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フランスの世界遺産と都市文化~サン=テミリオン地域・中世市場都市プロヴァン・オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル・月の港ボルドー・アルビの司教都市・リヨン歴史地区・歴史的城塞都市カルカソンヌ~





フランス 世界遺産 都市文化

フランスの世界遺産と都市文化

「この地球上には、現在936個もの世界遺産が存在しますね。(2011年)」
「そんなにあるのですか?」

「年々増え続けているので、あと5年たったらいくつになっているか分かりませんね。」
「はい。」

「あと5年10年の間に、世界遺産は1000に近い数まで増えているかも知れませんね。」
「そうですね。」

「そのような世界遺産ですが、ヨーロッパ諸国に集中している傾向がありますね。」
「はい。」

「もちろんアジアにもありますが、ヨーロッパには及びませんね。」
「そうですね。」

「現に世界遺産のランキングの上位国は、イタリア、スペイン、中国、フランスとほぼヨーロッパの国が独占している状態ですね。」
「はい。」

「4位であるフランスは、2011年6月の段階で37個となっていますよ。」
「多いですね。」

「文化遺産が33箇所、自然遺産は3カ所、複合遺産は1カ所という結果になっていますよ。」
「はい。」

「複合遺産と言えば、ユネスコが登録する世界遺産は、その特質に応じて「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」に分類されている。複合遺産は「文化遺産」「自然遺産」それぞれの登録基準のうち、少なくとも一項目ずつ以上が適用された物件をいう。」

「自然遺産と言えば、ユネスコが登録する世界遺産は、その特質に応じて「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」に分類されている。自然遺産の評価は国際自然保護連合(IUCN)が行う。このため、自然遺産はIUCNによる自然保護区域分類が行われるのが普通である。」

「文化遺産と言えば、ユネスコが登録する世界遺産は、その特質に応じて「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」に分類されている。文化遺産として登録されるためには、登録基準に照らして「顕著な普遍的価値」を有することを世界遺産委員会で認められることが必要となる。」

「フランスには、自然遺産が少なめですね。」
「はい。」

「その代わりに、文化遺産が非常に多くなっていますよ。」
「そうですね。」

「周辺諸国からは、そんな文化遺産を求めてたくさんの観光客が訪れますよ。」
「そうなんだ。」

「フランスの世界遺産をイメージした時に、皆さんの頭には何が浮かぶでしょうか?」
「ヴェルサイユ宮殿かな?」

「「もちろんエッフェル塔だよ!」という人、「やっぱりヴェルサイユ宮殿かな?」という人など、最も有名な2トップをイメージした方がほとんどと思われますよ。」
「そうですね。」

「しかし、フランスの世界遺産はもっと、たくさんの種類がありますよ。」
「はい。」

「たとえば、「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」、「シャルトル大聖堂」、「ヴェズレーの教会と丘」、「月の港ボルドー」、「リヨン歴史地区」など、それこそ数え切れないほど現存していますよ。」
「そうなんですか。」

「リヨンと言えば、フランスの南東部に位置する都市で、ローヌ=アルプ地域圏の首府、ローヌ県の県庁所在地である。リヨンの近郊にはリヨン市の人口を含め、164万8216人が住み(1999年)、都市圏としてはフランス第二の規模を持つ。フランスにおける金融センターのひとつであり、多くのフランスの銀行の本店が置かれる。」

「建築家オーギュスト・ペレ(1874年~1954年)と言えば、ベルギー、ブリュッセル生まれの20世紀フランスで活躍した建築家である。鉄筋コンクリート造という新しい技術により芸術的な表現を追求し、「コンクリートの父」と呼ばれる。」

「フランスの港町「ル・アーヴル」と言えば、フランス北西部の大西洋に臨む港湾都市である。セーヌ川右岸の河口にあたり、ルーアンを首都とするオート=ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県に属する。東経0.12度、北緯49.5度。人口190,905人(19999年)、面積46.95平方km。港湾の規模はマルセイユに次ぎ、大西洋岸ではフランス第1位の規模である。」

「ボルドーと言えば、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。ボルドーワインの産地として世界的に有名。」

「ヴェズレーの教会と言えば、サント=マドレーヌ大聖堂は、フランスの町ヴェズレーの中心的な丘の上にあるバシリカ式教会堂である。この教会と丘は、1979年にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ヴェズレーの教会と丘」)。」

「シャルトル大聖堂と言えば、フランスの首都パリからおよそ南西80kmほど離れた都市シャルトルに位置し、フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えられている大聖堂である。1979年にユネスコの世界遺産に登録されている。大聖堂はカトリック教会の教会州、シャルトル教区を置く。」

「フランスの世界遺産は、宗教色の濃いスポットが多いですね。」
「はい。」

「一部は、キリスト教徒の巡礼地になっていますよ。」
「はい。」

「フランス特有の文化が凝縮されたスポットが、いくつも点在していますよ。」
「そうなんだ。」

「フランスの文化に触れたい人は、是非上記の文化遺産を尋ねてみましょう。」
「わかりました。」

「フランスは、北側と南側によって文化遺産の傾向が大きく異なりますよ。」
「はい。」

「ロレーヌ地方やルーアンのある北側は、キリスト教関連のものが多いですよ。」
「はい。」

「ルーアンと言えば、フランス西部に位置する都市で、オート=ノルマンディー地域圏の首府、セーヌ=マリティーム県の県庁所在地である。」

「ロレーヌ地方と言えば、ロレーヌ地域圏は、フランス北東部にあり、ドイツ国境に近い地域圏である。東にアルザス、西にシャンパーニュ=アルデンヌ、南にフランシュ=コンテが隣接している。」

「ニースやマルセイユのある南側へ行くと遺跡系の世界遺産が多くなっていますよ。」
「そうですね。」

「マルセイユと言えば、フランス最大の港湾都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地である。」

「ニースと言えば、フランスの南東部に位置する都市で、アルプ=マリティーム県の県庁所在地である。地中海・コート・ダジュールに面する、世界的に有名な保養地・観光都市である。」

「旅行する地域によって、観光できる世界遺産の種類がまったく違いますよ。」
「はい。」

「どちらを選んでも、フランス特有の上品な世界を堪能することができますよ。」
「はい。」

「どうせ行くなら、より楽しめる場所へ行った方が良い筈ですね。」
「そうですね。」

「行く前に、キリスト教関連の場所が良いか、遺跡系の場所が良いかをしっかり定めておきましょう。」
「わかりました。」

「シャルトル大聖堂などは、女性に非常に人気がある場所ですね。」
「はい。」

「「綺麗で女性が楽しめるような世界遺産が見たい」という方には、シャルトル大聖堂がおススメです。」
「わかりました。」

「シャルトル大聖堂あたりの場所は、ツアーも頻繁に開催されていますよ。」
「はい。」

「自分の行きたい所をしっかり回ってくれるツアーを探して参加しましょう。」
「そうですね。」

「他の大聖堂との違いを感じたいのであれば、より宗教色の濃いツアーに参加するのがベストですよ。」
「はい。」

「フランスの中では、各国のキリスト関連の観光地とはまったく違う世界遺産を観光できますよ。」
「そうなんですか。」

「「他の国の世界遺産はもう一通り回ってしまったから、もうキリスト関連の場所は別に・・・」という方でも、十分楽しめると思いますよ。」
「そうなんだ。」

「「世界遺産に行ってみたけど、あんまり期待通りではなかったかも・・・、むしろ違う国の方が良かったかもなあ~」という場合も、フランスの周辺には、スペイン、ベルギー、スイス、イタリアなど多くの国がありますよ。」
「そうですね。」

