当の樹齢はわかりませんね。」
「そうなんだ。」

「夢のある話ですね。」
「そうですね。」

「この縄文杉を見るためには、10時間程度歩いて登山をしなくてはなりませんよ。」
「それは大変ですね。」

「現在は、杉の周囲は立ち入り禁止となっていますよ。」
「はい。」

「世界遺産・自然遺産として保護しなければならないからですよ。」
「そうですね。」

「他に有名な屋久杉と言うと、ウィルソン株があげられますよ。」
「はい。」

「ウィルソン株と言えば、屋久島にある屋久杉の切り株である。1586年(天正14年)、牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀吉の命令により大阪城築城(京都の方広寺建立とも)の為に切られたといわれる。胸高周囲13.8m。」

「これは、大阪城築城のために豊臣秀吉が命じて切らせた屋久杉で、周囲が13.8メートルにも及びますよ。」
「大きいですね。」

「株の中は祠があり、水がわき出ていますよ。」
「そうなんですか。」

「祠と言えば、祠(ほこら)とは神を祀る小規模な殿舎である。語源は神道用語の「ほくら(神庫、宝倉)」の転訛という。小祠(しょうし)、小堂(しょうどう)とも。もともとは古神道に由来する信仰であるが、神仏習合によって道祖神に関連した仏(地蔵菩薩など)も祀るようになった。」

「内部に入ると、ハート型に空が見えるポイントがありますよ。」
「それは何ですか?」

「とてもロマンチックなスポットですよ。」
「はい。」

「屋久島を訪れる際は、絶対に雨が降ることを覚悟した旅装で行き、立ち入り禁止区域には絶対入らないようにして登山を楽しみましょう。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~厳島神社~

「♪宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには 今日もカープは 勝ち勝ち勝ち勝ち♪この歌を聞いたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。」
「よく知りません。」

「『カープ』とある通り、広島カープが点数を入れた時に歌う応援歌ですよ。」
「そうなんですか。」

「この歌詞を二度繰り返し、その後、万歳三唱しますよ。」
「はい。」

「この歌に出てくる宮島とは、厳島(いつくしま)の通称ですね。」
「そうですね。」

「厳島(いつくしま)(宮島)と言えば、厳島は通称「安芸の宮島」と言われ、毎年200万人以上の観光客が訪れる日本で最も有名な離島の一つである。有名すぎて離島という言葉に違和感さえありますが、架橋もされていないれっきとした離島です。」

「『安芸の宮島』と言うこともありますね。」
「そうですね。」

「松島(宮城)・天橋立(京都)と並んで日本三景の一つとして数えられる景勝地ですね。」
「はい。」

「世界遺産に登録されているのは、宮島(厳島)だけですね。」
「そうですね。」

「松島については、漁業の盛んな土地のため、世界遺産登録をしてしまうと漁業に支障が出てしまい、地元の方の生活が危ぶまれるからあえて登録しないとのことですよ。」
「そうなんですか。」

「その厳島の中心が、厳島神社ですよ。」
「はい。」

「厳島神社と言えば、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社である。式内社(明神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界遺産に「厳島神社」として登録されている。」

「全国に五百はある厳島神社の総本山にあたりますよ。」
「そうなんだ。」

「厳島神社とは、イツキシマヒメ(市寸島比売命/市杵嶋姫命)をはじめとする、宗像三女神を祀る神社のことですよ。」
「そうなんですか。」

「宗像三女神と言えば、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。宗像神(むなかたのかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれる。また、朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表している。」

「イツキシマヒメ(市寸島比売命/市杵嶋姫命)と言えば、イチキシマヒメ(イツキシマヒメとも)は、日本書紀に登場する水の神である。『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命と表記する。」

「アマテラスオオミカミとスサノオノミコトが誓約を行った際に、スサノオの剣から生まれた神々が宗像三女神ですね。」
「そうなんですか。」

「スサノオノミコトと言えば、スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)は、日本神話に登場する神である。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。」

「アマテラスオオミカミと言えば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神である。皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名cite_note-Y-2。」

「イチキシマとは斎き島、つまり神の島という意味ですね。」
「はい。」

「厳島は、イチキシマの音が変化したものですね。」
「そうなんだ。」

「残りの二柱の女神は、タギリビメ(多紀理毘売命/田心姫命)とタギツヒメ(多岐都比売命/湍津姫)と言いますね。」
「そうなんですか。」

「タギツヒメ(多岐都比売命/湍津姫)と言えば、厳島神社とは、宗像三女神を祀る神社のことです。スサノオの剣から生まれた神々が宗像三女神です。宗像三女神とは、イツキシマヒメ(市寸島比売命/市杵嶋姫命)、タギリビメ(多紀理毘売命/田心姫命)とタギツヒメ(多岐都比売命/湍津姫)といいます。」

「海に建つ朱色の大鳥居は、台風中継などでよく映るため、皆さんご存知でしょう。」
「はい。」

「常に倒壊の憂き目に合うこの大鳥居ですが、その度に修繕が行われていますよ。」
「そうなんだ。」

「直すことを前提として造られていますよ。」
「そうなんですか。」

「この大鳥居は高さが16メートルにも及び、奈良県春日大社・福井県気比神宮の大鳥居と並んで、日本三大鳥居の一つとされていますね。」
「はい。」

「平舞台も、大阪府四天王寺・住吉大社の石舞台と並んで、日本三舞台の一つと言われていますよ。」
「はい。」

「さらには、イチキシマヒメは神仏習合で弁才天と習合して大願寺となり、神奈川県江島神社・滋賀県都久夫須麻神社と並んで、日本三弁天の一つとされていますよ。」
「そうなんだ。」

「日本三弁天と言えば、弁才天信仰はもともと仏教とともに伝来したのであるが,日本の市杵島姫(いちきしまひめ)命と習合して神社の祭神となり,水神としての神格を備えることから,池や海の水辺にまつられることが多い。特に江の島,琵琶湖の竹生(ちくぶ)島,安芸厳島(いつくしま)にまつる弁才天が,日本三弁天として有名である。」

「このように、なにかと『日本三大○○』に縁がある遺産ですね。」
「はい。」

「「三」というのは古来より特別な数字とされてきましたね。」
「そうなんですか。」

「一は自分のこと、ニは相手のこと、三は自分と相手以外の誰かをさしていますね。」
「はい。」

「三があることによって、自分と相手以外の「世界」が確立するのですね。」
「そうなんだ。」

「ことわざなどに三という数字が入るものが多い由縁もそのあたりにあるようですね。」
「なるほど。」

「厳島神社の大鳥居が非常に大きく荘厳なのは、三柱の女神を海上守護神とみなしたからですね。」
「はい。」

「2012年に放映された大河ドラマ『平清盛』の主役・平清盛も、平氏一門と共に、後白河法皇の参詣(行幸)につき従っていますね。」
「はい。」

「後白河法皇と言えば、鳥羽天皇の皇子である。保元・平治の乱を始め武家の力を利用して朝廷での地歩を固め武家政権との共存を目指した。鳥羽天皇が崩御すると、源義朝・平清盛らを用いて崇徳院方を破った(保元の乱)。」

