西アジアから中東の世界遺産
「皆さんは、アジアの世界遺産をどれくらいご存じですか?」
「少ししか知りません。」
「最も多く挙がるのは、中国の城壁「万里の長城」かも知れませんね。」
「そうですね。」
「それ以外の世界遺産は、自国のもの以外なかなか挙げられませんね。」
「はい。」
「たとえば、イラク・シリア・パキスタン・イスラエルなどの国には素晴らしい世界遺産が保存されていますよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、これらの国に世界遺産があることを知らない方のが多いのではないでしょうか。」
「そうかも知れません。」
「世界中には、900以上もの世界遺産がありますよ。」
「そんなにたくさんあるんですか?」
「その内の約半分程度は、アジアに点在していますよ。」
「そうなんですか。」
「アジアにどれだけ世界遺産があるかを、まったく把握してない人ばかりですね。」
「そうですね。」
「しかし、面白い世界遺産がたくさんあるのに、知らずにいるというのは非常にもったいないですね。」
「はい。」
「特に、西アジアには、印象的な世界遺産が数多く保存されていますよ。」
「そうなんだ。」
「「イラクってどんな世界遺産があるの?」、「パキスタンのような国にも世界遺産があるの?」と少しでも気になった方は、是非イラク・シリア・パキスタンの周辺諸国の世界遺産をチェックしましょう。」
「わかりました。」
「イラクには、1985年にユネスコの世界遺産に指定された都市である「円形都市ハトラ」、バベルの塔のモデルとなった塔がある「サーマッラーの考古学都市」、「アッシュール」などの世界遺産がありますよ。」
「はい。」
「アッシュール(カラット・シェルカット)と言えば、アッシリアの最初の首都となったチグリス川西岸の都市、及びそれを中心とする地域、あるいはその主神である。現在のイラクのカラト・シャルカト(英語版)(サラーフッディーン県)に位置する。」
「サーマッラーと言えば、サラーフッディーン県に属するイラクの都市である。チグリス川に面しており、メソポタミア文明以来の歴史を持つ。2007年に「サーマッラーの考古学都市」としてユネスコの世界遺産に登録された。」
「バベルの塔と言えば、旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔である。神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱する。実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という。」
「円形都市ハトラと言えば、イラク共和国北部のモースル州の南西約100km、サルサル・ワジ川のほとりの砂漠地帯に残る歴史的な都市遺跡である。1985年に世界遺産に登録された。別名を「神の家」という。パルティア帝国の重要な要塞都市で、ローマ帝国の度重なる攻撃に曝された。」
「「円形都市ハトラ」は、かつて難攻不落と言われた城塞がどこまでも展開されている世界遺産ですよ。」
「はい。」
「「アッシュール(カラット・シェルカット)」は、古代国家が繁栄した都のその周辺一帯が、世界遺産に登録されていますよ。」
「そうなんですか。」
「国民のあこがれの観光スポットとなっていますよ。」
「はい。」
「アッシュール(カラット・シェルカット)は、現在のイスラム圏の建築物の礎を築いたとも言える都市ですよ。」
「そうなんだ。」
「深い歴史を感じさせる建造物が、所狭しと保存されていますよ。」
「はい。」
「建築に造詣のある方におススメですよ。」
「はい。」
「シリアは、「古代都市パルミラ」、「隊商都市ボスラ」、「ダマスカスの旧市街」、「アレッポの旧市街」などの6ヶ所の世界遺産を保有していますよ。」
「そうなんだ。」
「アレッポと言えば、シリア(シリア・アラブ共和国)北部にある都市である。トルコとの国境に近い。人口は1999年現在約170万人で増え続けており、ダマスカスに次ぐシリア第2の都市である。」
「ダマスカスと言えば、シリア(シリア・アラブ共和国)の首都である。ダマスクスとも表記される。「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られる。カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がる。」
「隊商都市ボスラと言えば、シリアの南部の町ボスラに残る歴史的構造物が登録されたユネスコの世界遺産(文化遺産)である。代表的な構造物は、城塞(シタデル)およびローマ劇場。現在でも演奏会等で使われている。音響的にも優れているとの評価を受けている。ほかにはローマ浴場、ビザンティン建築の大聖堂跡など。」
「古代都市パルミラと言えば、シリア中央部のホムス県タドモルにあるローマ帝国支配時の都市遺跡である。シリアを代表する遺跡の1つである。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。」
「これらの世界遺産の中で、古代都市パルミラは、シリアにとってきわめて重要なスポットとなっていますよ。」
「はい。」
「この国の歴史の中心部が知りたい方は、是非古代都市パルミラを訪れましょう。」
「わかりました。」
「忘れてはいけないのが、パキスタンの世界遺産ですよ。」
「はい。」
「パキスタンには、シリアと並んで6カ所の世界遺産を保有していますよ。」
「はい。」
「その世界遺産の内容は、パキスタンの言葉で“死の丘”を意味している名称の「モヘンジョ・ダロの考古遺跡」、二世紀に建造された仏教遺跡である「タフテ・バヒーの仏教遺跡とサリ・バロールの都市遺跡」などの文化遺産ですよ。」
「いろいろありますね。」
「サリ・バロールと言えば、サリ・バロールの都市遺跡はタフティ・バヒー寺院の近くにあり、栄えた時代も重なっている。堅牢な城壁を持つ要塞都市だったと考えられており、石造2階建ての家屋群の土台部分が残っている。」
「タフテ・バヒーと言えば、紀元前1世紀に遡ることができる仏教遺跡である。パキスタン・カイバル・パクトゥンクワ州の都市であるマルダーンから約15km、ペシャーワルからは北西80km離れた場所にある。タフテ・バヒーと近くにあるサリ・バロールの都市遺跡と合わせて、1980年に、ユネスコの世界遺産に登録された。」
「モヘンジョ・ダロと言えば、インダス文明最大級の都市遺跡である。紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測される。しかしその後短期間に衰退し、原因はさまざまな説がある。近年の研究では大規模な洪水によると考えられている。」
