スペインの世界遺産とスペイン領の島々
「スペインは、おおまかに分けて、「北西部」、「北東部」、「中央部」、「南部」がありますよ。」
「はい。」
「スペインは、40種類以上もの世界遺産のある国ですよ。」
「そんなに多いんですか?」
「世界遺産は、局地的に集中している訳ではありませんよ。」
「はい。」
「上記のすべてのゾーンに保存されていますよ。」
「はい。」
「世界遺産の分類としては、自然遺産というよりも文化遺産的なものが多く、そのほとんどがキリスト教関連の建築ですよ。」
「そうなんだ。」
「たとえば、北西部には、100キロメートルの巡礼企画でおなじみの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」がありますよ。」
「はい。」
「100キロメートルの巡礼企画と言えば、スペイン北西部には、100キロメートルの巡礼企画でおなじみの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」があります。聖ヤコブの里、サンチャゴ・デ・コンポステーラまで中世・巡礼街道の古道を歩きます。サンンチャゴまで100キロの地点より1日約20キロ弱のペースで歩き、巡礼証明書を取得します。」
「北東部には、今も工事が続いている「サクラダ・ファミリア」がありますよ。」
「はい。」
「サクラダ・ファミリアと言えば、サグラダ・ファミリア(日本語: 聖家族)は聖家族贖罪教会という正式名称を持つバルセロナにあるカトリック教会のバリシカである。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。サグラダ・ファミリアは、カタロニア・モダニズム建築の最も良く知られた作品例であり、カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品である。バルセロナ市のシンボルであるこの建物は、綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。」
「さらに中央部には、スペインではお馴染みの名家・ブルボン家の王室がある「アランフエスの文化的景観」がありますよ。」
「そうなんだ。」
「アランフエスと言えば、アランフエスは、スペインの都市である。スペイン中央のマドリード州南部に位置する。タホ川に沿って広がり、ハラマ川との合流点がある。首都マドリードから南に48km。スペイン王室の宮殿と庭園が有名で、世界遺産にも登録されている。また、ロドリーゴの楽曲アランフエス協奏曲でもその名を知られる。」
「名家・ブルボン家と言えば、スペイン中央部にはスペインではおなじみの名家・ブルボン家の王室がある「アランフエスの文化的景観」があり、キリスト教なしでは語れない世界遺産ばかりです。」
「南部には、かつてウマイヤ朝の都として繁栄していたコルドバ歴史地区がありますよ。」
「はい。」
「コルドバと言えば、コルドバは、スペインの都市である。アンダルシア州、コルドバ県の県都。グアダルキビール川に面する。かつての後ウマイヤ朝の首都で、イスラム時代の文化を伝える建築物や街路が遺されている。メスキータやユダヤ人街を含む「コルドバ歴史地区」は世界遺産に登録されている。」
「ウマイヤ朝と言えば、ウマイヤ朝の特徴は、それまでのカリフは選挙によって選ばれてきましたが、ウマイヤ朝が創始されてからカリフは世襲制へと変わっていきます。また、重要なのがイスラムの分裂を招くことにもなりました。ウマイヤ朝成立後はジハード(聖戦)が猛烈に展開されていくこととなります。その為、このウマイヤ朝の時代は単独のイスラム王朝としては最大の領土を誇ることになります。」
「どれを取っても、キリスト教なしでは語れない世界遺産ばかりですよ。」
「そうなんですか。」
「「キリスト教徒じゃないからあんまり興味ないな~」と思ったり、「宗教的なことはちょっと」と、懸念を抱いた方もいらっしゃるかも知れませんね。」
「そうですね。」
「上記の世界遺産を観光する人のすべてが、キリスト教徒という訳ではありませんね。」
「はい。」
「特に歴史的背景を知らなくても、十分楽しめる世界遺産ばかりですよ。」
「そうなんだ。」
「知識がなかったとしても、心配する必要はまったくありませんよ。」
「はい。」
「前述の世界遺産以外にも、実に豊富な数の世界遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」
「自分が行きたいと思う世界遺産をチェックしてください。」
「わかりました。」
「世界遺産に恵まれたこの国は、他の国にはない不思議な特徴がたくさんありますよ。」
「はい。」
「まず、気候は日本と真逆の国ですよ。」
「そうなんだ。」
「異文化の街を見て歩きたいのであれば、スペインの街はうってつけですよ。」
「はい。」
「カタルーニャ地方などスペインに近い場所は、料理がかなり美味しいですよ。」
「はい。」
「カタルーニャ地方と言えば、カタルーニャ州は、スペインの自治州である。州都はバルセロナ。自治州政府はジャナラリター・デ・カタルーニャ。」
「世界遺産を見つつ、グルメツアーをするのも面白いかも知れませんよ。」
「いいですね。」
「この国の世界遺産には、色々な種類がありますよ。」
「そうなんですか。」
「北西部、北東部、中央部、南部で言語の使い方が大きく異なりますよ。」
「そうなんだ。」
「北西部の言葉に慣れてから北東部へ行くと、かなりのカルチャーショックを受ける可能性がありますよ。」
「はい。」
「ある程度、地域ごとの文化の違いを押さえてから行かないと、後になってトラブルが起きる可能性がありますよ。」
「そうなんですか。」
「ガイドブックを読み込んでから、行かれることをおススメします。」
「わかりました。」
「アンダルシア州は、北アフリカに近いので夏場は他の地区よりずっと暑くなりますよ。」
「はい。」
「アンダルシア州と言えば、アンダルシア州は、スペインを構成する自治州の一つである。スペイン南部に位置し、北はエストレマドゥーラ州とカスティーリャ=ラ・マンチャ州、東はムルシア州、そして西はポルトガルと接し、南は地中海・ジブラルタル海峡・大西洋がある。州都は、セビリア。自治州政府はフンタ・デ・アンダルシーア。近年はアンダルシーアという表記も見られる。」
「フランスに近いバスク地方やカタルーニャ地方は、他の地域と比べて目立った特産物がありませんよ。」
「はい。」
「バスク地方と言えば、バスク地方は、大西洋に面した温暖な海とピレネーの裾野に広がる緑の山々に恵まれた地方である。ヨーロッパで最も古い言語と言われるバスク語が現在も使われ、他地方との共通性をほとんどもたない独自の文化と伝統が今も守られています。」
「ポルトガルに接近している北西部は、また違う文化が広がっていますよ。」
「そうなんだ。」
「どの地域を選ぶかで、旅の様相がまったく違うものになりますよ。」
「はい。」
「このことをしっかり把握しておいた方が良いでしょう。」
「わかりました。」
「よりスペインらしい街に行って、スペインらしい世界遺産が見たいなら、やはり南部がおススメですよ。」
「はい。」
「スペインらしさよりもロマンチックな雰囲気を求めるのであれば、大航海時代に貿易船の港として栄えていた街である、アンダルシア州の州都セビリアがベストと思われますよ。」
「そうなんだ。」
「アンダルシア州の州都セビリアと言えば、セビリアはスペイン南部の都市である。アンダルシア州の州都で、セビリア県の県都。人口は70万人でスペイン第4位。セビリア都市圏の人口は130万人に上る。スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、観光都市である。」
「北東部であれば、フランスへ出てファッションストリートを探索することもできますよ。」
「はい。」
「北東部でガウディの建築を見て、その後にフランスへ移動するのもアリですよ。」
「はい。」
「ガウディと言えば、アントニ・ガウディ(1852年 - 1926年)は古今東西の折衷様式を唱えたモデルニスモの代表的建築家として知られる。アントニ・ガウディは26歳の時、パリの博覧会に出品したのをきっかけに大富豪、エウゼビ・グエイ(スペイン語読みはエウゼビ・グエル)と出会う。これが元で世界遺産の題名の一部となったグエル公園(パルケ・グエル)、グエル邸(パラシオ・グエル)の設計・建築を依頼されこれらを建設した。この後、ガウディはバルセロナ中の富豪から設計の依頼が来るようになった。これらの一部も世界遺産に登録されている。」
「とにかく、この国には面白い場所がたくさんありますよ。」
「そうなんですか。」
「色々な観光地を見ようとしても、一日ではとても周り切れないと思われますよ。」
「はい。」
「世界遺産の数は、本当に豊富ですよ。」
「はい。」
「二カ所~三カ所は、回れるように手配しておくことをおススメします。」
「わかりました。」
「何を見ればいいか迷ってしまった時は、どこか一カ所だけでも世界遺産を見ておくと、心残りのない旅になると思われますよ。」
「そうなんだ。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~ガラホナイ国立公園~
「スペインには、世界遺産がたくさんあることはもうお分かりでしょう。」
「はい。」
「しかし、宗教関連の文化遺産が多いスペインにはもう一カ所、あまり知らない世界遺産がありますよ。」
「そうなんですか。」
「その世界遺産とは、「ガラホナイ国立公園」ですよ。」
「はい。」
