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フランスの世界遺産と文化遺産~ヴェルサイユ宮殿・フォンテーヌブローの宮殿と庭園・ヴォーバンの防衛施設群・オランジェのローマ劇場とその周辺及び凱旋門・アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群・ベルギーとフランスの鐘楼群・ローマの水道橋ポン・デュ・ガール~





フランス 世界遺産 文化遺産

フランスの世界遺産と文化遺産

「世界には、素晴らしい絶景をたたえた世界遺産がいくつも存在しますね。」
「はい。」

「世界遺産はあまり知られていないので、「世界にある世界遺産の総数は、20~30程度かな?」と思い込んでいる人が多いようですね。」
「そうですね。」

「実際、その数は900種類以上にも上りますよ。」
「そんなに多いんですか?」

「多くの数があるので、一つ一つを把握しているような人はまずいませんね。」
「そうですね。」

「日本の世界遺産を訊かれても、答えられない人が山ほどいますよ。」
「そうだと思います。」

「世界で最も知名度が高いと言える、世界遺産が三つありますね。」
「それは何ですか?」

「その世界遺産とは、エジプトのピラミッド、中国にある万里の長城、フランスにあるヴェルサイユ宮殿の三つですね。」
「はい。」

「この三つは、子供でも知っている世界遺産ですね。」
「なるほど。」

「しかし、その内容を聞かれると、答えられない人が多いですよ。」
「そうなんだ。」

「そこで、「フランス」の世界遺産をざっくりご紹介しますね。」
「お願いします。」

「フランスの世界遺産は、大きく分けて二種類に分かれていますよ。」
「はい。」

「「キリスト教に深く関係する文化遺産」と「古代からの歴史が深く刻まれた遺跡」ですね。」
「はい。」

「ヴェルサイユ宮殿などは、フランス北部のパリ郊外にありますよ。」
「はい。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つのサン=トロフィーム教会は、フランスの南部にありますよ。」
「そうなんだ。」

「ローマ遺跡と言えば、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」は、フランス・プロヴァンス地方にあるユネスコ世界遺産のひとつである。アルルは、古代ローマ時代にはプロヴァンス屈指の大都市として繁栄した時期があり、市内の随所に当時の遺跡がある。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。「ロマネスク」は「ローマ風の」という意。」

「サン=トロフィーム教会と言えば、南フランスの都市アルルに存在するロマネスク様式の教会堂である。教会そのもの及び美しい彫刻が刻まれた柱の並ぶ回廊も高く評価されており、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されている。」

「遺跡は比較的北部に集中し、教会関連のものは南部に集中していますよ。」
「はい。」

「フランスの世界遺産は、かなり分かりやすい分類ができますね。」
「そうなんですか。」

「日本人の観光客などは、ヴェルサイユ宮殿などがあるフランス北部地域を訪問することが多いですね。」
「はい。」

「パリ周辺のオシャレな雰囲気を体感しようと、年を通して多くの日本人が北部の方向に降り立ちますよ。」
「はい。」

「多くの人がパリへ行くので、フランスの中でも他の世界遺産や美味しいワインの飲める街などは、ややないがしろにされがちですね。」
「そうなんですか。」

「しかし、それは非常にもったいないですね。」
「そうですね。」

「フランスにある世界遺産は、ヴェルサイユ宮殿ばかりではありませんよ。」
「はい。」

「南部地方にも、さまざまな観光地や世界遺産がありますよ。」
「はい。」

「ワインの特産地もありますよ。」
「そうですね。」

「ニースやマルセイユも、南部にありますよ。」
「はい。」

「マルセイユと言えば、フランス最大の港湾都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地である。」

「ニースと言えば、フランスの南東部に位置する都市で、アルプ=マリティーム県の県庁所在地である。地中海・コート・ダジュールに面する、世界的に有名な保養地・観光都市である。」

「パリにばかり集中していると、せっかくの美味しい名産地を見逃してしまいますよ。」
「そうなんだ。」

「どうせパリへ行くのなら、他のフランスの世界遺産もセットで見ておかないと損ですよ。」
「わかりました。」

「ヨーロッパへ旅行に行くのなら、是非世界遺産をたくさん見学して欲しいと思います。」
「はい。」

「パリやマルセイユへ行くのなら、やはりその土地の名産品を食べながら旅行しなければ意味がありませんよ。」
「そうですね。」

「ヴェルサイユ宮殿、フォンテーヌブローの宮殿と庭園、ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)などの世界遺産を見ながら食べる美味しい現地料理は格別ですよ。」
「はい。」

「どうせ行くなら、本場のフランス料理に舌鼓を打っておきたいですよ。」
「なるほど。」

「フランス料理は「洋食の本場」というイメージがありますね。」
「はい。」

「「どうせ、どこに入っても美味しいんだろう」と思いがちですが、実際はそうでもありませんよ。」
「そうなんですか。」

「フランスのレストランにも様々な種類がありますよ。」
「はい。」

「美味しいお店もあれば、そうでないお店もありますよ。」
「そうなんだ。」

「「日本人向け」をアピールしているようなお店に安易に入ると、違和感だらけの味付けに戸惑うことにもなりがちですよ。」
「気をつけないといけませんね。」

「世界遺産の旅を余念なく楽しむには、「日本人にも食べやすい」お店よりも、本格的なフランスの現地料理が味わえるレストランに入るのが、おススメですよ。」
「なるほど。」

「ヨーロッパ旅行は何かと不便なことも多いので慣れるまでは大変かも知れませんね。」
「そうなんですか。」

「歩き慣れると、非常に居心地の良い夢のような街に変わりますよ。」
「はい。」

「日本とはまったく違う文化が広がっていますよ。」
「はい。」

「そのような異文化を楽しみながら、フランス観光をしてください。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と文化遺産~ヴェルサイユ宮殿~

「フランスのヴェルサイユ宮殿は、世界中の人々から愛されていますね。」
「はい。」

「ヴェルサイユ宮殿以外の世界遺産は知らない人も、多いかも知れませんね。」
「そうですね。」

「実際、日本の若い人々に知っている世界遺産を挙げてもらうと、日本の世界遺産は一つも出てこないのに、ヴェルサイユ宮殿の名前は挙がったりしますね。」
「そうなんだ。」