「さらに、神話の世界に登場する城とラホールにある歴史的建造物を包括した「ラホール城とシャーラマール庭園」ですよ。」
「はい。」
「シャーラマール庭園と言えば、1641年にムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンによって建設が開始され翌年完成した、ラホール市内にある歴史的建造物である。」
「ラホール城と言えば、パキスタン・パンジャーブ州ラホールにある歴史的建造物である。市街の北西に位置し、城内にはシーシュ・マハル、アーラムギーリー門、ノウラーカー・パビリオン、モーティー・マスジドといった有名な遺跡が存在する。」
「ラホールと言えば、パキスタン北部のパンジャーブ地方、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市である。面積1,772 平方km、2010年の都市的地域の人口では711万人である。」
「シャー・ジャハーンによって建設された10所のモスクを内包する「タッターの考古遺跡」、「ロータス・フォート」、交易地の狭間で重要な役割を果たしていたとされる「タキシラの都市遺跡」など、実にバラエティに富んだ種類の文化遺産を保有していますよ。」
「はい。」
「タキシラと言えば、パキスタン・パンジャーブ州にあるガンダーラ時代に始まる遺構である。その歴史は紀元前6世紀まで遡ることが可能であり、六派哲学の一つであるヴェーダーンタ学派、また、インドの仏教の中心の役割を果たしてきた。1980年にユネスコの世界遺産に登録された。」
「ロータス・フォートと言えば、ロータス・フォートまたはロータス城塞は、シェール・シャーによって建設された要塞である。周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初期の事例である。」
「タッターと言えば、パキスタン・シンド州にある人口22,000人の歴史的な都市である。「タッターの文化財」として、1981年に、世界遺産に登録された。」
「シャー・ジャハーンと言えば、ムガル帝国の第5代皇帝(在位:1628年 - 1658年)である。第4代皇帝ジャハーンギールの第3皇子で1628年帝位につき、1658年、第3皇子アウラングゼーブに簒奪されるまで統治にあたった。タージ・マハルの建造者である。」
「イラク・シリア・パキスタン・イスラエルなどの国々は一見すると、世界遺産などの貴重な文化をあまり保有してないように見えますね。」
「そうですね。」
「暫定の世界遺産(これから世界遺産として認定されるかもしれない遺産)を含めると、日本などおよびもつかないほどの保有数になりますよ。」
「本当ですか?」
「「何となく怖いイメージがあるから控えていた」という人も、深く知れば知るほど行きたくなってしまうスポットと思われますよ。」
「そうなんですか。」
「西アジアの文化に触れたい方は、是非イラク・シリア・パキスタン・イスラエルの世界遺産を観光してください。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~イラクのハトラ~
「やはり、最も面白い世界遺産は「ハトラ」かも知れませんね。」
「そうなんですか。」
「「ハトラ」は、1985年にユネスコの世界遺産に指定されたイラクの世界遺産ですよ。」
「はい。」
「ただの遺跡ではなく、「都市遺跡」という種類の世界遺産ですよ。」
「はい。」
「ハトラは、かつて砂漠地帯において繁栄をきわめた交易都市ですよ。」
「そうなんですか。」
「あらゆる交易の中心となっていたスポットでしたよ。」
「はい。」
「交易の中心地であっただけではなく、要塞都市としての顔も持つこの世界遺産は、イラクを代表する世界遺産として知られていますよ。」
「はい。」
「日本の人々からは、まったく知られていないスポットですよ。」
「そうですね。」
「イラクの国民からは、「神の家」として敬われているスポットですよ。」
「そうなんですか。」
「二重の城壁に囲まれたこの世界遺産は、かつてアラブ人が住んでいたとされていますよ。」
「はい。」
「アラブ人と言えば、主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々である。「アラビア人」の呼称が過去には一般的であったが、アラビア人を意味する英語のarabにさらに「人」をつけ足した「アラブ人」という言い方が、オイルショックの頃から使われだし、やがて定着したもの。」
「かつての政治経済の形跡が、色濃く残る軍事遺産でもありますよ。」
「はい。」
「元々この場所は、パルティア帝国のあった場所ですよ。」
「そうなんですか。」
「パルティア帝国と言えば、パルティア(紀元前247年頃 - 228年)とは、カスピ海南東部、イラン高原東北部に興った王国である。パルニ氏族を中心とした遊牧民の長、アルシャクが建国した。」
「パルティア人が住んでいた訳ではなく「アラブ人」が生活している場所でしたよ。」
「そうなんだ。」
「パルティア人と言えば、モンゴル帝国もその広大な版図を維持するのに駅伝制を整備しており、騎馬の出現とともに、帝国的広域行政支配が可能になった。前2世紀パルティア人による蹄鉄の発明、西紀初めの匈奴(きようど)による鉄あぶみの発明によって、騎馬技術はほぼ完成したといってよい。」
「その当時、あらゆる生産技術を身につけていたパルティア人が創り上げた「パルティア帝国」の威力は、ローマ帝国をも凌ぐ勢いを見せていましたよ。」
「本当ですか?」
「パルティア帝国と言えば、パルティア(紀元前247年頃 - 228年)とは、カスピ海南東部、イラン高原東北部に興った王国である。パルニ氏族を中心とした遊牧民の長、アルシャクが建国した。」
「そんなパルティア人に隷属していたのがアラブ人ですよ。」
「そうなんだ。」
「アラブ人たちは、「許可を得て」ハトラを創っていたという時代背景でしたよ。」
「はい。」
「この世界遺産を観光するにも、このような歴史背景を知らないのでは、まったく意味が分かりませんよ。」
「そうですね。」
「楽しめる点のきわめて少ない旅行になってしまいますよ。」
「はい。」
「もし世界遺産を見に行きたいのであれば、ある程度はイラクの歴史をチェックしておかれることをおススメします。」
「わかりました。」
「ただし、この国はかなり危険な国ですよ。」
「そうですね。」
「この国に観光へ行く日本人はよっぽど知りたいことがあるか、仕事でやむをえず行かなければならなかったかという人だけですよ。」