「平清盛と言えば、平安時代末期の武将・公卿である。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の長男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任ぜられる。娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」(『平家物語』)と言われる時代を築いた(平治政権)。」

「平清盛が安芸守に任ぜられた時に、瀬戸内海の平定について考えていた彼が、厳島神社を海上守護のための神社としましたね。」
「そうなんだ。」

「平清盛以外にも、大勢の有名な武将たちが厳島神社に関わっていますよ。」
「そうなんですか。」

「鹿苑寺金閣を建立した足利義満も参詣しましたよ。」
「はい。」

「安芸を含む山陰・山陽の広い地域を支配した毛利元就が大規模な造営を行いましたよ。」
「はい。」

「それ以降、毛利氏及び広島藩主浅野氏の庇護のもと、瀬戸内海の大社として栄えましたね。」
「そうなんだ。」

「広島藩主浅野氏と言えば、日本の氏族である。関白豊臣秀吉の正室・北政所の養家。宗家は広島藩主、分家は赤穂藩主。通字は「長」。」

「豊臣秀吉も参詣した記録が残っていますよ。」
「はい。」

「毛利輝元が四座舞楽を寄進したのが、慶長5年(1600年)ですね。」
「はい。」

「この頃には厳島神社を中心に門前町が発展し、春・夏・秋と、年に三回宮島市が開催され、羅紗や虎皮などが売られましたね。」
「そうなんだ。」

「羅紗と言えば、ラシャ(ポルトガル語)とは、毛織物の一種である。日本へ入って来たのは南蛮貿易の頃である。名称も当時のポルトガル語名称に由来する外来語であり、表記も音を漢字で表した「羅紗」を用いる場合もある。「羅」も「紗」も絹織物に関連する意味する漢字だが、羅紗自体は絹製品ではなくウール製品である。」

「厳島神社には多数の美術工芸品が遺されていますよ。」
「はい。」

「最も有名なのは、『平家納経』ですね。」
「そうなんだ。」

「法華経三十巻分の経を一人一巻ずつ分担して写経し、そこに般若心経と阿弥陀経、平清盛自身の願文一巻を加えて三十三巻としたものですね。」
「はい。」

「すべては金銀荘雲竜文銅製経箱に納められ、装飾には工夫され洗練された技巧が余すところなく使われていますね。」
「はい。」

「表紙・見返し・金具・紐・軸などすべての部位が同じ装飾を使っていませんよ。」
「そうなんですか。」

「特に華麗なのが見返しの絵で、大和絵や蓮池図、女性像に雲上化仏、仏具、金泥書きの梵字など非常に豪奢な仕上がりですよ。」
「そうなんだ。」

「これらは当時の仏教絵画及び大和絵風俗画の資料としても大変貴重なものですよ。」
「はい。」

「これは当然のように国宝指定を受けていますよ。」
「はい。」

「レプリカなら、厳島神社宝物館で見ることができますよ。」
「そうなんだ。」

「平家納経を奉納したのは平清盛が四十七歳の時で、権中納言になっていましたよ。」
「はい。」

「権中納言と言えば、中納言は、太政官に置かれた令外官のひとつである。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。慶雲2年(705年)4月、大納言の定員が4人から2人に減らされたことにともない、その不足を補うものとして新たに中納言が設置された。定員は3人であったが、その後権官(権中納言)が置かれるようになり、定員は有名無実となった。」

「その三年後には太政大臣にまでのぼりつめており、権力の絶頂期にあたりますね。」
「はい。」

「太政大臣と言えば、日本の飛鳥時代から明治時代まで存続した官職である。太政大臣は律令に基づいて置かれたが、中国官制には相当するものがなく、日本独自の官職である。日本史上、太政大臣は大友皇子から三条実美までの100人に及ぶ。」

「そのような気概を持って作られたものですね。」
「そうなんだ。」

「厳島詣とは、この厳島神社への参詣をさしますね。」
「はい。」

「戦国時代頃までは、海路守護神として海賊や漁師、商人などが参詣しましたよ。」
「はい。」

「江戸時代に入って以降さらに発展し、四国のお遍路より流行ったため、門前町がにぎわって遊郭ができたほどでしたよ。」
「そうなんですか。」

「一度は参詣してみたいですね。」
「そうですね。」

「多くの方が参詣されるでしょう。」
「はい。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~姫路城~

「第二次世界大戦も終焉に近い1945年7月3日、姫路も空襲に見舞われましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、大天守に着弾した焼夷弾は不発に終わりましたよ。」
「良かったですね。」

「悪夢の一夜が明けた姫路の人々は、焼け野原となった町の中央にそびえたつ姫路城を見て涙し、必ず復興させようと勇気づけられましたよ。」
「はい。」

「姫路城と言えば、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)にあった城である。別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。この他に、ユネスコの世界遺産に登録や、日本100名城などに選定されている。」

「Wikipediaにも載っている有名なエピソードですが、姫路市民にとっては本当にあったできごとですよ。」
「はい。」

「私は幼少期、姫路城のすぐ裏手に住んでいて、世界遺産に登録される少し前の頃、母に連れられ弟と一緒によくお堀の鯉を見に行きましたよ。」
「そうなんだ。」

「姫路市市制100周年の際につくられた『シロトピア記念公園』という、姫路城裏手(姫路シロトピア博イベント跡地)にある大きな公園でよく遊びましたよ。」
「はい。」

「シロトピア記念公園と言えば、姫路城の北に位置し、市制100周年を記念して行われた記念行事「'89姫路シロトピア博」の跡地を利用して整備され、四季折々の草花が咲き乱れ、市民が憩い集う美しい公園です。」

「姫路城が世界遺産に登録されたのは1993年ですね。」
「はい。」

「法隆寺などと並んで、日本で初めてのことですね。」
「そうですね。」

「法隆寺と言えば、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院である。聖徳宗の総本山である。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。/wiki/%E9%87%91%E5%A0%82西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。」

「姫路城、別名・白鷺城は読んで字のごとく、白鷺のように真白な白漆喰壁が有名な、巨大なお城ですね。」
「はい。」

「白漆喰壁と言えば、白漆喰とは、顔料を加えない白色のしっくいである。壁の上塗りに使う。日本式の城郭建築に白い漆喰の壁が見られる。」

「『暴れん坊将軍』シリーズをはじめとする、時代劇で使われる江戸城の映像はすべて姫路城ですね。(本物の江戸城跡地は現在皇居となっています)」
「そうですね。」

「現在は50年に一度の大補修が行われているため、見ることができませんね。」
「はい。」

「普段は夜間も天守閣を目立たせるために下からライトアップされ、いつでも純白に輝くその雄姿を見ることができますよ。」
「はい。」

「日本最大規模とも言われる姫路城の持ち主は、次々と代わりましたよ。」
「そうなんですか。」

「赤松氏が姫山(姫路城が建つゆるやかな丘陵のことです)に築城した、というのが始まりですね。」
「はい。」

「赤松氏と言えば、日本の氏族の1つである。鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて播磨を支配した武家である。鎌倉幕府の打倒、室町幕府の創設に寄与し、守護大名の1つとして勢威を振るった。後に嘉吉の乱(かきつのらん)を起こし、応仁の乱にも深く関わるなど戦国時代の到来の一因を作った。」