「ヴェルサイユ宮殿という場所は、それほど認知度が高い世界遺産ですね。」
「はい。」

「しかし、名前を広く知られている割りには、「肝心の中身」がまったく理解されていなかったりしがちですよ。」
「そうなんだ。」

「「名前は知っているけど、どの国の世界遺産だっけ?」などと言う人も、中にはいますよ。」
「そうなんですか。」

「この世界遺産は、マリー・アントワネットが住んでいた宮殿ですよ。」
「はい。」

「マリー・アントワネットと言えば、フランス国王ルイ16世の王妃である。フランス革命中の1793年に刑死した。1755年11月2日、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンとオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生した。」

「マリー・アントワネットは、世界中の女性の夢をすべて叶えたような理想の女性ですね。」
「はい。」

「この宮殿は、そんな世の憧れの的である女性と、ルイ14世が住んでいた場所ですよ。」
「そうですね。」

「ルイ14世と言えば、ブルボン朝第3代のフランス国王(在位:1643年5月14日 - 1715年9月1日)。ナバラ国王としてはルイス3世。ルイ13世の長子。妃はスペイン国王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ・ドートリッシュ(マリア・テレサ)。ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれた。」

「世界遺産としての正式名称は「ヴェルサイユの宮殿と庭園」となっていますよ。」
「はい。」

「若きマリー・アントワネットが愛してやまなかった、大トリアノン(グラントリアノン)や小トリアノン(プチ・トリアノン)などが世界遺産に含まれますよ。」
「はい。」

「小トリアノン(プチ・トリアノン)と言えば、ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮の一つである。新古典主義建築。建物の形は正方形。」

「大トリアノン(グラントリアノン)と言えば、大トリアノン宮殿( ル・グラン・トリアノン)は、ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮の一つである。1670年、ルイ14世が中国風の小宮殿を建造し、1687年ジュール・アルドゥアン=マンサールの設計により改築したもの。」

「特に、プチ・トリアノンは、少女時代のマリー・アントワネットの心を慰めた庭園ですよ。」
「そうなんだ。」

「女性たちから熱狂的な人気を得ている空間ですね。」
「はい。」

「そして、上記の世界遺産は、いずれも美しい空間ですよ。」
「いいですね。」

「ヴェルサイユの宮殿と庭園の外見は、実は世界遺産らしくない印象の建物ですよ。」
「どういうことですか?」

「ヴェルサイユの宮殿と庭園は、内部が非常に華やかですよ。」
「はい。」

「しかし、外見はそこまで宮殿らしい印象がありませんね。」
「そうなんですか。」

「さらに言うと、バラの咲いている時期に行くのと、そうでない時期に行くのとでは印象が180度変わってしまいますよ。」
「そうなんだ。」

「できれば、バラの咲いてる時期に行くことをおススメします。」
「わかりました。」

「バラの咲き乱れる時期に行くと、イヴリーヌ県の県庁所在地であるヴェルサイユの街はより一層華やかな空間になりますよ。」
「はい。」

「ヴェルサイユの街と言えば、ヴェルサイユの街は、Paris 西南西 約 20km。ヴェルサイユの街は道が広く. パリのような高い建物もあまりなく、白くて広い郊外の町という印象です。」

「イヴリーヌ県と言えば、フランスのイル・ド・フランス地域圏に属し、パリの西に位置する。県庁所在地のヴェルサイユは、ヴェルサイユ宮殿のある町として有名で、訪れる観光客も多い。」

「できれば、行くべき時期や天候の様子などをしっかりチェックしてから観光しましょう。」
「わかりました。」

「数ある世界遺産の中でも、この場所ほど「花」の存在が美しさを左右する場所はありませんね。」
「そうなんだ。」

「もし、フランスの世界遺産をめぐるツアーに参加するのであれば、是非バラが添えられたヴェルサイユ宮殿を見学してくださいね。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と文化遺産~フォンテーヌブローの宮殿と庭園~

「「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、フランソワ1世(1494~1547年)以降の歴代フランス王が愛した場所ですよ。」
「はい。」

「フランソワ1世と言えば、ヴァロワ朝第9代フランス王(在位:1515年 - 1547年)。シャルル5世の曾孫でルイ12世の従兄に当たるアングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイア公フィリッポ2世の娘ルイーズ・ド・サヴォワとの間に生まれた。フランス最初のルネサンス君主と評される。」

「宮殿は、フランス最大規模になりますよ。」
「そうなんですか。」

「この「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、1981年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「フォンテーヌブローの宮殿は、歴代王家の人々が滞在する場所として利用されましたよ。」
「はい。」

「さらに、その場所は王家の権威の象徴としての役割も果たしてきましたよ。」
「そうなんですか。」

「フォンテーヌブローの庭園(「森」とも言う)は、王家の人々が狩りを楽しんだ、かつての狩猟の場所として有名ですね。」
「そうなんだ。」

「昔は、この庭園に王家の人々が狩猟の館を構えていましたよ。」
「はい。」

「「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」には、フランスの宮廷文化が凝縮されていますよ。」
「そうなんですか。」

「フランスの世界遺産の中でも、最大のハイライトと言えますね。」
「なるほど。」

「フォンテーヌブローの地は、12世紀には既に王家の領土になっていましたよ。」
「はい。」

「そして、狩猟の館やフォンテーヌブロー城などがありましたよ。」
「はい。」

「この地を本格的に改修・拡張したのは、当時のフランス国王、フランソワ1世(在位:1515~1547年)ですね。」
「そうなんだ。」

「フランソワ1世は、「芸術家の庇護者」として知られていますね。」
「そうなんですか。」

「ルネサンス芸術に魅了された人物ですね。」
「はい。」

「ルネサンス芸術と言えば、15世紀から16世紀にかけイタリアのフィレンツェを中心に展開し、絵画、建築、彫刻などあらゆる芸術に影響を与えた史上最も重要な芸術運動である。」

「イタリアでルネサンス芸術の花が開いている頃、フランスはまだ、芸術大国と言うには程遠い存在でしたね。」
「そうなんですか。」

「そこで、フランソワ1世は、フランスを「芸術の地」として確立するために、フォンテーヌブローに多くのイタリア人芸術家を招きましたよ。」
「そうなんだ。」

「1528年に、宮殿建築計画に取り掛かりますよ。」
「はい。」

「全体の設計を担当したのは、建築家のジル・ル・ブルトンですね。」
「はい。」

「建築家のジル・ル・ブルトンと言えば、フランソワ1世は、フランスを「芸術の地」として確立するために、フォンテーヌ ブローに多くのイタリア人芸術家を招きました。1528年に、宮殿建築計画に取り掛かります。 全体の設計を担当したのは、建築家のジル・ル・ブルトンです。」