「そうでしょうね。」
「イラクの人々も、東洋人を見つけるとかなりビックリしますよ。」
「そうなんだ。」
「世界遺産周辺で宿泊するにしても鍵がなかったりしますよ。」
「それは危険ですね。」
「家具を使って戸締まりをしなければなりませんよ。」
「はい。」
「そんな場所であっても、世界遺産を見に行きたいという方には、かなりおススメですよ。」
「そうなんだ。」
「興味本位で見に行くと、思わぬトラブルに巻き込まれる可能性があるので、くれぐれも注意しましょう。」
「わかりました。」
「もちろん、水道水などは日本人が飲むと、100パーセント体調を崩しますよ。」
「そうなんだ。」
「免疫に自信のない方は、病気になるおそれもありますので要注意ですよ。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~イラクのサーマッラーの考古学都市~
「「サーマッラーの考古学都市」は、イラク中央部、サラーフッディーン県にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「サーマッラーと言えば、サラーフッディーン県に属するイラクの都市である。チグリス川に面しており、メソポタミア文明以来の歴史を持つ。2007年に「サーマッラーの考古学都市」としてユネスコの世界遺産に登録された。」
「イラクの首都バグダッドのすぐ北部にありますよ。」
「はい。」
「イラクの首都バグダッドと言えば、バグダードは、イラクの首都で同国最大の都市である。また、バグダード県の県都でもある。アッバース朝によって建設された古都であり、中東諸国ではカイロ、テヘラン、イスタンブルに次ぐ大都市である。2005年の人口はおよそ590.4万人。日本語では多くの場合バグダッドと表記されることも少なくないが、アラビア語の綴りと発音に近づけるとバグダードという表記になる。」
「2007年に、ユネスコの世界遺産に指定されましたよ。」
「そうなんだ。」
「「サーマッラーの考古学都市」は、アッバース朝時代の都の遺構ですよ。」
「はい。」
「アッバース朝と言えば、中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝(750年 - 1258年)である。イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバースの子孫をカリフとし、最盛期にはその支配は西はイベリア半島から東は中央アジアまで及んだ。」
「アッバース朝は、750年~1258年まで存続したイスラム帝国第2の世襲王朝ですよ。」
「はい。」
「イスラム帝国と言えば、イスラム教(イスラーム)の教えに従って生まれたイスラム共同体(ウンマ)の主流派政権が形成した帝国のことである。」
「バグダッドからサーマッラーに約50年間遷都した時期がありますよ。」
「そうなんですか。」
「イラクの首都バグダッドと言えば、バグダードは、イラクの首都で同国最大の都市である。また、バグダード県の県都でもある。アッバース朝によって建設された古都であり、中東諸国ではカイロ、テヘラン、イスタンブルに次ぐ大都市である。2005年の人口はおよそ590.4万人。日本語では多くの場合バグダッドと表記されることも少なくないが、アラビア語の綴りと発音に近づけるとバグダードという表記になる。」
「首都であった期間は短いですよ。」
「はい。」
「しかし、中東を支配した強大なイスラム帝国の都だっただけあって、イスラム文化の金字塔とも言える素晴らしい建造物が残っていますよ。」
「そうなんですか。」
「「サーマッラーの考古学都市」で最も有名であり、シンボルとも言える建築物が、“マルウィヤ・ミナレット”ですよ。」
「そうなんだ。」
「マルウィヤ・ミナレットと言えば、アッバース朝第8代カリフのムウタスィムがサーマッラーに建築したサーマッラーの大モスクに付随している螺旋式のミナレットのことである。イラクで最も重要な遺跡の1つとされ、イラクの至宝と評されている。このミナレットは849年から建築が始まり、852年に完成した。サッマラーのミナレット、スパイラル・ミナレットとも呼ばれる。螺旋式のミナレットは世界に3つしか存在しない。」
「ミナレットとは、モスクに付随して建てられる礼拝の時間を知らせるための塔ですよ。」
「はい。」
「“マルウィヤ・ミナレット”は、世界最大とも言われるモスクの横に建てられましたよ。」
「はい。」
「アッバース朝第8代カリフ・ムウタスィムの治世下、852年に建造されましたよ。」
「はい。」
「アッバース朝第8代カリフ・ムウタスィムと言えば、アッバース朝の第8代カリフである。第5代カリフで同王朝の最盛期を築き上げたハールーン・アッ=ラシードの8男。母は女奴隷のマーリダ。」
「“マルウィヤ・ミナレット”は、煉瓦で作られた高さ53メートルの大きな塔ですよ。」
「そうなんですか。」
「天に向かって螺旋を描く非常に特徴的な形をしていますよ。」
「はい。」
「ソフトクリームのような形と言えば、わかりやすいでしょう。」
「そうなんだ。」
「頂上に行くには、塔の外周に設けられた階段をぐるぐると螺旋を描きながら登っていくことになりますよ。」
「はい。」
「このような螺旋型のミナレットは、世界に3つしか存在しませんよ。」
「そうなんですか。」
「その大きさと美しさから、「サーマッラーの考古学都市」にあるものが最も有名ですよ。」
「はい。」
「“マルウィヤ・ミナレット”が、イラクの至宝とまで言われるゆえんですね。」
「なるほど。」
「極めて珍しい外観の塔ですが、博学な人であれば、どこかで見た覚えがあるような気がするかも知れませんね。」
「そうなんですか。」
「“マルウィヤ・ミナレット”は、西洋世界において“バベルの塔”のモデルとなった建物ですよ。」
「そうなんだ。」
「バベルの塔と言えば、旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔である。神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱するcite_note-1。実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という。」
「バベルの塔を描いたもので、世界で最も有名な絵画・ブリューゲルの『バベルの塔』においても、「サーマッラーの考古学都市」にあるこのミナレットと同じ螺旋状の塔として描かれていますよ。」
「はい。」
「世界で最も有名な絵画・ブリューゲルの『バベルの塔』と言えば、ウィーン美術史美術館には、世界最大級の規模を誇る 「ブリューゲル・コレクション」があり、中でも、旧約聖書に出てくる「バベルの塔」が最も有名な作品です。」