「移動しながら、別の世界遺産を見に行くのも良いかも知れませんね。」
「はい。」





フランスの世界遺産と都市文化~サン=テミリオン地域~

「フランスの世界遺産は、色々な特徴があり、ほとんどのものが分かりやすいアイコンとしての機能を備えていますよ。」
「はい。」

「万里の長城などの世界遺産と比べると、非常にシンプルですよ。」
「そうなんだ。」

「事前に知識を入れるにも、すんなり学習できるのが長所ですよ。」
「はい。」

「何と行ってもフランスの世界遺産の良いところは、周囲に美味しいものがたくさんあることですね。」
「いいですね。」

「フランスは美食の国ですよ。」
「はい。」

「美味しいワインも美味しいレストランもたくさんありますよ。」
「はい。」

「中でも、サン=テミリオン地域は、世界遺産も楽しめ、絶品ワインも堪能できる夢のような街になっていますよ。」
「そうですね。」

「まず、サン=テミリオン地域は、スペインに近い位置にある街としてお馴染みですね。」
「はい。」

「スペインと似た温暖で乾燥している気候をたずさえた街ですよ。」
「はい。」

「ぶどう栽培が盛んに行われ、電車の窓から一面に広がるぶどうの紫が一望できますよ。」
「そうなんだ。」

「サン=テミリオン地域は、このようなボルドーワインの原産地であることが世界遺産になるゆえんとなっていますよ。」
「はい。」

「ボルドーワインと言えば、フランス南西部ボルドーを中心とした一帯で産出されるワインである。ジロンド県全域にわたる地域で「ボルドー」を名乗ることができ、この一帯は世界的に最も有名なワイン産地の一つである。」

「いつ行っても、ボルドー郊外ならではの陽気な雰囲気が満ちている地域ですよ。」
「はい。」

「ボルドーと言えば、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。ボルドーワインの産地として世界的に有名。」

「この世界遺産の街は、ぶどう畑だけでなく、その町並み自体が一つの絵画のようになっている街ですよ。」
「そうなんだ。」

「まず、目を見張るのは、この街の家の白さですね。」
「はい。」

「延々と白く続く町並みは、世界遺産のある街特有の重厚な雰囲気に包まれていますよ。」
「いいですね。」

「街のどこからでも見える教会の鐘楼が常にランドマークとしての役割を果たしていますよ。」
「はい。」

「この街にいると、東京という街がいかに看板だらけの街であるかに気づかされますよ。」
「そうなんだ。」

「フランス人の美的感覚の鋭さには、誰もが感銘を打たれることでしょう。」
「はい。」

「地域一帯が世界遺産となっているので、観光していると不思議な気分になりますよ。」
「はい。」

「やはり、しっかりチェックしておきたいのは、お食事どころですね。」
「そうですね。」

「この街には、いくつかのレストランといくつかのカフェテリアがありますよ。」
「はい。」

「やはりワインの街なので、どのお店に入っても美味しいワインを頂くことができますよ。」
「いいですね。」

「ワインは、好みが色々と分かれますね。」
「そうですね。」

「口に合わない場合は思うように楽しめないかも知れませんね。」
「はい。」

「しかし、お土産として持ち帰ると非常に喜ばれるので忘れないようにしましょう。」
「わかりました。」

「お酒が苦手な方は、料理用のワインをおみやげに購入されるのが良いかも知れませんね。」
「はい。」

「この辺り一帯は、ぶどうがたくさん収穫できる時期に行くと、非常に良い雰囲気になっていますよ。」
「はい。」

「訪れるのに良い時期を調べた上で、観光してくださいね。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と都市文化~中世市場都市プロヴァン~

「シャンパーニュ地方は、フランスの首都・パリから南へ90kmの所に位置していますね。」
「はい。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「シャンパーニュ地方と言えば、フランスの地方で、フランスの北東部、パリ盆地の東部に位置する。発泡ワイン(スパークリング・ワイン)の代名詞ともいえるシャンパンの産地として知られ、この地方の中心的都市であるランスを中心としたモンターニュ・ドゥ・ランス、ヴァレ・ドゥ・ラ・マルヌ及びコート・デ・ブランと呼ばれる3つの地域で特に良質のものが造られている。」

「かつて、地中海と北ヨーロッパを結ぶ交易の地として栄えた地域ですね。」
「はい。」

「シャンパーニュの大規模な国際交易市、通称「シャンパーニュの大市」は、4都市で交代で行われますね。」
「そうなんですか。」

「シャンパーニュの大市と言えば、12世紀頃から13世紀にかけて、フランス北東部、シャンパーニュ平原の諸都市で開かれた大規模な交易市である。ヴェネツィア、ジェノヴァなどのイタリア商人の支配する地中海商業圏と、ハンザ同盟が主軸を成した北欧商業圏が、中間地点であるシャンパーニュで接触交易を行なった。」

「その中の一都市、プロヴァンは、「中世市場都市プロヴァン」の名称で、2001年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「プロヴァンと言えば、フランスのセーヌ=エ=マルヌ県の都市である。中世にはシャンパーニュの大市の開催都市として知られ、2001年12月13日にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「中世市場都市プロヴァン」)。古くからバラで有名な都市でもあり、現在でもバラを用いた製菓業などが盛んである。この都市の住民のことはプロヴィノワ と呼ぶ。なお、南フランスの地方プロヴァンスとは 全く別である。」

「シャンパーニュ地方では、プロヴァンとその他の3都市(トロア、ラニー、バールシュルオーブ)が交易の中心となり、11世紀~14世紀には大変栄えていましたね。」
「そうなんですか。」

「バールシュルオーブと言えば、フランス、シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏、オーブ県のコミューンである。シャンパーニュ地方にあるバール=シュル=オルブは、丘と丘の間にある。コミューン内を横断するオーブ川が地名の由来である。」

「トロアと言えば、フランス北東部、シャンパーニュ地方、オーブ県の都市である。同県の県都。百年戦争におけるトロア条約の締結地。20世紀半ば、木組み造りの家並みの保護・復元が進められた。」

「シャンパーニュ地方と言えば、フランスの地方で、フランスの北東部、パリ盆地の東部に位置する。発泡ワイン(スパークリング・ワイン)の代名詞ともいえるシャンパンの産地として知られ、この地方の中心的都市であるランスを中心としたモンターニュ・ドゥ・ランス、ヴァレ・ドゥ・ラ・マルヌ及びコート・デ・ブランと呼ばれる3つの地域で特に良質のものが造られている。」

「その当時の街並みを現在まで残しているのは、プロヴァンだけですよ。」
「そうなんだ。」

「プロヴァンは又、フランス国内で「芸術と歴史の街」の一つに選ばれていますよ。」
「はい。」

「世界遺産としてだけでなく、古くからその史跡が持つ芸術性が評価されてきた街ですね。」
「はい。」

「プロヴァンが交易の地として栄えるようになったのは、シャンパーニュ地方をシャンパーニュ伯(1022年~1314年にシャンパーニュ地方を治めた領主)が保護するようになった頃ですね。」
「そうなんですか。」

「シャンパーニュ伯(1022年~1314年にシャンパーニュ地方を治めた領主)と言えば、プロヴァンが交易の地として栄えるようになったのは、シャンパーニュ地方をシャンパーニュ伯(1022年~1314年にシャンパーニュ地方を治めた領主)が保護するようになった頃のことです。シャンパーニュ伯には、交易によって領土内の財政を潤すという目論みがあり、積極的に交易を保護しました。」

「この時代、イタリアのヴェネツィアやジェノヴァの商人と、北欧のハンザ同盟を主体とする商業圏が、イタリアと北欧の中間地点であるシャンパーニュで大規模な接触取引を行うようになりましたよ。」
「はい。」

「北欧のハンザ同盟と言えば、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同名である。「ハンザ」は古高ドイツ語。現代ドイツ語では 「ハンゼ」(Hanse)と呼ばれる。古高ドイツ語「ハンザ」は「団体」を意味し、もともと都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指した。」

「ジェノヴァと言えば、イタリア共和国北西部にある都市で、その周辺地域を含む人口約58万人の基礎自治体(コムーネ)である。リグーリア州の州都であり、ジェノヴァ県の県都である。リグリア海に面した港湾都市で、中世には海洋国家として栄え(ジェノヴァ共和国)、商工業・金融業の中心地としての長い歴史を持つ。」