「有名な逸話ですが、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)も居城していましたよ。」
「はい。」

「秀吉が在場していた期間はわずか四年ですが、建築が道楽の秀吉は様々な工事をほどこし、石垣やお堀を作り、三重の天守閣も造りましたよ。」
「そうなんだ。」

「これらの痕跡は現在の補修工事で確認されていますよ。」
「はい。」

「後の改修工事で再利用されたこともわかっていますよ。」
「はい。」

「現在の姫路城の形に整えたのは、池田輝政ですね。」
「そうなんだ。」

「池田輝政と言えば、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名である。美嚢池尻城主、同大垣城主、同岐阜城主、三河吉田城主を経て、播磨姫路藩の初代藩主となる。姫路城を現在残る姿に大規模に修築したことで知られる。姫路宰相と称された。」

「関ヶ原の合戦の後すぐ入城し、三郭や本丸・二の丸・三の丸・西の丸などを造りましたよ。」
「はい。」

「有名な五重六階地下一階の大天守もこの時に造られましたよ。」
「はい。」

「この大天守は、高さが三十三メートルもありますよ。」
「高いですね。」

「丘の上に建てられているので、海抜四十メートルを超えますよ。」
「はい。」

「大天守最上階の窓から南を眺めれば、瀬戸内海まで見渡すことができますよ。」
「いいですね。」

「姫路城に関わる有名人と言うと、千姫ですね。」
「はい。」

「千姫と言えば、安土桃山時代から江戸時代の女性である。豊臣秀頼・本田忠刻の正室。父は徳川秀忠、母は継室の江。号は天樹院。」

「2010年の大河ドラマ『江』のヒロイン・江の次女ですね。」
「はい。」

「少女期を芦田愛菜ちゃんが演じていましたね。」
「そうですね。」

「城主が池田氏から本多氏に代わった後、本多忠刻のもとに千姫が嫁ぎましたね。」
「はい。」

「本多忠刻と言えば、江戸時代前期の大名である。播磨姫路新田藩の初代藩主。」

「千姫は元々豊臣秀頼の正室でしたが、大坂夏の陣の際大阪城から救出され、忠刻の正室となりましたね。」
「はい。」

「忠刻は千姫のために西の丸を大幅に改築し、現在も残る化粧櫓や百間廊下を整えましたよ。」
「そうなんだ。」

「西の丸には千姫の頭身大人形が展示され、どのような生活を送っていたか伺えるようになっていますよ。」
「はい。」

「姫路城には城の日というものがありますね。」
「そうなんですか。」

「毎年4月6日ですね。」
「はい。」

「この日(と正月三が日)は入城料が無料になり、大勢の観光客が訪れますよ。」
「そうなんだ。」

「JR姫路駅北口正面約1キロのところにある大手門(入城門です)から三の丸広場と呼ばれる三の丸跡地は無料で入ることができますよ。」
「はい。」

「三の丸広場は広い芝生をぐるりと囲むように桜が植えられ、丁度城の日の頃に桜が満開となるので、市民たちは昼も夜も三の丸広場で花見をしますよ。」
「そうですね。」

「現在の平成の大補修工事が終わるのは、2014年の春ですね。」
「はい。」

「姫路城の管理部の方によると、桜が咲くまでには終える予定とのことですよ。」
「はい。」

「花見もかねて一度見物に行ってはいかがでしょう。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~法隆寺~

「『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』 有名な俳句ですが、一体誰の句かご存知ですか?」
「はい。」

「法隆寺と言えば、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院である。聖徳宗の総本山である。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。/wiki/%E9%87%91%E5%A0%82西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。」

「正岡子規の句ですね。」
「そうですね。」

「正岡子規と言えば、日本の俳人、歌人、国語学研究家である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。」

「子規が松山から上京する際に、立ち寄った茶屋で詠んだと言われていますね。」
「はい。」

「夕陽で染まる空の色と、柿の色をかけた、美しい句ですね。」
「そうですね。」

「法隆寺は、「法隆寺地域の仏教建造物」として1993年に世界遺産へ登録されましたね。」
「はい。」

「世界遺産に登録されているのは、法隆寺に属する47棟の建造物と法起寺に属する1棟の建造物を合わせた48棟ですね。」
「そうなんですか。」

「そんな法隆寺ですが、やはり最初に頭に浮かぶのは、建立を命じたという『聖徳太子』(厩戸王/うまやとおう)ではないでしょうか。」
「そうですね。」

「聖徳太子(厩戸王/うまやとおう)と言えば、飛鳥時代の皇族、政治家である。厩戸皇子または厩戸王の後世の呼称。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめた。」

「近年の研究では、聖徳太子という人物の存在自体があやしいと言われていますね。」
「そうなんですか。」

「しかし、少なくとも聖徳太子のモデルとなった人物がいたことは間違いないようですね。」
「はい。」

「法隆寺が建立されたのは、推古15年(607年)とされていますね。」
「はい。」

「飛鳥時代、推古天皇の代の頃ですね。」
「そうですね。」

「推古天皇と言えば、第33代天皇である。日本初の女帝であると同時に、東アジア初の女性君主である。諱(いみな)は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。『古事記』ではこの天皇までを記している。」

「飛鳥時代と言えば、日本の歴史の時代区分の一つである。崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)の118年間にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代を指す。草創期は古墳時代の終末期と重なる。この時代に倭国(倭)から日本へ国号を変えたとされている。」

「法隆寺は、世界最古の木造建築物でもありますね。」
「そうですね。」

「海外、特に欧米の建築物は石が基調になっていることが多いですね。」
「はい。」

「日本は地震が多い国ですので、石造りの建築物は作り辛い風潮がありますね。」
「そうですね。」

「今でも、木造に障子や襖がある家屋はたくさんありますね。」
「はい。」

「海外の方からすると、紙と木でできている和風家屋は驚くべき建築物に見えるそうですね。」
「そうなんですか。」

「国が違えば文化が違うという言葉のお手本のような意見ですね。」
「はい。」

「法隆寺が建立された7世紀ごろには、古墳文化に代わって、仏教文化中心の飛鳥文化が蘇我氏や王族によって広められましたね。」
「はい。」

「蘇我氏と言えば、「蘇我」を氏とする氏族である。姓は臣(おみ)。古墳時代から飛鳥時代(6世紀 - 7世紀前半)に勢力を持ち、代々大臣(おおおみ)を出していた有力豪族である。」