「螺旋を描きながら天へと伸びるミナレットは、伝説上の塔のモデルになってしまうほど、西洋人にとって印象的なものだったのでしょう。」
「そうなんだ。」
「“マルウィヤ・ミナレット”は、イラク戦争の際に米軍の砲撃によって尖塔部が一部破損しましたよ。」
「はい。」
「1000年以上も昔に建てられたものとしては、綺麗な形で残っていますよ。」
「そうなんですか。」
「世にも奇妙な形の塔は、「サーマッラーの考古学都市」のシンボルとして、この地に腰を据え、幾何学的な美しさを備えて、見る者を魅了しますよ。」
「はい。」
「首都バグダッドからすぐのところにありますよ。」
「はい。」
「イラクを訪問した際には、バベルの塔のモデルになった世界遺産に足を伸ばしてみるのもいいでしょう。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~シリアの古代都市ダマスカス~
「「古代都市ダマスカス」は、シリアの首都ダマスカスの旧市街地にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「ダマスカスと言えば、シリア(シリア・アラブ共和国)の首都である。ダマスクスとも表記される。「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られる。カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がる。」
「シリア西南部、カシオン山の麓、バラダ川の沿いにありますよ。」
「はい。」
「バラダ川と言えば、シリアの首都ダマスカスを流れる主要な川(内陸河川)である。「バラダ」という名は、「寒い」を意味する「barid」から来たと考えられる。旧約聖書の列王記には、「ダマスコの川アバナとパルパル」とあり、アバナと呼ばれる川が現在のバラダ川にあたる。」
「シリア西南部、カシオン山と言えば、「古代都市ダマスカス」は、シリアの首都ダマスカスの旧市街地にある世界遺産である。シリア西南部、カシオン山の麓、バラダ川の沿いにあります。この地には、紀元前3000年頃から都市が形成されたと言われています。」
「この地には、紀元前3000年頃から都市が形成されたと言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「現在では、旧市街と現市街が隣り合って広がっていますよ。」
「はい。」
「そのため、ダマスカスは「世界一古くから人が住み続けている都市」としても知られていますね。」
「そうなんだ。」
「1979年、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「古代都市ダマスカス」に指定された旧市街地は、城壁で囲まれていますよ。」
「はい。」
「元々、城壁はローマの支配下にあった時代に作られましたよ。」
「そうなんですか。」
「現在残っているのは、13世紀頃アラブ人の手によって作り直されたものですよ。」
「そうなんだ。」
「アラブ人と言えば、主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々である。「アラビア人」の呼称が過去には一般的であったが、アラビア人を意味する英語のarabにさらに「人」をつけ足した「アラブ人」という言い方が、オイルショックの頃から使われだし、やがて定着したもの。」
「城壁に囲まれた狭い地域に、数多くの見所が凝縮されていますよ。」
「はい。」
「「古代都市ダマスカス」には、イスラム教第4の聖地である“ウマイヤド・モスク”がありますよ。」
「はい。」
「イスラム教第4の聖地である“ウマイヤド・モスク”と言えば、ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年(ヒジュラ暦86年)にダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクであり、世界最大級のモスクのひとつでもある。世界遺産「古代都市ダマスカス」の一部である。」
「ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年に建てられた大規模なモスクですよ。」
「そうなんだ。」
「ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世と言えば、ウマイア朝の第6代カリフ(在位:705年-715年)である。第5代カリフであったアブドゥルマリクの子。674年、ダマスカスに生まれる(生年には675年説もある)。705年、父の死により後を継いでカリフとなった。軍事面で優れた能力を持っていたため、中央アジアからインド北部、イベリア半島、東ローマ帝国などに積極的に進出して王朝最大の版図を形成し、王朝の全盛期を築き上げた。」
「現存する中では、世界最古のモスクですよ。」
「そうなんですか。」
「元は、洗礼者ヨハネを祀るキリスト教会だったものを、ウマイヤ朝の手によってモスクへと改築されたものですよ。」
「はい。」
「ローマ様式の面影を残した一般的なモスクとは、一味違ったものになっていますよ。」
「はい。」
「“ウマイヤド・モスク”は、建物自体の美しさもさることながら、あちこちにイスラム的なモザイク模様の装飾が見られる壮麗な造りですよ。」
「そうなんだ。」
「大理石が敷かれた中庭から眺める礼拝堂は、見る人を惹きつけて止みませんよ。」
「そうなんですか。」
「面白いのは、モスク内部にステンドグラスがあり、サロメに首を取られたという有名な逸話が残る洗礼者ヨハネの首塚がある点ですね。」
「はい。」
「これらは、キリスト教会だった頃の名残ですね。」
「はい。」
「観光客にとっては、一粒で二度美味しい内容になっていますよ。」
「そうなんですか。」
「「古代都市ダマスカス」のもう一つ大きな見所は、巨大なスーク(市場)ですよ。」
「はい。」
「スーク(市場)と言えば、アラブ人やベルベル人の世界で、商業地区を言う。スーク(suq)は市場を意味し、語源は、送る、運ぶ、手渡すという意味の動詞(saqa)からの派生にあたる。総体としての市場を指す場合と、特定の商品を扱う個々の市場の用法がある。」
「スークは、非常に長いアーケードになっていますよ。」
「はい。」
「入り口には、なんとローマ時代の門が残っていますよ。」
「そうなんですか。」
「アーケード街には、さまざまなお店が並んでいますよ。」
「はい。」