「イタリアのヴェネツィアと言えば、イタリア共和国北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体(コムーネ)である。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県都である。ベネチアなどとも表記される。中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名をもつ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。」

「シャンパーニュは、イタリアと北欧を結ぶだけでなく、セーヌ川、モーゼル川、マース川に囲まれ、船による輸送手段を使うにも絶好の条件でしたね。」
「はい。」

「マース川と言えば、フランス北東部を水源とし、ベルギーを流れオランダで北海へ注ぐ川である。」

「モーゼル川と言えば、ヨーロッパのフランス、ルクセンブルクおよびドイツを流れる全長544キロの国際河川である。フランス東北部のヴォージュ山脈に源を発し、ナンシー、マスなどを北へ流れる。ルクセンブルクで北東に転じ、ドイツ国境を流れたのち、ドイツのラインラント=プファルツ州を横切り、コブレンツでライン川に合流する。」

「セーヌ川と言えば、フランスを流れる河川である。流域も全体がフランスに属している。全長780kmは、フランスではロワール川に続いて第二の長さである。」

「シャンパーニュ伯には、交易によって領土内の財政を潤すという目論みがあり、積極的に交易を保護しましたね。」
「そうなんだ。」

「シャンパーニュ伯(1022年~1314年にシャンパーニュ地方を治めた領主)と言えば、プロヴァンが交易の地として栄えるようになったのは、シャンパーニュ地方をシャンパーニュ伯(1022年~1314年にシャンパーニュ地方を治めた領主)が保護するようになった頃のことです。シャンパーニュ伯には、交易によって領土内の財政を潤すという目論みがあり、積極的に交易を保護しました。」

「このように、定期的に行われる「シャンパーニュの大市」が体系づけられていきましたよ。」
「はい。」

「しかし、シャンパーニュは、14世紀に国王領になり、それとほぼ同時期にペストが流行し、急速に衰退していきますね。」
「そうなんですか。」

「ペストと言えば、人間の体にペスト菌(Yersinia pestis 腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が入ることにより発症する伝染病である。」

「プロヴァンは、交易の地としての華やかな歴史に幕を閉じ、シャンパーニュの主要都市という位置づけからも外れますよ。」
「はい。」

「但し、その急激な衰退が、結果的に街並みの保存に一役買ったことになりましたね。」
「はい。」

「プロヴァンには今現在も、交易で栄えた中世の街並みが生き続けていますね。」
「そうなんだ。」

「「中世市場都市プロヴァン」は、城壁に囲まれ、守られてきた街ですよ。」
「はい。」

「城壁に一歩足を踏み入れると、そこにはノスタルジックな中世の世界が広がっていますよ。」
「はい。」

「「中世市場都市プロヴァン」の象徴的な建築物は、「セザール塔」ですよ。」
「はい。」

「セザール塔と言えば、セザール塔はシャンパーニュ伯爵家の権力のシンボルとして12世紀に建設された塔です。 監視塔、牢獄、鐘楼など様々な役割を果たしてきました。 塔の最上階からは プロバンの町とシャンパーニュ平野のパノラマが望めます。」

「セザール塔は、シャンパーニュ伯爵家の権威のシンボルとして、12世紀に造られましたよ。」
「そうなんですか。」

「セザール塔と言えば、セザール塔はシャンパーニュ伯爵家の権力のシンボルとして12世紀に建設された塔です。 監視塔、牢獄、鐘楼など様々な役割を果たしてきました。 塔の最上階からは プロバンの町とシャンパーニュ平野のパノラマが望めます。」

「セザール塔は、鐘楼として、監視塔として、中世には活躍したと言いますよ。」
「はい。」

「塔の最上階まで登ると、そこから中世の街並みのパノラマを見ることができますよ。」
「いいですね。」

「「中世市場都市プロヴァン」は、中世から続く文化を今尚受け継いでいますよ。」
「そうなんですか。」

「観光客向けに、中世の姿を再現した時代劇が毎日のように上演され、プロヴァンが持つ歴史と文化を紹介していますよ。」
「そうなんだ。」

「プロヴァンは又、フランス有数の薔薇の産地ですよ。」
「はい。」

「薔薇を加工した製品を古くから生産していましたよ。」
「はい。」

「薔薇の製菓菓子、ジャムなど、現在でもここでしか味わえない味を人々に提供していますよ。」
「そうなんですか。」

「薔薇といえば、美容効果があることでも知られていますね。」
「はい。」

「女性は、特に興味を持つでしょうね。」
「そうですね。」

「「中世市場都市プロヴァン」は、人々を中世フランスの生活に誘う場所ですね。」
「はい。」

「プロヴァンは、首都・パリからも比較的近いですよ。」
「はい。」

「フランスを訪れた際にはプロヴァンにも足を運び、中世フランスを体感するという一味違った体験をしてはいかがでしょうか。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と都市文化~オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル~

「フランスの港町「ル・アーヴル」は、大西洋沿いにありますね。」
「はい。」

「フランスの港町「ル・アーヴル」と言えば、フランス北西部の大西洋に臨む港湾都市である。セーヌ川右岸の河口にあたり、ルーアンを首都とするオート=ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県に属する。東経0.12度、北緯49.5度。人口190,905人(19999年)、面積46.95平方km。港湾の規模はマルセイユに次ぎ、大西洋岸ではフランス第1位の規模である。」

「第二次世界大戦中に、ヨーロッパで最大級の被害を受けた場所ですね。」
「はい。」

「1944年の空爆で町は破壊され、80,000人以上の犠牲者を生み、町の殆どが失われましたよ。」
「そうなんですか。」

「戦争が終わるとすぐに、ル・アーヴルの地では、建築家オーギュスト・ペレ(1874年~1954年)による都市再建計画が始まりましたよ。」
「はい。」

「建築家オーギュスト・ペレ(1874年~1954年)と言えば、ベルギー、ブリュッセル生まれの20世紀フランスで活躍した建築家である。鉄筋コンクリート造という新しい技術により芸術的な表現を追求し、「コンクリートの父」と呼ばれる。」

「20年かけて、ル・アーヴルはコンクリート造りの新しい建築群を持つ近代都市に生まれ変わりましたよ。」
「はい。」

「ペレによって再建されたル・アーヴルの中心街は、「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」という名称で、2005年に世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「20世紀の街並みが世界遺産に登録されるのは、極めて異例ですね。」
「そうですね。」

「実際に、世界遺産審議の場では、オーギュスト・ペレが用いた建築用法や功績について、激しい議論が展開されましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし最終的には、大規模な都市再建計画を成功させたことは大きく評価されましたね。」
「はい。」

「近代ヨーロッパの優れた建築計画の代表例として、世界遺産に認められましたよ。」
「なるほど。」

「その街並みは、近現代ならではの整然とした美しさを持ち、フランスでは異色の存在となっていますよ。」
「そうなんだ。」

「ベルギー出身のオーギュスト・ペレが、フランスの都市再建省からル・アーヴルを任されたのは、1945年春ですよ。」
「はい。」

「ペレはまず、破壊された土地を全て更地にし、ゼロから都市設計に着手しましたよ。」
「はい。」

「使われた建築資材は、コンクリートですね。」
「そうなんだ。」

「1940年代のヨーロッパでは、まだ鉄筋コンクリートは殆ど使われていませんでしたよ。」
「本当ですか?」

「しかし、ペレは学校で建築を学んでいる時に、既にコンクリートに注目していましたよ。」
「そうなんだ。」

「1903年には鉄筋コンクリートのアパルトマンを設計建築した実績がありますよ。」
「はい。」

「鉄筋コンクリートのアパルトマンと言えば、鉄筋コンクリートのアパート。特に、家具付きのアパート。」

「コンクリート造りの建物では、熟練の域に達していましたよ。」
「はい。」

「ペレは、鉄筋コンクリートで全てを建築しましたよ。」
「そうなんだ。」

「その街並みの統一性を図り、風通しのいい碁盤目状の街路を張り巡らし、居住地ファサードの様式や素材を全て均質化しましたよ。」
「はい。」

「居住地ファサードと言えば、建物の正面のことをフランス語でファサードと言う。ラテン語の「顔」を意味するfacies、つまりフェイスに通じる。ヨーロッパの美しい街路景観を生み出しているのは、一つ一つの建物の表向きの顔であるファサードである。街路に比べて多くの人が滞在する広場に面する建物となると、そのファサードの重要性は格段に高くなる。」