「フランス国王の招聘により集まってきたイタリア人芸術家・建築家は、国王の思い描いた夢の宮殿を、見事に実現しましたね。」
「そうなんだ。」

「外観・内装共に、基本はルネサンス様式ですよ。」
「はい。」

「ルネサンス様式と言えば、15~17世紀初頭に、イタリアを中心に広くヨーロッパに普及した建築・美術様式である。古代ギリシャ・ローマ様式を復興させ、建築ではシンメトリー(左右対称)とバランス(調和)を重視した。」

「イタリア人芸術家が本来持つルネサンス芸術のセンスと、フランス人が好む優雅さや官能の世界を見事に融合させ、ひときわ洗練された空間を造り上げましたよ。」
「はい。」

「フランソワ1世が精力的にイタリア芸術家を庇護し、それに応えるようにイタリア人芸術家たちは、素晴らしい作品を制作し続けましたよ。」
「そうなんだ。」

「フォンテーヌブローの宮殿には、フランソワ1世の名前を冠した「フランソワ1世の回廊」が芸術家たちによって作られましたよ。」
「はい。」

「フランソワ1世の回廊と言えば、フォンテーヌブロー宮殿の各棟をつなぐために作られた建物の中にあり、フランソワ1世がイタリア人芸術家にイタリアルネサンス風の豪華な装飾を施させた回廊である。」

「そこは、絵画と化粧漆喰が交互に並ぶ、見事な空間になっていますよ。」
「そうなんだ。」

「フランソワ1世が居住していた棟も現在まで残っていますよ。」
「はい。」

「楕円の中庭」に沿うようにして、青い屋根の美しい棟が並んでいます。」
「そうなんですか。」

「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、フランソワ1世後も、その高い芸術性と宮殿を取り囲むフォンテーヌブローの森に憩いを求めた王家の人々によって保護され、愛され続けましたよ。」
「はい。」

「フォンテーヌブローの森と言えば、フォンテーヌブローは、フランス、パリ郊外の都市である。フォンテーヌブローには、歴代フランス王の愛したフォンテーヌブロー城、またかつての王族の狩猟地で現在も自然が保全されている広大なフォンテーヌブローの森がある。」

「後のルイ13世は、ここで生まれましたよ。」
「はい。」

「ルイ14世は、狩りのシーズンである9~11月は、毎年ここに居住しましたよ。」
「そうなんですか。」

「ルイ14世と言えば、ブルボン朝第3代のフランス国王(在位:1643年5月14日 - 1715年9月1日)。ナバラ国王としてはルイス3世。ルイ13世の長子。妃はスペイン国王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ・ドートリッシュ(マリア・テレサ)。ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれた。」

「ルイ16世は、妻マリー・アントワネットのために、3連の部屋(遊戯室、私室、寝室)を増改築し、フランスの宮廷文化を牽引していきましたよ。」
「わかりました。」

「ルイ16世と言えば、ブルボン朝第5代のフランス国王(在位:1774年5月10日 - 1792年8月10日)。ナバラ国王としてはルイス5世。ルイ15世の孫。王妃は神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット。」

「マリー・アントワネットと言えば、フランス国王ルイ16世の王妃である。フランス革命中の1793年に刑死した。1755年11月2日、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンとオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生した。」

「フランソワ1世によって「芸術の集大成」としてのフォンテーヌブローの宮殿が誕生しましたよ。」
「はい。」

「フランソワ1世と言えば、ヴァロワ朝第9代フランス王(在位:1515年 - 1547年)。シャルル5世の曾孫でルイ12世の従兄に当たるアングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイア公フィリッポ2世の娘ルイーズ・ド・サヴォワとの間に生まれた。フランス最初のルネサンス君主と評される。」

「それ以来、歴代のフランス王家はフォンテーヌブローの地を愛し続け、増改築を繰り返してきましたよ。」
「はい。」

「しかし、1789年のフランス革命により、フォンテーヌブローは一気に転落の道を辿る危機に直面しましたよ。」
「そうなんですか。」

「フランス革命と言えば、18世紀にフランスで起きた市民革命である。1787年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデターまでが、一般に革命期とされている。前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、 世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。」

「革命により、フランス各地の教会やその他の建築物は被害に遭いましたよ。」
「はい。」

「フォンテーヌブローの宮殿と庭園も荒廃していきましたよ。」
「はい。」

「自由を手にしたフランス国民は、王家が二度と富や権力を持たないように、フォンテーヌブローの宮殿に収められていた家具や調度品を全て売り払いましたよ。」
「そうなんですか。」

「宮殿は空っぽになり、王家の華やかな歴史と宮廷文化は、すぐに忘れ去られる存在になりましたよ。」
「そうなんだ。」

「しかし、この宮殿の魅力とそれを囲む森の美しさに、誰も逆らえませんでしたよ。」
「はい。」

「フランス革命から10年後、ナポレオン・ボナパルトによって帝政時代が始まりましたよ。」
「はい。」

「ナポレオン・ボナパルトと言えば、革命期フランスの軍人・政治家である。ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立し、イギリスを除くヨーロッパの大半を勢力下に置いた(ナポレオン戦争)が、最終的に敗北し失脚した。」

「ナポレオンも又、フォンテーヌブローの宮殿にすっかり魅了されましたよ。」
「そうなんだ。」

「特にナポレオンは、フォンテーブローヌの宮殿を「権威の証」とし、再び宮殿に息を吹き込みましたよ。」
「はい。」

「ナポレオンも又、宮殿増改築に積極的に関わった人物の一人ですね。」
「そうなんだ。」

「コルシカ島の貧しい貴族の家庭で生まれた彼は、フォンテーヌブローの宮殿と庭園を、自分の意のままにしようと試みましたよ。」
「はい。」

「コルシカ島と言えば、地中海西部、イタリア半島の西に位置するフランス領の島である。フランス皇帝ナポレオン1世の出身地として知られている。」

「その時代には、「ナポレオンの寝室」、「ナポレオン1世の格子門」などが新たに設けられましたよ。」
「はい。」

「元々国王の寝室があった場所を、金箔の施された「玉座の間」に改修しましたよ。」
「そうなんだ。」

「現在、私たちが目にする「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、ナポレオンの時代に増改築された姿ですよ。」
「はい。」

「しかし、ナポレオンの時代は長く続きませんでしたよ。」
「そうなんですか。」

「1804年に帝位に就いたナポレオンは僅か10年で失脚し、フォンテーヌブローをあとにすることになりましたよ。」
「短いですね。」

「その後は、ナポレオン3世がフォンテーヌブローの地を引き継ぎ、フランス第二帝政の時代を築いていきますよ。」
「はい。」

「フランス第二帝政の時代と言えば、1852年から1870年まで存在した君主政体である。ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)が1851年12月2日にクーデターによって議会を解散し、新たな憲法を制定した上で国民投票によってフランス皇帝に即位した。」