「何時間見て回っても、飽きることがありませんよ。」
「はい。」
「他にも、ダマスカス城壁の近くに有名な英雄サラディーンの像があり、世界遺産「古代都市ダマスカス」の見所は尽きませんね。」
「そうなんだ。」
「英雄サラディーンと言えば、サラディン、正式名はサラーフ=アッディーン(1138-1193)は、王として、政治・軍事に優れた人物であり、博愛精神をもち仁義に長けた人物であった。」
「街自体も、夜になるとオレンジ色の街灯に照らされ、異国情緒溢れる様相を呈しますよ。」
「はい。」
「イラクの現在の首都もダマスカスですね。」
「はい。」
「宿泊施設からのアクセスが、極めて簡易(徒歩でOK!)なのも魅力の一つですね。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~シリアのパルミラ遺跡~
「「パルミラ遺跡」は、シリア中央部シリア砂漠の中にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「パルミラ遺跡と言えば、シリア中央部のホムス県タドモルにあるローマ帝国支配時の都市遺跡である。シリアを代表する遺跡の1つである。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。ローマ様式の建造物が多数残っており、ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門が代表的。」
「かつてこの地にはオアシス都市が築かれ、東西交易の中継都市として大いに栄えましたよ。」
「はい。」
「砂漠を行くキャラバンたちは、パルミラの並外れた美しさに感動して、「バラの街[勝利男1]」と、讃えたと言いますよ。」
「そうなんですか。」
「砂漠を行くキャラバンと言えば、砂漠を隊を組んで行く商人の集団である。隊商。」
「1980年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「現在「パルミラ遺跡」に残っているのは、1世紀頃に建てられたものが中心ですよ。」
「はい。」
「ローマ様式の建造物が、数多く残されていますよ。」
「はい。」
「栄華を極めたパルミラも、西暦273年にローマ帝国の手によって陥落してからは、衰退の一途を辿り、街は完全な廃墟と化しましたよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、砂漠の中にうち捨てられたこの古代都市遺跡の美しさは、世界に類を見ませんね。」
「そうなんだ。」
「かつて、「バラの街」と呼ばれた「パルミラ遺跡」は、現在では「世界で最も美しい廃墟」と言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「連日、世界中から観光客が訪れていますよ。」
「はい。」
「「パルミラ遺跡」には、数多くの遺構が残されていますよ。」
「そうなんだ。」
「修復の手も入っていますよ。」
「はい。」
「全体的に保存状態は良好ですよ。」
「はい。」
「記念門、円形劇場、公共浴場、祭壇、至聖所、貴族の塔墓、元老院、アゴラ、神殿などがありますよ。」
「いろいろありますね。」
「これほど多くの施設が、原形を留めたまま現存している都市遺跡も珍しいですね。」
「そうですね。」
「遺跡を一通り見て回れば、キャラバンが行き交い活気に満ちていた当時の「バラの街」を心に思い浮かべることができるでしょう。」
「そうですね。」
「中でも、パルミラの主神であるベル神を祀った“ベル神殿”の本殿は、ほぼ原型のまま残されていますよ。」
「はい。」
「ベル神殿と言えば、シリアのパルミラに位置する古代の石造遺跡である。神殿は、パルミラにおいて崇拝されたセム人の神ベルに捧げられ、パルミラの月神アグリボールと太陽神ヤルヒボールとともに三位神として、パルミラの信仰生活の中心に造られ、西暦紀元32年に奉献された。」
「パルミラの主神であるベル神と言えば、バビロンの主神ベル・マルドゥクに由来するベルがパルミラの主神となった。ベル神とは、メソポタミアの主神である豊穣神である。」
「パルミラを陥落させたローマ軍が、神殿の類い稀な美しさのために、破壊するのをやめたという逸話が残っていますよ。」
「本当ですか?」
「凝った作りの美しい神殿になっていますよ。」
「はい。」
「“ベル神殿”のすぐ近くには、道の両側にコリント式の列柱が並んだ有名な“列柱道路”もありますよ。」
「はい。」
「コリント式(の列柱)と言えば、コリント式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、ドーリア式、イオニア式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。」
「「パルミラ遺跡」には、現在でも150本もの柱が残されていると言われていますよ。」
「多いですね。」
「砂漠に並ぶ列柱は、朽ちた古代都市のノスタルジーを伝えるものとして、「パルミラ遺跡」のシンボルとも言えますよ。」
「はい。」
「「パルミラ遺跡」は、「世界で最も夕陽の美しい場所」とも言われますよ。」
「そうなんですか。」
「遺跡から少し離れた小高い場所に、アラブ人によって6世紀に建てられた砦がありますよ。」
「はい。」
「アラブ人と言えば、主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々である。「アラビア人」の呼称が過去には一般的であったが、アラビア人を意味する英語のarabにさらに「人」をつけ足した「アラブ人」という言い方が、オイルショックの頃から使われだし、やがて定着したもの。」
「そこからは、遺跡を一望の下に眺めることができますよ。」
「はい。」
「西日に赤く浮き上がる古代都市の遺跡は息を呑むほどに美しく、世界遺産「パルミラ遺跡」のハイライトと呼ぶにふさわしいですよ。」
「そうですね。」
「シリアが誇る「世界で最も美しい廃墟」で、古代都市ロマンを堪能してみてはいかがでしょう。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~パキスタンのモヘンジョダロの遺跡群~
「「モヘンジョダロの遺跡群」は、パキスタン南西部インダス川沿いにある世界遺産ですね。」
「はい。」
「インダス川と言えば、インド亜大陸を流れる主要河川である。 チベット自治区のマナサロヴァル湖の近くのチベット高原から始まり、ジャンムー・カシミール州のラダックを通る。その後、パキスタンに入ってギルギット・バルティスタン州を通り、パンジャーブ州を南に抜け、シンド州に入り、パキスタンの港都市カラチの近くのアラビア海に注いでいる。インダス川の長さは3,180Kmで、パキスタン最大の河川である。」