「飛鳥文化以前に権威を象徴するものと言えば、古墳でしたね。」
「そうですね。」

「この頃から寺院が、豪族たちの権威の象徴となりましたよ。」
「そうなんだ。」

「この頃の建築様式は、『伽藍建築』と呼ばれていますね。」
「はい。」

「伽藍建築と言えば、伽藍建築は寺院建築を表す。伽藍は僧侶の修行の場を指すので、後に寺院の事を伽藍というようになった。」

「礎石や瓦を用いましたよ。」
「はい。」

「これらの技術は、中国・南北朝、高句麗や百済の文化の影響を多く受けたものですね。」
「そうなんだ。」

「小野妹子で有名な遣隋使たちが持ち帰った技術や、渡来人によって作られましたよ。」
「はい。」

「遣隋使と言えば、推古朝の倭国(わ國)が隋に派遣した朝貢使のことをいう。600年(推古8年)~618年(推古26年)の18年間に5回以上派遣されている。なお、日本という名称が使用されたのは遣唐使からである。」

「小野妹子と言えば、飛鳥時代の政治、外交家である。姓は臣。子に毛人・広人がいた。冠位は大徳冠。『日本書紀』によると大唐に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた。日本の通説では『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされる。」

「法隆寺は、西院伽藍と東院伽藍に分かれていますね。」
「はい。」

「東院伽藍と言えば、法隆寺の東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。『法隆寺東院縁起』によると、天平11年(739年)、斑鳩宮が荒廃しているのを見て嘆いた僧行信の創建である。回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。」

「西院伽藍と言えば、西院伽藍は南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置する。向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の回廊が囲む。回廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっている。回廊の途中、「凸」字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵がある。以上の伽藍を西院伽藍と呼んでいる。」

「有名な『五重塔』、『金堂』があるのは、西院伽藍ですね。」
「そうですね。」

「金堂と言えば、法隆寺の金堂は、入母屋造の二重仏堂である。桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみである。金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名/wiki/1949%E5%B9%B4なものであったが、1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損した。黒こげになった旧壁画(重文)と柱は現存しており、寺内大宝蔵院東側の収蔵庫に保管されているが、非公開である。」

「五重塔と言えば、法隆寺の五重塔は、木造五重塔として現存世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初層から四重目までの柱間は通例の三間だが、五重目のみ二間とする。」

「東院伽藍は、聖徳太子が住んでいた斑鳩宮の荒廃ぶりを嘆いた僧侶による後の寺院ですね。」
「そうなんですか。」

「東院伽藍と言えば、法隆寺の東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。『法隆寺東院縁起』によると、天平11年(739年)、斑鳩宮が荒廃しているのを見て嘆いた僧行信の創建である。回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。」

「しかし、どちらも素晴らしいものであることに変わりありませんね。」
「はい。」

「東院伽藍にも『夢殿』という国宝に指定されている建物がありますね。」
「はい。」

「夢殿と言えば、法隆寺の夢殿は、奈良時代の建立の八角円堂である。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。」

「しかし、法隆寺といえば五重塔ですよ。」
「そうなんだ。」

「五重塔というのは、仏塔の一種ですね。」
「はい。」

「五重塔と言えば、法隆寺の五重塔は、木造五重塔として現存世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初層から四重目までの柱間は通例の三間だが、五重目のみ二間とする。」

「仏塔とは、お釈迦様の遺骨(仏舎利)を祀るためのものですね。」
「はい。」

「法隆寺の五重塔は、日本で最も古いものですね。」
「そうですね。」

「五階建ての塔という意味ではなく、上ることはできませんね。」
「そうなんですか。」

「塔の内部は、耐震性を高めるために軒を支える木組が複雑にめぐらされていますよ。」
「はい。」

「塔が高いのは、境内に入ることができない一般人が遠くから参拝できるように、という思いが込められていますね。」
「そうなんですか。」

「金堂に安置されている仏像で有名なものと言えば、鞍作止利(くらつくりのとり)作と言われる『法隆寺金堂釈迦三尊像』ですね。」
「はい。」

「法隆寺金堂釈迦三尊像と言えば、623年、止利仏師作の光背銘を有する像で、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作である。図式的な衣文の処理、杏仁形(アーモンド形)の眼、アルカイックスマイル(古式の微笑)、太い耳朶(耳たぶ)、首に三道(3つのくびれ)を刻まない点など、後世の日本の仏像と異なった様式を示し、大陸風が顕著である。」

「鞍作止利(くらつくりのとり)と言えば、飛鳥時代の渡来系の仏師である。名は鳥とも記される。姓は村主。司馬達等の孫で、鞍部多須奈の子。子に福利・人足・真枝がいたとする系図があるcite_note-2。」

「これは、法隆寺の本尊であり、聖徳太子の冥福を祈るために造られたとされていますね。」
「そうなんだ。」

「聖徳太子と同じ頭身で造られていますよ。」
「はい。」

「この三体の仏像の特徴は、いずれも真正面を向いていて、脇侍菩薩像は背面が省略されていますよ。」
「そうなんですか。」

「脇侍菩薩像と言えば、脇侍(きょうじ・わきじ)は、仏教彫刻(仏像)や仏教絵画において、中尊(中央に位置し、信仰の中心となるほとけ)の左右に控える菩薩や明王、天などをいう。脇士・夾侍(きょうじ)、脇立(わきだち)ともいう。中尊の教化を補佐する役割をもつとされる。」

「正面から見ることだけを目的とされ、中国やギリシャ初期の彫刻と同様の様式ですね。」
「そうなんだ。」

「いわゆるアルカイックスマイル(唇が微笑み、目が三日月のような半眼)を浮かべていますね。」
「はい。」

「他にも、壁画がありましたが、これは1949年に火災で焼失しましたよ。」
「それは残念ですね。」

「模写作業の最中の不審火が原因でしたよ。」
「はい。」

「この事件をきっかけに『文化財保護法』が制定され、壁画が焼失した1月26日は『文化財防火デー』とされていますね。」
「そうなんだ。」

「法隆寺にある美しい(美しかった)宝といえば、玉虫厨子(たまむしのずし)ですね。」
「はい。」

「玉虫厨子(たまむしのずし)と言えば、飛鳥時代、もとは金堂に安置されていた、仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸の遺品として重要である。透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのはむずかしい。」

「これは文字通り、玉虫の羽を飾りに使った七色に輝く(輝いていた)厨子ですよ。」
「はい。」

「当時張られた玉虫の羽は、現在ではほとんど残っていませんよ。」
「そうなんですか。」

「数枚残るものから、さぞや綺麗に輝いていたことだろうと想像できますね。」
「そうですね。」

「ただ、少々不気味だと思ってしまうのは、現代人の感覚だからでしょうか。」
「はい。」

「当時、玉虫の羽は宝物でしたよ。」
「そうなんですか。」

「法隆寺は飛鳥文化を代表する建築物ですね。」
「はい。」

「奈良県を訪ねた際には、是非立ち寄ってください。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~紀伊山地の霊場と参詣道~