「ナポレオン3世と言えば、フランス第二共和制の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝である(在位:1852年 - 1870年)。本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトであり、皇帝に即位して「ナポレオン3世」を名乗る以前については一般にルイ・ナポレオンと呼ばれている。」

「フランスの帝政時代は1870年に幕を閉じますよ。」
「はい。」

「そして、フォンテーヌブローの増改築の歴史にも、幕が下ろされましたよ。」
「そうなんだ。」

「現在は、フランス文化省の機関によって保護されていますよ。」
「はい。」

「改修の必要となった絵画や建築物は、修復士たちによる丁寧な修復作業がされていますよ。」
「はい。」

「そして、1981年に世界遺産に認定されましたよ。」
「そうなんだ。」

「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、現在でも人々を魅了する場所として輝き続けていますね。」
「はい。」

「世界遺産にまでなっていますから、世界中から観光客が押し寄せるのは言うまでもありませんね。」
「はい。」

「フォンテーヌブローはフランスの首都・パリに近いので、週末になると、平日の疲れから解放され、癒されるために、多くのパリ市民がこの庭園を訪れますよ。」
「そうなんですか。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、世界中の人々を魅了する芸術の集大成ですよ。」
「はい。」

「フランス市民にとっても必要な場所ですね。」
「はい。」

「そんな、フランス国内外から人々が訪れる、壮大なフォンテーヌブローの歴史を、一度生で味わってはいかがでしょうか。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と文化遺産~ヴォーバンの防衛施設群~

「中世から近世に入るまで、フランスを含めたヨーロッパ各地は、戦乱に明け暮れていましたね。」
「そうですね。」

「その間に、大砲など更に破壊力を増した武器が登場しましたね。」
「はい。」

「中世初期に城や領土を守るために築かれた要塞では、もはや不十分になりましたよ。」
「はい。」

「従来の要塞は、見た目がシンプルで、垂直の高さがある壁で、城や重要都市の市街地を守ってきましたね。」
「そうですね。」

「それがもはや古いスタイルで、簡単に破壊されてしまうとわかりましたよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、ヨーロッパでは新しい要塞建築様式が求められましたよ。」
「なるほど。」

「この時代に、「要塞建築の天才」として登場したのが、フランスの軍事技術者のセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633年~1707年)ですね。」
「はい。」

「フランスの軍事技術者のセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンと言えば、フランス国王ルイ14世に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人(技術将校)、建設技術者、建築家、都市計画家である。軍隊技術者の中で最も有名な人物として知られる。150の戦場の要塞を建設あるいは修理し、53の城塞包囲攻撃を指揮したといわれる。近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化し、「落ちない城はない」と言われたほどの要塞攻城の名手であった。」

「ヴォーバンは、高等教育で、後の要塞建築に必要となる知識、数学や幾何学などを習得しましたよ。」
「はい。」

「その後軍隊に入り、多くの戦乱の中での活躍が、軍上層部の目に留まりましたよ。」
「はい。」

「やがて、軍において最も必要な要塞建築を任されるようになりましたよ。」
「はい。」

「こうして、彼の要塞建築家としての人生が始まりましたよ。」
「そうなんだ。」

「生涯を通じて、彼は150もの要塞の建築及び修理に携わりましたよ。」
「はい。」

「その中で、独自の理論を存分に発揮した要塞が、後の現代フランス国家でも高く評価されましたよ。」
「はい。」

「ヴォーバンの築いてきた要塞や建造物のうちの12箇所が、「ヴォーバンの防衛施設群」という名称で、2008年には世界遺産に登録されましたよ。」
「わかりました。」

「2008年時点で、世界遺産として認定されていないヴォーバンの建築物は、まだまだ沢山ありますよ。」
「はい。」

「将来、世界遺産に追加登録されるかも知れませんね。」
「はい。」

「現在認定されている12物件は、フランス各地に点在していますよ。」
「そうなんだ。」

「ヴォーバンが中世から近世にかけて、フランス領土内のありとあらゆる場所で要塞建築を行ってきたことがわかりますね。」
「はい。」

「「ヴォーバンの防衛施設群」には、フランスがいかにして戦乱の中で自衛に成功してきたかを解き明かす鍵が、沢山隠されていますよ。」
「そうなんですか。」

「「ヴォーバンの防衛施設群」を見ると、そこに非常に特徴的な点が幾つかあることに気づきますよ。」
「それは何ですか?」

「「ヴォーバンの防衛施設群」の主要なものを航空写真で見ると、その要塞の形が極めて秩序立っており、星型や三角形などの先端を持っていることがわかりますね。」
「はい。」

「三角形の先端を持つ要塞を「稜堡(りょうほ)要塞」と言いますよ。」
「はい。」

「稜堡(りょうほ)要塞と言えば、稜堡(りょうほ)とは、城壁や要塞の外に向かって突き出した角の部分である。また、そのような形式で造られた堡塁(ほるい)。大砲による攻撃の死角をなくすために考案されたもので、堡塁全体は星形となる。ヨーロッパで発達。日本では五稜郭などに取り入れられている。」

「これがヴォーバン建築の一つの特徴を形成していますね。」
「なるほど。」

「元々、この建築方法はイタリアで始まったものですよ。」
「そうなんですか。」

「最終的には、ヴォーバンが体系づけたと言われていますよ。」
「はい。」

「ヴォーバンは、敵からの攻撃に対して要塞の耐久性を高めるために、低く厚い稜堡を築き、多角的に要塞を建築することで、防衛する側からの死角をなくすことに成功しましたよ。」
「そうなんだ。」

「これらの工夫が、実際の戦争で功を奏しましたよ。」
「はい。」

「今度はフランスのみならず、ヴォーバン建築は、世界の要塞建築に大きく影響を与えていきましたよ。」
「はい。」

「「ヴォーバンの防衛施設群」を訪ね歩くと、中世・近世のフランスの戦争史を体感できますよ。」
「そうなんだ。」

「「ヴォーバンの世界」に浸る旅、それは戦争の痕を辿りながら、ヴォーバンの人生の軌跡も同時に垣間見ることができる、ロマンチックな旅になるでしょう。」
「そうですね。」

