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日本の世界遺産と寺社や建築物~中尊寺・毛越寺・白川郷・五箇山の合掌造り集落・古都京都の文化財・古都奈良の文化財・日光の社寺・白神山地・知床~





日本 世界遺産 寺社 建築物

日本の世界遺産と寺社や建築物

「日本列島を揺るがした2011年3月は、東日本大震災が起きた月でもありますね。」
「そうですね。」

「多数の人が津波に飲み込まれて犠牲になりましたね。」
「はい。」

「福島県の原発問題など、暗いニュースが飛び交いましたね。」
「そうですね。」

「しかし、そんな日本に世界各地から応援の熱い思いがぎっしり詰まったメッセージが届きましたね。」
「はい。」

「このことがきっかけで、日本だけでなく、世界のみんなの心が一つになった様子が伝わってきましたね。」
「はい。」

「世界中から支援の声があげられた中、東北に画期的なニュースが舞い込んできますね。」
「それは何でしたか?」

「皆さんも記憶に新しい、世界遺産登録のニュースですよ。」
「そうでしたかね。」

「2011年6月、世界文化遺産登録を受け、世界遺産として正式登録された岩手県西磐井郡平泉町にある「中尊寺」や「毛越寺」から構成される「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の世界遺産ですよ。」
「はい。」

「毛越寺と言えば、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院である。開山は円仁(慈覚大師)と伝える。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩である。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一つとして世界遺産に登録されており、境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されている。」

「中尊寺と言えば、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院である。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一つとして世界遺産に登録されており、「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。」

「岩手県西磐井郡平泉町と言えば、岩手県南西部に位置する町である。平安時代末期に奥州藤原氏の本拠地があった町として有名である。当時は平安京に次ぐ大都市として栄えた。現在でも、中尊寺や毛越寺(もうつうじ)などの遺跡から、当時の繁栄を偲ぶことができる。」

「3000余点に及ぶ、金色堂や日本の国宝・重要文化財が保存されているお寺でもありますよ。」
「はい。」

「日本には多くの世界遺産があり、その数は現在(2012年)、16個ありますね。」
「そうですね。」

「西日本側に多いですが、四国地方を除く全ての地方に世界遺産は分散していますよ。」
「そうですね。」

「ここでご紹介する世界遺産は、そのうちの「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」、「白川郷五箇山の合掌造り集落」、「古都京都の文化財」、「古都奈良の文化財」、「日光の社寺」、「白神山地」、「知床」の世界遺産ですよ。」
「はい。」

「富山県五箇山(ごかやま)と言えば、五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す。赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。五箇山の合掌造りの屋根は茅葺である。」

「自然遺産の知床と言えば、2005年ユネスコの世界遺産に登録された。北海道の東端にあるオホーツク海に面した知床半島と、その沿岸海域が登録の対象となっている。半島中央部は、千島火山帯が貫き、海岸線は荒く海に削られた地域である。冬には世界で最も南端に接岸する流氷が訪れる。この流氷により大量のプランクトン、サケなどの豊富な魚介類が生息する。」

「白神山地と言えば、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。白神山地は、屋久島とならんで1993年(平成5)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)している。」

「「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産でもある毛越寺は、人気が高く、松尾芭蕉が「夏草や つはものどもが 夢のあと」と読んだ地として知られていますよ。」
「そうですね。」

「松尾芭蕉と言えば、江戸時代の俳人である。自筆署名では「はせを」と表記する。別号に桃青、風羅坊。俳聖と称される。」

「平泉の毛越寺から1キロほど北上した所には、中尊寺金色堂もありますよ。」
「はい。」

「中尊寺金色堂と言えば、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。」

「距離も近いので、中尊寺と毛越寺はセットで訪れたいですね。」
「はい。」

「「白川郷五箇山の合掌造り集落」は、岐阜県の飛騨西部と富山県の南西端の地域にある合掌造りの建物で有名な秘境として知られていますね。」
「そうですね。」

「富山県五箇山(ごかやま)と言えば、五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す。赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。五箇山の合掌造りの屋根は茅葺である。」

「岐阜県の飛騨と言えば、飛騨市(ひだし)は、岐阜県の最北端に位置する市である。この市名については、旧飛騨国の中心部を占める高山市との激しい対立があった。」

「合掌造りの建物と言えば、日本の住宅建築様式の一つである。急勾配の屋根を持つことがしばしばであるが、現存する合掌造りの屋根は45度から60度まで、傾きにかなりの幅がある。合掌造りの定義自体が一様ではないが、日本政府が白川郷と画家山の集落をユネスコの世界遺産に推薦した時には、「小屋内を積極的に利用するために、叉首構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋」と定義づけた。」

「一歩この地に足を踏み入れると、まるで昔話の世界に迷い込んだかの様な気持ちになることでしょう。」
「そうなんですか。」

「この地を訪れた際、世界遺産の合掌造りの建物に泊まってみるのも良い経験ですよ。」
「そんなことができるんですか?」

「古都京都の文化財は、1994年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「京都の名だたる神社、寺院、二条城などから構成されていますよ。」
「はい。」

「二条城と言えば、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは、徳川氏によるものである。城跡全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。」

「京都は、古くから日本の中心地として栄えましたね。」
「そうですね。」

「世界遺産登録以前から情緒ある街並みを有する京都は、現在も国内外の旅行客に非常に人気がある観光スポットですね。」
「はい。」

「京都と並んで人気のある観光地奈良も、古都奈良の文化財として世界遺産登録され、有名どころの寺院が名を連ねていますね。」
「はい。」

「「奈良の大仏」で親しまれている地でもあり、現在も修学旅行の定番スポットになっていますよ。」
「そうですね。」

「奈良の大仏と言えば、東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)である。一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、大仏は中世、近世に焼損したため大部分が補修されており、建立当時の部分はごく一部である。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。」

「奈良公園では国の天然記念物の鹿がおり、季節により鹿の角切りなどのイベントが行われていますよ。」
「はい。」

「世界遺産日光の社寺は、サルが多く生息する地として有名な栃木県日光市にありますね。」
「はい。」

「栃木県日光市と言えば、関東地方の北部、栃木県の北西部に位置する市である。古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、江戸時代に徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、日光東照宮の門前町として参拝客で賑わった。」

「秋には紅葉を見に多くの観光客が訪れるこの地は、日本文化遺産として10番目に世界遺産に登録された地ですよ。」
「そうなんだ。」

「日光東照宮、日光山輪王寺、二荒山神社の二社一寺のお参りは欠かすことができませんよ。」
「そうですね。」

「二荒山神社と言えば、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社である。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。正式名称は「二荒山神社」であるが、宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と呼ばれる。古くは「日光三社権現」と称された。」

「日光山輪王寺と言えば、栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。」

「日光東照宮と言えば、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社である。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。」

「日本初の自然遺産として登録された、白神山地は青森県と秋田県に広がる雄大な自然を誇る山地で非常に見ごたえがありますよ。」
「はい。」

「白神山地と言えば、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。白神山地は、屋久島とならんで1993年(平成5)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)している。」

「東北の厳しい冬を乗り越え、ブナの原生林が世界最大級の規模で広がっていますよ。」
「そうなんですか。」

「ブナの原生林と言えば、ブナは北海道北南西部から九州の大隅半島まで生息する落葉樹で、200年~250年生きると言われています。日本に分布しているのはイヌブナとブナの2種類ありますが、冬の寒さが厳しい白神山地に生息しているのはブナです。」

「知床も又、2005年に世界遺産登録された3番目の自然遺産ですね。」
「はい。」

「この登録がきっかけで知床へ足を運ぶ人は一気に増え、周囲には宿泊施設も目立ち始めましたよ。」
「そうなんだ。」

「まだまだ手付かずの自然に囲まれた地帯であり、又本土では確認できない、貴重な植物や動物もたくさん生息していますよ。」
「はい。」

「日本ではあるものの、日本ではないような・・・そんな地帯ですね。」
「そうなんですか。」

「日本には数多くの見所あふれる世界遺産の地域がありますよ。」
「はい。」

「日本人の精巧な技術は、世界でもトップクラスですよ。」
「そうですね。」

「細やかな気遣いが行き届いた建築物は、海外の観光客からも絶賛の声があがっていますよ。」
「そうなんだ。」

「日本を訪れる観光客は、今後ますます増えると見込まれていますよ。」
「はい。」

「世界遺産の観光だけでなく語学習得なども含めて、観光客が訪れやすい国であってほしいものですね。」
「そうですね。」

「海外の世界遺産もいいですが、まずは日本から知ることも大事ですよ。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~中尊寺~

「中尊寺と言うと、金色堂が大変有名ですね。」
「そうですね。」

「中尊寺と言えば、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院である。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一つとして世界遺産に登録されており、「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。」

「京都にある金閣寺と並んで、お堂全体がまばゆい金色に輝く、たいへん豪華絢爛な建築物ですね。」
「はい。」

「この有名なお堂を含む『中尊寺』が世界文化遺産に指定されたのは、2011年6月ですね。」
「はい。」

「元々は、平泉地区全体を登録しようとし――京都に大いに影響を受けていました――その後、浄土思想を基調とする文化的景観としての登録を試みましたよ。」
「そうなんですか。」

「浄土思想と言えば、浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教えで、「浄土門」、「浄土思想」とも言う。また「阿弥陀信仰」とは、阿弥陀仏を対象とする信仰を言う。「浄土信仰」とも。浄土といえば一般に阿弥陀仏の「西方極楽浄土」をさす。」

「しかし、現在の登録は『文化的景観』ではありませんよ。」
「どういうことですか?」

「実は、かの有名なマルコ・ポーロが『東方見聞録』にて、日本のことを『黄金の国・ジパング』と表現したのは、中尊寺金色堂を見たことがきっかけでしたよ。」
「なるほど。」

