ベトナムの世界遺産
「皆さんは、「ベトナム」という国名を耳にすると何をイメージしますか?」
「よくわかりません。」
「ほとんどの人は、生春巻きや「フォー」などの美味しいベトナム料理を思い出すかも知れませんね。」
「はい。」
「「フォー」というベトナム料理と言えば、フォーとは、ベトナム料理を代表する平打ちの米粉麺である。形は日本のきしめんに似るが、原料は米粉と水であり、ライスヌードルの一種である。水に漬けた米を挽いてペースト状にしたものを熱した金属板の上に薄く流し、多少固まったものを端から裁断して麺の形状にする。」
「生春巻きと言えば、生春巻きは、フォーとともにベトナム料理を代表するものとして国外でも知られる料理である。原語は「包みサラダ」の意である。中国が発祥の揚げ春巻きとは、材料・調理・味覚のいずれにおいても異なる。中国語でも生春巻きは「ベトナム春巻き」(越南春卷/越南春卷)または「夏巻き」(夏卷/夏卷)と呼ばれ区別されている。また、英語でも中国の揚げ春巻きが「spring roll」と呼ばれるのに対し、生春巻きは「summer roll」と呼ばれている。」
「やはりベトナムの印象として最も強いのは、信号もない道路を縦横無尽に行き来するバイクの姿かも知れませんね。」
「そうですね。」
「バイクの他には、アオザイやココナッツなども有名ですよ。」
「はい。」
「ココナッツと言えば、ココナッツはヤシ科の単子葉植物、ココヤシの果実である。ココナツあるいは、単に椰子の実ともいう。果実は繊維質の厚い殻に包まれ、その中に固い殻に包まれた大きな種子がある。」
「アオザイと言えば、アオザイとは、正装として着用するベトナムの民族衣装である。アオ(襖)は上衣の一種を意味する中古音で、ザイはベトナム語で「長い」を意味する形容詞。つまり「長上着」となる。「アオザイ」はベトナム北部方言の発音であり、南部方言では「アオヤイ」と発音する。」
「これらのものは、日本でも非常によく知られていますね。」
「そうですね。」
「日本でも、なじみのある物として認知されていますね。」
「はい。」
「どちらかといえば親しみ深く、旅行するにもちょうど良い場所にある国ですよ。」
「はい。」
「「行ったことがある!」という方も、ずいぶん多いのではないかと思われますね。」
「そうなんですか。」
「しかし、ベトナムの世界遺産については、知っている人がなかなかいませんね。」
「そうですね。」
「ベトナムには、トゥアティエン・フエ省の省都となっている街の建物を保存したスポット「フエの建造物群」などの世界遺産がありますよ。」
「はい。」
「トゥアティエン・フエ省と言えば、トゥアティエン=フエ省は、ベトナムの省(地方自治体)の一つである。北中部に位置し、東はバクボ湾に、北はクアンチ省に、南はクアンナム省およびダナンに、西はラオス(サーワラン県、セーコーン県)に接している。世界遺産でもある故都フエ(フエの建造物群)を抱えている。」
「この世界遺産の名前も、まったくピンとこないかも知れませんね。」
「はい。」
「この世界遺産は、ベトナムで最も人気のある世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」
「他にも、ホイアンという人口十二万人ほどの古い港町を保存した「ホイアンの古い町並み」、ベトナム戦争の爆撃を受けつつも七世紀~十三世紀にかけて創られた建造物を残している「ミーソン聖域」がありますよ。」
「はい。」
「ミーソン聖域と言えば、ミーソン聖域とは、ベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡である。1999年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にある。」
「ベトナム戦争と言えば、ベトナム戦争は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争である。第二次インドシナ戦争とも。ベトナムでは抗米救国闘争といわれる(インドシナ戦争は抗仏救国闘争)。ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。南北ベトナムの統一戦争という観点からは、南ベトナム解放民族戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月という説が一般的である。」
「ホイアンという人口十二万人ほどの古い港町と言えば、ホイアン市は、ベトナム中部の中核都市であるダナン市の南30キロに立地する人口12万人ほどの古い港町であり、1999年に古い町並みとして、世界遺産に登録されました。世界遺産に登録されたことによって、観光客が4倍に増加し、2013年の上半期も160万人の観光客がホイアンを訪れています。ホイアンは、日本とも関係が非常に深く、17世紀初めには江戸幕府との朱印船貿易が盛んでした。ホイアン内には、大規模な日本人街が形成され、最盛期には1000人ほどの日本人が住んでいたと言われています。」
「さらに、1010年~1804年のベトナム王朝の所在地であった「ハノイのタンロン皇城の中心区域」などの世界遺産も保存されていますよ。」
「はい。」
「タンロン皇城と言えば、ハノイのタンロン皇城は、ベトナムの首都ハノイのホー・チ・ミン廟に近いバーディン地区 で発掘された遺跡群です。」
「ハノイのタンロン皇城と言えば、ハノイのタンロン皇城は、ベトナムの首都ハノイのホー・チ・ミン廟に近いバーディン地区 で発掘された遺跡群です。」
「1010年~1804年のベトナム王朝と言えば、タンロン遺跡は、2003年からベトナムの首都、ハノイで発掘された遺跡群である。タンロン(昇龍)はハノイの旧称。1010年から1804年までほぼ一貫してベトナム諸王朝がここに都を置いたため、各時代の遺跡が重なっているのが特徴である。2010年8月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。」
「近年でも、2011年に世界遺産に登録されたばかりの胡朝時代の建造物「胡朝の城塞」がありますよ。」
「そうなんだ。」
「胡朝と言えば、胡朝は、ベトナムを支配した王朝(1400年 - 1407年)である。首都はタインホア。」
「続々と世界遺産が登録されている国ですよ。」
「そうなんですか。」
「これからぐんぐん日本からの観光客も増えてくるかも知れませんね。」
「はい。」
「文化遺産以外にも、大小3000以上もの岩や島が点在する「ハロン湾」などのスポットや、“歯の洞窟”を意味する名称がつけられている「フォンニャ-ケバン国立公園」のような自然遺産もありますよ。」
「そうなんだ。」
「“歯の洞窟”を意味する名称がつけられている「フォンニャ-ケバン国立公園」と言えば、フォンニャ=ケバン国立公園は、ベトナムのクアンビン省にある国立公園である。2003年7月3日、ユネスコによってベトナムで5番目となる世界遺産に登録された。4億年以上前にできたとされるアジア最古、世界最大の岩山が集まる地域。フォンニャ=ケバン国立公園は、約86,000haの面積をもつ。」
「ハロン湾と言えば、ハロン湾は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾である。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。」
「大自然の景色に癒されたい方は、是非ベトナムの自然遺産を尋ねてみましょう。」
「わかりました。」