「「防衛施設めぐり」という、フランス国内の旅もいいのではないでしょうか。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と文化遺産~オランジェのローマ劇場とその周辺及び凱旋門~

「南フランスにあるプロヴァンス地方は、フランスで最も気候が穏やかで、ヴァカンスを過ごす人たちで賑わう場所として有名ですね。」
「そうですね。」

「プロヴァンス地方と言えば、プロヴァンスは、現代フランスの面積の南東部を占める地方で、東側は対イタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸までである。南は地中海に面している。今日のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の大部分が重なる。」

「その中の都市オランジェには、古代ローマ帝国時代の遺跡がありますよ。」
「はい。」

「古代ローマ帝国時代と言えば、古代ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民であり、共和制成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。」

「都市オランジェと言えば、オランジュ(Orange)は南フランスプロヴァンス地方のヴォクリューズ県にある市である。人口約2万8千人。アヴィニョンの北方21キロに位置する。英語ではオレンジ(Orange)、オランダ語ではオラニエ(Oranje)となる。」

「その中の「ローマ劇場」と「凱旋門」は、「オランジェのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」の名称で、1981年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「1981年には、フランスにある古代ローマの遺跡が、高く評価されたようですね。」
「そうなんだ。」

「同じプロヴァンスにある「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」も同年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「ローマ遺跡と言えば、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」は、フランス・プロヴァンス地方にあるユネスコ世界遺産のひとつである。アルルは、古代ローマ時代にはプロヴァンス屈指の大都市として繁栄した時期があり、市内の随所に当時の遺跡がある。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。「ロマネスク」は「ローマ風の」という意。」

「このように、プロヴァンスの地には、ローマ帝国がヨーロッパで版図を拡大していた頃の遺跡が多く残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「それらが、世界中の観光客を惹きつけていますよ。」
「そうなんだ。」

「「ローマ劇場」とは、古代ローマが領土内の都市に築いた劇場のことですよ。」
「はい。」

「半円形が特徴ですね。」
「はい。」

「現フランスの一部は、かつてローマ帝国の支配下にありましたよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、ローマ劇場が幾つかあり、その中でも「オランジュのローマ劇場」は、最も保存状態が良いことで知られていますよ。」
「はい。」

「「オランジュのローマ劇場」は、1世紀のアウグストゥス治世の時に建造されましたよ。」
「そうなんですか。」

「その規模は、舞台幅(半円の直線を描く箇所)は100m以上もあり、舞台後部の壁は高さ37mもありますよ。」
「はい。」

「この劇場は1万人の収容が可能で、かつては喜劇上演や演説の場所として利用され、多くの観客が詰め掛けました。」
「大きいですね。」

「4世紀からこのローマ劇場は徐々に荒廃し、何世紀にも亘り廃墟となっていましたよ。」
「そうなんだ。」

「1825年に、プロスペル・メリメの指揮の下で、修復計画が開始されましたよ。」
「はい。」

「プロスペル・メリメと言えば、フランスの作家、歴史家、考古学者、官吏である。小説『カルメン』で知られる。パリのブルジョワの家庭に生まれた。法学を学んだ後、官吏となり、フランスの歴史記念物監督官として、多くの歴史的建造物の保護に当たった。ナポレオン3世の側近であり、元老院議員として出世を遂げた。」

「尚、メリメは後にブルゴーニュ地方にあるヴェズレーの教会も修復し、こちらもまた世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」

「ヴェズレーの教会と言えば、サント=マドレーヌ大聖堂 は、フランスの町ヴェズレーの中心的な丘の上にあるバシリカ式教会堂である。この教会と丘は、1979年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ヴェズレーの教会と丘」)。」

「ブルゴーニュ地方と言えば、ブルゴーニュ地域圏は、フランス東部の地域圏である 。首府はディジョン。人口は 約162万人(1999年)。ブルゴーニュ・ワインの産地として世界的に有名。温暖な気候と平坦で耕作に適した土地など、恵まれた自然条件を活かして古くから農耕が盛んである。」

「「オランジュのローマ劇場」は、再建された後、再び劇場として利用されるようになりましたよ。」
「そうなんですか。」

「現在では、毎年夏に、オペラやコンサートなどの催し物が行われていますよ。」
「はい。」

「舞台中央上部には、ローマ皇帝アウグストゥスの像が飾られていますよ。」
「はい。」

「ローマ皇帝アウグストゥスと言えば、ローマ帝国の初代皇帝である(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。ちなみにアウグストゥスは、ラテン語で「尊厳ある者」を意味しており、現在のギリシア語では「8月」の意になっている。」

「舞台に登場する音楽家や観客を見守っていますよ。」
「はい。」

「古代ローマの劇場が、現在もその機能を失わずに利用されていることは、驚くべきことですね。」
「そうですね。」

「「オランジュのローマ劇場」と共に世界遺産になった、「オランジュの凱旋門」は、紀元前20年頃に建てられたと言われていますね。」
「はい。」

「その当時は、ローマがオランジュの街を建造した記念塔として建てられましたよ。」
「はい。」

「現在でも、この凱旋門は殆ど当時のままの姿で残っていますよ。」
「そうなんだ。」

「高さ22m、幅21m、奥行き8mの凱旋門には、ローマ古典主義とギリシャのヘレニズム文化の影響を受けた彫刻が豊富に見られますね。」
「はい。」

「ギリシャのヘレニズム文化と言えば、アレクサンドロスの東方遠征からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの文化をヘレニズム文化という。ポリスという枠の中で活動していたギリシャ人だがアレクサンドロス以後世界が広がった。」

「私たち日本人が「凱旋門」と言うと、真っ先にパリの凱旋門を思い出しますね。」
「そうですね。」

「凱旋門と言えば、エトワール凱旋門は、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門である。パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「パリにある「エトワールの凱旋門」は高さ50m、幅45mという規模ですね。」
「はい。」

「それに比べると、オランジュの凱旋門は半分くらいの大きさで、見劣りがすると思われるかもしれませんね。」
「そうですね。」

「しかし、「オランジュの凱旋門」には紀元前から続く歴史的な重みがあり、間違いなく一見の価値がありますよ。」
「はい。」

「フランスに残る古代ローマの遺跡として名高い「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」は、アルルのローマ遺跡群と併せて訪れることをおススメします。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と文化遺産~アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群~

「南フランスに広がるプロヴァンス地方は、日本でも観光地として非常に有名ですね。」
「そうですね。」

「プロヴァンス地方と言えば、プロヴァンス は、現代フランスの面積の南東部を占める地方で、東側は対イタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸までである。南は地中海に面している。今日のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の大部分が重なる。」