「ガラホナイ国立公園と言えば、ガラホナイ国立公園とは、スペイン・カナリア諸島の西部、ラ・ゴメラ島島頂部に位置する国立公園である。国立公園の区域内には、マデイラ島の照葉樹林と並んで、マカロネシアを代表する照葉樹林(遺存型照葉樹林)が分布する。このため、1986年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。」
「「ガラホナイ国立公園」は、大西洋上にあるカナリア諸島にある世界遺産ですよ。」
「そうなんですか。」
「カナリア諸島(カナリアス諸島)と言えば、カナリア諸島は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある、7つの島からなるスペイン領の群島である。カナリアス諸島ともいう。」
「7つの島からなるこのカナリア諸島は、カナリアス諸島とも呼ばれていますよ。」
「はい。」
「独特の気候が広がっている地域として、有名な地域ですよ。」
「はい。」
「太古の原生林が残っているため、研究対象になることも多い群島ですよ。」
「そうなんだ。」
「実は、この群島の中に「ゴメラ島」という島がありますよ。」
「はい。」
「ゴメラ島と言えば、ラ・ゴメラ島 はスペイン、カナリア諸島の島である。ゴメラとは、アラビア語で『小さな松明』を意味する。島の人口は21,952人(2006年)。火山性の円形の島である。最高地点は、ガラホナイの1,484m。ローマ時代から島の存在は知られており、先住民族のグアンチェ族が住んでいた。16世紀からスペイン人が入植し、グアンチェ族は絶滅した。1492年、大西洋を横断する際にクリストファー・コロンブスがラ・ゴメラ島を最後の寄港港にした。」
「この島は、俗に言う「火山島」ですよ。」
「はい。」
「火山島であるこのゴメラ島の奥部、断崖に囲まれた島の内部に保存されている自然遺産は、標高1000メートルという非常に高い位置にありますよ。」
「そうなんだ。」
「カボラナイ山を囲むように、世界遺産である「ガラホナイ国立公園」が立地していますよ。」
「はい。」
「カボラナイ山と言えば、「ガラホナイ国立公園」は大西洋上にある、カナリア諸島にある世界遺産である。火山島であるこのゴメラ島の奥部、断崖に囲まれた島の内部に保存されている自然遺産は、標高1000メートルという非常に高い位置にあります。カボラナイ山を囲むように世界遺産である「ガラホナイ国立公園」が立地しており、とても気軽には行けないような霧深い森の中です。」
「とても気軽には行けない霧深い森の中で、世界遺産を見学する形になっていますよ。」
「はい。」
「この世界遺産は、地図上で言えば、北アフリカに程近い位置にありますよ。」
「そうなんだ。」
「スペイン領にあると聞くと、「それじゃあこの世界遺産はスペインから近い位置にあるんだな」と思うのが自然ですね。」
「はい。」
「しかし、実際、スペインからこのカナリア諸島のゴメラ島へ行くには、かなり時間がかかりますよ。」
「そうなんだ。」
「気軽に行ける所ではないことを覚えておきましょう。」
「わかりました。」
「このゴメラ島は実際に行ってみると、感じたこともない空気と見たこともない雰囲気が広がっていますよ。」
「はい。」
「初めて行く人は、かなり衝撃を受けますよ。」
「そうなんですか。」
「ゴメラ島は、「貿易風」と呼ばれる湿った風によって霧で覆い隠されていますよ。」
「はい。」
「貿易風と呼ばれる湿った風と言えば、貿易風は、亜熱帯高圧帯から赤道低圧帯へ恒常的に吹く東寄りの風のことである。エルニーニョが発生すると貿易風は弱まり、異常気象の原因となる。ラニーニャ発生時は逆に強くなる。」
「真っ白な視界が、延々と続いている地域ですよ。」
「はい。」
「季節感もなく、常に高い湿度を保っている空間ですよ。」
「そうなんだ。」
「乾燥した空気の漂う灼熱のスペインをイメージして行くと、イメージを覆されますよ。」
「はい。」
「アフリカに近いというだけあって、スペインとしての印象よりも、アフリカのものとしての印象が強いですよ。」
「そうなんだ。」
「「アフリカの近くにあるスペイン領の世界遺産」と捉えておいた方が良いでしょう。」
「そうですね。」
「カナリア諸島にあるゴメラ島には、「ヴィニャティゴ」という樹齢1000年の木がありますよ。」
「はい。」
「「ヴィニャティゴ」という樹齢1000年の木と言えば、カナリア諸島にあるゴメラ島には、「ヴィニャティゴ」 という樹齢1000年の木があります。」
「こちらも要チェックですね。」
「はい。」
「ゴメラ島を訪れた際には、必ず見るようにしましょう。」
「わかりました。」
「スペインにはスペイン北西部、スペイン北東部、中央部、南部と様々な文化がミックスしていますよ。」
「はい。」
「カナリア諸島の文化も、また味わい深いものがありますよ。」
「はい。」
「スペイン旅行の際は、自分の心が最も惹かれる場所をピックアップしてください。」
「わかりました。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ~
「世界遺産『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、スペイン領の大西洋に浮かぶ7つの島から成るカナリア諸島のひとつ、テネリフェ島北部にある街の名前ですよ。」
「はい。」
「テネリフェ島と言えば、テネリフェ島は、大西洋にあるスペイン領カナリア諸島に属する島である。面積は2,034平方キロメートル、人口は899,833人(2008年)で、共にカナリア諸島内で最大である。諸島最大の都市であり、カナリア諸島自治州の州都サンタ・クルス・デ・テネリフェが島の北東部にある。この島は元々火山島であり、スペインの最高峰、テイデ山 (3,718 m) がある。」
「サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナと言えば、サン・クリストーバル・デ・ラ・ラグーナは、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島北部の都市である。一般的には単に「ラ・ラグーナ」と呼ばれる。大学都市であるので、住民は約3万人と十分に大きな規模を持っている。」
「カナリア諸島(カナリアス諸島)と言えば、カナリア諸島は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある、7つの島からなるスペイン領の群島である。カナリアス諸島ともいう。」
「ここ『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、スペインと先住民・グアンチェ族との融合やヨーロッパとアメリカ大陸の影響を受けた文化など、様々な融和により作りあげられてきたコロニアル調の街並みが広がっていますよ。」
「はい。」
「先住民・グアンチェ族と言えば、グアンチェ族はスペインのカナリア諸島に住んでいた先住民である。はっきりした由来は定かではないが、ヨーロッパ人が中世にカナリア諸島を初めて訪れたときには、まだ石器時代の生活を営んでいたという。今では彼らの文化は少しの痕跡を残しほぼ消え果てしまっているものの、その血統を受け継ぐ人たちは現在のカナリア諸島の住民、そしてさらには同諸島の住民の移住先であるキューバやプエルトリコに多数見受けられる。」
「この500年にもおよぶ歴史をそのまま残していますよ。」
「そうなんだ。」
「1999年に世界遺産・文化遺産に認定されましたよ。」
「はい。」
「15世紀末に入植してきたスペイン人により、敗北したベルベル人を祖先に持つグアンチェ族は、この『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』に移住させられましたよ。」
「はい。」
「ベルベル人と言えば、ベルベル人は、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称である。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的にはコーカソイドで、宗教はイスラム教を信じる。」
「融和を図った結果、スペイン人とグアンチェ族との結婚が増え、また共に大聖堂などを建造したりするに至りましたよ。」
「そうなんだ。」
「現在、この島のほとんどの人がスペイン人とグアンチェ族のハーフの子孫だと言いますよ。」
「はい。」
「グアンチェ族は、金色の髪と青い目、長身が特徴でしたよ。」
「はい。」
「美男美女の街とも言えますよ。」
「そうなんだ。」
「この島は貿易が盛んでしたよ。」
「はい。」
「アメリカ大陸やヨーロッパ各地の文化が、流れ込んできましたよ。」
「はい。」
「その結果、多くの『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』でしか、見られないような建造物が残されていますよ。」
「そうなんだ。」
「有名なのが、ナバ宮殿というアデランタード広場にある建造物ですよ。」
「はい。」
「アデランタード広場と言えば、アデランタード広場でカナリアス諸島の伝統的な建築物をいくつか見学することができます。有名なのが≪ナバ宮殿≫というアデランタード広場にある建造物です。」
「ナバ宮殿と言えば、アデランタード広場に位置し、マニエリスム、バロック、ネオクラシックの要素が組み合わされた、テネリフェ島の建築物の中では珍しい形のもののひとつに数えられます。豊富な装飾物ひとつひとつが、この建物に手を加えてきたさまざまな時代を物語っています。1776年トーマス・ナバ氏がこの宮殿の改装を手がけ、ネオクラシック調にまとめ上げ、正面外壁に青みがかった切り石で覆いました。」