「特に、ハロン湾のクルーズは非常にエキサイティングですよ。」
「はい。」
「「最近あんまりドキドキする経験をしてないような…」という方も必ず楽しめる筈ですよ。」
「はい。」
「美しい湾の絶景を堪能したい方は、ハロン湾を観光してください。」
「わかりました。」
「なお、ベトナムには「戦争証跡博物館」という観光スポットがありますよ。」
「はい。」
「戦争証跡博物館と言えば、戦争証跡博物館は、ベトナム・ホーチミン市中心部にある、ベトナム戦争の歴史を綴る博物館である。建物は3階建てで、屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車が展示されている。」
「このスポットは、ベトナムで最も国外観光客の多いスポットとなっていますよ。」
「そうなんですか。」
「戦争に使った武器を展示し、戦争の悲惨さを伝えているスポットですよ。」
「はい。」
「歴史の勉強をしにベトナムへの観光を考えているのであれば、事前によく調べてから観光するようにしましょう。」
「わかりました。」
「もちろん、「こんなものは見ていたくない」、「こんな悲しいものを見てしまったら観光なんてできない・・・」と、気分が落ちてしまう方もいるかと思われますよ。」
「はい。」
「やはりベトナムの世界遺産を観光するのであれば、ある程度は歴史を学んでおかなければなりませんね。」
「はい。」
「何も考えずに観光するだけでも楽しめますよ。」
「そうなんだ。」
「せっかく世界遺産のような場所を尋ねるのであれば、事前にしっかり社会情勢や歴史背景などをチェックしておくべきと思われますよ。」
「はい。」
「ベトナムの歴史は、最初はとっつきにくく感じるかも知れませんね。」
「そうですね。」
「一度読み解いてみると、かなりシンプルにまとまっていることが分かる筈ですよ。」
「はい。」
「比較的すぐにベトナムの歴史背景は、チェックすることができますよ。」
「そうなんですか。」
「あまり興味がなかったとしても、世界遺産の観光をより楽しくする為に、何冊か関連書や雑誌に目を通しておかれることをおススメします。」
「わかりました。」
「世界遺産の観光も素晴らしいですよ。」
「はい。」
「やはり旅をするのであれば、情報を固めるのが先決ですね。」
「はい。」
「歴史を知ると、出世の仕方がわかるようになり、教養も深まりますよ。」
「そうですね。」
「気になる方は、是非現地の世界遺産を観光しつつ、勉強してみましょう。」
「わかりました。」
ベトナムの世界遺産~ハロン湾~
「ベトナムの「ハロン湾」をご存じですか?」
「よく知りません。」
「ハロン湾と言えば、ハロン湾は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾である。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。」
「ハロン湾は、1994年にユネスコの世界遺産に指定された自然遺産ですよ。」
「はい。」
「2000年に指定範囲を拡張している、ベトナムのトンキン湾北西エリアにある湾ですよ。」
「そうなんだ。」
「トンキン湾と言えば、トンキン湾は、ベトナムと中国・海南島に挟まれた湾である。トンキンの漢字表記は「東京」であり、「東の都」を意味する。しかし、現在のベトナムではバクボ湾(北部湾)であり、中国でも北部湾と呼ぶようになってきている。これは、日本の東京湾と混同されるおそれがあるためだといわれる。面積は約12万平方キロ、南シナ海の北西に位置する。深度は浅く、大部分が60メートル以下の浅海である。」
「漢字で「下竜湾」と表記することもあるこの湾は、ある伝説が残っていることで広く知られていますよ。」
「そうなんですか。」
「その伝説とは、今より遙か昔、中国軍がベトナムに侵攻してきた際に、突如として湾の中から竜の親子が現れ、中国軍を破り、その竜たちが口から吐き出した美しい宝石たちがこの湾に降り注いだという伝説ですよ。」
「そうなんだ。」
「その宝石が、今の世界遺産の姿になったと言われていますよ。」
「はい。」
「そのようなミステリアスな伝承が残っていますよ。」
「そうなんだ。」
「この世界遺産の島々は、一つ一つが磨かれた玉のような光を放っていますよ。」
「はい。」
「まさに、宝石でできた湾といった風格をただよわせていますよ。」
「はい。」
「このハロン湾は、実際にモンゴル軍が攻めてきた際に軍事的に利用されたというだけあって、ただの岩にはない不思議な風格を漂わせている岩ですよ。」
「そうなんですか。」
「このハロン湾という世界遺産は、さまざまなツアーが組まれていますよ。」
「はい。」
「「ハロンジャスミン号」や「エメロードクラシック号」などのクルーズで旅をすることができますよ。」
「そうなんだ。」
「エメロードクラシック号と言えば、エメロード クラシック クルーズは、仏領時代の100年以上前に就航していた蒸気汽船『エメラルド号』を復刻した、ユニークなクルーズ船ホテルで、ハロン湾のクルーズ船では、最大級の大きさです。」
「ハロンジャスミン号と言えば、『ハロンジンジャー号』の姉妹船 として堂々とデビューした『ハロンジャスミン号』は、ジャンク船の形を残しつつ、高級 ホテルにも引けを取らない上品なインテリアと快適な設備を持つ、まさに湾上のホテルである。」
「「普通の小舟で観光するのではなく、思いっきりゴージャスな旅がしたい」という方は、いずれかの船を利用するのがおススメです。」
「わかりました。」
「もちろん、恋人同士、家族など好きな方と一緒に航海することができますよ。」
「はい。」
「大切な人と一緒に観光しましょう。」
「わかりました。」
「ハロンという名前についてですが、実は「ハ」は「降りる」を表し、「ロン」は「龍」を表していますよ。」
「そうなんですか。」
「「龍が出る世界遺産」として見ると、また違った趣が感じられますよ。」
「そうなんだ。」
「神秘的なエピソードが好きな方は、伝説の龍に思いをはせながら観光しましょう。」
「わかりました。」
「なお、これらの湾にある大小さまざまな岩は、見る時間帯によってまったく違う姿を現すことでお馴染みですよ。」
「はい。」
「朝に見るのと、夜に見るのとではまったく違いますよ。」
「そうなんですか。」
「世界遺産であるこの湾が最も美しくなる瞬間に訪問したいのであれば、あらかじめこの湾のことをチェックした上で、最も優雅に観光できそうな時間帯に観光するのがベストかも知れませんね。」
「はい。」
「7000年前には、岩の中などに人が住んでいたという逸話もありますよ。」
「そうなんですか。」
「気になる方は、今も住んでいないかどうか、望遠鏡で探しながら観光してください。」
「わかりました。」
ベトナムの世界遺産~フォンニャ=ケバン国立公園~
「ベトナムは、日本と同じ四季がある国ですね。」
「はい。」
「時差は2時間しかないので、訪れやすい旅行先ですね。」
「そうですね。」
「首都ハノイや商業の中心地ホーチミンが有名ですね。」
「はい。」
「商業の中心地ホーチミンと言えば、ホーチミンはベトナム東南部に位置するベトナム最大の商業都市で、ドイモイという経済・外交政策によって今もさらに発展を続ける街です。街中には植民地時代の雰囲気を残す歴史的建造物が点在し、それと近代的なビル群がうまく調和している魅力的な街です。街の人々も都会的で、「サイゴン人」と呼ばれて地方の人々と区別されていますが、同時にアジアらしいエネルギッシュさも持ちあわせています。」