「世界四大文明の一つであるインダス文明最大の遺跡として、歴史の教科書に載っているため、その名を聞いたことがあるでしょう。」
「そうですね。」
「インダス文明と言えば、パキスタン・インド・アフガニスタンのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明である。崩壊の原因となったという説のあった川の名前にちなんでインダス文明、最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明とよばれる。」
「1980年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「モヘンジョダロの遺跡群」に人間が住んでいたのは、紀元前2500~1800年頃ですね。」
「そうなんですか。」
「世界最古の都市遺跡とも言われますね。」
「そうなんだ。」
「気の遠くなるような昔に造られたにも関わらず、都市は綿密な計画に基づいて造営されたことが窺えますね。」
「はい。」
「碁盤の目のように区画され、東西南北に道が伸び、上下水道も完備されていましたよ。」
「凄いですね。」
「「モヘンジョダロの遺跡群」は、世界最古の都市であると共に、世界最古の計画都市でもありましたよ。」
「はい。」
「この都市には、かつて4万人の人間が暮らしていたと推測されていますよ。」
「はい。」
「滅亡の原因など詳しいことは、わかっていませんね。」
「そうなんですか。」
「一説によると、大洪水によって一瞬の内にインダス文明は滅びたと考えられていますね。」
「そうなんだ。」
「4500年以上前に造られた都市の詳細は、未だに歴史の謎に包まれていますね。」
「はい。」
「「モヘンジョダロの遺跡群」に残る建造物は、ほぼすべて焼き煉瓦で造られていますよ。」
「はい。」
「高く積み上げられた煉瓦の壁が、街全体に張りめぐらされていますよ。」
「はい。」
「まるで迷路のような外観を呈していますよ。」
「そうなんだ。」
「うっかりしていると、迷子になってしまいそうですね。」
「はい。」
「4500年前の古代都市が、街の原型を留めたまま残っていますよ。」
「すばらしいですね。」
「整然と区画された住宅跡、それに合わせて巡らされた排水溝、公共施設であった沐浴場に古代のゴミステーション(ゴミは一箇所に集めておいて城外へと運んだらしいです)、朽ち崩れて下部だけになっている仏塔跡、集会場やそこら中に点在している井戸などがありますね。」
「はい。」
「当時の高級住宅街と思われる区画には、二階建ての住宅もありますね。」
「そうなんですか。」
「それらが、すべて煉瓦を積み上げてできていますよ。」
「はい。」
「「モヘンジョダロの遺跡群」には、現在でも古代計画都市の面影が色濃く残っていますよ。」
「はい。」
「当時の人たちの生活に思いを馳せるのは、それほど難しいことではありませんよ。」
「そうなんですか。」
「灼熱の日差しの下で古代文明の迷宮を歩いていると、まるでタイムスリップでもしたような不思議な気持ちになってきますね。」
「はい。」
「歴史の教科書にも載っている世界遺産「モヘンジョダロの遺跡群」ですよ。」
「はい。」
「パキスタンを訪れた際には、是非足を伸ばして、世界最古の街を歩くといいでしょう。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~パキスタンのロータス・フォート~
「「ロータス・フォート」は、パキスタン北東部にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「ロータス・フォートと言えば、ロータス・フォートまたはロータス城塞は、シェール・シャーによって建設された要塞である。周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初期の事例である。」
「「フォート」とは、「城塞」を意味しますよ。」
「はい。」
「周囲を約4キロにも及ぶ分厚い城壁が取り囲み、かつては1万人以上の兵士が常駐していた難攻不落の要塞でしたよ。」
「そうなんですか。」
「現在でも、建物などはほぼ完全な形で残されていますよ。」
「そうなんだ。」
「1997年、ユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「ロータス・フォート」は、スール朝の創始者でもあるシェール・シャーの命で、1550年頃造営されましたよ。」
「はい。」
「シェール・シャーと言えば、スール朝の創始者(在位:1539年12月 - 1545年5月22日)である。一時期はムガル帝国を崩壊に追い込むほど圧倒し、今日のアフガニスタン、パキスタン、北インドを支配する帝国を築き上げ、自らを北インドにおける「真のスルターン(皇帝)」と称した。「トラの王」の名前も知られる。」
「スール朝と言えば、1539年から1555年の間にかけて、北インドを支配したインドの王朝である。王朝を創始したのは、ビハール南部を根拠地においていたシェール・シャー・スーリー(即位後シェール・シャー)である。デリー・スルタン朝のひとつに数える研究者もいる。」
「中央アジアの遊牧民の侵略を防ぐことが、最大の目的でしたよ。」
「そうなんだ。」
「標高約800メートルの場所にあり、周囲を取り囲む城壁は等高線に従って配置されていますよ。」
「はい。」
「上空から見ると、要塞の敷地は歪な形をしていますよ。」
「そうなんですか。」
「「ロータス・フォート」は、一部に煉瓦が使われ、大部分が石造の城ですよ。」
「はい。」
「全体的に、ヨーロッパの古城のような雰囲気を醸し出していますよ。」
「そうなんだ。」
「城壁には12の城門があり、どれも巨大でどっしりとした見応えのある造りになっていますよ。」
「はい。」
「中でも、最も美しいとされる“ソヘール門”には、ヒマワリの装飾がなされていますよ。」
「はい。」
「ソヘール門と言えば、ソハール門は、シェール・シャー時代に建設された、ロータス・フォートにおける最も好例の石造建築の城門である。ソヘールの名前の由来は、門の南西に埋葬されている聖者ソヘール・ブハーリーである。」
「入り口のアーチの両側には、細かい彫刻が施されたバルコニーが設置されていますよ。」
「はい。」
「これほど門が大きいのは、ゾウが出入りできるように設計されているためですよ。」
「そうなんですか。」
「「ロータス・フォート」の広い城壁内には、様々な建物がありますよ。」