「コンクリートを使った幾何学的な都市計画により、ル・アーヴルは見事に蘇りましたよ。」
「良かったですね。」

「ペレの発案に基づく都市計画は前例にないもので、全てにおいて「革新的」でしたね。」
「そうなんだ。」

「戦後古い街並みを復旧した地域が多い中、ペレは敢えて、全てを新しいものに造り変えましたね。」
「そうなんですか。」

「しかも、その街並みは、辛うじて損壊を免れた建築群をうまく融合させたものでしたよ。」
「はい。」

「この「統一性」を重んじたル・アーヴルの風景は、ヨーロッパの新たな美的価値観を体系づけたといっても過言ではありませんね。」
「はい。」

「「コンクリートの父」という異名を持つオーギュスト・ペレがル・アーヴルにもたらした新しい街並みは、フランスの他、ヨーロッパ各国の建築史に大きな影響を与えることになりましたよ。」
「そうなんですか。」

「この功績は、賞賛に値するものですね。」
「はい。」

「現在のル・アーヴルは、湾岸都市としての繁栄期を取り戻し、活気に満ち溢れていますよ。」
「はい。」

「ル・アーヴルのサン・ジョセフ教会は、フランスで主流にある石造りの中世ゴシック建築とは異なり、「ネオ・ゴシック建築」という近代版ゴシック様式で建てられましたよ。」
「そうなんだ。」

「「ネオ・ゴシック建築」という近代版ゴシック様式と言えば、北米最大と誇ったノートルダム聖堂は、モントリオール初のネオゴシック建築様式である。誰もが圧倒される内装の豪華さと蒼い光が美しい祭壇。ネオゴシック様式という斬新で美しい建築である。」

「フランスで主流にある石造りの中世ゴシック建築と言えば、ヨーロッパの建築史を理解する上で、中世のゴシック建築を外すことは出来ません。特に内陣は、半円形の周歩廊(祭壇の背後にある通路)に石造天井を架ける方法が入念に検討され、台形や多角形平面のセルに石造・・。 また、ロマネスク建築で主流であったフレスコ壁画に代わって、ステンドグラスと彫刻による聖書の表現が始まった。」

「ル・アーヴルのサン・ジョセフ教会と言えば、オーギュスト・ペレ最後の作品である。彼の手でデザインされたこの新しい教会は、信仰に捧げられた聖域であると同時に、第二次世界大戦の犠牲者たちの記憶を大切にするモニュメントをも表現していた。実際の建築に当たったのは、レイモン・オーディジエ (Raymond Audigier) であった。」

「市庁舎や学校などの公共施設、カジノやファッションビルも、鉄筋コンクリートで造られ、市内で見事に調和していますね。」
「はい。」

「ヨーロッパの中世建築は、至るところで保存されていますね。」
「そうですね。」

「ル・アーヴルは、フランスの首都パリをも凌駕する見事な現代都市ですね。」
「はい。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「特に建築ファンの人たちにとって、「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」観光は、本当におススメの場所ですよ。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と都市文化~月の港ボルドー~

「「ボルドーワイン」で知られるフランス・アキテーヌ地方の港町・ボルドーは、古くから貿易によって栄えた商業都市ですね。」
「はい。」

「アキテーヌと言えば、アキテーヌ地域圏は、フランス南西部の地域圏である。北はリムーザン地域圏とポワトゥー=シャラント地域圏、南はスペインに接する。西は大西洋に面している。地域圏内に5つの県を含む。最大都市はボルドー。この地域の住民はアキテーヌ人と呼ばれる。」

「フランス・アキテーヌ地方と言えば、フランス南西部の地域圏である。北はリムーザン地域圏とポワトゥー=シャラント地域圏、南はスペインに接する。西は大西洋に面している。地域圏内に5つの県を含む。最大都市はボルドー。この地域の住民はアキテーヌ人と呼ばれる。」

「ボルドーと言えば、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。ボルドーワインの産地として世界的に有名。」

「ボルドーワインと言えば、フランス南西部ボルドーを中心とした一帯で産出されるワインである。ジロンド県全域にわたる地域で「ボルドー」を名乗ることができ、この一帯は世界的に最も有名なワイン産地の一つである。」

「町の中心には、三日月形に湾曲したガロンヌ川が流れていますよ。」
「はい。」

「三日月形に湾曲したガロンヌ川と言えば、「月の港ボルドー」はフランスの世界遺産のひとつである。その名の通り、かつて港町として栄えたボルドーの歴史地区を登録対象としている。「月の港」は、ボルドー市内で三日月形に湾曲しているガロンヌ川沿いに発達したことに因むボルドーの通称である。」

「その西岸でボルドー北部にあたるシャルトロン地区は、ボルドーの歴史地区として特に名高いところですね。」
「そうなんですか。」

「ボルドー北部にあたるシャルトロン地区と言えば、ボルドーは、古くから貿易によって栄えた商業都市です。町の中心には、三日月形に湾曲したガロンヌ川が流れ、その西岸でボルドー北部にあたるシャルトロン地区は、ボルドーの歴史地区として特に名高いところです。」

「この地域は、2007年に「月の港ボルドー」という名称で、世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「「月の港ボルドー」は又、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という世界遺産の一部にもなっていますよ。」
「はい。」

「古い商業都市としてだけでなく、キリスト教ゆかりの地としても知られていますよ。」
「はい。」

「「月の港ボルドー」の歴史は、古代ローマの時代にまで遡りますよ。」
「そうなんですか。」

「この時代から、良港のあるボルドーは交易の都市として栄えていましたよ。」
「はい。」

「12世紀には、地元で採れるワインが貿易の主力品になりましたよ。」
「はい。」

「16世紀頃には、フランスが西インド諸島に勢力を拡大していきましたね。」
「そうなんですか。」

「西インド諸島と言えば、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である。アメリカ合衆国のフロリダ半島南端、および、メキシコのユカタン半島東端から、ベネズエラの北西部沿岸にかけて、少なくとも7000の島、小島、岩礁、珊瑚礁がカーブを描くようにして連なる。これらの島々が、大西洋と、メキシコ湾、カリブ海の境界線を形成している。」

「西インド諸島のフランス植民地で生産される、砂糖やコーヒーなども多く取引されるようになりましたよ。」
「はい。」

「18世紀には、「貿易都市・ボルドー」は、黄金期を迎えましたよ。」
「そうなんですか。」

「町が潤い、そして街並みも整備されるようになりましたよ。」
「はい。」

「後に世界遺産に認定される美しい建築群の多くも、この頃に建築されていますよ。」
「はい。」

「世界遺産総会で特に評価されたのは、荘厳さと崇高美を持つ「新古典主義建築」ですよ。」
「そうなんだ。」

「新古典主義建築と言えば、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式である。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されたが、やがて19世紀の歴史主義、様式濫用の中に埋没した。」