「首都ハノイと言えば、ハノイ市とは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都である。ホーチミン市に次ぐ同国第2の都市であり、政治と文化の都である。2009年の人口は650万人。紅河の右岸にあり、国内の工業の中心地で、農産物の集散地ともなっている。また、一柱寺など史跡も多い。ハノイがベトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことである。」
「活気あふれるアジアの国、というイメージを抱いている人が多いでしょう。」
「そうですね。」
「ベトナムと言えば、まず思い起こすのがアオザイと言われる女性の伝統衣装やバイクのあふれる街並みですね。」
「はい。」
「アオザイと言えば、アオザイとは、正装として着用するベトナムの民族衣装である。アオ(襖)は上衣の一種を意味する中古音で、ザイはベトナム語で「長い」を意味する形容詞。つまり「長上着」となる。「アオザイ」はベトナム北部方言の発音であり、南部方言では「アオヤイ」と発音する。」
「食の面では、日本でもお馴染みになったフォーという名の米粉で作られた麺や生春巻きなどが有名ですね。」
「はい。」
「「フォー」というベトナム料理と言えば、フォーとは、ベトナム料理を代表する平打ちの米粉麺である。形は日本のきしめんに似るが、原料は米粉と水であり、ライスヌードルの一種である。水に漬けた米を挽いてペースト状にしたものを熱した金属板の上に薄く流し、多少固まったものを端から裁断して麺の形状にする。」
「生春巻きと言えば、生春巻きは、フォーとともにベトナム料理を代表するものとして国外でも知られる料理である。原語は「包みサラダ」の意である。中国が発祥の揚げ春巻きとは、材料・調理・味覚のいずれにおいても異なる。中国語でも生春巻きは「ベトナム春巻き」(越南春卷/越南春卷)または「夏巻き」(夏卷/夏卷)と呼ばれ区別されている。また、英語でも中国の揚げ春巻きが「spring roll」と呼ばれるのに対し、生春巻きは「summer roll」と呼ばれている。」
「日本からベトナムまでは、約5~6時間と飛行時間もそんなに長くありませんね。」
「そうなんだ。」
「小さい子供からお年寄りまで、負担なく行けるのもベトナムの魅力の一つですね。」
「はい。」
「隣国のカンボジアにあるアンコールワットを訪れてからベトナムを旅行する、というツアーも多く組まれていますよ。」
「そうなんですか。」
「日本と同じアジアの国なので、馴染みやすい部分も多いですよ。」
「はい。」
「東洋文化と西洋文化の混在したエネルギーと、メコン川やビーチなどの豊かな自然を感じることのできる国、それがベトナムですね。」
「はい。」
「メコン川と言えば、メコン川は、東南アジアを流れる河川である。チベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通り南シナ海に抜ける。典型的な国際河川の一つで、数多くの支流がある。」
「ベトナムには、世界遺産に登録されている自然遺産と文化遺産がいくつもありますよ。」
「そうなんですか。」
「旧王朝の首都が置かれていたフエの建造物群や大小3,000もの奇岩や島々の景観が圧巻のハロン湾なども有名ですよ。」
「はい。」
「ハロン湾と言えば、ハロン湾は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾である。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。」
「フォンニャーケバン国立公園は、ベトナムで5番目に世界遺産に登録された国立公園ですよ。」
「はい。」
「4億年以上も前にできたとされるアジア最古かつ世界最大の岩山が集まる地域ですよ。」
「そうなんですか。」
「この世界遺産のフォンニャーケバン国立公園は、首都ハノイから南へ約400kmほどの位置にあり、哺乳類65種、鳥類260種、植物は735種も生息していると言われていますよ。」
「多いですね。」
「大小約300の洞窟があることで知られていますよ。」
「はい。」
「中でも、「歯の洞窟」という意味を持つフォンニャ洞窟は、ベトナム最大の洞窟ですよ。」
「はい。」
「「歯の洞窟」という意味を持つフォンニャ洞窟と言えば、ベトナムのフォンニャ-ケバン国立公園は、大小約300の洞窟があることで知られています。中でも「歯の洞窟」という意味を持つフォンニャ洞窟はベトナム最大の洞窟で、ボートに乗って洞窟内部まで進むことができます。」
「ボートに乗って洞窟内部まで進むことができますよ。」
「そうなんだ。」
「全長約8000メートルのこの洞窟内部には幻想的な鍾乳洞が広がり、訪れる観光客を魅了しますよ。」
「はい。」
「ベトナム戦争時には、武器庫や避難場所ともなったというこの洞窟は、現在ではフォンニャーケバン国立公園内にあるいくつもの洞窟の中で、最もメジャーな観光スポットですよ。」
「はい。」
「ベトナム戦争と言えば、ベトナム戦争は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争である。第二次インドシナ戦争とも。ベトナムでは抗米救国闘争といわれる(インドシナ戦争は抗仏救国闘争)。ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。南北ベトナムの統一戦争という観点からは、南ベトナム解放民族戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月という説が一般的である。」
「内部が整備されているので、世界中からたくさんの観光客が訪れていますよ。」
「そうなんだ。」
「フォンニャーケバン国立公園は、86,000ヘクタールの面積を持ちますよ。」
「はい。」
「その約95%は、原生林でまだ未開の地が多く残されていますよ。」
「はい。」
「日本からのツアーは、そう多くはありませんよ。」
「そうなんだ。」
「ベトナムの世界遺産であるこの地を訪れて、その壮大な景観を堪能されてはいかがでしょう。」
「わかりました。」
ベトナムの世界遺産~フエの建造物群~
「フエの建造物群は、歴史的建造物で世界遺産ですよ。」
「はい。」
「ベトナム文化の黄金期とみなされる16世紀、チン氏とグエン氏2人の代表が領土を争い、ベトナムは2つに別れましたよ。」
「そうなんですか。」
「グエン氏と言えば、阮朝(グエンちょう、げんちょう、越:Nha Nguyen/家阮)は、1802年から1945年にかけて存在したベトナムの王朝である。自国を指す美称は中国(チュンコック)。1887年から1945年3月10日までは、フランス領インドシナとしてフランスの支配下にあった。西山(タイソン)朝に敗れて滅亡した広南阮氏の生き残り阮福暎(グエン・フク・アイン/げんふくえい)が、西山朝を打倒して樹立した。都はフエ(トゥアンホア/順化、フースアン/富春)。」
「チン氏と言えば、ベトナムのレ(黎)朝後期 (1529‐1788)に、レ帝を抑えて実権を握り、フエに拠るクアンナム(広南)朝グエン(阮)氏に対抗した一族である。鄭Trinn氏とも書く。祖チン・キエム(鄭検)は16世紀、マク(莫)氏によってレ朝が中絶したおり,グエン・キム((阮淦)の幕下で再興に努力し,1545年キムの死とともに太師となって実権を握った。92年その子チン・トゥン(鄭松)がハノイを奪回しレ帝を迎えたが,99年以降自ら王府を開いて国政を掌握した。」
「チン氏は北の頭首、グエン氏は南に独立国を作りましたよ。」
「はい。」