「はい。」
「最も高い場所にあって人目を引くのが、“ハヴァリ・マーン・シン”ですね。」
「はい。」
「ハヴァリ・マーン・シンと言えば、ロータス・フォートは海抜800メートル以上の高台に築かれていて、周囲を遥かに見渡すことができる。最も高い位置にある塔がハヴァリ・マーン・シンである。階段を上ると四方に窓をもつ見晴らしの良い空間。」
「これは、王の執務室だったものですよ。」
「そうなんだ。」
「そのために、簡素ながらも美しい二階建ての建物になっていますよ。」
「はい。」
「実際に中に入ってみると非常に見晴らしが良く、四方の窓から城壁とその向こうに広がる原野を望むことができますよ。」
「はい。」
「要塞の中心からは離れた場所にあり、少々歩くことになりますが、是非登って雄大な景色を楽しんでほしいですね。」
「そうですね。」
「もちろん、他にも「ロータス・フォート」の見所はたくさんありますよ。」
「はい。」
「見たこともないほど巨大な井戸は、階段で底まで下りていくことができますよ。」
「そうなんですか。」
「城壁の一端には、かつての処刑場もありますよ。」
「はい。」
「祭壇のような石の台に大きな穴がぽっかり開いていますよ。」
「はい。」
「そこから囚人を突き落として処刑したらしいですよ。」
「本当ですか?」
「敷地内には、他にも宮殿跡や博物館があり、広いだけあって一通り見て回るだけでも半日はかかりますよ。」
「そうなんだ。」
「世界遺産にも指定されており、これほど魅力的な古城であるにも関わらず、それほど観光地化はされていませんよ。」
「そうなんですか。」
「しかし、ここを訪れた人たちは、決まってパキスタンで一番おススメの場所として紹介していますよ。」
「はい。」
「城内には、地元民が住み着いて、のどかな空気が流れていますよ。」
「はい。」
「知る人ぞ知る穴場と言えるでしょう。」
「なるほど。」
「「ロータス・フォート」を観光する際は、たっぷりと時間を取って、木陰で休んだりしながら、のんびり世界遺産の古城を見て回ることをおススメします。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~イスラエルのマサダ~
「「マサダ」は、イスラエル東部にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「マサダ(イスラエル東部にある世界遺産)と言えば、イスラエル東部、死海西岸近くにある古代ローマユダヤ属州時代の要塞の遺跡である。「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味する。」
「標高約400メートルの岩山の上に位置していますよ。」
「はい。」
「頂上は平らな台地で、そこに要塞が設けられていますよ。」
「そうなんですか。」
「「マサダ」は、ヘブライ語で「要塞」を意味していますよ。」
「はい。」
「2001年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「元々、「マサダ」は、この地がローマ帝国の属州であった紀元前2世紀頃に造られた要塞でしたよ。」
「そうなんですか。」
「その後、紀元前40年に、ヘロデ王が要塞兼離宮として更なる開発の手を加え、台地を城壁で囲み、宮殿・浴場・プールなどを設営しましたよ。」
「はい。」
「ヘロデ王と言えば、共和制ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)である。エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。息子たちと区別してヘロデ大王とも言われる。」
「岩山という地形を利用して造られた「マサダ」は、三方が断崖絶壁、残る一方も急勾配になっており、当時難攻不落の要塞であると言われましたよ。」
「そうなんだ。」
「「マサダ」は、世界史的に有名な事件が起こった現場ですよ。」
「そうなんですか。」
「特にイスラエル人にとっては、忘れられない場所ですよ。」
「はい。」
「というのは、ユダヤ戦争下の73年、ここでユダヤ人の集団自決が行われたからですよ。」
「そうなんですか。」
「ユダヤ戦争と言えば、帝政ローマ期の66年から74年まで、ローマ帝国とローマのユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われた戦争である。」
「ローマ帝国によってエルサレムを陥落されたユダヤ人の一部がマサダに立てこもり、2年近くもローマ軍の侵攻に抵抗しましたよ。」
「はい。」
「しかし、結局攻め落とされてしまいましたよ。」
「そうなんだ。」
「陥落に際して、967人のユダヤ人は捕虜となることを拒みましたよ。」
「はい。」
「集団自決という道を選びましたよ。」
「そうなんだ。」
「このような歴史的経緯もあり、「マサダ」は、イスラエル国内で人気の観光地となっていますよ。」
「はい。」
「こうした悲劇を繰り返さないように、イスラエル軍の入隊式は集団自決の現場である「マサダ」頂上で行われていますよ。」
「そうなんですか。」
「「マサダ」の台地上にある居住地跡へは、“蛇の道”と呼ばれる狭い登山道もありますよ。」
「はい。」
「ロープウェイでも行くことができますよ。」
「はい。」
「厳しい日差しの下、2時間も登山道を歩くのは大変ですよ。」
「そうですね。」
「体力に自信のない方は、無理せずロープウェイで頂上まで行くことをおススメします。」
「わかりました。」
「「マサダ」の台地には、大きな石を積み上げて築かれた迷路のような遺跡が残っていますよ。」
「はい。」
「ヘロデ王の手による宮殿跡や浴室なども見ることができますよ。」
「はい。」
「ヘロデ王と言えば、共和制ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)である。エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。息子たちと区別してヘロデ大王とも言われる。」
「四方が切り立った岩山の上ですから、そこから眺望できる景色も素晴らしいものとなっていますよ。」
「そうなんだ。」
「見渡す限りの荒野のはるか向こうに、死海が望めますよ。」
「はい。」
「死海と言えば、アラビア半島北西部に位置する塩湖である。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。歴史的に様々な名前で呼ばれたが、現在の英語名 (The Dead Sea) はアラビア語名に由来する。」