「その中の都市・アルルは、かつてローマ帝国の主要都市でしたよ。」
「はい。」

「特にコンスタンティヌス帝の時代には、多くの公共施設や重要建造物が建立されましたよ。」
「はい。」

「コンスタンティヌス帝と言えば、ローマ帝国の皇帝(在位:306年 - 337年)である。帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称される。キリスト教を公認してその後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会では、聖人とされている。」

「これらの古代ローマ帝国の遺跡は、中世に建立されたロマネスク様式の美しい「サン・トロフィーム教会」と共に、1981年に「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」という名称で、世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「ローマ遺跡と言えば、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」は、フランス・プロヴァンス地方にあるユネスコ世界遺産のひとつである。アルルは、古代ローマ時代にはプロヴァンス屈指の大都市として繁栄した時期があり、市内の随所に当時の遺跡がある。」

「サン・トロフィーム教会と言えば、南フランスの都市アルルに存在するロマネスク様式の教会堂である。教会そのものもさることながら、美しい彫刻が刻まれた柱の並ぶ回廊も高く評価されており、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されている。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。「ロマネスク」は「ローマ風の」という意。」

「これらのローマ遺跡はアルルの町に点在していますよ。」
「はい。」

「アルルの町と言えば、フランス南部にあるコミューンである。同国内最大面積を持つ。住民の呼称はアルレジャン と呼ばれ、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画などの題名に用いられている『アルルの女』はこの女性単数形である。アルルは紀元前6世紀頃ギリシア人によって"Theline"の名前で創設された。」

「街中を歩くと、あちこちで古代ローマをしのぶ遺跡に巡り合いますよ。」
「そうなんだ。」

「「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」は又、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼地」という世界遺産の一部にも組み込まれていますよ。」
「はい。」

「アルルの地をローマ人が占拠したのは、紀元前123年頃ですね。」
「はい。」

「その後ローマ帝国が拡大し、紀元前1世紀には、初代ローマ皇帝カエサルが、アルルをローマ帝国の植民都市として支配するようになりましたよ。」
「そうなんですか。」

「初代ローマ皇帝カエサルと言えば、カエサル(Caesar)は、ローマ帝国およびその継承国家で用いられた君主号である。共和政ローマ末期の終身独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルは、内戦での勝利を経て事実上の単独支配を確立し、帝政の礎を築いた。これを継承し、実際に帝政を開始したオクタウィアヌス(アウグストゥス)もまた、カエサル家の養子となっておりガイウス・ユリウス・カエサルに後継者として選ばれた後は「カエサル」の名はオクタウィアヌスの名でもあった。」

「その後、アルルはローマ帝国が崩壊するまでローマの主要都市として発展を続けましたよ。」
「そうなんだ。」

「その間に、この地に後の世界遺産となる多くの建造物が生まれましたよ。」
「はい。」

「その中でも圧倒的な規模を誇るのが、「円形闘技場」ですね。」
「はい。」

「「円形闘技場」は、カエサルの次に皇帝となったアウグストゥスの時代に造られましたよ。」
「はい。」

「闘技の場として多くの観客を動員しましたよ。」
「そうなんだ。」

「その規模は直径約136mで、2万5千人もの観客を収容できる巨大なものですよ。」
「はい。」

「5世紀にはキリスト教の影響で闘技が禁止になり、一時要塞式の居住地になりましたよ。」
「はい。」

「19世紀に、再び闘技の場として復活を遂げましたよ。」
「そうなんだ。」

「現在では、毎年春に「復活闘牛祭」が行われていますね。」
「はい。」

「復活闘牛祭と言えば、フランス南東部のアルルで毎年復活祭時に闘牛が円形闘技場で行われます。闘牛の他にも町のいたるところで闘牛ゲームやコンサートメイン通りに牛を野放しにしたりして町中興奮に包まれています。」

「この「円形競技場」は、現在でもアルルの象徴的建造物として、人々に知られていますよ。」
「はい。」

「この「円形闘技場」の他にも、4世紀にコンスタンティヌス帝が建造した「ローマの公衆浴場」、歴代アルル司教及びキリスト教信者が永眠する場所として望んだ「アリスカン」、ローマ城壁の一部も、現在まで残されていますよ。」
「そうなんですか。」

「アリスカンと言えば、南フランスの都市アルルに存在する古代から中世に拡大した墓地である。現在は、世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一部として登録されている。」

「中世に入ると、「アリスカン」の周りには多くの教会が造られるようになりましたよ。」
「はい。」

「アリスカンと言えば、南フランスの都市アルルに存在する古代から中世に拡大した墓地である。現在は、世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一部として登録されている。」

「その中の一つが、「ロマネスク様式建造物」の「サン・トロフィーム教会」ですね。」
「はい。」

「サン・トロフィーム教会と言えば、南フランスの都市アルルに存在するロマネスク様式の教会堂である。教会そのものもさることながら、美しい彫刻が刻まれた柱の並ぶ回廊も高く評価されており、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されている。」

「この教会は、アルルにキリスト教を伝えた聖トロフィムスの聖遺物を納めるために、11世紀末から12世紀中頃にかけて造られましたよ。」
「そうなんだ。」

「聖トロフィムスと言えば、3世紀初頭の初代アルル司教であったと思われる聖トロフィムス(トロフィーム)をめぐっては、数々の伝説が生まれた。聖ペテロから派遣された使徒である、聖パウロの従弟で弟子である、あるいは、マリア サロメらの上陸を出迎えたのは彼であったらしい。」

「「サン・トロフィーム教会」の正面扉口上部には、優雅で緻密な彫刻が施されていますよ。」
「はい。」

「サン・トロフィーム教会と言えば、南フランスの都市アルルに存在するロマネスク様式の教会堂である。教会そのものもさることながら、美しい彫刻が刻まれた柱の並ぶ回廊も高く評価されており、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されている。」

「その中には、聖トロフィムスの姿もありますよ。」
「はい。」

「ローマ遺跡とは全く違った趣を持つこの教会は、アルルの世界遺産群を形成する建築群の中でも、ひときわ美しさを放っていますよ。」
「そうなんですか。」

「南フランスの穏やかな天気のもと、古代ローマを思い描きながら、ゆっくり散歩してみるのも素敵ですね。」
「そうですね。」





フランスの世界遺産と文化遺産~ベルギーとフランスの鐘楼群~

「ベルギーの南部からフランスの北部にかけての地域には、数多くの「鐘楼」がありますよ。」
「はい。」

「「鐘楼」とは、町の中央にそびえる巨大な鐘塔のことですよ。」
「はい。」

「中世ヨーロッパでは、非常に重要な役割を果たしていましたよ。」
「そうなんですか。」

「他国に支配され、抑圧された中で生きることを余儀なくされてきた人々にとって、鐘楼を建てることは、「自由」を勝ち取ったことを証明することですよ。」
「そうなんだ。」