「フエは、1635年南の都となりましたよ。」
「はい。」
「1802に再び、ベトナムが統一されますよ。」
「そうなんだ。」
「その後の首相の下、王宮や寺院、お墓が作られ、都らしい落ち着いた地雰囲気を見せる世界遺産のフエの建造物群となりましたよ。」
「はい。」
「ここは、ベトナムの都と言われていますよ。」
「はい。」
「ところが、ベトナムは中国のくびきから解き放たれることができませんでしたよ。」
「そうなんですか。」
「常に中国の支配下で、中国の影響を受けているしかありませんでしたよ。」
「はい。」
「それを一掃したくて、フエの民主化に力を注ぎ自由化運動も盛んになり、中国から解き放たれ独立国の威厳を取り戻していきますよ。」
「はい。」
「国の首相が頭がよかったのですね。」
「そうなんだ。」
「世界遺産城郭都市のフエがかつて8つの民族が住んだとされる都市に、5平方キロメートルの城郭都市「フエの建造物群」が建築されましたよ。」
「はい。」
「ほぼ4角形をしていて、中心塾が南北に走っていますよ。」
「はい。」
「京師と呼ばれていたこの城郭都市は、大きな外壁に囲まれ、さらにその上に外壁がはり巡らされていますよ。」
「そうなんだ。」
「京師と言えば、京師(けいし)とは、東アジアなど漢字文化圏で帝王の都のことである。京都。京城。ベトナム・阮朝(グエンちょう、げんちょう)の都、富春京師(フエ)。」
「10箇所にはしが架けられ、1818年から1832にかけて増幅され、角面保は当時ヨーロッパで流行していたウォーバン式築城を取り入れましたよ。」
「はい。」
「ウォーバン式築城と言えば、京師と呼ばれていたこの城郭都市は、大きな外壁に囲まれさらにそのうえに外壁が梁巡らされ10箇所にはしがかけられ、1818年から1832年にかけて増幅され角面保は当時ヨーロッパで流行していたウォーバン式築城を取り入れました。」
「英姿を残す太和伝フエを訪れた方は、王宮の南の正門である午門から王宮内へ入ることができますよ。」
「はい。」
「正午になると、太陽がフエの建造物群の門の真上に来るように設計されていることから名づけられましたよ。」
「そうなんだ。」
「門の上に、両翼を張り出す木造2階建ての望桜と5鳳桜が作られていますよ。」
「はい。」
「午門には3つの門口があり、中央の門口は帝王専用でしたよ。」
「はい。」
「帝王と女官たちが繰り広げられた儀式が、今も再現されていますよ。」
「そうなんだ。」
「フエの建造物群の中庭の正面には、皇帝たちが集まる別館があり重要な会議が行われていましたよ。」
「はい。」
「大きな床柱が、9つ立てられていますよ。」
「はい。」
「先祖を祭るために王宮内の広大な敷地には、グエン朝初式皇帝のザロン帝母君のために立てた長正殿母は、王子たちのために学校、図書館、寺院など保存状態のよいもの悪いものがありますよ。」
「そうなんだ。」
「グエン朝初式皇帝のザロン帝と言えば、グエン朝を築くのはグエンフックアイン(阮福暎)である。1802年にフエを首都に定めて阮朝を建国し、一気に勢力を広げてベトナムを統一する。1804年には中国の清朝から越南王に封ぜられるが、自らは「王」を束ねる「皇」を名乗り、清の皇帝に並び立つ者として「ザロン帝」と称した。」
「グエン朝と言えば、1802‐1945年、フエを都としたベトナム最後の王朝である。阮朝とも書く。17世紀以来、ベトナムは中南部のグエン(阮)氏(クアンナム朝)と北部のレ(黎)、チン(鄭)氏に分裂していたが、タイソン・グエン(西山阮)氏が興って1777年グエン氏を、86年レ、チン政権を滅ぼして全土を統一した(タイソン党革命)。南部のグエン氏の王族グエン・フック・アイン (阮福暎)は、1778年以来シャム、フランスの援助で、タイソン・グエン氏と戦って領土を広げ、1802年ついに北部を占領して全土の再支配に成功した。」
「この時代、皇帝は13人いたとされますよ。」
「はい。」
「しかし、皇帝として認証されなかったものもいるようですね。」
「そうなんだ。」
「これら破損している世界遺産群は、ユネスコの援助で修復作業も近いと聞きますよ。」
「はい。」
「戦争のための破損が多く、古都フエの歴史的外観を損なうことなく、15の建物を修復してほしいですね。」
「そうですね。」
「歴史を残すことは、フエの誇りを後世に伝えることですよ。」
「はい。」
「フオン川のほとりにあるカイディンやミンマン帝、寺院いくつかの建物がユネスコの保護下にありますよ。」
「はい。」
「ミンマン帝と言えば、明命帝(ミンマンてい、Minh Mang、1791年5月25日 - 1841年1月20日)は、阮朝の第二代皇帝(在位:1820年-1841年)である。初代皇帝である嘉隆帝の第4子。諱は阮福膽(Nguyen Phuc Dam)、後に阮福日交(Nguyen Phuc Kieu)と改めた。」
「カイディンと言えば、啓定帝(けいていてい、カイディンてい、vi:Khai Dinh、1885年10月8日 - 1925年11月6日)は、ベトナム阮朝第12代の皇帝である。諱は阮福宝嶹(Nguyen Phuc Buu Dao)、後に阮福昶(Nguyen Phuc Tuan)と改めた。」
「フオン川と言えば、フエの観光名所でもあるチャンティエン橋からは、フオン川の下流と上流の川中に、それぞれ緑の大きな島があるのを遠望できます。ゆったり蛇行して流れるフオン川には、3つの大きな中洲が描かれています。ベトナム語ではコン(con:中洲の意)と表記されていますが、日本語ガイドブックでは、これらの中洲を「~島」としています。」
ベトナムの世界遺産~ホイアンの古い町並み~
「懐かしい親しみを感じる町についてですが、ベトナムの旅行も、定番の海外旅行となっていますね。」
「はい。」
「日本からも近く、直通便も多く運行されていますよ。」
「そうなんだ。」
「手軽にいける国ですよ。」
「はい。」
「そのベトナムで有名な観光地としては、ハノイ、ホーチミン、ホイアンですね。」
「そうですね。」
「商業の中心地ホーチミンと言えば、ホーチミンはベトナム東南部に位置するベトナム最大の商業都市で、ドイモイという経済・外交政策によって今もさらに発展を続ける街です。街中には植民地時代の雰囲気を残す歴史的建造物が点在し、それと近代的なビル群がうまく調和している魅力的な街です。街の人々も都会的で、「サイゴン人」と呼ばれて地方の人々と区別されていますが、同時にアジアらしいエネルギッシュさも持ちあわせています。」
「ホイアンという人口十二万人ほどの古い港町と言えば、ホイアン市は、ベトナム中部の中核都市であるダナン市の南30キロに立地する人口12万人ほどの古い港町であり、1999年に古い町並みとして、世界遺産に登録されました。世界遺産に登録されたことによって、観光客が4倍に増加し、2013年の上半期も160万人の観光客がホイアンを訪れています。ホイアンは、日本とも関係が非常に深く、17世紀初めには江戸幕府との朱印船貿易が盛んでした。ホイアン内には、大規模な日本人街が形成され、最盛期には1000人ほどの日本人が住んでいたと言われています。」
「その中でも、おススメしたいのがホイアンの古い町並みですよ。」
「はい。」
「ベトナムの面積は、日本と同じくらいですね。」
「そうなんですか。」
「北の端にハノイ、南にはホーチミンと覚えておくと地理も分かりやすいでしょう。」
「そうですね。」
「ホイアンの古い町並みは、親しみやすく日本人には旅行しやすい所ですよ。」
「はい。」
「通称が日本橋と呼ばれている、日本人が造ったとされる橋もありますよ。」