「マニエリスム(後期ルネッサンス)・バロック・ネオクラッシクの異なる3つの様式が混合していますよ。」
「そうなんですか。」
「バロックと言えば、バロックとは、16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式である。バロック芸術は秩序と運動の矛盾を超越するための大胆な試みとしてルナサンスの芸術運動の後に始まった。」
「マニエリスム(後期ルネッサンス)と言えば、マニエリスムとはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の「マニエラ(手法・様式)」に由来する言葉である。マナー、マニアックなどにも通ずる語。」
「とても珍しい造りとなっていますよ。」
「はい。」
「建物正面も特徴的で、外壁に青みがかった切り石を使っており、とてもキレイですよ。」
「いいですね。」
「その他、芸術的なサン・フランシスコ教会、サンタ・カタリナ修道院などがありますよ。」
「はい。」
「サンタ・カタリナ修道院と言えば、1579年に建てられて以来、ずっと守られてきたサンタカタリーナは広大で、どの建物も美しい。アレキパの素晴らしい街並みが濃縮された壮麗な修道院である。修道院の壁は白、赤、青ときれいな色でそこに植木鉢に植わった花がきれいに壁をデコレーションしている。」
「サン・フランシスコ教会と言えば、ボルサ宮の隣り、ドウロ川沿岸に偉容を誇るバロック式教会である。1233年にサンチョ2世により建てられ、17~18世紀に改修が施された。内部はターリャ・ドゥラーダと呼ばれる金泥を塗った木彫りの彫刻で装飾されている。キリストの家系図「ジェッセの家系樹」も必見。」
「『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』の街の構成も、大変興味深く造られていますよ。」
「はい。」
「この街は、街が造られる当時の「測量法」、「航海術」などを用いて造られていますよ。」
「そうなんだ。」
「碁盤の目のように道を交差させて、ルネサンス調の整備された街に仕上げていますよ。」
「はい。」
「500年も前の技術が、今もなお崩れずに存在していますよ。」
「はい。」
「現在の『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、主に文化だけでなく大学都市として学問の中心地になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「ここでは、島らしく海鮮料理が多く、中でも「ビエハス」は名物料理のひとつですよ。」
「はい。」
「「ビエハス」という名物料理と言えば、『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、主に文化だけでなく大学都市として学問の中心地になっています。ここでは島らしく海鮮料理が多く、中でも「ビエハス」は名物料理のひとつ。この「ビエハス」に「ラパス・アサーダス」という大きな焼いた牛蒡と一緒に食すのが美味しい。」
「この「ビエハス」に「ラパス・アサーダス」という大きな焼いた牛蒡と一緒に食すのが美味しいですよ。」
「そうなんだ。」
「代表的な料理としては、「パパス・アルナーダ」という、ピンポン玉大のジャガイモに、「ホモピコン」という唐辛子とパプリカで作った赤いソースをかけるものもありますよ。」
「はい。」
「「ホモピコン」という唐辛子と言えば、世界遺産『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、スペイン領の大西洋に浮かぶ7つの島から成るカナリア諸島のひとつ、テネリフェ島北部にある街の名前です。代表的な料理としては「パパス・アルナーダ」という、ピンポン玉大のジャガイモに、「ホモピコン」という唐辛子とパプリカで作った赤いソースをかけるものもあります。」
「代表的な料理の「パパス・アルナーダ」と言えば、世界遺産『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、スペイン領の大西洋に浮かぶ7つの島から成るカナリア諸島のひとつ、テネリフェ島北部にある街の名前です。代表的な料理としては「パパス・アルナーダ」という、ピンポン玉大のジャガイモに、「ホモピコン」という唐辛子とパプリカで作った赤いソースをかけるものもあります。」
「『サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ』は、歴史や文化を残しつつも、今も学問の分野でスペインでも先を行く街ですよ。」
「わかりました。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~ピレネー山脈のモン・ペルデュ~
「1997年に世界遺産・複合遺産として登録された『ピレネー山脈のペルデュ山』(又は「トレス・セルロス=モン=ペルデュ」)は、スペインとフランスの国境付近に広がっていますよ。」
「はい。」
「ペルデュ山と言えば、ピレネー山脈の中央にはペルデュ山(3352m)がそびえる。ピレネー山脈-ペルデュ山は、1997年に登録、1999年に登録内容が変更された世界遺産(複合遺産)である。フランスとスペインの国境沿いに連なるピレネー山脈にあるペルデュ(ペルディド)山を中心とした、フランスとスペインの2ヵ国にまたがる世界遺産である。」
「ピレネー山脈と言えば、ピレネー山脈は、フランスとスペインの国境が走る褶曲山脈である。ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分ける山脈でもある。山脈はほぼ東西方向に延び、長さ430km、幅は定義にもよるが100km程度である。山脈の中央東寄りの位置にはミニ国家であるアンドラ公国がある。」
「ピレネー山脈は、長さ約430kmありますよ。」
「はい。」
「ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分ける程の大山脈群ですよ。」
「そうなんだ。」
「イベリア半島と言えば、イベリア半島は、ヨーロッパの南西に位置する半島である。イベリアの名は、古代ギリシア人が半島先住民をイベレスと呼んだことに由来する。しかし、もともとは漠然とピレネー山脈の南側に広がる地域を指した言葉である。」
「スペイン北部アラゴン州・ウエスカには、標高3352mの「ペルデュ山」がありますよ。」
「はい。」
「スペイン北部アラゴン州・ウエスカと言えば、ウエスカ県は、スペイン北部のアラゴン州の県である。東はリェイダ県、南はサラゴサ県、西はナバーラ州、北はピレネー山脈でフランスとの国境に接している。県都はウエスカ。」
「スペイン北部アラゴン州と言えば、アラゴン州は、スペインを構成する自治州の一つである。スペインの北東部に位置し、北はフランス、東はカタルーニャ州、南はバレンシア州、西はカスティーリャ=ラ・マンチャ州、カスティーリャ・イ・レオン州、ラ・リオハ州、ナバーラ州と接している。州都は、サラゴサ。」
「ピレネー山脈の中央にある、山脈の中では3番目に高い山ですよ。」
「はい。」
「石灰質の地質なので、長年の氷河による侵食を受けていますよ。」
「そうなんだ。」
「多数の渓谷を作り出していますよ。」
「はい。」
「石灰質の山だけで言えば、ヨーロッパで一番高い山ですよ。」
「はい。」
「世界遺産である『ピレネー山脈のペルデュ山』は、この山だけでなく、周辺にある数々の渓谷や滝を含めて登録されていますよ。」
「そうなんだ。」
「スペイン側には、オルデサ・イ・モンテ・ペルディード国立公園があり、ヨーロッパ最大・最深の渓谷である「オルデッサ渓谷」(崖の高さが1000m以上もある)を始め、「アニスクロ渓谷」、「ピネタ渓谷」などが含まれていますよ。」
「はい。」
「ピネタ渓谷と言えば、標高1000m、ピレネー山脈中央部の庭園に囲まれたBielsaは、無料Wi-Fiなどを提供しています。 ビエルサ村中心部までわずか200mで、村の周辺には美しいピネタ渓谷があります。」
「アニスクロ渓谷と言えば、地層の褶曲でできた山では、地層の湾曲で高くなった場所に大きな谷ができ、そのために逆に低くなることがある。地層が引き延ばされた場所に割れ目ができ、そこで谷の侵食が進むためである。世界遺産であるスペイン・ピレネー山脈のアニスクロ渓谷はその一例である。」
「オルデッサ渓谷と言えば、大きなカーブを描き氷河が削り取ったオルデッサ渓谷と弧を描いてそそり立つガヴァルニーの絶壁は、ピレネーの代表的な景観です。」
「オルデサ・イ・モンテ・ペルディード国立公園と言えば、オルデサ・イ・モンテ・ペルディド国立公園は「ピレネー山脈のモン・ペルデュ」(Pyrenees-Mont Perdu) のフランス語名で世界遺産登録されている地域に入っています。この世界遺産はスペインとフランス両国に跨っています。」
「フランス側には、ピレネ国立公園があり、観光地で有名な「ガヴァルニー圏谷」(毎年100万人が訪れる程)を始め、「エスタルベ圏谷」、「トルムーズ圏谷」が含まれていますよ。」
「はい。」
「トルムーズ圏谷と言えば、1997年には、「ピレネー山脈-ペルデュ山」(Pyrenees- Mont Perdu) の名で複合遺産として世界遺産に登録され、約3万haの登録区域内には、ガヴァルニー圏谷をはじめ、エスタルベ圏谷、トルムーズ圏谷など、素晴らしい景観が広がります。ここには、ヨーロッパならではの雄大な景色を体験できる大変魅力的なハイキングコースがたくさんあります。」