「日本国内には、12の世界遺産と4つの世界自然遺産がありますね。」
「はい。」

「その中で、「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年7月に国内10番目の世界遺産に登録されましたね。」
「はい。」

「国内では唯一の和歌山県、奈良県、三重県の3県にまたがる世界遺産ですね。」
「そうですね。」

「こちらは吉野・大峰、熊野三山、高野山の3つの霊場とその参詣道である熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道を登録したものですね。」
「はい。」

「高野山町石道と言えば、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道である。弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。」

「大峯奥駈道と言えば、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道である。2002年(平成14年)12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定された。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部です。」

「熊野参詣道と言えば、和歌山県伊都郡高野町・新宮市ほか、三重県北牟婁(きたむろ)郡紀北町ほか、奈良県吉野郡十津川村ほかにまたがる参詣道である。古代末期から近世、近代にいたるまで、皇族・貴族のみならず一般庶民や病苦の民衆までが、熊野本宮大社をはじめとする熊野三山への信仰と憧憬によって歩んだ古道で、わが国の歴史や社会・文化を知るうえで欠くことのできない貴重な交通遺跡とされている。」

「高野山と言えば、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称である。平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峰寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。」

「熊野三山と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称である。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E%E6%A8%A9%E7%8F%BE2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。」

「吉野・大峰と言えば、標高千数百メートル級の急峻な山々が続く修験道の聖地で、北部を「吉野」、南部を「大峯」と呼ぶ。既に10世紀中頃には、日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めた。「吉野」は修験の隆盛に伴い、開祖とされる「役行者」(7~8世紀頃)ゆかりの聖地として重視された。また、「大峯」は吉野と「熊野三山」とを結ぶ大峰山脈の総称である。」

「その一部は吉野熊野国立公園、高野龍神国定公園に含まれるため、自然豊かで山林も多く、景観がとても美しいですね。」
「そうなんですか。」

「高野龍神国定公園と言えば、和歌山県の高野山と龍神温泉一帯を中心とした山岳公園である。一部奈良県にも指定区域が広がる。1967年(昭和42年)3月23日指定。」

「吉野熊野国立公園と言えば、奈良県・三重県・和歌山県の紀伊半島3県に跨がる国立公園である。総面積59,793haで、その過半は奈良県に属する。1936年2月1日に指定された。」

「通常、「紀伊山地の霊場と参詣道」の旅とは、平安の世から続く熊野三社と言われる熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社の熊野巡り、開基1200年の真言密教の聖地で弘法大師信仰の本山高野山金剛峯寺、開基1400年を超える吉野金峯山寺などが有名ですね。」
「はい。」

「吉野金峯山寺と言えば、金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山である。本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角と伝える。金峯山寺の所在する吉野山は、古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。」

「高野山金剛峯寺と言えば、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院である。高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100ヶ寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が宗教活動の拠点とした寺であり、真言密教の聖地、また、弘法大師信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。」

「弘法大師と言えば、空海は、平安時代初期の僧である。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(しごう)(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。」

「真言密教と言えば、弘法大師空海によって開かれた真言密教は、神秘体験の宗教だといえる。神秘体験とは、言葉で説明できるものではなく、直接的に心を揺さぶる不思議な感覚としかいえない。肉眼では見えないし、耳には聞こえないけれども、それは厳然と在り、魂に響いてくる。」

「熊野速玉大社と言えば、和歌山県新宮市新宮1にある神社である。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。」

「熊野那智大社と言えば、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社である。熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。」

「熊野本宮大社と言えば、和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社である。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。」

「これらの著名な地は、全てのガイドブックに必ず記されていますよ。」
「はい。」

「少し違う視点から、「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録している歴史的施設や自然景勝をご紹介しましょう。」
「お願いします。」

「熊野三山は、その創建は紀元前と言われ、古事記や日本書紀にも記される古い宮ですね。」
「はい。」

「日本書紀と言えば、奈良時代に成立した日本の歴史書である。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王(とねりしんのう)らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全三十巻。系図一巻が付属したが失われた。」

「古事記と言えば、日本最古の歴史書である。その序によれば、712年(和銅5年)に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)(太安万侶とも表記)によって献上された。『古事記』の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わる。成立年代は、この写本の序に記された年月日による。内容は神代における天地(アメツチ)の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)を収録している。また、数多くの歌謡を含んでいる。」

「熊野三山と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称である。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。」

「神武天皇が高千穂より東征する時、当初大阪難波から上陸しましたが、大和の豪族ナガスネビコに破れましたよ。」
「はい。」

「大和の豪族ナガスネビコと言えば、大和は豪族ナガスネビコが支配しており、「全ての中心にある最も美しく富める国」といわれていました。」

「高千穂と言えば、日本神話においては、ニニギの天孫降臨の地とされている。またアマテラスがこもったとされる天岩戸が高千穂町内にある(もっとも、他地域にも天岩戸とされる岩は存在しており、必ずしもその岩が天岩戸と特定されているわけではない)。」

「神武天皇と言えば、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日とされる。神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。天皇が即位した月日は明治期に新暦に換算され、2月11日とされた。これにより、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、祝日とされた。」

「その後、紀伊半島を迂回して新宮より上陸し、熊野川沿いを熊野の山々を超え、吉野の山々を超えて吉野川上流にたどり着き、大和を制圧したというお話ですね。」
「そうなんですか。」

「吉野川と言えば、奈良県,紀伊山地の経ヶ峰付近を水源とする川である。和歌山県に入り紀ノ川となり紀淡海峡に注ぐ。長さ81キロメートル。」

「熊野川と言えば、奈良県、和歌山県および三重県を流れる新宮川水系の本流で一級河川である。下流の熊野本宮大社と熊野速玉大社間の流域は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。」

「新宮と言えば、新宮市(しんぐうし)は、和歌山県の南部、熊野川の河口に位置する都市である。旧東牟婁郡(ひがしむろぐん)。」

「その際、神武天皇は天照大神の使いとしてもたらされた八咫烏(やたがらす)の導きで大和にたどり着いたと言われていますね。」
「はい。」

「八咫烏(やたがらす)と言えば、日本神話において、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)である。一般的に3本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。」

「天照大神と言えば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神である。皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名。」

「八咫烏とは、3本の足を持つ神話上のカラスのことですね。」
「はい。」

「日本サッカー協会のシンボルマークと言えば、ご存知の方も多いでしょう。」
「そうなんですか。」

「熊野三山も、このやたがらすをシンボルマークにしていますよ。」
「はい。」

「熊野三山と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称である。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。」