「歴史的悲劇の現場「マサダ」ですね。」
「はい。」
「この地を訪れ、今も昔も変わらぬ戦争の痛みに思いを馳せてみるのも良いでしょう。」
「そうですね。」
「すぐ近くには、体が浮くことで有名な「死海」もありますね。」
「はい。」
「世界遺産を堪能した後は、そちらも合わせて訪れるのが定番となっていますよ。」
「はい。」
「イスラエルを旅行した際には、外せない観光スポットと言えますよ。」
「わかりました。」
西アジアから中東の世界遺産~イスラエルのアッコ旧市街~
「「アッコ旧市街」は、イスラエル北部、西ガリラヤ地方にある世界遺産ですよ。」
「はい。」
「イスラエル北部、西ガリラヤ地方と言えば、パレスティナ北部地方の総称である。北はレバノン山,南はエズレル平野、東はガリラヤ湖(ティベリアス湖),西はアッコ平野と接し,深い谷を挟んで上部ガリラヤと下部ガリラヤに分かれる。」
「アッコ旧市街と言えば、イスラエル北部の西ガリラヤ地方に位置する北部地区にある市である。「アッコ」はヘブライ語での読み方であり、アラビア語ではアッカー(アッカ)と呼ばれる。また、アッコン、アクレ、サン・ジャン・ダクルなどとも呼ばれる。」
「アッコは地中海に面しており、かつて地中海貿易で栄えた港都でしたよ。」
「はい。」
「オスマン帝国時代や十字軍時代の遺跡が残されていますよ。」
「そうなんですか。」
「十字軍と言えば、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。」
「オスマン帝国と言えば、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。」
「2001年にユネスコの世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「「アッコ旧市街」は、元々はアラブ人の都市でしたよ。」
「はい。」
「アラブ人と言えば、主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々である。「アラビア人」の呼称が過去には一般的であったが、アラビア人を意味する英語のarabにさらに「人」をつけ足した「アラブ人」という言い方が、オイルショックの頃から使われだし、やがて定着したもの。」
「優れた貿易都市の宿命として周囲の強国に狙われ支配されることになりましたよ。」
「そうなんだ。」
「まずは1104年、第1回十字軍の手によって街を占拠されますよ。」
「はい。」
「その後、いったんはアイユーブ朝の英雄サラディンによってアラブ人が街を奪還しますよ。」
「はい。」
「アイユーブ朝と言えば、エジプト、シリア、メソポタミアなどを支配したイスラム系の王朝である。王朝名の「アイユーブ」は創始者の父の名に由来する。なお、アイユーブは元々は旧約聖書ヨブ記の義人ヨブのアラビア語形である。」
「第3回十字軍の侵攻により、再び十字軍に支配されることになりますね。」
「そうなんだ。」
「1291年になると、アラブ人のマルムーク朝が十字軍を破り街を陥落させますね。」
「はい。」
「アラブ人のマルムーク朝と言えば、エジプトを中心に、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 - 1517年)。首都はカイロ。そのスルターンが、マムルーク(奴隷身分の騎兵)を出自とする軍人と、その子孫から出たためマムルーク朝と呼ばれる。一貫した王朝ではあるが、いくつかの例外を除き王位の世襲は行われず、マムルーク軍人中の有力者がスルターンに就いた。」
「1517年にマルムーク朝が滅びると、今度はオスマン帝国の手に渡りますよ。」
「そうなんだ。」
「それ以後、第一次世界大戦でイギリス領になるまで、中断を挟みながらもオスマン帝国の支配が続きましたよ。」
「はい。」
「現在の「アッコ旧市街」の街並みの大部分は、オスマン帝国時代に形作られたものですよ。」
「そうなんだ。」
「旧市街の中心部は、地中海に突き出すように広がり、城壁によって囲われていますよ。」
「はい。」
「歴史ある街並み自体が、見所と言えますね。」
「そうなんだ。」
「強いて観光スポットをあげれば、“ジャーマ・アル・ジャッザール”と呼ばれるモスクがありますよ。」
「はい。」
「1781年に当時の総督の命で建造されたものですよ。」
「はい。」
「緑色のドームを持ち、内部も大理石を用いた上品で美しい内装になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「このように、「アッコ旧市街」の地上にはオスマン帝国時代の建造物が残されていますよ。」
「はい。」
「近年になって、地下に十字軍時代の大規模な遺跡が発見されましたよ。」
「そうなんですか。」
「まさしく地下都市と呼ぶにふさわしい巨大な地下構造は、圧巻の一言ですね。」
「なるほど。」
「十字軍が造営した街が全体として現存しているのは、世界でも「アッコ旧市街」の地下だけであると言われていますよ。」
「そうなんですか。」
「歴史的に極めて貴重な遺跡と言えるでしょう。」
「そうですね。」
「十字軍が地下に造った巨大な空間には、有名な“十字軍の道”や“騎士のホール”や“聖ヨハネの地下聖堂”など数々の見所がありますよ。」
「本当ですか?」
「聖ヨハネの地下聖堂と言えば、ローマ典礼暦の中で、洗礼者聖ヨハネは、その誕生(6月24日)と殉教による死がともに祝われる唯一の聖人です。今日の記念日はサマリアのセバステの地下聖堂の献堂に遡ります。」
「よくもこれだけのものを地下に造ったものだと、感心させられますね。」
「そうですね。」
「地上には街があり人が住んでいるため、発掘作業は困難を極め、40年もの時間がかかったということですよ。」
「なるほど。」
「現在では、こちらの地下遺跡の方が、「アッコ旧市街」の目玉となっていると言えますね。」
「そうですね。」
「地上にオスマン帝国時代の遺跡、地下に十字軍時代の遺跡が残る世にも奇妙な世界遺産「アッコ旧市街」ですよ。」
「はい。」
「地中海に面する重要な港町として、キリスト教勢力とイスラム勢力の間で翻弄された歴史を体現しているかのようですね。」
「はい。」
「イスラエルに観光に行くならば、是非訪れたい場所の一つと言えますね。」
「わかりました。」
世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~
「世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~」
⇒世界遺産のおすすめ~基礎・人気・日本・ユネスコ~