「エスタルベ圏谷と言えば、モン・ペルデュは、フランスとスペインの国境に近い、ピレネー山脈のスペイン側斜面の山頂の名前 エスタルベ圏谷、フランス側 山頂の標高は3352mで、これはピレネー山脈の山としては三番目に高く、石灰質の山としてはヨーロッパ最高峰を誇る。」
「フランス側のピレネ国立公園と言えば、1967年に認定されたピレネー国立公園は、フランス全土に7ヶ所ある国立公園の一つです。ピレネー国立公園には、標高の高い壮大なスケールの空間に圏谷、断崖、洞窟、湖といった見事な名所がちりばめられており、非常に厳しい規制の下、とても良い状態で保護され、公園内のこうした中心地帯への車でのアクセスは禁止されています。」
「もうひとつの特徴は、『ピレネー山脈のペルデュ山』の文化的な生活を見る事が出来るところですよ。」
「そうなんですか。」
「代々、ペルデュ山では、羊飼いが遊牧生活を営んでいますよ。」
「はい。」
「既に、ヨーロッパではほとんどされなくなってしまった放牧ですよ。」
「はい。」
「夏には、山の上の方に羊を放牧しますよ。」
「そうなんだ。」
「そうすることにより、新芽が羊たちに食べられ、森になる事を防ぐ事ができますよ。」
「はい。」
「長く牧草地として使えるように、伐採をせずに自然な方法で放牧生活を行う為の歴代の知恵ですね。」
「そうなんだ。」
「以前、この山脈には「ピレネークマ」という野生の熊が生息していましたよ。」
「はい。」
「しかし、一度絶滅しましたよ。」
「はい。」
「しかし、同じ種の熊を他地域より連れてきて、今では再び野生のクマが生息出来るようになりましたよ。」
「そうなんだ。」
「世界遺産『ピレネー山脈のペルデュ山』は、氷河の浸食を長い間受けて自然に現在の環境を作りだした自然遺産の顔と、脈々と放牧生活を独自の知恵で続けている文化遺産の顔の両方を持ち合わせた特殊な場所ですよ。」
「そうなんですか。」
「『ピレネー山脈のペルデュ山』があるアラゴン州は、1000年以上の歴史を持つ巡礼道サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の一部、「アラゴンの道」が通っている事でも有名な神聖な地ですよ。」
「はい。」
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の一部「アラゴンの道」と言えば、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴ・デ・ コンポステーラまでは「フランス人の道」と呼ばれ、巡礼路の中でもっとも人気のある道である。ソンポルト峠からプエンテ・ラ・レイナまでは、「アラゴンの道」と呼ばれる。」
「スペイン北部アラゴン州と言えば、アラゴン州は、スペインを構成する自治州の一つである。スペインの北東部に位置し、北はフランス、東はカタルーニャ州、南はバレンシア州、西はカスティーリャ=ラ・マンチャ州、カスティーリャ・イ・レオン州、ラ・リオハ州、ナバーラ州と接している。州都は、サラゴサ。」
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(100キロメートルの巡礼企画でおなじみのサンティアゴ・デ・コンポステラ)と言えば、巡礼路 はフランス側から4つのルートがあり、ピレネー山脈を越えてスペインに入ってから 800kmもあるサンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂までの長い道のりです。」
「フランスからピレネー山脈を越え、巡礼者たちはスペインへ入国して行きますよ。」
「はい。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~オビエドとアストゥリアス王国の建造物群~
「スペイン北西部、アストゥリアス地方にあるオビエドは、スペイン王国の原点と言われている街ですよ。」
「はい。」
「スペイン北西部のアストゥリアス地方にあるオビエドと言えば、オビエドは、スペイン北西部、アストゥリアス地方の同名県の県都である。9世紀初めから10世紀初めまでアストゥリアス王国の首都であった。人口18万4473(1981)。石炭・鉄を豊富に埋蔵した山脈が背後に控え、19世紀以降、機械・鋳物工業が盛んで、リンゴ酒も産する。1934年には、約2週間にわたる労働者コミューンが設立されたアストゥリアス革命の中心地となった。36‐39年の内戦でも破壊を被ったが、14~16世紀の大聖堂など、由緒ある建造物は修復されている。」
「スペイン北西部のアストゥリアス地方と言えば、スペイン北西部のアストゥリアス地方。8世紀初め、イスラム教徒に追われたキリスト教徒たちは、この地にオビエドを首都とする王国が築きます。ここにあるキリスト 教の聖堂など、6つの建造物が世界遺産に登録されています。」
「1985年に、このオビエドにある6つの建造物が世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」
「それが、『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』ですよ。」
「はい。」
「アストゥリアス王国と言えば、アストゥリアス王国は、イベリア半島にかつて存在した王国である。711年(または712年)、グアダレーテの戦い(英語版)でイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。」
「『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』の成り立ちは、711年に遡りますよ。」
「はい。」
「現在のスペインがあるイベリア半島が、この時にウマイヤ朝のイスラム教徒によって占領されていきましたよ。」
「そうなんですか。」
「イベリア半島と言えば、イベリア半島は、ヨーロッパの南西に位置する半島である。イベリアの名は、古代ギリシア人が半島先住民をイベレスと呼んだことに由来する。しかし、もともとは漠然とピレネー山脈の南側に広がる地域を指した言葉である。」
「ウマイヤ朝と言えば、ウマイヤ朝の特徴は、それまでのカリフは選挙によって選ばれてきましたが、ウマイヤ朝が創始されてからカリフは世襲制へと変わっていきます。また、重要なのがイスラムの分裂を招くことにもなりました。ウマイヤ朝成立後はジハード(聖戦)が猛烈に展開されていくこととなります。その為、このウマイヤ朝の時代は単独のイスラム王朝としては最大の領土を誇ることになります。」
「カトリック・キリスト教徒たちは、とうとうオビエドまで追われてしまいましたよ。」
「はい。」
「ここにあるコバドンガの洞窟まで追い込まれた時に、初めてイスラム教徒たちへ対抗しましたよ。」
「はい。」
「コバドンガの洞窟と言えば、コバドンガは、スペイン、アストゥリアス州、カンガス・デ・オニスの教区の一つである。ピコス・デ・エウローパ国立公園の一部を成している。サンタ・クエバ・デ・コバドンガ(コバドンガの聖なる洞窟) - コバドンガの聖母像を祀る礼拝堂と、ペラーヨの墓がある。伝説によると、コバドンガの戦いの最中、ペラーヨとその部下たちのための隠れ家とされていたという。」
「武将・ペラーヨを筆頭に勝利をおさめますよ。」
「そうなんだ。」
「武将・ペラーヨと言えば、『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』の成り立ちは、711年に遡ります。現在のスペインがあるイベリア半島が、この時にウマイヤ朝のイスラム教徒によって占領されていきました。カトリック・キリスト教徒たちは、とうとうオビエドまで追われてしまい、ここにある≪コバドンガの洞窟≫まで追い込まれた時に初めてイスラム教徒たちへ対抗。武将・ペラーヨを筆頭に勝利をおさめます。この洞窟からスペイン王国の領土を取り返す運動・レコンキスタが始まったのです。ペラーヨによって「アストゥリアス王国」が建国。オビエドが首都となりました。」
「この洞窟から、スペイン王国の領土を取り返す運動・レコンキスタが始まりましたよ。」
「はい。」
「スペイン王国の領土を取り返す運動・レコンキスタと言えば、レコンキスタは、718年から1492年までに行われたキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動の総称である。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服と、それに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落で終わる。レコンキスタはスペイン語で「再征服」(re=再び、conquista=征服すること)を意味する。」
「ペラーヨによって「アストゥリアス王国」が建国され、オビエドが首都となりましたよ。」
「はい。」
「武将・ペラーヨと言えば、『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』の成り立ちは、711年に遡ります。現在のスペインがあるイベリア半島が、この時にウマイヤ朝のイスラム教徒によって占領されていきました。カトリック・キリスト教徒たちは、とうとうオビエドまで追われてしまい、ここにある≪コバドンガの洞窟≫まで追い込まれた時に初めてイスラム教徒たちへ対抗。武将・ペラーヨを筆頭に勝利をおさめます。この洞窟からスペイン王国の領土を取り返す運動・レコンキスタが始まったのです。ペラーヨによって「アストゥリアス王国」が建国。オビエドが首都となりました。」