「神武天皇とは初代天皇で、生祥は怪しいものですが、とりあえず紀元前8世紀から6世紀にかけての天皇ということになっていますよ。」
「はい。」

「神武天皇と言えば、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇(古事記、日本書紀による)。日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日とされる。神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。天皇が即位した月日は明治期に新暦に換算され、2月11日とされた。これにより、2月11日は日本が建国された日として、明治6年(1873年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は昭和23年(1948年)に廃止されたものの、昭和42年(1967年)には建国記念の日として、祝日とされた。」

「日本書紀では、天照大神から数えること5代目の神の子ということになっていますね。」
「そうなんですか。」

「天照大神と言えば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神である。皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名。」

「日本書紀と言えば、奈良時代に成立した日本の歴史書である。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王(とねりしんのう)らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全三十巻。系図一巻が付属したが失われた。」

「したがって、熊野三山がこの世界遺産の中では最も古いものと思いがちですね。」
「はい。」

「しかし、実はここには日本最古の神社が含まれていますよ。」
「それは何ですか?」

「それが、三重県の熊野灘に面した七里御浜にある花の窟神社ですよ。」
「そうなんですか。」

「花の窟神社と言えば、花窟神社(花の窟神社、はなのいわやじんじゃ)は三重県熊野市有馬町に所在する神社である。伊弉冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る。」

「七里御浜と言えば、三重県熊野市から紀宝町にかけて熊野灘に面した浜である。日本の渚百選、日本の白砂青松百選、21世紀に残したい日本の自然百選の一つ。吉野熊野国立公園の一部。また、熊野古道伊勢路の一部。」

「三重県の熊野灘と言えば、フィリピン海(北西太平洋)のうち、日本の紀伊半島南端の和歌山県の潮岬から三重県大王崎にかけての海域の名称である。」

「元々は天照大神の母伊弉冊尊の墓所でしたよ。」
「はい。」

「天照大神と言えば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神である。皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名。」

「明治になってから神社格に変更されたものですね。」
「そうなんだ。」

「日本古来と言われる鳥居と社殿を基本とした神宮や神社と違い、伊弉冊尊を葬った山そのものが神社という、日本ではまず見ない形式の神社ですね。」
「そうなんですか。」

「日本神社と言っても国内の殆どの神社は、源氏など生き死に人を神に祭り上げて神社や宮としたものが多いですね。」
「はい。」

「花の窟神社は、日本の仏教的要素も隣国支那的要素も一切持たない誠の日本古来の神社、正真正銘の神を祀った神社と言ってもよいでしょう。」
「そうなんだ。」

「花の窟神社は、この世界遺産の中でも最も僻地にありますね。」
「はい。」

「そのため、訪れる人も希なとても穴場的な遺跡ですよ。」
「そうなんだ。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~原爆ドーム~

「原爆ドームは、大正4年1915年に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられましたよ。」
「はい。」

「原爆ドームと言えば、原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれている。」

「設立当初は、 「広島県物産陳列館」という名称でしたよ。」
「はい。」

「昭和8年には「広島県産業奨励館」に改称されていますよ。」
「そうなんだ。」

「平成8年12月に核兵器の惨禍を伝える建築物として、日本の原爆ドームは世界遺産に登録されましたね。」
「はい。」

「日本に住んでいる方は、特に原爆ドームを見学すれば原爆ドームが語る戦争のおぞましさ、そして核兵器を廃絶しなければならないと言う気持ちになるでしょう。」
「そうですね。」

「原爆ドームは、日本や世界の他の地域の世界遺産とは大きく意味合いが異なりますね。」
「はい。」

「戦争のむごさと世界平和の象徴という二面性を持っていますね。」
「はい。」

「まぁ、テレビや教科書などを通じて原爆ドームを見ることはたくさんありましたね。」
「それはそうでしょうね。」

「原爆ドームを訪れたのは、世界遺産に登録された後のことでしたね。」
「はい。」

「原爆ドーム近くの平和公園の中を歩いて原爆ドームへ向かいましたよ。」
「はい。」

「日本からの観光客や外国人の観光客に混じり慰霊碑の前では、日本の戦争で原爆で亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に平和な時代が続続くことをお祈りしましたよ。」
「そうなんだ。」

「徐々に世界遺産に登録された原爆ドーム全体が見えてきましたよ。」
「はい。」

「原爆ドームの周りに大きな建物が建っているので、ある種独特の雰囲気がありますよ。」
「はい。」

「日本の中で起きてしまったむごい事実を、今でも私たちに語りかけ続けているような気になりましたよ。」
「はい。」

「原爆ドームが世界遺産として登録されたのは当然だろうと思いますね。」
「そうですね。」

「なお、この原爆ドームは当時としては、かなりモダンな建物であったそうですよ。」
「そうなんですか。」

「原爆ドームは、1945年8月6日午前8時15分にアメリカ軍のB-29エノラ・ゲイが投下した原子爆弾によってこのような姿に変わってしまいましたよ。」
「残念ですね。」

「B-29エノラ・ゲイと言えば、エノラ・ゲイは、太平洋戦争末期に運用されたアメリカ陸軍航空軍第509混成部隊第393爆撃戦隊所属のB-29の機名である。B-29の中で原爆投下用の改造(シルバープレート形態)が施された15機の内の1機である。ビクターナンバー82、機体番号44-86292号機。1945年8月6日午前8時15分に広島県広島市に原子爆弾(原爆)「リトルボーイ」を投下したことで知られる。」

「同時に、原爆ドームの周囲では多くの日本の方々が亡くなったかと思うと目頭が熱くなってきますね。」
「はい。」

「一方で3000℃にも達したという熱線によくこの原爆ドームは耐えたのだと感動しますね。」
「はい。」

「原爆ドームの前に立つと、原子爆弾の破壊力の凄まじさが本当によく解りますね。」
「そうですね。」

「日本に住んでいると、今は本当に平和で戦争のことは過去のこととして忘れがちですね。」
「はい。」

「原爆ドームを訪れていない方は是非訪問されて、今一度日本であった戦争の事実や原爆の酷さ、そして核廃絶の必至を噛みしめられても良いと思いますよ。」
「わかりました。」

「日本だけではなく世界の人にもそう思って欲しいので、原爆ドームが世界遺産に登録されたのは本当に良かったですね。」
「はい。」

「ただし、原爆ドームが世界遺産に登録される前には、原爆を投下した当事者のアメリカは登録に反対し、中国は未だに日本は戦争への反省が足りないとして棄権しましたよ。」
「そうなんですか。」

「原爆ドームが世界遺産に登録されたお陰かどうかは分かりませんが、原爆ドーム周辺や平和記念資料館で非常に多くの外国人観光客の姿を見かけましたよ。」
「はい。」

「日本には、外国人が好む多くの観光地がありますね。」
「そうですね。」

「世界遺産に登録されたことが功を奏し、日本だけではなく原爆ドームに足を運ぶ外国人が増えたのであれば、結果として世界遺産に登録されたことは日本にとっても世界にとっても良いことだと思いますね。」
「はい。」