「東方見聞録と言えば、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である。マルコもルスティケロもイタリア人であるが、本書は古フランス語で採録された。日本においては一般的に『東方見聞録』という名で知られており、『世界の記述』("La Description du Monde")とも呼ばれる。」

「マルコ・ポーロと言えば、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Divisement dou monde)』)を口述した冒険家でもある。」

「中尊寺金色堂と言えば、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。」

「日本は世界遺産委員会にその点を強調し、その結果2011年に世界遺産として正式に認められましたよ。」
「はい。」

「中尊寺は、平泉駅からおよそ1キロほど北の山の上に建てられた寺院ですよ。」
「はい。」

「比叡山延暦寺の慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)によって開山されましたよ。」
「そうなんですか。」

「慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)と言えば、円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主である。慈覚大師(じかくだいし)とも言う。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。」

「比叡山延暦寺と言えば、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。」

「天台宗東北大本山にあたり、奥州三十三官能番外札所となっていますよ。」
「はい。」

「天台宗と言えば、大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華教(法華経)を根本経典とする天台教学に基づく。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期に日本に伝えられた。」

「奥州三十三官能番外札所と言えば、中尊寺は天台宗東北大本山の寺院であり、奥州三十三観音番外札所である。」

「天台宗東北大本山と言えば、中尊寺は岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院である。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。」

「山号は関山といい、御本尊は阿弥陀如来ですね。」
「はい。」

「阿弥陀如来と言えば、大乗仏教の如来の一つである。梵名は「アミターバ」(Amitabha)、あるいは「アミターユス」 ( Amitayus)といい、それを「阿弥陀」と音写する。「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。」

「山号と言えば、仏教の寺院に付ける称号である。寺院によっては付けていない所もあり、付けている場合についても、その寺院が所在する山の名称を付けている場合と、医王山や鶴林山のように、所在地とは関係のない、仏教用語を山号として付けている場合がある。」

「寺伝によると、嘉祥三年(850年)開山、その後貞観元年(859年)に精和天皇より『中尊寺』の名を賜ったとされていますよ。」
「そうなんだ。」

「正式な史料は残っていませんよ。」
「そうなんですか。」

「事実上、奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)が12世紀初頭に建立した、釈迦如来と多宝如来を祀る『多宝寺』が中尊寺の始まりとされていますね。」
「はい。」

「多宝寺と言えば、日本各地の仏教寺院である。」

「多宝如来と言えば、仏教の信仰対象である如来の1つである。サンスクリットではプラブータ・ラトナ Prabhuta-ratnaと言い、「多宝」は意訳である。法華経に登場する、東方の宝浄国の教主。釈尊の説法を賛嘆した仏である。多宝塔に安置したり、多宝塔の両隣に釈迦牟尼仏と合わせて本尊(一塔両尊)にしたりする。」

「釈迦如来と言えば、釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏は、仏教の開祖釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を、仏(仏陀)として敬う呼び方である。」

「奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)と言えば、平安時代後期の武将で奥州藤原氏の祖である。陸奥国(後の磐城国)亘理の豪族亘理経清と、安倍頼時の娘の有加一乃末陪の間の子として生まれる。」

「奥州藤原氏と言えば、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族である。天慶の乱を鎮めた藤原秀郷の子孫を称した。」

「前九年・後三年の役で亡くなった人々を弔うために、四十を超えるお堂や塔が建立・整備され、僧侶が寝泊まりする宿舎(僧帽)が三百以上存在していましたよ。」
「多いですね。」

「14世紀におきた火災で、多くの建物を焼失しましたよ。」
「そうなんですか。」

「現在でも、三千点以上の国宝や重要文化財が残されていますよ。」
「たくさん残っているんですね。」

「奥州藤原氏とは、寛治元年(1087年)~文治5年(1189年)の約百年の間平泉を中心に東北地方を支配していた豪族ですね。」
「そうなんだ。」

「天慶の乱を鎮めた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫で、源頼朝に滅ぼされるまでの権勢はすさまじかったと言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と言えば、平安時代中期の貴族・武将である。室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山の百足退治の伝説で有名。」

「天慶の乱と言えば、①天慶2年(939年)に関東と瀬戸内海で起きた平将門の乱と藤原純友の乱の総称。(承平天慶の乱)②天慶2年4月(939年5月)に出羽国の俘囚(ふしゅう)が起こした反乱。(天慶の乱(出羽国))」

「なお、2012年の大河ドラマ『平清盛』にも関係がありますよ。」
「どういうことですか?」

「兄・頼朝に追いやられた義経が難を逃れた地が平泉ですね。」
「はい。」

「大河ドラマファンの方は、要チェックですね。」
「はい。」

「それでは、中尊寺の見所を順番に紹介していきましょう。」
「お願いします。」

「月見坂についてですが、月見坂は、中尊寺の入り口から約八百メートルほど続く参道ですね。」
「はい。」

「月見坂と言えば、中尊寺の表参道を月見坂といいます。」

「入口には、巨大な石碑が建てられていますよ。」
「はい。」

「石碑の脇には石像と桜があり、記念撮影をされる方が多いようですね。」
「そうなんだ。」

「ここで山を見上げると、絶句してしまうほどの傾斜の坂が続いていますよ。」
「そうなんですか。」

「月見坂の入ってからおおよそ三百メートルほどは、体の弱い方やヒール付きの靴では上り下りできないほどの凄まじい坂道ですよ。」
「はい。」

「一応ロープが張ってあり、主に下りる方が掴んでいらっしゃいましたね。」
「はい。」

「かなり足腰に堪えますよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、ところどころに軽く休憩できるベンチがありますのでご安心くださいね。」
「助かります。」

「坂の一番辛い部分を登りきった辺りから、両側が樹齢が二百年以上の杉に挟まれますよ。」
「はい。」

「まるで緑のトンネルを歩いているようで風情がありますね。」
「はい。」

「これは、江戸時代に平泉を治めていた伊達氏が植えたものですよ。」
「そうなんだ。」

「江戸時代に平泉を治めていた伊達氏と言えば、中尊寺の表参道を月見坂といいます。道の両側には、江戸時代に平泉を治めていた伊達藩によって植樹された樹齢300~400年ほどの杉の並木が続き、歴史の長さを物語ってくれます。」

「非常に気持ちが良くなりますよ。」
「はい。」

「本堂についてですが、月見坂を登りきり、左手に数多くの小さな寺社を過ぎると、右手に大きな門が見えてきますよ。」
「はい。」

「ここが、中尊寺の本堂ですよ。」
「はい。」

「ここに、上記の阿弥陀如来が祀られていますよ。」
「そうなんだ。」

「阿弥陀如来と言えば、大乗仏教の如来の一つである。梵名は「アミターバ」(Amitabha)、あるいは「アミターユス」 ( Amitayus)といい、それを「阿弥陀」と音写する。「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。」

「現存しているものは、明治42年(1909年)に再建されたものですよ。」
「そうなんですか。」

「比叡山延暦寺から分火された『不滅の法灯』がありますよ。」
「はい。」

「不滅の法灯と言えば、延暦寺の本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して 現在に伝わっている。」

「比叡山延暦寺と言えば、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。」

「ここで『四寺廻廊』の御朱印を頂くことができますよ。」
「はい。」

「四寺廻廊と言えば、9世紀に円仁(慈覚大師)が開山し、17世紀には松尾芭蕉が訪れた、東北地方の4つの寺を廻る巡礼コースである。岩手県平泉町の中尊寺・毛越寺、宮城県松島町の瑞厳寺、山形県山形町の立石寺(山寺)によって2003年(平成15年)6月に発足した。」

「御朱印と言えば、朱印(しゅいん)は、神社や寺院において、主に参拝者向けに押印される印章、およびその印影である。敬称として御朱印(ごしゅいん)とも呼ばれる。」

「本堂の左奥には『茶室松従庵』という休憩所がありますよ。」
「はい。」

「裏千家・千宗室設計で、抹茶と和菓子が頂けますよ。」
「いいですね。」

「裏千家・千宗室設計と言えば、裏千家14代千宗室(せん そうしつ、1893年7月24日 - 1964年9月7日)は、日本の茶人である。茶室・双樹庵は千宗室の設計・監修により作られた本格的茶室である。」

「四寺廻廊(しじかいろう)は、松尾芭蕉『おくのほそ道』に関わる立石寺/瑞巌寺/毛越寺/中尊寺の四つをめぐるという企画ですよ。」
「はい。」

「四寺廻廊と言えば、9世紀に円仁(慈覚大師)が開山し、17世紀には松尾芭蕉が訪れた、東北地方の4つの寺を廻る巡礼コースである。岩手県平泉町の中尊寺・毛越寺、宮城県松島町の瑞厳寺、山形県山形町の立石寺(山寺)によって2003年(平成15年)6月に発足した。」

「おくのほそ道(芭蕉のみちのく俳諧紀行)と言えば、芭蕉が弟子の河合 曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』である。」

「瑞巌寺と言えば、宮城県宮城郡松島町の日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派の寺院である。詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。」

「立石寺と言えば、山形県山形市にある天台宗の寺院である。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。」

「松尾芭蕉と言えば、江戸時代の俳人である。自筆署名では「はせを」と表記する。別号に桃青、風羅坊。俳聖と称される。」

「毛越寺と言えば、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院である。開山は円仁(慈覚大師)と伝える。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩である。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一つとして世界遺産に登録されており、境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されている。」

「どこの寺から始めてもかまわず、期限も特に設けられていませんよ。」
「はい。」

「御朱印とよばれるスタンプとお寺の方に書いていただく寺名・日付を四つすべて集めると記念品が貰えますよ。」
「そうなんですか。」

「中尊寺と毛越寺は近く、立石寺と瑞巌寺も近いので、立ち寄られるのでしたらチャレンジしてみてはいかがでしょう?」
「わかりました。」

「瑞巌寺と言えば、宮城県宮城郡松島町の日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派の寺院である。詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。」

「立石寺と言えば、山形県山形市にある天台宗の寺院である。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。」