「11世紀に入ると、領土拡大に伴い「カスティーヤ・イ・レオン王国」と国名が変更され、首都もレオンに遷都されましたよ。」
「そうなんだ。」
「スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州のレオンと言えば、レオンは、スペイン北西部、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県の県都である。市の人口は2006年時点で136,999人であるが、都市圏としては204,212人の人口となる。中世にはレオン王国の首都が置かれていたため、有名なゴシック様式のレオン大聖堂やその他多くの記念建造物がある。」
「カスティーヤ・イ・レオン王国と言えば、11世紀に入ると領土拡大に伴い「カスティーヤ・イ・レオン王国」と国名が変更され、首都もレオンに遷都されました。「カスティーヤ・イ・レオン王国」は、スペイン・カトリックの大本山≪トレド大聖堂≫があるトレド奪還を成し遂げ、遂に1492年にスペイン全土を取り戻す事が出来ました。約800年にも及ぶとても長い戦いが終わったのです。」
「「カスティーヤ・イ・レオン王国」は、スペイン・カトリックの大本山トレド大聖堂があるトレド奪還を成し遂げましたよ。」
「はい。」
「スペインの中央部、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都であるトレドと言えば、トレドはスペイン中央部の都市である。カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都で、トレド県(人口約60万人)の県都である。マドリードから南に71kmの距離で、タホ川に面する。かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。」
「スペイン・カトリックの大本山トレド大聖堂と言えば、トレド大聖堂を中心とする市街 トレドは、スペインカトリックの大本山である。それにふさわしい堂々としたシルエットを持つカテドラルを中心に、数多くの教会、軍事要塞、 病院、博物館などが集約している。」
「遂に、1492年にスペイン全土を取り戻す事が出来ましたよ。」
「はい。」
「約800年にも及ぶ、とても長い戦いが終わりましたよ。」
「そうなんだ。」
「9世紀に建造されたのが、『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』である6つの建造物群ですよ。」
「はい。」
「中でもサン・ミッゲル・デ・リーリョ聖堂、サンタ・マリア・デル・ナランコ聖堂、サンタ・クリスティーナ・デ・レーナ聖堂は、特に有名ですよ。」
「そうなんですか。」
「サンタ・クリスティーナ・デ・レーナ聖堂と言えば、サン・ミーゲル・デ・リーリョ聖堂、サンタ・マリア・デル・ナランコ聖堂、サンタ・クリスティーナ・デ・レーナ聖堂は、アストゥリアス王国時代の9世紀に建設された代表的な建築物である。サンタ・クリスティーナ・デ・レーナ聖堂の内部装飾は、ビザンチン様式の特徴を持ち、外観は他と同じプレ・ロマネスク様式である。」
「サンタ・マリア・デル・ナランコ聖堂と言えば、スペイン北西部、アストゥリアス州の都市オビエドにある教会である。市街北郊のナランコ山に位置する。9世紀にアストゥリアス王ラミロ1世により離宮として建造。10世紀初頭から11世紀半ばまで教会として使われた。ロマネスク以前のプレロマネスク様式という独自の建築様式で知られ、サンミゲル・デ・リーリョ教会、サンタクリスティナ・デ・レナ教会とともに、1985年に「アストゥリアス王国の教会」として世界遺産(文化遺産)に登録。1998年に「オビエドとアストゥリアス王国の建築物」の名称で他の建築物とともに拡張登録された。」
「サン・ミッゲル・デ・リーリョ聖堂と言えば、サン・ミゲル・デ・リーリョ教会は、ナランコ教会の前身であるサンタ・マリア離宮の礼拝堂として造られた。」
「これらの聖堂が、当時のレコンキスタを起こす人々の原動力になっていましたよ。」
「はい。」
「造りは、後のヨーロッパ聖堂建築・ロマネスク様式の先駆けとなった「プレ・ロマネスク様式」で造られているのが特徴ですよ。」
「そうなんだ。」
「プレ・ロマネスク様式と言えば、プレ・ロマネスクの重要な建築形態は、バシリカと単廊式教会堂である。単廊式教会堂は、柱のない単一空間に内陣が連結した単純な教会堂で、しばしば、これにアプスや小礼拝室などが付け加えられる。単廊式教会堂は、ロマネスクの教会堂に側廊のないものがあること、教会堂が空間の足し算によって成り立っていることを証明するものである。」
「ヨーロッパ聖堂建築・ロマネスク様式と言えば、ロマネスク建築は、中世西ヨーロッパの建築様式である。時代区分としては、おおよそ1000年から1200年頃までのゴシック建築以前の建築を指す。最初のヨーロッパ建築と言っても過言ではない。同時代のビザンティン建築と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を装飾するための副次的要素であった。」
「一見すると質素で、柱のない単空間となっていますよ。」
「はい。」
「上部に、塔のような突出部を備えた西構えという形態になっていますよ。」
「はい。」
「1998年には、カマラ・サンタ・デ・オビエド、サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会、フォンカラダの泉が追加で世界遺産に登録され、『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』となりましたよ。」
「そうなんだ。」
「フォンカラダの泉と言えば、スペイン北西部、アストゥリアス州の州都であるオビエド。8世紀初頭、イスラム教徒に追われたキリスト教徒達は、この地にオビエドを首都とするアストゥリアス王国を築きます。ポルリエル広場の北にフォンカラダの泉があります。9世紀のアルフォンソ3世時代に造られたプレ・ロマネスク様式で、なりは小さいですが世界遺産です。」
「サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会と言えば、 スペイン北西部、アストゥリアス州の都市オビエドにある教会である。市街北東部のサントゥリャーノ公園に位置する。9世紀前半、アストゥリアス王アルフォンソ2世の時代に建造。ロマネスク以前のプレロマネスク様式という独自の建築様式の中でも最大規模のものとして知られ、1998年に「オビエドとアストゥリアス王国の建築物」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。」
「カマラ・サンタ・デ・オビエドと言えば、オビエド大聖堂(カマラ‐サンタ‐デ‐オビエド)は、スペイン北西部、アストゥリアス州の都市オビエドの旧市街にある大聖堂である。正式名称はサンサルバドル大聖堂。9世紀にアストゥリアス王アルフォンソ2世により、トレドから運び出した聖遺物を納めるための建物カマラサンタを建造。14世紀以降、増改築がなされ、20世紀にスペイン内戦などで被害を受けた。カマラサンタは1998年に「オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建築物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。」
「オビエドの街では、イスラム軍が侵攻してくるのを防いでいた壁が、今もあちらこちらに残されていますよ。」
「はい。」
「小さな洞窟から始まったスペイン王国、現在のスペインの発祥の地が、世界遺産『オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群』ですよ。」
「はい。」
「建造物はどれも華やかな外観を持たず、ひっそり佇んでいますよ。」
「そうなんだ。」
「当時のスペイン・カトリック教徒たちの密かな国土奪還の闘志が伝わってくるようですね。」
「わかりました。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~ラス・メドゥラス~
「スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州のレオンには、古代ローマ帝国が行った大規模砂金採掘跡の赤土の山々『ラス・メドゥラス』が、今も残されていますよ。」
「はい。」
「古代ローマ帝国が行った大規模砂金採掘跡の赤土の山々『ラス・メドゥラス』と言えば、スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州のレオンには、古代ローマ帝国が行った大規模砂金採掘跡の赤土の山々『ラス・メドゥラス』が今も残されています。大きいものだと高さは100mを超え、約3kmに渡りこの奇妙な形をした岩山があちらこちらに残っているのです。この跡地を総称して『ラス・メドゥラス』の名で1997年に世界遺産・文化遺産に認定されました。」
「スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州のレオンと言えば、レオンは、スペイン北西部、カスティーリャ・イ・レオン州レオン県の県都である。市の人口は2006年時点で136,999人であるが、都市圏としては204,212人の人口となる。中世にはレオン王国の首都が置かれていたため、有名なゴシック様式のレオン大聖堂やその他多くの記念建造物がある。」
「スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州と言えば、カスティーリャ・イ・レオン州はスペイン北西部に位置する地域で、面積95.000 km2 、人口は2.523.020 人です。スペイン国内では最大、ヨーロッパ圏内でも2番目に大きな州でレオン県、サモーラ県、バリャドリッド県、サラマンカ県、パレンシア県、ブルゴス県、ソリア 県、セゴビア県、アビラ県の9 つの県から構成されています。地理的特性からヨーロッパ域内およびヨーロッパとその他の国々との交易において戦略的に大変重要な地域です。」
「大きいものだと、高さは100mを超え、約3kmに渡りこの奇妙な形をした岩山があちらこちらに残っていますよ。」
「そうなんですか。」
「この跡地を総称して、『ラス・メドゥラス』の名で1997年に世界遺産・文化遺産に認定されましたよ。」
「はい。」
「スペイン語で、「不毛の地」という意味を持ちますよ。」
「そうなんだ。」
「元々、ローマ人が訪れる前の紀元前4世紀頃から、ここメドゥリオ山では砂金が取れる事が周辺住民は知っていますよ。」
「はい。」
「メドゥリオ山と言えば、スペインにある世界遺産「ラス・メドゥラス」。壮大な美しい自然を感じさせる一大パノラマは見る人を圧倒する。しかしラス・メドゥラスは実はローマ帝国の金鉱山で、美しい自然としてではなく、「古代鉱業が作り出した優れた文化的景観を有する文化遺産」として登録されたのだ。元々はメドゥリオという山があったが、山全体が消滅するほどの量の水をわざわざ山頂に導き、一気に水路に流し込む古代ローマの採掘法「ルイナ・モンティウム(ラテン語で山崩しの意)」が行われた結果、このような景観が生まれたのだ。」
「河川に流れ出てくる砂金を採取し、加工していましたよ。」
「はい。」
「砂金は、首飾りや耳飾りなどの装飾品に加工され、今も見る事が出来ますよ。」
「そうなんですか。」
「その後の紀元前1世紀半ばに、ローマ人が入植しましたよ。」
「はい。」
「砂金は、大規模な砂金採取方法であるルイナ・モンティウム(ラテン語で「山崩し」の意味)と呼ばれる、当時のローマの水路建造技術を応用した特殊な発掘技術で行われましたよ。」
「はい。」
「大規模な砂金採取方法であるルイナ・モンティウム(ラテン語で「山崩し」の意味)と言えば、ルイナ・モンティウムとは、何十kmも離れた水源から水路を作り、メドゥリオ山頂には貯水池を作り、ここへ水を引いてきます。メドゥリオの山には貯水池の他に地下水路も作っておきます。貯水池で貯めた水を一気にこの地下水路へ放出することにより、大量の水と砂金を含んだ土砂が流れ出る事になります。あとは流れ出た水を網などで分類すれば簡単に砂金が採取出来るという仕組みになっているのです。」
「ルイナ・モンティウムとは、何十kmも離れた水源から水路を作り、メドゥリオ山頂には貯水池を作り、ここへ水を引いてきますよ。」
「そうなんだ。」
「メドゥリオの山には、貯水池の他に地下水路も作っていますよ。」
「はい。」
「貯水池で貯めた水を一気にこの地下水路へ放出することにより、大量の水と砂金を含んだ土砂が流れ出る事になりますよ。」
「はい。」
「流れ出た水を網などで分類すれば、簡単に砂金が採取出来る仕組みになっていますよ。」
「そうなんだ。」
「『ラス・メドゥラス』では、この採掘方法が約250年間行われ続け、合計およそ165万kgの砂金を産出したと推測されていますよ。」
「はい。」
「このような大胆な採取方法により、奇妙な山の残骸が残っていますよ。」
「はい。」
「採取された砂金は、当時の金貨・アウレウスの鋳造に利用されていましたよ。」
「はい。」
「当時の金貨・アウレウスと言えば、共和政ローマとローマ帝国の西半部における古代ローマの主な貨幣としては、アウレウス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、デュポンディウス(青銅貨)、アス(銅貨)がある。それらは紀元前3世紀の中ごろから紀元3世紀の中ごろまで使われた。」
「この硬貨は、歴代の流通した金貨の中で最も純度が高く、約99%が金で出来ていましたよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、貨幣が変わった事と、『ラス・メドゥラス』が枯渇してきた為、砂金の採取は4世紀頃終わりを迎えましたよ。」
「はい。」
「この『ラス・メドゥラス』は、周辺に特に何もなく繁栄などしませんでしたよ。」
「はい。」
「そのため、今も当時の採掘跡がそのまま残っている事の貴重さと、当時のローマ人の知識の高さなどが評価され、世界遺産となりましたよ。」
「そうなんだ。」
「観光の際は、是非≪オレジャン見晴台≫へ訪れてください。」
「わかりました。」
「オレジャン見晴台と言えば、スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州のレオンには、古代ローマ帝国が行った大規模砂金採掘跡の赤土の山々『ラス・メドゥラス』が今も残されています。観光の際は、是非≪オレジャン見晴台≫へ訪れてみてください。行くまでは少々坂などきつく大変ですが、『ラス・メドゥラス』を高い所から一望することが出来ます。」
「行くまでは、少々坂などきつく大変ですよ。」
「はい。」
「しかし、『ラス・メドゥラス』を高い所から一望することが出来ますよ。」
「そうなんだ。」
「観光案内所には、ここの歴史などの博物館もありますよ。」
「はい。」
「採掘方法をわかりやすく、模型などを用いて説明されていますよ。」
「はい。」
「ビジターセンターが村の奥にあり、一日4回ガイドツアーで『ラス・メドゥラス』を回る事が出来ますよ。」
「はい。」
「『ラス・メドゥラス』のマスコットキャラクター≪メドゥリン≫の人形も、ここビジターセンターで購入できるそうですよ。」
「わかりました。」
「『ラス・メドゥラス』のマスコットキャラクターメドゥリンと言えば、スペインの北西部、カスティーリャ・イ・レオン州のレオンには、古代ローマ帝国が行った大規模砂金採掘跡の赤土の山々『ラス・メドゥラス』が今も残されています。ビジターセンターが村の奥にあり、一日4回ガイドツアーで『ラス・メドゥラス』を回る事が出来ます。『ラス・メドゥラス』のマスコットキャラクターメドゥリンの人形も、ここビジターセンターで購入できるそうです。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~古都トレド~
「スペインの中央部、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都であるトレドは、1986年に『古都トレド』として、世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「スペインの中央部、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都であるトレドと言えば、トレドはスペイン中央部の都市である。カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都で、トレド県(人口約60万人)の県都である。マドリードから南に71kmの距離で、タホ川に面する。かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。」
「スペインの中央部、カスティーリャ=ラ・マンチャ州と言えば、カスティーリャ=ラ・マンチャ州は、スペイン中央部に位置する自治州です。面積は79,463平方キロメートル(スペインで3番目に大きい州)、人口は2,043,100人、州都はトレドです。」
「首都・マドリードより、電車やバスで1時間半ほどで行くことが出来ますよ。」
「割と近いですね。」
「マドリードと言えば、マドリードは、スペインの行政の中心地(首都)である。また、マドリード州の州都でもあり、マドリード県(マドリード州の唯一の県)の県都でもある。イベリア半島における経済の中心地の1つともなっている。人口は約325万人。2011年の近郊を含む都市圏人口は541万人であり、世界第57位、欧州では第5位である。」
「『古都トレド』は、約2千年ものスペインの歴史を凝縮した街並みですよ。」
「はい。」
「キリスト教とユダヤ教、イスラム教の文化を混合させたスペインの中でも歴史情緒溢れる街ですよ。」
「はい。」
「この長い文明の痕跡を現代に残している事から、世界遺産・文化遺産に認められましたよ。」
「そうなんだ。」
「この『古都トレド』は、三方をタホ川という川で囲まれていますよ。」
「はい。」
「タホ川と言えば、タホ川、テージョ川は、イベリア半島で最も長い全長1,008kmの川である。そのうち上流側の約700kmがスペインにあり、河口側の約300kmがポルトガル領である。間の47kmは両国の国境となっている。」
「その為、天然の要塞都市として、長くここに首都や宮殿が置かれていましたよ。」
「そうなんだ。」
「その歴史は、紀元前のローマ帝国の属州の首都として、キリスト教が布教されましたよ。」
「はい。」
「その後、西ゴート王国の首都となりユダヤ教が布教されましたよ。」
「そうなんだ。」