「日本を始め世界に対し核兵器の恐ろしさを知って貰い、間違っても核兵器が使用されることが無い世界を築いていく必要がありますね。」
「はい。」

「そのために、日本に住んでいる皆さんはもとより世界中のたくさんの方が世界遺産に登録された原爆ドームの見学のために訪れることを期待します。」
「そうですね。」





日本の世界遺産と人気のある観光地~小笠原諸島~

「日本の東京都に属する小笠原諸島が、2011年6月に世界遺産に登録されましたね。」
「はい。」

「小笠原諸島と言えば、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104平方km。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。」

「小笠原諸島は、南北に渡る400kmあまりに散在する島々の総称ですね。」
「はい。」

「父島、母島、聟島の3列島による小笠原群島、火山硫黄列島及び周辺孤立島で構成されていますね。」
「そうなんだ。」

「聟島と言えば、聟島(むこじま)は、東京都小笠原村にある無人島である。小笠原諸島のうち最北に位置する聟島列島の主島である。別名に、ケーター島、平島など。面積2.57平方km。父島から船で所要約2時間。南東約5kmの地点に媒島(なこうどじま)がある。」

「母島と言えば、小笠原諸島の島である。周囲の姉島、妹島などの島とともに母島列島を形成する。東京都小笠原村所属。小笠原村で一般住民が居住するのは父島とこの母島だけである。」

「父島と言えば、東京都・小笠原諸島の島である。小笠原諸島最大の島であり、周囲の兄島、弟島などの島とともに父島列島を形成する。一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島で、多くの固有種が存在する。島全体が小笠原国立公園に指定されている。」

「世界遺産は、世界人類共通の宝として、将来の世代に受け継いでいくべきものと認められる財産を言い、文化遺産と自然遺産の2種類がありますね。」
「はい。」

「小笠原諸島が認定されたのは、世界自然遺産になりますね。」
「はい。」

「自然遺産として登録されるには、「地形・地質」「生態系」「自然景観」「生物多様性」の4つの評価基準において、いずれかを満たさなければなりませんね。」
「そうなんだ。」

「日本の小笠原諸島においては、このうち「地形・地質」「生態系」「生物多様性」の3つについて高い評価を受け、世界遺産の仲間入りを果たしましたよ。」
「はい。」

「小笠原群島の地形・地質は、約4800万年~4400万年前に形成されたと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「1つの特徴であるボニナイトは、特殊な安山岩の一種ですね。」
「はい。」

「ボニナイトと言えば、無人岩(むにんがん、ぶにんがん、boninite、ボニナイト)は、小笠原諸島の父島などに産し、SiO2 > 52%, MgO > 8%, TiO2 < 0.5%の化学組成を有する特殊な火山岩である。斜長石を全く含まず、石基はガラス質。」 「海底火山の衝突によって隆起し、陸地化して大規模に露出しており、地上で容易に観察することができますよ。」 「はい。」 「このようにはっきりと見え、良い状態で保存されているのは世界的にも珍しいことですね。」 「そうなんですか。」 「一部ではカルスト地形が見られますよ。」 「はい。」 「カルスト地形と言えば、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形を含む)である。化学的には、空気中の二酸化炭素を消費する自然現象である。」 「これは、石灰岩が侵食されたり風化されてできたものですね。」 「はい。」 「中でも、ラピエと呼ばれる鋭くとがった岩や、ドリーネと呼ばれるすり鉢状になった窪地が、自然の神秘を感じさせ、美しい光景として眺めることができますね。」 「そうなんだ。」 「ドリーネと呼ばれるすり鉢状になった窪地と言えば、南島は「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形で「ドリーネ」というくぼ地や「ラピエ」という鋭くとがった岩が見られる父島南西沖の小さな無人島です。」 「ラピエと呼ばれる鋭くとがった岩と言えば、南島は「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形で「ドリーネ」というくぼ地や「ラピエ」という鋭くとがった岩が見られる父島南西沖の小さな無人島です。」 「次に生態系ですが、日本の中でも珍しく亜熱帯気候に属し、年間を通じて温暖で、平均気温は23度ほどありますよ。」 「はい。」 「年間の降水量は、1280mmと比較的乾燥していると言えますね。」 「はい。」 「ここで暮らす生物たちは、その昔、なんらかの方法で島に流れ着いて定着した生物の子孫に当たりますね。」 「そうなんだ。」 「その中から、日本の小笠原諸島の固有種として進化する生物も現れ、東洋のガラパゴスと称されることもありますよ。」 「はい。」 「昆虫のキノボリカタマイマイ、鳥類のクロアシアホウドリ、メグロ、植物ではオオハマギキョウやヘラナレン等を見ることができますよ。」 「はい。」 「ヘラナレンと言えば、キク科アゼトウナ属の常緑小低木である。」 「オオハマギキョウと言えば、主に東島、母島とその属島に自生するキキョウ科の固有植物である。他の植物が生えないような海岸近くの崖や日当たりの良い草地に好んで生えます。 多年生草本ながら、見かけは木本のように太い茎があり、樹高も2~3m程になります。」 「メグロと言えば、動物界脊椎動物門鳥網スズメ目メジロ科メグロ属に分類される鳥類である。本種のみでメグロ属を形成する。」 「鳥類のクロアシアホウドリと言えば、動物界脊椎動物門鳥網ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属に分類される鳥類である。」 「世界的に絶滅危惧種であるアホウドリ類も暮らしていますよ。」 「そうなんですか。」 「小笠原の海には、アオウミガメ、ミナミバンドウイルカの他、固有種のオビシメやミナミイカナゴが生息していますよ。」 「はい。」 「ミナミバンドウイルカと言えば、ハンドウイルカ属は、クジラ目ハクジラ亜目マイルカ科ハンドウイルカ属に属するイルカである。ミナミバンドウイルカとも呼ばれる。」 「アオウミガメと言えば、動物界脊椎動物門爬虫網カメ目ウミガメ科に分類されるカメである。」 「このように多様な生物が暮らす小笠原諸島では、今ある生物たちの暮らしを守り続けると同時に、外来種が入り込まないよう保護していく必要がありますね。」 「はい。」 「世界遺産小笠原に行くには、現在、船しかありませんね。」 「そうですね。」 「東京港の竹芝客船ターミナルを出港し、約1日ちょっとかけて父島へと向かいますね。」 「はい。」 「父島と言えば、東京都・小笠原諸島の島である。小笠原諸島最大の島であり、周囲の兄島、弟島などの島とともに父島列島を形成する。一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島で、多くの固有種が存在する。島全体が小笠原国立公園に指定されている。」 「通常は1週間に1便、観光シーズンは3日に1便程度が出航していますよ。」 「はい。」 「母島へは父島より船で2時間ほどで行くことができますよ。」 「そうなんだ。」 「母島と言えば、小笠原諸島の島である。周囲の姉島、妹島などの島とともに母島列島を形成する。東京都小笠原村所属。小笠原村で一般住民が居住するのは父島とこの母島だけである。」 「日本の東京都でありながら、少し遠い神秘の自然が残る場所へ、一度は訪れてみたいものですね。」 「そうですね。」