「繁栄の証でもありましたよ。」
「はい。」

「自由と繁栄の時代を謳歌する人々にとって、鐘楼から奏でられる美しい音色は、明るい未来を象徴するものでしたよ。」
「はい。」

「これらの鐘楼で、ベルギーのフランドル地方とワロン地方にある鐘楼群は、1999年に世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「ワロン地方と言えば、ワロン地域は、ベルギーの連邦構成主体である3つの地域のうち、国土の南半分を占める地域である。首府はナミュール。公用語はフランス語とドイツ語である。」

「ベルギーのフランドル地方と言えば、フランドルは、旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域である。中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。」

「その6年後、ベルギーの鐘楼群に、フランスのノール・パ・ド・カレ地方とピカルディ地方の鐘楼群が加わりましたよ。」
「はい。」

「ピカルディ地方と言えば、ピカルディ地域圏は、フランス北部の地域圏である。ベルギーとの国境に近く、酪農や畑作、軽工業が盛んである。緯度は樺太と同程度であるが、西岸海洋性気候のため一年を通じて温暖に過ごす事ができる。州都は大聖堂で有名なアミアン。主要産業は農業。」

「フランスのノール・パ・ド・カレ地方と言えば、ノール=パ・ド・カレー地域圏 は、フランス北端、ベルギーと国境を接する地域圏である。北緯50度付近に位置し、かなり高緯度であるが西岸海洋性気候の恩恵を受けてフランス国内でも有数の日照時間と平均した降水量に恵まれ古くから産業が発達した。首府は人口22万人の工業都市リール。」

「現在では、合計56本もの鐘楼が「ベルギーとフランスの鐘楼群」として世界遺産に登録されていますよ。」
「はい。」

「したがって、この世界遺産は、フランスとベルギーが「世界遺産」の称号を共有していることになりますね。」
「そうなんだ。」

「フランスにはこのように、他国と世界遺産を共有している物件がもう一箇所ありますよ。」
「はい。」

「フランス南部・ピレネー山脈にある「モン・ペルデュ」は、スペインと共有の世界遺産になっていますよ。」
「そうなんですか。」

「モン・ペルデュと言えば、フランスとスペインの国境に近い、ピレネー山脈のスペイン側斜面の山頂の名前である。山頂の標高は3352mで、これはピレネー山脈の山としては三番目に高く、石灰質の山としてはヨーロッパ最高峰を誇る。「モン・ペルデュ」はフランス語名称で、スペイン語では「モンテ・ペルディード」。ともに「孤立した山」の意味である。日本では「ペルデュ山」「ペルディド山」などとも表記される。」

「フランス南部のピレネー山脈と言えば、フランスとスペインの国境が走る褶曲山脈である。ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分ける山脈でもある。山脈はほぼ東西方向に延び、長さ430km、幅は定義にもよるが100km程度である。山脈の中央東寄りの位置にはミニ国家であるアンドラ公国がある。」

「「ベルギーとフランスの鐘楼群」を構成する鐘楼には、「カリヨン」という楽器が備えられていますね。」
「どういう楽器ですか?」

「カリヨンという楽器と言えば、ヨーロッパの街に響くカリヨン(組鐘)の音。カリヨンは「巨大なオルゴール」なだけではなく、人が演奏する「楽器」でもある。」

「「カリヨン」とは、複数の鐘を組み合わせて造られた楽器のことですよ。」
「はい。」

「ヨーロッパには多くのカリヨン奏者がいるくらい、一般的な楽器ですよ。」
「そうなんだ。」

「カリヨンを備えた鐘楼は、主に13世紀から17世紀にかけて建立されてきましたよ。」
「はい。」

「その建築様式は、ロマネスク様式やゴシック様式と様々ですね。」
「はい。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例。「ロマネスク」は「ローマ風の」という意。」

「時代の流行が反映されたのだと思いますよ。」
「なるほど。」

「13世紀~14世紀にかけて造られた鐘楼は、がっしりした造りが特徴でしたね。」
「はい。」

「徐々にその建築様式は、縦長のものに変わっていきましたよ。」
「はい。」

「16~17世紀にかけて造られた鐘楼は、天に向かって細く、長く伸びるようなシルエットになりましたよ。」
「はい。」

「そして鐘楼の持つ性格も、「自由」、「繁栄」を象徴するものから、モニュメント的な意味合いに変わっていきましたね。」
「そうなんだ。」

「フランス北部の大都市には、必ずと言っていいほど、鐘楼がありますね。」
「そうなんですか。」

「ノール・パ・ド・カレ地方の首府・リール、港町として栄えてきたカレー、世界遺産「アミアン大聖堂」で有名なアミアンなどの町の中央にも、鐘楼がありますね。」
「はい。」

「アミアン大聖堂と言えば、 1981年に登録された世界遺産(文化遺産)で、フランス北部ピカルディーにある。13世紀に最盛期を迎えた大聖堂の建設ラッシュはヨーロッパ各地に多くの建造物を生み出したが、そのなかでもゴシック様式聖堂の最高峰と称される。」

「アミアンの町と言えば、北のベニスと称されるピカルディの首都、花と水郷の町アミアンは、又ゴシックの完成形とまで言われる光り輝くノートルダム大聖堂の町でもある。」

「港町として栄えてきたカレーと言えば、カレーは、フランス北部パ=ド=カレー県の都市である。ドーバー海峡(カレー海峡)の海底を英仏海峡トンネルが通り、イギリスのドーバーと結んでいる。」

「首府・リールと言えば、フランス北部の都市で、ベルギーと国境を接するノール=パ・ド・カレー地域圏の首府、ノール県の県庁所在地である。」

「これらの鐘楼は、現在も美しい音色を奏で、町の人々の心を楽しませていますよ。」
「はい。」

「現在、世界遺産に名を連ねている鐘楼は、56本ありますよ。」
「多いですね。」

「そのうちベルギーのものが33本、フランスのものが23本ですよ。」
「はい。」

「これら56本の鐘楼は、それぞれがオリジナルのカリヨンを持ち、鐘楼によって、違った音色を奏でていますよ。」
「そうなんだ。」

「言うまでもなく、フランスやベルギーは芸術大国として知られていますね。」
「そうですね。」

「その名声は絵画や彫刻に留まるものではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「印象派やフランドル絵画など、目を楽しませる芸術を求めてフランスとベルギーを訪れる観光客は多いですよ。」
「はい。」