「西ゴート王国と言えば、西ゴート王国(415年 - 711年)は、現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国である。はじめはキリスト教アリウス派、のちにカトリックを国教とし、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ栄えた。」
「8世紀から11世紀にかけては、ウマイヤ朝の支配下となりイスラム教が布教されましたよ。」
「はい。」
「ウマイヤ朝と言えば、ウマイヤ朝の特徴は、それまでのカリフは選挙によって選ばれてきましたが、ウマイヤ朝が創始されてからカリフは世襲制へと変わっていきます。また、重要なのがイスラムの分裂を招くことにもなりました。ウマイヤ朝成立後はジハード(聖戦)が猛烈に展開されていくこととなります。その為、このウマイヤ朝の時代は単独のイスラム王朝としては最大の領土を誇ることになります。」
「これらの異なる文化が長い歴史の中で融合した街並みが『古都トレド』ですよ。」
「はい。」
「生きた博物館と言われる所以でもありますね。」
「そうなんだ。」
「11世紀には、キリスト教国のスティリャ王国が領土を取り返しましたよ。」
「はい。」
「キリスト教国のスティリャ王国と言えば、『古都トレド』は、三方をタホ川という川で囲まれています。その為、天然の要塞都市として長くここに首都や宮殿が置かれていました。その歴史は、紀元前のローマ帝国の属州の首都としてキリスト教が布教。その後、西ゴート王国の首都となりユダヤ教、8世紀から11世紀にかけてはウマイヤ朝の支配下となりイスラム教が布教されていきました。11世紀には、キリスト教国のスティリャ王国が領土を取り返し、15世紀にフェリペ2世が宮廷をマドリードへ移すまで栄えていました。」
「15世紀にフェリペ2世が宮廷をマドリードへ移すまで栄えていましたよ。」
「はい。」
「フェリペ2世と言えば、フェリペ2世(1527年5月21日 -1598年9月13日)は、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)である。イングランド女王メアリー1世と結婚期間中共同統治者としてイングランド王フィリップ1世の称号を有していた。また1580年からはフィリペ1世としてポルトガル国王も兼ねた。スペイン帝国・スペイン黄金世紀の最盛期に君臨した偉大なる王である。彼の治世はスペイン帝国の絶頂期に当たり、ヨーロッパ、中南米、アジア(フィリピン)に及ぶ大帝国を支配し、地中海の覇権を巡って争ったオスマン帝国を退けて勢力圏を拡大した。」
「これら歴史の中で作られた建造物は珍しく、観光スポットにもなっていますよ。」
「そうなんだ。」
「その中でも、有名なのがトレド大聖堂ですよ。」
「はい。」
「スペイン・カトリックの大本山トレド大聖堂と言えば、トレド大聖堂を中心とする市街 トレドは、スペインカトリックの大本山である。それにふさわしい堂々としたシルエットを持つカテドラルを中心に、数多くの教会、軍事要塞、 病院、博物館などが集約している。」
「1227年に着工し、完成したのは1493年という長い年月を経て造られましたよ。」
「はい。」
「その為か、ゴシック様式のカテドラルの中に、一部ムデハル様式(イスラム様式とも言う)の部屋が存在するなど珍しい造りとなっていますよ。」
「そうなんですか。」
「ムデハル様式(イスラム様式とも言う)と言えば、スペイン独特のイスラム様式であるムデハル様式とは、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルである。」
「トレド大聖堂は、現在でもスペイン・カトリックの大本山ですよ。」
「はい。」
「キリスト教の中心地でもありますよ。」
「はい。」
「そこに、ムデハル様式が混合しているのは、とても不思議な感じがしますよ。」
「そうなんだ。」
「トレド大聖堂の他に、イサベル様式(ゴシック様式とムデハル様式が混合した様式)の代表的なものとして、サン・ファン・デ・ロス・レージェス修道院がありますよ。」
「はい。」
「サン・ファン・デ・ロス・レージェス修道院と言えば、カトリック女王イザベルの一族の霊廟として建立され、女王イザベルが帰依する聖フアン・エバンジェリスタに捧げられタ教会である。そのため全体的に棺の形が取られ、最上部分はろうそくをイメージした尖塔に囲まれています。」
「イサベル様式(ゴシック様式とムデハル様式が混合した様式)と言えば、イサベル様式(ゴシック様式とムデハル様式が混合した様式)の代表的なものとしてサン・ファン・デ・ロス・レージェス修道院があります。」
「『古都トレド』が生み出したものは、建造物だけではありませんよ。」
「そうなんですか。」
「スペインの絵画三大巨匠のひとりであるギリシャ人の「エル・グレコ」が、16世紀半ばにトレドへ移住し、多くの作品を残していますよ。」
「はい。」
「スペインの絵画三大巨匠と言えば、エル・グレコ(1541年~1614年)は、16世紀から17世紀にかけてのスペイン美術の黄金時代に活躍し、ベラスケス(1599年~1660年)、ゴヤ(1735年~1828年)とともにスペイン三大画家の一人に数えられている。」
「スペインの絵画三大巨匠のひとりであるギリシャ人の「エル・グレコ」と言えば、エル・グレコ(1541年 -1614年4月7日)は、現在のギリシア領クレタ島、イラクリオン出身の画家である。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称である。マニエリスム後期の巨匠として知られる。マドリードにあるプラド美術館には、彼の作品が多数展示されている。」
「その為、トレドは芸術の中心地にもなっていきましたよ。」
「そうなんだ。」
「彼の初期の作品『聖衣剥奪』は、今ではトレド大聖堂に所蔵されていますよ。」
「はい。」
「エル・グレコの初期の作品『聖衣剥奪』と言えば、『聖衣剥奪』は、エル・グレコによる絵画作品である。トレド大聖堂の祭壇画で、1579年に完成した。本作の主題はマルコによる福音書の16行から19行に渡って記されている。「聖衣剥奪」の主題は当時極めて珍しいものであった。」
「当時は、あまりにも大胆・革新的として教会からは非難を受けていたと言いますよ。」
「はい。」
「しかし、街の人々には大絶賛を受け、受け入れられていきましたよ。」
「そうなんだ。」
「エル・グレコの代表作『オルガス伯の埋葬』は、必ず見て欲しい傑作ですね。」
「わかりました。」
「エル・グレコの代表作『オルガス伯の埋葬』と言えば、『オルガス伯の埋葬』は、スペインルネサンス期のギリシア人画家エル・グレコが1586年から1588年にかけて描いた絵画である。トレドのサント・トメ教会の所蔵で、グレコの最高傑作と言われている。非常に大きな作品で、画面上は天界と現世に明確に上下分割されている。」
「これは、サント・トメ教会で見る事が出来ますよ。」
「はい。」
「サント・トメ教会と言えば、サント・トメ教会は、モスクを14世紀に改装したもので、トレドの教会の中で最も訪問者の多い教区教会である。エル・グレコの代表作『オルガス伯の埋葬』を所蔵している。」
「エル・グレコ美術館もあり、ここではグレコのアトリエが再現されていますよ。」
「はい。」
「エル・グレコ美術館と言えば、1911年に開館されたエル・グレコ美術館は、トレド市のユダヤ地区にあります。敷地内には2つの建物があります。中庭のある16世紀の家と19世紀初頭に拡張された建物が庭に面しています。エル・グレコ美術館は、エル・グレコのアトリエが再現されている。『トレドの景観と地図』などの作品が展示されている。」
「世界遺産『古都トレド』では、複数の宗教観を融合した独特な雰囲気を感じる事が出来る街並みを楽しむことが出来ますよ。」
「わかりました。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~テイデ国立公園~
「スペイン領内で、七つの島と七つの無人島で構成されているカナリア諸島内にあるテネリフェ島に、今は火山活動を休止しているテイデ山という山がありますよ。」
「はい。」
「テイデ山と言えば、テイデもしくはピコ・デル・テイデは、カナリア諸島のテネリフェ島にある、スペイン領内最高峰に当たる火山である。テイデ山とその周辺は、「テイデ国立公園」という面積18900ヘクタールあまりを持つ国立公園になっており、2007年にはユネスコの世界遺産に登録された。」
「テネリフェ島と言えば、テネリフェ島は、大西洋にあるスペイン領カナリア諸島に属する島である。面積は2,034平方キロメートル、人口は899,833人(2008年)で、共にカナリア諸島内で最大である。諸島最大の都市であり、カナリア諸島自治州の州都サンタ・クルス・デ・テネリフェが島の北東部にある。この島は元々火山島であり、スペインの最高峰、テイデ山 (3,718 m) がある。」
「カナリア諸島(カナリアス諸島)と言えば、カナリア諸島は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある、7つの島からなるスペイン領の群島である。カナリアス諸島ともいう。」
「その面積18900ヘクタール、コロナ自然公園を中心とした54128ヘクタールが、世界遺産にも登録されているテイデ国立公園ですよ。」
「そうなんだ。」