「金色堂についてですが、中尊寺全域の中で一番有名でしょう。」
「そうですね。」

「清衡が天治元年(1124年)に建立しましたよ。」
「はい。」

「贅沢にも全面に金箔を使い、これを見たマルコ・ポーロが『東方見聞録』に『黄金の国ジパング』という記述を残したぐらいですよ。」
「なるほど。」

「実は、金色堂とすぐ横の讃衡蔵(さんこうぞう)の拝観のみ有料ですよ。」
「そうなんですか。」

「讃衡蔵(さんこうぞう)と言えば、金色堂(金色堂新覆堂)の手前隣に位置する建物で、中尊寺の中では唯一の資料館です。」

「それが少々お高めの八百円ですよ。」
「はい。」

「たいていの寺は五百円以内ですね。」
「そうなんだ。」

「現在修繕工事中の姫路城も七百円ですね。」
「はい。」

「姫路城と言えば、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)にあった城である。別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。この他に、ユネスコの世界遺産に登録や、日本100名城などに選定されている。」

「讃衡蔵横のチケット販売所で買いもとめることができますよ。」
「はい。」

「讃衡蔵(さんこうぞう)と言えば、金色堂(金色堂新覆堂)の手前隣に位置する建物で、中尊寺の中では唯一の資料館です。」

「しかし、金色堂と讃衡蔵以外は無料で参拝できますので、安いとも言えますね。」
「そうですね。」

「中尊寺全体は、とても広いですよ。」
「はい。」

「ゆっくり見てまわっていると、三時間近くかかってしまうでしょう。」
「そうなんですか。」

「また、大変混みあいますよ。」
「はい。」

「筆者が参拝したのは、GWの前半(四月三十日)でした。」
「はい。」

「チケット売り場は長蛇の列で、最後尾札を持った列整備の方がいらっしゃいましたよ。」
「はい。」

「チケットを購入してからいざ金色堂に入ろうとすると、また混雑に見舞われますよ。」
「それは大変ですね。」

「金色堂は現在、コンクリート製の建物に覆われていますよ。」
「そうなんですか。」

「経路にそって入館すると、厳重にガラスで守られた姿を拝むことができますよ。」
「はい。」

「正面にあたる場所は通路が狭くなっていますよ。」
「はい。」

「音声アナウンスが流れたり、お賽銭箱があり、なかなか人が流れませんよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、その代わりに保存状態(修復状態)は素晴らしいですよ。」
「はい。」

「人の少ない時期を狙っていけば、ゆっくりと眺めることができるでしょう。」
「わかりました。」

「再建されて保護されている金色堂のすぐ近くに、元々の金色堂と言われているさびれたお堂がひっそりとありますよ。」
「そうなんですか。」

「実際の金色堂とは、どのようなものでしょうか。」
「教えてください。」

「全体が黄金で輝いているのは、名前の通りですね。」
「はい。」

「松尾芭蕉は「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠みましたね。」
「はい。」

「しかし、金色に光っているだけではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「内装に夜光貝を使用した螺鈿細工、当時最新の技術であった蒔絵細工が施されていますよ。」
「はい。」

「蒔絵細工と言えば、蒔絵は、漆を接着剤にして、金粉を「蒔き」ながら絵柄を描くことから名づけられ、約1,500年前から伝わる日本の伝統技法です。繊細にして華やかな蒔絵(図柄)は、見るものの心を癒します。」

「螺鈿細工と言えば、螺鈿(らでん)は、主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつである。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。室町時代になると中国の高価な螺鈿細工の影響を強く受けた。」

「夜光貝と言えば、古腹足目サザエ科に分類される巻貝の一種である。インド太平洋のサンゴ礁域に生息する大型の巻貝である。重厚な殻の裏側に真珠層があり、古くから螺鈿(らでん)細工の材料として利用されてきた。その名前から、夜に光ると思われることがあるが、貝自体は発光しない。産地では食用にも利用される。」

「まさに、豪華絢爛という言葉がふさわしいと言えましょう。」
「そうなんだ。」

「他にも、珍しいことに壁画ではなく漆細工で仏像を表現していますよ。」
「はい。」

「漆細工と言えば、器物に漆を塗って細工をすること。また、その製品である。」

「中国経由で輸入されたアフリカゾウの象牙が使用されていますよ。」
「そうなんですか。」

「奥州藤原氏がいかに裕福であったかがわかりますね。」
「そうですね。」

「奥州藤原氏と言えば、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族である。天慶の乱を鎮めた藤原秀郷の子孫を称した。」

「須弥壇(しゅみだん/本尊を安置するために一段高くなっている場所)が、金色堂の場合三台ありますよ。」
「はい。」

「須弥壇(しゅみだん/本尊を安置するために一段高くなっている場所)と言えば、仏教寺院において本尊を安置する場所であり、仏像等を安置するために一段高く設けられた場所のことである。須弥山に由来する。 須弥壇の上は仏の領域とされ、壇上に直接諸仏を安置する場合と、厨子や宮殿(くうでん)を置いて、その中に仏像等を安置する場合がある。和様、禅宗様、折衷様がある。」

「阿弥陀三尊をはじめとする11躯の仏像が、道内に配置されていますよ。」
「はい。」

「阿弥陀三尊と言えば、仏教における仏像安置形式の一つである。阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式である。観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされる。」

「須弥壇の中には、向かって左から基衡(右壇)、清衡(厨横壇)、秀衡のミイラ化した遺体が安置されていますよ。」
「そうなんですか。」

「秀衡と言えば、平安時代末期の武将である。奥州藤原氏第3代当主。鎮守府将軍、陸奥守。藤原基衡の嫡男。安元の頃に鞍馬山を逃亡した源氏の御曹司である源義経を匿って養育する。」

「基衡と言えば、平安時代後期の豪族である。奥州藤原氏第2代当主。父は藤原清衡。」

「泰衡の首級を治めた首桶は、右壇に安置されていましたよ。」
「はい。」

「泰衡の首級と言えば、長い間この首級は泰衡の弟忠衡だと言われていましたが、学術調査で泰衡の首だと確定されました。 首級は首桶に入っていましたが、これは父親の秀衡の須弥壇に納められています。」

「珍しい副葬品が納められており、これは金箔同様清浄さを示すものだと言われていますよ。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~毛越寺~

「夏草や つはものどもが 夢のあと 松尾芭蕉の有名な句の一つですね。」
「そうですね。」

「松尾芭蕉と言えば、江戸時代の俳人である。自筆署名では「はせを」と表記する。別号に桃青、風羅坊。俳聖と称される。」

「これは、毛越寺(もうつうじ)に芭蕉が訪れた際に詠まれたものですね。」
「はい。」

「毛越寺と言えば、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院である。開山は円仁(慈覚大師)と伝える。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩である。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一つとして世界遺産に登録されており、境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されている。」

「栄華を極めた奥州藤原氏が、三代で滅んでしまったことを詠いましたよ。」
「はい。」

「奥州藤原氏と言えば、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族である。天慶の乱を鎮めた藤原秀郷の子孫を称した。」

「同じ平泉の、毛越寺から1キロほど北上したところにある、中尊寺金色堂に対しては、五月雨の 降のこしてや 光堂 と詠みましたね。」
「はい。」

「中尊寺金色堂と言えば、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。」

「いかに奥州藤原氏が栄え、黄金文化を持っていたかを伺い知ることができますね。」
「そうですね。」

「これらの句は『おくのほそ道』(芭蕉のみちのく俳諧紀行)に載っていますね。」
「はい。」

「おくのほそ道(芭蕉のみちのく俳諧紀行)と言えば、芭蕉が弟子の河合 曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』である。」

「現代語訳もありますので、興味がある方は書店で探してくださいね。」
「わかりました。」

「中尊寺、瑞巌寺(松島)、立石寺(山形)と合わせて「四寺廻廊」のコースに設定されていますよ。」
「はい。」

「四寺廻廊と言えば、9世紀に円仁(慈覚大師)が開山し、17世紀には松尾芭蕉が訪れた、東北地方の4つの寺を廻る巡礼コースである。岩手県平泉町の中尊寺・毛越寺、宮城県松島町の瑞厳寺、山形県山形町の立石寺(山寺)によって2003年(平成15年)6月に発足した。」

「瑞巌寺と言えば、宮城県宮城郡松島町の日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派の寺院である。詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。」

「立石寺と言えば、山形県山形市にある天台宗の寺院である。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。」

「中尊寺と言えば、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院である。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の一つとして世界遺産に登録されており、「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。」

「これは、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で訪れた四つの寺を巡礼するものですね。」
「はい。」

「おくのほそ道(芭蕉のみちのく俳諧紀行)と言えば、芭蕉が弟子の河合 曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』である。」

「それぞれの寺で御朱印(スタンプ)と日付を書いて頂くことができますよ。」
「そうですね。」

「御朱印と言えば、朱印(しゅいん)は、神社や寺院において、主に参拝者向けに押印される印章、およびその印影である。敬称として御朱印(ごしゅいん)とも呼ばれる。」

「全部巡礼した際には、記念品が貰えますよ。」
「そうなんですか。」

「私は、一泊二日の強行軍で四寺廻廊に挑戦しましたよ。」
「はい。」

「四寺廻廊と言えば、9世紀に円仁(慈覚大師)が開山し、17世紀には松尾芭蕉が訪れた、東北地方の4つの寺を廻る巡礼コースである。岩手県平泉町の中尊寺・毛越寺、宮城県松島町の瑞厳寺、山形県山形町の立石寺(山寺)によって2003年(平成15年)6月に発足した。」

「立石寺→瑞巌寺(一泊)→毛越寺→中尊寺というコースですよ。」
「はい。」

「瑞巌寺と言えば、宮城県宮城郡松島町の日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派の寺院である。詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。」

「立石寺と言えば、山形県山形市にある天台宗の寺院である。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来、悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。」