「この建築様式に基づいた都市計画が行われたことにより、ボルドーは、世界の人々を魅了する、豪奢で美しい町に変貌を遂げましたよ。」
「はい。」

「三日月形のガロンヌ川があることで、「月の港ボルドー」というロマンティックな名前がつけられましたよ。」
「そうなんだ。」

「ボルドーには「月の港」や新古典主義の美しい建築群があり、更に世界最高峰のワインがありますよ。」
「はい。」

「したがって、世界中から観光客が押し寄せる、フランス有数の観光都市になっていますよ。」
「はい。」

「「月の港ボルドー」は、その他にも見所に溢れていますよ。」
「そうなんですか。」

「「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」にも登録されているのは、「サンタンドレ大聖堂」と「サン・ミシェル大聖堂」の、二つのカトリック大聖堂ですよ。」
「はい。」

「サン・ミシェル大聖堂と言えば、ベルギーの首都ブリュッセルの市街中心部にある、高さ69mの2つの塔を持ったゴシック様式の聖堂である。1962年に大聖堂に昇格したが、古くは「サントギュデュル教会」と呼ばれていた。」

「サンタンドレ大聖堂と言えば、フランス南西部、ジロンド県の都市ボルドーにある大聖堂である。11世紀の創建。その後、14世紀頃まで増改築が繰り返された。北側の入口「王の門」に施された「最後の審判」の彫刻はゴシック様式の傑作とされる。」

「「サンタントレ大聖堂」の前身は、1096年に建てられたロマネスク様式の聖堂ですね。」
「そうなんですか。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例である。」

「現在残っているのは、その中のほんの僅かな部分ですよ。」
「はい。」

「その他の部分は、14世紀頃にゴシック様式に改築され、現在では「典型的なゴシック様式」を持つ聖堂として知られていますよ。」
「はい。」

「「サン・ミシェル大聖堂」は、バシリカ式のゴシック建築の傑作ですね。」
「そうなんだ。」

「バシリカ式のゴシック建築と言えば、バジリカは、建築の平面形式のひとつで、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を、側廊によって取り囲むものをいう。身廊と側廊は列柱によって分けられる。バジリカ式、長堂式ともいう。ゴシック建築は、12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式。」

「サン・ミシェル大聖堂と言えば、ベルギーの首都ブリュッセルの市街中心部にある、高さ69mの2つの塔を持ったゴシック様式の聖堂である。1962年に大聖堂に昇格したが、古くは「サントギュデュル教会」と呼ばれていた。」

「こちらもカトリックの建築物として非常に名高く、サンタンドレ大聖堂と併せて訪れることをおススメします。」
「わかりました。」

「「月の港ボルドー」には、ヨーロッパ最大規模の広場である「カンコンス広場」、フランスで最も美しい劇場といわれる「大劇場」、更に小規模ながらも圧倒的な美しさを誇る「ブルス広場」、貿易都市・ボルドー最盛期に建てられた「ロアン宮殿」などの見所もありますよ。」
「いろいろあるんですね。」

「ロアン宮殿と言えば、ストラスブールの見所のひとつは、マルシェ・ド・ノエルのすぐ横に建つロアン宮殿です。ロアン宮殿は、ルイ14世付きの建築家として知られるロベール・ド・コットによって、ストラスブールのロアン大司教のために建てられました。」

「ブルス広場と言えば、ボルドー市民の憩いの場であり、最も美しい場所として愛されているブルス広場は、1730年から1775年にかけてボルドーの表玄関として作られました。」

「カンコンス広場と言えば、フランス南西部、ジロンド県の都市ボルドーのガロンヌ川沿いにある広場である。面積は12万平方キロメートルでヨーロッパ最大級。」

「「月の港ボルドー」は、中世後期の美しい建築群が今も、そのままの姿を見せていますよ。」
「はい。」

「最高のワインとそれにぴったりな料理を楽しみながら、時間をかけて歩いてみたいところですね。」
「そうですね。」





フランスの世界遺産と都市文化~アルビの司教都市~

「ミディ・ピレネー地方タルヌ県アルビは、南フランスのピレネー山脈に位置していますね。」
「はい。」

「南フランスのピレネー山脈と言えば、フランスとスペインの国境が走る褶曲山脈である。ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分ける山脈でもある。山脈はほぼ東西方向に延び、長さ430km、幅は定義にもよるが100km程度である。山脈の中央東寄りの位置にはミニ国家であるアンドラ公国がある。」

「アルビと言えば、フランス南部、ミディ=ピレネー地域圏の都市で、タルヌ県の県庁所在地である。タルヌ川に面した商業都市である。ローマ帝国によって都市が建設され、その後アルビガと呼ばれていた。」

「タルヌ県と言えば、は、フランスのミディ=ピレネー地域圏の県である。タルヌ川がその語源である。」

「ミディ・ピレネー地方と言えば、フランス南部の地域圏である。西はアキテーヌ地域圏、東はラングドック=ルシヨン地域圏、北はオーヴェルニュ地域圏とリムーザン地域圏に接している。南にはピレネー山脈があり、スペインとの国境となっており、アンドラとも接している。州都はフランス第4の都市で航空産業が盛んなトゥールーズ。」

「アルビは、中世の面影を残す美しい街並みが大変有名ですね。」
「そうなんですか。」

「アルビ旧市街地は、「アルビの司教都市」という名称で、2010年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「世界でも有数の世界遺産保有国であるフランスにおいて、「アルビの司教都市」は最も新しい世界遺産の一つになりますよ。」
「はい。」

「アルビは、1996年から、ユネスコに世界遺産登録申請を行い、14年越しで、ようやく夢を実現させましたよ。」
「そうなんだ。」

「「ユネスコによる承認」という称号は、大変大きいですね。」
「そうですね。」

「これから先、観光地として、より脚光を浴びていくことが予想されますよ。」
「はい。」

「アルビは、5世紀には既にローマの支配下にありましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、ローマの支配は長く続かず、様々な民族がアルビの地の奪取を試みましたよ。」
「いろいろあったんですね。」

「418年には西ゴート族が、アルビを支配下に置きましたよ。」
「はい。」

「西ゴート族と言えば、ゲルマン人の一派である。スウェーデンから南下したゴート族はドニエプル川の両岸に分かれて居住したが、その西側カルパチア山麓に居を構えたことから西ゴート族と呼ばれる。」

「507年にはフランク族が、アルビを支配下に置きましたよ。」
「はい。」

「フランク族と言えば、フランク人またはフランク族は、ゲルマン人の1支族で、サリー族(サリー・フランク族)とリプアリア族(リプアリア・フランク族)に大別される。前者は西ヨーロッパにおいてフランク王国を建国した事で知られる部族集団である。」

「アルビの情勢は、常に不安定で、その地域争奪戦は12世紀迄まで続きましたよ。」
「大変でしたね。」

「10世紀半ばには、フランス南部及びイタリア北部で、「カタリ派」(=別名「アルビ派」)と呼ばれる集団の民衆運動が起こりましたよ。」
「はい。」

「「カタリ派」(=別名「アルビ派」)と言えば、10世紀半ばに現れ、フランス南部とイタリア北部で活発となったキリスト教色を帯びた民衆運動である。」

「彼ら独自の思想で、アルビ周辺の地域を統治しようとしましたよ。」
「はい。」

「その試みは、ローマ教皇が2度の十字軍を派遣したことにより失敗しましたよ。」
「そうなんですか。」

「13世紀には、カトリックがアルビを制圧しましたよ。」
「はい。」

「それ以降は、ローマ・カトリックが権威を振るう都市になりますよ。」
「そうなんだ。」

「「アルビの司教都市」に現存する歴史的建造物も、この時代に多く生まれましたよ。」
「はい。」

「アルビは13世紀以降現在に至るまで、カトリックが主流の都市ですが、その間にも様々な試練が待ち受けていましたよ。」
「はい。」

「フランス革命(1789年)後、聖職者たちの資産は没収され、聖堂やその他の宗教施設は、荒廃の道を余儀なくされましたよ。」
「そうなんだ。」

「第二次世界大戦後には、アルビは放置され、市民が次々と市外へ流出する過疎地になりましたよ。」
「はい。」

「しかし、1968年に、自治体による保護宣言を受け、それ以後本格的に街並みの復旧に向かっていきますよ。」
「はい。」

「長い年月をかけて街並みを復旧させ、そして世界遺産に登録申請をするに至りましたよ。」
「そうなんですか。」

「アルビは、こうして荒廃の時代から立ち直り、今では「アルビの司教都市」という、フランスの観光スポットの一つになっていますよ。」
「はい。」

「「アルビの司教都市」の街並みは、赤レンガ造りが特徴ですよ。」
「そうなんだ。」

「これは、アルビ周辺で採れる石材の質が非常に悪く、石材を使えなかったためですよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、赤レンガのやむを得ない利用が、結果的に「南仏ゴシック様式」という独特のゴシック建築を生み出しましたよ。」
「はい。」