「テイデ国立公園と言えば、テイデ国立公園は、2007年に登録されたスペインの世界遺産(自然遺産)である。カナリア諸島のテネリフェ島にある、スペイン領内最高峰の火山(活火山)のテイデ山(ピコ・デ・テイデ)を中心とした国立公園である。カナリア諸島は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある7つの島と7つの無人島からなる群島で、現在はスペインの自治州となっている。テネリフェ島はその最大の島で、島の北東部に州都サンタ・クルス・デ・テネリフェがある。テイデ山の標高は3718mで、海底からの高さは約7500mに達し、大西洋の島にある山としても最高峰である。また火山としては世界で3番目に高い山である。」
「スペイン領内最高峰の山で、海抜の標高3718メートル、海底からでは7500メートルにもなりますよ。」
「はい。」
「大西洋の島にある山としても最高峰ですよ。」
「はい。」
「島自体が、地球で第三位の規模を持つ火山島で有名ですよ。」
「そうなんですか。」
「火山活動を休止しているとは言え、今までは何度も噴火を繰り返していますよ。」
「はい。」
「歴史上被害の大きかった噴火は、1704年、1705年、1706年と続けて起こっていますよ。」
「そうなんだ。」
「一番近いものは、1909年の噴火ですよ。」
「はい。」
「西斜面の一部を崩した噴火と記録が残っていますよ。」
「はい。」
「一方、テイデ国立公園周辺は、固有種の植物が多いことでも知られていますよ。」
「そうなんだ。」
「黄色い花を咲かせるエニシダの一種でテイデエニシダ、双子葉植物のムラサキ科の一種で、成長すると3メートルにもなるエキウム・ウィルドプレッティなどの多種多様な植物が密生していますよ。」
「はい。」
「双子葉植物と言えば、双子葉植物、双子葉植物綱とは、2枚の初期葉もしくは子葉をもつ植物のことである。双子葉植物は、名の通り子葉が2枚である種子植物の群(若干の例外はある)であり、子葉が1枚の単子葉植物と区別される。」
「双子葉植物のムラサキ科の一種で成長すると3メートルにもなるエキウム・ウィルドプレッティと言えば、エキウム・ウィルドプレッティは、ムラサキ科シャゼンムラサキ属の一年草である。草丈は2mくらい。原産地はカナリア諸島。単茎で直立する。葉は線状披針形。5~6月に淡紅色の花穂が円錐花序に密に付く。苞は細くて長く花冠から突き出す。別名ホウセキノトウ(宝石の塔)。」
「黄色い花を咲かせるエニシダと言えば、エニシダの名は、スペイン語の『イニエスタ』から来ており、南欧原産のマメ科の落葉低木である。茎や葉は 強心作用のある有毒のアルカロイドを含み解熱剤に用いられると辞書にあります。」
「黄色い花を咲かせるエニシダの一種のテイデエニシダと言えば、テイデ国立公園周辺は固有種の植物が多いことでも知られていて、黄色い花を咲かせるエニシダの一種でテイデエニシダ、双子葉植物のムラサキ科の一種で、成長すると3メートルにもなるエキウム・ウィルドプレッティなどの多種多様な植物が密生しています。」
「一部では硫黄ガスが今も噴出している場所がありますよ。」
「そうなんですか。」
「テイデ山中腹の1000~2000メートルは、カナリーマツの森林も広がっていますよ。」
「はい。」
「カナリーマツと言えば、テイデ山国立公園のテイデ山中腹の1000~2000メートルはカナリーマツの森林も広がっていて、今現在は自然豊かな国立公園になっています。」
「現在は、自然豊かな国立公園になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「テイデ山周辺はカルデラになっていて、ごつごつした岩がごろごろしていますよ。」
「はい。」
「カルデラと言えば、カルデラとは、火山の活動によってできた大きな凹地のことである。「釜」「鍋」という意味のスペイン語に由来し、カルデラが初めて研究されたカナリア諸島での現地名による。」
「地層からむき出しになった所では、何層にも分かれた火山灰もありますよ。」
「はい。」
「そのほとんどが、自然に作られた石の芸術作品のように、至る所で見る事が出来ますよ。」
「そうなんだ。」
「テイデ国立公園は、テイデ山の標高2356メートルまでは、バスが毎日運行されていますよ。」
「はい。」
「そこから3555メートルまでは、ロープウェイで行くことが出来ますよ。」
「はい。」
「立ち入り許可書を取得すれば、頂上まで残り200メートルを、それなりの準備をすれば気軽に登る事が出来ますよ。」
「そうなんだ。」
「緑の自然と、溶岩で出来た芸術作品を同時に見る事ができますよ。」
「はい。」
「偉大な自然の力を実感することもできるテイデ国立公園は、都会の喧騒を離れゆっくりとした時間を過ごすには、最適な場所と言えますね。」
「わかりました。」
スペインの世界遺産とスペイン領の島々~イビサ島の生物多様性と歴史地区~
「ここは、有名なクラブが多く設置されていますよ。」
「そうなんですか。」
「そのため、若い旅行客の姿が多く見られるリゾート地であると言えますね。」
「はい。」
「夏場の楽しそうな雰囲気は、この島独特の雰囲気を醸し出していますよ。」
「はい。」
「特に夏の期間が、この島の盛り上がる一番の時期になっていますよ。」
「そうなんですか。」
「その盛り上がり様は、とても活気を帯びていますよ。」
「はい。」
「その期間に拍車をかけてくれるのが、Djの訪問ですね。」
「はい。」
「夏場限定でこの地へ足を運び、町の活気につなげてくれますよ。」
「そうなんだ。」
「そのため、それだけの費用を出しても採算がとれるほど、夏場のこの地はとても観光客でにぎわう期間になりますよ。」
「はい。」
「海もとてもきれいで、海水浴に訪れる人々の姿が多く見られますよ。」
「そうなんだ。」
「この島は、地中海に属するバレアレス諸島に入っていて、スペイン領土の一つになっていますよ。」
「はい。」
「バレアレス諸島と言えば、バレアレス諸島は、西地中海に浮かぶ群島で、スペインを構成する自治州の一つとなっている。バレアレス諸島自治州は同名の一県のみで構成されている。州都・県都は、パルマ・デ・マリョルカ。バレアレス諸島は2つの群島と多くの小島・岩礁によって構成されている。」
「死の海という愛称も持ち合わせているため、何とも興味深い地域になっていますよ。」
「はい。」
「正式な名前は、アイヴィーサという名前であり、英語の発音に合わせる形でイビサと言う呼び名で親しまれることもありますよ。」
「そうなんだ。」
「イビサ(アイヴィーサ)と言えば、イビサ島は、地中海のバレアレス諸島に属する、スペイン領の島であり、正式名称は、カタルーニャ語表記のEivissa(アイヴィーサ)である。島の中心都市も、アイヴィーサという。日本では、英語発音に由来する「イビザ島」表記も見られる。」
「地中海の西側に位置しているため、偏西風の影響を大きく受ける地域であると言えますね。」
「はい。」
「時にして吹くその風がとても気持ちよく、温暖な気候の中では嬉しい自然現象ですよ。」
「はい。」
「バーの存在がとても有名で、チルアウトという音楽がとても有名になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「チルアウトという音楽と言えば、チルアウトは、電子音楽の作曲者により生み出された、比較的陽気でスローテンポな音楽を表す包括的な言葉である。発祥は1990年代前中期で、くつろぐことを促す俗語から来ている。チルアウトはジャンル名であると同時に、ダンスフロアにいる客たちにダンスで火照った体を休め、落ち着かせる機会を与えるためダンスフロアの端にしつらえた冷たい(Chill)部屋で流される音楽からも来ている。この部屋には寝椅子、気持ちのよい枕があり、また陶酔に誘うサイケな照明、そして音楽による演出がなされており、その音楽は(特に数歩先にあるダンスフロアの音楽と比べると)明らかにダウンテンポなものである。1990年のKLFのアンビエントアルバム“Chill Out”で一般的になったとされる。」
「この地で流行したのをきっかけに、欧州で人気を集めた経緯もありますよ。」
「そうなんですか。」
「遺産については、その立ち並ぶ歴史ある建築物にありますよ。」
「はい。」
「旧市街が広がっており、その光景は時代を感じさせてくれますね。」
「はい。」
「立ち並ぶその旧市街は思わずみとれてしまうほど、時代をトリップしたかのような錯覚を感じさせてくれますよ。」
「そうなんだ。」
「白塗りの家々が多く存在するのは、その光景をより一層明るいものにしてくれますよ。」
「はい。」
「見栄えとしては、かなりの質を持ち合わせていると言えますよ。」
「はい。」
「シンプルな造りのものが多く、その光景は昔にぎわっていた過去を思い出させますね。」
「そうなんだ。」
「そのため、複雑な造りで質を重視するものといったよりは、シンプルで落ち着いた街並みである印象を受けますね。」
「はい。」
「歴史的建造物として、しっかり保管されていますよ。」
「はい。」
「いつでも見ることができるのが、大きなメリットになっていますよ。」
「そうなんだ。」
「ピンとくるものがあれば、まずは予約の手配から始めてはいかがでしょうか。」
「わかりました。」
スペインの世界遺産と巡礼地~サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街・巡礼路・ルーゴのローマの城壁群・ヘラクレスの塔・アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器洞窟美術・ブルゴス大聖堂・サラマンカの旧市街・アタプエルカの考古遺跡群~
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