「記念品は、『尊』と書かれた色紙でしたよ。」
「そうなんだ。」

「毛越寺――これを『もうつうじ』と読むのは、何か変な感じがしますね。」
「そうですね。」

「元々、毛越(けごし)という地名を音読みしたのが「もうおつ」ですね。」
「はい。」

「それが訛って「もうつう」になりましたよ。」
「そうなんですか。」

「古くは、「もうつじ」と呼ばれていたこともあるようですよ。」
「はい。」

「広い敷地の中には、大きな池(大泉が池)を中心に数多くの寺の跡がありますよ。」
「はい。」

「幾度も火災に見舞われ、ほとんどの寺が焼失してしまいましたよ。」
「そうなんですか。」

「『吾妻鏡』(中世の歴史書)によると、お堂や塔が四十を超え、禅房(お坊さんの宿泊施設)が五百を超えるとありますよ。」
「多いですね。」

「『吾妻鏡』(中世の歴史書)と言えば、鎌倉幕府の歴史を記した歴史書(編纂物)である。」

「もし焼失していなければ、中尊寺すらも超える規模の寺であったと言われていますよ。」
「そうなんだ。」

「非常に残念なことですが、中尊寺ほか平泉の寺社仏閣とともに世界遺産登録され、美しい状態を保つことができるようになりましたよ。」
「はい。」

「現在見られる本堂は、1989年に平安様式で再建されたものですよ。」
「そうなんですか。」

「世界遺産登録は、2001年に暫定リストに記載されましたよ。」
「はい。」

「その後紆余曲折を経て、2011年6月25日に無事登録となりましたよ。」
「そうなんだ。」

「平泉一帯の世界遺産は、日本で最も新しく登録されたものですね。」
「はい。」

「大泉が池には、たくさんの工夫がなされていますよ。」
「どんな工夫ですか?」

「庭園散策としてぐるりと一周巡ることができますよ。」
「はい。」

「どの角度から見ても、非常に美しい景観となっていますよ。」
「そうなんですか。」

「州浜、出島、築山など、見所はたくさんありますよ。」
「はい。」

「築山と言えば、人工的に作った山である。測量の目的で作られたり、観賞用として庭園に作られたり、子どもの遊具として公園に作られるものがある。」

「出島と言えば、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島である。扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われた。「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されている。」

「州浜と言えば、州浜(すはま)とは、大豆、青豆を煎って挽いた州浜粉に砂糖と水飴を加えて練りあわせて作る和菓子の一種である。鎌倉時代の京都にあった菓子店「松寿軒」の考案による。江戸時代には「豆飴」と呼ばれ、のち京都の和菓子店「植村義次」によって作られた豆飴の断面が州浜紋に似ていたため、「州浜(すはま)」という名前になった。現在では、州浜粉を使った菓子全体を「州浜」「すはま」と呼ぶようになっている。」

「遣水と呼ばれる水を引く小さな水流がありますよ。」
「はい。」

「遣水と呼ばれる水を引く小さな水流と言えば、毛越寺の遣水と呼ばれる水を引く小さな水流は平安時代のものとしては日本唯一のものです。」

「毛越寺の遣水は、平安時代のものとしては日本唯一ですよ。」
「そうなんですか。」

「曲水の宴と呼ばれる遊びがありますよ。」
「どんなものですか?」

「遣水のふちに座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに歌を詠んで、盃の酒を飲んで次へ流すというものですよ。」
「そうなんだ。」

「毛越寺でも、毎年五月の第4日曜にこの行事は行われていますよ。」
「はい。」

「1986年に遣水の遺構が復元されたことを記念して、開かれるようになりましたよ。」
「はい。」

「流れが早いように見えたので、なかなか難しい雅やかな遊びだと思われますよ。」
「そうなんだ。」

「一度は挑戦してみたいですね。」
「そうですね。」

「庭園が平らなので、お年を召した方や、足の悪い方でもゆっくり散策できるのが良いところですね。」
「はい。」

「新幹線のとまるJR一ノ関駅からバスやタクシーも出ていますよ。」
「はい。」

「交通アクセスも悪くありませんよ。(電車は少々乗り継ぎが悪いです)」
「いいですね。」

「文化遺産が集中しているので、レンタサイクルで回るのも楽しいでしょうね。」
「そうですね。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~白川郷・五箇山の合掌造り集落~

「白川郷(しらかわごう)は、岐阜県の飛騨西部にある地域のことを指しますね。」
「はい。」

「岐阜県の飛騨と言えば、飛騨市(ひだし)は、岐阜県の最北端に位置する市である。この市名については、旧飛騨国の中心部を占める高山市との激しい対立があった。」

「白川郷と言えば、岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と高山市荘川町(旧荘川村)および高山市清見町(旧清見村)の一部に相当し、白川村を「下白川郷」、他を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたcite_note-1。」

「五箇山(ごかやま)とセットで1995年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「富山県五箇山(ごかやま)と言えば、五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す。赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。五箇山の合掌造りの屋根は茅葺である。」

「白川郷と言うと、現在では観光地になっていますね。」
「そうですね。」

「以前は、秘境として知られていましたよ。」
「そうなんですか。」

「岐阜県飛騨西部にある庄川の上流一帯を指し、最上流にある白山神社からは平安時代後期の鏡が出土していますよ。」
「そうなんだ。」

「白山神社と言えば、白山神社(しらやまじんじゃ / はくさんじんじゃ)・白山社(はくさんしゃ)は神社である。」

「庄川と言えば、岐阜県北部および富山県西部を流れる、庄川水系の一級河川である。流域には、合掌造りで知られる白川郷や五箇山などがある。」

「岐阜県の飛騨と言えば、飛騨市(ひだし)は、岐阜県の最北端に位置する市である。この市名については、旧飛騨国の中心部を占める高山市との激しい対立があった。」

「倶利伽羅(くりから)峠の戦いで敗れた平家の落人(おちゅうど)が住んでいたという伝説もありますよ。」
「はい。」

「倶利伽羅(くりから)峠と言えば、富山県と石川県の境にある砺波山の峠である。倶梨伽羅峠と表記することもある。」

「2012年の大河ドラマ、平清盛にも関係がありますよ。」
「そうなんだ。」

「伝説ですから、本当のことはわかりませんね。」
「そうなんですか。」

「ドラマに合わせて、一度訪れてみたいものですね。」
「そうですね。」

「白川郷が世界遺産に登録されたのは、1995年ですね。」
「はい。」

「富山県五箇山(ごかやま)と共に『合掌造りの集落』が文化遺産とされましたよ。」
「はい。」

「大正時代までは、非常に交通が不便でしたよ。」
「そうでしょうね。」

「切妻合掌造りの民家で、40人近い大家族で暮らしていましたよ。」
「本当ですか?」

「切妻合掌造りと言えば、現在見られる合掌造りにも切妻屋根のもの(白川村や五箇山に多い)、入母屋屋根のもの(旧荘川村に多い)がある。残存している切妻屋根の家屋については、その方が屋根裏の作業スペースが多く取れるからと指摘されている。また、屋根の勾配を急にしたことは、屋根裏に二層もしくは三層の空間を確保することにつながり、豪雪への対策以外に養蚕業にとっても都合が良いものであった。」

「家長と長男のみが正式な結婚を許され、次男以下は正式な結婚ができなかったのですよ。」
「ホントですか?」

「それらは、すべて厳しい環境のせいでしたよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、第二次世界大戦の後、電源開発のためのダム建設が盛んになり、白川郷近辺の住民は立ち退かざるをえませんでしたよ。」
「はい。」

「代わりに道路は整備改良され、スキー場やゴルフ場、別荘地などがつくられ、公共施設も改築されましたよ。」
「はい。」

「日本で最大のロックフィルダム(岩を台形に積み上げて上流面に水を通さない遮水壁を設けたダムのこと)である御母衣(みぼろ)ダムや、ジュラ紀の化石の産地(牛丸・尾上郷)などがありますよ。」
「そうなんですか。」

「尾上郷と言えば、尾上郷(おがみごう)は、庄川の支流、尾上郷川沿いにある。」

「ジュラ紀と言えば、現在から約1億9960万年前に始まり、約1億4550万年前まで続く地質時代である。三畳紀の次で白亜紀の一つ前にあたる中生代の中心時代、あるいは恐竜の時代と言える。」

「御母衣(みぼろ)ダムと言えば、岐阜県大野郡白川村、一級河川・庄川本流最上流部に建設されたダムである。電源開発が管理する発電専用ダムで、高さ131メートルと日本屈指の規模を誇るロックフィルダムである。」

「ロックフィルダム(岩を台形に積み上げて上流面に水を通さない遮水壁を設けたダムのこと)と言えば、日本で最大のロックフィルダム(岩を台形に積み上げて上流面に水を通さない遮水壁を設けたダムのこと)である御母衣(みぼろ)ダムや、ジュラ紀の化石の産地(牛丸・尾上郷)などがあり、次第に観光地化されてゆき現在にいたります。」

「次第に観光地化されていき、現在にいたりますよ。」
「はい。」

「川崎市立日本民家園に、白川郷にあった合掌造り民家が移築保存されていますよ。」
「そうなんだ。」

「川崎市立日本民家園と言えば、江戸時代中期から後期(17~19世紀)にかけての東日本の代表的古民家を移築・復元している。その他に水車小屋、農村歌舞伎舞台なども移築・復元している野外博物館。」

「こちらにはさまざまな日本民家がありますので、合わせて見に行きたい場所ですね。」
「はい。」

「五箇山も白川郷と同じく庄(しょう)川上流にありますね。」
「はい。」

「岐阜との県境ですね。」
「はい。」

「地名の由来は、赤尾(あかお)谷・上梨(かみなし)谷・下梨(しもなし)谷・小谷(おたに)の四つの谷と、庄川の支流にある利賀(とが)谷の五つの谷をまとめて『五箇谷間』と呼ばれていましたよ。」
「そうなんだ。」