「そうなんですか。」
「通称が日本橋と呼ばれている、日本人が造ったとされる橋と言えば、日本人が造ったとされる橋とは17世紀初頭に日本人、ベトナム人と中国人が共同で建設したとされる橋 (当時、橋の近くに日本人街や中国人街があったとされている)である 。「日本橋」というのは通称で、「来遠橋」というのがその正式な名称。一見ベネチアのリアルト橋にその形が似ていなくもないが、こちらの橋には店ではなくて橋の中央部分に神社が付いている。神社には治水の神が祀られているほか、猿と犬の神がそれぞれ橋の両端を固める。昔から暑さ除けやにわか雨の際の雨宿りの場所として街の人に愛されてきた。そのユニークな形から現在ではホイアンのシンボルとして親しまれている。」
「そのような面からしても、日本人に魅力ある国と言えるでしょう。」
「そうですね。」
「ホイアンは、ベトナムのほぼ中心の港に位置している町ですよ。」
「はい。」
「実は、このホイアンの古い町並み自体が、世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんだ。」
「町がそのまま世界遺産という町ですよ。」
「はい。」
「ホイアンの古い町並みを昔のまま残している、貴重な町を見ることができますよ。」
「そうなんですか。」
「かつては、東南アジアの貿易港として栄えましたよ。」
「はい。」
「その当時の面影がそのまま残されていると言っても良い、街並みが広がっていますよ。」
「はい。」
「建造物には、港町ならではの多種多様な文化が取り入れられていますよ。」
「はい。」
「アジアのノスタルジックな街並みを、見て回ることができるでしょう。」
「そうなんだ。」
「海があるので、ビーチリゾートも楽しめますよ。」
「はい。」
「旅行をするにあたって楽しみたいことに、買い物やグルメがあげられますよ。」
「はい。」
「ベトナムには、日本にはないアジアン雑貨がたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」
「お土産や買い物にも不自由しませんよ。」
「はい。」
「アジアティストの小物に目がない人には、魅力溢れるものがたくさんあるでしょう。」
「そうなんだ。」
「グルメも充実していますよ。」
「はい。」
「ベトナムのグルメは、日本人の口に合うものが多いですよ。」
「そうなんですか。」
「海外では食事が合わなくて苦労するといった話もよくありますね。」
「そうですね。」
「ベトナムに限っては、その心配はないでしょう。」
「それはいいですね。」
「海産物を使ったメニューやホイアンの名物料理もありますよ。」
「はい。」
「グルメでも、楽しめる町になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「女性にとっては、美容もお楽しみの一つですよ。」
「そうなんですか。」
「ホイアンには、スパも楽しめるリゾートホテルが多数存在していますよ。」
「はい。」
「物価も安いので、ベトナムの高級ホテルに泊まっても、日本よりもずっと安い価格で利用できますよ。」
「そうなんだ。」
「ホイアンに流れているゆったりした時間に癒されることもできますよ。」
「はい。」
「貴重な世界遺産の町を眺めながらリゾートを楽しむという、お金では買えない贅沢な時間が過ごせるでしょう。」
「いいですね。」
「しかも、世界遺産も見ることができますよ。」
「はい。」
「ほとんど全てが、リーズナブルで楽しめるのが素晴らしいですね。」
「わかりました。」
ベトナムの世界遺産~ミーソン聖域~
「ミーソン聖域とは、ベトナムの中部にあり、ダナンの南西約70kmの沿岸の城郭都市フエにある遺跡ですよ。」
「はい。」
「ミーソン聖域と言えば、ミーソン聖域とは、ベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡である。1999年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にある。」
「1999年、ユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「正式名称は、サンスクリット語でシュリーシャーナバドレーシュヴァラと言いますよ。」
「そうなんですか。」
「サンスクリット語と言えば、サンスクリットは古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語である。現在の母語話者は少ないが死語ではなく、インドでは憲法で認知された22の公用語の1つである。宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。日本では、一般には言語であることを明示して「サンスクリット語」と呼ばれる。また、古くは梵語(ぼんご、ブラフマンの言葉)とも呼ばれた。なお、日本における仏教関連の辞典や書物では skt などと略称される。」
「世界遺産のミーソン聖域は、チャンパ王国のヒンドゥー教シヴァ神を信仰していた聖地跡ですよ。」
「はい。」
「シヴァ神と言えば、シヴァ(Siva)は、ヒンドゥー教の3最高神の一柱である。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊を司る。シヴァ神を信仰する派をシヴァ教という。日本では慣用的にシバともいう。」
「ヒンドゥー教と言えば、ヒンドゥー教、慣用表記でヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教である。」
「チャンパ王国と言えば、チャンパ王国(ベトナム語:Cham Pa,192年 - 1832年)は、ベトナム中部沿海地方(北中部及び南中部を合わせた地域)に存在したオーストロネシア語族を中心とする王国である。その主要住民の「古チャム人」は今日のベトナム中部南端に住むチャム族の直接の祖先とされる。中国では唐代まで林邑と呼び、一時環王国と自称したが、宋代以降は占城と呼んだ。」
「チャンパ王国は、2世紀から15世紀ごろにベトナム中部にあった国で、ミーソン聖域に都がありましたよ。」
「はい。」
「世界遺産のミーソン聖域には、4世紀末頃、バードラバルマン一世が神殿を建立したのが始まりですよ。」
「はい。」
「バードラバルマン一世と言えば、中国人に古くは林邑(りんゆう)の名で呼ばれ,初めは中国文化の影響を受けたが,3世紀末までにインド文化を取り入れた社会を形成するとともに,現在の中部ベトナムのクアンナム北方からフーカイン省ナイ岬付近にかけて複数の氏族勢力圏をつくり,その全体をゆるやかに支配する最初の王朝も存在した。伝存するサンスクリット碑文によると,4世紀末にバードラバルマン1世Bhadravarman Iがクアンナム南西のミソンにシバ神を祀る神殿を建立しており,第2王朝とみられるこの時代に地方勢力が統合されてインド風の王国が成立した。」
「チャンパ王国が栄えていた13世紀までに建てられた、70余りの仏塔や祠がありましたよ。」
「そうなんですか。」
「チャンパ王国は、チャム人が興し、ベトナムに滅ぼされるまで発展していた国ですよ。」
「そうなんだ。」
「チャム人と言えば、チャム族(チャムぞく、占族、ベトナム語: nguoi Cham 及び nguoi Cham)は、主にカンボジア及びベトナム中南部に居住する民族である。2世紀から17世紀の間は独立した海洋国家、林邑国及び占城国(チャンパ王国)を持っていた。19世紀のベトナム阮朝は中部チャム族を占尼人、南部チャム族を藍人と呼んで区別した。」