「その景観は、石材には出せない温かみのある美しさを放っていますね。」
「そうなんだ。」

「フランス各地にある大聖堂のほとんどが、石材の建築物ですね。」
「はい。」

「13世紀~16世紀にかけて造られたアルビの「サント・セシル大聖堂」は、赤レンガ造りの建築物ですよ。」
「はい。」

「サント・セシル大聖堂と言えば、フランス南西部、ミディピレネー地方の都市アルビにある、サント・セシル大聖堂(13~16世紀)は南方ゴシック建築の代表である。」

「レンガ造りの聖堂としては、世界最大の大きさを誇りますよ。」
「いいですね。」

「15世紀にはイタリアで始まったルネサンス様式が、アルビにも伝わりましたよ。」
「はい。」

「その当時のカトリック権力者や富裕層は、ルネサンス様式を取り入れた豪華な建物を次々に建設しましたよ。」
「はい。」

「その当時の建築物は、現在も見ることができますよ。」
「そうなんだ。」

「中世南仏の雰囲気そのままの「アルビの司教都市」は、現存する教会、宮殿、中世の富豪たちが建てた建築群など、全てが温かみのある美しさをもって観光客をもてなしてくれますよ。」
「はい。」

「フランスの新しい観光スポット「アルビの司教都市」は、日本人にはまだあまり知られていませんね。」
「そうですね。」

「新たな観光地を開拓したい方には、是非おススメですよ。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と都市文化~リヨン歴史地区~

「ローヌ・アルプ地方の中心地であるリヨンは、フランス第二の大都市ですね。」
「はい。」

「リヨンと言えば、フランスの南東部に位置する都市で、ローヌ=アルプ地域圏の首府、ローヌ県の県庁所在地である。リヨンの近郊にはリヨン市の人口を含め、164万8216人が住み(1999年)、都市圏としてはフランス第二の規模を持つ。フランスにおける金融センターのひとつであり、多くのフランスの銀行の本店が置かれる。」

「ローヌ・アルプ地方と言えば、フランス南東部の地域圏で、首府はフランス第二の都市圏規模のリヨン。リヨンは地域圏内の最大都市でもある。地域圏内に8つの県を含む。地域圏全体の面積・人口・経済規模いずれもフランス第二位。」

「この町の歴史地区(旧市街~クロワ・ルースにかけての地域)は、「リヨン歴史地区」という名称で、1998年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」

「クロワ・ルースと言えば、クロワ・ルース地区 LA CROIX-ROUSSE は、小高い丘を中心に発展したリヨン北部の集落 FAUBOURG があった所で、現在でも「村」LE VILLAGEの異名を持っている。」

「リヨンは、多くの有名シェフを輩出した美食の町として知られていますね。」
「そうなんですか。」

「「世界遺産」という偉大な歴史の遺跡群だけでなく、本格的なフランスの食事を楽しめる所でもありますよ。」
「そうなんだ。」

「2000年もの歴史を持つフランスの古都、リヨンは、一体どんな町でしょうか。」
「教えてください。」

「リヨンの歴史が始まったのは、紀元前43年頃ですね。」
「はい。」

「この当時リヨンは、ローマ皇帝アウグストゥスによって支配されていましたよ。」
「はい。」

「ローマ皇帝アウグストゥスと言えば、ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。」

「アウグストゥスは、リヨンをガリア3州(現リヨン、アキテーヌ、ベルギー)の首都と定め、この時からリヨンの地は人々に知られるようになりましたよ。」
「そうなんだ。」

「アキテーヌと言えば、アキテーヌ地域圏は、フランス南西部の地域圏である。北はリムーザン地域圏とポワトゥー=シャラント地域圏、南はスペインに接する。西は大西洋に面している。地域圏内に5つの県を含む。最大都市はボルドー。この地域の住民はアキテーヌ人と呼ばれる。」

「2世紀にはキリスト教が伝わりましたよ。」
「はい。」

「177年の動乱では、50名ものキリスト教殉教者を出しましたよ。」
「そうなんですか。」

「それ以降、「キリスト教殉教の聖地」と言われるようになりましたよ。」
「そうなんだ。」

「現存する「リヨン歴史地区」の主な建築物は、12世紀頃から建てられましたよ。」
「はい。」

「1192年には、リヨンを象徴するカトリック教会である「サン・ジャン大聖堂」の建設が始まりましたよ。」
「はい。」

「サン・ジャン大聖堂と言えば、フランス南東部の都市リヨンの旧市街にある司教座聖堂である。12世紀から15世紀にかけて建造され、ロマネスク様式の内陣、ゴシック様式の身廊とステンドグラスで構成される。」

「「ジャン」は十二使徒ヨハネのことですよ。」
「そうなんですか。」

「フランスがルイ9世の時代になると、ルイ9世は、「サン・ジャン大聖堂」の拡張工事に着手しましたよ。」
「はい。」

「ルイ9世と言えば、フランス王国カペー朝第9代の国王でルイ8世とカスティーリャ王アルファンソ8世の娘ブランシュの子。死後、カトリック教会より列聖されSaintが称され、ここから、Saint-Louis(サン=ルイ)と呼ばれるようになった。これは日本語では聖ルイあるいは聖王ルイと訳される。」

「これは、敬虔なキリスト教徒であったルイ9世が、サン・ジャン大聖堂を更に豪華に、リヨンを象徴する威厳ある姿に変えるために行いましたよ。」
「そうなんですか。」

「しかし、その完成を待たずしてルイ9世は死去しますよ。」
「それは残念ですね。」

「13世紀には、リヨンは絹織物の産地となりましたよ。」
「はい。」

「15世紀には交易の地として栄えることになりましたよ。」
「はい。」

「南北ヨーロッパを結ぶリヨンは、ソーヌ川とローヌ川という2本の川により船での品物輸送が可能でしたよ。」
「そうなんだ。」

「ローヌ川と言えば、フランス4大河川の一つで、主としてフランス南部を流れて地中海に注ぐ唯一の川であり、4大河川のうち唯一の男性名詞でもある。全長812kmのうち、フランス国内を流れるのは581kmである。フランスを流れる川としては長さ・流域面積とも屈指のものとなっている。」

「ソーヌ川と言えば、フランス東部を流れる川である。ヴォージュ県ヴィオメニルに源を発し南へ流れ、リヨンでローヌ川に合流する。川はオート=ソーヌ県の語源となった。」

「交易の地として、好条件に恵まれていましたよ。」
「なるほど。」

「15世紀には又、活版印刷がフランスで初めて導入されましたよ。」
「はい。」

「フランス初のフランス語の本も、リヨンの地で生まれましたよ。」
「そうなんですか。」

「15世紀のリヨンは、絹織物産業、交易、そして印刷業で繁盛期を迎えましたよ。」
「はい。」

「フランスきっての大都市になり、一時はヨーロッパで一番の人口を誇りましたよ。」
「そうなんですか。」

「16世紀には、都市整備が進められましたよ。」
「はい。」

「そこで用いられた主な様式は、バロック式、ロココ式、ルネサンス式などですね。」
「そうなんだ。」

「ルネサンス式と言えば、ルネサンス建築は、一義的にイタリアのフィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた建築様式を指す。古典古代を理想とするルネサンスの建築における表現といえる。 人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築の構成を古典主義建築として理論づけた。」