「五箇谷間と言えば、五箇山は古くは平村、上平村、利賀村の3村を五ヶ山と称していたものを、 赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の谷に囲まれてた集落を5つに区分して五箇谷間と呼ぶようになり五箇山の地名が生まれました。」

「利賀(とが)谷と言えば、富山県の南西部、岐阜県境の山岳地域、庄川流域の5つの谷の一つである。5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。」

「小谷(おたに)と言えば、富山県の南西部、岐阜県境の山岳地域、庄川流域の5つの谷の一つである。5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。」

「下梨(しもなし)谷と言えば、富山県の南西部、岐阜県境の山岳地域、庄川流域の5つの谷の一つである。5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。」

「上梨(かみなし)谷と言えば、富山県の南西部、岐阜県境の山岳地域、庄川流域の5つの谷の一つである。5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。」

「赤尾(あかお)谷と言えば、富山県の南西部、岐阜県境の山岳地域、庄川流域の5つの谷の一つである。5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。」

「庄川と言えば、岐阜県北部および富山県西部を流れる、庄川水系の一級河川である。流域には、合掌造りで知られる白川郷や五箇山などがある。」

「それが転じて『五箇山』となりましたよ。」
「はい。」

「庄川の本流と支流に面した山麓の緩やかな傾斜地や丘の上に、おおよそ70の集落が散らばっていますよ。」
「はい。」

「たくさんの峠でお互いが隔絶された谷底の盆地で、白川郷と同じく平家の落人伝説が残っていますよ。」
「そうなんですか。」

「庄川流域では、白川郷と同じく五箇山もダム発電所の建設が相次ぎましたよ。」
「はい。」

「1930年に小牧ダムができましたね。」
「はい。」

「小牧ダムと言えば、富山県砺波市庄川町小牧にある水力発電用のダム(重力式コンクリートダム)である。庄川水系のダムで関西電力が管理している。」

「以降、祖山ダム、小原ダム、成出ダムと次々発電所ができ、国道が整備され、五箇山トンネルが開通したことにより生活様式は急激に変化しましたよ。」
「そうでしょうね。」

「五箇山トンネルと言えば、富山県南砺市にある国道304号のトンネルである。このトンネルと梨谷トンネル・梨谷大橋の開通により、それまで難所・細尾峠に行く手を阻まれてきた五箇山地区と城端地区が通年で往来できるようになった。全長3070メートルは富山県の道路トンネルとしては第3位(2006年(平成18年)8月現在)である。」

「成出ダムと言えば、岐阜県大野郡白川村と富山県南砺市との境、一級河川・庄川水系庄川に建設されたダムである。高さ53.2メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力の発電用ダムである。」

「小原ダムと言えば、富山県南砺市、一級河川・庄川水系庄川に建設されたダムである。高さ52メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力の発電用ダムである。」

「祖山ダムと言えば、関西電力(株)所有の発電専用ダムである。例外なくこのダムのデザインも、重厚な重力式コンクリートダムで、黒色のラジアルゲートが多数鎮座するデザインとなっている。」

「それによって合掌造り民家は激減しましたよ。」
「そうなんだ。」

「残った民家のうち、岩瀬家・村上家・羽場(はば)家は、国の重要文化財に指定されていますよ。」
「はい。」

「菅沼集落と相倉(あいのくら)集落は、国の史跡に指定されていますよ。」
「はい。」

「相倉(あいのくら)集落と言えば、富山県南砺市(旧東砺波郡平村)相倉にある合掌造り集落です。 現存する合掌造り家屋は20棟で江戸時代に建てられた家が多いです。」

「菅沼集落と言えば、菅沼集落は庄川の谷あいにせり出した平坦地にあり、三方を庄川に囲まれ、もう一方は雪持林(ゆきもちりん)の茂る急斜面となっています。集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。」

「有名な「こきりこ節」など民謡が豊富にありますよ。」
「そうなんだ。」

「こきりこ節と言えば、こきりこ節・筑子節(こきりこぶし)は、富山県南砺市五箇山地方に伝わる麦屋節とともに五箇山地方を代表する全国的に有名な古代民謡(古謡)である。」

「「五箇山の歌と踊」として国の選択無形民俗文化財に指定されていますよ。」
「はい。」

「「五箇山の歌と踊」と言えば、五箇山には古くから多くの民謡や舞踊が伝承されている。その主なものは「麦屋節」、「こきりこ節」、「早麦屋」、「輪島節」、「お小夜節」、「しよつしよ節」、「古代神」、「舞々ぶし」、「五箇山追分」、「といちんさ」、「石かち唄」などである。」

「白川郷と合わせて観光客が多いため、ユースホテルや民宿、キャンプ場などの宿泊施設が整っていますよ。」
「いいですね。」

「JR城端(じょうばな)駅からバスも出ていますよ。」
「はい。」

「是非、泊りがけで見に行きたい世界遺産ですね。」
「わかりました。」

「合掌造りについてですが、合掌造りの家屋と言うと、勾配のきつい屋根(45度から60度)が特徴ですね。」
「はい。」

「世界遺産に登録された白川郷及び五箇山の合掌造りの定義は、「小屋内を積極的に利用するために、叉首構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋」(Wikipediaより)とされていますね。」
「はい。」

「屋根が急勾配になっているのは、豪雪や多雨のためですね。」
「そうですね。」

「雪下ろしが楽になるように、又、水はけがよくなるように造られていますよ。」
「はい。」

「他にも屋根の勾配をきつくすることによって屋根裏のスペースが増え、そこでカイコを育てるようになりましたよ。」
「はい。」

「養蚕が生計の一部を担っていましたよ。」
「そうなんですか。」

「萱の葺き替えは30~40年に一度行われますね。」
「はい。」

「この葺き替え作業は、地域住民全員が協力して行いますよ。」
「はい。」

「この共同作業のことを『結』(ゆい)と呼びますよ。」
「そうなんだ。」

「かなりの重労働なので、住民たちが力を合わせないと葺き替え作業は難しいのです。」
「そうなんだ。」

「雪が落ちる時に萱も一緒に落ちてしまいますよ。」
「はい。」

「したがって、補修作業自体は、毎年行わなければなりませんよ。」
「はい。」

「世界遺産として、景観も技術も後世に伝える必要がありますね。」
「そうですね。」

「美しい観光地の裏には、実は大変な苦労がありますよ。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~古都京都の文化財~

「外国人が日本を連想する時、まず思い浮かぶのは富士山ですね。」
「はい。」

「古都京都周辺の歴史に残る美しき寺社を連想する人も多いですね。」
「はい。」

「そんな京都の古い文化遺産も、「古都京都の文化財」として1994年に世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「8世紀から17世紀にかけては、京都は日本の中心地でしたね。」
「そうですね。」

「30年以上続いた応仁の乱という日本の中でも大きな戦乱がありましたが、古き良き文化財が京都と周辺に今でも残されていますよ。」
「はい。」

「応仁の乱と言えば、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した内乱である。応仁の乱は京都が主戦場であったが、後半になると地方へ戦線が拡大していった。」

「修学旅行で京都に一度は行ったことがある人も多いと思います。」
「はい。」

「寺社が建てられた当時の建築様式や文化が垣間見えることから、まさに世界遺産になるにふさわしい存在ですね。」
「そうですね。」

「京都周辺で世界遺産に指定された歴史的にも知られるお寺と言えば、金閣のある鹿苑寺や銀閣のある慈照寺、清水寺に平等院、延暦寺が挙げられますね。」
「はい。」

「延暦寺と言えば、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。」

「平等院と言えば、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院である。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単位の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。また鳳凰堂が十円硬貨の表の絵柄として有名である。」

「清水寺と言えば、京都市東山区清水にある寺院である。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。」

「銀閣のある慈照寺と言えば、京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院である。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。」

「金閣のある鹿苑寺と言えば、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺である。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣(きんかく)、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺(きんかくじ)として知られる。相国寺の山外塔頭寺院である。」

「特に、平等院は鳳凰堂が10円硬貨の表面にも使われていますね。」
「はい。」

「平等院の鳳凰堂と言えば、平等院にある阿弥陀堂である。1053年藤原頼通が造立し無量寿院と号した。建物全体が鳳凰が羽を広げたような形状であることと屋上に銅製の鳳凰があるところから,後世こう呼ばれた。定朝作の阿弥陀如来像を本尊とする。国宝。」

「平等院と言えば、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院である。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単位の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。また鳳凰堂が十円硬貨の表の絵柄として有名である。」

「鹿苑寺金閣は、足利義満により建てられた、京都のみならず日本を代表する舎利殿ですね。」
「そうですね。」

「舎利殿と言えば、仏舎利を安置した建物である。一般に方形で、中央に舎利塔を置く。」

「足利義満と言えば、室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。」

「金閣のある鹿苑寺と言えば、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺である。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣(きんかく)、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺(きんかくじ)として知られる。相国寺の山外塔頭寺院である。」

「金箔が完成当初から貼られ、室町初期の北山文化を色濃く残す日本特有の建物で世界遺産にも登録されていますね。」
「はい。」

「室町初期の北山文化と言えば、室町時代初期の文化で、三代将軍足利義満(1358年~1408年)の北山山荘に代表され、14世紀末~15世紀前半までをさす。東山文化に対して使われる言葉である。ただし、今日の歴史学では東山文化と合わせて「室町文化」と呼ぶのが一般的だという。」

「1950年に見習い僧侶による放火により一度消失した経緯がありますよ。」
「そうなんだ。」

「この時、消失前に行われた修繕工事の際に前もって残していた図面や古文書を元に再建が行われましたよ。」
「はい。」

「1986年から1987年にかけて金箔の貼り直しが行われ、現在のみずみずしい姿を残していますよ。」
「はい。」

「慈照寺銀閣は、足利義満の孫義政により建てられた、室町後期の東山文化を象徴する建物ですね。」
「そうですね。」

「室町後期の東山文化と言えば、足利義政が応仁・文明の乱後,東山山荘(慈照寺銀閣はその遺構)を営み東山殿と称されたのにちなみ,15世紀後半期の文化をいう。」

「足利義満の孫義政と言えば、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)である。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は足利 義成(- よししげ)。文明14年(1482年)には東山山荘(東山殿)の造営をはじめ、祖父義満が建てた金閣をベースにした銀閣などを建てた。」