日本の世界遺産と人気のある観光地~琉球王国のグスク及び関連遺産群~

「日本は、「世界遺産」が多い国ですね。」
「はい。」

「歴史的建造物が日本の世界遺産になったり、自然も世界遺産になる国ですね。」
「はい。」

「琉球王国の歴史を感じる事ができる、沖縄の「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」についてご紹介します。」
「お願いします。」

「琉球王国のグスクと言えば、琉球王国のグスク及び関連遺産群は、沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成されるユネスコの世界遺産(文化遺産)である。2000年に日本で11件目の世界遺産として登録された。なお、各グスクの登録の名称は「じょうあと」で、「ぐすくあと」、「じょうせき」とはしていない。」

「琉球王国と言えば、1429年から1879年の450年間、沖縄本島を中心に存在した王国である。当時、正式には琉球國(琉球語(琉球方言):ルーチュークク)と称した。最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。」

「琉球王国のグスクは、日本の沖縄県にありますね。」
「はい。」

「最近では修学旅行に沖縄を訪れる学生も多く、こちらに行かれた方も多いと思われます。」
「はい。」

「琉球王国のグスク及び関連遺跡群は今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽などがありますね。」
「いろいろありますね。」

「斎場御嶽と言えば、斎場御嶽(せーふぁうたき/サイハノうたき)は現在の沖縄県南城市(旧知念村)にある史跡である。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。」

「識名園と言えば、識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つである。識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれた。造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(しょうぼく)(在位・1752年 - 1795年)の時代に始まったと言われるが定かではない。完成は尚温の時代の1799年。」

「玉陵と言えば、玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓である。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。」

「園比屋武御嶽石門と言えば、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽で、沖縄県那覇市首里真和志町一丁目に位置する。沖縄県指定史跡。首里城歓会門と守礼門との間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がこの御嶽の礼拝所である。」

「首里城跡と言えば、首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城である。2000年(平成12年)には「首里城跡」(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の名称で世界遺産に登録された。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(100番)に選定された。」

「中城城跡と言えば、中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城である。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。」

「勝連城跡と言えば、勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあるグスク(城)である。阿麻和利の城として知られている。2000年(平成12年)11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺跡群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は勝連城跡)。」

「座喜味城跡と言えば、座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあるグスク(城)である。2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺跡群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は座喜味城跡)。」

「今帰仁城跡と言えば、今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。国の史跡に指定されている。」

「特に、首里城跡はかつて沖縄が琉球と呼ばれた時代は重要な役割がありましたね。」
「はい。」

「琉球王朝のお話を扱った時代小説は、今日でも多くの方に愛されていますね。」
「はい。」

「日本の時代劇や映画になることも多いですね。」
「そうですね。」

「その時のロケ地や舞台に琉球王国のグスクが使用され、ドラマの中で首里城を見かけることも多いですね。」
「はい。」

「首里城は、王家の居城として使用されていましたよ。」
「はい。」

「歴史ファンの人にとっても、魅力的な場所ですね。」
「そうですね。」

「日本にもたくさんのお城がありますね。」
「はい。」

「琉球のお城は、日本の本土にある戦国武将が建てたお城とは大きく異なっていますよ。」
「どう違うのですか?」

「琉球ならではの豪華で美しく、華やかなお城は多くの方の興味を引きますね。」
「はい。」

「こうした美しさに、琉球らしさを思い浮かべることもできますね。」
「はい。」

「琉球文化は、中国の影響を大きく受けていますね。」
「そうですね。」

「歴史的にも宦官制度などが取り入れられていたほどですよ。」
「そうなんですか。」

「宦官制度と言えば、中国には日本人からすると極めて奇異な感じのする宦官(去勢された官吏)制度があった。宦官(かんがん)とは、去勢を施された官吏である。「宦」は「宀」と「臣」とに従う会意文字で、その原義は「神に仕える奴隷」であったが、時代が下るに連れて王の宮廟に仕える者の意味となり、禁中では去勢された者を用いたため、彼らを「宦官」と呼ぶようになった。」

「首里城など琉球のグスク及び関連遺跡群も中国の文化の影響を受けていますね。」
「はい。」

「構造的にも、中国の紫禁城に似ていますね。」
「そうなんですか。」

「中国の紫禁城と言えば、紫禁城(しきんじょう)または故宮(こきゅう)は、中華人民共和国北京市に所在する明清朝の旧王宮である歴史的建造物である。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000平方mあり、世界最大の宮殿の遺構である。別称の故宮とは「古い宮殿、昔の宮殿」という意味で、現在は博物館(故宮博物院♯中国 北京市)になっている。」

「琉球王国時代は、軍事目的よりも政治のための場所とされていたようですね。」
「はい。」

「琉球王国時代は、薩摩藩(現在の鹿児島県)の支配下にあった琉球ですよ。」
「はい。」

「薩摩藩と言えば、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩である。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、沖縄県の大部分を服属させた。」

「首里城は薩摩藩の接待のために使われることも多く、薩摩藩を接待する為の専用の部屋がありましたよ。」
「そうなんですか。」

「薩摩藩の接待のための部屋は、日本式になっているとも言われていますよ。」
「はい。」

「復元された正殿内部の玉座もあり、当時の王が座っていたことをイメージするのも楽しい見学方法だと思われますよ。」
「そうですね。」

「内部の王座周辺には当時の琉球文化や首里城についての説明のパネルもありますよ。」
「はい。」

「ゆっくり歩いて見学されるのがおススメですね。」
「わかりました。」

「首里城は政治の拠点であると共に聖域でもありましたよ。」
「どういうことですか?」

「琉球には、聞得大君などの神女もいましたよ。」
「はい。」

「聞得大君と言えば、聞得大君(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ、チフィジン)とは、琉球神道における最高神女(ノロ)である。聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王のおなり神に位置づけられ、国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、主に王族の女性が任命されている。琉球全土の祝女の頂点に立つ存在であり、命令権限を持った。」

「沖縄は、日本で唯一の熱帯地帯ですね。」
「はい。」

「いつでも観光が楽しめるので、多くの日本や海外観光客を見かけますね。」
「はい。」

「最近では、沖縄の日本世界遺産を楽しむツアーも格安でありますよ。」
「そうですね。」

「今後も、琉球王国のグスクは多くの方が訪れると思われますね。」
「わかりました。」

日本の世界遺産と寺社や建築物~中尊寺・毛越寺・白川郷・五箇山の合掌造り集落・古都京都の文化財・古都奈良の文化財・日光の社寺・白神山地・知床~

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日本 世界遺産 寺社 建築物

日本の世界遺産と人気のある観光地~屋久島・厳島神社・姫路城・法隆寺・紀伊山地の霊場と参詣道・原爆ドーム・小笠原諸島・琉球王国のグスク及び関連遺産群~

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日本 世界遺産 人気 観光地

世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~

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