「ロココ式と言えば、18世紀、ルイ15世時代のフランスを中心に欧州で流行した美術様式である。バロックに次ぎ新古典主義に先立つもので、室内装飾から建築・絵画・工芸・彫刻に及ぶ。S字状曲線や、異国趣味による優美さ・軽快さ・繊細さが特徴。」

「バロック式と言えば、バロック様式は、16世紀から18世紀初頭にかけてヨーロッパ各国に広まった美術・建築・文化の様式である。曲線や楕円が多く用いられ、豪華な装飾が特徴。建築では、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂やフランスのベルサイユ宮殿が代表的。」

「「リヨン歴史地区」では、この時代の邸宅が今でもあちこちで見られますよ。」
「本当ですか?」

「現在の街並みの原型は、この時代の都市整備ですね。」
「はい。」

「19世紀には絹織物の工業化が進み、現在のリヨンは歴史遺産の町としてだけでなく、「絹織物の町」として知られていますよ。」
「はい。」

「このように歴史が深く、様々な産業で成功してきたフランスの世界遺産「リヨン歴史地区」には、どんな観光スポットがあるのでしょうか?」
「教えてください。」

「「リヨン歴史地区」は、多種多様な産業で経済的に成功し、今も繁栄期の面影を色濃く残していますね。」
「そうなんですか。」

「「リヨン歴史地区」には、旧市街地のどこにいても見える、ランドマーク的存在の建物がありますよ。」
「それは何ですか?」

「それが、「フルヴィエール大聖堂」ですよ。」
「はい。」

「フルヴィエール大聖堂と言えば、フルヴィエールのノートルダム大聖堂、あるいはフルヴィエール大聖堂は、フランス・リヨンのフルヴィエールの丘にあるバシリカ式教会堂である。献金により、1872年から1896年にかけて、街を見下ろす位置に建てられた。」

「フルヴィエール大聖堂は、「フルヴィエールの丘」の頂上に建つ、ロマネスク様式とビザンチン様式を採用した白亜の大聖堂ですよ。」
「はい。」

「ビザンチン様式と言えば、4世紀頃から始まった東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の建築・装飾様式である。ギリシャやトルコなど、地中海東側に見られる。建築では大ドームやモザイク壁画が特徴で、イスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂やベネチアのサン・マルコ大聖堂が代表的。」

「ロマネスク様式と言えば、10世紀末から12世紀にかけてヨーロッパ各地に見られた建築・美術様式である。建築物は石造の厚い壁や半円アーチを持つのが特徴。フランスのサン・トロフィーム教会、イタリアのピサ大聖堂、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂などが代表例である。」

「フルヴィエールの丘と言えば、市中のほとんどの場所から見ることが出来るフルヴィエールの丘。頂上にはノートルダム大聖堂(各地にあるノートルダム聖堂・寺院と区別するため、「ノートルダム・ド・フルヴィエール」と呼ばれる)が聳え立ち、近くにはフランス国内最大級の古代ローマ劇場遺跡がある。」

「19世紀の終わりに完成しましたよ。」
「そうなんだ。」

「この大聖堂は、1870年に勃発した普仏戦争の終焉を願い、リヨン市民からの寄付金によって建てられましたよ。」
「そうなんですか。」

「普仏戦争と言えば、第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランスとプロイセン王国の間で行われた戦争である。ドイツ諸邦もプロイセン側に立って参戦したため独仏戦争とも呼ぶ他、フランス側では1870年戦争と呼称する。なお、プロイセン=フランス戦争と呼称している日本の世界史の教科書もある。」

「完成が19世紀ですから、「リヨン歴史地区」の中でも、比較的新しい建築物になりますね。」
「はい。」

「フルヴィエール大聖堂の北塔頂上からは、リヨンの町が180度のパノラマで楽しむことができますよ。」
「いいですね。」

「リヨン観光の一大スポットになっていますよ。」
「はい。」

「フルヴィエール大聖堂の内装は、外観の個性にも負けない、圧倒的な美しさを誇りますよ。」
「はい。」

「特に、モザイクやステンドグラスの美しさは感動的ですよ。」
「そうなんだ。」

「そのまばゆいばかりの輝きに、埋もれてしまうような錯覚さえ起こすでしょう。」
「本当ですか?」

「フルヴィエールの丘の麓には、もう一つの大聖堂「サン・ジャン大聖堂」がありますよ。」
「はい。」

「フルヴィエールの丘と言えば、市中のほとんどの場所から見ることが出来るフルヴィエールの丘。頂上にはノートルダム大聖堂(各地にあるノートルダム聖堂・寺院と区別するため、「ノートルダム・ド・フルヴィエール」と呼ばれる)が聳え立ち、近くにはフランス国内最大級の古代ローマ劇場遺跡がある。」

「こちらの大聖堂は、ルイ9世により大幅拡張され、15世紀に完成しましたよ。」
「はい。」

「ルイ9世と言えば、フランス王国カペー朝第9代の国王でルイ8世とカスティーリャ王アルファンソ8世の娘ブランシュの子。死後、カトリック教会より列聖されSaintが称され、ここから、Saint-Louis(サン=ルイ)と呼ばれるようになった。これは日本語では聖ルイあるいは聖王ルイと訳される。」

「比較的新しい「フルヴィエール大聖堂」に比べて、サン・ジャン大聖堂が持つ歴史は大変古いですよ。」
「そうなんですか。」

「サン・ジャン大聖堂と言えば、フランス南東部の都市リヨンの旧市街にある司教座聖堂である。12世紀から15世紀にかけて建造され、ロマネスク様式の内陣、ゴシック様式の身廊とステンドグラスで構成される。」

「リヨンが繁栄期を迎えた頃から、この町を見守ってきた由緒ある大聖堂ですよ。」
「そうなんだ。」

「リヨンと言えば、フランスの南東部に位置する都市で、ローヌ=アルプ地域圏の首府、ローヌ県の県庁所在地である。リヨンの近郊にはリヨン市の人口を含め、164万8216人が住み(1999年)、都市圏としてはフランス第二の規模を持つ。フランスにおける金融センターのひとつであり、多くのフランスの銀行の本店が置かれる。」

「サン・ジャン大聖堂には、ルイ9世が安置されていますよ。」
「はい。」

「この大聖堂は、扉口にある緻密で美しい彫刻群が特に知られていますね。」
「そうなんですか。」

「フルヴィエール大聖堂と併せて、是非訪れたいところですね。」
「わかりました。」

「フルヴィエールの丘は、ソーヌ川沿いにありますよ。」
「はい。」

「ソーヌ川と言えば、フランス東部を流れる川である。ヴォージュ県ヴィオメニルに源を発し南へ流れ、リヨンでローヌ川に合流する。川はオート=ソーヌ県の語源となった。」

「川の対岸から丘を見渡すと、歴史あるサン・ジャン大聖堂と、新しいリヨンの象徴であるフルヴィエール大聖堂の両方を見ることができますよ。」
「それはいいですね。」

「特に辺りが暗くなる時間帯には、ライトアップされた大聖堂が見事なコントラストを作り、夜のリヨンの街を美しく演出してくれますよ。」
「綺麗でしょうね。」

「「リヨン歴史地区」の見所は、この2大大聖堂だけではありませんよ。」
「そうなんですか。」

「リヨン旧市街には、ヨーロッパで最も大きな広場の一つ、「ベルクール広場」がありますよ。」
「はい。」

「ベルクール広場と言えば、フランス南東部の都市リヨンの中心部、ローヌ川とソーヌ川に挟まれた旧市街にある広場である。ヨーロッパ最大の広場の一つ。中央にルイ14世、南西隅に作家サン=テグジュペリの像がある。1998年、「リヨン歴史地区」として旧市街の教会、広場、庭園とともに、世界遺産(文化遺産)に登録された。」