「足利義満と言えば、室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。」

「銀閣のある慈照寺と言えば、京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院である。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。」

「江戸時代に、金閣になぞらえ銀閣と呼ばれるようになりましたよ。」
「はい。」

「銀箔が貼られていたのではないかといった説も唱えられましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、調査の結果、銀箔が貼られたことは一度もありませんでしたよ。」
「そうなんだ。」

「黒の漆が塗られていましたが、京都の長い歴史の間に剥がれてしまいましたよ。」
「はい。」

「延暦寺は比叡山にあるお寺で、最澄により開祖された天台宗の総本山でもありますね。」
「はい。」

「比叡山と言えば、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山である。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。大比叡の一等三角点は大津市に所在する。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。」

「最澄と言えば、平安時代の僧である。日本の天台宗の開祖である。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平新護2年(766年)説も存在する。」

「延暦寺と言えば、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。」

「このお寺で修業をした僧侶には、親鸞や日蓮のように後の日本仏教の宗派を興した人も多数います。」
「そうなんですか。」

「日蓮と言えば、鎌倉時代の仏教の僧である。鎌倉仏教の宗旨のひとつ日蓮宗(法華宗)の宗祖。死後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈された。」

「親鸞と言えば、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧である。浄土真宗の宗祖とされる。」

「日本の歴史の中で有名な戦国時代に、修行僧が相次いで武装しましたよ。」
「そうですね。」

「しかし、織田信長により焼き討ちが行われ、多数の僧侶や僧兵が絶命してしまいましたよ。」
「はい。」

「これら焼き討ちされた寺社内の施設は、後に信長の死後再建されていますよ。」
「はい。」

「比叡山での修行は、とても厳しいものですよ。」
「そうでしょうね。」

「全てを成し遂げたものには、大阿闍梨という称号が付けられますよ。」
「はい。」

「大阿闍梨と言えば、①密教で、伝法灌頂(かんじょう)を授ける資格をもつ阿闍梨である。灌頂の師。②両界曼荼羅(まんだら)の諸仏を供養する法会の導師。」

「京都の街並みは、平安京から続く碁盤の目のようになっている通りが特徴ですね。」
「そうですね。」

「通り名が住所として使われる地域もあり、日本人から見ても非常に興味がある街ですよ。」
「はい。」

「後世にも日本らしさの残る長い歴史と世界遺産を後世に伝えていきたいものですね。」
「そうですね。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~古都奈良の文化財~

「日本にも、いくつもの世界遺産に登録されている場所や建物、地域などがありますよ。」
「はい。」

「その中でも、私が一番身近に感じるのが古都奈良の文化財ですね。」
「はい。」

「この奈良の地には、小学校の修学旅行で行きましたよ。」
「そうですね。」

「思い出として残っているのは、東大寺にある大仏ですね。」
「そうなんだ。」

「東大寺と言えば、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られるる毘盧遮那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。」

「この大仏は、「奈良の大仏」として古くから人々に愛され親しまれていますね。」
「はい。」

「奈良の大仏と言えば、東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)である。一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、大仏は中世、近世に焼損したため大部分が補修されており、建立当時の部分はごく一部である。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。」

「実際にその大きさを見ると、はるか古都の時代に、機材も何もない人々がどのようにしてこの大きな大仏を建てたのか、というそのスケールの大きさと人々のパワーというものを子供心に感じたものですよ。」
「それはよくわかります。」

「それから、奈良には何度も足を運ぶ機会がありましたよ。」
「そうなんですか。」

「観光地としては、京都に押されがちな奈良ですね。」
「そうですね。」

「しかし、奈良時代、平安時代の都であったことから、奈良の地にははるか悠久、日本の歴史が足跡を残し始めたその時代の面影を体感することができますよ。」
「はい。」

「聖徳太子がこの地を歩いた、天武天皇、聖武天皇など社会の時間に必ず習う人々がこの地で戦をし、都を各地に移しながら歴史が刻まれ、時代が室町、戦国へと移り変わっていくのですよ。」
「はい。」

「聖武天皇と言えば、日本(奈良時代)の第45代天皇である。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。天平勝宝4年4月9日(752年5月30日)、東大寺大仏の開眼法要を行う。」

「天武天皇と言えば、7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子として生まれ、中大兄皇子(天智天皇)にとっては両親を同じくする弟にあたる。皇后のなんとか(現代国語にない漢字)野讃良皇女は後に持統天皇となった。天智天皇の死後、672年に壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、その翌年に即位した。天皇を称号とし、日本を国号とした最初の天皇とも言われる。」

「聖徳太子と言えば、飛鳥時代の皇族、政治家である。厩戸皇子または厩戸王の後世の呼称。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめた。」

「そんな日本の歴史が色づいている古都奈良の文化財は、数々ありますよ。」
「そうなんですか。」

「それらがいくつも世界遺産として登録されていますよ。」
「はい。」

「その中でも、やはり私が一番好きなのは大仏のある東大寺ですね。」
「そうなんだ。」

「この東大寺は、一つのお寺から成り立っている訳ではありませんよ。」
「どういうことですか?」

「広い敷地の中に南大門、中門、大仏が鎮座している金堂など、有名な場所だけでも十数個の寺院などから成り立っていますよ。」
「そうなんだ。」

「大仏が鎮座している金堂と言えば、仏教による鎮護国家の象徴であり、全国総国分寺であり金光明四天王護国之寺であった東大寺の大仏が鎮座する大仏殿(金堂)です。」

「中門と言えば、寺院などで、南大門の後方にある門である。通常、回廊の前中央部になどに設けられる。」

「南大門と言えば、仏教寺院や都城などで、南に面した正門のことである。」

「東大寺の中には、古都奈良の文化財と呼ばれる国宝級の貴重なものが数々ありますよ。」
「そうなんですか。」

「中でも有名なのは、「木造金剛力士立像」と呼ばれる立像ですね。」
「はい。」

「木造金剛力士立像と言えば、金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つである。サンスクリットではVajradhara(ヴァジュラダラ)と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味する。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(におう、二王)の名で親しまれている。」

「これは吽形(うんぎょう、口を閉じた像)と阿形(あぎょう、口を開いた像)からなる二つの立像ですよ。」
「はい。」

「阿形(あぎょう、口を開いた像)と言えば、口が開いている像が阿形(あぎょう)です。阿は口を開いて最初に出す音である。」

「吽形(うんぎょう、口を閉じた像)と言えば、口を閉じた像が吽形(うんぎょう)です。吽は口を閉じて出す最後の音である。」

「南大門の右と左に建立をされていますよ。」
「そうですね。」

「南大門と言えば、仏教寺院や都城などで、南に面した正門のことである。」

「ここに立ち入る人々を迎えて待ち構えているようですよ。」
「そうですね。」

「東大寺で忘れてはならないのは、日本の最古の校倉造の建物である正倉院で、こちらも世界遺産に登録をされていますよ。」
「はい。」

「日本の最古の校倉造の建物である正倉院と言えば、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた施設である。「古都奈良の文化財」の「東大寺」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。」

「正倉院には、日本の歴史の重要な文化財が所蔵をされていますね。」
「はい。」

「今でも年に一度のペースで、その正倉院の所蔵物の展示会が行われていますよ。」
「そうですね。」

「毎回多くの人を集めていますよ。」
「はい。」

「所蔵されている古都奈良の文化財を直接見る機会はなかなかない事ですよ。」
「そうですね。」

「こうした機会を利用して、世界遺産の奈良を訪ねてみるのも良いと思いますよ。」
「わかりました。」

「DNAに刻まれた記憶が懐かしさを感じることでしょう。」
「そうですね。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~日光の社寺~

「栃木県日光市が誇る日本の世界遺産、日光の社寺ですね。」
「はい。」

「栃木県日光市と言えば、関東地方の北部、栃木県の北西部に位置する市である。古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、江戸時代に徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、日光東照宮の門前町として参拝客で賑わった。」

「1999年に有名なユネスコ「世界遺産」の一つ、日本文化遺産として日本では10番目に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「この「日光の社寺」に含まれるのは、日光東照宮、日光山輪王寺、二荒山神社の二社一寺ですよ。」
「はい。」

「二荒山神社と言えば、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社である。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。正式名称は「二荒山神社」であるが、宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と呼ばれる。古くは「日光三社権現」と称された。」

「日光山輪王寺と言えば、栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。」

「日光東照宮と言えば、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社である。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。」

「日光の社寺の中の東照宮にある陽明門、二荒山神社の神橋、日光山輪王寺の三仏堂などを始めとする103棟とその周辺の山林が「世界遺産」ですよ。」
「いろいろありますね。」

「日光山輪王寺の三仏堂と言えば、日光山輪王寺の本堂・三仏堂(さんぶつどう)は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。」

「二荒山神社の神橋と言えば、日光山内への入り口に位置し、大谷(だいや)川に架かる橋で、日本三大奇橋の1つに数えられています。現在のような朱塗りの橋になったのは、1636年の東照宮の大造替の時と言われています。」

「日光の社寺の中の東照宮にある陽明門と言えば、日光東照宮の象徴的な建築である陽明門は寛永12年(1635)に建てられもので、三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされています。」

「実に広大な範囲に点在する建造物が登録されていますよ。」
「はい。」

「日光の社寺が「世界遺産」登録の最大の評価ポイントとなったのは、これらの建造物が周辺の自然環境と見事に調和した空間を織りなし、古来からの神に対する思想と密接にかかわっていることですね。」
「そうなんだ。」