「チャム人は海洋民族だったことから、海洋貿易によって栄えましたよ。」
「はい。」
「遺跡はレンガ造りで、インド文化のヒンドゥー建築の影響を受けていたことが、残されている彫刻などからわかりますよ。」
「はい。」
「ヒンドゥー建築と言えば、建築においても、同じインドの風土の中で生れ育った仏教やジャイナ教の建築は ヒンドゥ教の建築と大きなちがいはなく、その構造形式や構成要素の形は、まったく同一だといっても差し支えない。 「ヒンドゥ建築」 とは 「インド建築」 のことであり、事実ネパールや東南アジアでは 仏教とヒンドゥ教とは ほとんど一体化して伝えられたから、その建築にもほとんど差異がないのである。」
「元々、木造建築もあったようですよ。」
「そうなんですか。」
「このあたりの熱帯多雨な気候から、いたみにくいレンガ造りの建築物へと変化していったそうですよ。」
「はい。」
「ミーソン聖域は、20世紀初めにフランス人が発見しましたよ。」
「はい。」
「フランス極東学院によって修復されましたよ。」
「はい。」
「フランス極東学院と言えば、フランス極東学院は、フランスのアジア研究機関で、漢字名を遠東博古学院という。フランス領インドシナ総督ドゥメールの時代、1898年にサイゴンに常駐の考古学使節団が設けられ、1900年にハノイに移されて上記の名称に改められた。研究はインドシナを対象としたものが多いが、広く中国、日本、インドにも及び、アジア研究の一大中心となった。考古学、歴史学の研究に主力を注ぎ、やや遅れて民族学研究などが取り入れられた。」
「しかし、フランス統治時代にたくさんの美術品が盗掘されて無くなってしまいましたよ。」
「そうなんですか。」
「ベトナム戦争では、アメリカによる空爆で、70ほどあった遺跡の大半が破壊され、現在では20ほどが残っていますよ。」
「そうなんだ。」
「ベトナム戦争と言えば、ベトナム戦争は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争である。第二次インドシナ戦争とも。ベトナムでは抗米救国闘争といわれる(インドシナ戦争は抗仏救国闘争)。ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。南北ベトナムの統一戦争という観点からは、南ベトナム解放民族戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月という説が一般的である。」
「ベトナム戦争後は、ポーランド文化財保護アトリエやベトナム文化情報省文化財修復公司が、遺跡の補強をしましたよ。」
「はい。」
「ベトナム文化情報省文化財修復公司と言えば、ミーソン聖域は、20世紀初めにフランス人が発見しました。フランス極東学院によって修復されたものの、フランス統治時代にたくさんの美術品が盗掘されて無くなってしまいました。また、ベトナム戦争では、アメリカによる空爆で、70ほどあった遺跡の大半が破壊され、現在では20ほどが残っています。ベトナム戦争後は、ポーランド文化財保護アトリエやベトナム文化情報省文化財修復公司が、遺跡の補強をしました。日本からも遺跡の保護のため、協力がされています。」
「ポーランド文化財保護アトリエと言えば、ミーソン聖域は、20世紀初めにフランス人が発見しました。フランス極東学院によって修復されたものの、フランス統治時代にたくさんの美術品が盗掘されて無くなってしまいました。また、ベトナム戦争では、アメリカによる空爆で、70ほどあった遺跡の大半が破壊され、現在では20ほどが残っています。ベトナム戦争後は、ポーランド文化財保護アトリエやベトナム文化情報省文化財修復公司が、遺跡の補強をしました。日本からも遺跡の保護のため、協力がされています。」
「日本からも、遺跡の保護のため協力がされていますよ。」
「そうなんだ。」
「トヨタ財団によって保護のため助成し、国際協力機構の技術協力により、2005年3月にミーソン遺跡展示館が作られましたよ。」
「はい。」
「ミーソン遺跡展示館と言えば、日本が協力して2005年に完成させたミーソン遺跡展示館もミーソン遺跡では、必見です 。 建物もピカピカで綺麗だし、日よけの少ないミーソン遺跡では、休憩場所としても バッチリです。」
「現在では、イタリアが調査をしていますよ。」
「はい。」
「多くの遺跡が破壊されてしまいましたよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、チャンパ王国の文化や東南アジアのヒンドゥー建築を今に残している貴重な場所ですよ。」
「そうなんだ。」
「ヒンドゥー建築と言えば、建築においても、同じインドの風土の中で生れ育った仏教やジャイナ教の建築は ヒンドゥ教の建築と大きなちがいはなく、その構造形式や構成要素の形は、まったく同一だといっても差し支えない。 「ヒンドゥ建築」 とは 「インド建築」 のことであり、事実ネパールや東南アジアでは 仏教とヒンドゥ教とは ほとんど一体化して伝えられたから、その建築にもほとんど差異がないのである。」
「チャンパ王国と言えば、チャンパ王国(ベトナム語:Cham Pa,192年 - 1832年)は、ベトナム中部沿海地方(北中部及び南中部を合わせた地域)に存在したオーストロネシア語族を中心とする王国である。その主要住民の「古チャム人」は今日のベトナム中部南端に住むチャム族の直接の祖先とされる。中国では唐代まで林邑と呼び、一時環王国と自称したが、宋代以降は占城と呼んだ。」
「聖域は山々に囲まれた場所ですよ。」
「はい。」
「聖山マハーパルヴァタを望むことができ、トゥーボン川が近くを流れていますよ。」
「はい。」
「トゥーボン川と言えば、ミーソン聖域とは、ベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡である。遺跡の近くを大河トゥーボン川が流れており、川の女神を祀る秋盆夫人祠とサンスクリット碑文がある。トゥーボン川の中流には王都チャキエウ遺跡があり、河口には近世に日本人町が栄えた港町ホイアンがある。」
「聖山マハーパルヴァタと言えば、ミーソン遺跡は残された碑文によると、4世紀から13世紀にまでの実に900年間に渡り、チャンパ王国の聖地として宗教建築が建設された。なお、「ミーソン」とは「美しい山」という意味がある。聖域は2キロ四方を山々に囲まれ、南に聖山マハーパルヴァタ(その独特の形から、くちばし山、猫の歯山と呼ばれる)がそびえる盆地の中央に位置している。」
「トゥーボン川を下ると、日本人町が栄えていたホイアンがありますよ。」
「そうなんだ。」
「ホイアンという人口十二万人ほどの古い港町と言えば、ホイアン市は、ベトナム中部の中核都市であるダナン市の南30キロに立地する人口12万人ほどの古い港町であり、1999年に古い町並みとして、世界遺産に登録されました。世界遺産に登録されたことによって、観光客が4倍に増加し、2013年の上半期も160万人の観光客がホイアンを訪れています。ホイアンは、日本とも関係が非常に深く、17世紀初めには江戸幕府との朱印船貿易が盛んでした。ホイアン内には、大規模な日本人街が形成され、最盛期には1000人ほどの日本人が住んでいたと言われています。」
「個人旅行なら、ホイアンから現地旅行会社のツアーで日帰りで行くことができますよ。」
「はい。」
「日本からベトナムへのツアーでも、ホイアンとセットになっているものがありますよ。」
「はい。」