「しかし、「カリヨンの音色」を求める旅も又、個性的で楽しい旅になるでしょう。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と文化遺産~ローマの水道橋ポン・デュ・ガール~

「現在、南フランスである地域の一部は、かつてローマ人に支配されていましたよ。」
「そうなんですか。」

「ヴァカンスの地として有名なプロヴァンス地方、その西側にあるランドック・ルーション地方は、2000年前はローマの一部でしたよ。」
「はい。」

「ランドック・ルーション地方と言えば、ラングドック=ルシヨン地域圏は、フランス南部、地中海(リオン湾)に面する地域圏である。ラングドックはオック語が話されている地域であったことに由来する。」

「プロヴァンス地方と言えば、プロヴァンスは、現代フランスの面積の南東部を占める地方で、東側は対イタリア国境、西は標高の低いローヌ川左岸までである。南は地中海に面している。今日のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の大部分が重なる。」

「ローマ人は領土内で数多くの土木建設を行いましたよ。」
「はい。」

「その中の多くが、現在まで残っていますよ。」
「そうなんだ。」

「さらに、その中の一部が世界遺産に認定されていますよ。」
「はい。」

「「ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)」も、かつてローマ人が建設したものの一つですね。」
「はい。」

「「ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)」は、1985年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「「ポン・デュ・ガール」は、フランスでは有数の観光地の一つになっていますよ。」
「そうなんだ。」

「「ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)」がかかっているのは、ランドック・ルーション地方ガール県にある、ガルトン川ですね。」
「はい。」

「ガルトン川と言えば、フランス南東部を流れる長さ127.4kmの川である。ローヌ川に流れ込む支流のひとつで、セヴェンヌ山脈に源を発している。かつてはガール川とも呼ばれ、ガール県の語源になったが、現在ではその呼称は廃れてしまい、例外的にしか使われなくなっている。」

「ランドック・ルーション地方ガール県と言えば、フランスのラングドック=ルシヨン地域圏の県である。県名の由来となったガルドン川に架かる世界遺産のポン・デュ・ガールがある。ポン・デュ・ガールは古代ローマ時代に架けられたと考えられている。」

「ガルトン川のある地域は、紀元前後はローマの重要な植民地でしたよ。」
「はい。」

「ローマ人は、それぞれの街の発展のために多くの水道を建設し、これらは「ローマ水道」という固有の呼び方がされていますよ。」
「そうなんだ。」

「水道建築は、多種多様な古代ローマ建設の中でも、最も偉大な仕事とされていましたよ。」
「はい。」

「古代ローマで最も栄えた街は、現ローマのある地域ですね。」
「そうでしょうね。」

「ここには、現在も使われている古代のローマ水道が多くありますよ。」
「はい。」

「古代ローマがランドック・ルーションに領土を拡大してから、主要都市になったネマウスス(現ニーム)に大量の水を供給するために、ポン・デュ・ガールが建設されましたよ。」
「はい。」

「主要都市になったネマウスス(現ニーム)と言えば、現在、南フランスである地域の一部は、かつてローマ人に支配されていました。古代ローマがランドック・ルーションに領土を拡大してから、主要都市になったネマウスス(現ニーム)に大量の水を供給するために、ポン・デュ・ガールが建設され ました。」

「紀元前19年頃のことですよ。」
「そうなんですか。」

「水源地となったのはユゼスという町ですよ。」
「はい。」

「水源地となったのはユゼスという町と言えば、ユゼスの町が最も発展し、現在見られる町の景観になったのは17、18世紀のことである。この地が水資源が豊富で、ポン・デュ・ガールを通ってニームへ運ばれる水源地であったことを感じさせてくれます。」

「ユゼスからネマウススを繋ぐ約50kmの水道は、高低差が僅か17mしかありませんでしたよ。」
「高低差が少ないですね。」

「このため、水路には傾斜をつけるなど、様々な工夫がされていましたよ。」
「はい。」

「ポン・デュ・ガールも又、ユゼスからネマウススに至る水路で、重要な役割を果たしていますよ。」
「はい。」

「一日に2万トンもの水を運んでいましたよ。」
「凄いですね。」

「そして、2000年もの月日が流れ、現在まで保存されてきましたよ。」
「よく保存されましたね。」

「「ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)」は、3層のアーチ型で構成されている、石造りの橋ですよ。」
「はい。」

「全長275m、高さ49mという巨大なものですよ。」
「大きいですね。」

「この3層のうちの再上層が、蓋つきの水路として利用されていましたよ。」
「はい。」

「専門家によると、この3重構造の石造りは、少ない石材で十分な強度を保てる、非常に優れた設計と言うことですよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、2000年もの時を経て、現在までその形を残し続けてこられたのでしょう。」
「なるほど。」

「アーチ型の橋が3段になっている不思議な光景は、個性的な美しさでも知られていますよ。」
「はい。」

「「ポン・デュ・ガール」が世界遺産に登録されてから、この地域は観光客向けサービスを積極的に充実させてきましたよ。」
「はい。」

「現在では、橋の左岸に、ポン・デュ・ガール建設の歴史及び古代ローマ史について学ぶことができる博物館がありますよ。」
「そうなんだ。」

「その他、カフェ・レストラン、駐車場なども完備し、快適に過ごすことができるようになっていますよ。」
「いいですね。」

「夏には、ガルトン川で遊ぶこともでき、避暑地としても優れた場所ですよ。」
「はい。」

「フランスにある古代ローマの遺跡は、日本人観光客にとっては新しい発見が沢山あるに違いありませんよ。」
「はい。」

「川遊びのできる夏は、特におススメですね。」
「わかりました。」

フランスの世界遺産と聖堂教会~シャルトル大聖堂・アミアンのノートルダム大聖堂・ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿・ブールジュのサン=テチエンヌ大聖堂・ヴェズレーの教会と丘・サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会・フォントネーのシトー会修道院~

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フランス 世界遺産 聖堂教会

フランスの世界遺産と文化遺産~ヴェルサイユ宮殿・フォンテーヌブローの宮殿と庭園・ヴォーバンの防衛施設群・オランジェのローマ劇場とその周辺及び凱旋門・アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群・ベルギーとフランスの鐘楼群・ローマの水道橋ポン・デュ・ガール~

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