「それぞれの一つ一つの造形物が、当時を代表する芸術家たちの作品からなっていることと、これらに代表される権現造りは日本の近代宗教建築の極みであり、後に多大な影響を与えていることなどですね。」
「はい。」

「権現造りと言えば、日本の神社建築様式の1つである。石の間造(いしのまづくり)とも呼ばれる。本殿と拝殿の2棟を一体化し、間に「石の間(いしのま)」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴である。」

「この二社一寺の一つ、二荒山神社とは、男体山の神様を祭ったものですよ。」
「そうなんですか。」

「男体山の神様と言えば、男体山の神様は、白いシカにばけ、猿丸の前に現れる。猿丸は白いシカの獲物を追いかけて、男体山へと誘い込まれる。すると、シカは、男体山の神様へと姿を変えた。」

「二荒山神社と言えば、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社である。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。正式名称は「二荒山神社」であるが、宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と呼ばれる。古くは「日光三社権現」と称された。」

「日光という山岳地帯で古来より信仰されてきた山の神を祀る思想の二荒山神社ですよ。」
「はい。」

「8世紀に日光山を開山した勝道上人が創建した四本龍寺が発祥といわれる日光山輪王寺ですよ。」
「はい。」

「四本龍寺と言えば、四本龍寺(しほんりゅうじ)は、今を去る1241年前(天平 神護2年・766)の3月、日光開山の祖である勝道上人(しょうどうしょうにん)という高僧によって創建されました。これが日光の開山、そして現在の輪王寺の開創となります。」

「8世紀に日光山を開山した勝道上人と言えば、日光市は8世紀末の勝道上人による開山以後、山岳信仰の聖地として崇拝されてきた。」

「日光山輪王寺と言えば、栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。」

「江戸幕府を開いた徳川家康を祀る東照宮ですよ。」
「はい。」

「日本に古より続く自然を神とする神道に死者が仏(神)となる仏教とが融合している点に、他ではみられないような魅力が詰まっていますよ。」
「そうなんだ。」

「特に東照宮で目をひくのが、豪華絢爛な造形物ですね。」
「そうですね。」

「各所にちりばめられた繊細な作りの彫刻に加え、色とりどりに彩色が施されていますよ。」
「はい。」

「一点一点が豪華であるにもかかわらず、周りの景観から浮き出ることの無い調和のとれた存在であることが不思議なほどですね。」
「そうなんですか。」

「それぞれの彫刻が表わすのは、日本の自然界や人間界の理といったもので、三猿に代表される猿の彫刻は、人間が生まれてから死ぬまでの一生を表現し仏教の輪廻転生を表していますよ。」
「はい。」

「彫刻の三猿と言えば、日光東照宮の各社殿には、人物や動物など数多くの彫刻が施されているが、中でも、東 回廊の「眠猫」や神厩舎の「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が最も知られている。」

「眠り猫とその反対側で遊ぶ雀の姿は、日本の平和への願いが込められていると言いますね。」
「そうなんだ。」

「日光山輪王寺・大雄院に祀られるのは三代将軍徳川家光ですよ。」
「はい。」

「日光山輪王寺・大雄院と言えば、日光山輪王寺・大雄院に祀られるのは三代将軍徳川家光です。東照宮に負けないほどの凝った造形物がありますが、その色調は黒と金が主であり、重厚な雰囲気を醸し出しています。」

「東照宮に負けないほどの凝った造形物がありますよ。」
「はい。」

「その色調は黒と金が主であり、重厚な雰囲気を醸し出していますよ。」
「そうなんだ。」

「全く違った日本の魅力をもつ二社一寺ですよ。」
「はい。」

「調和のとれた美しさがあり、随所から昔も今も人類が恐れるのは自然、そして祈るのは平和という思想がみてとれますね。」
「そうなんだ。」

「日本人の根底となる考え方が詰まっているのが、この日光の社寺ですよ。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~白神山地~

「白神山地は、日本の青森県南西部から秋田県北西部にかけて広大に広がるブナの原生林を中心にした山地ですね。」
「はい。」

「ブナの原生林と言えば、ブナは北海道北南西部から九州の大隅半島まで生息する落葉樹で、200年~250年生きると言われています。日本に分布しているのはイヌブナとブナの2種類ありますが、冬の寒さが厳しい白神山地に生息しているのはブナです。」

「白神山地と言えば、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。白神山地は、屋久島とならんで1993年(平成5)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)している。」

「その広さは130,000ヘクタールに及び、ブナの原生林が16,971ヘクタールありますよ。」
「広いですね。」

「ブナの原生林のある一帯が、1993年12月11日に日本の世界遺産として登録されましたよ。」
「はい。」

「産業の発達や経済成長に伴い自然が失われ環境破壊も進んでいった日本です。」
「そうですね。」

「この青森から秋田の地に、世界から認められる豊かな天然林がありますよ。」
「はい。」

「広大なブナ天然林とその生態系が、日本の世界自然遺産としての価値を認められましたよ。」
「そうなんだ。」

「日本で世界自然遺産としての登録を受けたのは、白神山地が初めてですね。」
「はい。」

「これはとても意義のあることですね。」
「はい。」

「白神山地のある青森県や秋田県、そして日本だけではなく、世界がこの自然を守っていくことを強く宣言したことに他なりませんね。」
「そうですね。」

「世界遺産に登録されると、手を加えないように保護して、そのままの状態を受け継いでいく核心地域とその周辺地域の緩衝地域に分けられますよ。」
「そうなんですか。」

「核心地域は次世代に白神山地の貴重な自然環境を受け継いでいくため、既存の指定ルート以外には山を切り開いて道を整備したりすることはできませんよ。」
「はい。」

「立ち入りも規制されていますよ。」
「はい。」

「青森県側の核心地域では、既存の歩道と27のルートが指定されていますよ。」
「そうなんですか。」

「指定ルートでも自然がそのまま手つかずになっているため、危険な場所もありますよ。」
「そうなんだ。」

「登山を行いたい場合は、入山手続きを行う必要がありますよ。」
「そうなんですか。」

「こちらの世界遺産核心地域に入山する登山者は、帰り道のルートを確認しながら自分の責任で歩くことが求められますよ。」
「そうなんだ。」

「自然を損なう行為がないようにしなければなりませんね。」
「そうですね。」

「しかし、観光客でも気軽に訪れられる場所もあり、これらを歩く時は特に届け出は必要ありませんよ。」
「はい。」

「例えば、高倉森歩道、白神岳、小岳、藤里駒ケ岳、二ツ森、暗門の滝、十二湖、太夫峰、岳岱自然観察教育林などですね。」
「はい。」

「岳岱自然観察教育林と言えば、岳岱自然観察教育林は、世界自然遺産・白神山地の原生的なブナ林の雰囲気を気軽に味わえる希少な森である。ブナと苔むした巨岩、大小の転石との調和は、数ある自然庭園の中でも傑出している。」

「太夫峰と言えば、太夫峰(たゆうみね)(標高1,235m)は、白神山地一ツ森から向白神岳へ向かう稜線上に位置する。」

「十二湖と言えば、青森県西津軽郡深浦町にある複数の湖の総称である。白神山地の一角で、津軽国定公園内にある。」

「暗門の滝と言えば、暗門滝(あんもんのたき)は青森県中津軽郡西目屋村に位置する滝である。岩木川上流の白神山地内の暗門川にかかる。暗門の滝とも書かれる。」

「二ツ森と言えば、標高1086メートルの秋田県藤里町と青森県鯵ヶ沢町の県境に位置する山です。かつて秋田と青森をつなぐ林道として計画された『青秋林道』の終点に登山口があります。」

「藤里駒ケ岳と言えば、秋田県山本郡藤里町にある標高1,158mの山である。この地区の地名から太良駒ヶ岳(だいらこまがたけ)とも呼ばれる。」

「小岳と言えば、秋田県山本郡藤里町にある山である。標高は1,042.3m。山頂には三等三角点「小岳」が設置されている。」

「白神岳と言えば、青森県にある山である。標高1,235m。一等三角点の標高は1,231.9m。 世界遺産登録の白神山地にある。」

「高倉森歩道と言えば、高倉森自然観察歩道・ 中級・ 約5.6km(約210~300分)は、 津軽峠から高倉森を経て「アクアグリーンビレッジANMON」にたどり着くこのコースは様々な自然の生態系を観察できるうえ、本格的に白神山地入山の醍醐味が味わえるコースです。」

「ブナ散策歩道や暗黙の滝歩道などは、1時間~2時間程度で散策できますよ。」
「そうなんだ。」

「暗黙の滝歩道と言えば、ブナ散策歩道や暗黙の滝歩道などは、1時間~2時間 程度で散策できます。」

「ブナ散策歩道と言えば、世界自然遺産登録地域内に設置された遊歩道で、白神山地の自然環境・ブナ林を手軽に体感できる散策コースです。」

「本格的な登山をせず、白神山地の雰囲気を感じ、森林浴を楽しむには、おススメのコースですね。」
「わかりました。」

「白神山地と言えば、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がっている標高1,000m級の山地(山岳地帯)のことをいう。白神山地は、屋久島とならんで1993年(平成5)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)している。」

「こちらに赴く際は、スカートにヒールやサンダルといった服装ではなく、山歩きのしやすいズボンを身に着け、歩きやすい靴で行くことが必要ですよ。」
「はい。」

「生態系を守るため、犬などのペット等を連れて散策することができませんよ。」
「わかりました。」

「こちらには日本の特別天然記念物であるカモシカやヤマネ、クマゲラやイヌワシの他、ニホンザルやツキノワグマが生息していると言われていますよ。」
「そうなんですか。」