「世界遺産のミーソン聖域は、自然の中で古代文明に触れることができる場所ですよ。」
「わかりました。」
ベトナムの世界遺産~ハノイのタンロン皇城の中心区域~
「今回紹介する世界遺産は、ベトナムハノイのタンロン皇城の中心区域ですよ。」
「はい。」
「ハノイのタンロン皇城と言えば、ハノイのタンロン皇城は、ベトナムの首都ハノイのホー・チ・ミン廟に近いバーディン地区 で発掘された遺跡群です。」
「これは遺跡群で、2010年に正式に文化遺産として世界遺産として登録されていますよ。」
「そうなんだ。」
「「タンロン」というのは、漢字で「昇竜」と書き、ハノイの昔の名前ですよ。」
「はい。」
「ハノイは、1010年から1840年から、ほぼ全ての王朝が首都と定めていますよ。」
「はい。」
「通常の国家の場合、王朝が変わると遷都しそうなものですね。」
「そうですね。」
「そのような点で、ハノイは珍しいと言えますね。」
「はい。」
「王朝ごとの時代様式がこの遺跡群で現れており、時代の変遷を感じることができますよ。」
「そうなんだ。」
「英語では「CentralSectoroftheImperialCitadelofThangLong-Hanoi」と呼ばれていますよ。」
「はい。」
「一方、ベトナムは、かつてフランスの植民地でもありましたね。」
「そうですね。」
「フランス語読みでは、「LaciteimperialedeThangLong-Hanoi」となりますよ。」
「はい。」
「広さは、18ヘクタールですよ。」
「はい。」
「ベトナムでは、他にもハロン湾やフエ、ホイアンが世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんだ。」
「ハロン湾と言えば、ハロン湾は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾である。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在する。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。」
「ホイアンという人口十二万人ほどの古い港町と言えば、ホイアン市は、ベトナム中部の中核都市であるダナン市の南30キロに立地する人口12万人ほどの古い港町であり、1999年に古い町並みとして、世界遺産に登録されました。世界遺産に登録されたことによって、観光客が4倍に増加し、2013年の上半期も160万人の観光客がホイアンを訪れています。ホイアンは、日本とも関係が非常に深く、17世紀初めには江戸幕府との朱印船貿易が盛んでした。ホイアン内には、大規模な日本人街が形成され、最盛期には1000人ほどの日本人が住んでいたと言われています。」
「ハノイでは、初めてとなりますね。」
「はい。」
「このベトナムハノイのタンロン皇城の中心区域という世界遺産へ行くには、どうすればいいのでしょうか。」
「教えてください。」
「そのためには、まずハノイへ行く必要がありますよ。」
「はい。」
「ベトナムはかつて、北ベトナムと南ベトナムに分かれていましたね。」
「そうですね。」
「南ベトナムと言えば、南ベトナムとは、日本の降伏からベトナム社会主義共和国成立までの間(1945年9月2日~1976年7月2日)、北緯17度線以南のベトナム領域に存在したベトナム人国家の通称である。なお、1954年7月21日までは、領土を縮小されたフランス領インドシナの一角であった。冷戦下の分断国家の一つ。」
「北ベトナムと言えば、ベトナム民主共和国は、1945年9月、ホー・チ・ミンの指導下に日・仏両国からの独立を宣言した共和国である。その領土は米国の支援するベトナム南部も含むものとされていたが、1954年のジュネーブ協定により南北に分断され、北緯17度線以北を占めるものとされ、〈北ベトナム〉と略称。」
「北ベトナムの中心都市だったのがハノイですね。」
「はい。」
「南ベトナムの中心都市だったのが、当時のサイゴン、現在ではホーチミンシティとなっていますね。」
「そうですね。」
「ハノイが政治的な中心都市だとすると、ホーチミンシティは経済的な中心都市ですよ。」
「はい。」
「ホーチミンシティは、ビルなどが林立していますよ。」
「そうなんですか。」
「ハノイにそこまでの開発は及んでいませんよ。」
「はい。」
「しかし、首都ですので、それなりの開発はされていますよ。」
「はい。」
「日本からベトナムへ行くには、直行便がありますよ。」
「そうなんだ。」
「日本の航空会社とベトナムの航空会社が、ハノイとホーチミンシティへ運航していますよ。」
「はい。」
「ホーチミンシティ、ハノイとも、所要時間は5時間半程度ですよ。」
「はい。」
「日本からは、東京、大阪、名古屋、福岡から行くことができますよ。」
「そうなんだ。」
「ベトナムは、社会主義国家ですね。」
「そうですね。」
「社会主義国家と言うと、秘密のベールに包まれている印象を持つかも知れませんね。」
「はい。」
「しかし、実際にベトナムに入国すると、他の東南アジアとなんら変わりはありませんよ。」
「そうなんですか。」
「入国時点で3ヶ月以上の有効期間のあるパスポートがあれば、15日以内は日本人はビザが免除されますよ。」
「そうなんだ。」
「ベトナムハノイのタンロン皇城の中心区域に行く場合には、ハロン湾などと組み合わせたツアーにする場合が多いですね。」
「はい。」
「ハノイ周辺には、世界遺産などの見所が凝縮されていますよ。」
「そうなんだ。」
「ハノイとホーチミンシティを組み合わせたツアーは、あまり一般的ではありませんよ。」
「そうなんですか。」
「ベトナムは南北に細長い国で、北にハノイ、中部にフエ、南にホーチミンシティという位置関係になっていますよ。」
「はい。」
「南北を縦断する電車もありますが、1日以上かかるので、あまり現実的ではありませんね。」
「そうなんだ。」
「近年まで、軍の統治下にあったベトナムハノイのタンロン皇城の中心区域ですよ。」
「はい。」
「世界遺産に登録されたことで、一般の観光客にも解放されましたよ。」
「はい。」
「その影響もあり、多くの観光客が押し寄せていましたよ。」
「そうなんだ。」
「まずは、ベトナムハノイのタンロン皇城の中心区域の最北にある北正門ですよ。」
「はい。」
「この門は、中の城を守ってきたという威圧感を感じることができますよ。」
「はい。」
「門と言うよりは、どこか要塞のような雰囲気さえありますよ。」
「そうなんだ。」
「左下には、フランスの艦艇から受けた砲弾の跡がありますよ。」
「はい。」
「入口で20000ドンを支払いますよ。」
「はい。」
「20000ドンは、日本円で100円くらいですよ。」
「そうなんだ。」
「安いですね。」
「そうですね。」
「20000ドンを支払うと、この門の中へ入ることができますよ。」
「はい。」
「そうすると、見張り台などを見ることができますよ。」
「はい。」
「見張り台といっても、なかなか立派な建物ですよ。」
「そうなんだ。」
「後楼という場所もありますよ。」
「はい。」
「後楼と言えば、タンロン遺跡内の後楼は、敬天殿の楼閣として作られたそうです。」
「この場所は、王の側近たちが利用していたそうですよ。」
「そうなんだ。」
「その割には、かなり狭い造りとなっていますよ。」
「はい。」
「階段も人がようやくすれ違えそうな幅で、しかも急な段差となっていますね。」
「はい。」
「この上の階へ行くと、敷地内を一望できるのでおススメですよ。」
「わかりました。」
「敷地内には、なかなか素晴らしい物がありますよ。」