「この広場は、東西300m、南北200mという広大さですよ。」
「広いですね。」

「広場内ではシーズンごと、時間帯ごとに、様々なイベントが行われていますよ。」
「そうなんだ。」

「その他には、古代ローマ時代に造られた「ローマ劇場」、絹織物産業の歴史を伝える「織物歴史博物館」、ルネサンス様式の美しい裁判所や市庁舎など、中世の世界を現代に伝える様々な美しい建物がありますよ。」
「いろいろありますね。」

「町全体が「世界遺産」という素晴らしさですよ。」
「そうなんだ。」

「したがって、由緒ある建築群を巡るだけでなく、ただ散歩するだけでも充分に世界遺産を堪能できますよ。」
「なるほど。」

「フランス第二の都市ですが、どことなくノスタルジックな街並みは、実に印象的ですね。」
「はい。」

「中世及び現代のリヨンは、本場フランスのシェフが提供する美味しい食事とワインを楽しむこともできますよ。」
「いいですね。」

「どんなに長く過ごしても、飽きることのない町ですよ。」
「はい。」

「リヨンには、新旧時代の様々な魅力とフランスのあらゆる「美」が溢れていますよ。」
「わかりました。」





フランスの世界遺産と都市文化~歴史的城塞都市カルカソンヌ~

「フランス最南端のランドック・ルーション地方には、フランスで第二位の訪問者数を誇る観光地、カルカソンヌがありますね。」
「はい。」

「カルカソンヌと言えば、フランス南部の都市、ラングドック=ルシヨン地域圏に属するオード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設されたことで有名である。」

「ランドック・ルーション地方と言えば、ラングドック=ルシヨン地域圏は、フランス南部、地中海(リオン湾)に面する地域圏である。ラングドックはオック語が話されている地域であったことに由来する。」

「カルカソンヌの南東部には、かつて「ラ・シテ」(=シティ、「町」という意味)と呼ばれていた、二重城塞に囲まれたコミューンがありますよ。」
「そうなんですか。」

「コミューンと言えば、フランスにおける基礎自治体、すなわち地方自治体の最小単位である。スイスの基礎自治体もフランス語圏ではコミューン(コミュヌ)と呼ぶ。」

「この地域は、1997年に、「歴史的城塞都市カルカソンヌ」という名称で、世界遺産に登録されましたよ。」
「そうなんだ。」

「カルカソンヌと言えば、フランス南部の都市、ラングドック=ルシヨン地域圏に属するオード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設されたことで有名である。」

「フランスには、首都パリ以外にも数多くの観光地や世界遺産がありますね。」
「はい。」

「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」

「その中でも、特に観光客を惹きつけているカルカソンヌには、一体どのような魅力があるのでしょうか。」
「教えてください。」

「「歴史的城塞都市カルカソンヌ」の歴史は、紀元前3世紀に遡りますよ。」
「はい。」

「この頃、ケルト人がカルカソンヌを砦として利用していましたよ。」
「はい。」

「ケルト人と言えば、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。」

「その後、ガリア人の支配を経て、ローマに吸収されますよ。」
「そうなんですか。」

「ガリア人と言えば、ケルト語派を話すいわゆるケルト人のうち、ガリア地域に居住してガリア語あるいはゴール語を話した諸部族の人々を指す。」

「最初の城塞を築いたのは、ローマ帝国ですよ。」
「はい。」

「しかし、ローマの統治も長く続きませんでしたよ。」
「どうしてですか?」

「453年には西ゴート王国、508年にはフランク王国が、この地の奪取を試みましたよ。」
「はい。」

「フランク王国と言えば、5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国である。最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域(今日のドイツ・フランス・イタリア・スイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに相当)に及び、この地域を統一支配した空前にして絶後の国家でもある。」

「西ゴート王国と言えば、現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国である。はじめはキリスト教アリウス派、のちにカトリックを国教とし、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ栄えた。」

「カルカソンヌは、常に激しい攻撃下にさらされていましたよ。」
「そうなんだ。」

「このように、どの国もこの地を支配下に収めようとしたのは、カルカソンヌの地理条件にありますよ。」
「どういうことですか?」

「カルカソンヌは、地中海と大西洋を結ぶ交通の要であり、また軍事目的の利用価値もありましたよ。」
「はい。」

「そのため、カルカソンヌは南ヨーロッパで最も覇権争いの激しい都市になりましたよ。」
「そうなんですか。」

「そして、フランス王国のルイ9世統治下に入った1247年、ルイ9世は、隣接するアラゴン王国から自衛するために、城塞の外側に新たな城塞を巡らす工事を始めましたよ。」
「はい。」

「ルイ9世と言えば、フランス王国カペー朝第9代の国王でルイ8世とカスティーリャ王アルファンソ8世の娘ブランシュの子。死後、カトリック教会より列聖されSaintが称され、ここから、Saint-Louis(サン=ルイ)と呼ばれるようになった。これは日本語では聖ルイあるいは聖王ルイと訳される。」

「その完成を見届けずに、ルイ9世はなくなりましたよ。」
「はい。」

「1285年、フィリップ3世(ルイ9世の息子)の時代にようやく完成しましたよ。」
「そうなんだ。」

「フィリップ3世(ルイ9世の息子)と言えば、フィリップ3世は、フランス王国カペー朝第10代の国王である。ルイ9世と王妃マルグリット・ド・プロヴァンスの次男。大胆王と呼ばれた。」

「それ以来、カルカソンヌは壊滅的な被害を免れるようになりましたよ。」
「はい。」

「現在の「歴史的城塞都市カルカソンヌ」に残る重要な建築物は、この頃から造られ始めたものですよ。」
「はい。」

「しかしその後、カルカソンヌには荒廃の時代が訪れましたよ。」
「どうしてですか?」

「17世紀半ば、フランスとスペインの国境を明確にする「ピレネー条約」が締結された後、もはや用をなさなくなった城塞とその内部は、自ずと荒廃の道を辿ることになりましたよ。」
「そうなんですか。」

「フランスとスペインの国境を明確にする「ピレネー条約」と言えば、17世紀半ば、フランスとスペインの国境を明確にする「ピレネー条約」が締結された。」

「それから2世紀余り、カルカソンヌは地方都市の一つに過ぎず、かつて激しく争奪戦が繰り広げられた歴史の重みも失われていきましたよ。」
「はい。」

「「歴史的城塞都市カルカソンヌ」が、中世の姿を取り戻したのは、建築家、ヴィオレ・デュクによる復旧工事が始まってからですよ。」
「そうなんですか。」

「建築家、ヴィオレ・デュクと言えば、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク(1814-1879年)は、19世紀フランスの建築家、建築理論家である。中世建築の修復、及びゴシック建築の構造合理主義的解釈で知られる。」

「デュクは、パリのノートルダム寺院の建築を手がけた人物ですね。」
「はい。」

「パリのノートルダム寺院と言えば、パリのノートルダム大聖堂(ノートルダム寺院とも)はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂である。」

「彼により、カルカソンヌの「ラ・シテ」は見事に蘇りましたよ。」
「良かったですね。」

「その復旧工事の際には、新たな居住スペースなども造られましたよ。」
「はい。」

「現在も、人々がカルカソンヌを居住の地にしていますよ。」
「はい。」

「歴史的城塞都市カルカソンヌ」は、荒廃の時代こそあったものの、修復作業が行われてからは、中世の街並みを守り続けていますよ。」
「そうなんだ。」

「現・カルカソンヌから城塞を2回潜り抜けると、そこには時代を越えた中世そのままの空間が待っていますよ。」
「はい。」

「フランスに数多く残る歴史遺産の中で、カルカソンヌの地が圧倒的な人気を誇る理由は、ラ・シテに行くと、簡単に分かるでしょう。」
「なるほど。」

「現代人が体験できる中世ヨーロッパの世界には、大きな浪漫と感動が待っていますよ。」
「わかりました。」

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