「ツキノワグマと言えば、哺乳網ネコ目(食肉目)クマ科クマ属に分類される食肉類である。別名アジアクロクマ、ヒマラヤグマ。」

「ニホンザルと言えば、哺乳網サル目(霊長目)オナガザル科マカク属に分類されるサルである。」

「イヌワシと言えば、鳥網タカ目タカ科イヌワシ属に分類される鳥類である。イヌワシ属の模式種。」

「クマゲラと言えば、動物界脊椎動物門鳥網キツツキ目キツツキ科クマゲラ属に分類される鳥類である。」

「ヤマネと言えば、ヤマネ(山鼠、冬眠鼠)は、哺乳網ネズミ目(齧歯目)ヤマネ科ヤマネ属に分類される齧歯類である。現生種では本種のみでヤマネ属を構成する。別名ニホンヤマネ。」

「日本の特別天然記念物であるカモシカと言えば、ニホンカモシカは、哺乳網ウシ目(偶蹄目)ウシ科カモシカ属に分類される偶蹄類である。単にカモシカとも呼ばれる。」

「日本で国内希少種に指定され絶滅危惧種とされているクマタカや、最近注目を集めているシノリガモもいますよ。」
「はい。」

「シノリガモと言えば、動物界脊椎動物門鳥網カモ目カモ科シノリガモ属に分類される鳥類である。本種のみでシノリガモ属を構成する。」

「日本で国内希少種に指定され絶滅危惧種とされているクマタカと言えば、鳥網タカ目タカ科クマタカ属に分類される鳥である。」

「シノリガモは、白神山地の赤石川で繁殖をしたことが、日本国内で初めて確認されましたよ。」
「はい。」

「白神山地の赤石川と言えば、世界遺産白神山地から流れ出る赤石川は、「金あゆ」や「イワナ」で有名な川です。その水を電力用に奪われて下流にもどらない状態が昭和31年から続いています。」

「日本の世界遺産・白神山地へのアクセスは、青森県側からの場合、JR弘前駅からバスで約50分の西目屋村役場で下車し、西目屋館を起点にしますよ。」
「そうなんですか。」

「秋田県側の場合、JR二ツ井駅からバスで30分の湯ノ沢で下車し、藤里館を起点に登山や散策が可能ですよ。」
「わかりました。」





日本の世界遺産と寺社や建築物~知床~

「知床は、2005年に世界遺産として登録をされ、日本国内でも比較的新しい世界遺産ですね。」
「はい。」

「自然遺産の知床と言えば、2005年ユネスコの世界遺産に登録された。北海道の東端にあるオホーツク海に面した知床半島と、その沿岸海域が登録の対象となっている。半島中央部は、千島火山帯が貫き、海岸線は荒く海に削られた地域である。冬には世界で最も南端に接岸する流氷が訪れる。この流氷により大量のプランクトン、サケなどの豊富な魚介類が生息する。」

「日本の世界遺産では、「知床」と称されていますが、知床半島とその沿岸地域が対象とされていますよ。」
「はい。」

「知床半島と言えば、北海道東部、斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがり、オホーツク海に長く突き出た半島である。半島の南側は根室海峡に面し、その対岸に国後島が伸びている。名前の由来は、アイヌ語の「シレトク (sir etok)」で、地山の先、あるいは地山の突き出た所を意味する。原生的な豊かな自然を擁し、1964年に知床国立公園が設定され、2005年には世界遺産に登録された。」

「知床半島は、日本世界遺産に登録される以前から、日本の中でも手つかずの大自然の美しさを見る事ができますよ。」
「そうなんですか。」

「50年程前の1964年に「知床国立公園」に指定され、世界遺産登録以前から多くの観光客が訪れている場所ですよ。」
「はい。」

「知床国立公園と言えば、北海道東部、知床半島周辺に位置する国立公園である。1964年6月1日指定。面積38,636 ha。斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にまたがりとにまたがる。ほぼ手付かずの原生林に覆われており、エゾシカ、キタキツネ、ヒグマなどの獣、オオワシ、オジロワシ、シマフクロウなどの野鳥、シロザケなどの川魚、ゴマフアザラシ、トド、マッコウクジラ、シャチなどの海獣といった様々な生き物が数多く生息する。知床五胡や知床岬などで有名。」

「観光名所として知られているのが、知床八景と呼ばれている「オシンコシンの滝」、「 プユニ岬」、「 オロンコ岩」、「カムイワッカの滝」、「フレペの滝」、「 夕陽台」、「知床峠」、「知床五湖」などですね。」
「いろいろありますね。」

「知床五湖と言えば、北海道斜里町にある湖(秘湖、沼)である。五湖とあり、一湖から五湖までの名前がついている。ただし、湿地帯にあるため融雪期には数が増える。知床八景の一つに数えられる観光地として、一湖を見下ろす展望台や湖を巡る遊歩道が整備されている。」

「知床峠と言えば、北海道目梨郡羅臼町と斜里郡斜里町とを結ぶ国道334号(通称「知床横断道路」)の峠である。標高738 m。峠からは間近に聳える羅臼岳や国後島を望むことができ、知床八景の一つとされている。知床連山を越える峠であり、羅臼側と斜里側では天候ががらりと変わっていることが多い。」

「 夕陽台と言えば、知床国設野営場の一角にあり、若い旅人たちのデート ポイントとしても人気があります。沈む夕陽が海面に朱色の筋をつくる春から秋、流氷で白く覆われた海面が黄金色に染まる冬、それぞれに美しく印象的な夕陽の名所です。」

「フレペの滝と言えば、知床国立公園内 幌別園地(斜里町 岩尾別 )にあるこの滝には川がなく知床連山に降った雪と雨が地下に浸透し、垂直に切り立った約100mの断崖の割れ目から流れ落ちています。ホロホロと流れ落ちるさまが涙に似ていることから、地元では「乙女の涙」という愛称で親しまれています。」

「カムイワッカの滝と言えば、「カムイワッカの滝」は、知床半島のほぼ中央にある活火山の硫黄山を源流としています。落差は32mで、幅も広く、温泉が混じった滝として、直接オホーツク海の海岸に落下します。」

「オロンコ岩と言えば、北海道斜里町ウトロのウトロ港にある高さ約60mの巨岩である。当地の先住民族「オロッコ族」あるいは「そこに座っている岩」を意味するアイヌ語が名称の由来とされる。岩の上部は平坦な地形で、プユニ岬、チャシコツ崎、オホーツク海、ウトロの町並みや知床連山など360度の眺望得ることができ、それは知床八景の一つにも数えられている。」

「プユニ岬と言えば、知床半島北岸にある岬である。 知床国立公園の区域。 ウトロ港から東3.5kmのオホーツク海に面する岬で、流氷の最初の接岸地、水平線に沈む夕陽の名所として知られる。 当地からの眺望は知床八景の一つに数えられている。」

「オシンコシンの滝と言えば、北海道斜里郡斜里町のチャラッセナイ川の河口付近にある滝である。源流は、知床半島の中央部に位置する遠音別岳西側斜面である。日本の滝百選にも選ばれた。」

「その中でも、多くの観光客が訪れる場所として「カムイワッカの滝」をご紹介しますね。」
「お願いします。」

「「カムイワッカの滝」は、知床硫黄山を源流としている温泉水がいくつもの滝壺を形成していますよ。」
「はい。」

「知床硫黄山と言えば、北海道羅臼町と斜里町にまたがる知床国立公園の知床半島にある活火山である。山頂部は斜里町内にあり、標高は1,562m(一等三角点)。」

「手つかずの日本の大自然の中で、温泉を楽しむ事が出来る場所として知られていますよ。」
「いいですね。」

「「カムイワッカの滝」とは、アイヌ語で「カムイ=神」「ワッカ=水」ですよ。」
「はい。」

「これはこの温泉水に硫黄分が多く含まれていることから、生物が生きる事ができない「魔の水」という少し怖い意味も持っていますよ。」
「そうなんですか。」

「このカムイワッカの滝の水が直接オホーツク海に落下する景色は、高くそびえる岩肌から白く輝く水流が流れ落ちるというスケールの大きな日本の景勝を見る事が出来ますよ。」
「いいですね。」

「オホーツク海と言えば、北海道の北東にある太平洋の縁海である。千島列島(クリル列島)・カムチャツカ半島によって太平洋と、樺太(サハリン)・北海道によって日本海と隔てられている。」

「こちらは陸地から見る事はできず、遊覧船から見る事になっていますよ。」
「はい。」

「青い空、青い海の元で、伊吹をあげて落下をする滝の美しさを見る事ができますよ。」
「はい。」

「日本だけでなく、世界から多くの観光客が訪れていますよ。」
「そうなんだ。」

「知床五湖」はその名前の通り、5つの湖が造りだす自然美を楽しむ事ができますよ。」
「はい。」

「湿地帯としても知られていますが、この五湖のうち「1湖」と名付けられている湖を見るには、高架になっている木道を歩き展望台に向かいます。」
「はい。」

「高架になっていることから、湖までの道すがら、眼下に緑のカーペットを敷き詰めたかのような湿地帯が育む植物が広がっていますよ。」
「そうなんだ。」

「1湖までは、40分の高架木道の道のりとなっていますよ。」
「はい。」

「5湖の全てを見たいという方には、遊歩道が完備されており、こちらは1時間半という時間をかけてゆっくりと5つの湖を見る事ができますよ。」
「はい。」

「5つの湖すべてはそれぞれ違う顔を持っいますよ。」
「そうなんですか。」

「それらを比べながら散策をするのも、楽しい時間をすごす事ができますよ。」
「そうですね。」

「エゾリス・エゾシカといったこの地域でしか見られない日本の動物と遭遇をする可能性もある楽しみもありますよ。」
「はい。」

「エゾシカと言えば、北海道に生息するシカの一種である。シカ科シカ属に分類されるニホンジカの亜種である。」

「エゾリスと言えば、ネズミ目(齧歯目)リス科リス属キタリス種の亜種で、北海道に生息するリスである。」

「日本の大自然にゆったりと抱かれるような居心地になるのがこの地ですよ。」
「わかりました。」

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