「そうなんですか。」
「石階段がありますが、その手すり部分には竜の彫刻がありますよ。」
「はい。」
「この竜の階段の上が皇帝の住まい、その下は仕官の空間という風にちゃんとすみわけがされていましたよ。」
「そうなんだ。」
「階段の上の部分には、立ち入り禁止となっていますよ。」
「はい。」
「18ヘクタールもありますので、かなり歩きますよ。」
「そうなんだ。」
「そうこうしていると、端の門までたどり着きますよ。」
「はい。」
「このベトナムハノイのタンロン皇城の中心区では、門の造りがカッコいいですよ。」
「はい。」
「見事な楼閣といったイメージですね。」
「そうなんだ。」
「もしハノイに寄るのであれば、世界遺産のハロン湾とセットで、こちらの世界遺産にも是非足を運んでほしいですね。」
「わかりました。」
ベトナムの世界遺産~胡朝の城塞~
「胡朝の城塞は、ベトナム北部に位置するタインホア省にある遺跡ですよ。」
「はい。」
「ベトナム北部に位置するタインホア省と言えば、タインホアは、ベトナム北部のタインホア省の都市で、同省の省都である。面積は57.8km2、2009年の人口は195,551人。トンキンのソンコイ・デルタの南にあるタインホア・デルタの中心をなし、ハノイの南150kmに位置する。このデルタはマ川とチュー川の合流により形成され、トンキン・デルタに比し面積は小さいが(約1万5000km2)、古くから堤防を築いて洪水を防ぎ、肥沃な土壌を利用してよく開かれ、人口稠密であった。ベトナム史の上でも重要で、15世紀にはレ(黎)朝、16世紀にはクアンナム(広南)朝のそれぞれ発祥の地となった。」
「胡朝と言えば、胡朝は、ベトナムを支配した王朝(1400年 - 1407年)である。首都はタインホア。」
「胡朝は、1400年から7年にわたってベトナムを支配した王朝ですよ。」
「はい。」
「何故このような城壁が作られたのでしょうか。」
「教えてください。」
「12世紀から長い間国を支配していた陳朝は、14世紀に入り次第に乱れていきますよ。」
「はい。」
「陳朝と言えば、陳朝(チャンちょう、ちんちょう、越:Nha Tran/家陳)は、現在のベトナム北部を1225年から1400年まで支配した王朝である。国号は大越。首都は昇龍(タンロン、現在のハノイ)。」
「その混乱の中、宰相であった胡季リは内部から着実に力をつけていきましたよ。」
「はい。」
「「胡季リ」と言えば、胡 季り(こ きり、ホー・クイ・リ、Ho Quy Ly、1336年 - 1407年)はベトナム胡朝の初代皇帝(在位:1400年)である。ベトナム北中部のタインホア(清化)出身。その祖先は五代十国時代に現在の中国浙江省から南下移住したと伝えられる。」
「辛うじて存続している状態の陳朝は、もはや胡季リの手中にありましたよ。」
「そうなんだ。」
「そして、1400年には陳朝13代皇帝から帝位を簒奪し、胡季リ自らが皇帝となりましたよ。」
「はい。」
「陳朝13代皇帝と言えば、陳少帝(ちんしょうてい、ベトナム語: Tran Thieu De)は、陳朝大越の第13代(最後の)皇帝である。」
「このようにして新たに胡朝をスタートさせた胡季リは、色々な改革を進めていきますよ。」
「はい。」
「ベトナムでは初めてとなる紙幣の使用も、彼の改革の中の一つですよ。」
「そうなんですか。」
「城塞は、このような改革の中で作られたものなのでしょう。」
「そうですね。」
「城壁の高さは7,8m程ですよ。」
「はい。」
「南北に約900m 東西に約800mで長方形の形になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「東西南北には、それぞれ門がありますよ。」
「はい。」
「その門は、とても美しいアーチ型になっていますよ。」
「はい。」
「これは、風水の原理を用いて作られているそうですよ。」
「そうなんですか。」
「一番大きい門は南門ですよ。」
「はい。」
「ここには、売店と資料館がありますよ。」
「はい。」
「ちょっと疲れたら、ここで一休みも良いかもれ知ませんね。」
「そうですね。」
「東門と西門は、それほど大きくありませんよ。」
「はい。」
「どれも、600年前に作られたとは思えないほどしっかりしたものですよ。」
「はい。」
「観光に行った際には、是非胡朝の城塞をご覧ください。」
「わかりました。」
「タインホア省へは、首都ハノイから南に170km程ですよ。」
「はい。」
「首都ハノイと言えば、ハノイ市とは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都である。ホーチミン市に次ぐ同国第2の都市であり、政治と文化の都である。2009年の人口は650万人。紅河の右岸にあり、国内の工業の中心地で、農産物の集散地ともなっている。また、一柱寺など史跡も多い。ハノイがベトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことである。」
「車に揺られて、約3時間で到着ですよ。」
「そうなんだ。」
「タインホア省は、中央部をマ川が流れていますよ。」
「はい。」
「マ川と言えば、タインホア省は中央部をマ川が流れており、その河口一帯にはタインホアデルタと呼ばれる地帯が広がっています。」
「その河口一帯には、タインホアデルタと呼ばれる地帯が広がっていますよ。」
「そうなんだ。」
「タインホアデルタと呼ばれる地帯と言えば、タインホア省は中央部をマ川が流れており、その河口一帯にはタインホアデルタと呼ばれる地帯が広がっています。ここでは穀物などが育てられています。」
「ここでは、穀物などが育てられていますよ。」
「はい。」
「胡朝の城塞遺跡の周りにも、田園が広がっていますよ。」
「はい。」
「とてものどかな風景を見ることが出来ますよ。」
「そうなんだ。」
「7年という短い年月で終わりを迎えた胡朝でしたよ。」
「そうなんですか。」
「広大な土地にぽつんと建っている城塞が、その歴史をはっきりと物語っていますよ。」
「はい。」
「胡朝の城塞は、2011年に文化遺産として世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「これは、ベトナムにある世界遺産としては7個目になりますよ。」
「はい。」
「世界遺産に登録されたばかりなので、日本からのツアーはまだありませんよ。」
「そうなんですか。」
「日本から胡朝の城壁へ行くには、まずハノイへ行ったほうが良いでしょう。」
「わかりました。」
「そこから電車や車などの交通機関を使って、タインホア省へ行くのが一番の近道ですよ。」
「はい。」
「胡朝の城塞自体は、40分程で見終わることが出来ますよ。」
「そうなんだ。」
「時間が余ったら、他のスポットに行ってみるのも良いかも知れませんね。」
「はい。」
「タインホア省には、西にサムソンビーチという7km程のビーチがありますよ。」
「はい。」
「サムソンビーチと言えば、タインホア省には西にサムソンビーチという7km程のビーチがあります。」
「夏には、たくさんのベトナムの世界遺産胡朝の城塞を目当てに観光客が押し寄せる名スポットですよ。」
「そうなんですか。」
「周りにも、人気のホテルなどが建ち並んでいますよ。」
「そうなんだ。」
世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~
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